2010/11/30

Post #14 たまには写真やカメラについて話そうかな #1


Hometown
俺はカメラを手に入れる前は、ベスパ乗りだった。長らくカスタムした50のベスパに乗ってたんだが、だんだんと物足りなくなって、デカイベスパが欲しくなったんだ。
人間の欲望には限りが無いもんだ。で、一念発起して1965年製のベスパスーパースポーツって180ccのデカイのをゲットしたんだ。イギリスレストアのイカしたマシーンだった.。メタリックグリーンとクロームメッキと白の3色でカラーリングされていた。一目見て気にいったさ。
だいたい俺は、女の子でも服でも靴でも、一目惚れするタイプなんだ。そうすると、手に入れるまで他の事が目に入らなくなる。困った性分なんだ。それでも、モノの場合はまだいいさ。これが女の子に関する場合、たいそう辛い思いをする事になるだろう。モノは金で手に入るけれど、金で手に入る女はたかが知れている。女の子の心をゲットするのは、金じゃどうにもならないし、どれだけ熱い思いを抱いていたって、伝わらなくちゃねぇ、胸が張り裂けそうってもんだ。
で、結局俺はそのベスパを100万くらい払って手に入れた。キャッシュでだ。今考えると、とんでもないぜ。どっからそんな金出てきたんだよ?って聞きたくなるだろう。
種明かしをすれば、死んだお袋の保険金とかが俺の為に貯金してあったんだ。俺は、その金に手を着けちまったんだな。バチ当たりな奴だ、俺は。今その金があったなら、どれ程助かるだろう。若気の至りだ、後悔先に立たずだ。先立つモノは金だぜ。?さぞかしお袋はあの世で腹を立てた事だろう。生きてる頃はそりゃおっかない女だった。死ぬ2週間前まで、俺の横面をスリッパでひっぱたいていたくらいだぜ。
そりゃ大事に乗っていたんだが、ある正月休み、後ろに彼女を乗せて走っていたとき、突然ギア抜けしちまった。そして、ギアが入った途端にベスパはウィリーし、そのまま交差点を突っ切ってガソリンスタンドに飛び込んで行った。その時間の長く感じられたこと。
俺はこりゃ死ぬって確信したよ。その一方で、板金屋に行かなきゃならないな、なんて呑気に思ってた事をはっきり覚えている。少しは後ろの彼女のことを心配すべきだったとは思うが、人間は身勝手なもんだぜ、まったく。
俺は死ななかった。しかし右足を骨折したよ。やれやれって立ち上がった途端に、 俺の身体は右腿の真ん中から、ぐらりと折れて倒れこんだんだ。スローモーションのように倒れてゆきながら、俺は『救急車呼んでくれー‼』って絶叫してたぜ。今考えてもドラマチックなシーンだ。カメラを持っていたら、きっと撮っていただろう。
彼女の方は頭を切った程度で済んだのは幸いだった。新しいヘルメットに換えたばかりだったんだが、そのヘルメットはパックリ割れていた。死んだり、くるくるパーとかにならなくてホント良かったぜ。
まぁ俺はバチが当たったのさ。彼女はそのとばっちりを食らったってところだ。
で、入院したり、大腿骨にチタンのシャフトを入れたり出したりする手術したりでたいへんだったぜ。おかげさんで、今でも尻と右足にはデカイ縫い傷が残ってるんだ。最近友人の喫茶店で読んだ雑誌には、モテる男は身体に傷があるってあったぜ。やったな、モテモテ要素が一つ増えたぜ!しかし、全くモテないけどね。もっとも、見た目ばっかりで中身がカラッポ、いつでも流行に流されてタコ踊りなんて女に好かれてもねぇ・・・、嬉しくないわけじゃないが・・・・、つまんないね、きっと。

この事故の後、俺は彼女からベスパに乗る事を禁止された。女にしてみりゃ当然だろう。
こうして、俺には新しいオモチャが、必要になったのさ。
しばらくの間、何もなく過ごしていた。きっとCDを買い集めたりしていたんだろうな。
そうこうしているうちに、中古のカメラを手に入れた。
プアマンズ・ハッセルことブロニカS2だった。

ヤバい、もうこんな時間だ。明日の男の仕事に差し支える。続きは明日だ!ちっともカメラも写真も出てこなかったじゃないか!仕方ない、カメラも写真も明日だ、明日。
そう、俺たちには明日があるさ。で、明日はどっちだ?

2010/11/29

Post #13 The Working Class Hero


Hong Kong

う~む、出張中に拾ってきた風邪がこじれてるぜ。
なんせ昨日は仲間を集めて、北風が吹きすさぶ中、ひと仕事してきたからな。しかも、高校時代の数少ない友人に連絡を取って、夜一緒に飯なんか食ってたもんだからなおさらだ。仕方ないぜ、昨日の星占いには『古い友人に連絡を取ってみて、懐かしい話で盛り上がり、楽しい時間を過ごせるかも』ってあったからな。
奴とは中学高校と一緒だった。人生で最も多感な時期だ。今日の俺の基礎が形成されたのはそのころだ。こう見えても、俺は私立の中高一貫進学校に通っていたんだが、一体俺はどこで道を間違えたのか?(本当はあそこと、ここだってわかっちゃいるけれどね。後悔すれども反省せずだぜ)
奴は某一流企業の課長だし、俺はしがないワーキングクラスなのさ。けれど、こうして会えば、肩書なんて関係ない。二人とも群れるのが嫌いで、周囲から浮いていた者同士、真っ暗な夜道を自転車をこぎながら、好きな女の話や、将来のことを語り合ったあの頃に戻ることができるのさ。
こんな俺だから、古い友達はみんな縁が切れてしまった。確かに、近所の医者に行けば、その学校で同級生だった奴が、2代目でセンセーをやっている。実際に、痛風の発作が起きたとき、写真家のロバート・メイプルソープか、時計仕掛けのオレンジのアレックスみたいな髑髏の杖をつきながら、足をひきづって行く病院の院長は、そんな奴の一人だ。(この杖は、金属でできた髑髏が握りについているもので、殺傷力、破壊力抜群だ。だから、痛風で苦しんでいても、みんな気遣ってもくれないのさ。)
しかしですよ、面識があるだけじゃ友達なんて言えないだろ。
お互いの心の中の秘密を知ってって、自分の中の、年を食ってもヒワヒワと柔らかな部分に響くものを持ってないと本当の友達だなんて言えないさ。少なくとも俺にとってはね。だから、風邪をひいていても、楽しく過ごさせてもらったぜ。
俺は、このブログを通じて、一見強面で、警察にはプッシャーなんかと間違えられて、しばしば職質されるような俺の中の、そんなナイーブなところを、さらけ出していきたいと思っているんだがね。
どうだろう?俺は君たちにだけはオープンでいたいのさ。

楽しいひと時の後には、いつもキビしい現実が待っている。今回もそうだった。見事に風邪をこじらせた俺は、今日は家から出ることもできず、冷えピタなんかを額に貼ってこれを書いている。洟のかみ過ぎで、鼻の下も痛い。こんな姿はなかなか人前にはさらせないぜ。

そんな状況の中、これまた別の古い友人に電話をしてみた。この人は俺の音楽の師匠だ。
まだ、モヒカン刈りだったあの頃、パンクロックに飽き足りなくなって、パンク以前のロックを聴き始めたころ知り合った、8歳ほど年上の方だ。いろんな音楽をその人から教わった。その人との出会いがなければ、今日の俺はないだろう。いまだにモヒカンで、いい年こいてティッシュを配っているかもしれない。それも人生だ、ロックンロールだとも思うが、いささか情けないしな。
つまり、感謝してもしたりない大恩人だ。
あいにく師匠はお留守だったんだが、師匠の奥さんと話をしていたんだ。話は師匠の息子のことに及んだ。師匠の息子のK之介は、高校に進学せず、いつも仲間たちと昼間っからスケボーばかりやっている少年だ。まだ、生まれたばかりのころを知っている。電池で動く恐竜のおもちゃをあげて、不思議そうに喜んでいた姿は、今でもしっかり覚えているさ。
俺は自分で仕事を始めたばかりのころ、K之介やそのスケボー仲間のRay也なんかをアルバイトで雇って連れて行ったことが何度かあった。どうやら俺は彼らがイメージする大人とはズイブン違っていたようで、日頃、大人たちに対して反抗的な少年たちが、妙にかしこまって俺の言うとおりに一生懸命に働いてくれるのが、何とも言えずに可愛かった。
彼らを連れて行くと、取引先の人から『SPARKSさんの息子さんですか?』とよく訊かれたもんだ。俺は、身持ちの悪い自分が、もし世間様並みに子供をもうけていたのなら、もうこれくらいの生意気盛りの息子がいてもおかしくないような年齢になってしまったことに気が付いて、『いえ、息子って訳じゃないんですけど・・・、そんな様なものです』といつも少し照れくさそうに答えたもんだっけ。仕事はともかく、若いうちに金をためて海外に行ってみるといいとか、彼女とヤルときは、ちゃんと避妊しろとか、同じ目線で語り合った。ロックンロールな大人もありだって俺は教えたかったのさ。そんな彼らが俺の師匠に『SPARKSさんは、俺らとおんなじガキがそのまま大人になったみたいな人だ』って語っていたのをきいて、ますます好きになった。
そんな風に何回か仕事を手伝ってもらったあと、K之介は母親の働いている会社でアルバイトを始めた。真面目に続くか心配していたら、職場のおっさんおばさんたちに可愛がられて働いているって聞いて、安心した。ポルトガル人とのハーフの彼女がいるんだといっていたRay也はどうしているだろうと思っていたら、水道工事屋で働き始めたそうだ。
奥さんが言うには『SPARKS君の仕事をしてから、なんか変わったみたい』だって。うれしいじゃないか。元気が出てくるぜ!



Barcelona
俺は別段、金持ちになんかなりたいわけじゃない。セレブだぁ?そんなのただの成金だろ?いくら金があったって、心の中にロックンロールがなってないような大人にはなりたくないと思っていたのさ。
そう、俺がなりたかったのはワーキング・クラス・ヒーローなんだ。
ワーキング・クラス、つまり労働者階級の英雄だ。
史上、その栄えある称号を与えられた人は俺の知るところでは、2人。たったの2人だ。それはジョン・レノンとポール・ウェラーだ。
ワーキング・クラス・ヒーローは、富や名声で勝負したりしない。看板で商売したりはしないのさ。二本の足で自分の信じた道を踏みしめ、二本の手で自分の仕事をきっちりこなすのさ。まさに腕が二本、足が二本で資本充実してるのさ。
自分の自由を貫くためには、自分の責任をきっちり果たすことが必要だと知っている。しかも決して自分の功績を誇ったりしないし。自分より若い連中にも、偉ぶったりしない。その反面、自分より年を取っていたり社会的な地位があるものでも、筋が通らなければ、敢然と戦いを挑む。
年長者からは安心され、仲間からは信頼され、若いKIDSたちはあんな大人になってみたいと憧れる。そんな漢になりたいとずっと思っているのさ。
そんなヒーローには程遠い俺だが、若い奴らが俺と接したことで何かが変わってくれたのなら、男としてこんなに幸せなことはないぜ。あんな大人がいるのなら、大人になるのはうんざりするようなことじゃないんだ、素敵なことなんだって思ってくれたなら、サイコーだろう?
君はどうだい?若い奴らからリスペクトされるような、カッコいい大人になろうじゃないか。
俺は今日、師匠の奥さんの話を聞いて、目からうろこが落ちたぜ。そうだ、俺は挫けるわけにいかないんだって。日々の稼ぎに汲々として、心が小さくなってなかったか?心にブルースがあったって、ダハハッって笑って、乗り越えていくような男でいたかったんじゃないのかい?それでも心にロックンロールがなっているって、胸を張って言えるのかい?

『ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中に
ぼくは疲れてゐる
がぼくの瞋りは無尽蔵だ

ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあふことをきらつた反抗がたふれる』(吉本隆明 ちひさな群れへの挨拶)

俺はスパークス、つまり閃光なんだぜ!真っ暗なこの不景気に負けてたまるかよ。俺の後に続く若い世代に、KIDSたちに、俺が踏んで拓いた道を見せてやりたいんじゃなかったのかい?
OK、俺が悪かった。心が弱ってた。不健全な精神は肉体も不健全にするのさ。いつまでも風邪ひいているわけにはいかないぜ。
明日も、ロックンロールを胸に、無数の敵のど真ん中へ、男一匹出てゆこう。

2010/11/27

Post #12 It's A Man's Man's Man's World


Paris

久しぶりに家に帰ってくると、毎日のように新聞が読める。俺の家は、昔っから試験に出る朝日新聞だ。明日くらい集金のおばさんがやってくるだろう。3000円用意しておかなきゃな。
俺は、北朝鮮関係の記事も気になるが、そこで目にした記事で、そうだろうぜと納得した記事があった。ダボス会議を主催している「世界経済フォーラム」って団体がまとめた、『世界男女格差指数』で、日本は134ヵ国中94位だそうだ。日本は世界的に見たら、女性が社会の中で正当な役割を与えられていないんだ。
94位だ、94位。知ってたかい?驚いたかい?俺はあきれたぜ!

メキシコ、ジンバブエ、ベリーズの下。一位はアイスランド。上位にはスウェーデンなど北欧系の国が多いようだ。ところがどっこいフィリピンなんか9位だぜ。HEY、HEY、HEY!フィリピンパブとかにいる人たちだけじゃないんだぜ。俺は見識を改めたよ。常日頃から思っていたんだが、温かい国の男はあまり熱心に働いてないように見える。日陰でタバコ吸ったり、ボーとしていたりするのをしばしば目にする。うらやましい限りだ。まぁその一方で、そんなところでは女性がエネルギッシュに働いているのよ見かけるぜ。まぁ、ライオンだってオスはダラダラしてて、狩りをするのはメスだしな。自然の摂理かもしれん。

しかし、94位ってひどくないか?男女雇用機会均等法が施行されていったいどれくらい経つんだ。女は産む機械だとか言って辞任した時代錯誤極まる政治家も、かつて自民党あたりにいたようだし、結婚してたいてい名前が変わるのは女性だ。
俺たちは男女の権利についてはいまだに頭にちょんまげが乗っているのさ。恥ずかしい限りだ。

正社員でも女性は男性に比べて給与が6割くらいだっていうじゃないか。ひどい差別だぜ。しかも、結婚したら退社するのが慣例になっていたり、子供を産んで、ある程度手が離れたから、再就職しようたって、派遣かスーパーのレジ打ちくらいしかない。
起業して華々しくやっている女性もたまに見かけるが、そりゃごく一部だろう。子供を預けて働きたくても、子供を預ける施設は絶対的に不足している。

Paris

しかも、もっと若い世代は深刻だ。まったく仕事にありつけないんじゃないのか?
大学を出ても派遣、事務員とか。仕事がないからキャバクラで働いていたり、バイトしていたりする女性だっていっぱいいるだろう。何年か前に女子の憧れの職業No.1にキャバ嬢が上がっていたが、それも無理のないことかもしれない。人妻ヘルスとかが流行っているようだが、それも実はそんな事情があるのかもしれない。そういった社会の仕事は、コツコツやるよりよっぽど割がいいだろうからな。しかし、そういったビジネスを運営しているのは、大抵男だ。男は、女を金儲けの道具にしているのさ。だってそうだろう、経営者の男は、自分が客をあしらってみたり、客のチンポコをしゃぶったりするわけじゃないんだぜ。
しかもだ、一旦そういう安易に金儲けができる世界に踏み込んでしまうと、地道に働いてキャリアアップしていくような仕事には戻りにくくなってしまうんじゃないだろうか?稼げる金が知れているから、馬鹿らしくなってしまうんじゃないだろうか?どうなんだろう?

別にキャバ嬢がいけないとかいうわけじゃないが、うむ、なんて言ったらいいのかな、賞味期間は短いし、酒を飲んだり、毎晩遅くまで起きていたりで、美容にもよくないんじゃないのか?
当然のことながら、一生それでやっていけるはずもないし、吉本隆明の教えに基づいて考えてみれば、性的に開かれていく過程で、無意識に傷がついてしまう恐れがあるんじゃないかと思うんだ。そうすれば、結婚して子供ができたときに、何らかのひずみが生じてくるような気がするぜ。それが、育児放棄とか児童虐待とかに関わりがあるのか、夫婦間の問題にも関わりがあるのか、俺には大いに興味があるところだ。

イスラム教国のように、女性を大事にして、外の人間の目にさらさないというのも、俺の価値観からすると、いかがなものかだが、小悪魔だの、肉食系だの、ヨクバリージョだのとさんざん持ち上げておいて、その実、女をものとして扱うことは、人間として問題だぜってことだ。ましてや自分の彼女をビッチだのなんだのって罵ったり、殴ったりする様な屑人間は、放射性物質と一緒に地下1000メートルに封印されてほしいもんだぜ。


いいかい、この人間の社会には、多少の例外はあるだろうが、基本的には男と女しかいないんだ。女は男の6割しか価値がないなんて馬鹿なこと、誰が決めたんだよ。ジェームス・ブラウンだって歌っているぜ、車を作ったのも、鉄道を敷いたのも、他の男から物を買うために金を作ったのも、みんなみんな男だ。けれど、女がいなくちゃ何の意味もないって。しかも今や、MR.JBが歌った50年前とは訳が違う。男のほうが価値があるなんてのは、所詮は社会が戦争することを、つまり国家公認で人殺しをすることを前提にしていた時代の考え方だと俺は思うぜ。かつて大量虐殺があったルワンダだって、憲法で国会議員の最低四分の一は女性にすると定めたら、女性議員が過半数を超える勢いで当選して、国が劇的に変わる要因になったんだぜ。男はすぐに争ったりしたがるけど、女はそうじゃないだろ。現実目線でいろいろ決めてくれるからな。我が国の国会も、ケツにボーボー火が付きまくってるというのに、与党と野党の泥仕合で目も当てられない有様だ。せいぜいルワンダを見習ってほしいぜ。
男も女も、パブリックな場ではまったく等しく扱われるべきだろう。それとも女は極楽往生できないとかいうんじゃないだろうな。いい加減にしてほしいぜ、まったく。

俺は声を大にして言いたいんだ。『おーい、日本の野郎ども!日本の女性にもっと仕事を、もっとまともな仕事をさせてやろうじゃないか!女を食い物にするのはもうやめようぜ!』ってな。

こんなことを思い出したぜ。俺の住んでる町はかつて繊維産業が盛んだった。今じゃ見る影もなく、衰退してしまったがな。これはイタリアやスペインでもそうらしい。イギリスだってきっとそうだろう。みんな中国人に仕事を奪われてしまった。しかし、技術の裏打ちがあり、なおかつセンスの良い商品を作っているところは、かろうじて持ちこたえているそうだ。

俺は、子供のころから、親父が繊維関係に携わる商売を営んでいた関係で、そこにかかわる大人たちを見ていたが、皆ちっともおしゃれじゃなかった。いいものを着ていても、成金にしか見えなかった。どうでもいいような服を着た親父たちが、センスのいい生地など作れるわけはない。いくら技術があったって、衰退するのは当たり前だ。
そのとき、女たちは何をしていたんだろう。きっと工場の女工として働いていたり、事務所で経理とかやっていたんだろう。女の力をうまく使わないと、消費の主体である女性のニーズに応えられないのさ。


Paris
それに何よりも、女性に金を与えたほうが経済的にも好転するんじゃないのか?日本の不景気が回復しないのには、女が金を自由に稼げないからってのも、俺は大いにあると思っているんだ。
女は化粧品だって、服だって男より金がかかる。食い物だって、男より好みがうるさいだろう。男は吉野家で牛丼でも食ってりゃよしだからな。それに、俺は時折、よれたスーツにフケまるけの頭でも平気で会社に行く奴を見かけるが、そんな女はまずいないんだ。女にもっとまっとうな職業と正当な賃金を与えてみろよ。美容院だって百貨店だって、実にさまざまな小売業やサービス業が潤うことになるだろう。そうすれば、新たな雇用が生まれるしな。男ももっと小遣いが増えるんじゃないのか?いいことづくめだぜ。

それには、日本の企業のお偉いさん達が、頭を切り替えて、女をもっと雇うべきだし、育児休暇を男女ともにフツーにとれるようにしていかなけりゃならない。子供を預けてフルタイム働きに行けるように、託児所や保育園なんかも、本気でしっかりと整備してほしいもんだ。役人が仕事をしてるふりをするためにでっち上げたような仕事じゃなくて、そういうことに税金を使ってほしいぜ。
俺は、日本の女の子の美しさは世界でもトップクラスだと思う。だけど、見た目だけ磨いていてもダメなんだぜ。人間としての中身を充実させていかないと。そして、その美しさに見合った仕事を、なんだか聞いたこともないような横文字の胡散臭い仕事じゃなくて、男性とか女性とか関係なく、社会のあらゆる場面で活躍できるような仕事を与えてやってほしいもんだ。
俺が今日言いたいことはこれだけだ。新聞を読むといろいろ考える。
君もよく考えて、自分自身の意見を持ったほうがいい。
人間、いつ何時自分の打席が回ってくるかわからないからな。
日頃から自分の意見と見識を養っておくべきなのさ。

2010/11/26

Post #11 俺はブッ飛ばして帰ってきた、きしめんを食う為に


Hong Kong
俺は、帰ってきた。
新幹線を降りていきなり、駅のホームできしめんを食ってやったぜ。ざまみろ、これが俺のソウルフードだ。そばもいいし、はやりの讃岐うどんもいいだろう。しかし、信長と同じ尾張の大うつけを自認する俺には、やはりきしめんだ。
そんなに遥か彼方の街まで出張していたわけでわないが、久々にみると、やはり人々の顔はずいぶん印象が異なる。女の子たちの格好だって、全く違う。俺としては、あちらの女の子も、セクシーな感じのスタイルで、嫌いじゃないがね。はっきり言って違う国に来たくらい違う。まぁ思うに、民族が違うんだろう。少なくとも韓国と北朝鮮くらいは違うかもしれない。
なにを大げさなと思うだろう。しかし、古代の日本では、尾張美濃のあたりから大和朝廷の勢力圏外になっていったというからな。天下分け目の関ヶ原というけれど、実際のところ、あのあたりで縄文系の古モンゴロイドの血統の濃い人々と、寒冷地適応した大陸系のモンゴロイドの血統の濃い人々とに分かれるんではないだろーか?
俺は子供のころは、考古学者になりたかったから、近所の古墳とかをよく調べていたのさ。だから、こう見えて歴史とかには結構うるさいんだ。そういえば、18くらいの頃、瀬戸の山奥で、古墳じゃないかっていう山の中の丘を、仲間たちと何メートルも掘削したことがあったなぁ。もちろん見つかったらヤバいから真夜中に手掘りとバケツリレーで5メートルくらいの縦穴を掘ったんだが、あれどうなったのかな?結局何も出ず、埋め戻すこともなく逃げるように引き揚げたはずなんだけど・・・。もう20年以上前の話だから、時効だな。まぁ、なぜそんな訳の判らんことをしていたのかは、またいつか話すことがあるだろう。ただ、なかなかに楽しい経験であったことは確かだな。そんな盗掘みたいな真似、なかなかやる機会もないだろ?いうなれば、俺の若き日の冒険だ。
そんなことを考えるでもなくきしめんをすすっていると、やはりどうも調子が悪いことに気が付いた。やばい、風邪ひいたんじゃないか?
いつも、一仕事終わると体調を崩すのさ。まぁいい、明日はオファーはない。帳簿をつけたり、年末調整したり、銀行行ったりだの、仕事ともいえないような雑務ばかりだ。あわよくば写真のプリントをしようかって勢いだ。多少風邪ひいて熱っぽいくらいはかまうものか?うーむ、構うなぁ。
やはりフルーツが足らなかったのだろうか?それとも、友人の喫茶店で読んだ雑誌に書いてあった『もてる男は眠るときフルチンかパンいち』という記事を鵜呑みにし、出張中ずっとフルチンで眠っていたのがよくなかったのだろうか
俺はかかりつけの医者に行ったぜ。例の内視鏡検査をしてくれた医者だ。この医者には、俺の不詳の父も通っていて、何かというと俺とそりの合わない親父と比較されるのだが、最近はそれをネタとして笑えるようになってきた。年を食うのは悪いことばかりじゃないんだぜ。ハンドルの遊びみたいなもんが、人間性に備わってくるのさ。
さて、そのころには、熱はあるは鼻水は垂れてくるわで、体調は最悪だった。医者に行く前に41000円も市県民税を払い込んだので、ますます体調が悪くなったのだ。残念なことに、金が少なくなると体力が低下する傾向にあるような気がするが、これは俺だけのことだろうか、それとも、みんなそうなのか?あるいは全くの気のせいだろうか。
この夜、俺は味噌かつを食いに行ったぜ。ソウルフードで体力つけて、風邪を治さないとな、男の仕事に差し支えるのさ。
体調が悪い。本当は言いたいことはまだたくさんあるのだが、明日に回そう。睡眠が必要だ。こんなことを書いて、俺は君たちの気が引きたいだけさ。

2010/11/25

Post #10 Going Home

Izmir,Turkey
明日はやっと俺の家に帰れる。早く帰りたいよ、まったく。なんてったって、コンビニ弁当にはいい加減飽き飽きしたしな。味噌かつとかきしめんとか食いたいよ。
そこには俺の事を知っている人がいるんだぜ。その人はこんな俺の事を、世の中の誰よりも良く分かってくれる。しかも、俺の事を待っていてくれるんだ。俺もその人の事は良く分かっているんだぜ。何も言わなくったって、その人が何を感じているのか、自分自身の事以上に解る時もしばしばだぜ。自分が超能力者じゃないかと思えるくらいだ。どうだい、なんか羨ましいだろう。
ちょっと待てよ、そんなの当たり前だろうって声が世界中から聞こえて来そうだ。誰だって、少なくともブログなんかみたりするような人間には、自分の家があって、そこには家族や恋人が待っていたりするだろうって声がね。
自分だけが特別だと思うんじゃない!と各方面からの厳しい御叱りを頂きそうだ。
でもいいかい?君の家族や恋人は、本当に君の事を解ってくれているのかい?黙っていても、君のブルースを感じて、君に対して優しく振る舞ってくれたりしてくれるのかい?思い通りにならない現実に、鬱屈したいたりするときに、何も言わなくても、君の心を明るくしてくれるかい?
正直なところ、俺はある程度しか言葉ってのを信じていない。仲間は皆、俺の事を饒舌な男だと思っているようだが、そうじゃないんだ、ホントは。
嘘つけ!饒舌でも言葉を信じてもいない奴が、どーしていつもこんなに長ったらしいブログなんか書いてんだょ!あぁん?なんて野次られそうだ。
それは、さみしーからさ
スーパーファンクベーシストのブーツィー・コリンズは、何故あなたはそんなに大きな音でベースを弾くのかと問われ、さみしーからだよって答えたそうだ。
解るよ、ブーツィー!あんたサイコーだぜ。
そうさ、単に俺の事を君たちに知って欲しいからさ。この星に生きている仲間である皆様に、俺の事を知ってもらいたいからさ。何より俺の写真を見せびらかしてみたいからな。そして、俺がこの地球から、重力その他の一切の物理法則を絶ちきって遥かな銀河に旅立った後、何かの折りに、あんなバカな男もいたなぁなんて思い出してもらいたいからさ。
けれど、俺の言葉はいつも、行き過ぎなんだ。自分自身が一番よく知っている。何時も言わなくて良い事を言ってしまい、人をウンザリさせたり、傷付けてしまったりするんだ。まるでゴジラの放つ放射能のたっぷり入った吐息のように
そして、人が誰かを騙したり、陥れたりするのも、これまた言葉だ。
ここに一枚の写真があったとしよう。何が写っていてもいいけれど、ここはやっぱり、一人の若い魅力的な女が写っているとしよう。
それだけでは、それは単なる女性の肖像写真に過ぎないだろう。つまり、シューターの前にかつて一人の女が、確かにいたということに過ぎないだろう。
この写真に言葉を添えて見た途端、その写真は真実から解離していくのさ。例えば、『俺の妻』『俺の彼女』『たまたま飲み屋にいた女』『恋人募集中』なんだっていいけれど、言葉、特に音声や表情、リズムや抑揚の伴わない言葉は、どうにでも偽る事が可能なんだ。フィクションに限りなく近いモノさ。
だから、俺は自分の写真にタイトルはつけたくない。あくまでもそれは、かつて俺の前に生起した瞬間の記録、世界の断片であるべきだ。解釈は君たちが好きにしてくれて構わないさ。報道写真や商品写真じゃないんだ、俺の写真は。ましてや、何かのお題に沿った作りもんでもない。よしてくれよ、笑点の大喜利じゃないんだ、写真は。
写真から君が感じとったアトモスフィアこそが、俺の写真の真実だ。
逆に言えば、俺は、出来るだけ相手の言葉ではなく、言葉を発する相手の雰囲気や表情、つまり言葉以外のアトモスフィアで判断したり理解したりしたいと思っているのさ。
文字に現せない、文章で言うなら行間に言霊が宿っているんだぜ。昔、学校で行間を読めって言われたけれど、ソーユー事だったのさ。
まぁ、下心があると、コロリと騙されたりするんだけどね。ハハハ…
だから、本当に知っているってのは、言葉や情報じゃないという気がするのさ。言葉を放つ前の、身体が放つ空気や気配を読んで理解する事だと思うんだ。
この街には、俺の気配を読んで心の中を察してくれるような、君たちのような人はいない。何も言わなくても、心が通じていると感じられる人がいない。それはとても孤独でさみしー事だと思うぜ。さみしーからこそ、宇宙に向けて電波を放つように、ブログを書くのさ。宇宙の皆さん、俺はここにいるぜ!ってね。
そんな人と、限りある人生の時間を共有できたなら、そんな人が一人でもたくさんいたなら、どんなに幸せな事だろう。金儲けばかり考えている奴等に、そんな幸せは分からないかもしれない。沢山の人とわかりあう事、イエス様が、病を抱える女にそっと触れられただけで、その苦しみを知り、知ることで、共感する事で、その病を癒やしたような力を持つ事が、俺の夢の一つなんだ。スゲーだろう?
さぁ、もう一度だけ言わせて貰おう。俺は、明日帰るのさ。本当に寛げるところにな。
そこでは俺の大切な人が、俺の事を待っていてくれるんだ。ヤッホー!

2010/11/23

Post #9 The Dirty Jobs


Paris
俺はこう見えて肉体労働者のはしくれだ。こんな道楽じみた事ばかりやってちゃ、飯が喰えなくなっちまうのさ。
男業だ。
人生水が低きに流れるように、なかば成り行きでこうなってしまったが、かれこれ15年は作業服がスーツ代わりだ。
決して割の良い仕事じゃない。労多くして、実りは少ない。仕方ない。それが世の中の仕組みだ、ロックンロールだ。
しかも年々単価は下がっている。デフレはこんなところまで蔓延っているのさ。
話題とも言えないような下らないおしゃべりしかできないキャバ嬢のほうが、俺たちよりもよっぽど儲かるんじゃないのか?いくら俺が彼女達みたいな、乙な商売道具をヘソの下に着けて生まれて来なかったからって、あんまりだぜ!
ただ、一般的なサラリーマンの皆さんのように、毎日同じ電車に乗って、青山で買ったスーツを着て、毎日同じ事務所で、同じ机に向かうってのが、俺には向いてないんだ。
毎日イカしたロックを聴きながら車を転がして、見知らぬ町に出掛けて仕事をこなしたり、今回のように、オファーがあれば、遠くの街に出張したりするのさ。
満員電車に詰め込まれ、痴漢と間違われたりするのはゴメンだからな。
つまり、これはこれで結構面白いモノさ。
仕事仲間と下らない下ネタで笑いあったり、困難な仕事を何とかヤリきったり、それなりの充実感はあるものさ。これで実入りがもう少しありゃ…、まぁろくでもない事に無駄遣いが出来るだろう。
何より自分がやった仕事が形として現れる。見る目のある奴が見たなら、手抜きや失敗は一発で見抜かれる。自分が汗をかいた分だけ金になるのさ。所詮、一人の男がかける汗の量など知れているさ。だからこそ、嘘やマヤカシが通用しない。小手先口先でカバー出来る事は、この世界ではしれているんだ。誠実に仕事に打ち込まないとな。それが女業と男業の大きな違いだ。女業は程度の差こそあれ、嘘やマヤカシでどれだけ男に金を吐き出させるかが勝負だろ?
でもイエス様だって大工だったんだぜ。キャバクラの店長や株屋のイエスなんて、なんか胡散臭いってもんだぜ。
そりゃもちろん辛い時もあったさ。特に若い頃は、何をしたらいいのか、判らなくて親方に訊いてみると、『そんな事も判らねぇのか、バカ野郎!』と殴り飛ばされ、自分で考えてなんかやってみると『誰がそんなことやれって言った!このバカ野郎!』と殴られたりしたもんだぜ。今になれば、その意味もわかるが、あの頃はひたすら悔しかった。夜中の2時に飲み屋に呼びつけられて、なんだかんだといちゃもんつけられて、したたかにぶん殴られた事もあった。車でコンビニに弁当を買いにパシらされ、買ってくると、車に置いてあった財布がなくなった、鍵はちゃんとかけたのかよ!って殴られたうえに、金を巻き上げられた事もあった。
悔しかったな。毎日惨めで悔し泣きしていたモノさ。それでも今こうして働いているのは、もちろんロックの助けがあったからだ。そんなとき一番よく聴いたのは、The Who のThe Dirty Jobs だ。
養豚場で働いたり、明日閉鎖される炭鉱で炭鉱夫達を運ぶバスの運転士の若者が、自分の人生は萎れていると嘆くんだ。もし、反抗したなら辛い目に遭うのも、屈辱を味わうのもあなた自身だから我慢しろと彼女に諭されるんだ。
けれど、若者は自分の人生が萎れていても、物事は刻一刻と移り変わっていくし、自分は何が正しいか知っている。だからもう泣きはしないと自分に言い聞かせるのさ。そして、どうやって戦うべきかは子供の頃を思い出せばいいんだと歌い上げるのさ。
辛くても、自分の中に倫理を持つべき事は、The Who から(そして、戦後詩の巨人、吉本隆明の詩からも)教わった。ロックがなければ、とっくに残酷な世界に打ちのめされて、死んでいただろう。生きていても、脱け殻のような男になっていただろう。Pearl Jam のエディ・ベターも、このThe Dirty Jobs の入ったアルバム『四重人格』がなければ、きっと死んでいたって言うのを聞いた事がある。
君がもし、行き詰まり、誰からも理解されず、助けてももらえない時には、是非とも聴いて欲しい。僕は一人"I'm one"という孤独こそが、"I'm The One"という自負、つまり僕は僕だ!という堅固な自我に転換する曲もある。確かに今でも俺の支えになっているアルバムなんだ。
そして意外かもしれないが、写真にはまったのも現場仕事がきっかけだったんだぜ。
工事には、工事写真が必要だ。施工前、施工中、施工後と写真は欠かせない。昔はよく、写るんですで撮っていたんだ。ある時、あれは長野オリンピックの少し前だ。仕事で長野に出張したんだ。長野から新潟に向かう国道沿いで仕事をしていた時、ふと道端の侘しい社が目に止まり、俺はフィルムが数駒余った写るんですで撮ってみたのさ。

Tokyo

それが、今でも覚えている初めて意識して撮った写真だった。
その夜、俺はコンビニで写るんですを買って、宿の周りの繁華街(とはいえ長野は昔から教育県で、繁華街とはいえ大人しかったと記憶している。なんてったって、ラーメンのチェーン店にラーメン大学ってのがあるくらいだ)の写真を撮ってみたんだ。もうその時から、今の夜景、繁華街、風俗etc. ってスタイルがあった事に今気がついて驚いているんだ。
それからしばらくして、初めて自分のカメラを買いに行ったのさ。
そんな現場仕事だが、最近どうも様子がおかしい。昔は、昼飯代わりにワンカップを飲んだり、公然と休憩中に賭博紛いの花札がやられていた。ヘルメットなんか頭に乗せるだけ、夏はランニングシャツ一丁ってのもなんともなかった。くわえタバコで仕事しながら、下ネタで笑い転げ、いい女が通ると、皆ニヤニヤジロジロ舐めるように見ては手が止まっていた。厳しい世界ではあったけれど、どこかフリーな感覚があったんだ。
しかし、今は違う。夏でも長袖は当たり前。ヘルメットのアゴヒモが緩んでいると注意され、第三者に不快感を与えない身なり行動を心掛けろだ。
まぁワンカップやくわえタバコはさすがにどうかとも思うが…。あまり厳しすぎるのも、息がつまるな。もともと横着者でサラリーマンには向かない奴等だというのに。男達は品行方正を求められ、少ない仕事を奪われる事を怖れて、萎縮しているのさ。
香港に行ってみるがいい。長袖どころか、短パン一丁でおまけに上半身裸、足元はビーサンで工事している奴がいっぱいいるぜ。レッチリの真似してるのかと思ったぜ。
俺たちもほどほどにしておかないと、息がつまっちまうだろう。大卒の職人が現れる日も遠くないさ。大学も出てない奴等は、現場仕事にすらありつけず、ニートになって引きこもるか、パチンコ屋に入り浸るようになる日も遠い未来の事じゃないだろう。ヤレヤレ、日本の行く末がますます不安になってくるぜ。真面目もホドホドにしないと、俺たちみんな、息がつまっちまうだろうさ。

2010/11/22

Post #8 Pain in my Heart


Tokyo
本当の事を言えば、俺はこの街には、来たくなかった。何故って俺の心が死んだところだからさ。そしてお墓がたっているのさ。(RCサクセションの“お墓”そのままだ)
あまりに辛い裏切りに、俺の心は死んでしまったんだ。一時は何を見ても、何を聴いても腑抜けのように泣いていたのさ。Soulpowerがなくなってしまった程だ。
ハンカチはもういらないさ。何故って俺の涙はとっくに枯れ果てたから。あきらめたような笑いが顔に張り付いている。
身体の傷はいつかは癒えるだろう。しかし、心の傷が癒える事はない。いつかは時が俺の心を癒してくれるだろう。しかし、今はまだ俺の心には、かさぶたがはっているだけさ。剥がしたなら、熱い血が噴き出すだろう。
手痛い仕打ちだった。Pure and Easyな、少年のようなハートを持つこの男は、騙され、踊らされ、利用されて、挙げ句の果てに棄てられたのさ。まるで安モノのライターみたいにな。
そもそも俺が悪いのかもしれないが、この40男の心はバラバラさ。
君は何を言っているのか、さっぱりわからないだろう。しかし、一体なにがあったのかは、言えないし、言いたくない。ただどうしようもなく心が痛む事がかつてあったのさ。
君に直接会う機会があったなら、そして笑って話せるようになっていたなら、その時は話そう。それまでは君の想像力に任せよう。どんな話の筋を考えてくれるのか、楽しみだ。
何時になったらこの痛みは癒されるのか。心に空いた穴は塞がる日はやって来るのか?
それとも、この痛みを抱えたまま、命が終わるその日まで、這いまわるようにして生きていかなけりゃならないのかい?
今でも20年以上前の事を、思い出しては後悔したり、ホロリと熱い涙を流す俺だ。きっと忘れる事はないだろう。心の中に墓標をまた一つ建てる事になるのさ。
いずれにせよ、今日もこうやって軽口叩いて生きていられるのは、ロックンロールの、ソウルミュージックの、ブルースのお陰様だぜ。
ありがとう、ロックンロールの神様。あなた方が、こんなチンケな私の心の苦しみを、遥か時空を越えてお見越しになられて、私の心の杖になるような素晴らしい歌をたくさんお造り下さったお陰で、私は今日も何とかこの地球に踏みとどまって生きることが出来るのです。
あなた方は、倒れそうな私がすがる杖であり、心の闇に囚われた私の松明です。心の渇きを癒す命の水です。
この命尽きるその日まで、あなた方に対する信仰を絶やす事はあり得ないでしょう。比べるのも失礼窮まる話しですが、今時の市場調査に基づいてプロデューサーがでっち上げたような歌には、私の心を癒す力は、これっぽっちもありません。
あなた方が、苦しみもがき、ご自分の魂から紡ぎだした曲こそが、私の心を支えてくれるのです。

ロックの神よ、ありがとうございます。

嗚呼、それにしても早く帰りたいぜ。俺の居場所に。君が待っている暖かい場所に。心から安らげるところに。
一度空いた心の穴は埋まる事はないだろうが、少なくとも、そこには俺を待っていてくれる人がいるのさ。

2010/11/21

Post #7 I'm A Passenger


Paris
相変わらず、俺は住み慣れた我が家を離れてこの街にいる。今日は仕事がオフなんで、借りた自転車 に乗って、世界の断片を集めに行った。天気も良かったしな。
晩秋の太陽はすぐに沈んでしまう。この瞬間は二度とないんだ。 そして、二度とない1日が積み重なって、人生は出来上がっているんだ。休みのパパみたいにゴロゴロしている場合じゃない。
そこで出掛けて見たんだが、スゲー人だ。何処へ行っても人間だらけだ。気当たりして疲れちまったぜ。

こう見えて、俺はセンシティブな奴だから、あんまりにも多くの人混みにいると、かなり精神的に消耗してしまうんだ。なんとなくゲージュツ家っぽくないかね?
それに写真をシュートするのは、歩きまわり、周囲に神経を拡張させて被写体を探すという、意外と疲れるモノなんだ。カフェなどでの息抜きも必要になるというもんだぜ。
人がいないとつまらないと言って、いろんな街に出掛けて行くクセに、あまり長時間は耐えられないなんて、まるでウルトラマンだぜ。まぁそこまで体力なくはないけどね。
しかもだ、街の目抜通りを渡る時に、信号が変わったから、サバンナのガゼルのように駆け抜けたとき、撮影済みのフィルムが、俺のポケットから転げ落ちた!
なんてこった。信号は変わり、車は狂ったように走って来やがる。
5台、10台、踏まずにすり抜けてくれた。後一台が行ったなら、俺の俊足で世界のフラグメントを回収できる。
よし、今だ!
俺が一歩踏み出した刹那、フィルムは心ない車のタイヤに粉砕されてしまった…。
俺にとって、初めての屈辱だ。俺は牽制球を投げられた一塁ランナーのように歩道に戻り、人目も憚る事なく崩れ落ちた。

仕方ない。これも人生だ。ロックンロールだ。人生がある意味で徒労だということはアルベール・カミュも『シーシュポスの神話』の中で、神を侮った罪で坂道で大石を運ばされ、苦心して上げきった途端に石はまた坂道を転がり落ちて行くという罰を永遠に課せられたシーシュポスを喩えにひいて語っていたぜ。俺が上げた石がまた坂道を転がり落ちただけさ。俺が車に粉砕された訳じゃない。生きている限りチャンスはまたやって来るだろう。
ただし、石ならばもう一度同じ物を持ち上げる事はできるが、俺がシュートした瞬間は、二度と再び戻る事はないと言う事を忘れてはならない。例え同じ場所に行って、同じ構図で撮ってみても、それは別物なのだ。
生きながら伝説の写真家とされる中平卓馬は、かつて彼を襲った記憶喪失の後遺症によるものか、毎日のように同じ被写体を撮影しながらも、『ここは初めての場所だねぇ…』と呟くという。写真を撮らない奴には、それは頭のネジの弛んだが故の言葉にも聞こえるかもしれないが、実は違うんだ。同じ物を同じように撮ってみても、そこに写っている世界は既に変容しているのさ。
人間だって、昨日の君と今日の君は既にビミョーに違っているんだ。意識だって変わるし、身体を構成している細胞だって、半年もすりゃ、全部入れ換わっているんだ。パチンコ屋の新台入れ替えなんて目じゃないぜ。

Tokyo

だとすれば、食い物は大切だな。君がもしも、スナック菓子や酒のツマミばかり食ってるとする。すると君の身体はスナック菓子みたいにスカスカしているような気がして来ないか?
いささか乱暴な話だけれど、そんなものばかりじゃガッツが沸いてこないぜ。因みにガッツって、内臓とかハラワタって意味だ。つまり、ニュアンス的には腑抜けてしまうってこった。
仕方ない。スーパーによって、スタミナ焼肉弁当とリンゴでも買って帰ろう。
果物は大切だ。果物好きのお陰か、健康診断では尿酸値以外は引っ掛からないのさ。だいたい、猿やチンパンジーが米や小麦粉が好きだなんて話し、聞いた事もないぜ?君はどうだろう?
俺たちももっと果物を食ったほうがいい。ヨーロッパの連中もアジアの連中も、結構果物が好きみたいだ。日本人がギスギスしてるのは、果物のビタミンが足らないからかもしれないな。なのに日本の農業は米の話しばかりだ。もっと柔軟に考えたほうがいい。
きっといつか、君の一瞬をシュートしに行くだろう。その時、ベストなコンディションでいられるよう、果物を食って、人生の不条理に耐えてくれ。

2010/11/20

Post #6 Out In The Street


Can You See The Real Me?
今日もとっとと宿に帰ってきた。金曜日の夜だからといって、羽目を外したりはしない。昨日言ってたジャミロクワイのニューアルバムを買って来たから、聞かなきゃならないんだ。それに、俺は週休二日酔いのサラリーマンじゃないんだぜ。明日も男の仕事が朝早くからあるんだ。
暇だ暇だって、夜毎フラフラして写真を撮ったり、誰も読んでないようなブログを、オナニーみたいにシコシコ更新してるせいか、今日は何だか眠いのさ。俺は生憎と眠りの小五郎じゃないからな、居眠りしてちゃ仕事にならないんだ。
熱い風呂に入ろう。風呂はサイコーだ。出来れば、パリで死んだジム・モリソンのように風呂の中で死にたいと思うが、俺の親戚筋が風呂の中で死んだときは大変だったから、前言撤回だ。
風呂の中で死ぬと、筋肉が弛緩してからだの中身が出ちまうんだ。いくら死んだ後だからって、糞まみれで死ぬのはいただけないだろ。第一、後々の掃除が大変だ。
まぁ、どんな死に方でも、あれはカッコEものではない。人間は所詮、生きているうちしか格好つかないもんなんだ。君もいつか必ず死ぬだろうから、今から楽しみにしておくといい。
まぁ、俺の憧れる死に方は、戦国武将松永弾正久秀の死に方だ。信長に反旗を翻し、圧倒的な軍勢に包囲された天守閣で、信長が欲しがっていた茶釜『平蜘蛛』に火薬を詰めて、天守閣諸共爆裂して死んだんだ。骨も残らないから、葬式いらずだ。今からコツコツ爆竹を買い集めておきゃなきゃな。その時は、君も是非とも見に来てくれ。頼んだぜ。
おっと、今日はこんな不吉な話しをするつもりじゃなかった。
たまにはマジに写真の話しをしたかったんだ。
OK! Please listen to me !
俺の写真はある意味スリのようなものだ。構図もピントも気にせずに、今、これだって瞬間に、反射的にレンズを向けてシャッターをきっている。
いや待てよ、海外の地下鉄でアコーディオンを弾いて見せたうで、左手でコップを差し出しながら、アコーディオンの陰から俺の財布を掏った奴のほうが、もっと考えてやっていたな。チキショー!まぁ、俺はそいつの写真も撮ってるから、オアイコだな。君もバルセロナの地下鉄には気を付けろ。アコーディオン弾きは要注意だ。
因みにその後、飛行機で帰って来たが、この時はラッキーなことにビジネスクラスで帰ってきた。ポケットの中には一円も1ユーロもなかったのにな。もちろんエコノミー料金でだ。さんざん機内食を喰ったぜ。ありゃエコノミーの機内食がブタのエサに思えてくるような経験だった。全く人生には、いろんな事があるもんだぜ。
『すみません、あなたの写真を撮らせていただけませんか』なんて言ってシュートした事はない、と思う。それは如何なものか、訴えられるぞ、という声が聞こえてきそうな話だ。それで人間関係を損なったケーケンもある。黒人の大男に追っかけられた事もある。
しかし、そんな事したら、人はさっとよそ行きの笑顔をつくったり、ぎこちないポーズを決めてみたりするんだろう。
それでは、写真の核心が腑抜けてしまうのだ!
突然で恐縮だが、俺が思う理想的なロッカーは、ザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントなんだ。なぜ彼が理想かと言えば、内省的で知性溢れる詩を書きながら、風車のように腕を振り回して、エッジの効いたパワーコードを掻き鳴らし、あり得ないほど高くジャンプし、ギネスブックに載る程の爆音で美しい旋律を奏で、ギターを叩き壊して演奏を終える。ライヴを邪魔する奴はギターで叩きのめし、ステージから蹴り落とす。
知性と暴力性が一つの人格の中で同居する美しさ。
俺は、自分の写真もそんな緊張したバランスの上に成り立つものであって欲しい。
どこか詩的で儚さを感じさせながら、現実の空間から、強引に切り取る、というよりむしろ、剥ぎとってきたような荒々しい写真。
決してキレイではないが、ディストーションの激しくかかったハードなロックのような美しさ。
それには、構図だなんだって自分のイメージに現実をあわせる事は全く不要な事だ。
時に人物はフレームからはみ出しているだろう。
激しくブレて不吉に蠢く影のようになるだろう。
世界の均衡が失われたように水平は傾くことだろう。
そして、色彩は銀粒子が形造るモノトーンに還元される。
だから、光こそが大切だ。光に反応する原始的な目すら持たない生き物のように、シュートしたい。
ロバート・キャパが、スペイン内戦の最前線で、自分のすぐ横で狙撃され、ぶっ飛ぶ兵士を撮った『崩れ落ちる兵士』や、ノルマンディ上陸作戦でアメリカ軍に同行して撮ったブレボケたアメリカ兵、あんな写真が、撮りたいんだ!誤解しないで理解して欲しいが、戦争写真じゃないぜ。
自分自身の前に後に転回し流動し、一瞬もとどまる事ない世界を、猟師が獲物を仕留めるようにシュートして、フィルムに、印画紙に固定したいんだ!
シュート。そう、プラスチックではない、真っ黒な金属のカタマリである俺のカメラは、銃器と親いのだ。世界と対峙するための、武器そのものなんだ。
ガンマンが『今からあんたを撃ち殺してもいいっすか?じゃ、逝きますよ。チーズ!』なんて言わないだろう。猟師が獲物にいちいち断ってからぶっぱなすか?
一つ違うのは、俺は物陰に潜まない。たいてい誰もが目をとめて、しかもある一定の間合いに踏み込むと目をそらすよう傾いた(歌舞いた)派手なナリで、フィールドに繰り出す事さ。それは持って生まれた気性とともに、俺の中に流れるロック魂がそうさせるんだろう。年々派手になっていくぜ。イスタンブールの街角で電話してたら、外人のガキがよって来て、俺の隣に立って記念撮影しやがった事もあったな。やれやれだ。
見る者は、見られる者であるべきだ。それがフェアプレーってもんだぜ。
君達は、そんな俺を見かけたら、先ずは黙って俺にシュートされておくれ。記念撮影はその後だ。ふざけたポーズでバッチリ決めるさ。

2010/11/19

Post #5 Undercover Of The Night



Paris
さぁ、今日の男の仕事は片付いた。宿にかえって飯でも食って、テレビでも見るか。俺は独りで食事するのは好きじゃない。だから帰り道のスーパーでハンバーグ弁当でも買って帰るとするか。まるでうらぶれた単身赴任のおじさんみたいだな。まぁあながち外れではないがね。
独りで食べると、食事はガソリンを満タンにするのと大差ないもんだぜ。すぐに終わってしまう。
あぁ、一緒に晩餐をとってくれる、ベティ・デイビスとまではいかないが、せめてジャニス・ジヨップリンくらいは聴いている、センスのいい女性がいたら、人生はもっと楽しくなるだろう。AKB48じゃダメだ。俺はマムシ酒みたいにロックが骨身に染みこんた男なんだ。しかし、その後の修羅場を思うと、それもどうかな?何と言っても、俺は酒に弱いが、女にも弱いだからな。君子危うきに近寄らずだ。侘しい食事がお似合いだ。それもまた、ハードボイルドな男らしくはないかな?
さぁ、飯も食ったし風呂も入った。NHKのニュースでも見て、世の中の事を少しは覗いてみようかな。
ありゃ、なんかテレビつかないね。
仕方ない。ちょいと夜の繁華街でも流して、写真でも撮ってくるか。
俺は、コントラストの高い写真が好きだ。写真で一番大切なのは光だと思ってる。
夜の繁華街や風俗街は、ネオンと街灯、そしてタクシーのライトが絶好のライティングをしてくれる。
何より、バレたら酷い目に遭うだろうなという、考えただけで金玉が縮み上がって臨戦体制になるような緊張感と、周囲に渦巻く、男達、女達の色と欲でギラギラした空気に当てられ、肌がヒリヒリしてくるような感覚が堪らないのさ。
この寒いのに肌も露な姿で客を引く女達、あからさまにアウトローなオーラを放つ男達。黒塗りのヤバそうな高級車。そしていい気になって安酒に高い金を払う男達。
サラリーマンが頭を下げまくって稼いだ金が女達の懐に入り、女達はその金で自らの欲望を満たすんだろう。まさに資本主義の、経済の縮図だぜ。
俺はカメラを隠すようにして、そんな世界の表側をカンナで削りとるように、フィルムに納める。
自分自身もその欲望の渦に巻き込まれそうになっても、カメラを持っている限りは、ストレンジャーなんだ。
なんてったって、俺はロックンロールの神様と並んで、写真の神様、つまり天才アラーキーの言うところの『写神』を信仰してるからな。写神様が俺をいつもギリギリのところで助けてくれるのさ。それに明日も、朝早くから男の仕事があるからな。そんなところで、羽目を外しちゃ、男の仕事に差し支えるというもんだ。
時々は暇な女が声をかけてくるが、自分が彼女たちの年齢のダブルスコアを叩き出していることを考えると、このひねくれたオッサンを楽しませたり夢中にさせたりするだけの中身が、この娘さんにあるのかよ?と思って軽く受け流すのさ。
Tokyo
いつだって金出して笑わせたりするのは、俺なんだ。どいつもこいつも、俺の仕事が何かって聞きやがって。お前ら税務署の回し者かよ?一時間3000円だって?新しく出たジャミロクワイのCDを買ったほうがよっぽどいいぜ!
どうせ、君達は俺の財布の中にしか興味はないだろう?悪いけど、いつだって金は不足しているぜ。俺が興味深いと思っているのは、君のパンツの中身じゃねぇんだぜ。君の心の中なのさ。

Tokyo

とはいえ、そんなところで情が移ると痛い目を見るもんだぜ。こう見えて俺は純真無垢な漢なのさ。そんな女の子にホロリと情をかけると、底無しのバケツで水を汲むような生活になっちまう事だろう。
それもまたロックンロールなカンジがするが、ダメダメだ。俺はやりたい事がたくさんあって、この不景気だ、金には限りがあるんだ。ここは一丁踏ん張って、イエス様みたいに水の上を歩くようなノリでいかなきゃな。酒と女に溺れるのは、海で溺れるのと同じくらい、いや、それ以上にキケンな事だ。
俺には本来、親父譲りの女好きの熱い淫蕩な血潮が流れてる。本当に気を付けないとな。
そんな葛藤を抱えながら撮る写真には、どこか背徳的なアトモスフィアが映りこむ。
まさにUndercover of the nightだ。
またまたストーンズだ。
脈々と流れる血の命じるままに、いっそ蕩児になってしまいたいという想いと、この社会と男一匹対峙するための、俺のなかのたった一つの武器ともいうべき倫理とが、写神の持つ天秤の上で危うい亀甲、いや違う、拮抗を保っているのが判るだろう。
暗室の中で、赤い光に照らされながら浮かんでくるイメージはとてもエロチックに感じる。時にゾクッと来るくらいだ。
そんな写真を、友人達はロックが聞こえてきそうな写真だと言ってくれるのさ。俺にはサイコーの誉め言葉だよ。まぁ、ホントに聞こえて来たら、幻聴だけどな。
もっとも、俺の心の中には、いつだってイカしたイカれたロックがフルテンで鳴ってんだよ。君の心にもロックは鳴っているだろうか?

2010/11/17

Post #4 One nation under a groove

Paris
最近の日本はなんだか騒がしいぜ。
西にぶつかる船があり、北には大統領がやってくる。ネットの世界の皆さんはじめ、世間様はなんだかざわついている。どこか宮沢賢二の雨ニモ負ケズを思い出すのさ。西ニ領土ノイサカイアレバ、ツマラナイカラヤメロトイイ、北ニ大統領ノリコメバ、ナススベモナクオロオロ歩キ…なんてカンジだなぁ。
俺はそんな世間を、ちょいとずれたとこるから眺めてる。ただ少し安心なのは、昔の日本人のように、政府の弱腰を糾弾して、戦争しかない!なんて馬鹿馬鹿しい事を無責任に叫ぶ奴もいないようだし、先ずは一安心だ。
60年以上戦争がなかったおかげで、日本人はすっかり去勢された馬みたいに大人しくなった。それが面白くない人もいるだろうが、どんなに腹の立つ相手でも、何時かは死んでしまうのさ。焦る事はない。
国の面子や国益とかいう、俺たち庶民にはさほど関わりのない、イマイチ意味のよく判らないモノの為に熱くなって、自分自身や自分の大切な人を守るつもりで,、かえって危険にさらすような事は、したくないんだ、俺は。
そんな事より自分自身の事を大切に考えたいし、何より身の回りのかけがえのない人たち、そう、他ならぬ君の事を大切に考えたいんだ。俺たちは坂本龍馬じゃないからな。自分の事で手一杯なんだ。
けれどそれは、自分さえ良ければいいという事じゃない。自分自身を大切に考えない奴は、自分の周りの人間の気持ちなんか大切にしやしないだろう。
君が、僕にとって大切なんだ 。
君にであって、君の事を知ってしまった以上、僕はもう以前の僕じゃないんだぜ。つまり、君が僕の心の中に住んでいるから、君は既に僕の一部になっているんだ、わかっておくれよ。
そんなふうに、誰かを想う事が、小さな事だけれど、この糞溜みたいな人間社会を、良くして行く一歩なんだ。
俺は幸せになりたい。そして、君にも幸せになって欲しい。僕らはもう孤独じゃないんだぜ。
paris
そんな思いを皆が持ったなら、下らない争いはなくなるだろう。殺したい相手にも、きっと大切な人がいるんだ。ナイーブで腰抜けだと君は思うだろうか?
でも、ジョン・レノンだって忌野清志郎だって、きっとそう言うだろう。ロックが好きだからって、ジャブ中のクズ野郎だったり、刹那的ですぐにぶん殴るような奴だなんて、今どきあり得ないんじゃないか? それはセクシーな服を着ている女の子が、どいつもこいつもヤリマンで、電車のなかで尻を触られたがっていると思うぐらい失礼な事だぜ。
俺も彼女達も自分を表現したいだけだろう。


想像力が必要なんだ。
相手の事を考える力が必要なんだ。自分が傷付く事は、君も傷付く事だろうって考える力が。自分が幸せに思う事は、相手も幸せを感じるだろうって事を思う力が。
それこそが、世界の平和の第一歩なんだ。基地や空母やテポドンで、平和な世界は創れないのさ。
俺には夢がある。大きな大きな夢だ。聞いたら君は笑うだろうか?俺をドン・キホーテのような滑稽な奴だと思うだろうか?
けれども、この夢は棄てられない。想いを伝えきれなかった女の子の夢じゃない。それもあるけど、それじゃない。もっとデカイ夢なんだ。
それは、いつかこの地上から、全ての国境がなくなり、全ての人々が言葉や宗教や、文化や習慣で差別したりする事のない世界がくる事だ。
生まれた所や肌や目の色でお互いを冒しあうことない、抑圧される事のない自由な世界がくる事なんだ。ここは少し、ブルーハーツだなぁ。
宮沢賢二だって、億の巨匠が並んで生まれ、しかも互いに相侵さない、そんな世界が必ず来ると…病の中で心から願って謳っていたぞ。
ヨーロッパ人から見たなら、中国人も韓国人も日本人も見分けられないだろう。ドイツ人とイギリス人を君は見た目だけで見分ける事ができるだけかい?ケニア人とコンゴ人の違いが君に判るのかい?
僕らが夢を信じていると思うのは勝手だけれど、国境も国も、天国も地獄も、人間が自分自身で産み出した幻想なんだ!
吉本隆明の『共同幻想論』を、ジョン・レノンの“Imagine”やファンカデリックの名曲“One nation under a groove”を聴きながら読んでみれば、きっと君にも判るだろう。

空や海に、そして大地に線などひかれていないのさ。
その線がひかれているのは、僕ら自身の心の中なんだ!

何万年か先の世で、そんな世界が来ることを信じながら、俺は今日もカメラを手にして街を行くのさ。見かけたら、声をかけてくれ。君と解り合いたいのさ。


2010/11/16

Post #3 他人の人生を生きるのはうんざりだ


Barcelona
俺は近所の人々から、なんとなく胡散臭い稼業の方か、ヒモのような奴と見られているみたいなんだが、実はそうじゃないんだ。お巡りによく職務質問されるけど、決してジャブの売人や自称プロサーファーとかじゃない。
毎日つまらない仕事を地味に地道にやって、やっとの思いで生きているのさ。石川啄木の短歌で『そのかみの 学校一の怠け者 今は真面目に働きており』なんてのがあったけど、全くそんな感じだ。その日暮らしに毛がはえたようなもんだぜ。恥ずかしながら、高校時代の同期生なんかに会うと、居心地が悪くなる程さ。
まぁ、仕方ない、それが俺の人生だ。昔懐かしいロックンロールなカンジだ
そうやって、ロック魂ともいうべき斜に構えた心を隠し持ちながら働いていると、なんだか納得いかない事があるのさ。
俺は、声を大にして言いたいのさ、この日本のみなさんに。
『自分自身の人生を楽しもう!死んだなら酒も飲めないぜ!』ってね。
俺は自分と同じ年頃の奴が、働きすぎて死んだって話しをよく耳にする。子供の顔は寝顔しか見たことがないという話しも、あきあきするほど聞くし、そんな人が仕事が出来ると評価されているのも、珍しくないだろう。たまにはウキウキするような話が聞きたいよ。
その一方で、服でも家電製品でも、CDや本でも流行りのモノを買わないと、変わり者扱いだ。
皆が同じ格好で、同じモノを持ち、機械のように働いて、限りあるこの人生の時間を、金が欲しくて働いて眠るだけ(おっとRCサクセションじゃないか、こりゃ)で終わっていいのかよ?
もちろん、自分で商売やってて、金儲けが人生の目標だって人もいるだろうが、大抵みんな、誰かに雇われているんだろう?元気なうちは、コキ使われて、自分らしさを漂わせれば、変わり者怠け者扱い。やりたい事は、定年後の楽しみにとかいうのも、どうだかねぇ。
先の事なんか判らないんじゃないのかい?いくら環境に優しいLED電球が、夜も明るく照らしてくれても、人生一寸先は闇ってのは、どれだけ時代が変わっても、変わらないんじゃないの?
明日死ぬかもしれないから、人の迷惑かえりみず、好き放題やれって言いたい訳じゃない。
自分自身のために、人生はあるはずだって言いたいだけなんだ。
人の目を気にして生きるなんて下らないことさ♪って清志郎も歌ってっていたな。
金は確かに大事なことだが、人生の目的なんかじゃねぇんだぜ。より深く人生を味わう為の手段に過ぎないと俺は思うのさ。よく言って、人生の目標だ。
俺の言うことがピンとこないなら、小銭を貯めて、時間を見つけて、遠くの国に旅してみよう。
それもツアーじゃない気儘な旅に。
そうすれば、世界には違う価値観があって、しかもそれがそこじゃ常識だって事があるって感じるだろう。
高いホテルに泊まったり、3つ星レストランで食事したりしなくていいさ。土地の人が集まる店で、その人達が食べているモノを食ってみればいい。通じない言葉で、一生懸命オーダーするんだ。
きっと、新しい経験が出来るはずさ。
もちろんそれは単なる一つの例に過ぎないけれど、自分が今まで当たり前だと思っていた事が、所詮世界の中じゃ単なるマイナールールだと感じられたら、サイコーだと思うよ。
地球上には地下道の中でアコーディオン弾きが音楽を奏で、普通の通行人が踊り出すのが当たり前の世界もあるのさ。
まぁ、不景気のどん底の日本じゃ、音楽が流れても、踊り出すようなグルーヴをお持ちの方は、ごく少数派だろう。ならば俺は、少数派でいたい。心にブルースとグルーヴの両方がなけりゃ、ロボットみたいな人間になっちまうぜ。誰かにプログラムされないと、何をしたらいいのかワカラナイ、ロボットみたいな人間に。
さぁ、近いうちにまた旅に出よう。カメラを右手に握って。
そしてイカした写真を君に届けよう。それが俺の人生だ。

2010/11/14

Post #2 Salt of the earth


Tokyo
前回も書いたように、俺は居心地のいい退屈なホームタウンを離れて、何百万人もの人間が暮らす大都会に来ている。およそ2週間だ。
この街を歩けば、どこもたくさんの老若男女が、犇めいている。まるでフィーバーのかかったパチンコ台から玉がドバドバ吐き出されるように、人間どもが地下鉄の出口から出てくるぜ。
俺はその人混みを少し離れて眺めるのさ。そして、この顔のない人混みの中に、知っている人がいないだろうかと、目を凝らしたり、カメラを構えてみたりするのさ。灰色や黒や白の群衆は、俺には現実の人間には思えない。とても奇妙に感じるのさ。
まるでローリングストーンズのSalt of the earthって曲のようだ。(Beggars banquet つまりコジキの宴会ちゅう傑作アルバムに入っている。これはハズレなしの福袋のような凄いアルバムだから、もし君がロックが好きで、なおかつ聞いた事がないのなら聴くべきだぜ。)
想像してみて欲しい。
あの虫の群れのような群衆の一人一人に名前があり、それぞれの人生があり、愛する人がいたり、孤独で苦しんでいたり、生きる為に金を稼ぎ、誰かを騙したり、騙されたり、ささやかな楽しみを持っていたり、第三者から見たらどうでも良い事で悩み苦しんでいたり…。キリがないぜ、まったく。
俺はいつも人混みのなかをうろつくと、そんな思いが涌いてくる。そんな経験、君にはないかい?
それは決して楽しい想像って訳じゃねぇんだぜ。むしろ、さみしーカンジなんだ。気が遠くなるようなカンジなんだ。そう、ブルースなんだ。
しかも、この街に何百万人もの人間がいても、俺の事なんか、誰も知らない。俺がどんな思いで君たちを眺めているのか?誰も知らないのさ。
胸の奥底からさみしーカタマリが浮かんでくるのさ。
だって考えてみて欲しい、そんなふうに、一念三千な思いを懐いて、些細な事で歓んだり哀しんだりしている人々が、いとおしくなってこないかい?そう、奴らはみんな、パチンコの玉や石ころじゃなくて、俺や君と同じ人間なんだぜ!びっくりするぜ!
そりゃいい奴もいれば、腐りきった糞野郎もいるだろうさ。だけど、どいつもこいつも、心を持って生きているんだ。驚くだろう?嘘じゃないって。誰でもいい、その辺を歩いている奴を掴まえて、少し話して見ればわかるはずさ。音楽を聴いて歩いていても分からないぜ。
Tokyo
そして、何より大事な事は、今こうやって一生懸命生きている連中は、俺や君を含めて、一人の例外もなく、いずれこの地球からいなくなる運命なんだぜ。
当たり前だょって言うのかい?でも君はそれを意識して生きているかい?自分の周りの人達に、全力で接しているだろうか?
下らない嘘や表面だけの付き合いなんて、している暇は、人生にはないんじゃないか。だって、自分自身だって、明日死ぬかもしれないんだぜ!
だから、俺は今日も写真を撮るのさ。この人達が、確かに俺の前に存在していたって証に。OK、名もなき人々(つまりSalt of the earth だ)に乾杯だ。
こうして、俺はバーに入り、二度と会う事のないだろう女の子に、適当な嘘をついて笑わせ、カウンターの上に金を置いて、寝床に帰るのさ。なぜ嘘かって?彼女たちは俺の中身には興味がない。興味があるのは俺の財布の中身だけだからな。堪らないぜ。
名前も知らないお嬢さん、君のこれからの人生にどうぞ幸あれ。Lets drink だ。
また会おう。君が生きているうちに、君の写真を撮らせてくれないかい?

2010/11/12

Post #1 世界のフラグメントを集めて…


Paris
はたから見てる限りは、お気楽に見える俺なんだが、こう見えても、日々の営みにうんざりする事だらけなんだ。日本はなかなかに息苦しい。不景気で、閉塞感でいっぱいだ。まるで社会自体が便秘に苦しんでいるように感じられる今日この頃だ。
世の中の皆さんもどうせ、うんざりする事だらけの毎日を送っているに違いない。皆さんどうやってそんなブルースと折り合いをつけているのか?大いに興味があるねぇ。
俺は、そんな時はいつも旅に出たくなるのさ。スナフキンみたいにね。
ギターの代りにカメラを持って旅に出るのさ。
そうして、まだ見たことがない場所に行って、厳しい陽射しの中や冷たい雪交じりの風の中を歩き回って、すれ違いざまに、世界のフラグメントにレンズを向けて、そっとシャッターをきる。そうやって一枚一枚と世界のカケラを、拾い集めてくることで、心の息継ぎをしてくる訳。
そう、今生活しているここだけが世界じゃないって感じるんだ。
それはなかなかに清々しいもんだぜ。
さて、俺はこの夏いろいろあって、すっかり心が萎えちまって、今まで自分の中にみなぎっていた根拠不明な自信が、すっかりなくなっちまった。最悪だ。厄年ってのは本当だと確信してしまった。健全な精神は健全な肉体に宿るというが、不健全な精神は肉体をも蝕むんだ。俺は8キロも痩せてしまっった。ダイエットの本でも書いた方がいいくらいだ。
だから、気分を変えようと、ブログを初めてみることにしたんだ。
本当は次の旅に出たかったんだが、資金力に大いに問題有りだ。さあ、調子に乗ってガンガン行くぜと思ったら、仕事で2週間出張だ。冗談じゃない。しかも宿にはネットがない。まるで20世紀だ。梨じゃねぇんだぜ、今どき。旅に出たいと思っていたのに、仕事で出張とは、うむ、参ったぜ。

だから、携帯でブログを書いているのさ。記念すべき一発目がこの有り様か。フフふ…乙なもんだぜ。

Paris
俺は若い頃、作家になりたかった。それも、世界の全体像を描くようなスケールのでかい、作家になりたかったんだ。人間の心の闇を見据えて、ドラマを通じて、普遍的な人間性を描くような作家になりたかったんだ。
しかし、所詮無理だね。人生経験も足りないし、もちろん才能もなかった!そして何より根気がなかった。場景描写がかったるくって、やってられなくなった。写真を始めたのはその頃だった。
最高だった。
原稿用紙を何枚使っても描き出せない情景が、たったの125分の一秒で、底引き網漁のように掴みだせる。人間性なんて描かなくていい、表面しか写らないから。人も風景も何もかもが、断片になって画面に納まってしまう。
快感だぜ。すごいドライブ感だった。
けれども、一枚一枚は断片にしか過ぎない写真が、ある程度の量に達した頃、俺は気がついた。
この断片つまりフラグメントを無限に集積していくなら、世界の全体像を点描のように描く事ができるんでないの?と。
もしそうであるなら、僕たち一人一人そのものが、この世界そのものの断片だということにならないかね?
つまり、僕たちそのものが世界そのもの(の一部)って事にならないかね?

俺達は部分なのか?
俺達は全体なのか?

君は俺の一部だし
そして、本当のところ、
俺は君の一部だ

そんな歌が、心の中に響いてくるのさ。The Who のFragmentsという曲にそう歌われているが、まさにそんな感じだ。


そうさ、いつの間にか表面しか写っていないはずの人々が写真の中からオーラのように物語を語るような気がしてきたのさ。つまり、その人達が、俺自身の一部になっていたんだ!今度は君自身のなかに俺を容れてくれないかい?これから、包み隠さず、いろいろと話していくからさぁ…。
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