2010/12/03

Post #16 たまには写真やカメラについて話そうかな#2

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出張から帰ってきてからこっち、風邪に悩まされている。人生の向い風には、常に悩まされている。これで風力発電ができたなら、我が家は電気代がかからないだろう。今問題なのはその風じゃなく、この風邪だ。熱っぽく怠く、眠い。病気の犬の鼻のように、肌が乾燥してしまう。そんなこんなでさぼってると、ついに死んだんじゃないかって、各方面からの憶測が飛び交うことになってしまうことだろう。そうなったら、みなさん、真っ先に香典を届けてください!その香典で、俺は年が越せるぜ。Yahooooh!

えーと、どこまで話したんだっけ、プアマンズ・ハッセル、ブロニカS2をゲットしたところまでだ。もう、ずいぶん前のこと、まだ時代は20世紀末だった。だからあんまりはっきり覚えていないけれどね。
実はそもそも写真は俺の彼女の趣味だった。で、ある日彼女と一緒に近所のカメラのKムラに行ったわけだ。たぶん、フィルムを現像に出しに行ったんだろう。以前にも書いた通り、出張先で時折『写るんです』で写真を撮っていた俺なんだが、まだ当時はカメラに関してさほど興味があったわけでもなく、これと言って欲しいってものがあった訳じゃなかった。しかし、その日は俺の人生のターニングポイントになった。つまり、年貢の納め時だったんだな。
その頃、その店には立山さんというなかなか味のある店員がいて、俺はこの人にブロニカを勧められて買ったんだ。立山さんは自分でも写真を撮ったりしていた独身で長身、なかなかの好男子だったが、しばらくしてから転勤し、風の噂では、結婚して写真はすっかりヤメ、奥さんと犬のブリーディングをしているそうな。人間というものは、どこでどうなるかわからないものだ。
今考えると、俺の写真のスタイルからすると、その選択は回り道だった気もするが、値段が手ごろだったのと、フィルムがブローニーだったてのが決め手だった。みんなが使ってるものなんて、あんまりおもしろくないじゃないか。俺は天邪鬼なひねくれた男なのさ。だから長い間ビートルズは聞かないように心掛けてたんだぜ。この性分のおかげですっかり反主流派の反体制だ。
写真をやっている人には、なぜブロニカがプアマンつまり貧乏人のハッセルって呼ばれるかってことも、ブローニーフィルムってなにかも分かるだろうが、写真やカメラに興味のない向きもいるだろう?その辺のことは、今後もしばしば出てくるだろうから、ざっくりあっさりと説明しておこう。

①ブローニーフィルムとは?
ブローニーフィルムってのは、フィルムの幅が60㎜で。フィルムの裏に感光を防ぐための紙がついているフィルムを指す和製英語である。120と220という規格がある。220のほうは裏紙がフィルムの両端にしかついていなくて、そのぶんたくさんの枚数が撮影できるわけだ。最近はやりのトイカメラ、ホルガで使うフィルムと言えば、ははぁ~んってわかる人もいるだろう。
②中判カメラとは
このフィルムを使うカメラが中判カメラと言われる。カメラの設計に応じて、60㎜×45㎜、60㎜×60㎜、60㎜×70㎜、60㎜×90㎜などの様々なフォーマットが存在する。中には60㎜×120㎜なんて素敵なフォーマットのものもある。書いているだけで、自分の中の欲望がむずむずしてくる。通常のフィルムに比べて、画面が大きいので、粒子が細かくなる。つまり画素数が高くなるから、ファッション写真や集合写真なんかでよく使われるのさ。デジタルが主流になった昨今でも、プロやハイアマチュアには使い続けている人が多いらしい。俺はプロじゃないから知らないけどね。
③ハッセル
中でも、人気があるのは60㎜×60㎜の正方形のフォーマットだろう。スウェーデン製のハッセルことハッセルブラッド(スウェーデン語なんでハッセルブラードが正しいらしいぜ)はその代表選手。第二次大戦中に、墜落したドイツ軍の飛行機から回収したカメラを、スウェーデン空軍の将校がハッセルブラード氏に見せて、これと同じものを作れるかと聞いたところ、同じものは作れないが、もっと良いものなら作れるといって開発したのは有名なエピソード。
中判カメラでは、ハッセルのほかにも2眼レフ(ピントと構図合わせ用のレンズと撮影用の二つのレンズがついている)のローライなんかも人気が高い。こちらはドイツ製。これらの2大巨頭が採用しているレンズが世界最高と言われるカールツァイス。ソニーのデジカメなんかによく搭載されてるぜ。レンズの性能の良さも相まって、ハッセルもローライも人気も高いが値段も高い。
④ブロニカS2
そこで登場が貧乏人のハッセル、ブロニカS2だ。プアマンズとはいっても、それは現在の話で、1960年代中期にこのカメラが発売されたころには、庶民にはとても買えなかったカメラだと思われる。しかし、現在じゃかなり安く買える。ちょっと飲み屋で羽目を外したくらいの金で、一式揃えることができるぜ。
しかも、開発者の吉野善三郎氏が、ハッセルを超えることを目指して作ったカメラだから、100を超える特許技術が無骨なボディーの中に凝縮されている。レンズは日本光学つまり現在のニコンが供給しており、非常に優秀、ニコンらしいカッチリとした解像度の高い画像を撮影することができるのだ。何より俺が気に入っているのは、そのガチャーン!と豪快に響くシャッター音だ。その音のデカさは被写体はもちろん、周囲の人間も圧倒すること間違いなしな粋なカメラだ。ちなみに正式名称であるゼンザブロニカは開発者の善三郎+ブローニー+カメラという、オヤジのダジャレを思わせる。こんなセンスもズバリ和製カメラのカンジがするぜ。
BronicaS2
俺は、このブロニカを手に入れて、メカニカルな感覚が楽しくて、いじくり倒すような感じで写真を撮っていった。俺の家に遊びに来る友人は、たいていポートレイトを撮られていたぜ。今の俺の写真からすると、ブロニカは大きく重く機動性に欠けるため、使えないカメラだが、カメラの構造、つまり写真とはどのようにして撮影されるものかということを、身体に叩き込むにはもってこいだった。つまり、絞りを変えると、ピントの合う範囲が変わる。絞りを変えると、入ってくる光の量が変わるので、シャッタースピードを調整しなけりゃならない。どの絞りを選択し、どんなシャッタースピードで被写体を捉えるか、写真の基礎の基礎だ。本格的なカメラは写るんですやデジカメとは違って、シャッターを押すだけではないんだぜ、ってことさ。

俺の親父のような先生がいる。俺はもう30年もその先生にお世話になっている。俺は初めてその先生に会った時、先生は今の俺くらいの年齢だった。その先生は学生時代から登山が好きで、登山をするためにまとまった休みが欲しかったから教師になったていう、動機の不純な教師だった。俺が通っていた私立の中高一貫校の数学の教師だったんだが、およそ教師らしくない人で、教科書は頭を叩くためのものと言っては、教科書に沿って授業なんかしたことはなかった。そして、わかる人手をあげて、わからない人手をあげて。どちらにも手をあげなかった人は幽霊ですから、頭を叩かれても痛くないはずです、と言っては、教科書を丸めて頭を叩いて回っていた。勉強のできる奴らや他の先生方には不評だったが、俺みたいな勉強の嫌いな馬鹿学生は頭を叩かれちゃ、へらへら笑って喜んでいたっけ。喫茶店でタバコを吸ってたむろしていると、見ないふりをして、ほかの店に行ってくれたりもした。ワインやパイプを教えてくれたのもこの先生だった。
当時から長髪の白髪で、コンピューター(もちろんウィンドウズなんてない石器時代の話だ)のエキスパート。数学教師というよりも、数学者なんだ。実際に数学者の秋山仁とは仲が良いらしい。俺はよく先生の家に遊びに行っては、夜中まで手塚治虫漫画全集を読みふけっていたモノだ。あぁ、つまり清志郎が歌っていた『僕の好きな先生』だったわけだぜ。
この先生、若いころには写真もかなりやってて、山岳写真やヌード写真も撮っていたらしい。まったく、俺の先生だけあるぜ。
この先生に教わったことは山ほどあるんだが、その中の一つに『写真とは光の積分である』ということがある。つまり、フィルムを良好に感光させるためには、一定量の光が必要だ。これには、周囲の光、絞りの大きさ、シャッタースピード、フィルム感度といったさまざまな変数を組み合わせて一定の量の光を確保する必要があるということだ。
数学に関して、私立文系数学なしコースに進んだ俺は、決して先生のよき教え子ではなかったが、夜の繁華街で、ノーファインダーで写真を撮りまくる俺は、写真に関してもよき教え子ではなかったわけだ。
この先生の授業スタイルは、世の中がやかましくなってくると理解されなくなってしまい、若い教師から「うちのクラスの生徒を叩くとは何事か」なんて突き上げられることもしばしばだったそうだ。洒落の通じない奴らはこれだから困る。で、60歳の定年を機に、嘱託講師などせずにきっぱり学校を去ってしまわれたんだ。で、何十年の教師生活で先生と縁の深かった元生徒たちが集まって、小旅行したりしたんだが、このときもブロニカは出動した。俺の髪形は当時からこんなモジャモジャだったから、先輩方からはまるで篠山紀信みたいだと言われたぜ。まぁ、俺の頭はくせ毛だから、今も昔もこれなんだけどな。しかも、俺は紀信よりもアラーキーのほうがはるかに好きなんだがね。で、先生が若いころ使っていたカメラもブロニカS2だったので、先生もなんだか喜んで、俺に当時使っていたブロニカのレンズをくれたんだ。NIKKOR-H50㎜ F3.5広角レンズだ。
ちなみに望遠レンズも持っていたそうなんだが、それは日本アルプスの谷間に転がり落ちていったそうだ。惜しいことをしたぜ。

こうして、俺の写真生活は始まった訳なんだが、俺はだんだんとこのカメラは俺向きじゃないなって気が付き始めたのさ。つまり、俺がとりたいものは、人間が犇めく街中なんだってことに。ただし、ズバリの回答行き着くまでには、まだまだ回り道が必要だった。ということはつまり、自動車が、それもヴィッツやマーチじゃないぜ、もっと高い奴だ、買えるくらいの金を使わなきゃならなかったってことだ。おかげでブロニカはもう何年も控え選手だ。いやベンチ入りすらしていない。2軍だ、ファームだ。しかし、ジィッツォの三脚の上に鎮座して、何年も俺の部屋をレンズに映し続けてくれているぜ。
それでは、次回に続くぜ。俺の話はいつだって長いんで、評判が悪いのさ。早く寝ないと男の仕事に差し仕えるぜ。

2 件のコメント:

  1. 尊敬できる先生が居るってのはうらやましいね。僕にとっては都市伝説レベルのレアキャラだ。先生ってのは本当にただ先に生まれただけの勉強を教える事を仕事にする大人たちだったよ。とても残念。
    おっとグチっぽくなってしまった。それじゃあ、早く体調を整えて元気になってクレヨン(駄洒落)。

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  2. 匿名さん、ご心配&ダジャレ、どうもありがとうございま~す!
    幸いなことに、ユニークな先生にはかなり恵まれていました。私立の学校だったからでしょうか?その方たちが僕を増長させてくれたおかげでこんなけったいなおっさんになることができました。大人を変えるのは難しいものですが、多感な若者を変えるにはほんのワンプッシュで充分だということでしょうか。
    しかし、一見つまらない授業しかしなかった先生も、実はサブカル雑誌ビックリハウスを読んでいたりしていました。大人はじっくりかみしめてみないとわかりませんよ。

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