2010/12/23

Post #34 たまには写真やカメラについて話そうかな#3

Paris
今日はまた、新幹線に乗って、日帰りで仕事を片付けてきた。ちょろいもんだ。しかし、明日も男の仕事が詰まっているから、のんびり写真を撮ってブラブラなんてしちゃいられないぜ。第一、荷物もしこたまあったからな。俺の背骨が悲鳴をあげてるぜ。
俺はプライベートではほとんど荷物を持たないようにしてるんだ。何と言っても、写真を撮るのに機動性がないと困るからね。とはいえ以前海外に行ったときには、気合を入れ過ぎて、コンタックスのG2をモノクロ・リバーサルで各一台ぶら下げ、腰にはコンタックスのT3を、これまたモノクロ・リバーサルで各一台、合計4台なんて恐ろしいことになってたこともあった。見かねた現地の人の良さそうなおばちゃんが、ひったくられるといけないから何とかしろって忠告してくれたもんだ。まぁ、いまどきフィルムカメラなんて盗む奴はいないさ。時代はデジタルだ。うむ、俺はあくまで、時代に逆行させてもらうぜ。以来、無茶は極力慎むようにしている。ひったくられた訳じゃなく、単に重くて肝心の写真が撮りにくくて仕方なかったからだ。

しかし、仕事となると話は別だ。道楽は命は賭けるが、仕事にはお金がかかってるんだ。不測の事態に備えないとな。あくまでプロとして働いて、金をもらってるんだから。しかしまぁ、単価は安いぜ。俺はいつも自分の稼ぎを時給換算して、キャバ嬢に負けたとか言って落ち込んでいたりするのさ。
悲しいぜ、まったく。

何故、そんなに重くて疲れるのかと言えば、当然フィルムの量も増えるし、ズームレンズがカッコ悪く感じられて好きになれないゼータク者の俺は、単焦点の交換レンズを持っていかないと落ち着かないわけだ。持っていかなきゃいいだろうって思うかもしれないが、レンズそれぞれの焦点距離に応じた画角とそれぞれのレンズの持っている描写の違いが、重要に感じられるから持っていきたくなるのが人情ってもんだろう。第一、被写体に応じてレンズを使い分けたくなるじゃない?すると、かなり体に負担がおおきくなるんだな。特に夏はキビシーね。
もしそれがかなわないのなら、あるいは一本だけ選べと言われたら、文句なしに35ミリを選ぶ。
はっきり言って、俺にとっては35ミリのレンズは万能のレンズだ。その距離感が体に染み込んでいる。時折、思ったように撮れないと、28ミリを使ってみたくなったり、21ミリがいいかな?とか浮気な思いが頭をよぎるが、何だかんだでいつも35ミリを使っている。大きくとりたきゃ、寄ればいい。小さく撮りたきゃ、とりあえずバックだ、バック。これは天才アラーキーも『気持ちのズーム』と呼んでいる由緒正しい撮影方法なんだぜ。

俺は今日は、ブロニカに続いて手に入れたスーパーイコンタの話をするつもりだったのに、風呂に入るように勧告されてしまった。今日は冬至らしい。ゆず湯か。乙なもんだぜ。ちょいと中断だ。

すっかり長湯をしてしまった。日本人は風呂に限るぜ。意識が飛びそうだ。
SuperIkonta 530/2
さて、イコンタだ。それも、ピント調整機能が付いたスーパーイコンタだ。
イコンタの最大の特徴は、ボタンを押すと、ばね仕掛けで、レンズやシャッターのついた蛇腹が自動的に立ち上がり、撮影態勢にトランスフォームするところだろう。だからスプリング・カメラとも称されるぜ。蛇腹だぜ、蛇腹。カメラはケータイについているこの時代からすると、どんな大昔なんだよって感じだ。しかし、かの天才アラーキーも父親の遺品のスーパーイコンタをつかっているぞ。あちらは6×6判のスーパーシックスだけどな。フィルムは中判の120フィルム。手動巻き上げで赤窓式、つまりフィルムの裏紙に書いてある番号を赤いプラスチックの小窓でのぞきながらフィルムを次のコマまで送るという原始的なシステムだ。だから裏紙が付いた120しか使えない。画面は6㎝×9㎝。大画面だ。痺れるぜ。いまどき、こんな69カメラで、ポケットに入るようなのはないんだぜ。ホントに。観光地の記念写真屋さんが使っているような、FUJIのデカい奴しかない。あれはあれで欲しいと思わないでもないのだが、今はほおっておこう。そう、スーパーイコンタだ。
このスーパーイコンタは、ツァイスイコンのヒット商品イコンタに、ピント調整機能を搭載した、大昔の高級カメラだ。どれくらい昔かっていうと、スーパーイコンタは1937年製造開始だ。昭和9年だぜ。戦前だ。昭和一桁だ。俺のスーパーイコンタは初期型なので、バリバリ戦前派だろう。
レンズもCarl Zeiss Jena のTesser F=4.5 f=10.5cmがついているから、バリバリ戦前だ。戦後はツァイスは東西ドイツに分断され、イコンタを作っていた西ドイツでは、Zeiss Opton表記になるからだ。
F=4.5 とは、このレンズは暗い。しかし、いまだに評価の高いテッサーだ。テッサーはパウル・ルドルフ博士によって1902年に開発されたカール・ツァイスの傑作レンズで、たった3群4枚というシンプルな構成ながら、高い解像度を持っている。当時はその解像度の高さゆえに、『鷹の目』と称されていたそうだ。おそらく、100年以上にわたって、世界で最も多く製造されたレンズの銘柄だろう。もちろん、各時代によって、設計は見直され、開放絞り値は改善されていくのだが歴史に残る銘玉という評価は揺るがないだろう。
もちろん、このイコンタについているテッサーは、戦前のNonT、つまりツァイスのレンズコーティング(Tは透過性を意味する)なんで、逆光には弱いし、色再現性も現在のレンズには劣るけれど、やはり解像度の高さには、う~むと唸るものがあるぜ。
このスーパーイコンタは、レンズの横に出たアームの中に2枚のレンズが仕込んである。ピント調整リングを回すと、このアームの中に仕込まれた断面が楔形になった2枚のレンズがそれぞれ異なる方向に回転して、ピントを合わせる訳だ。これがレンズの前玉と連動していてレンズ本体のピントを合わせるって仕組みだ。つまり、これはレンジファインダーカメラなんだぜ。
シャッターは驚くなかれ、最高速度が250分の1秒のコンパ―だ。
俺は、このカメラを百貨店で行われていた中古カメラショーで、購入した。中古カメラショーちゅうのは、百貨店の催事スペースに、何店もの中古カメラ店が出店し、持ち寄ったカメラを展示販売するイベントだ。俺が買った当時は、中古カメラバブルと呼ばれる世紀末の一時期で、写真好きというかカメラマニアのおじいたちで、会場は熱気むんむんだった。今じゃ考えられないような強気な値段でレンズやカメラが売られ、今じゃとんとお目にかかれないようなレアなカメラが店頭に並んだ。
ブロニカにいささか限界を感じていた俺は、中古カメラショーに出向き、Hカメラの臨時店員の都築君から勧められるままに、このイコンタを買ったのだ。
都築君は、強烈なツァイス信者だった。このイコンタを勧めたのも、ツァイスのカメラだからだろう。さまざまなポイントを指摘して、このカメラがお買い得なことをアピールしていたぜ。俺は納得してこのイコンタを買った。やはりマニアから勧められるのは説得力がある。いまどきはマニアックなカメラ店員が少なくなった気がする。まぁ、デジカメじゃマニアを引き付ける磁力が弱いのかもしれないな。俺が強烈なツァイス信者になったのは、この都築君との出会い、そしてこのイコンタとの出会いがあったからに違いない。人生には時折、ささやかで目立たないが、その後の人生の方向を決定づける出会いがあるもんだ。そう、それこそが人生だ。ロックンロールだ。
俺はこのカメラが気に入って、セコニックの露出計で露出を測ってよく撮影したぜ。気に入ったついでに6×6判のスーパーシックスや6×4.5判のスーパーセミイコンタも買ってしまった。しかし、やはり使うのはこのスーパーイコンタだった。当時は三脚を立てて、人がいなくなるのを待ってからレリーズでシャッターをきっていた。カメラ自体が軽いので、三脚を持って移動するのもさほど苦にならないと思っていたんだ。これで滝だの古い町並みだのを、ぎりぎり絞ってパンフォーカスにして、スローシャッターにして撮影していると、なんだかプロっぽいという無用なはったりを、周囲にかませたものだった。
しかし(おっと出た、この“しかし”が俺を次のカメラに誘うんだな。)、何時しか俺は無謀にもこのイコンタを使って、路上撮影を始めるようになった。路上の物撮りが、次第に路上の人間模様に移行してゆくのにさほど時間はかからなかった。この時、最も問題になったのは、露出とレンズの暗さ。あるいはシャッタースピードの遅さだ。露出がオートでないので、手間だというのが一点。レンズが暗いので、日が傾きだすともう写真を撮るのは三脚なしでは不可能になる。それを補うために高感度のフィルムを入れると、今度は明るい日中ではシャッタースピードが遅いので、露出がオーバーになってしまう。つまり、撮影するシチュエーションに制約が多いカメラだったのだ。
こうして、俺はシオンの地を探して荒野をさまようユダヤ人のように、また次のカメラを求めていくことになったのだ。

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