2010/12/06

Post #18 Standing On The Shoulder Of Giants

君たちはよい週末を送ることができただろうか。俺はそこそこ充実していたぜ。家の掃除もしっかりしたしね。写真にはホコリは大敵なのさ。何故ってプリントする際に、画面にホコリが写り込んでしまうだろう。目に見えるか見えないかの小さなホコリでも、プリントするとスクラッチのように見えたりスネゲがついてんじゃないの?みたいなカンジになってしまうんだ。どんなにいい写真でも最悪だ。だから、掃除は欠かせないのさ。こう見えて、結構繊細なんだぜ、俺は。

しかも、先日出張中に、新品のフィルムを使おうと箱から出したら、パトローネ(フィルム自体が入っている円筒形の筒のこと)が凹んでいて、使えない奴があったんだ。これを販売店に持って行ったところ、新品に交換してくれたんだ。しかも、不良は1本だけだったというのに、3本パックのものと交換してくれたんだ。迷惑料代わりだって。有難いことだ。銀塩写真にとってフィルムは酸素みたいに欠かせないものだからね。これがなかったら、カラのカメラで一眼ならぬ肉眼レフと洒落込まねばならないぜ。洒落ているだけならいいが、それでは君たちに写真をお届けすることができない。だからフィルムは有難いのさ。俺の愛用してるKodak TX-400は最近では売っているところも減ってきたしな。ついてるぜ。今日の占いでラッキーアイテムはロングブーツってあったんで、Dr. Martensの14ホールを履いていったのが良かったんだな、きっと。

俺は今日は目的があって出かけたんだ。
細江英公“鎌鼬”、森山大道“THE TROPICS”
そしてOASIS“Standing On The Shoulder Of Giants”
写真集を買いに行ったんだ。森山大道“THE TROPICS"。今年の夏に出た写真集なんだが、いろいろと物入りで予算がつけられなかったんだ。まぁ、出張して酒飲んでたり、パイソンの靴を買ったり、コートを買ったりとかどうでもいいような、しかしロックンロールライフには欠かせないことばかりだ。
人はよく、俺の写真を見ると、『こういう写真は自分には撮れない』とか『これは君にしか撮れない類の写真だ』とか言ってくれるんだが、俺は自分の写真は最も簡単な写真だと思っているんだ。謙遜とか皮肉とか逆説とかじゃなくて、ホントーにそう思っているんだ。
簡単だ。コードを3つ知っているだけで、ロックができるみたいに簡単だ。セックス・ピストルズのようにね。
君がもし僕の言うことを半分でも信じてくれるのなら、カメラを持って、外に出てみようぜ。
そして目に留まったものを、構図とかなんかは深く考えず、オートフォーカス、プログラムAEで撮ってみればいいんだ。ただ、それだけだ。
お、かわいらしいネコがこっちを見ている。そっとカメラを向けて、静かにシャッターを押してごらんよ。
向こうからいい女が歩いてくる、町一番の美女だ。今、シャッターをきるんだ。Ok?とれたかい?
次は?お、あんなところに面白いフォルムの看板がある、あれ行っておこう・・・。
こんな調子さ。誰にでもとれる。あとは人の密度、場所の選定。常に周囲に目配りして、自分が興味を持ったり欲望を感じたりするものにカメラを向け、そっと、できれば気付かれないようにシャッターをきればいい。デジカメはダメだろう。音が出る。昔流行った高級コンパクトがいい。なんなら貸してあげるよ。
たったこれだけだ。とりあえず、写真を撮って、あとは暗室で構図を整えるんだ。
OK?どうやら出来そうだろう。世間の皆さんがとっている、花だの山だの祭りだののほうが、よほど難しいんだ。

しかし、それでも俺の写真が君たちが撮る写真と違うとすれば、それは俺が巨人の肩の上に乗っているからだろう。これはアイザック・ニュートンが1676年に友人のロバート・フックに書き送った『もし私が他の人よりも遠くを見ていたとしたら、それは巨人の肩の上に立っていたからだ』という言葉がオリジナルだ。イギリスでは2ポンド硬貨に刻まれている。オアシスは自分たちの音楽が、過去にイギリスで生み出されたロックを否定するのではなく、ロックの巨人たちの功績の上に成り立つものだという意味を込めて、そんな“Standing On The Shoulder Of Giants"ってアルバムを作ったっけ。
Viet Nam
俺の写真が、同じ場所で、同じものを見て撮った人の写真と違うとすれば、過去の巨人たちの写真を見てるか、見ていないかじゃないかな。森山大道、中平卓馬、荒木経惟、東松照明、深瀬昌久、北島敬三、渡辺克巳、中藤毅彦、ウィリアム・クライン、ロバート・フランク、エド・ヴァンデル・エルスケン、そしてロバート・キャパ。俺は、少ない稼ぎの中から、そんな巨人たちの写真集を買い集めたぜ。今じゃそこいらの本屋なんかよりもよっぽど充実しているぜ、俺の本棚は。君が興味があるんなら、連絡してくれ。見せてあげるよ。俺はその間、別の部屋でプリントしているから好きに見ていてくれて構わないぜ。コーヒーくらいは出してあげるよ。
つまり、俺が言いたいのは、我流でも独学でもいい。古いものをしっかりとリスペクトしていかなきゃならないんじゃないか。それを踏まえたうえで自分のスタイルを構築していかなけりゃならないんだって、ことなんだ。ほら、いい言葉があるじゃないか『古きを温ずねて、新しきを知る』ってやつだよ。
音楽でも写真でも、大抵のことはもう誰かがやっているのさ。何も知らずに思いつきでやってもだめなんだ。底の浅いものになっちまうだろう。
俺は、自分の写真にガッカリしたくない。それに何より、うまい写真を、カッコE写真を見ると、楽しくなるんだ。ワクワクするんだ。
だから、写真集を買いに出かけるのさ。俺がよく行く美術館に併設されたアートショップのおねーさんは、頼んでもないのに、俺の好きそうな写真集をキープしてくれる。しゃーないわな。買わないかんわ。
THE TROPICSは森山大道が80年代に、タイやラオス、ベトナムに通って撮りためたまま、今日まで発表されていなかった写真をまとめた写真集だ。俺は、何年か前に行ったベトナムの日差しを思い出した。汗ばむようなねっとりとした大気を思い出した。夜更けまで行先もなく走り回るバイクの大群の騒音を思い出した。君がこの写真集を見れば、もし行ったことがなくても、それら全てを幾分かは感じることができるだろう。いい写真集だ。7500円+TAXだが、その印刷の美しさを見れば、その値段が充分にお釣りの来るものだってのがわかるだろう。
そして何より、俺自身が気がつく前から、そう森山大道の写真を知る前からずっと、俺が森山大道の肩の上に乗っていたことが君にもわかるだろう。真似してるわけじゃないぜ。リスペクトって言ってほしいぜ、せめて。モノクロで、街で、気になるものを撮影していれば、自ずとそういうものになってしまうものなんだ。
勢い余って、森山大道の師匠筋にあたる細江英公の“鎌鼬”の復刻版も買ってしまった。これも凄い。日本の写真史上に残る写真集だ。細江のイメージに応えて、舞踏家土方巽が奇怪な鳥のように跳び、走り、舞う。動画のように見えるほどの疾走感。画面から立ち昇るこの禍々しさ。そして、彫刻のように刻み込まれた孤独感。
ずっと欲しかったんだ、この写真集。ついに買ったぜ。君にも見せてあげたいぜ。きっともっと写真を好きになってくれるだろう。
また会おう。もう眠るぜ。明日の男の仕事に差し支えるのさ。
そうだ、たまには君もコメントを入れてくれないか。
俺は君の言葉を聴きたいんだ。

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