2011/12/31

Post #414 31/Dec/2011

まったく今年は、いろいろあった一年だった。
思わずぎゃふんとのけぞるようなことばかりだった。
地震も、津波も、洪水もあった。原発事故もだ。そして、それは年が変わっても、決して過去のことにはなっていない。現在まさに進行している事ばかりだ。えらいこった。目を閉じて、現実逃避したくなる。しかし、目を閉じても、現実はそこにありつづける。
その一方で、ビン・ラーディン、カダフィ、金正日、ムバラク、ベルルスコーニ・・・、世界を賑わせてきたあくの強い連中が、あの世に行ったり、表舞台から退場したりもした。
Bruxelles
人類史上、大半の人間にとって、生きるのが容易だった時代なんかない。
そして、俺や君や彼らの送っている一日一日の集積が、人類の歴史を形作っている。
生きている限り、自分たちを取り巻く困難な状況から、逃げ出すことはできっこない。
自分の置かれた状況の中で、自分の力を振り絞って立ち向かうしかない。
せめて、今日よりマシな明日が来ることを信じて。
それを信じることは、現実逃避とは言わないと思うが、どーだろう?
今年よりマシな来年が来ることを信じて、みなさん、よいお年をお迎えください。
読者諸君、今年も一年、辛抱強くお付き合いくださり、どうもありがとう。

2011/12/30

Post #413 30/Dec/2011

『旅立つことが重要である。生きることは重要でない』
アイザック・ディネーセン

かねてから言ってた通り、俺は今日旅に出る。
自分の仕事の決算に欠かせない損益計算書も貸借対照表も今日やっつけた。今年のやるべきことはすべてやり遂げた。心残りは、大掃除をしていないことだけだ。まぁ、イイか。どうせ俺の家だ。誰からも文句は出ないさ。
きっとまた、現実逃避とか言われちまうんだろうな。
けど、言いたいやつには言わせておけばいいのさ。
臨済宗の開祖、臨済の言葉に『随所に主となる』というのがある。
自分自身がしっかりとしていれば、どこに行っても本質を見失うことが無いちゅうくらいの意味だ。
OK、自分自身をしっかりグリップしていれば、どこに行ったって、現実がついて回ることに気が付くだろう。
旅に出て、言葉も満足に通じない見知らぬ土地に行ってみると解るさ。自分の判断だけが頼りなんだ。ルーティンで済むことなど何もないんだぜ。もちろん、俺の旅行にはガイドなんかいないのさ。自分の見たもの、聴いたもの、漂うにおい、方向感覚、記憶、直感、それらだけが頼りなんだ。
どこに行ってもそこには、まだ見ぬ現実が待っているのさ。
いろんな考え方やご意見があるのは承知の上で、きっぱりと言わせてもらえば、この世界に生まれてきて、自分のまわりの小さな世界に閉じこもって、何も知らないままに年老いて死んでいくのは、ゴメンだ。世界には、この堅苦しくて息苦しい日本以外にも、いろんな国がある。楽園なんてないのは分かっているけれど、俺はこの目で見たい。そして、見てきたものをフィルムにおさめて、君たちにも見てもらうだけさ。
Bruxelles
待ってろよ、読者諸君。帰ってきたら、おいおいお見せすることができるだろう。入館でフィルムを没収されなかったらの話しだけどね。
読者諸君、失礼する。俺は今日、飛行機に乗って旅に出るのさ。御機嫌よう。

2011/12/28

Post #411 28/Dec/2011

Paris
この年の瀬のあわただしい時期に、民主党政権が、武器禁輸3原則の緩和を発表した。
日本は、平和憲法を持っているのに、武器輸出ですか。
戦争が終わって、何十年もの間、日本の名のもとに、世界の人々を殺してこなかったことは、誇るべきことだというのに。武器を売りとばして利益を得るのが、国民の意志なのか?
どうせ、兵器を扱ってる財界のお偉いさんからのリクエストにお応えしちゃったんだろう。
あいつらは金の為なら、国民を奴隷のようにこき使って、利益を生み出して恥じることのない奴らだ。海の向こうで、自分たちの作った兵器で、何にも知らない人たちが、貧乏で時代遅れの武器しか持ってないような連中が、バッタバッタとぶっ殺されても、平気の平左さ。なんてたって、奴らのところには、弾は飛んでこないんだからな。
そもそも人道目的に限ってとおっしゃるが、人道目的だろうがなんだろうが、人間を殺戮するための凶器にかわりはないんだろう?それに、一旦外に出てしまったものが、当初の目的以外に使用されないって保証はどこにもないんじゃないのかい?えっ、どうなんだい?
原発でさんざんひどい目に遭ってるのに、その原発を海外に売り込もうという、欺瞞偽善で悪臭ぷんぷんな政策と、どこか相通じてもいるようだ。どーだろう?
民主党が、とんでもない反動保守だということが、よくわかったぜ。
まるで、かつて自衛隊合憲とぺろりと言っちまった旧社会党の村山富一政権みたいだ。
俺はいつだって共産党か社民党に入れてるんだがな。
かといって、自民党がイイわけじゃない。五十歩百歩だ。
この社会で、正義と理想を実現できるのは、政治しかないというのに、いつだって正義は踏みにじられ、理想は脇に追いやられる。それも、当の政治屋さんたち自身によってだ。
俺は、奴らの片棒を担ぐのは、ゴメンだ。
FUCK OFF! だ。
読者諸君、失礼する。久々に俺はムカついているんだ。黙ってなんていられないぜ。

2011/12/26

Post #409 26/Dec/2011

昨日一日中、帳簿をつけたり、年賀状を作ったりしていたら、すっかり目が疲れてしまった。
しかし、今年も年賀状は傑作だ。眼精疲労で頭まで痛くした甲斐があったってもんだ。
窓の外は、雪だ。寒くてやってられないぜ。
Paris
読者諸君、失礼する。

2011/12/25

Post #408 25/Dec/2011

クリスマスは、フランス語でNoȅl。
奇しくも、クリスマスなんか大嫌いだと公言してはばからない、Noel Gallagherのファーストネームと同じ発音だ。
Paris
今年リリースされたCDの中で、俺が最も気に入っているのは、このノエル・ギャラガーのソロ第一作、“Noel Gallagher's High Flying Birds”だ。買ってから、ほぼ毎日のように聞いている。ソロになっても、相変わらずオアシスなのか、オアシスとはそもそも、ノエルのことだったのかと言いたくなるほど。ロックミュージシャンになって成功するっていう、イギリスのロック少年の夢をそのまま体現したようなノエル・ギャラガー。その音楽には、イギリスの50年以上に及ぶロックの歴史が蓄積していることを感じるんだ。
読者諸君、メリークリスマス。

2011/12/24

Post #407 24/Dec/2011

今日はクリスマスイブだ。しかし、うちは長年仏教徒だからってことで、毎年このイベントはスルーなのさ。
Paris
俺は、バリバリの浄土真宗なのさ。なんてったって、善人よりも悪人のほうが救われやすいってんだから、たまらないぜ。

2011/12/23

Post #406 23/Dec/2011

今日も今日とて、気の合う野郎どもとひと仕事片付け、その後で一年の感謝をこめて、ささやかに焼肉を食いまくる。うむ、これまた痛風が心配になってくるってもんだ。
Paris

2011/12/22

Post #405 22/Dec/2011

結局、客先の忘年会に出席し、笑い転げて、頭の血管が切れるかと思った。しこたまビールを飲んだからな、痛風の発作が心配だ。人生黒ひげ危機一発だ。
Bruxelles

2011/12/13

Post #396 投稿に対する批判

本日の投稿に対して、次のような批判的なコメントをお寄せいただきました。
一度は、スパムとして処理したのですが、改めて、以下に全文掲載させて頂き、反省の材料としたいと考えております。

『旅→ただの現実逃避
 くだらない仕事→そう思うならさっさと辞めてしまえ
そこで働いてる人にたいする冒涜だ
忘年会→これは一番大事な行事だ 社会人なら100%はずせない


 総括
あなた終わってるよ
ブログでさんざん俺のこと叩いておきながら
失礼 無礼きわまりない
以上』

本当はこの後に、コメントを下さった方の会社名とお名前が入っていたのですが、あまりに忍びないので、削除したうえで掲載させて頂きました。
もちろん、会社名と実名を入れていただいているというのは、実生活の上でも、事実上の絶縁宣言であると、重く受け止めております。

いろんな考え方があるのは承知しておりますが、未だかつて、これほどの批判にさらされたことはなかったかと思います。
これに関して、逐一反論することは可能ですが、それはこの方のお怒りを和らげることにはならないでしょうから、一切反論することなく、この批判を甘受することと致します。

おそらくこちらの方は、終わってる人間のブログには、もうおいでになることもないとは思いますが、ご不快な思いをさせてしまいましたことを、心より陳謝いたします。

自分自身にも至らないところがあり、熟慮の上勢いに任せて書き飛ばしている日々のブログで、不快感を感じて見える方も、明らかにおいでになるということを再認識させて頂きました。ご指導ご鞭撻、有難く頂戴いたします。

最後に、この方は、仕事上のお付き合いもある方ですし、よい友人だと考えておりましたので、重ね重ね残念です。

Post #395 13/Dec/2011

注文していたフィルムが届いたと、行きつけのカメラ屋さんから連絡が入った。KodakのTX-400だ。モノクロ写真はやはりこれでなければね。本当はイルフォードでもフジでも、モノクロフィルムならなんでもイイんだけれど、あの黄色いパッケージ、そして今日まで、実に多くの名作傑作が、このトライXで撮影されてきたってことを思うと、こいつがしこたまなければ、何も始まらないと思うのさ。そう、ぐっとやる気が出るのさ。
そそくさと仕事を終えると、さっさとスーツを脱ぎ捨てて、銀行に向かい、真新しい札を引き出しては、マネークリップに挟み、無造作にポケットにねじ込む。財布なんて野暮ったいもんは持っちゃいないさ。以前、バルセロナの地下鉄で、スリに財布を盗まれてから、小銭は小銭入れ、札はマネークリップ、カードは名刺入れと、分散している俺なのさ。そう、リスク管理という奴だ。しかし、そんなことは今はイイ。車のアクセルを踏み、まっすぐカメラ屋に向かうのさ。
カメラ屋で支払いを済ませて、フィルムを受け取ると、まとまった本数のフィルムは、結構かさばるもんだと改めて実感したぜ。今時のデジカメならば、SDカードが1枚か2枚あれば充分なんだろう。便利なもんだ。結構なこった。しかし、俺は自分の流儀を貫くんだ。セバスチャン・サルガド大先生も、デジタルカメラは、せっかく撮った写真が、万が一の操作ミスですべて消えてしまう恐れがあるから使いたくないって言っていたのを、どこかで読んだ記憶がある。
そう、フィルムカメラこそ、写真の保守本流なのさ。正統派なのさ。
さっそく、家に持ち帰り、今回のために先日買っておいたNORTH FACEのメッセンジャーバックの中に入れてみた。ぴったりだ。この中には既に、コンタックスTVSが一台、飛行機のEチケットや、ホテルのバウチャー、パスポート、それに以前アムステルダムで買ったステッドラーの油性ペンも入っている。フィルムのパトローネに、日付を入れるのに、油性ペンは必需品なんだ。
そう、もういつだって出撃可能なんだ。あとは、愛用のサムソナイトに着替えを詰め込めば、何時だって旅に出ることができるんだ。なんてったって、俺は旅慣れているからな。旅の準備はいつだってあっという間に完了だ。本当に必要なモノさえあれば、何時でもOKなんだ。俺の場合は、カメラとフィルムとパスポート。そして、ほんの少しの金くらいさ。これだけあれば、世界中どこにだって行けるさ。
カメラバックなんて肩の凝るものは、今回は持っていかないぜ。なにしろ、今回の行先はモロッコだ。モロッコにはカメラは一人2台しか持ち込めないんだ。前にも書いた通り、俺はデカい一眼レフなんか持っていく気はないんだ。使い方ももう忘れちまったくらいだ。小さなコンパクトカメラを2台持っていくだけだ。レンズ交換なんてまどろっこしいことはしないぜ。そんなことしてる間に、シャッターチャンスは過ぎ去ってしまい、二度とふたたび廻っちゃ来ないんだ。どんな強打者だって、ボールがキャッチャーミットに収まってから、バットをどれだけスイングしてみたところで、空振ることしか出来やしないのさ。そうさ、大きく撮りたきゃ走って近づき、広く撮りたきゃバックするのさ。気持ちのズームって奴だ。そういや、天才アラーキーもそんなこと言ってたっけ。
だから、手荷物はメッセンジャーバック一つっきりさ。なかには、フィルムがみっしりぶち込まれてる。どうだい、旅慣れてる感じがむんむんするだろう。俺は時代に逆行することで、前に進むのさ。
Paris
いいかい諸君、俺は毎日の退屈な仕事にうんざりしてるんだ。せめて、濡れ手に粟の勢いでどっかんどっかん儲かるんなら、我慢もできるってもんだが、残念ながら人生はそんなに甘くはないんだ。社会の底辺から少し上くらいで、落穂ひろいの様につましく稼いでいくしかないのさ。
だからこそ、俺はさっさと旅の準備を済ましちまったんだ。あとは旅立つだけだ。何時でもGo!だ。まさにスタンバイOKだ。待ってろよ、もう少しの辛抱だ。今年はくだらない忘年会はお断りしよう。旅の軍資金が目減りしちまうぜ。どうせ、むさくるしい男どもが、酒の勢いでやたらと気勢を上げてるだけの虚しいものさ。年末年始の親戚の集まりも、日本にいないからぶっちぎりだ。お年玉をバラまかなくて済むってもんだ。
そう、なんと言っても今度の旅はモロッコだ。マラケッシュだ、フェズだ、カサブランカだ。アフリカ大陸だ。俺は遠足を控えた子供のようにウキウキしてるんだ。お菓子の代わりにしこたまフィルムを詰め込んで、俺は旅に出るのさ。君たちに、素敵な写真を見せびらかしてやりたいんだ。
読者諸君、失礼する。もういくつ寝ると、お正月さ。俺の新年は、君達より9時間ほど遅れて、遠い北アフリカはモロッコで迎えることになるだろう。まったく待ち切れないぜ。

2011/12/12

Post #394 12/Dec/2011

朝、起きて開口一番、今日は何して遊ぼうかななんて、子供から学校をとったようなことを口にしながら、結局、これということもせず、一日が無為に終わってしまった。まるで、冬眠するケモノのように、いくらでも眠ることができるのさ。
久しぶりに知り合いの女性から連絡があって、このしょうもないブログを読んでくれているっていうんだ。ブログを読んでくれているのもうれしいが、女性から連絡があるってのが、これまた何って訳じゃないけれど、心がときめく男の性さ。
ありがとう、Yさん。懐かしい君の為にも、オジサン頑張っちゃうぜ。
Paris
本日、暇潰しに近所の本屋に行き、スーザン・ソンタグの歴史的名著『写真論』(近藤耕人訳 晶文社刊)を購入。まだ一章読んだだけなんだけど、写真についての考察が、恐ろしく深い。一章よんだだけでも、写真に関して、さまざまな考察が行われている。もちろん、誰か特定の写真家の撮った写真に対する評論ではない。いわゆる写真全般に関する論が展開されているんだが、なるほど、これは『写真とは何か』についての記念碑的な書物だと納得したぜ。
そこでいつものように、引用してみよう。
『・・・(前略)・・・、写真をとる行為にはなにか略奪的なものがある。人びとを撮影するということは、彼らを自分では決して見ることがないふうに見ることによって、また自分では決して持つことのない知識を彼らについてもつことによって、彼らを犯すことである。それは人々を象徴的に所有できるような対象物に変えてしまう。ちょうどカメラが銃の昇華であるのと同じで、だれかを撮影することは昇華された殺人、悲しげでおびえた時代にはふさわしい、ソフトな殺人なのである。・・・(以下略)』
ふむ、なるほどね。この事自体は、俺も自分で常日頃から意識していたことなんだけどね。その感覚は、写真を撮ることの持つ、ある種のうしろめたさに裏打ちされている。
俺が写真を撮って歩いていると、オマワリによく職務質問されたり、時には自分が写されたと思いこんだ女性や黒人男性から、抗議されたりする原因の根源は、どうやらこのあたりにありそうだ。だとしたら、それで生計を立てているかどうかにかかわらず、警察によって職務質問されたり、被写体とされたと感じた人々から抗議されることによって、俺は本当にフォトグラファー=カメラを持った略奪者だと周囲から認知されたってことにならないかい?イイね、調子にのっちゃうよ。

そう、カメラを持ったソフトな殺人者。それが俺なのさ。

しかし、その一方で写真によって、消え去りゆく景色やいずれは死にゆく定めの人々を、無情な忘却と、無差別な破壊から、救っているようにも感じているんだけれど。

そう、カメラを持った無力な救済者。それが私です。

読者諸君、そろそろ眠くなってきた。失礼させてもらうぜ。殺人者だろうが、救済者だろうが、どっちだってかまやしないさ。俺が写真を撮り続けることに、何の変りもないんだからな。
では御機嫌よう。また会おう。

2011/12/11

Post #393 11/Dec/2011

本日、プリント22枚。やっとブリュッセルが終わり、すでに仕上げていたパリにつながった。
12月はもっとヒマを持て余して、毎日のようにプリントしてるはずだったのに・・・。なかなか小忙しくてね、プリントすることができないんだ。
Bruxelles
まだ、去年のトルコの写真だって残ってるし、去年の秋に出張で大阪に行っていた時の写真だってまだだ。当然のように、この秋に東京に出張していた時の写真もまだ一枚も手を付けちゃいない。
デジタルが手軽なのはわかってるんですがね、俺はモノクロ自家プリント以外は、あまり興味が無いんだ。悪いねぇ。
読者諸君、失礼する。冬場のプリントは、特にプリントの最終工程である冷水での水洗が、気が乗らないというか、堪えますね、身体に。

2011/12/10

Post #392 10/Dec/2011

健康診断に行ってきた。ウェストは6センチ太くなって76センチ。去年がやつれ果てていたのだ。視力が下がっていた。0.6と0.7だ。おまけに老眼+1で、なおかつ乱視だ。まったく何でも来いだ。
きっとパソコンのやり過ぎだろう。もっとずばりと言えば、ブログの書き過ぎだ。
仕方ない。そのうちイカしたメガネでも選んでみることにしよう。写真に差し障りが出るのは困るからな。どうにも最近、女の子がべっぴんさんかどうか、目を凝らさないと判別できなくなってきたんだ。これは実に大きな問題なんだ。写真には、イイ目が欠かせないからな。それに何より俺はセンスのイイ、おしれな女の子を眺めるのが、何より好きなんだ。俺は女性こそ、神様のお造りになられた最高に美しいものだと確信している。それに比べて、男はなんだ、こう言っちゃなんだが、残り物でテキトーに捏ね上げたんじゃないかって思えてくるぜ。
Bruxelles
俺はまだまだ写真を撮って楽しんでいたいからな。
というか、他にそれほど楽しいと思えることもない。少し大げさに言えば、世界そのものに向き合い、その断片をフィルムにおさめていると、そしてカットを選び、プリントしていると、自分自身が世界の一部分だとわかる気がする。
面白いことは、細部に宿る。その面白さを見い出すためには、いい目が必要だろう。
今日の写真も、俺は結構面白がって撮ったんだ。なかなかにユーモラスだ。しかも、少し品がない。君にもそんなユーモアを共有してもらえるとイイんだが・・・。俺は笑うことも結構好きなんだ。むしろどっかんどっかんと君たちを笑わせてみたいんだ。それが無理でも、せめてニヤリとさせてみたいんだ。
ユーモアが大切だ。僕らの間にはね。この暗いニュースばかりの世の中には。
そのためにも、目を大切にしないとね。何といっても、写真は目が命なのさ。だから、ブログにしょうもないことばかり書き散らしては、自己満足していてはいけない。風呂に入って眠るとするぜ。
そんなわけで読者諸君、失礼する。寒くてどうにもいけないぜ。

2011/12/09

Post #391 09/Dec/2011

Bruxelles
彼女は、恋人が地下鉄に乗って帰ってくるのを待っていたんだ。
読者諸君、失礼する。今日は健康診断なんだ。

2011/12/08

Post #390 08/Dec/2011

70年前の今日、日本はアメリカと戦争をはじめた。
無謀な戦争だったにもかかわらず、国民は熱狂的に支持した。あの無頼派太宰治ですら、その日のことを緊張した筆致で記している。
おかげさんで、日本人だけで300万人の人間が死ぬことになった訳だ。
平和ボケで結構だと思うぜ。
お国のためにとか言って、人殺しになったり、ぶっ殺されたりするのはゴメンだ。
だからいつも、世間の皆さんが熱くなってるようなことには、どうしても胡散臭いものを感じるんだ。
一歩引いて、自分の頭で考えるようにしてるんだ。自分のことにはすぐ熱くなっちまうんだけどね。
Bruxelles
しかし、今にして思えば、つくづく馬鹿なことをしたもんだ。
せめて俺達は憲法9条を大切にしなけりゃな。死んでいった皆さんに、顔向けできないぜ。
読者諸君、失礼する。

2011/12/07

Post #389 07/Dec/2011

俺はほとんどTVは見ないんだけれど、NHKのニュースくらいは見てるんだ。
しかし、ビックニュースで始まるときは、大抵酷いことが世の中で起こっている。
そうじゃない時には、取るに足らない、どうでもいいようなくだらないニュース。
Bruxelles
出口の見えない不況に、言葉すら失うような災害。
目を覆うような犯罪に、愚かしい政治家たちの振る舞い。
ギャンブルのような資本の流れに翻弄される人々と、世界に今日も降り注ぐ放射能。
取り返しのつかない環境破壊と、消耗品の様に扱われる労働者たち。
終わることのないテロと、報道されない戦争。

世界のどこかで、今日も幼い命が、虫けらのように失われている。
医学の進歩によって死ぬことすら許されない老人たちが、虚しく天井を眺めている。
そして、彼らの命をつなぐために、税金は上がり続け、国の借金は増え続けていく。
若者は何に希望を見い出したらいいんだろうか?
名もない絶望者が自らの人生の幕を降ろす時、電車停まり、疲れ切った人々は家路を辿ることすらできない。

俺たちを取り巻く世界は、何時からか、とんでもない悪意に満ちているようだ。
酷いニュースも、くだらないニュースももう見たくないってのが、正直な気分だ。

しかし、チャンネルを変えて、バカげたバラエティー番組を見る気にもならないぜ。
上っ面の馬鹿笑いでは、俺たちの上にタレこめる雲を払うことなんて出来ないんだ。
それとも、俺たちがそんなに間抜けで単細胞だと、奴らはタカをくくってやがるのか?

TVのスイッチを切ったところで、それらの不幸や災厄が、この世界から消えるわけでもない。
何故なら、そのほとんどは、俺たち人間自身の問題だから。
だから、目を背けるわけにもいかない。

明るいニュースが欲しいんだ。穏やかで明るい暮らしがしたいんだ。
世界を悪くすることも、よくすることも、俺達一人一人の人間にかかってるんだから。
だから、目を背けるわけにはいかない。

読者諸君、失礼する。今日よりマシな明日が来ることを、俺は願ってる。

2011/12/06

Post #388 06/Dec/2011

Bruxelles
病院送りになっていた愛機・CONTAX T3が戻ってきた。およそ一か月ぶりだ。
その代りに、一葉さんと諭吉さんが、俺のもとから旅立っていった。まったく、この世の中は、すべからく等価交換だ。
出来ることなら、カメラにも健康保険があって欲しいものだ。今回の様に何かあると、俺の懐は大いに痛み、そのショックで俺自身が病院送りになりかねん。うむ、やはりカメラは、とりわけ今はもう製造されていないフィルムカメラは、大切に労わりながら、ガンガン酷使してやらなけりゃいけないってことだ。一見、相反するようだが、カメラは使わなければ意味がない。どんな銘レンズも、磨いてあるだけでは意味がないんだ。酷使されてこそ、カメラも本望ってもんだろう。使われないカメラなんて、弦の無いギターのようなもんさ。
読者諸君、失礼する。また会おう。

2011/12/05

Post #387 05/Dec/2011

Bruxelles
昨夜遅く、中平卓馬の写真集“ADIEU A X”を見ていた。『あばよ、X』といった意味だ。
巻末に中平自身の手による『撮影行為の自己変革に関して』という一文が載っている。これを読むのが好きだ。ご存じの方も多いかと思うが、70年代末、中平は昏倒し、記憶喪失に陥った。一時は日本語も忘れてしまったほどであった。中平の華麗な文体は失われてしまった。この文章は、それ以降のものではあるが、写真に関して、根源的な事を語ってなお余りある。
どの部分も考えさせられるが、試みに一文を引用してみよう。
『私、毎夕刻からフィルムを現像し上げ、水洗し、乾燥し上ったフィルムを凝視し、選出し、それから作品を造り上げています。私、それらの作品を見直してみると、とても変わった、奇妙な精神的ショックさえ、感じ続けています。だが、私、そのこと自体を考え始めると、写真と言うものは、他のほとんど全てとは異なり、写真は、写真だけの、独特な、奇妙な力を持っていることに気づきました。写真作品、またその前の撮影行為とは、この社会、諸姿の模写で在るにすぎないのだ。しかし、それを端的にやって行くことによって、この社会をあらわにさせることが、可能なのだ。その一点に、私も意欲的に参加することを決めている、のです』(河出書房新社 ADIEU A X より)
中平卓馬の決意に倣いたいものです。
世界の断片たる映像を拾い集め、集積させることで、この社会そのものを現すことができたなら・・・。この世界を再構成することができたなら・・・。
それは、私自身の見果てぬ夢でもあります。
読者諸君、失礼する。

2011/12/04

Post #386 04/Dec/2011

久々に美容院に行き、髪を切る。とはいえ相変わらずのモジャモジャ頭さ。
帰り道、白戸三平のカムイ外伝を2冊、コンビニで買い求め、一挙読了。
抜け忍のカムイが、執拗に迫りくる追手と死闘を繰り広げながら、あての無い旅を続けるカムイ外伝を読むと、かつて若い頃、ある組織を抜け、必死の思いで逃亡したあの寒い朝を思い出すのだ。
追手との遭遇に怯えて、ネズミのように引き籠っていた、辛い日々を思い出すのだ。
そして何時しか、もしも組織の追手と遭遇したならば、殺られる前に殺ると腹を括った日のことを、仕留められなくても、必ず相打ちにしてやると、暗い覚悟を決めた日のことを思い出して、切なくなるのだ。
それまで信じていたモノをかなぐり捨て、それまで仲間と思っていた者達を、自分の命を狙う敵と定めた若い日を思い出すのだ。
あの日以来、俺はどんな組織も信用してはいない。
そう、小は零細企業から、大は国家まで一切信用しない。何故なら、組織というものは、組織自身を維持するために、個々の人間のささやかな幸せや夢や自由を踏みにじることなど、何とも思っちゃいないからだ。組織に属していた頃、俺はある意味で、あらゆる価値観が転倒した、狂った世界で生きていたのだ。
Bruxelles
あれから、随分と月日が経った。
幸い、俺はカムイの様に、独りあてもなく彷徨うこともなかった。命を狙う追手に遭遇することもなかった。おかげで、決して裕福ではないが、ささやかながらも平穏な暮らしを続けている。
こんな事を書いても、読者諸君には解からないだろうが、あの頃のことを思うと、正直言って今の平穏な暮らしが幻のように感じる。
いつか、その気になったなら、書く事もあるだろう。しかし、書いたところで誰も信じてはくれないだろうな。我ながらなかなかに面白い人生を送ってきたものさ。
読者諸君、失礼する。
俺のことをマンガの読み過ぎだと思ってくれても、構わないぜ。
けれど、せめて君たちだけには、信じて欲しいもんだな。

2011/12/03

Post #385 03/Dec/2011

Bruxelles
最近、俺はお喋りにうんざりしているんだ。
キース・リチャーズのソロアルバムにも“Talk Is Cheap”ってのが、あったけな。
Ok、つまりは沈黙は金だ。饒舌は銀だ。
俺の落とした斧は、金の斧か、銀の斧か。よく考えてみようじゃないか。
読者諸君、よい週末を送ってくれ給え。失礼する。

2011/12/02

Post #384 02/Dec/2011

Bruxelles
トレンチコートは、第一次世界大戦の際に、塹壕、つまりトレンチで闘うために考案されました。
ベルギーは、フランスとドイツの激突する激戦地で国中に塹壕が張り巡らされて、戦車が、毒ガスが、戦闘機が、人類史上初めて投入されました。
その戦没者を悼む戦没者記念塔です。我が国のサラリーマンのおじさんの着こなしとは、ずいぶん違うものだなぁと、感心してます。やっぱり、トレンチコートはキリリと着こなして欲しいものです。
あぁ、アクアスキュータムとかグレンフェルなんかの、上等なトレンチコートが欲しいもんです。キリリとベルトを締めて、ミリタリーな雰囲気をムンムン漂わせたいもんだ。
読者諸君、ご機嫌よう。失礼する。

2011/12/01

Post #383 01/Dec/2011

Bruxelles
あの時、猫は窓の中からじっと俺を見ていたんだ。
読者諸君、失礼する。

2011/11/30

Post #382 30/Nov/2011

Bruxelles
最近、荒木経惟氏の写真集を見直しているんだけれど、やっぱりアラーキーは天才というほかないもんだと、再認識している。
昔、ロックを題材にしたある映画の中で、『あなたにとってロックンロールとは何か』と訊ねられた登場人物が、『ロックンロールが何であるか、誰にもわからない。ピート・タウンゼント以外にはな』というセリフを語っていた。
もしもいま、誰かから『あなたにとって写真とは何か』と訊ねられたなら、俺はきっとこう答えるだろうと思ってるんだ。
『写真が何であるかは誰にもわからない。荒木経惟以外にはな』
しかし、そんな気の利いた事、誰も俺に訊ねやしないさ。原価だの利益だの経費だの工程だの、ロマンのないことばかりさ。そう、うんざりするような退屈な話ばかりだ。
まったく、うんざりするような一日だった。
明日もきっとロマンのかけらもなく、うんざりすることだろう。
俺は未だ見ぬ自分の写真を心に描く。
こんな不毛な仕事なんかしてるよりも、プリントしている方がなんぼもましだ。
読者諸君、失礼する。

2011/11/28

Post #380 28/Nov/2011

昨晩は、夜中の1時よりプリント再開。
24カット仕上げて、気が付けば朝6時過ぎ。あと、フィルム一本でブリュッセルの写真に片が付く。次の旅行までに、前の旅行の分はけりをつけておきたいもんだが、あとまだヘルシンキが残っているんだ。
Paris
いささか眠いが、いつまでもダラダラしている訳にもいかないな。行動開始だ。
読者諸君、失礼する。

2011/11/27

Post #379 27/Nov/2011

本日、日中プリント。25カット。
しばらく休んで、また続ける予定。
Bruxelles
読者諸君、失礼いたす。

2011/11/26

Post #378 If You Want My Prints, Call Me Right Now!

昨日の夜遅く、友人からメールが来た。以前にもご紹介した友人、名古屋は栄のタイ料理屋ジャイサンマーのマスターM君である。以前俺は、M君に請われるままに、写真を何枚か差し上げたことがある。確か、ひっくり返って寝てる浮浪者のオヤジの写真とかだったはずだ。それを部屋に飾ってくれているらしい。我が友人ながら、凄まじいセンスだ。脱帽する。
生憎俺は昨日、ひっくり返って眠っていたので、今朝になってから電話をしてみた。すると、どうやらまた写真を頂きたいとのこと。しかも、彼の強烈なセンスが炸裂しておる。よりにもよって、大阪の路地裏で座り込んでガンを飛ばしまくってる、危なそうな若い衆の写真をご所望ときた。よりによって、あれか・・・。相変わらず、凄いセンスだ。
しかも今回は、M君の彼女も写真を欲しいということだ。幸いなことに、こちらはもっと妥当穏健なリクエストだ。アムステルダムで場所の前に佇んでいるお子様の写真とか、バラ一輪がモルタルの壁の前に写っているのとか、ブリュッセルの教会のステンドグラスとか、まぁ、絵になるものばかりだ。ほっとするぜ。
とはいえ、M君のリクエストのほうが、俺としては面白いし、俺の写真の本質に迫ってるように思うのだが、致し方ないな、俺は女性には優しいのだ。残念ながら、男性にはあまり優しくないという評判だが、頑張ってリクエストにお応えすることにしよう。女性の喜ぶ顔を見るのは、世界で一番心躍るものさ。
Bruxelles
さて、前回は面倒臭かったんで、スキャンデータからプリンターで印刷してみたんだが、あれは実は納得がいかなかったんだ。何がって?そう、それは切実な問題なんだ。黒が黒にならないんだよ。気にするのは俺だけかもしれないが、黒が黒じゃないってのは、モノクロ写真として致命的だ。
何だか赤味がかったというか、紫が混じったような、微妙な黒になっちまうんだよ。M君はそんなんでも結構喜んでくれてたんだが、俺はまったく納得行かなかった。モノクロで、黒が黒で出ないなんて、満足いかないぜ。納得しないぜ。黒の締りが悪い写真は、嫌いなんだ。何事においても締りはイイに限るぜ。
仕方ない、今回はアレだ、全部真面目に印画紙にプリントするとするか。調子にのって、枠か裏にサインとか入れておくかな。いつか俺がユーメイになった時、ひょっとしたら、思わぬ小遣いになるかもしれないだろう?
とはいえ、まったく同じものは決してできないのが、アナログ写真の味わいだ。特に俺は、露光時間なんかのデータは一切遺しちゃいないんだ。やったらやりきり、感覚任せ。いいか悪いかを決めるのは、唯俺自身の感性。だから、その時の気分と状況次第で、ずいぶん変わる。そういうもんさ。
同じものがイイってんだったら、どうぞ、デジタルデータで。個人でお楽しみいただく分には、一向に差し支えませんぜ。PCやケータイの壁紙だろうが、どうぞお好きに。
しかし、しかしですよ読者諸君、俺の写真の欲しいという奇特な人が、M君たち以外にも、もしもいるというのなら、遠慮せずに申し出てくれたまえ。基本は六切り、つまり8’×10’(約20㎝×25㎝)だ。これぐらいの大きさが一番プリントしやすいんだ。俺はRCペーパーを使ってるから、表面は少しツルツルテカテカしているんだが、たまらんもんだぜ、生の印画紙の粒子とか、黒の締りとかは。他から見たら、まぁ、フェチとかの部類だろうよ。
どっか上の方に俺のメールアドレスも出ているだろうし、それが見つからなかったら、コメントに入れてくれればいいぜ。細かいことは、応相談でよろしく。まぁ、どうせ俺は程よくヒマ人だからな。

さてそんな事情もあって、今日はプリントする気満々だったのだが、急に仕事のオファーが入って、打合せに行くことになってですね、帰ってきたときにはなんだか時間が中途半端だったんで、あっさり諦めた。人間、諦めが肝心だ。そして、やることをやってると、ホントに仕事がネギ背負ってやってくるもんだなと実感。これがもっとドバドバ儲かる仕事だったら文句なしだが、如何せん、安仕事だ。仕方ない、薄利多売で奮闘努力するとするか・・・。
蛇足ながら、明日からうちの連れ合いは同僚と一緒に2泊3日で台湾旅行ときたもんだ。結構なことだ。俺も台湾に行って、写真を撮ったり飲茶を楽しんだりしたいもんだがな。
畜生、こうなったら明日はせいぜい朝から晩まで次の朝まで、うんざりするほどプリントさせてもらおうか。みっちり髪や指に薬品の臭いが染み込むほどに。こんなチャンスはまたとない。誰にも邪魔はさせないぜ。
読者諸君、失礼する。明日は早起きして連れ合いを送って行かなきゃならないんだ。

2011/11/25

Post #377 Do It Myself でテキトーに行くのさ

はやいもんだ、11月も終わりに差し掛かっている。一年がたつのは、あっという間だ。年が明けると、何と驚いたことに、俺も43歳だ。冗談じゃない。坂道を転げ落ちるような勢いだ。こんな調子じゃ、あっという間にジジイになっちまうというもんだ。その頃には、間違いなく、年金はもらえないだろうけどな。
そして、11月末は俺の仕事の決算なんだ。
今日もお暇だったんで、プリントでもしようと思っていたんだが、決算のことが頭にこびりついて、何も手につかない。仕方ないから、帳簿を整理して、決算準備表でも作ってみることにしたんだ。不安材料があると、クリエーティブなことはできんもんですわ。そうさ、俺は君たちが思っている以上に、繊細な男なんだ。しかも、フツーなら税理士にお願いするのが定石だろうが、俺のような零細ビジネスでは、高い金出して税理士にお願いするような余裕はない。従って、いつも言ってるように、セックス・ピストルズ直伝のDo It Myself 精神でこの難局を乗り切るしかないわけだ。
訳なんだが、これが結構大変なんだ。俺には向いていない。
去年はそれでひどい目に遭った。何度やってもその都度出てくる数字が違う。そう、いつも計算が合わないんだよ。俺にはつくづく、向いてない仕事だと実感するぜ。しかも、年末調整もやらなけりゃならないんだぜ。たまらないぜ。仕方ない、税務署さんだけは誤魔化してスルー出来る程度に、テキトーに、そう、テキトーに行かせてもらおう。どうせ仕事は暇なんだ。じっくりとテキトーにやっていくさ。これも人生勉強ってもんさ。
Tokyo
俺はつくづく、死んだ母方のおじいさんが生きていればよかったと思わずにはいられないんだ。おじいさんは、税理士だったからね。仕方ない、青森方面に出向いて、絶滅寸前のイタコさんにお願いして、死んだおじいさんを呼び出してもらうとするか。いや、そこまで行くくらいなら、素直に税理士お願いしたほうが安く済むんじゃないか?
そもそも、青森に行ったからってイタコのオバァに遭えるとも思えん。まだ西表島に行ってイリオモテヤマネコに出会う確率の方が高いことだろう。近年、イタコさんはすっかり減ったという話を聞いたことがある。眼が見えないからといって、イタコなんて特殊な職業以外に選択肢がないような前近代的な時代ではないんだ。マッサージとか鍼灸按摩だとか、いろいろとあるようだ。盲学校だってもうけられている。こうして新規参入がなければ、当然高齢化が進んでいたイタコ業界は衰退の一途だ。少子高齢化社会の縮図を見ているようだ。
俺の話しは、いつだって脱線する。それが魅力だと俺は思ってるんだがね。えっ、そうじゃないのかい?読者が増えないのは、このせいだったのか?仕方ない、今更方向性は変えられないなぁ。なんせ、40年以上このノリでやってきたんだ。車だったら、とうに廃車だ。俺の頭の中の、ジャングルのような知性(あぁ、痴性かもしれんなぁ)を、君にも見せてあげたいもんだ。そう、役に立たない無駄知識でいっぱいの、この頭の中を。
ひとつわかったことがあるんだ。
今年度は、少なくとも赤字じゃないってことだ。いくら上りが出たかは、君には教えられないけどね。いやいや、大丈夫、そんなにガッツリとは儲かっちゃいないさ。微々たるもんだ。小商いだ。零細自転車操業だ。小さく生んで大きく育てるつもりもない。俺はジョブスや孫さんには、全く及ばんケチな野郎なのだ。
仕方ない、俺の感覚じゃ、写真こそが自分の本来やるべきことで、仕事はそれを支えていくための方便だって思ってるんだから。本末転倒だって?望むところさ。人間、クソ仕事には命なんてかけられないし、出来ることなら金もかけたくないもんだが、道楽には金も命もかけてしまうってのが人間の本性だと俺は思っているんだからね。そんな奴ばかりじゃないって、ふむ、それはつまらない奴だな。仕事なんて所詮、定年を迎えるまでの腰掛に過ぎないんだがな。道楽こそ、人生を貫いて打ち込むべきものだと、ジジイになってから気がついても遅いのさ。
親愛なる読者諸君、失礼する。そうは言っても、金儲けの道は険しいもんだな。やれやれ・・・。

2011/11/24

Post #376 この国はどーなってるんだ?

やっと眠りから覚めた気分だ。ジャンジャンバリバリ帳簿をつけ、請求書を作り、伝票を作りまくっている。すごい勢いだ。次の仕事は決まっていないというのに、そんなに一生懸命やっても仕方ないだろう。しかし、やるべきことをやっておかないと道は開けない。じたばたせずに、やることをやってれば、仕事は向こうからやってくると、信じたいもんだなぁ。
伝票を付けていたら、とんでもないことに気が付いた。
10月から、年金額が上がっていた。受給額じゃない。俺はそんな年寄りじゃない。徴収額だ。じりじりと値上げされているんだ。クソッ!ただでさえ実入りは少ないってのに、なんてこった。俺が独立してから、一体何回目だ。タバコの値上げよりも頻繁だ。ふざけんな!
こんなに真面目に年金を払っていても、どうせ俺達はもらえないんだ。死ぬまで空き缶を拾い集めて生き延びるしかないのさ。年金なんかよりも、生活保護のほうがたくさんもらえるんじゃないか?
俺達現役世代は、搾り取られまくっている。ケツの毛まで抜かれちまうんだ。景気が良くなるわけがないぜ。
その一方で、年金の受給開始年齢を引き上げようって、役人どもは考えている。60歳で定年になったあと、わずかばかりの年金を頂戴するまで、乞食でもしてろってのかよ!貯蓄だと?給料をたくさんもらってる奴は、貯蓄もできようが、そんなことばっかりあてにしてるから、一向に経済は好転していかないんだ。
Bruxelles
俺の暮らしはもちろん、働けど働けど、わが暮らし、楽にならず、じっと手を見るだ。うちのカミさんに言わせると、俺は一生喰う分には困らないという結構な星のもとに生まれているらしいんだが、手相はどうなってる?空き缶拾いする相とか出ていないかい?今だって金がなくて、鳩のようにキュウキュウ言ってるんだぜ。そんな有様の俺に貯蓄なんて出来るわけないだろう?
冗談じゃない。きっと俺はけち臭い年金をもらう前に、あっさりと死んじまうんだろうよ。クソっ!
だいたい役人や政治家どもは、結構な給料をもらってやがるから、多少年金の徴収額が上がったところで、まったく苦にもならないんだろうが、その日その日をなんとかサバイブしてる俺達社会の底辺組には、この年金の値上げはボディーブローのように効いてくる。半端ない額だ。
一体この国は、どーなっちまうんだ?政治家も頼りにならない奴らばかりで、役人は庶民の感覚なんかこれっぽちも分かっちゃいない。まるでマリーアントワネットだ。パンがなければケーキを食べればイイじゃないのだ。昔は、貧乏人は麦を食えと言ったもんだが、今じゃ麦飯のほうが高い。安いタイ米でも食うしかないのか。
うむむ・・・、読者諸君よ、一体どうしたものかね。俺達は泣き寝入りしてケツの毛まで大人しくむしられるしかないのか?経済は世界第3位だが、借金は世界一なんだぜ、この国は。
いやぁ~、スェーデンにでも亡命したくなってくるぜ、まったく。よし、スェーデン語の勉強でもしておくかな。ちなみにおはようはグッモーロンだそうだ。

2011/11/23

Post #375 俺は燃え尽きちまったのか?

どうにもなにもやる気がしない。
本当は帳簿をつけたり、見積もりを作ったりしなきゃならないはずなんだが、どうにも何もやる気にならない。燃え尽き症候群か?まぁ、一時期三つも四つも舞い込んできていた次の仕事の話しも、いつの間にか有耶無耶になってしまっている。焦って何かをやらなけりゃならないわけじゃない。
それならそれで、プリントでもすればいいじゃないかとも思うが、まぁ、正直言ってなんだか今日はイマイチやる気にならなかったってことだ。
ダメだ。いい年こいてこれでは、中年ニート状態だ。とても勤労感謝の日だから休んでいますって雰囲気ではない。次の仕事有耶無耶ってことは、俺のようなフリーランスの人間にとっちゃ、失業しているのとかわりはないからな。顧客回りとかして、仕事をゲットしたりしないとマズイ。しかし、今日は勤労感謝の日だ。祝日だ。こんな日に顧客回りなんかしたって、どこの事務所もカラッポだろうよ!
そんなわけで結局、今日も俺は友人を呼んで、おっさん二人で俺の作ったスパゲティを喰らい、マンガの話しなんかしてダラダラしていただけなんだ。それはそれで、子供から学校と宿題を取り除いたような楽しい時間なんだが、人間これだけでは脳細胞が萎縮してしまうんじゃないかと、心配になってくるぜ。
Bruxelles
うむ、これはこれで困ったものだ。しかし、やる気が起きないからって、無理やり何かするのは失敗や怪我のもとだ。ご都合主義的に考えれば、やる気が起きない時は何もせずに、マンガを読んだり、写真集でも見ながらゴロゴロしているに限るというもんだ。ここ最近、休みなく走り続けてきたからな、そんな時間を持つことも、精神と肉体のバランスを整えるのに必要なんだろう。そう自分に言い聞かせて、自己正当化を計ろうじゃないか。ご都合主義ってのは一種のポジティブシンキングだ。大切だぜ。
なに、俺のことだ、いずれダラダラしているのにも飽きて、猛然とダッシュすることになるんだろうよ。特に俺は金が懸ると、普段の生活からは信じられないほどの、瞬発力と持久力を発揮するんだ。そう思えば、まぁそう心配することもないだろう。
俺は昔っから、自分がいつかホームレスとかになっちまうかもしれないと心配はしているんだが、周囲からは、あんたはがめついし、しぶといから、絶対にそんなことにはならないから安心しろって言われているんだ。
読者諸君、失礼する。御機嫌よう。

2011/11/22

Post #374 閑居して不善を為すと言うが…

今日は暇だった。
かといって、何か悪さをするわけでもなく、悪さをしようにも軍資金とてなく、家に引きこもってプリントしていた。ブリュッセル、19カット。ただ今乾燥中。明日以降にお目にかけよう。
しかし、めっきり寒くなってきたからな、プリントするにも問題が多い。現像液の温度が下がってしまうので、現像の進行が遅い。俺はせっかちだからな、じっくりと印画紙に像が浮かび上がってくるのが待ち切れなかったりするんだ。で、そうするとどうなるかっていうとだね、現像ムラが出来てしまうのだよ。暗室のセーフライトの赤く薄暗い灯りの下では、OKに見えても、明るい照明の下で水洗水切りするとですねぇ、思わぬムラが出来ていたりするわけですよ、アナタ。
しかも、そういうのに限って、他の部分はズビズバかつドンピシャに仕上がっていたりするからムカつくったらないぜ。まぁ、現像液もそろそろ疲労して、薄茶色になっていたからな、それもよくなかったんだろうが・・・。致し方ない。また、他日焼きなおそう。
Paris
そういえば、今日プリントしていたら、貴金属の買取業者の女性が訪問買取にやってきやがった。
偶然にも、俺と同じ苗字だったんだ。よくある苗字さ。何万とある日本の苗字の中でもトップ100位圏内だ、ついでに言うと、俺のすんでいるアパートの隣の部屋に住んでいる方も、奇しくも同じ苗字なんだ。まったく、紛らわしいもんだ。もちろんどちらも親戚でも何でもないんだがな。
金が高騰しているらしい。人間、先行きが不透明になると、つい貴金属を持ちたくなるんだ。国家がつぶれたりすりゃ、途端に紙切れになっちまうような貨幣よりも、こんな不透明な時代には、金や銀、プラチナなんかの貴金属がもてはやされる。昔懐かしい金本位制って奴だ。
生憎、俺の家には貴金属などありはしない。ハロゲン化銀つまり、印画紙ぐらいしか貴金属なんてありはしないのさ。そう、フィルム写真の印画紙は、銀の化合物が光にあたって化学反応することによって、像が浮かび上がるような仕組みになっているんだぜ。
そういう意味じゃ、俺はかなりの銀を持っているはずなんだが、これを売るわけにはいかないわな。むしろ、金を払えって言われかねんぜ。俺の写真の値打ちなんて、俺以外には、このブログを読んでくれている君達以外には、分かりっこないんだぜ。
しかし、金か・・・。たまにはズシリと持ち重りのする奴を、この手につかんでみたいもんだな。
読者諸君、失礼する。明日もきっと、俺以外にはなかなかご理解をいただけない写真をプリントしていることだろう。

2011/11/21

Post #373 金ならないぜ

うむ、なかなかに困ったことになった。
あんまり出張ばかりしていたもんだから、金が無くなってしまった。出張貧乏という奴だ。幸い、今日は仕事が早く終わったので、昼飯も食わずに帰ってきたんだが、帰りがけにラボに出していたフィルムを引き取りに行ってきた。
しかし、金は無い。我ながら、いい年してそんな金にも事欠くようじゃ情けなくなってくるんだが・・・、仕方ないカードを使うか。マリー・アントワネットも『パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃないの』って言っていたしな。お金がなければ、カードを使えばイイじゃないのって訳だ。
Bruxelles
俺は金が無くなると、どうにも元気がなくなるんだ。
まったくげんきんなものだ。
塩をかけられたナメクジの気分だ。
今日もなんだか無性に眠たくなってきた。疲労が溜まっているのか?金は貯まらず、疲労だけが溜まっていくなんて、なかなかに生きにくい世の中じゃないだろうか?洒落にもならないぜ。
仕方なく、今日は午後から眠って暮らした。眠っていれば、下らないことに金を使っちまうこともないしな。とはいえまぁ、使いたくても肝心な金がないんだけどね。短いようで長い人生だ、そんな日もたまにはあってもいいんじゃないか?
25日には、自分の口座に給料を振り込むんだ。出張手当もつけておこう。決算だからな、出来ることなら、決算賞与もつけたいもんだぜ。それまでの辛抱だ。どうせロクに仕事の予定もないんだ。帳簿をつけたり、写真をプリントしたりして、金は無いなりに有意義な生活をさせていただくとするか。なかなかそれも楽しみだ。
では、そんな情けない中年の悲哀漂う日常を暴露したところで、失礼させて頂くぜ。寒くなってきたからな、風邪なんかひかないように、お互い気を付けていきたいもんだ。なんてったって、病院じゃカードは使えないからね。
失礼する、御機嫌よう。

2011/11/20

Post #372 I Can't Standing

俺がホームタウン名古屋に帰ってきたら、中日、負けよった。
ボロ負けだ。元祖オレ流落合監督の最後の試合だというのに、あっさり負けよった。昔から、投手王国とか言って、それが実は貧打の裏返しという傾向にあったが、ここでそれかよ。ヒットの一つも打てない野手なんて、意味ないぜ。泣けてくるぜ。落合解任を狙っていた中日球団のお偉いさんも、今頃ガッツポーズしていることだろうよ。中日ファンだった俺の死んだおじさんも、こんな試合を見たら、墓場からゾンビの様に起き上がってくるに違いない。あの世にTVがないことを祈ってるぜ。
こんなことを書いても、名古屋人以外には殆ど共感してはもらえないだろう。所詮ローカル球団だ。しかし、仕方ない。いつだって、親会社の勢いのあるところがやはり勝つのだ。飛ぶ鳥も落とす勢いのソフトバンクと、20世紀の遺物たる新聞、それも名古屋の地方新聞では、勝負が見えている。むしろ、それを勘案すれば、よくやったというべきだろう。
俺は、もう立ち上がることもできないぜ。セバスチャン・サルガドの写真に出てくる難民の様に、毛布にくるまって、力なく転がっていることしかできないぜ。
HomeTown/Nagoya
それはさておき、今日帰ってくる電車の中で、胸を締め付けられっるほどに心ゆすぶられ、写真に撮りたい風景を見た。
二人掛けのシートの窓側には、やたら仕立ての良いスーツ(おそらくはオーダーだろう。)を着た、12歳くらいの少年が座っていた。少年は羽海野チカのマンガ『3月のライオン』2出てくる二階堂君のようだ。デブではないが、丸々としている。あどけなさの残る血色の好い顔は、疲れているのか、少し眠たそうだ。隣には、その母親と思しき女性が座っていたが、息子とは好対照に、年齢相応にやつれ、骨格が見て取れる。俺は人の顔を見ると、どんな頭蓋骨をしているのか、想像するようにしているんだが、実に骨格をイメージしやすい顔立ちだった。肌も年齢相応に荒れていて、これまた息子とは好対照だ。そしてまた、母親もずいぶんと疲れているようだった。息子の方に顔をあずけて、そこか険しい表情で眠っていた。
母親は、ショールを羽織っていたが、それを息子の肩にもかけてやると、二人はちいさな鳥のように身を寄せ合って、眠っていた。
どこにでもある光景だろう。しかし、俺は人間のいとおしさに、胸が締め付けられるようだった。
カメラはもちろん持っていた。しかし、日曜日の夕刻、家路をたどる多くの乗客の目の前で、この親子の写真を撮ることははばかられたんだ。もし、この親子の姿を写真に撮ったことを、周囲の乗客に見咎められたとしたら、どう説明するよ?とても美しく、いとおしい姿に、胸を打たれたから写真に撮らせて頂きましたって言って、みんな納得してくれるだろうか?無理でしょうよ。自分を特別な人間だとは思わないけれど、そう思うためには、それなりの感受性が必要だからな。
仕方ない、肉眼レフで心に焼き付けておこう。
この親子の姿を、俺は忘れないようにしたいもんだ。そして、この親子の姿に、美しさを見ることのできる心持こそを手放したくないもんだ。
読者諸君、失礼する。明日も仕事だ。なに、大した仕事じゃない。ほんの消化試合のような仕事だ。せいぜい仲間と気楽にやっつけてくるぜ。

2011/11/19

Post #371 場末に流れ着いて

思わぬトラブルで、仕事は一日伸びてしまった。宿は、今朝引き払ったばかりだ。
仕方なくネットで探した安宿に、土砂降りのなか、荷物を引いてたどり着いてみると、そこは品のない風俗やガールズバーがひしめく、背徳の街の連れ込み宿だった。ホテルの名前はご立派なんですがね。
冗談じゃない。
心なしか、バスタオルも精液のような嫌な臭いがする。ベッドのスプリングときたら、中山式快癒器かと思うような違和感だ。窓を開けて澱んだ空気を入れ換えようとすれば、焼き肉のようなムカつくような臭いがどっと流れ混んでくる。
Paris
あぁ、俺の人生、良くできてるぜ。思わず笑えてくるぜ。
とっとと眠るか、中日もソフトバンク相手になんとか踏ん張った事だしな。それに明日も朝早いんだよ。読者諸君、御機嫌よう。

2011/11/18

Post #370 Insturment

いつも、音楽を聴いて暮らしている。
ピート・タウンゼントやジェフ・ベック、ジミー・ペイジなどが、感情の赴くがままに、その内側から噴出するがごときうねりに、ギターを通して形を与えたような、エモーショナルなギター・プレイを聞くと、自分自身の中にも、火がともり、熱い炎となって心を融かすような、胸を焦がすような思いを抱く。音楽があったから、今の自分になれたと思う。結構なことだ。
そして、自分がやっている写真に、そんな熱がこもるのだろうかと、自問自答する。
写真は、あくまで静かなメディアだ。
音楽の様に、大勢のオーディエンスを前にして、インストゥルメント=楽器に命を吹き込み、自らの心の昂ぶりのままに、どこまでも飛翔するがごとく自在に旋律を奏で、瞬時に人々を熱狂させるようなことは、残念ながら写真にはできないと、思う。残念だ。
写真に出来るのは、カメラというインストゥルメントを用いて、この世界の一定の範囲の光を切り取り定着させることだけだ。俺の内なる心のうねりは、写真には写らない。リンダリンダだ。
俺は写真を撮っている時の、自分自身の昂ぶりを、君にも味わってほしいのに。
飢えた獣が獲物を求めて、五感を総動員して歩き回り、ついに見つけた獲物に襲い掛かり、その血肉を喰らうような、内心の昂ぶりを感じて欲しいのに。
醜いものを美しいモノへと自在に変容させる、錬金術のような営みに、知覚が痺れるような感覚を味わってほしいのに。
それには、タイムラグがあり過ぎる。
タイムラグだけが問題なら、いっそデジタルというのもひとつの解決手段かもしれないけれど、それで、多くのオーディエンスを熱狂させることが出来るとも思わない。それは黄金期のロックを捨てて、テクノ・クラブサウンドに乗り換えろというようなものさ。
それは、俺の表現様式では、無い。
モノクロ写真という、制約の多い表現に、俺は魅力を感じているんだ。
写真と音楽。同じようにカメラなり楽器なりのインストゥルメントを用いる芸術なのに、どうしてこんなに、オーディエンスに与えるモノが違うのだろう。
ひょっとしたら、音楽には連続しつつ変化していく流れがあり、写真は逆に、連続しつつ変化していくものの一瞬を切り取るものであるが故かもしれない。瞬間の音楽にはイントロクイズのような使い道しかないし、微分化していくと、音は意味を失ってしまう。これは写真とは真逆だ。
一方で、連続する写真は、すでにアニメーションもしくは映画へと歩みをはじめ、別のものに変容しようとしている。
時に俺は悲しくなる。写真で、他者を熱狂させることはできないものかなと。とりわけ、このブログを読んでくれている君を、もっともっとワクワクドキドキさせたいんだがな。
Amsterdam
写真と音楽には、大きな相違点がある反面、両者の間に、俺が共通すると感じている項目がある。
それは、言語によるくだらない能書きによってオーディエンスを感動させるのではなく、目の前に示された画像や、耳に響く音色そのものによって、ストレートに人間の中にある何かを揺り動かし、感動させるということだ。
音楽を批評する言葉は、まやかしだ。それは何も生み出しはしない。
写真を眺めて、能書きを垂れる奴は、うるさくて不愉快だ。
どんな音楽も、百万言を費やした批評を聞くより、音楽そのものを聴くこと以上に、その音楽を理解する手立てはない。
どんな写真も、写真に関する解説を読むよりも、写真そのものを静かに凝視し、その写真に写されている時空に、そう、カメラを携えていた撮影者の視点にたって、その世界を感じること以上に、写真を理解する手立てはない。
俺は、そう思う。
つまり、音楽も写真も、ロジカルな言説では捉えることのできない性質のものだということだ。決して網にかからない魚のようなものか。どんな音楽か、何を写した写真かは、言葉で伝えることはできる。しかし、その本質は、言説によって表現されるものではなく、音楽そのもの、写真そのものによって表現され得るものであるべきなのだ。
写真も音楽も、自分のいる世界を一旦棚に上げて、感覚で楽しむものなのだと、俺は考えている、いやむしろ、感じている。それには本来、マニアックな知識など必要ではないと確信している。
もし、音楽や写真を補完する言葉があるならば、それは詩的な言葉だろうと思う。
読者諸君、今日は珍しく日頃自分が思ってる事を書いてみた。いい年こいて、こんなことを毎日ぼんにゃり考えながら生きている。あぁ、ひょっとしたら、写真で他人を熱狂させられないのは、俺の写真がヘボってことかもしれないな。その可能性も考慮しておこう。失礼する。

2011/11/17

Post #369 写美に行ってきたんだ

今日は、仕事が空いたんで、東京都写真美術館、略して写美に行ってきたんだ。
もう一か月ほど恵比寿にいるというのに、一度も写美に足を向けてないってのは、俺にとって大きな問題だった。
しかし、その前に溜まりに溜まった洗濯物をコインランドリーで洗いまくり、さて、写美に行こうかなと思っていた矢先、急遽原宿の現場に行くことになったりもした。野暮用だ。人生の大半はそんな予定外の野暮用で彩られている。俺は現場で所要を済ませると、行きつけの中華料理屋、原宿の昭和軒で堅焼きそばを食って、もうなかなかに来る機会もないだろうカンジのイイお店のおじさんおばさんとの別れを惜しんだ。ココは、昔ながらのしょうゆ味のラーメンとかを食わしてくれる、気取らない店だ。とにかく作業服で言っても構わないような庶民の店なんだ。しかも、兄弟姉妹で店を営んでいるそうだが、おじさんやおばさんたちが若かったころの音楽が、いつも有線でかかっているんだ。俺はここで、レッド。ツェッペリンやパーラメントを聴きながら、ラーメン定食を食っていたんだ。俺には解かる密かな楽しみだ。ちなみに今日は70年ごろのスティービー・ワンダーを聴きながら、堅焼きそばを食ってたんだ。そりゃサイコーだよ。これがAKBだったら・・・。
Paris
こうして俺はゆったりとした気持ちで、原宿から渋谷を抜けて恵比寿の写美まで歩いて行ったんだ。
畠山直哉の写真展だけ見るつもりだったんだが、受付のおねーさんに、勧められるままに収蔵品展の『子供の情景 原風景を求めて』も見ることにした。俺は女の子に勧めr垂れると、大抵は断れない。いつか手痛い仕打ちに遭うんじゃないかって、憂慮しているのさ。まぁ、それはイイとして、二つ合わせて1050円。商売上手だねぇと言ったら、真面目そうなメガネのおねーさんがダブルピースして喜んでいたのが、心がほっとするような感じだった訳だ。
畠山直哉の『Natural Stories』は、予想通りよかった。炭鉱を撮った一連のシリーズや、爆破され、崩壊する建築物を連写し、さらに重機で解体されていく様子をたどったシリーズ。そして、俺が大好きな『ブラスト』シリーズ。ご存じの方も多いかと思うけれど、ブラストは鉱山での発破作業を、至近距離から連写で捉えた迫力のあるシリーズだ。これを特大のスクリーンでアニメーションのようにして見せてくれる展示もあって、これはかなりの迫力。まるで、自分自身がその現場に立ち会っているような衝撃だ。しかも、爆発による膨張が、最高潮に達したところで画面は一瞬不自然にブレイクする。この不自然さがたまらないぜ。必見だ。ちなみに、小ぶりな連続写真を壁一面に並べたブラストシリーズの前では、俺は一枚一枚を見るんじゃなくて、写真のほうを見ながら、走ってみてみた。自分が動くぱらぱら写真のようだ。
このほかにも、東日本大震災の情景を撮ったシリーズも、写真自体はちいさな判型だったったんだが、迫るものがある。聞けば、畠山直哉自身が東北の被災地の出身だそうだ。確かに、今、日本の写真家でこの現実を直視しないわけにはいかないだろう。
いずれにしても、画面の中に引きこまれるような写真展だ。12月4日まで。
そして、勧められるままに見ることにした収蔵品展『子供の情景 原風景を求めて』が、これまたよかったんだなぁ。さすがは写美。
木村伊兵衛、土門拳、田沼武能、長野重一、杵島隆、東松照明、森山大道、奈良原一高、植田正治、藤原新也、やなぎみわ、ユージン・スミス、ブレッソン、島尾伸三、吉田ルイ子、次から次にきりがないぜ。大抵はモノクロなんだけどね、それがまた俺にはたまらない。
なかでも、俺が一番嬉しかったのが、ムンカッチの1930年の傑作、『タンガニーカ湖の波にかけよる少年たち』とウィリアム・クラインの『ブルックリンのダンス』(これはクラインの傑作中の名作『ニューヨーク』の中におさめられてる奴だ)が見られたことだ。
ムンカッチの写真は、あまりにも有名だけれど、途轍もなく完璧な写真だ。きらめく陽光の中、一糸まとわぬ黒人の少年たちが、波の打ち寄せる湖を目指して、しなやかな獣のように疾走していく様を背後からとらえたものだが・・・、美しい写真だ。完璧だ。こんなものを持っているとは、写美侮りがたし。
これ見よがしにモノクロ写真ってのはどうのこうのと生半可なことを語り合っていた若い衆は、このムンカッチの写真を見て、『グロっ!』と抜かしていたが、この写真の良さも分からんようなボケは、肥溜めにでもかけよって飛び込んでろ!えっ、肥溜めなんて今時ねぇよなぁ。俺がガキの頃は、そこらへんにゴロゴロあったんだけど。よく、肥溜めに泳いでいるトノサマガエルを素手で捕まえようとして、オフクロにブッ飛ばされたもんだ。
そして、ウィリアム・クライン。ブルックリンのダンスって、10歳くらいの女の子が、おかしな踊りとも身振りともつかない変なポーズでおどけて写真におさまってる奴なんだけど、いや、このボケ感というのか(ポーズがではない。イマイチピントが甘いカンジで、しかも粒子が荒れているので、そうなっているわけだ)、表情すら定かでない画像が、細かな粒子に分解し、今にもハイキーで淡い風景の中に融解してしまいそうなそのカンジ、これは堪らない。
写真の好みはもちろん人それぞれだとは分かっているが、分かったうえでなお言おう!この良さがわからん奴は、その辺の道端でタコ踊りでも踊って暮らせや!

ああ、今日も言いたい放題だ。

で、写美の中のショップ、NADIFFで、フィリップ・フォレストによる評論『荒木経惟 つひのはてに』とかつて写美で行われたウィリアム・クラインの写真展の図録を買ってきたんだ。あぁ、仕事のことが頭をよぎらなけりゃ、イイ一日だったってことさ。
読者諸君、失礼する。明日も早いのさ。

2011/11/16

Post #368 Fragment Of Fragments #23

Paris
俺は名古屋人だからな、当然ドラゴンズファンなんだが、中日2連敗・・・。
だから今日は何も言いたくはないんだ、残念ながら。やっぱり、俺が名古屋にいないと、だめかなぁ。いつも日本シリーズにはハラハラするぜ・・・。
明日は、休みなんだ。出張に来ていて休みなんて、なんだかビミョーなんだか、仕方ない。東京都写真美術館にでも行って、畠山直哉の写真展や写真新世紀でも、見てくっかな・・・。ついでにカメラを持ってぶらついてみよう。せいぜい監視カメラの死角を歩いて行こう。職務質問もやんわりとお断りしよう。気を付けないとな。
読者諸君、失礼する。

2011/11/15

Post #367 いろんな考え方がある

Barcelona
最近よく思うんだけども、この世界には70億も人間がいると、いろんな奴がいるってことだ。
トーゼンながら、いろんな考え方がある。それは結構なことだけれど、おかげで諍いも絶えないもんだ。
お、そういえばシーナ&ロケッツの歌で、そんな歌があったな。あれは確か、こんな歌だった。

♫いろんな考え方がある
 俺はたぶんバカだ、バカだ。
 はたちでヒッピーになったまま
 未だに自由に憧れてる

作詞は阿久悠だったはずだ。『ガキ』とかいうタイトルだったはずだ。Bメロの歌詞は忘れちまったけど、最後はこんな歌詞で締めくくられていたっけ。

♫とっくに老いた、お前と違って、
 心の中に眠らないガキがいる、ガキがいる

そんな大人になりたいもんだと、若いころ思っていたけど、実際なってみると、まぁこんなもんですか。所詮、70億のうちのありふれた1人ってことさ。
俺が死んだところで、世界は何にも代わり映えしないだろうし、痴漢が一人減っただけのこと。
俺が長生きしたって、世界に何か有益なことをすることも、まぁありはしないさ。
ならば、このまま自分の考え方で行ってみるのも一興じゃないかね。どうせ今更軌道変更なんて、できっこないんだろうから。
だから読者諸君、俺が自分で飽きるまで、こんな調子でお付き合い願いたいもんだ。失礼する。

2011/11/14

Post #366 Psychotherapy

何だかんだで、このブログも一年を超えていた。思い起こせば、これをはじめた頃はグデグデだった。心身ともに疲弊していたんだ。ちょうどあの頃も出張していた。今は東京だがあの時は大阪だった。このブログの第一回は大阪の堺筋本町にあるウィークリーマンションの一室で書いたんだったっけ。
体重もすっかり減っていた。そして、ロクな仕事もなかった。スッカリ自身も喪失していた。自分を奮い立たせるように毎日書いたんだ。そうして気が付いたら、一年が過ぎていた。とりあえず今の段階では仕事も忙しいんだ。そして根拠不明に自信満々だ。
Turk
ここまで自分を取り戻したのは、この一年、まるでサイコセラピーのように、毎日毎日、くだらない文章を書き、下手糞な写真をUPし続けてきたからだろう。そう、まるでサイコセラピーさ。サイコ、セラピーってラモーンズの歌のようだな。
何より、このブログを見続けてくれている君たちのおかげだ。
何故だか最近は、アメリカだのロシアだのからのアクセスも多い。訳の分からない海外のサイトからのアクセスも多いんだ。おかげで最近、無駄にPVが伸びてきている。しかし、本当に俺を支えてくれているのは、他でもない、この俺以外にはどーでもイイ文章を我慢して読んでくれているあなた、そう君達だってことを解っていてほしいんだ。俺の自信に根拠があるなら、これを読んでくれている、君達こそが、俺の自信の源なんだってね。失意の底を這いずりまわっていた俺を、調子に乗せてくれたのは、君たちに他ならないんだ。
俺は訳の分からないアクセスでPVが伸びることよりも、少数のコアな読者によって支えられる男でいたいんだ。万人受けなんて、する気もないさ。もっとも、俺の写真は自分で言うのもなんだけど、我流ではあるけれど、ある種写真の正統派だと確信してるのさ。
まぁ、そんなことはいい。本当に今夜君たちに行っておきたいことがあるんだ。たった一つだけ、行っておきたいことがあるのさ。そう、それはどうもありがとうってことさ。
もー一度、改めて言わせてもらうぜ、どうもありがとう。
しかし、それほともかく、俺はなんだかいつも旅行してるか出張してるかのように感じるんだけど、これは気のせいかな。
親愛なる読者諸君、失礼させてもらうぜ。明日も男の仕事なのさ。働く男にとっちゃ、眠るのも仕事のうちなのさ。

2011/11/13

Post #365 モロッコ旅行にカメラ選び

喰っちゃ寝むり、また食って眠る。こうして、失われた体力を充電している俺さ。
今夜からまたまた東京出張だ。重箱の隅をつつくような残工事だ。我ながらご苦労なこった。
帰ってきてからきしめん、赤だし、味噌煮込みうどんと、俺は体にソウルフードをぶち込み続けた。本当は寸暇を縫ってプリントするのも一興だったんだが、プリントには気力体力が必要だ。そして、今の俺にはそこまでの気力も体力もない。ガス欠状態だ。そう、もう俺は若くないんだ。人生の折り返し点はとっくに過ぎちまった。好きで折り返したつもりもないがね。寝床で転がりながら、出張中にアマゾンから届いていた写真集なんか見ながら暮らしていたんだ。
そうこうしていると、連れ合いがモロッコにはカメラは2台しか持っていけないらしいと言い出した。
俺は連れ合いと一緒に、この年末年始モロッコに行くんだが、どうにも入国の際に1人当たりカメラは2台までしか持ち込めないらしい。
カメラ2台?まいったなぁ・・・。
俺はいつも旅行にはフィルムカメラ数台を主軸に据え、スーパーサブとしてコンパクトデジカメを一台持っていくんだが、2台限定となると難しい選択だ。
いつもなら、CONTAX T3を2台、つまりモノクロとリバーサルフィルムで一台づつ、で、CONTAX G2とその交換レンズを6本、さらに状況と気分に応じて、中判カメラを登板させたり、レンジファインダーのドイツ製のコンタックス、Contax Ⅲaを控え選手として同行させたりするのだが・・・。
イケイケで持って行って、税関で没収されたりしてはかなわん。これだけで一財産だ。
どうにも、ガイドブックなんかを見ると、モロッコ人は肖像権がどうのこうのというのではなく、もっとなんか違う理由で、写真を撮られることを好まないということだ。ふむ、むかしの日本人が、写真を撮られるとタマシイを抜かれるとか言って、写真を撮られることを嫌ったのと同じようなことなのか?
なかなかに厄介だ。写真を撮る際には、ひと声かけるようにしようと書いてある。“ワッハ・ハディートゥ・タスウィラ?”と声を掛けるんだそうだ。アラビア語だ。全く異言語だ。だからこれだけは覚えたんだ。
それに加えて、カメラ台数制限かよ・・・、面倒くせぇ話しだなぁ。
Istanbul,Turk
インドで永年写真を撮りまくっている写真家スティーヴ・マッカリーは、現地の人々に怪しまれずに写真を撮るために、インド人と同じような服を準備して、インド人に偽装して写真を撮るという。今回の俺も、現地に行ったならさっそくカフタンとかガンドゥーラとかいう、現地の衣装を調達して行動することにしよう。ターバンも欠かせないだろう。これは面白そうだ。楽しみな企画だ。服装の件は、これでいこう。問題はカメラだ。
そういえば、今から30年以上前の上海で写真を撮っていた藤原新也は、当時の一般的な中国人同様に、鼠色の人民服で街を歩き写真を撮っていた。しかし、当時の世界最大の後進国中国の、筋金入りに貧しく持たざる人民は、藤原新也の手に握られたカメラを目ざとく見つけ、彼に、と言うより彼の持つカメラにねっとりとした熱い視線を注いできたらしい。うむ、モロッコはどうだか知らないが、どっちにしてもカメラは極力小さく目立たないものに限るな・・・。
であれば、いつも使っているCONTAX T3は絶対に欠かせない。マストアイテムだ。
ちょうど一台は修理に出していて、選手登録を抹消中だ。だからメインはこれ一台で決まりだ。
もう一台はどうする?G2か?あれはすごくいいカメラだが・・・、いささか大きい。そんなどちらさんも写真を撮られるのがお好きでないようなお国柄のなか、ぶら下げて歩くには、いささか大きすぎる。まいったなぁ・・・。
デジカメ?いや、それは至極便利なんだが、味気ないんだ。よって今回は、選手登録なし。彼にはせいぜい仕事で頑張ってもらおう。まぁ、いざとなりゃ、ケータイがあるしな。
俺は悩んだ末に、2台目にはCONTAX TVSを投入することにした。
レンズはバリオ・ゾナー28~56㎜、気持ち程度のズームだけれど、俺には申し分ない。ちなみにTVSというのは、Tシリーズ、バリオ(V)ゾナー(S)搭載の略だわさ。こいつは、行きつけのカメラ屋で去年か一昨年に、一万円だか8千円だかの捨て値で買ったコンパクトカメラだ。往年の人気カメラだ。チタン外装だ。
唯一の問題は、ケースがグレーで格好悪いってことだ。しかし、ケースの格好悪さは写真には関係ないだろう。まぁモチベーションとしては若干下がるけれど。そういえば俺、このカメラ、買ってから一度も使ったことがないよなぁ・・・。まぁイイさ。ぶっつけ本番って奴だ。何とかなるだろう。それも一興だ。どんな写り具合かすぐに気になるせっかちさんが、デジカメの普及以来増加しているようだが、俺はせっかちさんじゃない。所詮道楽だ。のんびり構えていくとするぜ。

読者諸君、失礼する。これからホームセンターに行って、明日からの仕事に必要な材料を購入し、荷物をまとめて出発しなけりゃならないんだ。やれやれ、気が重いぜ。

2011/11/12

Post #364 Nightscene #5

HongKong
いや、まいったぜ。なんだかエラーで、今日書いた文章がみんな消えちまった。消えちまったんだ。久しぶりに真面目に書いたってのに・・・。まいったなぁ・・・。読者諸君、また会おう。俺は今夜はすっかりやる気が無くなったんだ。