2011/02/28

Post #106 Wasteland #14

HomeTown
見るがいい、今にも怪しい鳥が舞い降りてくるかのようではないか。
何しろ、ここは荒野だからな。

2011/02/27

Post #105 Wasteland #13

HomeTown
冷たい夜風を避けるように、公衆電話にかけ込む。
ぬくもりを求めても、そこかしこに罠。
所詮、ここは荒野。
吹く風はいつも冷たいのさ。

2011/02/26

Post #104 Wasteland #12

Hiroshima
しかし、気を付けろ、彼女たちはしょせんは商売女だぞ。
彼女たちが興味があるのは、お前の財布の中身だけ。
いい気になってると、ケツの毛まで抜かれちまうだろうよ。
そうさ、思い知れ、ここは所詮、荒野。

2011/02/25

Post #103 Wasteland #11

Hiroshimaだったかな?
荒野を行くものには、女の唇は甘い。
その言葉は、心を癒やしてくれるかのようだ。

2011/02/24

Post #102 Wasteland #10


Paris
こちらを見ている、あの男、何者だ。
厳しい眼差しで、値踏みするようにお前を見ているあの男だ。
不穏な空気が流れているぞ、心しろ。
なにしろ、ここは荒野だ。
何とかやり過ごせ。

2011/02/23

Post #101 Wasteland #9

HomeTown
人は大人しく、人の世におさまっているのがよかろう。
たとえそれが荒野でも。

2011/02/22

Post #100 Wasteland #8

NAGANO
人の子よ、荒野の街を逃れたとて、自然に気を許してはならぬ。
君たちの営みなど、すぐに緑に覆われてしまうのだから。
そう、人にとっては、そこは肥沃な荒野。

2011/02/21

Post #99 Wasteland #7

Wilderness
荒野の街を逃れれば、山にはガスがたなびく。
ここでも人は安らぎ憩うことなどできはしないさ。
そう、ここもまたある意味荒野なのだから。

2011/02/20

Pots #98 Wasteland #6


HomeTown
荒野では、陽の光すらも何やら怪しく、禍々しく見えるときがある。

2011/02/19

Post #97 Wasteland #5

HomeTown

ほら、そこかしこに、金という弾を撃ちつくし、斃れた男が転がっている。
生きてはいても、もはや死んだも同じ有様だ。

2011/02/18

Post #96 Wasteland #4

HomeTown
用心しろ。
お前とて、荒野では、故無く襲われることもあるだろう。
理由などない。
安全は保障されてない。
それが荒野。

2011/02/17

Post #95 Wasteland #3

HomeTown
光に満ちてはいても、ここは荒野だ。
あの灯りの一つ一つに、なにが潜んでいるのやら

2011/02/16

Post #94 Wasteland #2

HomeTown
街の灯りは明るくても、惑わされちゃいけないぜ..
気付かないのかい?ここは荒野。
或いは、経済の戦いに敗れた後の焼野原。

2011/02/14

Post #92 Interlude

写真を撮らない日はもちろんある。
プリント出来る日は限られている。
しかし、写真の事を考えない日はない。
今日はたまりにたまったネガを整理して暮らした。
外は雪だった。
Balcerona

Post #91 Meet The New Boss, Same As The Old Boss

エジプトでは、ムバラク大統領が辞任し、逃走した。民衆は自由を手にしたと喜んでいる。しばらく前に大統領が国を追われたチュニジアでは、未だに混乱が治まらず、多くの難民が地中海の対岸に位置するイタリアに、流れ着いているという。エルバラダイ氏には、頑張ってもらいたいね。あと、TVでおなじみのザヒ博士にもね。
イラクやアフガニスタンのように、状況が安定するまで何年もかかってしまうことの無いように祈るしかないのさ。
Paris
う~む、俺がどうこう言ったところで、世界は屁とも思わないだろうが、諸君、どうだろうか、古い権力者が去ったからって、楽観は出来ないぜ。もっとひどい奴が権力者の座におさまっちまうことだってあり得るんだからな。アメリカの無頼派作家ブコウスキーは『世界には2種類の政府しかない。悪い政府と、もっと悪い政府だ』なんて言ってたぜ。かく言う俺たちだって、つい最近、歴史的ともいうべき政権交代があったはずなんだが、一体何が変わったんだ?相も変わらず、国民は鍋の中の蛙のようにじわじわと苦しめられているというのに、民主党も迷走、野党に下野した自民党も、自分たちの旧悪には知らん顔して、揚げ足取りばかりだ。
いずれにせよ、軍隊が政府とは別の意思決定権を持っている国では事態は激しく動く。しかし、シビリアンコントロールの効いた老舗の民主国家では、議会民主主義だからな、やれ賛成だ、いや反対だって、議論にもならんような学級会みたいな議論ばかりで、何にも変わりはしないんだ。もっと言えば、政治家が変わっても、政策を作っているのは官僚だからな。奴らを叩きなおさないことには、どうにもこうにもなりゃしないさ。
まったく、バレンタインデーだなんて、浮かれた気分にはなれないぜ。もっとも、こんな俺には誰もチョコなんか送ってくれないから、そもそも最初っから関係ないけどね。

まぁ、俺にはこんなことは最初から分かっていたのさ。俺はロックンロールしか信じてないからな。The Whoも歌ってるぜ、『新しいボスに会ってみな、古いボスとおんなじだぜ!』ってね。それはこんな歌なんだ。OK、例によって行ってみよう!

WON'T GET FOOLED AGAIN

We'll be fighting in the street
With our children at our feet
And the morals that we worshipped
Will be gone
And the men who spurred us on
Will sit in judgiment of all wrong
They decide and the shotgun sing a song

I'll tip my hat to the new constitution
Take a bow for the New revolution
Smile and grin at the change all around
Pick up my guitar and play
Just like yesterday
Then I'll get on my knees and pray
We don't get foold again

The change it had to come
We knew it all along
We were liberated from the poor, that's all
And the world looks just the same
And history ain't changed
'Cause the manners, they were born in the last war

(Snip)

Don't get fooled again, No, No
Meet the new boss
Same as the old boss
             THE WHO  "Won't Get Fooled Again" from WHO'S NEXT 1971
Paris
『無法の世界』
ストリートで戦いを繰り広げるんだ
子供たちを足元に従えて
奴らがあがめてきたモラルは消えてなくなる
俺たちを追い立てる連中は
どうしようもなく見当違いをしてるのさ
奴らの決断でショットガンが歌いだす

新しい社会に敬意を表して
新たな革命に挨拶しよう
変わりゆく世界を見てニンマリするんだ
ギターを手に取り演奏(=プレイ)しよう
まるで昨日のようにね
そして、ひざまずいて祈る(=プレイ)のさ
もう二度と騙されるものか

変革は訪れなければならなかった
それはいつでもわかっていたのさ
俺たちは悲惨そのものな有様から自由になったんだが
見たところ世界は今まで通りだし、
歴史が書き換えられるわけでもない
そんな流儀は、この前の戦争で生まれたからだ

(中略)

もう二度と騙されるもんか!
新しいボスに会うがいい
結局 前のボスとおんなじさ!

チュニジアやエジプトの人々が、そんな落胆を抱くことが無いように、祈りたいぜ。どこかの島国の政権交代みたいに、新しいボスも、古いボスとまるでそっくりおんなじだったなんて、笑い話にもならないからな。二度と騙されるもんか!そう思いつつ、俺たちはいつも間違った選択をしてきたんだ、きっと。それが俺たちの住む、この素敵な国、日本だ。チキショー!

Post #90 Trash! #7

どうしてこんなとこに?
ゴミ 俺はゴミ
半透明のゴミ袋が山積みにされてる
ゴミ 俺はゴミ
バラバラ死体や残飯や汚物が詰まってる
ゴミ袋に今すぐ入りてぇ

ゴミ 俺はゴミ
ゴミ処理場でゆっくり眠らせてくれ
ゴミ 俺はゴミ
使い古しのコンドームや真っ赤なタンポンの中に
ゴミ袋に今すぐ入りてぇ

臭いものにはフタをしろ
面倒臭けりゃ捨てちまえ
腐った奴らが汚ねえゴミを出す

          The Timers 『ゴミ』

2011/02/12

Post #88 Photographica #3

世間は3連休だ。俺もはたから見ればまるっきり休みに見えるだろうが、暫くしたら夜の仕事に出撃だ。初見の方は水商売の関係者だとか勘違いしてもらっては困る。男の仕事さ。
毎日の忙しい中を縫って、またもや写真集を買いに行ってしまった。愛知県美術館の地下にある、NADIFF愛知で買ったのさ。ここは、お店のおねーさんが、みんななんだか芸大とか通ってたような雰囲気を、つまり美術芸術に理解が深そうな雰囲気を漂わせていて、お気に入りなんだ。機会があったら、お茶でも飲みながら、いろいろと語り合ってみたいもんだぜ。さらに言うと、ここは自費出版物とか限定ものとか、他の美術館で行われた展覧会の図録なんかが、コンスタントに入荷する素敵なお店だ。これは、スパークスさんにとってありますとか言われると、うむ、つい買ってしまうな。今回も危うくもう一冊買いそうになってしまった。
俺は、酒にも弱いが、愛想のいい女性には弱いんだ。それでいつも失敗するのさ。
ちなみにPhotographicaてのは『写真愛好者の蒐集物』という意味で使っているんで、雑誌のPHOTOGRAPHICAとは、何のかかわりもないんだぜ。俺はもう何年も写真雑誌は買わないしな。だから、誤解しないでほしーし、それでとやかく細かい事言わないでほし―ぜ。頼む、面倒は私生活や仕事だけで沢山なんだ!

あぁ、そう何を買ったのかって、うん、また森山大道なんだけど、今度は『津軽』(2010年11月27日タカイシイギャラリー刊 限定1000部)さ。俺はさしずめ、森山大道の大旦那さんってとこだぜ。
この津軽は、1976年に森山大道が青森県五所川原市周辺で撮影した写真から構成されている。
いつもながらのざらついた荒れた粒子。重く曇った空は、一様に鉛色の粒子となって人々や建物を覆っている。それがまた俺には生理的にグッとくる。カッコEぜ。
ほぼ同時期に撮影されていた『北海道』でもそうだけれど、すでに21世紀の今日から見ると、あまりにもエキゾチックだ。この写真が撮られた頃に、小学生を職業にしていた俺が見ても、十二分にエキゾチックなんだから、今これらの写真を平成生まれの若い人たちが見たなら、一体ぜんたい、どう感じるんだろうか?興味があるところだぜ。読者さんに若い人がいたら、頼む、教えてくれー!
森山大道 『津軽』2010タカイシイギャラリー刊行
ショーウィンドーの中から見つめる古ぼけたマネキン、エロ映画のポスター、寂れた町を行く老婆、荒野のような風景、その中を駆け抜ける子供…。イカにもたこにも森山大道の写真に、今までも繰り返し取り上げられてきたモチーフが、シーケンスのように、ローキーのモノクロで繰り返される。
それは、近年撮影されているサンパウロやブエノスアイレスなどにも通底するものがある。悪く言えばマンネリなんだが、マンネリのどこが悪いんだ?
無論、俺にマンネリだって糾弾するような資格は全くないし、そんな意図もない。ファンだからな。仕方ないぜ。
スゲー奴には2種類あって、ピカソみたいに次々と自分のスタイルを否定して前進していくタイプと、自分のスタイルが定まったら、そのスタイルに固執し続けるタイプだ。
森山大道や荒木経惟は、俺が思うに後者だ。特に好きだっていう人以外には、一冊一冊の差異は明らかではないだろう。俺もいつもの森山節、毎度おなじみ荒木節と感じる。
しかし、カッコEンだから仕方ない。ロックの世界でも、凄い奴は、何年何十年たってもブレテない。根本的に変わらない。個々の作家のもっている資質やスタイルと、その時々の流行=ファッションとは、必然的に相反するときもあるのだ。ファッションのように移り変わるのを優れていると感じるよりも、頑固に自らのスタイルを貫いていくタイプのほうが、好きだな~、俺は。もちろん人それぞれだし、ファッショナブル=流行に敏感なほうが、商業的には成功するんだろうけどもね。

森山大道は70年代中ごろから、メディアに飽きられ始めていたのは事実だと思う。森山大道自身も、映画『≒森山大道』の中でも語っていたけれど、1972年の写真集『写真よさようなら』で、写真を脱構築、解体しつくしてしまったために、自分の写真に対して徐々に手応えを感じられなくなっていった時期にあたる。その中で、遠野、北海道、津軽と、写真の手ごたえを再びつかむために旅を繰り返したのだろう。70年代末には、睡眠薬に逃避し、体重も40キロ台に落ちてしまったというのはよく知られた話だ。
それは、81年、荒木経惟が活躍していた伝説の写真雑誌『写真時代(懐かし~)』で『光と影』を連載を開始するまで続いた事だろう。このころのことを森山大道自身が書いている一節が、俺の印象に強く残っている。OK、引用しよう。

『時代を明確に想定しえない精神は、ひたすら壊死に向かいはじめていた。相変わらず出口が見つからないのではなく入口が見つからなかった。そうしてある日気づいたら、身のまわりには、たたずんでいる僕と、ほこりをかぶった一台のカメラと、そして太陽だけが残っていた。ある晴れた日、ふとそれだけを認識したとき、僕のなかにひとつの臨界点が生まれた。そして、僕はもうためらわずにカメラを持ち光の中に立った。僕の前には僕の影が在った。それだけで充分だった。僕はその地点からふたたび歩きはじめ、そして一冊の写真集「光と影」を作った。そして僕は、もう二度と立ちどまるつもりのない時間に向かって出発した。』(森山大道 犬の記憶 そして光と影より)

『北海道』『津軽』そして80年代の『THE TROPICS』など、この出口の見えない時期に、足掻くようにして繰り返された旅行で撮影された、ほぼ未発表の写真が見られることが、俺にはうれしい。そして、そこにはやはりぶれていない森山大道の姿を見いだすことができる。
そう、今になって思えば、ぶれていたのは時代のほうで、森山大道は一本芯が強固に通っていたんだなと、しみじみ思う冬の一日だったのさ。
俺の好きなポール・ウェラーも言っていたっけ。『僕は間違っていない。間違っているのは社会の方だ』って。こんな確信をもって生きていきたいもんだぜ、まったく。一歩間違うと独善だけど、自分の人生なんだ。開き直ってガンガン行きたいもんだぜ。つまんないことに悩んでいる暇はないのさ。

では諸君、失礼する。また会おう。男の仕事が俺を呼んでいるのさ。

Post #87 Trash! #5

河原によく捨ててあるのさ

2011/02/09

Post #84 Trash! #2

ゴミ箱のふた
ゴミ箱のふた 開けてみられ
朝早く 君を呼ぶ
言葉無く 力無く 
光無く 閉ざされて
眺むれば 嘆き有り
侘しさに 物狂い
胸の想い 脱ぎ捨てて
上の空 あては無い
ゴミ箱のふた 開けてみられ
ゴミ箱のふた 開けてのぼれ
ゴミ箱のふた 開けてくだれ
開けて 開けて 開けて 開けて
開けて 開けて 開けて くだれ
村八分  ゴミ箱のふた

2011/02/08

Post #83 Trash! #1

HomeTown

Post #82 Photographica #2

おとといはつれあいの誕生日だというのに、何にもプレゼントしなかったくせに、昨日は仕事の合間に写真集を買ってしまった…。俺は酷い男なんだ。金正日とムバラクとベルルスコーニを足して3で割ったような男なんだ!許してくれ〜!
で、何を買ったかと言えば、例によって森山大道の『71 NEW YORK』と中平卓馬『都市 風景 図鑑  中平卓馬 Magazine Work 1964ー1982』の二冊買っちゃったんだな、これが。
長年の自己鍛錬の賜物で、欲しいものは我慢せず、即座に購入する事が出来るようになってるんだ。スゲーだろ?

さて、その内容だけど、俺は写真について語るのは、ある意味で野暮な事だと思ってるんだが 、なにかしら書かなけりゃ、単なる自慢になってしまうから、まずは『71 NEW YORK 』からいってみようか?
それには横尾忠則センセーが書いた文書を引用してみようか。
少し長いけど、Everybody are you ready?

『彼と昨年一月あまりニューヨークで毎日いっしょに生活した。われわれの生活空間はビレッジを中心に、マンハッタンがそうだった。七十枚以上撮れるという小さなカメラで、毎日、毎日、よくもまあ、同じところばっかり撮っているワイ、とぼくが感心してしまうほど、いつも何回となく通る通りの周辺をまた何回となく無造作に撮っていた。まるで犬が電柱に小便することにより、自分の痕跡を残すあの法則みたいに。
日本中、フルサトタズネテハナイチモンメの旅をした彼は、ついにニューヨークの断片まで彼の暗室で彼の故郷になってしまうのかも知れない。ぼくがいくらニューヨークは第二、第三の故郷だといっても、彼の方がニューヨークを本物の故郷にしてしまう術を知っているのがうらやましい。…中略…彼の写真のいいとこは感傷的な雰囲気とギリギリのところで背中合わせになっていることだと思う。彼の写真は遠くて、近いものを感じる。それは夜見る悪夢のようだ。またアメリカのポップアートの中にもぼくはこの彼の感覚の世界に非常に近いものを見る。…後略』
(河出文庫  森山大道  犬の記憶収録『怯える視線ー横尾忠則』より)
さすが、横尾忠則だ。必要な事が全て述べられているぜ。
森山大道は横尾忠則とともに、ニューヨークに滞在し、混沌としたニューヨークを捉えるために、あえてオリンパスペン で挑んだわけだ。イカすぜ。もちろん、デジカメじゃないぜ。あの名機オリンパスペンだよ。フィルムカメラだぜ。
混沌とした世界に立ち向かうには、フル装備では、駄目だぜ。最小限の装備で混沌とした状況に対峙し、その断片を掠め撮るのさ。
ニューヨークは森山大道も敬愛するウィリアム・クラインが、あの名作『ニューヨーク』で世界の写真界にショーゲキを与えた街だ。この写真集を見るとクラインに対するリスペクトが感じられる。クラインの撮ったニューヨーク。
世界の最先端の巨大都市に立ち向かう時、森山大道が選んだのは、なんとあのオリンパスペンだったんだなぁ。
この講談社から出ている森山大道の復刻シリーズは、紙質が悪いとか、印刷が昔の新聞写真みたいでイマイチとか、版形が小さいから、見にくいとか批判的な意見も多いんだが、俺は森山大道らしーと思うぜ。なにせ本人が自分の写真はザラ紙に印刷されるのがいい、ラーメンなんか食べながら気にせず見れるようなのがイイ、所詮写真は芸術ではなく複写なんだからって言ってたくらいだからね。サイコーだぜ!君も一冊どーだい?

続いては中平卓馬『都市   風景  図鑑』だぜ。
中平卓馬は、前にも話した通り、日本のいや世界の写真界のリビング・レジェンドだ。詩人になるか、写真家になるかを悩んだ挙げ句、写真なんてマトモに撮った事もないのに、写真家になったっていうツワモノだ。因みに、森山大道とは家も近く、共に友人としてまたライバルとして60年代半ばから70年代の半ばまで張り合っていた。マサに強敵とかいて友と読むってカンジだ。俺もそんな友達がホシーぜ。
中平卓馬は70年代中頃に、自分の思想と写真の解離に悩み、自分自身の写真やネガの大半を焼き捨ててしまった。
しかも、その後、酒を飲んで昏倒して、目覚めた時には記憶の大半も、若き日に蓮見重彦すら論破した程の饒舌な言葉も失った。しかし、それからの中平は、カメラそのもの、写真そのものと化して、あたかも図鑑のような明快な写真を撮り続けている。もちろん、今日も自転車に乗って、赤いストラップのキャノンF1をぶら下げて写真を撮りに出掛けているだろう!
だから、中平卓馬の軌跡を辿るには、雑誌に掲載された写真が大きな意味を持っている。中平卓馬はこれから読み解かれる写真家なのだよ。いや、写真にたずさわる者として、決して避けては通れない、ジューヨーな写真家なんだぜ!君も機会があったら、見てごらん。きっと驚くぜ。

森山大道と中平卓馬に同時に会った事がある。珍しい事だ。
その時は、森山大道自身も中平卓馬を見て、あれ?あなた来てたんだ?って驚いていた。あれは2006年7月8日の午後だった。愛知県美術館で行われていた東松照明の写真展『愛知曼陀羅』記念講演『森山大道、東松照明を語る』に、中平卓馬が現れたんだ。
渋いカンジの森山大道と飄々とした中平卓馬。俺はもちろん、ふたりにサインをもらったぜ。ミーハーですが、何か?だぜ!
中平卓馬はトレードマークの赤いボールペンで、ミミズのはったような独特の筆跡で、森山大道は青いペンで力強く颯爽とした筆跡で、俺のタバコの箱にサインしてくれたんだ。
どうだい、スゲーだろ?俺の宝物さ。
なにしろ二人とも写真のリビング・レジェンドだからな。

2011/02/07

Post #81 The Quiet One #7

HomeTown
Everybody call Me The Quiet One                     
You Can See But You Can't Hear Me
Everybody call Me The Quiet One
You Can Try But You Can't Get Near Me
I Ain't Never Ever  Had The Gift Of The Gab
But I Can Talk My Eyes
When Words Fail Me You Won't Nail Me
My Eyes Can Tell You Lies

                            The Quiet One /The Who

(みんなが俺のことを無口な奴だっていう
俺の姿を見ることはできても、俺の声は聴けないさ
誰もが俺を静かな奴だっていう
口下手な俺とうちとけようと頑張っても無駄だぜ
だけれど、俺は目でものをいうんだ。
言葉に詰まってもうろたえたりしないぜ、
俺はこの目で嘘だってつけるんだ)

2011/02/06

Post #80 The Quiet One #6

HomeTown
皆さん、信じてはくれないだろうけど、俺はホントは無口な奴 ( The Quiet One ) なのさ。
独りの時の俺を、皆さんにお見せしたいもんだぜ。
無口な俺を。