2011/03/31

Post #137 ちいさな悲しみ、ささやかな歓び

HongKong
日本中が今回の震災、津波、原発でうちひしがれている。俺の住んでる通称ミッドランドは被害に遭わなかったんで、街は普段通りに動いている 。しかし、道行く人々の心のなかはどんなもんだろうか。
こんな時でも、呑む打つ買うの三拍子って奴もトーゼンいるだろう。しかし、大方の人々の心は、自分自身が無事だった事への、後ろめたさと安堵が入り交じっている事だろう。もちろん、俺自身もそうだ。
この大災害の前では、財産も地位も才能はもちろん、容姿学歴年令年収などに至るまで、俺達が日常的な生活を送る上で指標にしてる判断の基準の全てが、砂上の楼閣のよーに脆いものだったと思い知る。いや、思い出したと言ったほーがいいかもしれない。
この世の中でたったひとつ確かな事は、俺も君も、彼も彼女も、一人の例外なく、いつか死んでいくという事だけだ。それ以外はなにもかも相対的なものにすぎないんだぜ。
あらゆる価値の指標が失われ、世間は沈んでいる。世間の皆さまは、自粛ムードに覆われ、また自らも、身近な人や見知らぬ人の不幸に直面して、物憂い表情だ。
まるで、日本中が同じひとつの悲しみに包まれてしまったよーだ。俺が小僧の頃にもそんな事があったな。昭和天皇が亡くなられた時の事だ。
しかし、俺達の暮らしは、世間全体を覆い尽くす大きな悲しみだけで成り立っている訳じゃない。
俺の言うことの真意を誤解してほしくない。理解してほしー。
そんな巨大な悲しみ以外にも、俺も君も、道行く全ての人々も、ちいさなとるに足らないような、ごく個人的な哀しみを抱いているだろう。また、些末などうでも良いような事に歓びを見いだしてもいるだろう。
たとえば、女の子にフラれたとか、仕事が上手くいったとかね。そんなことで、いちいち落ち込んだり、舞い上がったりするんじゃねぇよ、この非常時に、震災で苦しんでいる人々の身になってみろよ!って言われそうだ。
だからと言って、それを、些細な事だと切り捨てたり、自分で圧し殺してしまってはいけないんだ。俺はそう思う。
何故なら、それはそれ、これはこれだからな。冷たい事を言っている訳じゃないんだ。人間という存在は自分自身の中に様々なレイアーを持っていて、あるレイアーでは世間を憂い、災害を悲しみ、見も知らぬ人々の安寧を祈りながらも、また別のレイアーでは、新しい彼女が出来れば嬉しくなったり、身近な人に不幸があれば、その悲しみに心とらわれたりするものなんだ。
どうだい?そんなもんじゃないかい?
だから、今回の大災害で苦しむ人々の事を思うのも大切だけれど、自分自身の身の回りの出来事によって生まれてくる気持ちも、ちいさな悲しみも、ささやかな歓びも、同じように大切にしたいんだ。
俺たちは、つい70年くらいまえの戦争中にも、そんな風に自分自身の心を圧し殺して、お国のために、殺したり、殺されたりしていたんだ。俺たちは、70年なんて大昔だと思ってるが、大地の上では、そんなのほんの一瞬だ。俺たちはその頃と比べて沢山のおもちゃを手にしたけれど、人間の中身なんてそんなにスグには変わりゃしないさ。見ていろよ、日本復興の旗印のもとで、体制翼賛会みたいな事を言い出す勘違い野郎が、じきに出てくるんだろうさ。俺たちの中身は未だにどうしようもなく土人なのさ。
だから、世間を覆うムードに流されて、なんだこの非常時に!なんて相手を一喝するような事にはなりたくないもんだ。
俺は、未曾有の災害の犠牲者を悼み、苦しむ人々を案ずるとともに、自分のなかにわだかまるちいさな個人的な悲しみや、ささやかなとるに足らないような歓びを大切にしたいぜ。あたかも、嵐の中で、ロウソクの炎を消さないようにしながらね。そうじゃなきゃ、自分自身の人生だって言えないだろう。
所詮、俺は俺の、君は君の人生を生きるしかないんだから。
それじゃ皆の衆、また会おうぜ。

2011/03/30

Post #136 Fragment Of Fragments #13

終わらぬ仕事はないもんだ。
一昨日から、2日2晩、一睡もせず働いた。そして今夜帰って、ついさっきまで、ぐでんぐでんに眠ったぜ。放射能に脅かされる夢を見たぜ。まいったな。
俺の仕事は、山場はいつもこんなもんさ。夜昼もない大騒ぎ、こいつはヒデー有り様だ。
Osaka
そこで今夜はやっつけ仕事で更新さ。よく足フェチ、ブーツフェチだと言われる俺なのさ。
親愛なる読書の皆さん、また会おうぜ。明日か明後日、ぐっすりたっぷり眠ってからね。せめて、この不穏で苛酷な世界で、眠りの中でみる夢くらいは、楽しく安らかであってホシーぜ。
Good Night !

2011/03/29

Post #135 Sexual Desire #5

Akihabara,Tokyo
俺は日本はそこそこ暮らしやすい国だと思ってる。少なくとも北朝鮮よりはね。
日本のいいところは、とりあえずなんでも受け入れてしまう文化的なカンヨーさだろう。北朝鮮じゃそーはいかないからな。
だから、某東京都の『非実在青少年規制』に関しては、釈然としないものを感じているんだ。
観念やフィクションを規制するのには、反対だ。
文学も芸術も、悪やタブーに通低していないものは、うすっぺらで魅力がない。
そういう規制をしたがる人間に、何だか偽善を感じてしまうんだ。
残念ながら、俺達が生きているこの現実の世界は、よいこの住んでるよい町には程遠いんだ。俺たちは、イノセント・ワールドに住んでいるんじゃないだぜ。善と悪の混じりあった、混沌の中に生きていると思っているんだ。そこのは、純粋な悪人もいなければ、純粋な善人もいやしないんだ。善にもあくにも徹底しきれない、中途半端な俺達さ。
そんな世界で、そこでどんな信条を抱いて生きて行くかは、各々の勝手次第だと思うんだが、どーだろうか。まぁ、俺はせいぜい自由にやらせてもらうけどね。

どうでもいいけど、仕事を朝の6時までやって、やっと帰ってきた。眠いんだけれど、眠ってなんかいられないぜ。今は仕事の山場なのさ。今日もハイテンションで脳内麻薬をドバドバ出していくかな。

読書諸君、また会おうぜ。
どんなに忙しくても、君たちのことは忘れないぜ。

2011/03/28

Post #134 Fragment Of Fragments #12

HongKong
俺はいつでも目の前の現実を、淡々と トライXに納めていくだけ。それこそが俺の世界。
なんでもない事やモノや、世界の断片が、四角いフレームにおさめることで、写真として成立する面白さに、浸っては自在の境地さ。

2011/03/27

Post #133 Sexual Desire #4

Osaka
最近、こういう看板がめっきり減ってきた気がするぜ。確かに昭和な薫りが漂うぜ。
だから、こういうのを見つけると、つい撮っちまうんだな。
ふふふ…、こんなお仕置きなら、まんざらでもないぜ。

2011/03/26

Post #132 Sexual Desire #3

HongKong
キョーもこれまたいそがしー。
夜は男の仕事が待ってるのに、転勤する友人とランチに出かけるのさ。だから、今ジミヘン聴きながら電車に乗っているのさ。
そこで、今日も不評なこのシリーズだ。いくら香港だからって、こんなの道端の露店で買うかねぇ…?
いくら旅の恥はかきすてってもねぇ…。素面じゃ俺は買えないね。
諸君、また会おうぜ。よい週末を過ごしてくれよ。

2011/03/25

Post #131 Sexual Desire #2

Paris
眠って、食って、仕事して、見事にそれしかやってないぜ。今朝は朝風呂、湯船に浸かるのは久しぶりだ。気持ちよくって2時間ほど、風呂の中で寝むっちまったぜ。まったくシャワーだけじゃ物足りないんだ。朝食はフランスパンにバターとハチミツ、そしてコーヒーの俺だけれど、こんなところは、思い切り日本人だ。
世界中どこにいっても、日本人だってスグわかってもらえるだけあるぜ。
では、また会おうぜ。今日は忙しいんだ。今から男の仕事に出撃だ!頼むから俺の事、忘れないでくれよ! 

2011/03/24

Post #130 Sexual Desire #1

忙しいぜ、まったく。不滅の精神エネルギーを持つ俺も、肉体的に疲労してるぜ。悪いが今日は以前お蔵入りさせた『Sexual Desire』シリーズに手をかけてみよう。
こんな時期に不謹慎だ。散々今までカッコいい事言ってたくせに、見損なったぞ、スパークス!って声が世界中から聴こえてきそうだが、その時は疲れによる幻聴だと自分を納得させよう。
念のためにいっておくけど、俺は1ミリもぶれてない。どっかの知事や議長とは違うのさ。
HongKong
中国の古典エロ大河小説、『金瓶梅』の映画ポスターらしいんだけど、いくらこの頃『Sex & City』が流行ってたからって『Sex & Chopsticks』はないんじゃないかな。
だって『セックスと箸』だぜ?意味わかんないだろ?

では諸君、失礼するぜ。こうしちゃいられない。今日もいろいろと忙しいのさ。

2011/03/23

Post #129 Call In The Morning

Tokyo
早朝、始発電車で帰る日が続いている。今朝も電車を待つ間、マンガ喫茶でマンガを読み倒していた。まるでネットカフェ難民だ。今朝読んでいたのは『3月のライオン』1から5巻だ。最近なんだが将棋マンガが続いている。ふと、香港を思い出すぜ。あそこじゃ、公園で必ずおっちゃん達が象棋と呼ばれる丸い駒を使う中国将棋に興じていた。
そういえば、大阪の四天王寺の辺りもそんなんだった。ヤッパリ、あそこはアジアだったんだろう。民族が違うと感じていた。

朝、世間様が活動をはじめる頃に眠りに落ちるんだが、そんなときにしばしば、仕事の電話がかかってくるんだ。
キホン、俺はケータイは24時間電源は入れっぱなしで、いつだってでられるようにしているんだ。なんせ、自分のいるいまこここそが俺のオフィスだといってもいいくらいだからね。
しかし、正直なところ、こればっかりは勘弁してホシー。寝ぼけ眼でビミョーな仕事を受注して、採算が合わなかった事もある。あの時はムカついた。安く仕事を発注するテクニックかと思ったくらいだ。

時おり、ごくまれに携帯電話に登録していない、知らない番号からかかって来ることがある。
2、3日前にもそんな電話がかかってきたんだ。しかも、俺は珍しく起きなかった。
昼過ぎに布団から這い出して、この着信履歴を見て、俺はコールバックしてみた。
誰もでない。俺は相手の留守電に今朝電話をもらった者だが、用があればまたかけ直して欲しいと吹き込んで電話をおいた。

しかし、あれ以来数日。電話はない。

あの電話は、仕事の電話だったんだろうか。それとも、君がある朝、ふと寂しくなってかけてきたのだろーか?それとも、もうこの先会うこともないだろうと思っていた、あの娘からだろうか?ホウボーで電話番号の入った名刺をばらまいたからな…。そんなことがあっても何ら不思議ではないのさ。
誰にでもある、どうってことない話だけれど、いろいろな想像をしてみるのは、なかなかに楽しいものなのさ。
そして、あまりにも自分の儚い夢想を、遠い願いを、そんな電話に託している自分自身に気がついて、ふと悲しいような、さみしーような、なんとも言えない気分になるのさ。
あぁ、あの電話が君からの電話だったならねぇ。恥ずかしがらないでいいから、またかけてきてくれないか。今度はテレクラのお客みたいに、マッハで電話にでてあげるさ。

失礼するぜ。これから今日のお仕事第2ラウンドなのさ。失礼するぜって失恋するぜとよく似てるな、どうでもいいけど。

2011/03/22

Post #128 Ugliness

またまた昨日の夜も、ちょっとしたトラブルで男の仕事は中断を余儀なくされ、俺は夜中の3時に夜の街をさ迷うはめになった。そう、昨日も結局電車で現場に向かったんだ。なにしろガソリンがバカ高いうえに、俺のマシーンは口の奢った野郎でハイオクしか受け付けてくれねぇんだ。駐車場代もこれまたバカになんねぇしな。俺は自分の財布にエコな男なのさ。
深夜3時。例によって腹も減ったしな。またマンガ喫茶にいくかな。
俺は2年ぶりくらいに行くマンガ喫茶で2年前に読んだマンガの続きを読む事にした。柴田ヨクサルの傑作格闘将棋マンガ『ハチワンダイバー』11巻から18巻まで一気に読み倒す。熱いマンガだ。これはテレビドラマにもなっていたが、将棋賭博がテーマになっているにもかかわらず、TVじゃさすがに賭博を真正面から描くわけにもいかず、なんだが観る気にもなれへんかった。メディアはいつだって事なかれ主義の玉無し野郎だ。
Izmir,Turk
将棋に負けたら死ぬ、殺されるという設定が、極端極限のドラマを紡ぐ。人間、命は大切だが、その命をも賭けて打ち込める何かがあるのは幸せなんだろうな。端から見れば狂っているとしか見えなくとも。
俺も、迸るように激しく生きていたいもんだぜ。そもそも、スパークスって名前も、他者、つまり他でもない今この駄文を読んでいる君たちと、火花が飛び散るように接したいというキボーがこもってる。俺の全体重をかけてこのくそったれな駄文を書いているのさ、寸暇を惜しんでね。
俺の不滅の精神エネルギーの源は、怒りだ。何かにつけてブリブリ怒り、プリプリ憤ってる。そんなときは、不思議と身体に力がみなぎってくる。ローリングストーンズならぬローリングソバットとかをぶちかましたくなるぜ。しかも仕事ではいてる爪先に鉄芯入りの安全靴でな。怒れる高校時代に、俺の弟の鼻の骨を粉砕し、病院送りにしたローリングソバットだ。未だに切れ味抜群だろうよ。おかげさんで、その弟は、俺には住所も電話番号も教えてくれないぜ。法事のときも俺のそばから離れて座るくらいだ。全くいつまでもグチグチ根に持つ奴だ。
まぁ、そんなやつの事はどーでもいい。俺はまた、怒りに燃えている。
『ぼくは疲れてゐる、がぼくの瞋りは無尽蔵だ』という吉本隆明の詩の文句のままだ。
プンスカしてるんだ。

そう、あの元大阪府議会議長(例によってド腐れ政治ゴロ集団自民党所属)のナメた発言にだ!
もう一回、言わせてもらうぜ、自分達の利益しか頭にない性根の腐った政治ゴロ集団自民党所属の大阪府議会議長の『大阪にとって天の恵みというと言葉は悪いが、本当にこの地震が起こってよかった』という、腐れ外道も驚くような発言に、胸糞悪くなる程に、怒っているのさ!
こんな外道が議会の議長だと?政治家だと?三国志の関羽雲長が、もしも今の日本にいたならば、愛馬赤兎馬で疾風のように現れ、青龍偃月刀でこの偽善者どもの素首をやすやすと斬り落してくれることだろう。しかし、残念ながら関羽はいないんだな、現代の日本には。

だから、大阪府の諸君!君たちはこんな奴に投票してはいかんぜ!
おっと、こんな事をいうと俺は公職選挙法違反になるのかよ?みんな、おまわりにチクるのは無しだぜ!
全くどーいう国だろう、この日本という国は。
東に地震は天罰だと抜かす知事がいれば、西には地震は天の恵みとほざく議長がいる。まっとうな国民はみんな、余りにも多くの死者を悼み、多くの被災者を気遣い、自分たちには何ができるのだろうかと悩み、行動を模索しているというのに。中には絶望感や無力感にとらわれてしまっている人もたくさんいるだろう。こんな時、人々を勇気づけ、奮い立たせ、その善意のベクトルを強力に収束させ、復興へト皆を導いていくのが政治の役目だろう?むしろ、今、それが出来ない、それどころか俺の言っていることの意味の分からねぇ様な政治屋は、今すぐ辞めて家で母ちゃんのオッパイでもしゃぶってな!

そもそも、政治家ってショーバイは言葉に信義がなけりゃ、成り立たないショーバイじゃねーのかよ!永年にわたってこの国は経済一流、政治は三流と言われてきたが、考えなしに暴言放言垂れ流し、批判されたら、発言を取り消し陳謝しますだと?世間知らずも大概にしろ!一度口から出た言葉はなかったことになんてなる訳ないだろう!それが通用するのは、責任あるとされる政治の世界だけだ!そんな子供の言い訳言い逃れが通用するなら、ヤクザは指をつめることもないだろうし、イジメで自殺するガキもいねぇ!俺も何回も会社を辞める必要もなかったハズだ!
この国の、政治の言葉は軽い。奴等は政治に命を懸けてないんだ。一度マンガ喫茶で『ハチワンダイバー』を全巻一気読みしたほうがイイだろう。そもそも政治は、国民、市民、大衆(どれも同じに見えるかもしれないが、ビミョーにニュアンスが違うんだなぁ)の命を背負っているんだぜ!その言葉に信義がなけりゃならないのは、その重すぎる責任と大きな権限によるからだ。
だからこそ、人々は政治家をセンセーとよんで尊敬してきた。
勘違いしてもらっては困る。決してその人間が偉い訳ではない。
その職の持つ責任と権限を、そして自らそれを背負う事を願い、より多くの人々からそれを託された事に敬意を表するに過ぎないハズだ。しかし、この国の政治屋どもときたら、一体何様のつもりだ。さっぱり意味がわからねぇ。しかも、そんなクズが人々に選ばれ、権力を握り、偉そうにふんぞり返っている。そして、自分を選んだ者たちを見下し、内心小ばかにしている。馬鹿にするな!

俺はより良い人間になろうと思っている。
しかし、奴等は俺を見てクズ野郎扱いする。
俺はお天道様に恥ずかしくない人間でありたいと思っている。
しかし、奴等が俺をイラつかせるんだ。
イカした車に、セクシーな女。自分は年季の入ったクソジジイ
男の理想を体現するイギー・ポップ。敵はアメリカ資本主義だそうだ
そう、我欲の塊のくせに、善人ぶって指導者ヅラしたあの醜い奴等がな!おぉ、まるでイギー・ポップの歌の歌詞みたいだぞ。
乗ってきたぜ!

奴等の言う天とは、人には言えない自分達の利益のことかと思いたくなるぜ。
やめてくれねぇか?天が汚れちまうぜ。
よーし、お前さんたちの大好きな天に代わって、俺が裁きを降してやるぜ!
東の天罰野郎も、西の天の恵み野郎もまとめて死刑だ!
しかし、そんな奴等のために俺は手を汚したりはしない。あくまでこいつは天の裁きだ。奴等の寿命の尽きるまで執行猶予だ。なに、構いやしねぇ、天は悠久なんだ。奴等の寿命の残り位のタイムラグなんて、何とも思ってないだろう。ダッハッハッ!馬鹿らしくてやってらんねぇぜ。
失礼する。今夜もまたまた飽きもせず、毎度おなじみ男の仕事だ。

2011/03/21

Post #127 春の雨が降る

昨日の夜の仕事はすっかり当てが外れた。朝までみっちりかかると思っていたんだが、あっさりと3時ゴロに終わってしまった。まいったな。今日に限って朝までコースを確信して電車で来ていたのに。始発まで3時間近くあるじゃないか。しかも外は雨。これが大阪なんかだと朝の5時までやってるガールズバーとかに行ってしまい、二度と逢わない女の子と、どーでもいいような話をして、せっかく稼いだ金をどぶに捨ててしまうことになるんだがな…。幸いだ。どっちにしても雨に打たれた作業服姿でそんな店には行けやしないな。そういや腹が減ってきたぜ。吉野家にでも行って並とみそ汁でも胃袋にぶち込もう。うう、満足だ。胃袋はサティスファクションだ。出来ればもう少しだけツユが多いほうが良かったが。何事もおつゆが多いのが好みなのさ。しかし、吉野家じゃ朝まで暇はつぶせないな。マンガ喫茶でも行ってみるか。
この雨の中、俺は2件のマンガ喫茶で満席を理由に断られ、三件目でやっと腰を落ち着けることができた。ナルトの50巻から先を読まねば。始発までにね。そんなことしてないで、眠ったほうがイイんじゃないのって言われそうだが、ひとたび寝ちまったら目覚めることはムツカシー俺なのさ。

2時間ほどかけナルトの最新刊まで読み倒した。そういえば、何年か前にも、夜勤が早く終わって電車が動くまでの間、マンガ喫茶でナルトを一巻から読んだことがあった。その時は気が付いたら10時を回ってしまっていたんだ。恐るべしナルト。俺の好みは、ナルトの師匠・自来也センセーだ。あんなオヤジになりたいんだがな。しかし今回は、長年の蓄積の結果ノルマは四冊だ。楽ショーだ。ちょーどイイぜ。
俺はナルトが死んだ母に会うくだりで、ちょいとジーンと来てしまった。不覚だぜ。

俺は、始発電車で家路を急いだ。図面や資料の入ったカバン、高価なので現場に置きっぱなしにできない道具なんかを肩から下げて、最寄りの駅から歩いて帰ったんだ。細かい雨の中。あたりはまだ薄暗い。天気が悪いからだ。白い木蓮の鼻が咲いていた。
あんな大災害があっても、自分の身に何が起こっても、季節はそ知らぬ顔で巡ってくるもんだな。当たり前か。
Osaka
ここ10年くらい、春や秋にはなんだか憂鬱になる。過ごしやすくて、世間の皆様が好む季節にも関わらず、心楽しまないのさ。その春がまた巡ってくる。
何が憂鬱ってわけじゃないけど、なにかサビシー気分になるんだ。
やはり俺には、極端な季節が、汗まみれで太陽にじりじり照らされる真夏や、キーンと音の聴こえてきそうに空気の張り詰める真冬が向いている。
もう少しすると、桜の下で、花見と称して花も見ないで、酒を飲んで大騒ぎってのがどこでも見られるようになるだろう。あれがまた、ユーウツだ。普段真面目くさった野郎が、酒に飲まれて大騒ぎってのが気にいらねぇ。
俺は素面でも酔っ払ってんじゃないのってくらいテンションが高いって、周囲から煙たがられるが、こう見えて心の中には大小さまざまなブルースが渦巻いているのさ。それに今年はこの有様だ。羽目を外さないようにしなければな。

それでは失礼するぜ。今日もこれから男の仕事だ。今日は仕方ない、車で行くとするか。読みたいマンガもそれほどないしな。明日か明後日、また君が遊びに来てくれるのを待っているぜ。

2011/03/20

Post #126 イイ顔してる男たち

朝の4時過ぎまで働いて、家に帰って目覚めると11時だった。うかうかしてはいられない。今日も夜には男の仕事が待っているし、13時にはお客さんのところに行って打ち合わせなんだ。
3連休だろうが、日曜日だろうが、俺にはカンケーねぇってカンジだ。被災地の皆さんにはモーシワケ無いが、人生とはこんなもんだ。俺も生きてくのに精いっぱいなのさ。
コーヒーを飲みながらさっさと新聞に目を通し、TVをつける。やはり気になるのは震災関連だ。原発関連だ。
東京消防庁のハイパーレスキュー隊のおやっさんたちが記者会見していたぜ。とても疲れ切った顔をしているが、やりきった感のあるイイ顔だ。仕事は違うが、現場の人間は違うぜ、やはり。
同じ記者会見でも、なにが起こっているのかさっぱりわからない東京電力の記者会見とは大違いだ。しっかりと地に足がついている。俺達なんかよりもはるかに詳しく放射線の危険を知ったうえで、その恐怖を抑え込んで困難な仕事をぶちかましてきたぜっていう男の誇りが、そのシブい顔に顕れている。まったくイイ顔してるぜ。
現場の男ってのはいいもんだなって、改めて思ったぜ。今、一番やりたいことはって訊かれて『ぐっすり寝たい』なんて言ってたけれど、そこがまたイイね。キョーカンするぜ。
ありがとう、東京消防庁のおやっさん。お宅の知事は日本で最も暴言を吐きまくり、人々をげんなりさせるクソ野郎だけど、あんたたちはサイコーだぜ。
やっぱり、消防士ってのは凄いもんだな。アメリカの作家カート・ヴォネガットも傑作小説『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』の中で、消防士ほど、危険を顧みず献身的に振る舞える人間はいないって絶賛していたぜ。主人公のローズウォーター氏も有志消防団の副団長だって設定だった。ありゃホントだったってことだ。そういえば、9.11の時も、大活躍し、そして犠牲になった消防士がたくさんいたっけな。
最近、イイ顔してるおやっさんを見る機会がめっきり少なくなったんで、今日は少し嬉しかったぜ。
今日はこんなところで。写真はグランバザールの男たち第2弾ってカンジでいこうか。
Istanbul,Turk
では諸君、失礼する。ふふふ‥・、俺はこう見えて結構イソガシー男なんだ。俺もぐっすり眠りたいぜ。
明日か明後日、また会おうぜ。

2011/03/19

Post #125 女たちへのエレジー

今日は朝の9時から翌朝の6時まで仕事なんだ。
俺の仕事はきついときはキツイ。それが男の仕事だ。しかし、俺の経験では、どんな先の見えない仕事でも終わらない仕事はない。俺はいつもそうやって自分に言い聞かせている。
どんな困難な状況も、何時までも続くことはないってことだ。今困難な状況に置かれている人たちに、一日も早く『あんときゃ、ホント大変だったなぁ』って、微笑みながら言えるような日が来ることを祈らずにはいられない。まったくだ。もう一度言おう。今、困難に直面している人たちに、笑顔が戻る日を俺は心から待っている。時間がかかるのは当然だろう。しかし、そんな日が来ることを信じていこう。信じるってことは、スゲー力があるんだぜ。

Osaka
女をモノのように扱う男がいる。俺はそういう手合いは好きではない。友人になりたいとも思わない。女を自らの快楽の道具としてとらえている奴なんて、好きになれないし、一緒に飲みに行ったりしたくない。絶対にね。

しかし、モノの女の場合は、どうなんだろうな?

俺は、やっぱりいくらモノでも、女の形をしたものは、邪険には扱えないな。不幸な女の魂が宿っているかもしれないじゃないか。
俺はキューブリックの映画『時計仕掛けのオレンジ』に出てきた、ミルクバーの店内を思い出したぜ。その店ではミルクは店に置かれた女のマネキンの胸から飛び出し、机の代わりに、四つん這いになった女のマネキンみたいなのが使われていたように記憶している。

女をモノとして扱ってはいけないぜ。ましてや、暴力だなんて。もし、そんなふうに君のまわりの女性に憤ることがあっても、そこはぐっとこらえていこう。それが男だ。せめて、モノにあたっておくぐらいにしておこうぜ。それでも女性は充分怖がっちまうんだけどな。

別に、俺の生活に何か事件が起こった訳じゃない。ただ、この写真を見てて、なんとなくそう思っただけさ。
ああ、そうそう3月8日は国際女性デーだったんだって。そんな結構な日があるなんて、俺は知らなかったぜ。
諸君、また会おう。暑さ寒さも彼岸までだ。良い連休を過ごしてくれ。俺は仕事だ。そして、被災地で大変な思いをしてる人たちの事を想って、あまり羽目を外し過ぎないようにしてくれないか。そうだ、梅の花でも見に行くといいだろう。今頃、パリではミモザの花も咲いているだろう。なんてね。

2011/03/18

Post #124 ヘリコプター

いつも災害が起こると、不思議に思い、なおかつ苛立ち、挙句の果てには憤慨することがある。
今回の災害にも、避難所には食料も水も生活物資もない。しかし、そんな避難所にも、カメラが入って、マスコミのレポーターが入っていて、呑気に『避難所生活はいかがですか?』とか『一番必要なものは何ですか?』とか被災者に訊いて回っている。俺達はそれを通じて、状況を知ることができるのだが、どこか割り切れない。
そして、今回の震災でも、被災地の上空には真っ先にマスコミのヘリコプターが、ぶんぶんと飛び回っただろう。

Osaka 例によって本文とはカンケー無し
何度俺は、ヘリコプターに乗ったレポーターが『病院(もしくは学校)の屋上には、SOSと書かれています。』と伝えるのを見たことだろうか?
SOSだって言ってるだろう!マスコミがそういう状況をカメラにおさめて、そのまま飛び去ってしまったのを何度見たことだろう。そして、そのSOSと書かれた屋上で、ヘリコプターに向かって必死に手を振る人々を何度見てきたことだろう。子供が線路を走る電車に手を振ってるのとは訳が違うんだぜ。そのカメラが映している光景の先には、生か死かというぎりぎりの状況に置かれて、困窮逼迫している被災者のかたが、電気も薬もない状況の中で、患者を救おうとして懸命に働く医師や看護師がいるんだぜ?
相も変わらず、今日もまた、マスコミのカメラは避難所に上がり込み、被災者に対して、訊くまでもなく分かるような頓馬な質問を投げかけては、こういうのさ。『道路が寸断され、物流が止まったいるため、被災地には援助物資がなかなか届きません』 じゃ、俺はマスコミの皆さんに訊きたいぜ。『HEY、HEY、HEY、マスコミのおにーさんよ、あんたたちははいったいぜんたい、どうやってそこにたどり着いたんだい?』ってね。そしてもう一発訊きたいぜ。『あんた、まさかマイクだけ持って行ったんじゃないだろうな?何か、援助物資を、それが例え焼け石に水のわずかな量でも、持っていかなかったのかい?』ってね。
わかってる、俺は本当はよーく分かってる。それは報道の使命ではないっていうんだろう。客観的に事実を伝えるのが報道の仕事ですって、シレッとした顔で言うんだろう?
けど、本当にそれでえーんかい?
俺がその立場だったなら、報道の使命だのなんだのは、とりあえず脇に置いても何かしたいぜ。
ああ、わかってるよ。本当によ〜く分かってる。目の前の人たちだけ助けても仕方ないっていうんだろう。起きていることを広く社会に伝える仕事なんだ。食料や水や生理用品や靴下を被災者にもっていってやることが仕事じゃないっていうんだろう?
けど、本当にそれでえ〜んかい?
俺が子供じみたことを言っているのは承知している。彼らが職務を忠実に果たすのは、被災してない俺が、自分の仕事を誠実に真面目にこなすのとまったく同じ仕事ですっていうことくらい、百も承知だ。
Barcelona
承知していることと、納得していることは違う。俺はこのブログは極力自分の想いを自由に、誰憚ることなく、正直にセージツに綴りたいと思っている。だから、それが社会の一般的な通念と噛み合わなくても、あえて言ってみるか。それってなんか納得いかないぜ。これは見せもんじゃないんだぜってね。これ見よがしにヘルメットなんかかぶりやがって、この野郎って思うのさ。

昔、阪神大震災の時にもそう思った。作家の辺見庸も、確かそんなことを書いていたっけ。しかし、俺にとって、最もインパクトがあったのは、キヨシローによく似たゼリーなる人物が率いていたザ・タイマーズが歌っていた『ヘリコプター』って曲だ。もちろん俺には、自衛隊のヘリの活躍が報じられている時に、それに異を唱えたり、水を差したりするつもりは全くないが、あくまで、かつてこういう歌もあったって形で書いておく。
皆さん、決して俺の真意を誤解しないでほし―ぜ。

ヘリコプター  ヘリコプター
空から水をまいてくれ
ヘリコプター
今すぐこの火を消してくれ
マスコミばかりが乗ってるヘリコプター

燃えてるぜ 燃えてるぜ
2日も3日も骨まで燃えてるぜ
ヘリコプター
まるでこの街は火葬場さ
人命救助をしてみろヘリコプター

自衛隊のヘリコプター 消防署のヘリコプター
警察のヘリコプター エリートだけが乗れるヘリコプター

ヘリコプター ヘリコプター
燃え広がる前に飛んでこい
ヘリコプター
レポーターよりも俺を乗せてくれ
火事場のまわりの野次馬ヘリコプター

政府要人のヘリコプター 海外派兵のヘリコプター
税金で買ったヘリコプター いざという時に飛べないヘリコプター

ヘリコプター ヘリコプター
燃え広がる前に
ヘリコプター ヘリコプター
飛べなくなる前に
ヘリコプター ヘリコプター
上昇気流のその前に
ヘリコプター

THE TIMERS 『ヘリコプター』(アルバム『不死身のタイマーズ』より)

過激だ。誤解を招く恐れがビンビンあるぜ。
俺も、読者諸君から呆れられてしまうかもしれない。もちろん、俺は自衛隊の皆さんが、孤立した人々をヘリですくいまくっているのを知っているし、福島の原発でも、危険を冒して消火活動に従事していることも知っているし、心から尊敬している。しかし、言いたい。もちろん、俺が言いたいのは、マスコミの皆さんに関することが言いたいから、こんな昔の歌を引っ張ってきたんだ。分かるだろう?実にこの逡巡こそが人生だ、ロックンロールだ。
マスコミの皆さんも、職務に忠実なのはまことにいいことだ。なんて言ったって、彼らも所詮サラリーマンなんだからな。しかし、職務を逸脱したり、自分の組織をはみ出すようなことをしでかす方が、人間として正しい、いや義しい(もちろん、ただしいと訓むのだよ)時もあるんじゃないだろうか?
諸君、どう思うだろう?俺は今回も今一つ納得いかないと思ってるんだがな。
もちろん、このどさくさに紛れて便乗値上げで一儲けをたくらんでいるような性根の腐ったクズ野郎や、今から復興特需をにらんでホクホクしているようなろくでなしなんかには、納得するどころか、憤慨しているんだけどな。もし、そんな性根の腐った奴に出会ったら、問答無用で簀巻きにして川に放り込んでやるぜ。憶えてろよ!今から風呂に入って、よーく首を洗っておくこった。

それでは、また会おう。明日から本格的に、俺もイソガシー。また、体調をくずしてアレルギーを起こしたり、結石や通風で悶絶しないようにしなくちゃな。そうそういつも君たちに心配をかける訳にはいかないさ。もっと心配してあげてほしい人が、今の日本には何十万にもいるんだからな。
失礼する、また会おう。

2011/03/17

Post #123 ぼくが真実を口にすると・・・

こんな時期だけれども、俺のホームタウンは被災地からかなり離れている中部地方(FMラジオ局はカッコよくMid Landと呼んでいた)だから、明日から今月いっぱい、怒涛の仕事ラッシュが始まるんだ。
被災地の皆さんには、まことにもって、申し訳ないが、人生は自分の意図したようには必ずしもならない。外的なヨーインに大きく左右されてしまうのだ。致し方ない。人はそれぞれのリングで、精一杯生きてゆくしかないんだ。
まだ起こっていないことに心配して、パニックになったりふさぎ込んでしまっても仕方ない。備えは必要だけれど、不安に駆られてしまっては、貴重な人生の一日を、無駄に使ってしまうことになりかねないぜ。
俺には俺の人生がある。そして、俺は自分の人生を生きてゆくしかないんだ。
この先に何が待っていようとも。
ならば、今目の前のことに全力で取り組んでいくしかねぇだろう。せめてみんな、被災地の皆さんに恥ずかしくないように、しっかりと生きていこうや。
Osaka
そんなわけで、今日はプリントでもして過ごしたかったんだ。何故って、明日死んでしまうことになっても仕方ないとは思うが、唯一心残りなのは、自分の写真でプリントしていないものが山ほどあるってことだ。残念ながら、俺にはそれを老後の楽しみにとっておこうなんて趣味はないんだ。何故って、ジジイになって生きてるかなんて、さっぱりわからないからな。

しかし、明日からのラッシュに備えて、仕事の段取りをしたり、掃除をしておいたりしてるうちに、今日も雑事で一日暮れてしまった。残念だ。しかし、掃除機で掃除をしたり、洗濯機で洗濯したりすることができるのは、電気や水道、そしてガスなどのライフラインが健全に維持されているからだ。当たり前のことが、実はありがたいことだって身に沁みるぜ。
こんな雑事で忙殺されてしまった一日だったんだが、一つよかったのは、アレルギーの薬をもらいに行った病院の先生が、若くてきれいなおねーさんだったってことぐらいか。もう少しで、『センセー、彼氏いますか?僕と食事でもどーですか。よければ、あなたの写真を撮らせてもらえないかなぁ』なんて聞きそうになってしまった。まぁ、まつ毛にボールペン、乗りそうですよねなんて、チョーシに乗って言ってしまったが。
しかし、そんなことをしても仕方ない。所詮、彼女と食事をしたりしても、彼女には俺の世界はわかってもらえないだろう、きっと。俺の世界を理解してくれるのは、俺の内縁のカミさんとごく少数の友人、そして何よりこのブログを読んでくれている、親愛なる読者のみなさん、そう君たちだけだろうから。
俺は、図面を製本するための材料を買いに近所の本屋に行ったんだが、ここで、また本を買ってしまった。
おいおい、仕事の段取りはどうなったんだよ?

しかし、心配無用だ。その本は以前新書で出ていた時に買っていた本なのだ。
しかし、以前働いていた会社の同僚に、『これは、生きていくうえでとてもためになる本だから、ゼヒ読んでみるといいぜ』って貸したら、二度と帰ってこなかった。もし奴が気に入って読み込んでいてくれたなら、恨み言の一つも言わないだろう。
しかし、俺の推測では、99.99%、奴は読んでいない。
本を読んだりする習慣のない人間は、本を読む習慣を持つ人間が、どれほど本を大切にしているのか、そして、どれほどその本から多くのことを学び、自らの指針にしていくのかわかっていないんだ。
奴が活字を読んでいるのを見たのは、残念ながら『週刊プレイボーイ』だけだった。
仕方ない。荒れた土地に種を蒔いても、芽を吹く確率は低いのだ。

だから、その本が文庫になっているのを見つけた時に、迷わず買ってしまったのだ。この非常時に呑気なことだと思われるかもしれない。しかし、未曽有の災害によって、心身ともに足元がぐらつくような感覚にさらされている今だからこそ、俺はその本を買わねばと思ったんだ。そう、本は時として、人生を歩む上での、杖となり、指針となり、灯りとなるんだ。

その本の名は勢古浩爾著 『ぼくが真実を口にすると 吉本隆明88語』(ちくま文庫刊)だ。

タイトルは、吉本隆明の詩、『廃人の歌』の一節、『ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によって ぼくは廃人であるそうだ』からとられている。

吉本隆明は、『戦後思想界の巨人』と呼ばれる在野の思想家であり、哲学者であり、詩人であり、何よりも糖尿病を患うジーさんだ。ある一定の年齢の人々にとっては、その名は伝説的な輝きを持っているだろう。若い人々には、吉本ばななの父親といったほうがわかりやすいかもしれない。
俺は、モヒカン刈りの高校時代から、ロックを聴きながら吉本隆明の本を読んできた。
The Whoのピート・タウンゼント、忌野清志郎とならんで吉本隆明は、今日まで俺を支えてきてくれた大きな柱だ。いや、むしろこれらは今の俺の背骨だといってもいいだろー。俺はけっして頭のいい男ではないから、吉本の哲学的な内容は十分に理解できているとは言い難い。残念だ。しかし、自分は決してインテリではなく、またどんな組織にも属することもなく、ただの大衆の一人なんだという堅固な立ち位置から放たれる吉本の言葉は、俺の心に矢のように突き刺さり、その言葉のまわりに、経験という肉が巻くように自分は歩んできた。
Osaka
この本の著者の勢古氏もこう書いている。
『本書は、吉本隆明の、いわゆる「思想」の語録ではない。しかし、まちがいなく「吉本隆明」の思想の語録である。  中略  本書に出現している傍流としての吉本隆明、これもまた吉本隆明である。いや自惚れていえば、これこそが吉本ではないか、といいたいところだ。控えめにいって、わたしは本書の吉本隆明像に自信をもっている。一面的だとのそしりは免れないだろうが、しかし、だれからなにをいわれようと、ふっふ、絶対的な自信がある。何故ならこのような感受の仕方こそが、「哲学」学者でも文芸批評家でもないふつうの人間にとっての「思想」(思考)だと信じているからである。この考えにはたぶん普遍性はない。が、そんなものはなくてもちっともかまわない。ひとりの自分、そしてひとりの他人を生きるものにとっては、人間の存在や日々の生活の本質を透徹するような思想こそが思想なのである。』
ああ、ここにも、俺と同じように吉本隆明を読んでいた人がいたんだなって嬉しくなるぜ。
市井で生きる卑小な名もなき大衆の一人である俺たちにとって、生活の実感のない言葉は、所詮ゲームのようなもので、いかにそれが膨大な知識と高度な思考によって生み出されていようと、地に足がついていないってことで、読んでもクソのふたにもなりはしねぇ。だから、生活を国家によって、つまり俺達からの税金によって保障されていたりする大学教授の本なんか、読んでもみたいとも思わなかった。読んでもよくわかんねぇしな。
しかし、吉本は違った。軍国少年、左翼青年、そして大企業の組合労働運動家、失業者などの道をたどりながら、詩人として出発し、文芸評論家、思想家と間口を広げてきた吉本の言葉は、生活者の重みがある。つまり、地に足がついているんだ。

この本の中から、俺の好きな言葉をいくつか列記してみよう。

『いいことを照れもせずいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ』

『何が強いって、最後はひとりが一番強いんですよ。』

『労働というのは一種の「刑罰」みたいなもの』

『個人のほうが国家や公よりも大きいんです。』

『本当に困ったんだったら、泥棒して食ったっていいんだぜ』

『智力、腕力、思想、識見、すべてをあげてわたしと闘ってみろ。』

『何か、自分の思っている自己評価より高くみられるようなことだったら嫌だけど、出鱈目なこととか、低くみられることならいいんだってのがこっちの原則なんで。』

『僕には、自分がやっていないこととか出来ないことでは人をおおっぴらに非難するな、という自戒があります。』

俺はこれらの言葉を、何度心に唱えて働いてきただろう。生きてきただろう。

『ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあうことをきらつた反抗がたふれる』
この詩の一節を、若き日の森山大道や中平卓真が口ずさんでいたのを知って、嬉しくなった覚えもある。
俺が、今日までこうして生きてこれたのは、絶望してしまわなかったのはロックンロールとともに、こういう言葉を自分の支えにしてきたからだ。今だからこそ、もう一度これらの言葉を胸に刻もう。
俺は、生きるぜ、いけるところまで。悪いけど。
今日もコンビニのATMで、電話しながら金を下していた男は。『パチンコで負けちまったから、金がなくて…』なんて言っていた。生理的に、こんな大変な時にパチンコにうつつを抜かすたぁ、太てぇ奴だ、この野郎って思わないでもないが、いかんいかん。吉本隆明もこういっていたしな。
『こんな深刻な目にあっている自殺者がある一方で、すぐ隣でお笑いや遊びや娯楽が行われているという社会を承知し、赦すこともおすすめしたいのです。日本人が初めて本当に必要とする寛容さが、これですから。』
最後に吉本隆明もこういっているぜ。
『日本人ってのは、ちょっとバカにできないぜ』 
きっと、今回の大惨事も、日本人は乗り越えていけると俺は信じてる。
では、皆の衆、また会おうぜ。
今日は俺の趣味の話し一色で、スマン。けど、興味があったなら、この本読んでみておくれよ。

2011/03/16

Post #122 Nightmare

何年も前に見て、忘れられない夢がある。
俺は、もうすでに何年も前にオヤジの借金のかたにとられてしまった実家の台所にいたんだ。そして、食卓の向こうには、俺が中学生の時に死んでしまったはずのオフクロがいたんだぜ。俺は、夢の中でもオフクロがとっくに死んじまってることを明確に理解していたから、懐かしさなんかよりも、不気味さが感じられた。これは、死の世界の話しなんだと。
Izmir,Turk
オフクロは俺に、自分が作った飯を食うように言うんだ。俺はぎょっとなった。古今東西、死の世界の食物を食べることは、死の世界の住人となることを意味しているからな。イザナギ、イザナミの話しはその代表例だ。俺は、箸に手を付けるのをためらった。俺のオフクロは気性の激しい女で、癌で死ぬ直前まで、俺の頭をスリッパで張り飛ばしていたような人だった。それが、優しい顔で、俺に食事を勧めるのだ。
ヤバい。これを喰ったら俺はもう目覚めることなく死ぬんだなと思ったぜ。

俺は、オフクロとそして食卓に並んだ料理から目を背けるように窓の外を見た。そこには、俺を震え上がらせるような恐ろしい光景が広がっていたんだ。

外はもう夜だった。街の灯りが遠くまで見えた。俺の家は平野の一角だったから、そんな遠くまで見えるはずがないんだが、夢の中では俺の家は小高い丘の上にあり、遠くの街の灯りが視界いっぱいに広がっているのが見えていたんだ。
しかし、その灯りが地平線のほうから順に、真っ黒な闇それも、質量をもった、粘度の高い真っ黒な闇に、次々と飲み込まれていったんだ。

俺は、世界が終る時が来ちまったと思ったんだ。俺は、オフクロを見た。オフクロは静かに笑っていた。もう死んでいる人間にとって、世界の終りが何の意味があるのか?とでもいうように。
こうして俺は、汗まみれになって目を覚ました。恐怖のあまり、鼓動は高鳴り、荒い息を吐いていた。
俺は、この夢の恐ろしい光景が何を意味するのかさっぱり分からなかった。俺がイメージできたのは風の谷のナウシカに出てきた『大海嘯』だ。例の腐海が暴走して、胞子をまき散らしながら、人間が住む世界を飲みこんでゆくというあれだ。
けれど、今回の地震とそれに伴う津波の映像を見て、あれが何だったのか、はっきり分かった。
『津波』だったんだ、きっと。
真っ黒な濁流が、水平線から一斉に迫ってきて、人間の世界を、自然から見たらちゃちな世界を、ぶっ壊しながら飲み込んでいってしまうあの大津波だ。
こんなことが現実に起こるなんて…。未だに心の整理がつかないが、日常の生活は淡々と進んでいく。それがまた、後ろめたく、心苦しいのだ。
被災地で、自らも被災しながらも病人を看護する人や、妻や息子夫婦そして孫までも失いながらも、消防団長として住民を守る人、そんな普段は目立たないが気高い心を持った人々を見ては、思わず涙がこぼれちまうぜ。俺は、人間が出来得る最も尊いことは自己犠牲だと思ってるんだ。宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』の主人公、グスコーブドリや、鉄腕アトムの最終話で、アトムが異常活動を始めた太陽を正常に戻すために、太陽に突っ込んでいったみたいにね。まぁ、それは極端な例かもしれないのは十分承知しているが、とにかく自らも不安を抱え、、悲しみを背負い、苦しみながらも、周囲のために尽くしている、人々の素晴らしさに、言葉もないほどだ。人間、まだまだ捨てたもんじゃないぜ。
Efes,Truk

出来ることなら、ニッポンのお偉いさんたちにもそんな気高い姿を見せてもらいたいもんだが、自分たちが寄付をしたりする前に、復興のための増税を検討すべきだとか、火事場泥棒みたいな事をいう勘違い野郎や、これは天罰だといってみては、一晩たって発言を撤回するような馬鹿野郎ばかりが目立つ。悲しいことだぜ。俺達はいつも間違った奴らを選ぶんだ。
外国人が、炊き出しをしてくれている。宗教も肌の色も違うその外国人は、流暢な日本語で、『皆、同じ人間でしょう』と語り、当然のことをしているんだって、スゴクいい顔をして語っていたぜ。日頃、ぎすぎすしてる国も含めて、世界中から援助の手が差し伸べられている。文化や宗教や、肌の色なんかで、人間は何も変わりはしないんだって感じるぜ。
被災地から遠く離れた俺達庶民は、今のところ募金ぐらいしかしてあげられない。せめて、困難な状況の中で救援活動を繰り広げる警察や消防、自衛隊や被災地の公務員の皆さんを応援したいぜ。、そして何より、よいことが起きるように、ただ祈るだけしかできないんだ。
今日も大学生たちが、ぶり返した寒さの中で声をからして募金を訴えていた。俺は迷わず募金させてもらったぜ。何もしてあげられないが、せめて自分の小遣いを若者たちに託してみるのもいいだろう。
避難している人たちに、一刻も早く温かい食物と、暖を取る燃料と、清潔で暖かな衣服と、医療などの支援が、そして生活を再建するのに必要なあらゆるものが届けられることを祈るばかりだ。
いつか見た悪夢のような出来事は、もう起ってしまった。けれど、そのあとに起こることまで、悪夢のような出来事にはなってほしくない。
俺みたいな男が言うのもなんだけれど、出来ることなら、被災地の人々の、それを支えようとするその他の地域の人々の、温かさ、強さ、気高さを見ることが出来ればと思ってやまないぜ。
今は被害を免れた自分たちまで、パニックになったり、買い占めたりするような、あさましい無様な姿は決して晒せないのさ。
読者諸君、今日はこれくらいにしておこうぜ。心配なことはたくさんある。けれど、それに押しつぶされちまってはいけないぜ。心が押しつぶされちまったら、なにもいい方向にはいかないもんだぜ。明日か明後日、また会おうぜ。

2011/03/15

Post #121 Photographica #5

実は昨日は、プリントをしていたんだ。去年出張で2週間ほど滞在していた大阪の写真だ。うんざりするほどある中から、フィルム1本、20枚プリントしたんだ。
プリントしていると、お客から電話があった。今日予定されていた打ち合わせが、東京の元請からの書類が届かないために16日に延期してほしいという内容だった。
うむ、こんなところまで影響は及んでいる。呑気な話に聞こえるが、某配送会社の集荷のおじさんに訊いてみたところ、東京までは荷物は多少の遅れで届くが、千葉も含めて東京以東は受け取りを断っているそうだ。物流が完全に止まっている。
そこで、今日は印画紙を買いに出かけたんだ。
大学生たちが、街角で声を張り上げて募金を募っていた。しかし、そのすぐ脇で昼キャバのおねーさんとも呼べないような小娘が、割引券を配っていた。普段でも、昼間っから酒飲んで女の子と戯れるほど人間として堕落しちゃいないぜと思っているが、さすがにこの時期にこれはないんじゃないか?いや、そんな風に感じてしまうのは、大政翼賛会というか社会の同調圧力に屈してしまっている証左なのではないか?悩ましいところだ。やけになって、昼間っから酒でも飲まなけりゃやってられねぇって人もいるだろう。
俺は、いつものジュンク堂に行き、つい写真集を買ってしまった。廃墟写真をおおく手掛ける中筋純の『廃墟 チェルノブイリ』だ。
TVでは、原子力の専門家が入れ替わり立ち代わり登場し、今回の原発事故はチェルノブイリのようにはならないと繰り返し言っている。また、各地で検出された放射線量が胸部レントゲン一回分にも及ばないと解説されている。あくまで今のところはね。
で、3年ほど前に刊行された『廃墟 チェルノブイリ』を開いてみよう。
中筋純『廃墟 チェルノブイリ』 二見書房刊
そこには、昨日も紹介した『石棺』が不気味にそびえている。
整然と並んだアパートは、廃墟と化している。その部屋の中には非難した子供がおいて行ったのだろう、人形が落ちているが、その人形は高濃度の放射能を含んでいるため、手に取ることすらできない。剪定されることのないポプラの木は、5階建てのアパートを越えるほどの高さに育ちまくっている。
実りの季節を迎えた林檎の木には、たわわに黄金色のリンゴが実っているが、それは放射能という猛毒を蓄積した毒リンゴだ。
建設されたまま一度も稼働することなく打ち捨てられた観覧車は、錆に覆われている。
レーニンの肖像は未だに共産主義の未来を謳歌している。
そして、人間が消えた土地には、さまざまな野生動物が戻ってきている。
これが明日の関東平野の姿じゃないとは言い切れないぜ。

あ~、高校生の頃は、ウクライナやベラルーシ(当時はもちろんUSSRソビエト連邦だ)は遠いところだった。だから呑気に、剥げてる先生の事を『おいチェル!』なんて馬鹿にして笑っていたのに。まさかこんな日が来るなんて、悲しくなってくるぜ。

けれど、今日俺が、まんざら捨てたもんじゃないな日本もって思ったのは、昼キャバで働いていたっておかしくないようなお嬢たちが、同じくらいの年ごろの大学生の募金に迷わず募金していた姿を見たことだ。なんか心が温かくなったぜ。日頃、人間見かけで判断しちゃダメだなと思っていたのに、知らず知らずに判断していた自分を恥ずかしく思ったもんさ。まだまだ、日本は捨てたもんじゃないぜ。中には天罰とか言っている馬鹿な老人もいるけれどね。そんな奴は放っておこうぜ。

そうこう言ってる間にも地震だ。震度3か。まいったなぁ〜。今日はこれくらいで。
君たちも自分の身を守ってくれ、サバイバルしてくれ。
生きてるウチが花だぜ。

2011/03/14

Post #120 Melt Down

こんな戦時中みたいな恐ろしい状況のなか、私事で、キョーショクなんだが、昨日の夜、俺は脇腹に激烈な痛みを感じて、救急車で病院に搬送されてしまった。痛くて苦しんでいるのに、看護師の青年は俺の格好を見て、お仕事は何をなさっているんですかとしつこく聞いてきやがった。仕方ない。頭は例によってもじゃもじゃで、パイソン柄の派手なスキニーを穿いていたから、興味津々なのはわかるが、俺は痛くてストレッチャーの上で七転八倒なんだけどな。好奇心は結構だが、TPOッちゅうもんがあるだろう!確かに、俺もストレッチャーでERに運び込まれたときに、看護婦さんを見て、「わぁ〜、綺麗なおねいさんがいっぱいだぁ〜」なんて軽口を叩いてみたが、それはあくまで男の矜持だ。耐えられないくらい痛くなかったら救急車なんてよばねぇよ。
Fukuoka 例によって本文とは全くカンケー無し
生まれて初めて、CTスキャンされ、下された診断は結石だった。しかも一つじゃない。左右の腎臓に複数個ずつ、医師の表現によれば、ゴロゴロある。膀胱にもある。堪らないぜ。痛風といい、結石といい、俺は贅沢病だ。こんなにガリポッチなのにな。やはり男の仕事師だから毎日ガツガツ肉を喰っているのが良くないのか…。仕方ない、これも人生だ。ロックンロールだ。

人間も製造後40年以上になると、いろいろとガタがくるもんだぜ。ましてや、人間が作り出した機械も、40年も使われているものとなると、さまざまな問題が噴出してくるだろう。何事もなければ、問題は発覚せずに済むが、何か予想を超える事態が起こった時、それは俺たちの予想をも超えた惨事となって現れる。そう、原発だ。原子力発電所だ。
俺が10歳の頃、アメリカでスリーマイル島の原発事故があった。この時の事を、漠然と覚えている。地球の反対側のこととはいえ、世界中がおののいていた。幸いなことに途轍もない事故には至らなかったが、チャイナシンドロームという言葉を俺は覚えている。そう、原子炉の炉心が熔解し、その熱で大地を溶かしてゆき、アメリカから見た地球の反対側、中国にまで達してしまうという、気味の悪いジョークのような内容だ。
そして、俺が高校生の頃、今度はソビエトでチェルノブイリの原発事故があったんだ。この時には、人類は未曽有の体験をしたんだ。原子炉が暴走して、止まらなくなったんだ。俺の記憶では、この時ソビエト軍はヘリコプターで気の遠くなるような量のセメントを原子炉にかけて、原子炉を封印したはずだ。それは石棺と呼ばれていたぜ。その時、現地で作業にあたった兵士たちは、放射能はマスクで防ぐことができるなんて、少し考えたらわかりそうな駄法螺を吹き込まれて、勇敢に作業に取り組み、被爆したんだ。非公式の話しでは3000人が死んだとも言われているんだ。広島に落とされた原爆の500倍の放射性物質がまき散らされ、北半球全体に広がった。発電所から30キロ圏内は今もなお、立ち入り禁止区域で、13万人以上の人々が強制的に移住させられた。未だに、ウクライナやベラルーシの広大な土地には放射能が残り、多くの人々が癌や白血病に苦しんでいる。
メルト・ダウンだ。
そう、このころ、世界中で反原発の機運が盛り上がった。しかし、日本の電力会社も政府も、日本の原発はチェルノブイリで事故を起こしたソビエト型ではなく、アメリカ型なので、安全ですといいつづけたんだ。
RCサクセションが『サマータイム・ブルース』の替え歌を発表しようとして、発売中止になったのはそのあとだ。
若い奴らは知らないだろう。エディ・コクランの名曲。ザ・フーのLIVEでの定番。それをカバーした歌詞は、こんなんだった。

暑い夏がそこまで来てる
みんなが海にくり出していく
人気のないところで泳いだら
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねぇ 何のため?
狭い日本のサマータイムブルース

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねぇ 何のため?
狭い日本のサマータイムブルース

寒い冬がそこまで来てる
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもTVは言っている
『日本の原発は安全です』
さっぱろわかんねぇ 根拠がねぇ
これが最後のサマータイム・ブルース

あくせく稼いで税金とられ
たまのバカンス田舎に行けば
37個も建っている
原子力発電所がまだ増える
知らねえうちに 漏れていた
あきれたもんだなサマータイム・ブルース

RCサクセション 『サマータイム・ブルース』日本語作詞 忌野清志郎

こんな歌、原発関連企業東芝の子会社、東芝EMIから出せる訳ねぇよな。
キヨシローはのちに、『メルト・ダウン』って曲も作っていたな。ちっとも話題にならなかったけど…。こんな事態になって初めてキヨシローの心配していたことが身に染みてわかるなんて、情けないぜ。
何故って、俺達は忘れっぽいからな。
TVが政治家が『原子力発電所は安全です。原子力はクリーンなエネルギーです』と言い続けた結果、原子力発電所はすっかりおなじみになっっちまった。
違和感が無くなったんだ。俺達はすっかり洗脳されちまったんだ。自分で考えることをしなくなっていたんだ。
ソビエト崩壊で、核戦争の危機が遠のいたこととが、放射能の恐怖を和らげたんだ。
地球温暖化を食い止めようという大合唱がCO2の排出が少ない原子力を後押ししたんだ。
電力需要は年々上昇していった。今じゃ俺たちは電気がなけりゃクソもできねぇ有様だ。挙句の果てには環境に優しいEV=電気自動車だって。その電気を発電するのに、エネルギーはどこから来るのでしょうか。火力発電所か?だったらガソリンエンジンと大差ないだろ。答えは原子力発電所さ。
Kumano これまた本文とは全くもってカンケー無し
でも、本当に安全だっていうんなら、東京や大阪の真ん中にどうして作らないのか不思議だったぜ。どこでも原子力発電所ができるのは、海沿いの辺鄙なところばかりだからな。ホントはちっとも安全じゃないって、作った本人たちが一番知っていたんじゃないのか?
その原子力発電所が、地震に見舞われ、次々トラぶってる。1号炉と3号炉は建屋が吹っ飛んだ。挙句の果てには2号炉はメルトダウンした可能性があるだと。福島県がウクライナみたいなNo Man's Landになっちまうかもしれねぇってのに、官房長官や原子力保安院、東京電力の記者会見は歯切れが悪い。中の圧力抜くために、弁を開放して、放射性物質たっぷりの蒸気を大気中に放出することが、大したことないような印象に変わってきている。そりゃメルトダウンに比べれば、大したことないだろうけれど。それでもそいつはえらいことだぜ。

俺は面白がってるんじゃないんだぜ!ホントに泣き出したいくらいなんだ。
頼むから、本当のことを言ってほしいもんだ。健康に被害はない程度の放射線(放射能って正直に言えないのかねぇ)だなんて、誰も信じてないんじゃないのか。少なくとも俺は信じてないぜ。いつだって、権力のある奴らは臭いものには蓋をしたがるからな。
みんなを不安に陥れようって気でこんな事を書いてるんじゃないんだ。俺は本当のことが知りたいんだ。放射性物質は洗い流すことはできても、身体を透過した放射線の影響は洗い流すことなんてできないんじゃないのかい?
俺達は電気がなけりゃ生活できねぇ。当たり前だ。今更石器時代みたいな暮らしには戻れないからな。電気が来なけりゃ、俺だって、プリントでき無くなっちまうぜ。しかし、もっとそれがどうやって作られるのかを真剣に考えなけりゃならないだろうよ。しかし、それは今からの課題だ。
今、俺たちのケツには火がついてる。しかも放射能入りの火だ。東京電力さんよ、頼む、何とかしてくれよ。俺達は地震と津波で充分に痛めつけられてるんだ。その上、放射能かよ!堪らないぜ!

あと、介護ロボットとか、受付嬢ロボットとか、挙句の果てには演劇ロボットとか、人間の雇用を奪うようなクソくだらないロボットを作るくらいなら、放射能ガンガンの原発の中でも、へーきの平左で仕事のできるロボットを開発してくれないか?どーだろう?今回もやたら、確認できないので、推測ですがって言葉を聴いたように感じるし、実施に作業員が爆発に吹っ飛ばされたり、被爆したりしているんだぜ。毒にも薬にもならんようなロボットを作ってイイ気になってちゃいけないぜ!

いいかい?そもそも人間を幸せにしない科学は、ダメなんだぜ。手塚治虫先生のマンガでも、そのことは何度も描かれていたぜ。俺達はそろそろ、なにを考えるにも人間を、そして生命を中心に考え直さなけりゃならないぜ。
今日は、こんなところで。また明日か明後日、君たちと話し合おう。
その時、スパークス、大騒ぎしすぎだったんじゃないって笑われるようであって欲しいもんだぜ。

2011/03/13

Post #119 神も仏も無いものか…

大変なことになってしまった。
さすがの俺も、これには呆然とするしかない。しかし、地震が発生してからこっち、俺はほとんど働きづめだった。現代史上稀にみる大災害が、この日本の国に起こっているというのに、俺の住む地域はまるで他人事のように物事は淡々と進んでいる。斯く言う俺も仕事中毒のように昼夜なく働いていたんだ。それが後ろめたく、人としてどーなのか悲しい気持ちになる。
俺の知る人は、幸か不幸か東日本には殆どいない。にもかかわらず、大きな喪失感が胸にとぐろを巻いている。
俺は今こうして、のうのうと生きているのだが、これは単なる偶然でしかないのだ。ひょとして、東北で起こらず、東海地方で起きていたのなら、がれきに埋もれ、津波にさらわれ、炎にまかれて死んでいたのは俺だったかもしれないんだ。その意味で、俺たちが今生きているのは、偶然の結果にすぎないんだ。
死んでいった人々に対して、生き残った俺たちが出来るのは、極論すれば、死んでいった人々を忘れないことだけと思うが、見も知らぬ人々を忘れないことは、実に難しい。
しかし、刻々と増加してゆく死者や行方不明者の数の一つ一つに、人の人生が、人の喜怒哀楽が、その人にまつわる多くの人々が、夢が、希望が、未来が確かにあったのだということだけは、想像しなければいけない。同じ人生など、一つとしてないのだし、無かったのだし、同じ人間など一人としていないのだし、いなかったのだから。
神も仏もないものだろうか?
HomeTown
それとも、神仏の御業は俺たち人間の思慮の射程などはるかに超えて遠大なため、人の営みや、個々の人間の吉凶禍福など思いやる余力はないのだろうか。
そんな神や仏ならば、俺達は信じても仕方ないのだろうか。
生き残った俺たちは、被災した人も、大切な人を失った人も、何の被害も受けなかった人も、俺たちはみな、自分自身だけを信じて生きてゆくしかないのか?
せめて、俺たちはお互いを思いやっていこう。隣人の悲しみや苦しみから目を背けるのではなく、押し付けがましく振る舞うことなく、静かに寄り添っていこう。
フツーの暮らしをしてゆく中でも、その人たちの事を心の片隅にでも、留めて、忘れないようにしよう。
今の俺には、そんなことしか思い浮かばない。
また会おう。

2011/03/12

Post #118 Sultanahmet Camii

余りの惨事に、言葉もない。よって、今日は写真のみ。
一刻も早く、困難な状況にある人々が救助され、温かい食事と衣服を供給される事を願うばかりです。
自然の前には、俺たち人間は無力だ。日頃、自然保護とか自然を絶滅危惧種のように扱っていても、自然が身じろぎするだけで、人間にはどうすることもできない。
Istanbul,Turk

2011/03/11

Post #117 Men In The Grand Bazaar #1

天災は忘れたころにやってくる。ニュージーランドの地震が対岸の火事ではないことが、今日の地震で分かる。被災された方には、心からお見舞い申し上げます。

さて、ここ何日か、ズイブンと気合を入れて長い投稿をUPしてしまったので、今日は昨日のプリントから、肩の凝らないものをお送りしよう。題して『グランバザールの男たち』だ。といっても、パルコのグランバザールではない。トルコのイスタンブールのグランバザールだ。そこ、誤解しないで欲しいぜ。
Istanbul,Turk
土産物屋のオヤジは、物憂い顔で客を物色している。彼らは俺が日本人だと察すると、早速日本語で語りかけてくる。コンニチワ、ヤスイヨ、なんていい方で、ヤクザ!、ニンジャハットリクン!なんて呼びかけられたこともあって、思わず笑ってしまう。しかし、いったい彼らは何か国語喋ることができるんだろうか。まさに、グローバルな奴らだ。ずっと昔から国際都市=コスモポリスだっただけのことはあるぜ。侮れないぜ。奴らイーオンとか通ってるわけじゃないだろう?
Istanbul,Turk
グランバザールの近辺には、沢山の笛を抱えて、片手で笛をピロピロ鳴らしながら売り歩くオヤジがたくさんいる。立派な体格だが、そんなもん売って儲かるのか、はなはだ疑問だ。というよりむしろ、その安っぽい笛を買う奴が本当にいるのだろうか?そこがまず疑問だぜ。
しかし、きっとこのおっさんも、この笛を一日何本か売った上がりで、女房子供を養っているに違いない。そう考えると、なかなかに愉快だぜ。決してドバドバ儲かりゃしないだろうが、鬱陶しい上司もタイムカードもないんだぜ。仕入れの経費と、自分の燃料がありゃいいんだ。事務所経費もいらないぜ。俺もそのうちやってみるかな。

ふふふ‥、たまにはこんな力の抜けた投稿も悪くないもんだぜ、何せこの後、男の仕事に出撃だからな。では、親愛なる読者諸君、また明日か明後日、会おうじゃないか。きっと仕事のしすぎで、俺はヘロヘロさ。

2011/03/10

Post #116 All Along The Watchtower

今日は仕事が珍しく仕事がOFFだったから、ゆったり昼前まで睡眠をとり、友人と昼食を楽しんだ後で、4時間ほどプリントさせてもらったぜ。去年の夏に行ったトルコのイスタンブールが大半だ。ざっと30枚。疲れたぜ。因みに現地の発音じゃ、イスタンブルだぜ、蛇足ながら。日本じゃ、おねーちゃんばかり撮ってしまう俺なのだが、トルコの写真はおっさんばかりだ。イスラム教徒ばかりの国だから、女性があんまり前面に出ないようになっているのかもしれないが、彫の深い味わいのある顔をしたおっさんたちを見ると、ついつい惹かれて写真を撮ってしまうんだな。靴磨き、土産物屋、露天商、絨毯屋、変わったところでは体重計屋というのもいる。といっても体重計を売っているわけではない。道端に体重計を据えて、道行く人の体重を計ってやって小銭を稼いでるんだ。日本人の感覚からすると考え付かないような商売が世界にはあるものだぜ。いざとなったら、俺もやってみるかな。女性には少し少なめに計ってあげようじゃないか。ふふふ‥・、楽しみなことだ。
それはそうと、俺は先日TVを見ていて、驚いたというか、気味が悪くなったことがあった。昨日の自民党ほどじゃないが、憤慨したといってもイイ。
それは、モザイクだ。といってもアダルトビデオの話しではない。
Izmir,Truk
その日、珍しく男の仕事が早く片付いた俺は、夕方からテレビを見ていた。選り抜き銀魂さん、ピラメキーノ。脳みそを自民党の奴らみたいにクソと同じにしないためには、こういった肩の凝らない番組を見るのは嫌いではない。むしろ有益だ。出来れば銀魂とかに出てくるようなおっさんでいたいもんだからな。問題はそのあとだ。
ゴールデンタイムでやっていたバラエティを見るでもなく見ていて、俺はその画像に妙な違和感を感じたんだ。東京の少し昔の風俗(といってもソープランドとかではない、あしからず。流行といったようなニュアンスだ)を回顧しているような番組がやっていたんだ。昔懐かしい竹の子族とか出ていたぜ。竹下通りで踊りまくる竹の子族の懐かし映像なんかが流れていた。他にも、バブルの頃に、ボディコンで踊りまくっていた懐かしーおねーちゃんの映像もあったように記憶している。さらに、時代を追って、ハウスマヌカンだのなんだのって、大昔流行ったファッションの点家みたいな写真が紹介されていたのだが、その画像に移る人物の顔の全てに、モザイクというか、ぼかしが入っていて、誰ともつかないアノニマスな画像に仕上げられていたのだ。
気味が悪いぜ。
これは、肖像権とやらに配慮しているのだろうか?そういえば、最近ニュース画像でも自動車のナンバーに必ずモザイクがかけられているようだ。事件があった場所では、レポーター以外はボケボケの画像で、なにがなんだかわからないこともしばしばだ。プライバシーに配慮しているのだろうか?そういえば、先日の前原前外務大臣に寄付をしていた在日のおばちゃんの焼肉屋も、ボケボケの何が何だか分かんない絵だった。この場合は仕方ないとしても、ニュースにたまたま写っている自動車のナンバーがわかったところで、何か問題があるんだろうか?今となっては、どこの誰ともつかないアノニマスな存在になってしまった通行人などの顔を、モザイク処理することに、どんな意味があるんだろうか?そんな画像を見せられる俺としては、たまったもんじゃない。ボケボケなのは、俺の写真だけで充分だ。
肖像権に関しては、比較的新しい概念であるために、まだ、俺たち国民の間に合意というかはっきりしたイメージは確定してないんだぜ。強いて言うなら、平成17年11月10に最高裁小法廷で下された判決の中であらわされた見解、つまり『社会生活上受忍の限度を超えるもの』である場合にみだりに肖像をとられない権利を有する、という程度のものだ。にもかかわらず、民放とはいえ、公共の電波放送で、過剰とも思えるようなモザイクボケボケ処理を施すのは、どうだろうか。
それとも、TVにたまたま写ってしまう人たちは、自分が写っていると都合が悪い事でもあるんだろうか。
だいたいマスメディアってのは勝手なもんで、何か事件があったりすると、プライバシーなんて屁でもないぜって勢いで取材したりするくせに、なんでもないときには妙に萎縮して、自ら放送禁止用語を定めたり、自主規制してくれたりするんだ。
自分たちの保身のために、事なかれ主義でそういう処置をとるのは、まぁ、マスメディアの性質だから仕方ないかもしれないが、そういった自主規制が、視聴者に対して知らず知らずのうちにマインドコントロールを施し、何時の間にやら既成事実的に、人の顔を撮ってはいけないってことになりはしないか心配だ。そう、もう一度言おう、スゲー心配だ。
路上で写真を撮ることを生きがいにしている俺なんだが、俺は基本的に、オープンな場、つまり公共の場で自由に見ることのできるものは、自由に見ることの延長として、写真をとってもいいと思っているんだがな。記録されるのが嫌ならば、マスクなり、サングラスなり、必要ならば、タリバーン支配下のアフガニスタンの女性のようにブルカでもかぶって出歩いてほしいもんだぜ。出来ることなら、車のナンバープレートにもモザイクをかけてしまいたいぜ。なんたって、俺は車を飛ばすのが好きだし、おかげさんで点数は2点しか残ってないからな。
俺は本当に危惧しているんだ。どいつもこいつも、差し障りもないのに写真を撮られることを忌避するようになると、俺は写真を撮っただけで、豚箱入りになっちまったり、訴えられて、ケツの毛まで抜かれちまうんじゃないかってな。けど、俺はこの楽しみを止められねぇ。人間ほど面白い奴らはこの世になかなかいないからな。
このあたりのことに関して、写真をやっている読者の皆の衆、写真家丹野章先生の書いた『撮る自由 肖像権の霧を晴らす』(本の泉社刊行)という本を見てみてほしい。そしてよく考えて欲しい。祖咲いて何より、ひるまずに写真を撮ってほしい。もう一度言っとくけれど、俺はやめねぇぞ。
そして、表面的には肖像権とやらが大手を振っているように見えながら、実はこの肖像権は、肝心なところでないがしろにされているんだ。
そう、監視カメラだ。
Hometown
つい先日も、熊本のスーパーのトイレで三歳児を殺して川に捨てた男が、その事件の前の3時間49分にわたって、そのスーパーの中に留まっていたという話がニュースでやっていた。OK、監視カメラのおかげで分かったことだそうだ。東京の高級住宅地で、資産家の夫婦を殺害した男も、監視カメラの映像で捕まったぜ。
OK、監視カメラ、サイコーだ。事件は防げなかったけれどな。そんなことは大きな問題じゃない。
俺たちは今や監視カメラによってどこでも見張られているんだ。まるでジョージ・オーウェルの1984に出てくるビッグ・ブラザーみたいだ。
それは普段は、決して表に出ることはないかもし知れない。しかし、俺たちは、コンビニやスーパーや百貨店で、街の本屋で買い物する時も、監視カメラで録画されている。
知り合いを訪ねてマンションに行くと、監視カメラで監視されてる。
駅で切符を買い、改札をくぐるときも、監視カメラで監視されている。
高速道路の料金所や、国道の要所要所に設けられたNシステムとかいうカメラシステムで、車のナンバーを監視されてる。
何気なく街をぶらついている時も、監視カメラで監視されている。

実際俺は、新宿歌舞伎町で写真を撮りながらブラブラしていた時、突然後ろからやってきたパトカーから降りて来た警察官2人に職務質問され、カバンはもちろん、財布の中まで調べられたことがある。不愉快だ。残念ながら、俺は自称プロサーファーとかじゃないんで、財布の中から、白い粉が出てきて、インポの薬なんだとかって弁解する必要もなかったけどな。
それどころか、俺が以前働いていた会社では、事務所に監視カメラが備えてあって、東京の本社で監視されていたんだ。マジで。さぼっていたり、服装が会社の掟にそぐわなかったりすると、本社から電話がかかってきて、文句を言われたりするって仕組みだ。俺たちは奴隷じゃないんだぜ。いい加減にしろよ。それこそ、人権蹂躙じゃないのか?俺は早速そのカメラの前に、『くたばれ!このオマンコ野郎』って書いてぶら下げてやったぜ。

防犯カメラとか言って、犯罪抑止効果があるって言われてる
けれど、その代償に俺たちのプライバシーは、丸裸にされているんだ。それに、大抵その画像が使われるのは犯罪が起こってしまってからだ。だから本当にそんなカメラに犯罪を防ぐ力があるのか?無いとは言わないが、俺たち市民のプライバシーを犠牲にしてまでの効果があるのかは、はなはだ疑問だねぇ。
俺たちは、四六時中監視されてるんだ。もちろんその画像には顔にモザイクやぼかしは入っていない。俺は、見えないように張り巡らされた監視カメラ網のことを考えると、『社会生活を送る上での受忍の限度を超える』不快感を感じるぜ。出来ることなら、自分の顔にモザイクとかかけてしまいたいくらいだぜ。そう、肖像権だなんだっていっても、いつもみだりに人を撮影し、記録し、監視しているのは公権力や資本なのさ。肖像権だなんだって、俺たちが街で写真を撮ることに対して萎縮する必要なんて、ホントはこれっぽちもないんじゃないのか?だって、どいつもこいつも俺もあんたも、気が付かないうちに誰かに見張られているんだぜ。
そう、肖像権を一番ないがしろにしてくださってるのは、実は公権力や私企業の皆さんなんだよ!もっと言うなら、俺たち自身なんだ。肖像権だなんだって、写真を撮られるのを嫌がる人々は、この監視カメラ網こそ、肖像権侵害だって標的にしてほしいもんだぜ!

このマスメディアによる過剰なまでの肖像権への配慮と、気付かぬうちに形成された権力による監視網は、俺が思うに表裏一体だ。人々の姿を撮影していいのは、公権力や企業だけであり、個人はそういった情報を持つことも得ることも発信することもできないという、映像のソフトファシズムだ。
気を付けないと、あっさりと洗脳されちまうだろう。写真を撮るのが後ろめたくなってくるのさ、きっとな。
ケッ、笑わせんじゃねぇよ。俺の写真を止めることなんかできやしないぜ。いい女を見たら、味のある男を見たら、もうその時には、シャッターは反射的にきられてるんだからな。考えたり、構図を練ったり、露出補正したりとか、まどろっこしいことは一切抜きなんだ。
何としても写真に写るのが嫌だって?OK、きっと人には言えないやましいことがいっぱいあるのね。俺にはないぜ。それが嫌なら、ゲーノー人のようにサングラスに帽子とかで外出なさってはいかがかな。とはいえ、肖像権に賛成にせよ反対にせよ、俺たちはみんな見張り塔からずっと監視れているのさ。監視カメラを使ってね。
ボブ・ディランの歌に出てきそうだぜ。
それはこんな歌詞だ。

きっとどこかにここから出ていく抜け道があるはずだ、ペテン師はコソ泥に言った。
こいつはあんまりにもこんがらがってって、俺たちは一息つく暇もないってね。
(中略)
見張り塔からずっと、王子たちが見張っていた。
すると女たちは出たり入ったり、はだしの召使たちもそうしていたのさ。

そう、その曲の名は『All Along The Watchtower』 
俺たちは見張り塔からずっと見張られているのさ。ふざけるな!

2011/03/09

Post #115 Fuck Off L.D.P.!

いきなりだけど、俺は猛烈にムカついてるんだ!
きっと、俺と同じ怒りを共有してる奴らは、日本中にゴマン十万といるはずだ。しかし、その声は無力感と絶望感にまみれた小さな声でしかないのかもしれない。第一、俺がここでいくら吠えてみたって、仕方ないといえば、仕方ないだろう。
しかし、俺はあえて言いたいのさ。写真とは今日は何にも関係ないけど、俺の中に流れて脈打つロックン魂が、怒りを吐き出せと命じているのさ。
Tokyo
俺が怒っているのは、あのくそ忌々しいL.D.P.だ!L.D.P.って何かって?教えてあげよう、これはLiberal Democratic Partyの略称だ。どっかのクラブを借り切って朝まで自由に大騒ぎする近所迷惑なパーティではない、日本語では、自由民主党という、脳みその代わりにクソを頭に詰め込んだ馬鹿野郎たちのことだ!自民党支持者の諸君、悪かったな。俺は今まで共産党か社民党、百歩譲って民主党にしか投票したことはないんだ。
奴らがリベラルなんて名乗っているのを見ると、二度と自分はリベラルな男ですなんて、自己紹介したくなくなるぜ。
奴らが今の国会で繰り広げているのは、くだらねぇ泥仕合だ。まったく、国民のためにはなりゃしねぇ。
政治と金で突っ込まれたら、自分たちだって、キレーな奴なんてほんとはいねーくせに、小沢をまんまと政権から切り離し、日本人名で寄付をしている在日のおばちゃんの身元をほじくり返して、そのたった25万円の善意の寄付で、前原を外務大臣から辞任に追い込む。そして、お次は厚生労働大臣だと。菅総理の問責決議案提出だと?もう一歩で、菅政権を倒閣に追い込めるだと?ほざけ!笑わせるぜ!
ロシアが北方領土を既成事実的に占有する体制を固め、中国は尖閣諸島問題や海底ガス掘削などで日本の領海をじりじりと侵犯し、お隣の朝鮮半島では、年々不穏な空気が増しているこの大事な時期に、国政の要職である外務大臣を罷免に追い込んで、いったいどんな国益があるのか、自民党さんよ、俺たち無知蒙昧な国民にもよくわかるように説明してくれねぇか?しかも、在日の方々が、何故日本に住んでいることになったのかっていう経緯も考慮せず、外国人から寄付をもらったって突っ込んで、自民党さんよ、俺から見ると、昔の高校生が朝鮮人学校の生徒を見つけると、因縁をつけて喧嘩を仕掛けたり、チマチョゴリ姿の女学生に罵声を浴びせて、日本人の矜持とやらを示したと思ってる馬鹿な奴らと、まったく変わりがないぜ!少しはジョン・レノンやカーティス・メイフィールドの歌でも聞いてほしいぜ!まぁ、頭の中にクソが詰まっているような奴らじゃ、なにを聴いても無駄無駄無駄だろうけどな!あんたたちの大好きなアメリカ様だって、今回の件にはすっかり呆れ果てているだろうぜ。ハッハッハッ!
Tokyo
人のあらをつついて善人面するのは、ほどほどにしておけよって言いたいぜ。一体どれだけ、自民党のジジイどもが、政権を担っていた頃に、これでもかっていうほどにろくでもない暴言を重ねて、国民をうんざりさせてきたか。産む機械発言とか、潜水艦と水産高校の船が衝突して、学生が溺れ死んだとき、ゴルフをし続けた大臣を、国民すべてが忘れ去っても、俺は決して忘れねぇぞ。
自民党の皆さんは、民主党の連中には政権担当能力がないとしばしば、ぬかしやがってくださいますが、長らく続いた55年体制という独裁体制で、俺たち国民の貯蓄を担保にして、未曽有の借金を作りだし、非効率的な官僚組織を増長させ、挙句の果てには、金持ち優遇政策の末に、貧乏して苦しむのは自己責任だって国情にしてしまってくださったのは、貴様ら自民党のお歴々じゃねーのかよ!
世論調査では、自民党の支持率が上昇し、民主党を抜いたとか拮抗したとか言って、いい気になっているようだけれど、調子に乗るんじゃねぇ。国会は学級会じゃないんだぜ!相手の言うことにいちいち反対するだけなら、あんたたちが嫌ってた共産党と同じだろうが!
政権与党じゃないとは言っても、自民党のエラソーに寝言をほざいてる皆さんも、俺たち国民からの信任によって選ばれているんだ。責任感を持ってくれよ!
問題があったなら、話し合って、お互いの納得できる妥協点を見出してゆくことが、議会民主主義ちゅうもんじゃないのかい?ただ反対だ、お前なんかやめちまえなんて、学級会よりも程度が低いぜ!カダフィのほうがましなくらいだ。結構な銭をもらってるくせに、そんなことしかできないのかよ?なんなら、あんた刑務所から、かつて北の野次将軍と恐れられた、あんたらの昔のお仲間、鈴木宗男を引っ張り出して、菅総理を野次ってもらったらどうだい?
景況感が良くなってきているとか、メディアは相変わらず嘘ばっかりだ。ガソリンは天井知らずに騰がってる。流通コストはすぐに物価に跳ね返ってくるだろう。国民の生活は日に日に悪くなってる。年に3万人もの人が自殺してしまう、絶望の国なんだよ、俺たちの日本は。そんな日本にした責任の一端は、貴様ら自民党も負っているって自覚はあるんだろうな?え、谷垣さんよ。どうーなんだい!
そもそも政権交代したのは、日本の国を会社に例えるならば、株主たちが、旧経営陣の放漫経営にうんざりして、これを放逐し、新しい経営陣に委ねたってことだろう!
長年にわたって旧経営陣が、好き放題やってきたおかげで、会社は借金ダルマ。官僚機構はカイゼンもままならない。何時沈んでもおかしくねぇ泥船に、いくら新しい船頭を据えたって、所詮泥船は泥船だ。すぐにうまくいくわけはねぇ。あんたたちのやらかした尻拭いがいっぱいなのさ。

それをお前さんたちは、冷や飯食いの窓際族が、新しい役員の金や女や仕事の粗を暴き立てて辞任に追い込もうとしてるって格好だ。こんな会社すぐにつぶれちまうだろうし、その前に株主に見放されて、株券はジャンジャン売りに出されるだろう。他の会社にあっさり吸収合併されちまうかもしれねぇぜ。ヤバイ、あと5年もしたら、このままじゃ、中華人民共和国日本省だかアメリカ合衆国ジャパン州の出来上がりだぜ。まいったな…。冗談じゃねぇぜ。俺はインドにでも逃げるか?
日本の国債はまさにそんな訳で、外国資本には見向きもされない。なのに、日本の国債は日本人が持っているのが大半だから安心ですとか言ってごまかしてやがる。国は会社と違うから、株券をうっぱらって、よその会社の株を買うようにはいかない。俺たちは日本に生まれた日本人なんだからな。
自民党の皆様が、今日も頑張って、予算の成立を阻止し、政権を追い込んだと鼻息を荒くするればするほどに、日本の国は悪くなっていくんだぜ。国民の苦しみにもっと目を向けろよ!
そう、そしてみんな目を覚ませ!

デモをしろとは言わない。でも、次の選挙の時に、自民党に入れるのは御免だ!
俺はもうリベラルなんて自分のことを表現しないぜ、これからはFREEDOMだ!Mr.FREEDOM と呼んでくれ!自民党じゃなくて、ジミヘンみたいでカッコいいだろう!
ケッ、笑わせんじゃねぇ、この野郎!

2011/03/08

Post #114 Photographica #4

先週、俺は名古屋の老舗ホテルの宴会場の改装工事の監督をやっていたんだ。ちょうどその時期、うちの連れ合いが上海に出張していたので、俺は古い友人に連絡を取った。
一緒に飯でもどうだいってね。電話をかけた時、某上場企業の剛腕営業マンの彼は東京の飲み屋でお客と飲んでいたようだ。さすが、上場企業ともなると、交際費に余裕があっていいもんだ。
俺は、彼と3月3日の夜に会う約束をしたんだ。彼は陽気に『ひな祭り、ひな祭りの夜ね』と言っていたぜ。
約束のその日、彼、(いちいち彼彼いうのも鬱陶しいんで、『Y野君』としておこう)から電話がかかってきて、今金沢にいるから、夜8時30分ごろに名古屋駅の近辺でどうよ?って連絡があった。いいだろう。望むところだ。俺の仕事はもう終盤に入っていたので、サクサク片付けて、名古屋駅に向かった。このあたりのパーキングメーターは夜7時を回ると、作動しなくなるので、夜は路上に止め放題だ。とはいえ、昨年堤防道路での反対車線走行と、国道での24キロオーバーで切符を切られて、2点しか残っていない俺は、内心はヒヤヒヤもんなんだが、背に腹は代えられないのさ。

まだ、約束の時間までは間がある。俺は近くのジュンク堂書店に行ったんだ。そうして、性懲りもなく、またまた森山大道の『NORTHERN 3 光と影のハイマート』(図書新聞刊)を買ってしまった。帯には、“1970年代の北海道を撮った『NORTHERN』『NORTHERN 2 北方写真師たちへの追想』に続き、光と風土に包まれた北海道の現在(2009年‐2010年)を撮る”とある。
まぁ、いずれは買うかと思っていたんだが、話のネタに買ってみようと思ったわけだ。なにせY野君は、俺が写真なんかにこれっぽっちも興味がなかった高校時代に、熱心な写真部員だったからな。写真集を肴に酒を飲むのも悪くはない。もちろん俺は車だから飲まないけどね。とはいえ、そんなの単なる口実だろうって声が世界中から湧き上がってくるのが、遠い海鳴りのように俺の耳には聞こえるぜ。そうさ、どうせ口実さ。
中学高校と同級生だった彼は、当時も今も俺の数少ない友人の一人なんだが、大学は仙台に行き、就職してからは横浜あたりに住んだのちに、転勤で北海道に赴き、そのままそこにマンションを買って、奥さんと二人の子供と暮らしている男なのさ。そんな男が、なんで名古屋にいるかっていうと、その剛腕振りを買われて、名古屋の支社に営業課長として単身赴任してきたからだ。OK!旧交を温めるにはもってこいだ。

俺は、Y野君と落ち合うと、車を止めた真ん前の沖縄料理屋に入った。沖縄料理屋なのに店の女の子は中国人ばかりだ。ふむ、これも国際化という奴か。

Y野君と会うのは、去年の12月以来だ。俺たちはちらちらと写真集を見たりしながら、チャンプルーを食らい、泡盛やルートビアを飲んだ。お互いにおっさんになったが、話し出すと何も変わらない。人間なんて年を食ったからって、そうそう変わるもんじゃないんだ。俺は偉そうにしている奴を見ると、そいつの少年時代の顔を想像してみることにしているんだ。いつもね。そうすると、ふんぞり返った野郎が、単なる小生意気なガキに見えてきて、ちょろいもんだぜって感じるのさ。

俺たちは何時間もの間、はたから見るとしょうもない話で盛り上がった。酒のみなんてそんなもんだろ?廻りから見るとオヤジ談義のように聞こえるだろうが、高校時代の俺たちも、よくこうして何時間も話し合ったりしたもんだ。そんなことをいうこと自体がおっさん臭いかもしれないが、俺も42だ、立派なおっさんだ。悪いかい?しかもイカレタおっさんだ。並大抵の努力じゃ、イカレタおっさんにはなれないぜ。こう見えていろいろと犠牲を払って、イカレタおっさんになったんだ。もちろん昔もイカレタ餓鬼だったぜ。その頃の写真があったんで、のっけておくぜ。
皆の衆、せいぜい大笑いしてくれよ。撮影はたぶんY野君だ。
SPARKS In Mid80’s
Y野君の写真部時代は、写真部の部室が女子のテニスコートのすぐ裏だったんで、それを盗撮したいやつとか、先輩から回ってきた裏本(平成生まれの若者にはわからないだろうが、非合法に出版されたノーカットの、つまり性器のばっちり印刷されたエロ本だ)の複写をやらされたりと大変だったことと思う。その中で彼は、当時世間一般では変なエロ本としか思われていなかった『写真時代』を愛読し、天才アラーキーの凄さにしびれまくっていたのだ。
残念だ。そのまま痺れまくっていてくれたら、Y野君も今頃、立派な写真家になってくれていたかもしれない。このころの写真時代には、アラーキーこと荒木経惟を筆頭に、森山大道、倉田精二、北島敬三などのそうそうたる写真家が連載を持ち、あるいは赤瀬川源平や南伸坊なども面白い連載を展開していた。超芸術トマソンや路上観察学会なんかが生まれたのも確か写真時代だったはずだ。
思えば、豊かでなんでもありの時代だった・・・。今よりもおおらかで、露骨で、下品な時代だった。カウンターカルチャーの時代だったのだ。俺はその頃は専ら『宝島』を愛読していたけれどね。そう、ロックとサブカルチャーしか記事に載っていなかった頃の宝島だ。
あぁ、もう一度、帰りたいぜ、あの狂乱の時代に。
もっとも、女の子は今のほうが可愛いけどな。その頃はみんなスカートもスケバンデカみたいに長くて、足はといえばやたらと太かった。おまけに、髪型はどいつもこいつも聖子ちゃんカットだった。同調圧力が強いのは昔も今も変わりないのさ。

まぁ、この後、俺はなんだか急にアレルギーが出て、体調を崩したんだが‥‥。それはそれで、楽しい夜だった。こんな友達がいることに、俺は感謝してるぜ。
森山大道 『NORTHERN 3 光と影のハイマート』図書新聞刊
左は札幌宮の森美術館での『ブエノスアイレス/サンパウロ』展のフライヤー
そんなこんなで、森山大道の『NORTHERN 3』だ。『NORTHERN』『NORTHERN 2』に関しては、以前にもこのブログで紹介しているが、それに続く北海道シリーズ完結編だそうだ。
この刊行に合わせて北海道は札幌の札幌芸術の森美術館で『森山大道写真展「北海道〈最終章〉」』が開催されている。5月8日日曜日までだ。どちらかというと、この写真展に合わせて、この写真集が編集されたとみる方がよいだろう。しかも、札幌宮の森美術館では5月15日日曜日まで、『森山大道写真展 ブエノスアイレス/サンパウロ』が開催中だとさ。Y野君は札幌に帰ったら見に行くって言っていたぜ、くそッ、羨ましいぜ。
表紙は、先日紹介した『津軽』と同様になぜかタイヤだ。
森山大道の写真には力強いイメージのタイヤ、それもトラックとかの大型タイヤがしばしばみられる。古くは70年代初期のカメラ毎日誌上で連載された『暁の国道一号線』にも四日市で撮影されたトラックのタイヤがあったように記憶している。しかし、前回の『津軽』といい、今回の『NORTHERN 3』といい、その草に埋もれたようなタイヤが与える印象は、どこか荒涼としたものだ。北の大地の荒々しさに抗う人の営みのようなものか?
一年間にわたって、旭川、東川、小樽、札幌、留萌といった北海道各地で撮影された写真は、おなじみの森山節で、路地やショーウィンドウ、女性の後ろ姿などの見慣れたシーケンスが展開される。かつて、マンネリも飽きなきゃイイと言ってのけたのは天才アラーキーだが、もう森山さん、ここまで来ると確信犯的な確信を感じる。確かに、この30年で北海道の風景は大きく変わり、写真に写った町並はこざっぱりしている。Y野君は『札幌は日本で一番きれいな街だ』と言っていた。しかし、かつての写真にあったような板張りの貧しい家並みに、防寒着を着込んだオッサンとかの姿はなく、以前の写真よりも、かえっていっそう荒涼とした感を憶えずにはいられないぜ。

この辺のところを、本書の前書きで森山大道自身もこう語っている。
『大小を問わず北海道の町々は、三十有余年という時をへだて、例外はあるにせよ、すっかり新しく明るい街並みに変わっていた。それは、以前にも増してカラフルで、どこか北ヨーロッパの風景を見る思いだった。そしてまた、驚くほど町々から人影が失せていた。かつては、どんなに小さな町にしても、夜間はべつとして、もっと路上に人の生活が見えたという記憶がある。つまり、街路で人々を写せたのだ。たしかに北海道は広大な地場で、もともと人間が密集する場所や状態は限られていたとは思うが、それにしても、札幌市街を除けば、本当に路上から人の姿がうすれている。しかしこれは、ことに北海道に限った現象ではなく、日本全国のローカル全体についても言えることで、要するに、時代の推移につれて日本人の生活の様式が大きく変わってしまったのだろう。決して人間がいなくなってしまったのではなく、人々の日常の内訳と形態が変化してしまったのだ。いってもせんないことではあるが、長年路上カメラマンとして過ごしてきたぼくとしては、それなりに淋しい思いである。』
森山さん、同感です。
最後に、この写真集で最も驚いたことは、この写真集に収められた写真が、全てデジカメで撮影されていたということだ。森山大道といえば、GR1にTRY-Xで、暗室の魔術師だったはずなのに…。これも時代の流れか?本人は、かつてどこかで『フィルムが無くなったら、デジカメで撮るだけのこと』と言っていたが。当初カラーで編集していたそうだが、やはり途中からモノクロにしてみたくなって、全ての画像をモノクロ変換したそうだ。そして、それが今までのアナログ銀塩写真とまったくシームレスにつながっている。この粒子感を出すために、多大な苦労があったことが偲ばれるぜ。
けど、正直に言えば、森山さんにはフィルムで頑張ってほしいな、俺は・・・。 

では、失礼する。また明日か明後日、ごく近いうちにまた会おう。

2011/03/07

Post #113 Why Wasteland ?

アレルギーで眼の回りが腫れたりして、鏡を見るのも億劫なんだが、今日は仕事の予定が入っていたからな、俺はイマイチパッとしない身体を引きずって男の仕事をやっつけてきた。いつまでもダラダラしてはいられない。仕事をしている間にも次々と引き合いの電話が掛かってくるんだ。いつの間にか、俺は売れっ子になっちまったよーだ。知らなかったぜ。忙しい割には、儲からないから全く気が付きゃしないのさ。
Osaka
俺はいつも、周囲の皆さんから自由人でいいですねとか言われるんだが、そんな時は必ず、いかにも自分は自由人ですが、財布の不自由な自由人ですと答えるようにしているんだが、うむ、昨今の俺は仕事の奴隷のようだ。充分な休養が必要なんだ。出来れば十二分の金もね。こんなんじゃ人生全く楽しめないぜ。金が欲しくて働いて、眠るだけだ、まったく、チクショーッ!
俺は、自分のブログがやたら文章が多いものだと思っていた。仕方ない。元文学青年だった不良中年だから、アラブの油田みたいに言葉が次から次にドバドバ湧いて出てくるのさ。で、これを写真だけにしてみたらどうだろうかと思って、思い切って2月は文章をミニマムにしてみた。といっても世間一般の写真ブログ並みの量にしてみたんだが、結果は酷いもんだった。12月1月は770PVくらいあったのに、2月は450PVだ。いくら2月が3日少ないといっても、これじゃねぇ…。
この後には真打『Sexual Desire』ってシリーズを準備していたのに…、残念だ。これはお預けだ。これが公開されたら、下心満々の奴らが、バンバン俺のブログを覗きに来ただろうに…。残念極まるぜ。まぁ、仕方ない。これが俺の人生だ。ロックンロールだ。

最近、親しい仲間から、あんたスラムに住んでるのかよと訊かれたり、他の友人からも、どうしてWasteland、つまり荒野なんだって訊かれたぜ。もちろん、俺のWasteland シリーズを見て、そんな疑問をぶつけてくれている訳だが、君はどーだろうか?
この質問に対して、端的には答えにくい。しかし、至極全うな感受性をお持ちなら、君もこの21世紀の糞っ垂れな日本の有り様が、殺伐とした荒野に見えてはこないだろーか?
俺は何年も前から、ここは荒野だって感じているんだがな。

考えても見てくれ、もうずーっと不景気が続いている。
リーマンショックまでは戦後最長の景気拡張期だったなんて寝言がまかり通っているが、そんなのは嘘だろう?大本営発表さ。それとも、その富は誰かが独占しているっていううのかい?そうかもしれない、かつては、ほんの15年ほど前までは、この国は一億総中流と言われたほど、豊かでお目出度い国だったんだからな。まったく懐かしいよ。
街には透明人間のように誰からも見えない浮浪者があちこちにうずくまっている。よく見ればその身にまとっているボロは、かつてスーツだったものだ。ガムテープでぐるりと補修された靴は、かつてビジネスシューズだったようだ。
いつの頃からか、浮浪者はホームレスと呼びかえられ、なんだかこぎれいなイメージになっているが、それは言葉だけのことだ。ホームレスなんて、なんだか垢抜けているが、浮浪者とか乞食って言ってみなよ、急に体臭が立ち昇ってくるだろう。
言葉の上っ面に騙されちゃいけないぜ。
マスコミや政治家は、言葉を言い換えて俺たちのイメージを貧しくすることが得意なんだ。下水処理場をクリーンセンターとか言ってみたりね。クリーンセンターなんて言うと、ツーンと鼻をつく悪臭が感じられないだろう?
彼らホームレスが乞食をしなくても、社会のバクテリアのように段ボールや空き缶を集めることで生活できることが、コンビニの廃棄弁当を食べて生存できることが、豊かな社会の証しだとか抜かす馬鹿野郎がいたら、俺が滅多打ちにしてやるぜ。そいつも今夜みたいな寒い夜に段ボールをかぶって眠ってみるがいい。

Paris
この現代社会では、俺たちはマグロのように働き続けなけりゃ、すぐにホームレスに転落してしまう。俺はもう何年も、畳一枚下は地獄ならぬ、フローリング一枚下は段ボールと自分に言い聞かせているんだ。もっとも、仲間にはあんたはバイタリティがあるから大丈夫だって言われるけどね。

街には商品があふれかえってはいるが、どれだけ手に入れたら豊かになれるのか?俺たちはもう十分に持っているだろう?
子供たちですら夜遅くまで塾に通い、より良い大学に入る。大学に入ったら入ったで、専門的な勉強を始めたころから就職活動だ。一体何のための大学だい?意味が分からないぜ。おかしな世界だ。しかも、残念ながら、彼らに回す仕事はもう一杯だ。
まったく労働市場は、椅子の少ない椅子取りゲームのようなものだ。
若者は仕事もなく、ネットの世界で悪ぶって、無責任なことを匿名で言いたい放題だ。
若者に車が売れない、若者の車離れが深刻だなんて抜かしている、某世界最大級の自動車企業のえらいさんは、そもそも若者には仕事がないことに気がついてはいないのか?
君たちの大好きな日本経済新聞にはそんなニュースは載っていないのかい?
それともそれはもう空気のように当たり前になっているので、新聞もあえて書こうとしないのだろうか?孤独な老人は誰にもみとられることなく息を引き取り、ミイラになっていく。若者たちのわずかばかりの稼ぎで、増え続ける老人たちの介護や年金の面倒を見てやらなけりゃならないんだ。若者たちに希望がないのは当然で、出生率は下がり続けている。0.02㎜のコンドームの性能のせいではないだろう。若者たちには出会いもなけりゃ、金もないのさ。仕事もなく引きこもってる奴でいっぱいだからな。
一旦、社会の求める規定の路線を外れると、もうスタンダードな生活には戻れない。並大抵の努力では不可能だ。ヘビーなことだぜ、まったく。
タイガーマスク現象とか言っているが、それも殺伐とした社会で、明るいニュースがないからこそ、人々の胸を打つ。
この国には、希望がない。俺たちは惰性で生きているだけなのか?俺たちは皆、他人の人生を生きることにうんざりしている。年間に自殺する人間は、もう10年以上3万人を超えている。交通事故で死ぬ奴よりもはるかに多い。
Tokyo
国民の生活は日々悪くなっていく。なのに政治家どもは、くだらない足の引っ張り合いばかりだ。運転手のついたリムジンの窓からは、国民の姿はみえないのだろうか?そんなことしている間にも、国の借金は未曽有の領域を邁進している。一体誰がそれを払うってんだ?教えてやろう、俺たち国民だよ!
人々はうつろな目つきで、イライラしている。本当は何かにおびえているのかもしれない。
誰が敵なのか?巧妙に隠されてわからない。もしわかるなら、いかに日本人が大人しくたって、リビアみたいにデモ、デモ、デモ、そして内乱だろう。もっとも、今の俺たちはすっかり去勢されちまって、そんなことすらできやしないかもしれない。

これが、荒野じゃないって君は言えるのかい?

坂口安吾は、名著『堕落論』のなかで、日本人の再生は堕落しきるところからしか始まらないというようなことを、戦後の焼け跡の荒野の中で書き綴っていたが、俺もそう思う。

いっそ目に見えて、国が財政破綻し、今まで皆さんが一生懸命にため込んできた金が、紙くずになり下がり、皆さんの価値観が、一夜にして崩れ去るようにならないとわからないかもしれない。それは、もう荒野以外の何もんでもないだろう。
そうなったら、Gimmie Shelterだ。法も警察も俺たちを守ってはくれない。北斗の拳か西部劇のような世界だ。Rape, Muder, Yeah, It's Just Shot Awayだ!


だからこそ俺は、ネオンの繁華街に、きらめくオフィス街に、閑静な住宅地に、荒野を幻視するのさ。
そして、ここが荒野だと知ったうえで、自分の生活に全力投球だ。

Out Here In The Fields
I Fight For My Meals
I Got My Back Geared To My Living
I've No Need To Fight To Prove I'm Right
I Don't Need To Be Forgiven, Yeah

(平原に出て
俺は自分の食い扶持のために戦う
俺は自分の生活に全力投球
俺は自分の正しさを証しだてするために戦う必要なんかない
俺は許しを請う必要なんてないんだ、イエー!)

Pete Townshend "TEENAGE WASTELAND"

俺は何年もこのフレーズを口ずさんで、荒野のような社会を渡り歩いてきた。
そうさ、いつだって、段ボールの上に眠る覚悟はできているぜ。
どうだい、納得してもらえたかい?
今日はもう十分だろう。失礼するぜ。また明日か明後日、会おうぜ。

2011/03/06

Post #112 Sickness

Paris
今日もまた、調子が悪くて寝てばかりだ。
ボンヤリしているが、最近何となく家人としっくりこないので、眠っていても、邪魔者扱いされたりします。
仕方ない、これも俺の人生だ。ロックンロールだ。
Aria_msさん、Kentifoldさん、ご心配をおかけして、申し訳ありません。この場でお礼申し上げます。

2011/03/05

Post #111 Allergy

VietNam
本日もアレルギーと悪寒で、大事をとらせていただきます。
皆さんには、よい週末を過ごして貰いたいぜ。

2011/03/04

Post #110 関係者各位へ

Barcelona
本日、体調不良、疲労困憊のため、お休みさせて頂きます。
各位、御自愛くださいますよう、御願い致します。

2011/03/03

Post #109 Wasteland #17

HomeTown
見よ、この男を。
君には彼が敗北者に見えるのだろうか?
見よ、この男を。
荒野を生き抜くしたたかさ、逞しさ。
はたして、君にはその覚悟はあるのかい?

格好よく言ってみれば、彼こそ勝負を超えて、なお生きる者。
コンクリートの荒野に男一匹。
その姿、まさに単騎、荒野を往く如し。

2011/03/02