2011/03/10

Post #116 All Along The Watchtower

今日は仕事が珍しく仕事がOFFだったから、ゆったり昼前まで睡眠をとり、友人と昼食を楽しんだ後で、4時間ほどプリントさせてもらったぜ。去年の夏に行ったトルコのイスタンブールが大半だ。ざっと30枚。疲れたぜ。因みに現地の発音じゃ、イスタンブルだぜ、蛇足ながら。日本じゃ、おねーちゃんばかり撮ってしまう俺なのだが、トルコの写真はおっさんばかりだ。イスラム教徒ばかりの国だから、女性があんまり前面に出ないようになっているのかもしれないが、彫の深い味わいのある顔をしたおっさんたちを見ると、ついつい惹かれて写真を撮ってしまうんだな。靴磨き、土産物屋、露天商、絨毯屋、変わったところでは体重計屋というのもいる。といっても体重計を売っているわけではない。道端に体重計を据えて、道行く人の体重を計ってやって小銭を稼いでるんだ。日本人の感覚からすると考え付かないような商売が世界にはあるものだぜ。いざとなったら、俺もやってみるかな。女性には少し少なめに計ってあげようじゃないか。ふふふ‥・、楽しみなことだ。
それはそうと、俺は先日TVを見ていて、驚いたというか、気味が悪くなったことがあった。昨日の自民党ほどじゃないが、憤慨したといってもイイ。
それは、モザイクだ。といってもアダルトビデオの話しではない。
Izmir,Truk
その日、珍しく男の仕事が早く片付いた俺は、夕方からテレビを見ていた。選り抜き銀魂さん、ピラメキーノ。脳みそを自民党の奴らみたいにクソと同じにしないためには、こういった肩の凝らない番組を見るのは嫌いではない。むしろ有益だ。出来れば銀魂とかに出てくるようなおっさんでいたいもんだからな。問題はそのあとだ。
ゴールデンタイムでやっていたバラエティを見るでもなく見ていて、俺はその画像に妙な違和感を感じたんだ。東京の少し昔の風俗(といってもソープランドとかではない、あしからず。流行といったようなニュアンスだ)を回顧しているような番組がやっていたんだ。昔懐かしい竹の子族とか出ていたぜ。竹下通りで踊りまくる竹の子族の懐かし映像なんかが流れていた。他にも、バブルの頃に、ボディコンで踊りまくっていた懐かしーおねーちゃんの映像もあったように記憶している。さらに、時代を追って、ハウスマヌカンだのなんだのって、大昔流行ったファッションの点家みたいな写真が紹介されていたのだが、その画像に移る人物の顔の全てに、モザイクというか、ぼかしが入っていて、誰ともつかないアノニマスな画像に仕上げられていたのだ。
気味が悪いぜ。
これは、肖像権とやらに配慮しているのだろうか?そういえば、最近ニュース画像でも自動車のナンバーに必ずモザイクがかけられているようだ。事件があった場所では、レポーター以外はボケボケの画像で、なにがなんだかわからないこともしばしばだ。プライバシーに配慮しているのだろうか?そういえば、先日の前原前外務大臣に寄付をしていた在日のおばちゃんの焼肉屋も、ボケボケの何が何だか分かんない絵だった。この場合は仕方ないとしても、ニュースにたまたま写っている自動車のナンバーがわかったところで、何か問題があるんだろうか?今となっては、どこの誰ともつかないアノニマスな存在になってしまった通行人などの顔を、モザイク処理することに、どんな意味があるんだろうか?そんな画像を見せられる俺としては、たまったもんじゃない。ボケボケなのは、俺の写真だけで充分だ。
肖像権に関しては、比較的新しい概念であるために、まだ、俺たち国民の間に合意というかはっきりしたイメージは確定してないんだぜ。強いて言うなら、平成17年11月10に最高裁小法廷で下された判決の中であらわされた見解、つまり『社会生活上受忍の限度を超えるもの』である場合にみだりに肖像をとられない権利を有する、という程度のものだ。にもかかわらず、民放とはいえ、公共の電波放送で、過剰とも思えるようなモザイクボケボケ処理を施すのは、どうだろうか。
それとも、TVにたまたま写ってしまう人たちは、自分が写っていると都合が悪い事でもあるんだろうか。
だいたいマスメディアってのは勝手なもんで、何か事件があったりすると、プライバシーなんて屁でもないぜって勢いで取材したりするくせに、なんでもないときには妙に萎縮して、自ら放送禁止用語を定めたり、自主規制してくれたりするんだ。
自分たちの保身のために、事なかれ主義でそういう処置をとるのは、まぁ、マスメディアの性質だから仕方ないかもしれないが、そういった自主規制が、視聴者に対して知らず知らずのうちにマインドコントロールを施し、何時の間にやら既成事実的に、人の顔を撮ってはいけないってことになりはしないか心配だ。そう、もう一度言おう、スゲー心配だ。
路上で写真を撮ることを生きがいにしている俺なんだが、俺は基本的に、オープンな場、つまり公共の場で自由に見ることのできるものは、自由に見ることの延長として、写真をとってもいいと思っているんだがな。記録されるのが嫌ならば、マスクなり、サングラスなり、必要ならば、タリバーン支配下のアフガニスタンの女性のようにブルカでもかぶって出歩いてほしいもんだぜ。出来ることなら、車のナンバープレートにもモザイクをかけてしまいたいぜ。なんたって、俺は車を飛ばすのが好きだし、おかげさんで点数は2点しか残ってないからな。
俺は本当に危惧しているんだ。どいつもこいつも、差し障りもないのに写真を撮られることを忌避するようになると、俺は写真を撮っただけで、豚箱入りになっちまったり、訴えられて、ケツの毛まで抜かれちまうんじゃないかってな。けど、俺はこの楽しみを止められねぇ。人間ほど面白い奴らはこの世になかなかいないからな。
このあたりのことに関して、写真をやっている読者の皆の衆、写真家丹野章先生の書いた『撮る自由 肖像権の霧を晴らす』(本の泉社刊行)という本を見てみてほしい。そしてよく考えて欲しい。祖咲いて何より、ひるまずに写真を撮ってほしい。もう一度言っとくけれど、俺はやめねぇぞ。
そして、表面的には肖像権とやらが大手を振っているように見えながら、実はこの肖像権は、肝心なところでないがしろにされているんだ。
そう、監視カメラだ。
Hometown
つい先日も、熊本のスーパーのトイレで三歳児を殺して川に捨てた男が、その事件の前の3時間49分にわたって、そのスーパーの中に留まっていたという話がニュースでやっていた。OK、監視カメラのおかげで分かったことだそうだ。東京の高級住宅地で、資産家の夫婦を殺害した男も、監視カメラの映像で捕まったぜ。
OK、監視カメラ、サイコーだ。事件は防げなかったけれどな。そんなことは大きな問題じゃない。
俺たちは今や監視カメラによってどこでも見張られているんだ。まるでジョージ・オーウェルの1984に出てくるビッグ・ブラザーみたいだ。
それは普段は、決して表に出ることはないかもし知れない。しかし、俺たちは、コンビニやスーパーや百貨店で、街の本屋で買い物する時も、監視カメラで録画されている。
知り合いを訪ねてマンションに行くと、監視カメラで監視されてる。
駅で切符を買い、改札をくぐるときも、監視カメラで監視されている。
高速道路の料金所や、国道の要所要所に設けられたNシステムとかいうカメラシステムで、車のナンバーを監視されてる。
何気なく街をぶらついている時も、監視カメラで監視されている。

実際俺は、新宿歌舞伎町で写真を撮りながらブラブラしていた時、突然後ろからやってきたパトカーから降りて来た警察官2人に職務質問され、カバンはもちろん、財布の中まで調べられたことがある。不愉快だ。残念ながら、俺は自称プロサーファーとかじゃないんで、財布の中から、白い粉が出てきて、インポの薬なんだとかって弁解する必要もなかったけどな。
それどころか、俺が以前働いていた会社では、事務所に監視カメラが備えてあって、東京の本社で監視されていたんだ。マジで。さぼっていたり、服装が会社の掟にそぐわなかったりすると、本社から電話がかかってきて、文句を言われたりするって仕組みだ。俺たちは奴隷じゃないんだぜ。いい加減にしろよ。それこそ、人権蹂躙じゃないのか?俺は早速そのカメラの前に、『くたばれ!このオマンコ野郎』って書いてぶら下げてやったぜ。

防犯カメラとか言って、犯罪抑止効果があるって言われてる
けれど、その代償に俺たちのプライバシーは、丸裸にされているんだ。それに、大抵その画像が使われるのは犯罪が起こってしまってからだ。だから本当にそんなカメラに犯罪を防ぐ力があるのか?無いとは言わないが、俺たち市民のプライバシーを犠牲にしてまでの効果があるのかは、はなはだ疑問だねぇ。
俺たちは、四六時中監視されてるんだ。もちろんその画像には顔にモザイクやぼかしは入っていない。俺は、見えないように張り巡らされた監視カメラ網のことを考えると、『社会生活を送る上での受忍の限度を超える』不快感を感じるぜ。出来ることなら、自分の顔にモザイクとかかけてしまいたいくらいだぜ。そう、肖像権だなんだっていっても、いつもみだりに人を撮影し、記録し、監視しているのは公権力や資本なのさ。肖像権だなんだって、俺たちが街で写真を撮ることに対して萎縮する必要なんて、ホントはこれっぽちもないんじゃないのか?だって、どいつもこいつも俺もあんたも、気が付かないうちに誰かに見張られているんだぜ。
そう、肖像権を一番ないがしろにしてくださってるのは、実は公権力や私企業の皆さんなんだよ!もっと言うなら、俺たち自身なんだ。肖像権だなんだって、写真を撮られるのを嫌がる人々は、この監視カメラ網こそ、肖像権侵害だって標的にしてほしいもんだぜ!

このマスメディアによる過剰なまでの肖像権への配慮と、気付かぬうちに形成された権力による監視網は、俺が思うに表裏一体だ。人々の姿を撮影していいのは、公権力や企業だけであり、個人はそういった情報を持つことも得ることも発信することもできないという、映像のソフトファシズムだ。
気を付けないと、あっさりと洗脳されちまうだろう。写真を撮るのが後ろめたくなってくるのさ、きっとな。
ケッ、笑わせんじゃねぇよ。俺の写真を止めることなんかできやしないぜ。いい女を見たら、味のある男を見たら、もうその時には、シャッターは反射的にきられてるんだからな。考えたり、構図を練ったり、露出補正したりとか、まどろっこしいことは一切抜きなんだ。
何としても写真に写るのが嫌だって?OK、きっと人には言えないやましいことがいっぱいあるのね。俺にはないぜ。それが嫌なら、ゲーノー人のようにサングラスに帽子とかで外出なさってはいかがかな。とはいえ、肖像権に賛成にせよ反対にせよ、俺たちはみんな見張り塔からずっと監視れているのさ。監視カメラを使ってね。
ボブ・ディランの歌に出てきそうだぜ。
それはこんな歌詞だ。

きっとどこかにここから出ていく抜け道があるはずだ、ペテン師はコソ泥に言った。
こいつはあんまりにもこんがらがってって、俺たちは一息つく暇もないってね。
(中略)
見張り塔からずっと、王子たちが見張っていた。
すると女たちは出たり入ったり、はだしの召使たちもそうしていたのさ。

そう、その曲の名は『All Along The Watchtower』 
俺たちは見張り塔からずっと見張られているのさ。ふざけるな!

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