2011/03/13

Post #119 神も仏も無いものか…

大変なことになってしまった。
さすがの俺も、これには呆然とするしかない。しかし、地震が発生してからこっち、俺はほとんど働きづめだった。現代史上稀にみる大災害が、この日本の国に起こっているというのに、俺の住む地域はまるで他人事のように物事は淡々と進んでいる。斯く言う俺も仕事中毒のように昼夜なく働いていたんだ。それが後ろめたく、人としてどーなのか悲しい気持ちになる。
俺の知る人は、幸か不幸か東日本には殆どいない。にもかかわらず、大きな喪失感が胸にとぐろを巻いている。
俺は今こうして、のうのうと生きているのだが、これは単なる偶然でしかないのだ。ひょとして、東北で起こらず、東海地方で起きていたのなら、がれきに埋もれ、津波にさらわれ、炎にまかれて死んでいたのは俺だったかもしれないんだ。その意味で、俺たちが今生きているのは、偶然の結果にすぎないんだ。
死んでいった人々に対して、生き残った俺たちが出来るのは、極論すれば、死んでいった人々を忘れないことだけと思うが、見も知らぬ人々を忘れないことは、実に難しい。
しかし、刻々と増加してゆく死者や行方不明者の数の一つ一つに、人の人生が、人の喜怒哀楽が、その人にまつわる多くの人々が、夢が、希望が、未来が確かにあったのだということだけは、想像しなければいけない。同じ人生など、一つとしてないのだし、無かったのだし、同じ人間など一人としていないのだし、いなかったのだから。
神も仏もないものだろうか?
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それとも、神仏の御業は俺たち人間の思慮の射程などはるかに超えて遠大なため、人の営みや、個々の人間の吉凶禍福など思いやる余力はないのだろうか。
そんな神や仏ならば、俺達は信じても仕方ないのだろうか。
生き残った俺たちは、被災した人も、大切な人を失った人も、何の被害も受けなかった人も、俺たちはみな、自分自身だけを信じて生きてゆくしかないのか?
せめて、俺たちはお互いを思いやっていこう。隣人の悲しみや苦しみから目を背けるのではなく、押し付けがましく振る舞うことなく、静かに寄り添っていこう。
フツーの暮らしをしてゆく中でも、その人たちの事を心の片隅にでも、留めて、忘れないようにしよう。
今の俺には、そんなことしか思い浮かばない。
また会おう。

2 件のコメント:

  1. ご心配をお掛けしましたが、お陰様で家族共々無事です。
    それにしても今回の地震・津波のすさまじさには驚かされることばかりでした。
    青森は岩手県や宮城県、福島県ほどの被害はありませんでしたが、
    今日、青森県内でもっとも被害の大きかった八戸市へ調査に行ったところ
    臨海工業地帯は津波の爪あとが大きく、
    原状回復の見通しが立たない様子です。
    家が津波で倒壊、浸水した住民はこれからどうすればいいのだろうと途方にくれていた姿が印象的でした。
    ここですら他人事と見過ごすことができない状況なのに
    町全体が消えてしまった地域のことを思うと心が苦しいです。
    私としては復興にできる限り協力しようと思っています。

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  2. Kentilfordさん、ご家族ともどもご無事で何よりです。ほっとしました。今後もくれぐれもご用心ください。
    八戸をはじめとする青森の皆様、そして被災された東北地方の方たちに、心からお見舞い申しあげます。そして、平穏な暮らしを続けていて、申し訳ありません。
    本当に、TVの映像を見ているだけでも、勤勉実直な生活を営んできた人々が塗炭の苦しみを味わっていると思うと、悲しくなるとともに、こみ上げる無力感に途方に暮れてしまいます。しかし、途方に暮れていては、いけないのだと自分に言い聞かせています。
    この戦争中みたいな状況の中で、自分に何が出来るのか、まださっぱりわからないのですが、私もできることを考えて、地道に取り組みたいと思っています。

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