2011/03/17

Post #123 ぼくが真実を口にすると・・・

こんな時期だけれども、俺のホームタウンは被災地からかなり離れている中部地方(FMラジオ局はカッコよくMid Landと呼んでいた)だから、明日から今月いっぱい、怒涛の仕事ラッシュが始まるんだ。
被災地の皆さんには、まことにもって、申し訳ないが、人生は自分の意図したようには必ずしもならない。外的なヨーインに大きく左右されてしまうのだ。致し方ない。人はそれぞれのリングで、精一杯生きてゆくしかないんだ。
まだ起こっていないことに心配して、パニックになったりふさぎ込んでしまっても仕方ない。備えは必要だけれど、不安に駆られてしまっては、貴重な人生の一日を、無駄に使ってしまうことになりかねないぜ。
俺には俺の人生がある。そして、俺は自分の人生を生きてゆくしかないんだ。
この先に何が待っていようとも。
ならば、今目の前のことに全力で取り組んでいくしかねぇだろう。せめてみんな、被災地の皆さんに恥ずかしくないように、しっかりと生きていこうや。
Osaka
そんなわけで、今日はプリントでもして過ごしたかったんだ。何故って、明日死んでしまうことになっても仕方ないとは思うが、唯一心残りなのは、自分の写真でプリントしていないものが山ほどあるってことだ。残念ながら、俺にはそれを老後の楽しみにとっておこうなんて趣味はないんだ。何故って、ジジイになって生きてるかなんて、さっぱりわからないからな。

しかし、明日からのラッシュに備えて、仕事の段取りをしたり、掃除をしておいたりしてるうちに、今日も雑事で一日暮れてしまった。残念だ。しかし、掃除機で掃除をしたり、洗濯機で洗濯したりすることができるのは、電気や水道、そしてガスなどのライフラインが健全に維持されているからだ。当たり前のことが、実はありがたいことだって身に沁みるぜ。
こんな雑事で忙殺されてしまった一日だったんだが、一つよかったのは、アレルギーの薬をもらいに行った病院の先生が、若くてきれいなおねーさんだったってことぐらいか。もう少しで、『センセー、彼氏いますか?僕と食事でもどーですか。よければ、あなたの写真を撮らせてもらえないかなぁ』なんて聞きそうになってしまった。まぁ、まつ毛にボールペン、乗りそうですよねなんて、チョーシに乗って言ってしまったが。
しかし、そんなことをしても仕方ない。所詮、彼女と食事をしたりしても、彼女には俺の世界はわかってもらえないだろう、きっと。俺の世界を理解してくれるのは、俺の内縁のカミさんとごく少数の友人、そして何よりこのブログを読んでくれている、親愛なる読者のみなさん、そう君たちだけだろうから。
俺は、図面を製本するための材料を買いに近所の本屋に行ったんだが、ここで、また本を買ってしまった。
おいおい、仕事の段取りはどうなったんだよ?

しかし、心配無用だ。その本は以前新書で出ていた時に買っていた本なのだ。
しかし、以前働いていた会社の同僚に、『これは、生きていくうえでとてもためになる本だから、ゼヒ読んでみるといいぜ』って貸したら、二度と帰ってこなかった。もし奴が気に入って読み込んでいてくれたなら、恨み言の一つも言わないだろう。
しかし、俺の推測では、99.99%、奴は読んでいない。
本を読んだりする習慣のない人間は、本を読む習慣を持つ人間が、どれほど本を大切にしているのか、そして、どれほどその本から多くのことを学び、自らの指針にしていくのかわかっていないんだ。
奴が活字を読んでいるのを見たのは、残念ながら『週刊プレイボーイ』だけだった。
仕方ない。荒れた土地に種を蒔いても、芽を吹く確率は低いのだ。

だから、その本が文庫になっているのを見つけた時に、迷わず買ってしまったのだ。この非常時に呑気なことだと思われるかもしれない。しかし、未曽有の災害によって、心身ともに足元がぐらつくような感覚にさらされている今だからこそ、俺はその本を買わねばと思ったんだ。そう、本は時として、人生を歩む上での、杖となり、指針となり、灯りとなるんだ。

その本の名は勢古浩爾著 『ぼくが真実を口にすると 吉本隆明88語』(ちくま文庫刊)だ。

タイトルは、吉本隆明の詩、『廃人の歌』の一節、『ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうといふ妄想によって ぼくは廃人であるそうだ』からとられている。

吉本隆明は、『戦後思想界の巨人』と呼ばれる在野の思想家であり、哲学者であり、詩人であり、何よりも糖尿病を患うジーさんだ。ある一定の年齢の人々にとっては、その名は伝説的な輝きを持っているだろう。若い人々には、吉本ばななの父親といったほうがわかりやすいかもしれない。
俺は、モヒカン刈りの高校時代から、ロックを聴きながら吉本隆明の本を読んできた。
The Whoのピート・タウンゼント、忌野清志郎とならんで吉本隆明は、今日まで俺を支えてきてくれた大きな柱だ。いや、むしろこれらは今の俺の背骨だといってもいいだろー。俺はけっして頭のいい男ではないから、吉本の哲学的な内容は十分に理解できているとは言い難い。残念だ。しかし、自分は決してインテリではなく、またどんな組織にも属することもなく、ただの大衆の一人なんだという堅固な立ち位置から放たれる吉本の言葉は、俺の心に矢のように突き刺さり、その言葉のまわりに、経験という肉が巻くように自分は歩んできた。
Osaka
この本の著者の勢古氏もこう書いている。
『本書は、吉本隆明の、いわゆる「思想」の語録ではない。しかし、まちがいなく「吉本隆明」の思想の語録である。  中略  本書に出現している傍流としての吉本隆明、これもまた吉本隆明である。いや自惚れていえば、これこそが吉本ではないか、といいたいところだ。控えめにいって、わたしは本書の吉本隆明像に自信をもっている。一面的だとのそしりは免れないだろうが、しかし、だれからなにをいわれようと、ふっふ、絶対的な自信がある。何故ならこのような感受の仕方こそが、「哲学」学者でも文芸批評家でもないふつうの人間にとっての「思想」(思考)だと信じているからである。この考えにはたぶん普遍性はない。が、そんなものはなくてもちっともかまわない。ひとりの自分、そしてひとりの他人を生きるものにとっては、人間の存在や日々の生活の本質を透徹するような思想こそが思想なのである。』
ああ、ここにも、俺と同じように吉本隆明を読んでいた人がいたんだなって嬉しくなるぜ。
市井で生きる卑小な名もなき大衆の一人である俺たちにとって、生活の実感のない言葉は、所詮ゲームのようなもので、いかにそれが膨大な知識と高度な思考によって生み出されていようと、地に足がついていないってことで、読んでもクソのふたにもなりはしねぇ。だから、生活を国家によって、つまり俺達からの税金によって保障されていたりする大学教授の本なんか、読んでもみたいとも思わなかった。読んでもよくわかんねぇしな。
しかし、吉本は違った。軍国少年、左翼青年、そして大企業の組合労働運動家、失業者などの道をたどりながら、詩人として出発し、文芸評論家、思想家と間口を広げてきた吉本の言葉は、生活者の重みがある。つまり、地に足がついているんだ。

この本の中から、俺の好きな言葉をいくつか列記してみよう。

『いいことを照れもせずいう奴は、みんな疑ったほうがいいぞ』

『何が強いって、最後はひとりが一番強いんですよ。』

『労働というのは一種の「刑罰」みたいなもの』

『個人のほうが国家や公よりも大きいんです。』

『本当に困ったんだったら、泥棒して食ったっていいんだぜ』

『智力、腕力、思想、識見、すべてをあげてわたしと闘ってみろ。』

『何か、自分の思っている自己評価より高くみられるようなことだったら嫌だけど、出鱈目なこととか、低くみられることならいいんだってのがこっちの原則なんで。』

『僕には、自分がやっていないこととか出来ないことでは人をおおっぴらに非難するな、という自戒があります。』

俺はこれらの言葉を、何度心に唱えて働いてきただろう。生きてきただろう。

『ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる
ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる
ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる
もたれあうことをきらつた反抗がたふれる』
この詩の一節を、若き日の森山大道や中平卓真が口ずさんでいたのを知って、嬉しくなった覚えもある。
俺が、今日までこうして生きてこれたのは、絶望してしまわなかったのはロックンロールとともに、こういう言葉を自分の支えにしてきたからだ。今だからこそ、もう一度これらの言葉を胸に刻もう。
俺は、生きるぜ、いけるところまで。悪いけど。
今日もコンビニのATMで、電話しながら金を下していた男は。『パチンコで負けちまったから、金がなくて…』なんて言っていた。生理的に、こんな大変な時にパチンコにうつつを抜かすたぁ、太てぇ奴だ、この野郎って思わないでもないが、いかんいかん。吉本隆明もこういっていたしな。
『こんな深刻な目にあっている自殺者がある一方で、すぐ隣でお笑いや遊びや娯楽が行われているという社会を承知し、赦すこともおすすめしたいのです。日本人が初めて本当に必要とする寛容さが、これですから。』
最後に吉本隆明もこういっているぜ。
『日本人ってのは、ちょっとバカにできないぜ』 
きっと、今回の大惨事も、日本人は乗り越えていけると俺は信じてる。
では、皆の衆、また会おうぜ。
今日は俺の趣味の話し一色で、スマン。けど、興味があったなら、この本読んでみておくれよ。

2 件のコメント:

  1. 「生きていくのに大切な言葉」
    (だったような)
    なら持っているんですが、
    語られる内容って違うんですかね??

    返信削除
  2. この項で取り上げている本は、匿名のあなたがお持ちの『生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語』(2005年1月、二見書房刊)の増補改題版に当たります。時事ネタなんかが少しリファインされていたくらいで、大きく違いはなかったように思います。
    とはいえ、二見書房版は、文中にもあるように、プレーボーイしか読んだことのない会社の後輩新堀君に貸したまま、闇に消えてしまったので、その厳密な対比は現在の私には出来ません。興味がおありなら、お読みになってもよいでしょうが、ほとんど同じ内容だと思います。
    まぁ、吉本さん自身、ハイ・イメージ論だか超資本主義だかで、靴下を10足持ってるのと100足持っているのに、機能としての違いはないと喝破している方なので、74語が88語になっても、何ら問題ないんじゃないでしょうか。要はエッセンスなんで。ちなみに、今本棚の吉本隆明の本を数えたら、102冊ありました。それだけ読んでても、私などこの程度ですわ。ふふふ…、我ながら情けないッたらありません。

    返信削除