2011/04/30

Post #169 Fragment Of Amsterdam #2

何ということだ、今日で四月も終わりだ。
今年も一年の3分の1が終わってしまったということか。光陰矢の如しだ。とはいえ、この肌寒さはなんだろうか?日本の気候は変わってしまったのか?地震や津波に原発事故に加えて、冷夏なんてことにならなきゃいいんだが…。

de Dam,Amsterdam
今日も今日とて、夜に仕事が入っているので、至極あっさり行っておこう。
アムステルダムのダム広場は、昔アムステル川を堰き止めるダムが作られた場所だ。ここから現在のアムステルダム旧市街の干拓が行われて、街が形成されていったんだぜ。そう、アムステルダムとは、そのものずばり『アムステル川のダム』って意味だよ。
馬車の後ろに見えるのは王宮なんだけど、現在改修工事中でしてね、インダストリアルな雰囲気が濃厚だぜ。とはいえ、オランダの王様は、今はハーグに住んでるらしいんだけどね。

もういっちょ行ってみようかな。#1の写真の別カット。
de Dam,Amsterdam
このダム広場は、アムステルダムの中心地だけあって、適当に歩いていても、何だかんだとここにたどり着いてしまう。少なくとも俺の短い滞在の間、何時いっても人がわんさか集まっていたぜ。すぐ横に、百貨店なんかもあったしな。

今日は、GW真っただ中なんで、現場に向かうのも気が重いぜ。なんせ、どこを通っても、渋滞、渋滞、渋滞だからね…。俺のマシーンが泣いているぜ。馬車に乗ってるのと変わりがないくらいさ。
う~む、仕方ない、読者諸君は物足りないかもしれないが、ごくあっさりと更新して、早めに出撃するとするかな。
読者諸君、また会おう。俺は連日の夜の仕事に、いい加減うんざりしているぜ。まぁ、仕事があるだけマシだがね。5月は全く暇になりそうだしね。せいぜいどっさりたまったネガをみっちりプリントさせてもらうさ。みんな、楽しみにしててくれよ。

2011/04/29

Post #168 Ethics Inside Me

読者諸君、GWをいかがお過ごしであろうか?
俺は相変わらず寝て暮らし、相も変わらず今夜も男の仕事。何のことはねぇ、全く普段と変わりないぜ。まぁ、こんな時にちょろちょろ動いても、渋滞だのなんだので、イライラするだけだ。暇になる日はいずれ来る。商売左前ってことだから、あんまり歓迎は出来ないがね。

さて、閑話休題だ。
Amsterdam
先日の旅行で、空港でチェックインしていると、隣のカウンターでチェックインしているイカにもラスタマンって格好の黒人と、その日本人の奥さん、そしてその子供が目に入った。ああ、あの子はハーフなんだ、イカすぜ、あの天然パーマって思っていたんだ。
搭乗ゲートの喫煙室でパイプをぷかぷかしてると、さっきのラスタマンがやってきた。俺のパイプを見て、ご機嫌なカンジでサムアップだ。
俺とラスタマンは、すぐに打ち解けてタバコをふかしながら、喫煙室でつかの間の交流を持ったのさ。
『パイプ、吸ってみるかい?』
『いやいや、そいつは俺にはストロングすぎるぜ』ラスタマンはポケットからマルボロかなんかを取り出して吸い始めた。おいおい、ボブ・マーレーはバナナみたいにぶっといマリファナをふかしてたじゃないか?そんな健全なこと言ってちゃ、ラスタマンの名が泣くぜ。俺は心の中で、そう思ったのさ。
ふぅーと気持ちよさそうに煙を吐き出して、ラスタマンはこういった。
『ところであんたの髪形、なかなかイカしてんな』
『おうよ、ありがとよ、こいつは天然パーマなんだ。あんたはアメリカ人かい?』
『いやいや、俺はエチオピア人なんだ。本場のラスタマンさ。名古屋でレゲーバーをやってるんだ』
『そりゃいいね、今度寄らせてもらうかね。ところで、あの子は?』俺は、喫煙室の外でうろちょろしている、ジュニアラスタマンを指差した。
『おぉー、あれは俺の息子ね、ナチュラルボーン・ラスタマンさ』
『そりゃまたカッコイイな。で、ラスタマンは一家でどこにお出掛けなんだい?』
『俺はカミさんと息子たちを連れてドイツに行くんだ。あんたはどこ行くの?』
『アムステルダム、ブリュッセル、パリだよ』
『おぉ、アムステルダム!あそこはサイコーだぜぇ。なんてったって、コーヒーショップで大麻を堂々と吸えるんだからな。ラスタマンにはありがたいぜ、なんせ日本じゃとっ捕まっちまうからな』
『まったくだ、ダッハッハッハ!』
俺達は屈託なく笑いあった。ラスタマンのカミさん(それはごくフツーの小太りのおばちゃんなんだが)がラスタマンを呼びに来た。どうやらボーディングタイムだそうだ。
ラスタマンと俺は『いい旅を!』と言い合って別れた。

さて、俺がアムステルダムで、実際にコーヒーショップで大麻を吸ったかといえば、これがまったく吸わなかった。面白みのない男だ。葉っぱが自由に吸えるなんて、世界でもオランダくらいなんじゃなかろうかというのに。しかし、俺は普段から酒もほとんど飲まないし、トルコに行った時も、水パイプもやらなかった。
どうにも、肉体的に弛緩したような退廃的な雰囲気が好きになれないし、第一、俺は自分の感覚意識が鈍るのが、嫌いだ。万一、不覚を取ってしまっては男として面目が立たないのだ。だから吐くまで飲んだりすることはないし、飲んだとしても、記憶が無くなるような飲み方はしない。
ある意味つまらん男だ。しかし、脳内麻薬は年がら年中、ドバドバ放出されているからな、いつだってトップギアに入れることができるぜ。なかなか便利だろう?
そういえば、高校生の頃付き合っていた女の子は、何年か後にあった時には、自分のアパートの押し入れで大麻を育てていると言っていたな。若い頃、夜の公園を散歩していると、しばしばイラン人のプッシャーから大麻を買わないかって声をかけられたもんだ。しかし、そのたびに俺は『俺がほしいのは、ソウルパワーだ』って断っていたぜ。今でも、クラブとかで踊ってる兄ちゃんや姉ちゃんには、葉っぱをやってる奴がごまんといるんだろうな。よく大学生がおまわりにパクられている。押尾センセーなんて奴もいたっけ。

さて、法で許されていたなら、やらねば損なのだろうか。法律の抜け穴をくぐらないのは、間抜けなんだろうか?さらに一歩踏み込んで、法によって強制されたら、やらねばならないのだろうか?

その答えは人それぞれだ。勝手にするがいいさ。
しかし、俺は自分自身の内なる倫理と行動規範によって、やらない方が良いと思うことはやらないし、やるべきだと思うことは、たとえ法で規制されていてもやるだろう。
自らの内なる倫理によって、自分の行動を律していきたいんだ。
Amsterdam
街を歩けば、いい年をしたサラリーマンのオヤジが、赤信号の横断歩道をへっちゃらでわたっていくのを見かける。大阪やパリに行けば、赤信号でわたらない奴のほうが少ない。それはその人の内なる倫理なのだろう。どうぞ、ご自由に。しかし、もしどこかで子供が見ていたら、どーする?自分の子供に、赤信号で横断歩道を渡れと教える馬鹿な親は、さすがにいないだろう。
俺には子供はいないけど、俺はちびっこたちが見ている前で、赤信号を渡るようなことはしたくないね。子供たちに悪い見本を見せたくないってのもあるが、それは法で定められているからじゃない。自分の身を守るためと、自分が逆の立場なら、わたってほしくないということによるわけだ。
つまり、『己の欲せざるところ、人に施すなかれ』だ。
赤信号で平然と渡ってゆく偉そうな管理職のおじさんは、きっと自分の部下がルールを守らないと、厳しく叱責するにちげーねぇ。それとも、会社という村の掟には忠実でも、市民社会のコモンセンスや国によって定められた法には、厳密に従う必要がないと思っているのだろうか。
う~む、大いに疑問だ。
俺には、その辺の機微がいまいち良くわからん。俺にとって、倫理とは自分の中にあるものだからだ。俺には小さなルールを守れないような男が、より大きなルールを守って生きてゆけるとは思えないんだが。そして、この倫理こそが、裸一貫でこの巨大な社会と渡り合っていくための武器だからだ。

例えばもし、法で、殺人が許されているのなら、人を殺すだろうか?
そんなことはありえないだろうと思うかもしれないが、実は戦争ってのはそういうことだ。俺達の爺さんくらいの年代の人々が、先の戦争中に中国でどれだけ中国人の首をはねることができるのかって競争していたのは、ほんのつい最近のことだ。中国人に嫌われたって、仕方ないだろう。善良な八百屋のオヤジとかが、軍人になったとたんに、平気の平左で人の首を切り落とすんだぜ。

冗談じゃないぜ。こんなことってあるのかい?

これには実はからくりがあって、戦争中に、軍人たちは覚醒剤をバンバンにやっていた。何日も不眠不休で行軍したり、戦闘したりするためにね。今でもシャブ喰った奴が、通り魔事件を起こしたりするってのが、たまにあるだろう?あれを国家的にやっていたんだ。戦後、暴力団が覚醒剤を扱っているのも、北朝鮮が未だに覚醒剤の輸出で国家経済を回していると言われているのも、旧日本軍の遺産なんだ。
自らの倫理に反して、国家によって殺人を強要される。
戦争ってのは、そういうことだ。
軍備を増強しろとか、憲法9条を改悪しろとか言っている連中は、自分自身が、国家によって、縁もゆかりも無い誰かを殺すことになった時、喜んで殺すのだろうか。アムステルダムで大麻が吸えるってウキウキするように銃のトリガーを引くのだろうか、刀を振り下ろすのだろうか。
俺は、誰かに命令されて、法に許され守られて、誰かを殺したりするようなマネは御免だぜ。それで非国民だとか腰抜けだとか言われるのなら、喜んで非国民になるし、腰抜けになるさ。
自分自身の内なる倫理しか、国家の強制力に立ち向かう術はない。
ふふふ…、俺の中では大麻の話しと戦争の話しは、倫理という軸を介してつながっているんだ。

もちろん、それは極端な話だろうが、俺はいつだって、自分自身の内側の倫理が指差す方へ歩んでいきたいと思っているんだ。それは時には、世間のルールとずれている時もあるだろう。しかし、自分の中で40年くらいかけて培った倫理を、信じていきたいんだ。それがない限り、譬え法を犯す泥棒になったとしても、それは国家という主人の目を盗んでつまみ食いをする奴隷と変わらないからな。

読者諸君、今日はちょいと小難しくなってスマン。俺はどうにも、たまに小難しい屁理屈をこねくり回してみたくなるんだ。では、また会おう。俺は今からスパゲティでもこしらえて、さっさと食っては男の仕事に出撃しなきゃならないんでな。良い連休を楽しんでくれ。

2011/04/28

Post #167 Fragment Of Amsterdam #1

今夜は連れ合いと一緒にフィギアスケートを見ていたら、すっかり遅くなってしまった。迂闊だったぜ。今朝はすっかり明るくなってから眠りにつき、仕事関係の宅配便が来たことにも気づかず、例によって昼過ぎまで眠り、これじゃいかん、今日は月末だ、銀行に行って支払いをしなくてはって飛び起きて、おっとり刀で銀行に向かい、いそいそと振込を済ましてきてから、さぁ、プリントしようぜって勢いでプリントしたんですがね、なんだか睡眠不足ってのか、最近の国内時差ボケ状態のせいで、どうにもこうにも集中できず、途中で昼寝なんかしちまったくらいで、結局15枚くらいしかプリントできなかったぜ。
不覚だ。
しかしまぁ、生業のほうは震災の影響なんかもあって、5月はズイブン暇そうなんで、引きこもってコツコツプリントするってのも、一興かもしれないな。なんてったって、プリントしたいネガが、軽~く5、600枚はあるからね。こんなペースでちんたらやっていては、俺が生きてるうちに終わらないぜ。だからといって、デジカメに移行する気は、もちろんさらさらない。ここは大事なポイントなんで、もう一度言おう、デジカメに移行する気は、まったくないんだぜ!
Amsterdam
それはそうと、『たまには写真やカメラについて話そうかな #4』は、このブログの中で、一番地味にPVを伸ばしているロングテールなんだが、どうしてだろうかと思い、ちょっと見てみると、CONTAXで検索をかけると、かなり上の方にヒットしてくるわけだ。かつて、ライカと写真界を二分したコンタックスが、今では誰からも忘れられ、俺のようなおっさんのたわ言のようなブログが、世間の皆様のコンタックスに関する、情報源になってしまうとは。悲しいことだ…。
ふと、興味が湧いきて、同じ検索条件でヒットしている他のブログを見て、俺はひっくり返った。
俺の愛機ContaxⅢaを、堂々と戦前の古いカメラだと抜かしている奴がいる!当節流行のカメラ女子だとしても、これを大目に見るつもりは、さらさらない!真実は常にひとつ!と名探偵江戸川コナン君も言っているではないか!
興味のない向きには何のこっちゃだろうが、あえてここではっきり言っておこう。
あのキャパも使ったContaxは戦前も戦前、1936年にツァイス・イコンが発表したⅡ型。これに露出計を載せたものがⅢ型。レンズにはCarl Zeiss Jena(イエナと読むのだよ。ドイツ東部の街で、カールツァイスの創業の地だ)と刻印されているはずだ。
戦後に、東西ドイツ分断によって、巨大光学機器メーカーCarl Zeissも東西に分断され、企業体力はがくんと低下した。何と言っても本拠地のイエナはソビエト軍に接収され、生産設備は、ごっそりそのまま、技術者もろとも、ウクライナのキエフに持っていかれちまったからだ。まぁ、ゆとり世代の若い衆は、ドイツが東西に分断されていて、1989年にベルリンの壁が崩壊したことをきっかけに、共産主義の東側と、資本主義の西側に分断されたいたドイツが統合したって歴史も、ご存じないかもしれないが。
斯く言うツァイスも、イエナの東側と、アメリカ軍によってドイツ西部の街オーバーコッヘンに拉致同然に移住させられた技術者たちによって再建された西側のツァイスに分かれてしまったのだ。そして、1991年にカール・ツァイスは東西統合するまで、それぞれが本家争いを繰り広げていたのだ。
その本家争いの真っただ中、ほとんどゼロから再建された西側のCarl Zeissから、1950年に発表されたのが、戦前のⅡ型のシャッタースピードや操作性を向上させ、一層の小型化を施したⅡaで、翌年発売されたのが、露出計搭載モデルのⅢaだ。間違えてもらっては困る。
特殊なものを除いて、そのレンズにはZeiss Optonと書いてあったり、Carl Zeiss W Germanyと書いてあるはずだ。どこぞのエー加減な中古カメラ屋のオヤジの話しを真に受けたのだろうか?俺は、必ずこういうことを書く際には、信頼できる文献に当たり、極力間違いの無いように心掛けているつもりだ。以前も紹介した竹田正一郎センセーの本を読んでみてくれ。
カメラや写真に関して、もっと歴史を学んだ方がイイぜ。カメラの発展の歴史は、確かに自動化の歴史ではあるが、その過程を学ぶことで、露出やシャッター速度の関係、レンズの特性と開放値に応じた描写の変化、そしてレンズの個性に基づいてどんな描写が生み出されるのかを理解することができるってもんだ。単に、シャッター押せば写るっちゅうもんじゃないんだぜ。
そして、自分の撮影しているモノが、その辺の子猫や花鳥風月やモデル撮影会でも、今日までどのような写真家によって、どんな写真が撮られてきたのか、そしてそれがその当時、どのようなインパクトを持っていたのかを学ぶことはヒジョーに重要なんだ。写真集や写真展に足を運ぶんだ。そうすれば、君の写真に必ずや奥行きが出ることだろう。まぁ、俺が言っても説得力ないかな。
音楽も文学もそうだぜ、昔のスゲー奴らの業績や傑作も知らずに、イイ気になってるようじゃだめだ。まさに、温故知新だ。後ろに進むことによって、前に道が開けるんだ。しかも、最短でね。
まぁ、Contax Ⅲaは戦後のカメラだよってことが言いたいだけなんだけどね。もしかしたら、その人の言う戦争はアフガン戦争とか湾岸戦争かもしれないけど…。

まぁ、それはどうでもいいか。
今日はアムステルダムの写真をお届けしよう。
de Dam,Amsterdam
さっきも言ったように、今日はフィルム一本分、15カットしかプリントしていない。具体的に言うと、アムステルダム郊外のスキポール空港駅のホームから、アムステルダム中央駅を経て、サムソナイトをごろごろ転がしながらホテルに向かい、一息ついてカフェを探しに出たところまでだ。俺の旅はこうして、プリントすることで濃縮され、熟成した記憶として脳みその中に定着されていくのさ。

写真はアムステルダム旧市街の中心、ダム広場で見かけたおねーさんだ。どう、いい女だろう?日本だったら、こんな格好でうろうろしてんのは、風俗嬢と相場は決まっているが、さすがにオランダは違う。
なんか俺に話しかけてきて、パンフレットをもらったけど、俺はおねーさんの半分はみ出たおしりにばかり気をとられていて、何を一生懸命、こんな格好で伝えようとしてるのか、イマイチわかんなかったんだ。
まぁ、パンフレットを見たところ、これまたオランダ語ばかりなんだけれど、想像するに家畜を飼育するのにも、出来る限り愛情を持って、家畜が苦痛を感じないようにしてあげよう、そして感謝して食べよーみたいな話なのかなって想像したんですがね。子豚の写真とかのってたし。しかし、だとしてもこの格好でアピールする必要性って、あるんですかね。俺は嫌いじゃないけど…。

読者諸君、また会おう。これからコツコツプリントしていくぜ。まだまだこんなのは序の口だ。35本のうちのたったの1本だ。これからもガシガシ行かせてもらうぜ。楽しみにしていてくれ!

2011/04/27

Post #166 たまには写真やカメラについて話そうかな#5

今日は、凄い雨だ。風も激しー。そんな中、俺は現場調査のために高速に乗って、片道100キロくらいの道のりを往復してきた。しかも、今夜は仕事が待っている。小忙しーぜ、まったく。
まぁ、明日は月末だから振込なんかして、あとはゆっくりじっくりとプリントでもさせてもらうか。
それを楽しみに、今日を乗りきらせて頂こう。とはいえ、こんな嵐の中、仕事の材料を積み込んだりするのは、すこぶる億劫なんだがな。何とかならないもんかね・・・。
というわけで、本日はブログに現実逃避だ。しかも、昨日の予告、勝手に金子光晴週間その2は、ちょいと気分じゃないので、今日はやめる。
久々に、カメラについて話してみましょうかね。なんだか、カメラの話しをするとジミに人気があるようなのでね。

コンタックス一族を愛する俺が、何時かは欲しいと思っていたカメラに、ホロゴンウルトラワイドがある。今は亡き、カール・ツァイスの天才設計者エアハルト・グラツェル博士とハンス・シュルッツ博士の設計したホロゴン15ミリf8(3群3枚、画角110度)が、名機コンタレックスのボディーにめり込むように搭載されていた広角専用機だ。1968年登場なのだが、当時としては焦点距離15ミリ、画角110度は驚異的な数字だったろう。それが例え、固定焦点、絞りf8固定でもね。
ホロゴン、つまりラテン語で、全ての角度を意味する、ほとんど球形に大きく湾曲したレンズが、一眼レフカメラ、コンタレックスの異様に質感のある重たいボディーに固定装着され、ペンタプリズムの代わりに軍艦部には、大きなモニターのような美しいビューファインダーが、これまた固定装着。そのまま普通に手持ちで撮影すると、画面に指が写り込んでしまうので、専用のピストルグリップが標準装備され、なおかつ周辺光量の低下を補うために、専用のグラデーションフィルターがついていた。このフィルターを使うと、F値は実際にはf16になってしまうので、暗い室内なんかでは、結構撮影が厳しいカメラだっただろう。
人間の欲望ちゅうもんは、限りがない。欲しかった。しかし、時は中古カメラバブル真っ盛り。時折見かけるホロゴンは、ヨユーで100万円オーバーだった。買える訳ないよな。今でも70万くらいはするんじゃないだろうか。

その当時、すでに京セラのコンタックスG2専用レンズで、ホロゴン16㎜ f8が出ているのは知っていた。これは元祖ホロゴンをG2のボディーに搭載するために、焦点距離を1ミリ長くし、その代り焦点距離を調整できるようにヘリコイドリングを設けた逸品だった。しかし、これも定価が30万くらいする超高級なレンズだった。

ある時のことだ。行きつけのカメラ屋に行くと、このホロゴン16㎜が16万円というお手頃価格で売っていたんだ。しかも、中古じゃない。新品だ。そのお値段で購入するためには、購入後に作例を撮影し、レポートを提出しなけりゃならないっていう、京セラのキャンペーンだったようなんだが、今思えば、その数年後にカメラ事業から撤退するための布石だったのかもしれない。

俺は買ったよ、ホロゴン16㎜。銀行で金を降ろして、いや連れ合いに借金したんだったっけか?しかも、ホロゴンを使うために絶対必要なカメラのボディー、つまりコンタックスG1もG2も持っていないのに買ったぜ。あほだ。俺はしばらくの間、ホロゴンを部屋の照明の灯りに透かして眺めたり、これまた傑作の水準器内臓の専用ビューファインダーで、部屋のベランダからの風景を眺めたりして過ごしたもんだ。これはこれで、なかなかに楽しい写真の楽しみ方ではあったな。

それからしばらくしてからだ、G2を買ったのは。45ミリの標準レンズ、プラナーが付いた中古だったかな。勢いというものは、恐ろしーもので、あれよあれよという間に、というか金が入るたびに、コンタックスGシリーズ用のレンズが増えていった。最終的には、ズームレンズのバリオゾナー以外はすぐにそろってしまった。
そのラインナップを紹介しておこう。

CONTAX Gシリーズレンズ、たまんねぇ
Hologon T*16mm F8
Biogon T*21mm F2.8
Biogon T*28mm F2.8
Planar T*35mm F2
Planar T*45mm F2
Sonnar T*90mm F2.8

ビオゴン21mmはかつてツァイスが開発した、Biogon 21mm F4.5の現代版リニューアルという位置づけだが、これが驚異の解像度。そして、歪曲収差の少なさ。フランジバックが長いので、一眼レフには使用できないので、レンジファインダーコンタックスが無くなってから、長らくハッセル・スーパーワイドくらいにしか使用されていなかった玉なんですが。たまらんですよ。専用のビューファインダーもなかなか見え具合よし。
俺はG2を使う時には、大抵この21㎜のビオゴンか16㎜のホロゴンを使ってます。
28㎜のビオゴンも実にシャープな広角レンズ。
35㎜のプラナー、実はあんまり使わないんですが、結構やわらかい描写、背刊ではぼやーと撮れるという評価らしいです。どうしても35㎜はメインで使ってるCONTAX T3のゾナーを使っちまうんだよな。
45㎜のプラナーは、はっきりくっきり、シャープでクリアな描写。
90㎜のゾナーも、あんまり使わないんですがね、世間的にはライカのエルマリートに比べても、断然シャープで、高い解像度を持ちつつコクがあるという評価がされとります。
まぁ、レンズの評価なんて、コクだのキレだのまるでビールの味みたいになっちまいます。一番いいのは、Gシリーズのボディーもレンズも、ホロゴンやビオゴン21㎜以外は、実にお手軽価格で入手可能ですので、興味のある方は、現金を持って近所の中古カメラ屋さんに走ってくれ。どうせ買うんなら、G1よりも、G2だ。その理由もこの後、説明しよう。現金がなければ、カードで買ってもいいじゃない。まるで、マリーアントワネットのような、口ぶりだが、結局、こんなもんは自分で使って納得したり、びっくりしたりするのが楽しーんであって、人がとやかく言ったことを鵜呑みにしているだけではいけない。
しかし、ほんの20年ほど前までは真剣にレンズのビミョーな味わいが追及されていたことが、デジカメ全盛の昨今からは懐かしいような悲しいような、複雑な気分になりますばい。はぁー、さみしかねぇ。

CONTAX G2  Biogon T* 21㎜F2.8
そして、これらの銘玉(しかも、とてもリーズナブル、これ大事なポイント)のプラットホームたるG2も、なかなか侮りがたいカメラなんだよね。1994年発売のG1、そして96年発売のG2。これは、世界で唯一の、AFレンジファインダーカメラなんだぜ。もちろん、巻き上げもオート。レンズを交換すれば、外付けファインダー使用の16㎜と21㎜以外は、ファインダー倍率が自動で切り替わるんだ。ブライトフレームのライカと異なって、コンタックスは昔からこう!ってカンジで、画角に応じた画面の外はすっぱりと黒く裁ち落されている。これがまぁ、コンタックスだな。
AFの精度は、後発改良機のG2のほうがはるかに優れている。だから、21㎜や16㎜をつけて、ビューファインダーを覗いたままシャッターをガンガン切っても、何の問題も無しだ。4個ものマイクロモーターを搭載したボディーが、自動でレンズを繰り出し、シャッターをきり、フィルムを巻き上げてくれる。
こんなレンジファインダーカメラは、他にないぜ。
しかもG2には、往年のコンタックスファンを狂喜させたサイコーのギミック付きだ。以前に紹介したツァイスイコンのContaxシリーズは、右手の人差し指がかかるボディーの隅に、ピント調整用のギアがついていて、これを指でコロコロ回せば、ギアの回転がレンズの繰り出し機構に連動し、ピントが調節がされるという優れものだったんだ。これの何がイイかって?そりゃ、シャッターボタンのすぐそばでピント調節が出来りゃ、スナップ時の速写性は向上するし、左手はカメラのホールドに専念できるという訳だ。
このG2にもマニュアルモードがついているんだけど、これが往年のContaxのようにボディーの正面の右手人差し指あたりに同様の機能のダイヤルがついているわけだ。そして、撮影時には、ファインダーを覗きながら、液晶表示された指標に合うまでダイヤルを回してピントを合わせるんだ。
まぁ、ホロゴンを使う際には、AF連動していないので、これはMFに切り替えたうえで、カメラのヘリコイドを回すことになるんだけどな。

そして、シャンパンゴールドに輝くチタンボディー。たまらん、物欲を刺激するとはこういうこった。
さらにサイコーに感覚に訴えてくるのは、シャッター音だ。シュピィーンッ!ってカンジノシャープな音だ。連写にするとこれが、シュピシュピシュピーンッ!だ。乾いた、メカニカルな軽快な音。これは病み付きになる。久しぶりに聴こうと思ったら、何ということだ、電池切れだ。ウンともスンとも言わないぜ。まいったなぁ…。まぁ、仕方ない。これが人生だ、ロックンロールだ。
ちなみにこのG2の電池だが一台当たり、CR2が2本必要だ。なかなか大飯くらいなカメラだ。シャープなボディーに、ずば抜けた能力、そして大飯食らい。ふふふ…、まるで俺のようなカメラだぜ。

出来ることなら、俺の人生、また物欲で腸がよじれちまうようなカメラに出会いたいもんだぜ。読者諸君、また会おうぜ。

さて、今夜も出撃タイムだ。明日こそはプリントするぜ。待ってろよ!

2011/04/26

Post #165 勝手に金子光晴週間 その1

Oh Yeah!今日の夜も仕事だからって、太陽が天中に差し掛かるまで、惰眠を貪って、挙句の果てには眠り過ぎて頭が痛いくらいだ。まったくのダメ人間じゃないか、これじゃ。仕方ない。国内時差ボケ商売だからな。仕事がなくても最近は明け方まで寝付けないんだ。困ったなぁ。

Osaka
今朝の明け方にさすらいびとさんからコメントをもらったぜ。さすらいびとさん、ハートウォーミングなコメントありがとう。さすらいびとさんのコメントを読んで、コメントを返していたら、無性にこの詩が紹介したくなったぜ。そう、他でもない親愛なる読者諸君にだ。
お届けしよう、ニッポンのユーメイな詩人にしてエロじじい金子光晴、1917年22歳の若き魂のシャウト、『反対』だ!

僕は少年の頃
学校に反対だつた。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

僕は第一、健康とか
正義とかが大きらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。

むろん、やまと魂は反対だ。
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻をむけてゐる。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答へよう。反対しにと。
僕は、東にゐるときは、
西に行きたいと思ひ、

きものは左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。

僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きてることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。

(金子光晴『反対』 岩波文庫 金子光晴詩集より)

う~む、まるでロックンロールだ。時代が時代なら、彼はロックンローラーだったろう。内田裕也なんか目じゃないぜ。すぐに、団結したがるこの日本では、黙っていてもお互いに通じ合っているような気になっているこの日本では、主張すればすぐにKYとか言われる日本では、今でもこの詩の力はいささかも衰えてないぜ。

さぁ、君も声に出して言ってみるがいい。すげーシャウトで、まわりの奴らを驚かせるくらい、デカい声で言ってみるとイイぜ。きっと、人生の見方が変わる。俺達はみんな、他人の人生を生きることに、うんざりしているんだ。さぁ、行くぜ!

『反対こそ、生きてることだ。反対こそ、じぶんをつかむことだ。』

いつだったか、この詩をたまたま目にして、金子光晴にノックアウトされたぜ。学級会じゃあるまいし、何でもかんでもみんなに賛成じゃ、いつの間にか、洗脳されて、去勢された馬のようになっちまうだろう。そんなんじゃ、自分の人生がもったいないぜ。モノ足りないッたらありゃしないぜ。
だいたい、よく言われる『みんな』って誰だよ?『みんな』はどこにいるんだい?『みんな』の意見なんかじゃなくて、ホントはお前の独断じゃないのかよ?やたらと『みんな、みんな』っていう奴を、俺はいつも疑ってかかる事にしてるのさ。
そうさ、自分の頭で考えて、おかしいと思う事には、即反旗を翻してきた。トイレットペーパーの芯じゃないんだから、何でもかんでも長いものに巻かれてたまるかって根性で今日まで何とかやってきた。ご苦労なこった。おかげで金回りはすこぶる悪いがな。
第一、そんなんじゃ人ごみに紛れて、埋没してしまうじゃないか。街を歩いている女の子を見てみなよ。人ごみで入れ替わっても、誰も気が付きゃしないんじゃないか?どいつもこいつも、おんなじようなメイクで、おんなじような格好でさ。サラリーマンのおじさんも、ある日違う会社に行って、知らない席に座っていても、何ら違和感ないような手合いばかりだ。
Osaka
それでいいのか?

人と同じことばかりしていたら、自分のやりたいことを見失ってしまうぜ。無駄に年だけくっちまうぜ。人生には終わりがあるんだぜ。俺は昔から、誰かと交換なんかできっこない、一点モノのゲージュツ品みたいな人間になりたいんだ。出来れば、このキャラクターを活かして飯が食えればサイコーだけどね。ふふふ…、しかし、そんなに人生甘くはないぜ。それこそが人生さ、ロックンロールさ。
つまらねぇことで落ち込んでる暇なんかないのさ。なんせ俺は俺だからな。俺の信じたことを、子供の頃の俺が見て、マンガの主人公みたいでカッコイイと思えるようなやり方でやるだけさ。

俺の敬愛するMOD FATHER Paul Wellerも言っている。
『僕は間違ってない。間違っているのは社会のほうだ。』
昔好きだったマンガで、主人公のハチャメチャな中年男が、『俺は未だこの世界に顕現していない何かからの使徒だ』って言うようなシーンがあったんだけれど、俺も、このニッポンの皆さんに、未だこのニッポンに顕現していないグルーヴからの使徒だと言えるような男になりたいもんだぜ。
ニッポンには、こんなバカな男がもっとたくさん必要だ。もっとも、みんな俺みたいな連中だったら、この国はデモとかストばっかりで、GNPはベスト100位圏外間違いなしだろうけどな、ダッハッハッ!
読者諸君、俺はもうすっかりおっさんだけど、年相応に老け込む気なんかさらさらないぜ。君たちも、いっちょどうだい?もっと好きにやってみないか?大丈夫、痛い目を見るのは自分なんだから。
明日は、勝手に金子光晴週間その2ってことで、『おっとせい』でもショーカイしてみようかな。

2011/04/25

Post #164 Dead Stock #1

昨日の夜は、夜中の3時まで、例の旅行のネガをチェックしていたんだ。
あんまり夜更かししていたんで、連れ合いに、こっぴどく叱られちまった。いつまでたっても子供扱いだ。もう42なんだがね…。
フィルムカメラで、ほぼノーファインダーで撮っているから、なにがどんな構図で写っているのか、ネガを見るまでまったく分からない。これは、なかなかにスリリングなことだな。驚くぜ。

実際に、見ていると、旅行のシーケンスが次々に脳裏に浮かんでくる。名所めぐりなどあまりせず、ひたすら路地を歩き回って写真を撮りまくっているから、ネガを順番に見ていると、自分の記憶が呼び起されてくる。異様に細部まではっきりと思い出し、地図があったら、毎日たどった道筋を正確にたどれそうなくらいだ。

頭の中に地図が出来ていくわけだ。

今日は午前中、仕事を一発かたずけてきた。何、たいしたこたぁ無いんだ。仕事自体は簡単なんだが、ほとんどがその、行き帰りの運転だ。これはなかなかに退屈なんだが、イカしたロックを聴きながら、ご機嫌な時間を過ごすって寸法さ。そして、夕方からもう一発現場を片付けてこないといけないんだ。そこで、今回はずいぶん前に撮影した写真を載せておこうかな。つまりはDeadStockって訳だ。今日はとりあえず、モノクロに関しては、昨日の夜見たネガの事で頭の中がいっぱいなのさ。そこで、ちょっと目先を変えてみた。もちろんプリントしてる暇はないしね。

HomeTown
これは、近所のうなぎ屋さんの水槽なんだが、なんだか最近、うなぎが無性に食いたくってね。スーパーで売ってる奴じゃだめだよ。ちゃんとお店でおっさんが炭火で焼いたような奴。あれがイイのさ。肝吸いなんかつけてもらってね。サイコーだよ。


Kumano
これもずいぶん前に、熊野の花の窟に行ったときに撮ったものだぜ。
素敵な草地に、素敵な黒猫が気持ちよさそうにしていたんだ。邪魔をしないように、そっと離れて撮ったのさ。
西日本に住んでいない人にはあまりなじみがないかもしれないが、この花の窟はイザナミノミコトを葬った神聖な場所なんだ。巨大な岩がご神体で、そのご神体には波や風の浸食で穴が開いている。それがまぁ、見様によっては女性器に見えなくもない。イザナミノミコトは、火の神カグツチを生んだ時に、やけどをして死んでしまったんだ。ちなみにここには、火の神であるカグツチも祀られている。太平洋の荒波が打ち寄せる浜辺にそびえたっているんだ。
ここはおそらく縄文時代から聖地とされてたんだろうな。日本書紀にもしっかりとこの場所のことは書かれているんだ。流行っぽく言えば、まぁ、パワースポットだね。なんかこの言い方は、畏敬の念が感じられなくて俺は嫌だがな。
ここは神社になっているが、拝殿はない。このむき出しの岩の前に直接対面して祈るのさ。白砂の敷かれた地面に跪いて祈るのさ。
俺も、この岩の前で、何度か跪き、何を願うでもなく、祈ったことがある。土人のように祈り続けるのさ。なんだか、かたじけない気持ちになってくる。自分が神様の子供になって生まれ変わったような気がしてくる。胸の奥が熱くなってくる、自分が母親を殺して生まれたカグツチそのものになったような気がしてくるんだ。
そろそろ、また行きたいもんだ。ソウルパワーをわけてもらいたいぜ。

おっと、そろそろ行かなくちゃ。現代社会はせせこましくてイケないぜ。かといって、失業は御免だけどね。暇はあっても、旅にも出れなきゃ、印画紙も買えやしないからね。
読者諸君、また会おう。君たちも、うなぎでも食べて精をつけたり、パワースポットに行ってソウルパワーをチャージして、この困難な時代を乗り切って行こうじゃないか!

2011/04/24

Post #163 Fragment Of Fragments #15

HongKong
本日、眠ってばかり。昨日まで、選挙カーがうるさくて、夜勤明けでも眠れなかったが、今日は投票日なので、誰も俺の眠りを妨げないのさ。
しかも、最近仕事が夜ばかりで、旅行から帰ってきても、時差ボケが続いているようなのだ。まいったなぁ。
そりゃそうと、なんだかもう少し、暖かくならないものだろーか?桜はすでに散り果てたのに、いまだに薄ら寒いのさ。おかげでなかなか布団から出る気にならないんだ。
よって、今日はあっさりと写真だけ。今夜こそ35本の旅行のネガを見たいんだよ。
読者諸君、また会おう。今日はこんなんですまない。まぁ安息日って事で勘弁しておくんなさい。

2011/04/23

Post #162 On The Corner

On The Cornerといっても、あの超有名なマイルス・デイビスの名盤“On The Corner"の話しではない。あしからず。単に、曲がり角であった印象的な話ってだけだ。
フランスとドイツという、EU圏の2大国に挟まれた小国ベルギーの首都ブリュッセルは、その立地からEUの首都になっている。その関係もあるんだろうか?さまざまな人種が集まっている。MIDI駅(直訳すると中駅なんだが、別にCentreつまりセンター駅があるから日本では南駅とされている)でトラムに乗った時から、あまりにもエスニックな雰囲気が濃厚なんで、ワクワクしてきたぜ。つまり、黒人やアラブ系、モロッコ人や中国人なんかのほうが、いわゆるベルギー人よりも多いんだからな。比率としては、8対2くらいで有色人種ばかりだ。俺のすぐそばに座っていたのも、スカーフをまいて子供を連れたイスラム系の女性二組だった。中東の人特有のどぎついアイメークだ。
これらの人々は、なんなんだろう?移民か、それとも出稼ぎ労働者か?あとでわかったことだけれど、どうもこの駅の界隈はアフリカ系やアラブ系の人々が多く暮らしているエリアだったようだ。
満員のトラムを4駅ほど行ったところで、俺と連れ合いは降りたんだが、あまりに満員で、大きなトランクを持った俺たちはまわりの皆さんに、もーしわけないくらいだった。降りるのも一苦労だったんだ。人の波をかき分けて、やっとの思いでホームに降りたんだ。
するとそこで、連れ合いは中華系と思しき中肉中背のメガネに、『マダム、時計を落としましたよ』と声をかけられた。しかし、俺も連れ合いもちゃんと時計は腕についている。
ヤバイな。俺は直感した。なんてったって、俺はかつてバルセロナの地下鉄で財布をすられた経験がある。そうそう何度もカモにはされないぜ。俺もなんだなんだってカンジで合流したんだ。おそらく奴は、俺の連れ合いが一人で旅してると思ったんだろう。時計を落としたとか言って呼び止めて、財布をすったりするっていうあれに違いないぜ。なんて言ったって、何処にも時計なんて落ちてないしな。ホントに落ちてて、呼び止めるくらいなら、拾って渡してくれるってのが筋だろう。
油断がならねぇぜ、まったく。
奴は俺の合流で、なんとなく目算が狂ったのか、そのままトラムに乗り込んで去っていった。貴様の顔は覚えたぜ、次にあったら容赦しないぜ。
ブリュッセルは油断がならないな。真夜中にホテルで寝ていると、何処からか若い奴らが大騒ぎし
てる声が聞こえてくる。まるで、田舎のヤンキーのようだ。
Bruxelles,Belgique さすがに笑ったね、これは
悪戯好きな奴もおおそうだ。俺は嫌いじゃないがね。
証券取引所って歴史のありそうな大仰な建物があるんだが、そのエントランスに飾られたライオンの彫刻の口には、バナナの皮が突っ込まれていた。
俺は、それを見て大笑いしちまったぜ。通りがかりの地元の親子連れも気が付いたらしく、ベビーカーを押した若いお母さんが、『あんなところにバナナ…』って呆れていたぜ。
他にも、証券取引所から、例のMIDI駅の方にくだりながら写真を撮っていた時には、裏通りの教会の、地面から3メートルくらいのところに設けられた街灯の上に、赤ちゃんの実物大の人形の股間に、実物大の陰茎を模した大人のおもちゃをテープでとめたのが、これ見よがしに置いてあったっけ。これも俺は目ざとく見つけて、トムとジェリーみたいに大笑いしてたら、近所のおじいさんが、こりゃたちが悪いねぇといった顔で苦笑いしながら、あれは君がやったのかねって聞いてきたくらいだ。冗談じゃないぜ。脚立もないのに、出来っこないだろう。
俺は笑ってNON!と答えておいたぜ。
いずれにしても、親切な人も多いが、思っていたよりも治安が悪いっていうか、ざわっとした雰囲気だ。そんな街を、俺は毎度おなじみのモジャモジャ頭に、派手なパイソン柄のスキニーパンツ、オレンジ色のパイソンの皮をあしらったウェストバック、そしてピンクのパイソン皮の横着そうな靴を穿いて歩き回り、じゃんじゃん写真を撮りまくった。まぁ、俺の格好が最も性質が悪そうなんだがね。おかげさんで、子供たちには、ぴとん!ぴとん!と呼ばれて大人気だったぜ。ぴとんってのは、ニシキヘビ=PYTHONのフランス語読みだ。子供と年寄りとホモにはいつも大人気なんだけどねぇ…。
はぁ~。
一日みっちり歩いて、陽が傾いてきた頃、さっきも話した証券取引所の横の交差点で、横断歩道を渡ってきた中年のがっちりしたおやっさんに呼び止められた。俺は、逆光の中を歩み寄ってくる男に一瞬身構えたが、表情がわかるとニコニコしてるから安心したぜ。
見ればオレンジ色の作業服を着ている。片手にはビールだ。仕事帰りの職人のおやっさんって風情だ。これなら日本でもおなじみだ。一見いかついが、気のいい人たちなのは万国共通だ。
Paris
『ムッシュウー、それはあんたの独自のスタイルなのかい?』おやっさんはでかい声で訊いてきた。
うむ、というのはこのモジャモジャ頭に、パイソン尽くしのいでたちの事かな。『そうだよ』俺は答えた。
『なかなかユニークでいいぞ!素晴らしい!ダッハッハッ!』いや、うれしいね。『ありがとう!』
『ところでムッシュウー、あんたはどこから来たんだい?』『日本だよ』
『そうか、ジャポンか、津波は大変だったが、あんたは大丈夫か?』『OK、俺も家族も問題ないさ』
『そうかそうか、そいつはよかった、俺はモロッコから来たんだ。ここはモロッコに比べて、家賃は高い、喰いもんも高い、何でもかんでも高くてうんざりだが、これだけはサイコーだ』おっさんは、にやりと笑ってビールの缶を振って見せた。俺とおっさんは街角で、笑いあったぜ。そりゃイスラム圏じゃ、戒律上ビールをガンガン飲んだりできないもんな。
『これからどこに行くんだい?』おっさんは聞いた。俺は連れ合いと夕食を食べるのにもってこいの店を探して、ぶらつきながら写真を撮っていたんだ。おっさんの来た方角には、どうにも地元の華僑の人々の住むエリアがあるように見受けられる。面白そうだ。ちょっと行ってみようかな。
『この通りを渡って、あっちに行ってみるつもりだ』俺がそういうと、おっさん、ビールを一口飲んで、『そりゃいい、あっちはビューティフル・プレイスだ』とのたまった。
俺と連れ合いは、おっさんに挨拶して別れ、道を渡った。
ブリュッセルで、一番印象に残ったモロッコ人のおやっさん。もう会うことはないだろうが、どうぞいつでもお元気で。

読者諸君、また会おう。今夜も急に仕事が入ってしまったぜ。君たちが家族や恋人と過ごしている頃、俺は男の仕事だ。モロッコ人のおやっさんといい勝負だぜ。
まったく、ゆっくりじっくりプリントする日はこないんだろうか?なんだか不安になってくるぜ。

2011/04/22

Post #161 Fragment Of Fragments #14

結局今日も、仕事関係の雑事に忙殺されて、プリントどころか、ネガをチェックすることすらできなかった。いつもながら、自分のヤルヤル詐欺っぷりには驚くぜ。まぁ、締切とか期限がないとその気にならないのは、ガキの頃からだ。仕方ない。
しかも、急遽明日の朝からひと仕事安仕事入っちまったもんだから、今日はあんまり遅くまでブログを書いている訳にもいくまい。ましてや35本のネガチェックなんて、絶対に夜が明けちまうぜ。ダメダメダメ…。時間を守るのは、まっとうな社会人の基礎の基礎だ。時間にルーズな奴はイマイチ信用ならないからな。睡眠不足で運転して、通学中の子供さんを轢き殺す羽目になったりしたら、俺のこの人生、どうにもならないぜ。
だから今日は、流す。宣言する。あっさり行こう。
だいたい俺の統計によれば、金曜の夜は、あまりPVが伸びない。花金なんて言葉はとっくに死後の世界に突入している感がある。20世紀末を思わせる響きだ。しかし、時代は巡っても、世間の皆さんの傾向としては、金曜の夜くらいは飲みに行ったり、デートしたり、クラブに繰り出して朝まで踊ったりと有意義に人生を謳歌しているのだろう。そう、人生には何かしら楽しみが必要だからな。金曜の夜にシコシコブログを書いてたり、夜通し仕事をしているなんて、客観的に見ると、いささか悲しいもんだ。しかし、海外旅行に、フィルムに、現像にと今月はすっかり散財してしまったので、まぁ、俺としては家で大人しくしているべきなんだが。
まぁ、いいさ。週明けの25日は給料日だ。自分で銀行に行って、自分の会社の口座から、自分の口座に振り込むのさ。儲かってないからささやかなもんだ。ふふふ…、零細企業なんてモノ悲しいもんだぜ、ホント。
Barcelona
ヨーロッパに行くと、黒人をたくさん見かける。移民だろうか。そーだろうな、俺の記憶ではヨーロッパには白人が住んでたはずだからな。一口に黒人といっても、ブラックアメリカンとは、歴史もルーツも違うから、微妙に顔立ちが違っている。つい最近まで、アフリカにすんでいたような雰囲気の人も多々ある。まぁ、人それぞれってことだ。
ぱっりとしたスーツを粋に着こなして、ビジネスマン然とした奴もいれば、しけた商店で店番をしてる奴もいる。いや、俺が今回パリで見かけた店番の黒人のアンちゃんたちは、あれはただ店で音楽を流して、店番をしてるふりをしながら、リズムをとっていただけだった。何しろ、彼らの店には、それは露店だったんだが、パッとしないTシャツが10枚くらいぶら下げてあっただけだったからな。真面目に商売してるようには、う~む、見えなかったな。まぁ、人にはそれぞれ事情があるか。

以前訪れたバルセロナでは、道端で大きな布を広げて、その上に、どう見てもパチモンのブランドバックやベルトやサングラスなんかを並べて、通行人に売りつけている黒人をよく見かけたぜ。大通りのブランド店の前で、堂々とそのブランドのパチモンのバックを、地面に広げた布の上にぎっしり並べて売っているんだ。驚くぜ。いやむしろ、凄いユーモアだ。しかも、どう見てもいかさまのパチモンにしか見えないそれを、買ってる奴がいるんだろうな。それもまた驚きだ。そういや、香港じゃ、ニセモンの時計買わないかってよく声をかけられたりしたっけ。得る方も売る方なら買う方も買う方か。いや~、まいったなぁ。

図太いというか、バイタリティがある。

俺たち日本人も、多少は見習ったほうがいいかもしれない。いや、そのパチモン商売のほうじゃなくて、もっとその、なんていうかね、精神的な逞しさに関してだね、見習うべきじゃないのかなということが言いたいわけだ。誤解すんなよ。

Baby!逃げるんだ!
当然、営業許可なんか受けてるわけじゃないから、当局の取り締まりなんかがあるだろう。そうすると、奴らは一体どうするか?下手にそんなところで挙げられたら、強制送還とか食らっちまうかもしれないしな。そうなったら、彼らが頭の中に描いているサクセスストーリーも台無しだ。
見ものだぜ。
いかさま商品が乗った布の四隅には、長い紐がついているんだ。彼らはその紐を握ったまま商売しているのさ。
そして、いざガサ入れだってぇと、その紐を一気に引っ張るんだ。
そうすると、いかさま商品を満載した布は、あっという間に風呂敷っつうか、マンガのドロボーかサンタクロースが担いでいる大きな袋みたいになるって訳だ。
そうして奴ら、その袋を担いで、蟻の子を散らすみたいに、みなてんでバラバラの方向に一目散に逃げていくのさ。まさにスタコラさっさってカンジだ。

世間の風は冷たい。故郷を離れた人間が、生きていくのは大変なもんだぜ。

読者諸君、また会おう。
今回の旅行の写真は、もう少しお預けだ。
俺も大いに気になってはいるんだがね。
いつもながら、こんなだらしのない俺を許してはくれないかい?

Post #160 Mixin' The Colors

ご存じのとおり、仕事にうんざりしてくると、ふらりと海外旅行に行きたくなる俺なんだ。日本は世界でも、最も極端にいろんな現象が進行しているHOT SPOTの一つだとわかっていながら、日本をぶらついてみることよりも、世界のいろいろな街に行ってみたくなるんだ。

確かに、この日本では様々な現象が起こっている。特に、今回の地震と津波、そして原発事故が世界に与えた衝撃は、あの9.11以来のものがあるだろう。
けれど、やはり海の向こうにわたりたくなるのは、日本では、どっちを向いても日本人ばかりだからだ。ズバリ98%は日本人だ。なんだかつまらんわな。
Paris
ヨーロッパの国々に行ってみると、さまざまな人種の人々がうろついている。アフリカ人やトルコ人、モロッコから来たバルバル人や北アフリカから来たチュニジア人なんかもいる。イスラム教徒と思しき女性やおっさんもごまんといる。それにもちろん、中国人やインド人、ベトナム人。
同じ白人でも、慣れてくると、背の高い北欧系やドイツ系とラテン系ではまるで違う。ロシア人も顔つきが違っているからわかるだろう。同じラテン系でも、フランス人とイタリア人、スペイン人もなんとなく区別がつく。日本人が韓国人や中国人を見分けることができるのと同じだろう。
とりわけ、パリのようなコスモポリスでは、本当にたくさんの異人種が入り混じって暮らしている。香港や、アムステルダムもそうだった。それどころか、ヨーロッパでは比較的片田舎の部類に入るだろうフィンランドのヘルシンキでも、モデルみたいなブロンドで背の高い人々に交じって、黒人の姿をしばしば見かけた。移民だろうか?
もちろん、一介のパッセンジャーには窺い知れない、文化風習宗教の違いによる、軋轢や衝突、排斥はそれなりにあるんだろうが、大筋のところでは、異なった肌の色や顔かたちの人間が暮らしていても、さほど気にも留めないような社会になっているように感じられるんだ。その代りに、最低限の常識=コモンセンスや、マナーが求められるわけだ。目が会うと、にこりと微笑まれたりするのは、相手がたまたまホモだった場合ばかりじゃなくて、微笑むことで、敵意がないことをアピールしているんだと思うぜ。
日本社会に満ちている、言わなくても分かるでしょ的な空気になじめない俺には、そんな感じがなかなかに心地よいんだ。どっかの国みたいにKYだとか、同調圧力だとかいう得たいな知れないよどんだ空気みたいなものを感じないからね。あえて、どことは言わないけれど。

Paris
そんな多様な文化や異なる容姿の人々が、まじりあって暮らしている姿は、写真を撮る上でも、なんだか面白く感じられるんだがな。

髪型の成果、ファッションの成果、それともオーバーアクションで、トムとジェリーみたいな笑い方のせいか、日本にいると、あまり日本人に見てもらえない俺だが、何故か海外に行くと、必ず日本人として認識される。
出っ歯でも、七三分けでも、首からカメラをぶら下げているわけでもないのにな。あ、そんな昔のマンガみたいな日本人なんて、今はもういないのね?しかし、日本人だからといって、とりわけどうってわけでもない。見てくれは少し変わっているから、かえって面白がられてうちとけたりすることも多いな。その反面、うちの連れ合いはよく現地人や華僑に間違われたりするんだ。不思議なもんだ。

まぁ、俺個人の話しはいいんだ。問題はそういう社会ってのは、なんだか俺にとって結構面白くて、そこでの生活を味わってみたい気もするってことだ。何と言っても、写真を撮るのも面白いしな。
もちろん、文化や習慣が違うと、いろいろと問題も起こるだろう。しかし、今やヨーロッパの国々では、そういった移民を自国民として受け入れないと社会自体が回っていかなくなっているんだろう。ワールドカップなんか見ているとよく分かるはずだ。そもそも、国境はあっても、日本と違って地続きだからな。いろんな人間が行き来していても、不思議じゃない。

俺の私見では、いずれ日本は移民を受け入れていかなければ、どうにもこうにもならなくなるだろう。何と言っても、ずいぶん前から少子高齢化だ。若い衆には仕事がないというが、介護だの現場仕事だの、きつい仕事はそもそもいまどきの若者の仕事のリストに入っていないようだ。誰かがやらなけりゃならないのなら、移民が入ってくることを拒み続けることはできないだろう。
今そうなっていないのは、国際的に悪名の高い、日本の労働研修制度のおかげだと思う。中国や東南アジアから、研修生の名目で、安い人件費の労働力を引っ張ってきて、3年とかで区切って、年季奉公させるあれだ。俺は、時給300円で働いている中国人の話しを聞いたことがある。ひでーもんだ。これじゃ、まるで奴隷制度だぜ。気が付けば、コンビニや吉野家の店員は中国人ばかりになった。この状況はこれからもっと拡大していくだろう。一日も早く、日本が同一労働、同一賃金という国際的なルールに則った社会に変わってくれることを望むぜ。
その一方で、婚活だなんだとか言って、若い女性は余念がない。いつの時代も女は、より高く自分を売りつけようとするもんだが、このままじゃ結局婚期を逃してしまうんじゃないか?この不景気、そうそう女を楽させてやれる奴はいないからな。夫、これはなかなかにナイーブな話題だった。不快に感じる人がいたら、あやまるよ、ごめんなさい。
しかし、冗談抜きで俺の周りでも、いい年こいて嫁のもらえる当てもない奴がごまんといるぜ。俺は先々、そんな仲間の老後の心配をするのは嫌だから、外国人の娘さんでも嫁にもらってはどーだろうかって、冗談半分にすすめているんだが。なかなか、俺のように発想を切り替えることができないようだ。まぁ、なかにはロシア人とかウクライナ人ならいいなぁって言うおかしなやつもいるけどな。

日本人は、移民が嫌いだ。俺は、ツェッペリンの『移民の歌』は大好きなんだが、この国では、難民申請だって通りはしない。税金は払っていても、市民としての権利は制限される。はっきり言って2級市民扱いだ。在日のおばちゃんから献金をもらっていた大臣が辞任したのはつい先日のことだ。白人には弱腰だけれど、同じアジア人も含めて有色人種には冷淡だ。なんだかんだ言ってストレンジャー扱いだ。俺は彼ら自身が望むなら、彼らをネイバーとして迎えたほうがいいと思うぜ。
日本人は、鎖国暮らしが長かったのと、第二次大戦でボロ負けしちまったことですっかり内向きになってしまった。つまり、外国人が苦手になってしまったんだ。しかも、変な優越感を持っているから厄介だ。今でもネット上ではやれシナ畜だの、チョンだのと隣国の人々を差別するような暴言を吐いていい気になってるような連中が、そう、未だに頭にちょんまげんが乗っているようなことを言って、現状の不満のはけ口にしているような手合いがたくさんいる。嘆かわしい事だ。同じ日本人として、ヒジョーに恥ずかしーぜ。
右翼のドンだった笹川良一だって、存命中には『世界は一家、人類はみな兄弟』って言っていただろう。(ただし、あれには、笹川良一が戦時中に大陸で所属していた紅卍団という秘密結社の教義に関係があるという話も、きいたことがある。あくまで噂なんだけどね。)いずれにせよ、人間の肌の色や顔つきの違いなんて、単に生物学的に環境に適応しただけの違いに過ぎないというのに。
Paris
俺の言っていることには、反論異論が山ほど出るのは承知の上だ。しかし、日本の歴史をひも解いてみれば、この世界の東の果ての列島に、さまざまな地域から人が集まってきて、いつの間にか、日本人ってくくりが出来てきたんだってわかるだろう。今でも、北海道にはアイヌの人々がいる。沖縄の人々は150年ほど前まで、外国人として考えられてきた。もちろん、俺には差別を助長する気は毛頭ないぜ。違う文化を違うままに、尊重して、楽しみたいのさ。言うなれば、生物多様性も結構だけど、人間の多様性に関しても、俺たちはもっと寛容になったほうがええんちゃいますかってこった。

奈良時代辺りにも、半島や大陸から多くの人々が亡命して来たり、移住して来たりしてるだろう。それ以前の飛鳥時代や古墳時代、もっとさかのぼって弥生時代や縄文時代まで行けば、日本人なんて確固たるものはいないのさ。
斯く言う俺の先祖だって、半島から1500年くらい前にこの島にやってきたんだ。その前は、大陸から流れてきたって話だしな。実際に、一口に日本人といっても、いろんな顔の日本人がいるだろう。それは、そーいう多様なルーツがあるってことなのさ。
よく、タカ派の政治家が言うところの日本の伝統だとか、日本固有の文化なんちゅうもんは、ほんのつい最近できたモノに過ぎないんだぜ。なんせ、日本には縄文草創期以来1万5千年も人間が住んでるんだ。ほんの最近の室町時代や江戸時代くらいにできた文化だけを、日本古来の文化だなんていうのは、なんだかおかしなもんだろ。実際誰も縄文式土器こそが日本の文化だ、伝統だなんていう奴はいないからね。

近い将来、日本にまた多くの人々が移り住んできて、肌の色が混じって、文化が混じっていくことになっても、驚いたりしちゃいけないと思うぜ。何と言っても文化の融合こそが日本の文化の真髄なんだから。
いつか、いろんな人種が入り混じってカフェオレみたいな肌の人々が、日本にたくさん暮らす日が来ると思うぜ。俺の美意識では、そういう人は、なかなかに美しかったりするんだ。残念ながら、俺の生きているうちには、そんな面白い国にはなりそうもないけれど。

読者諸君、この問題は、一晩で語るには大きすぎる。
いつかは国民国家は解体し、ジョン・レノンのイマジンのような世界が来ることを俺は信じている。しかし、そのためにはきっと多くの問題を克服し無ければならないだろうし、長い時間を必要とするだろう。だが俺は、それこそが人類史的に必然の方向性だと思っているし、人間はどんな問題でも、きっと克服できると信じているぜ。
そうさ、誤解が解けたら理解を深めよう。キヨシローもそんな歌を唄っていたな。まさにそんなカンジだ。
OK、そんな日が来ることを、俺は夢に見ながら、今夜も眠ることにするぜ。なにしろ、今日は例の旅行のフィルムが35本も現像から帰ってきたからな。なんと、現像だけで2万円もかかったぜ!明日は仕事もないし、ゆっくりフィルムを見て、プリントしなけりゃならないんだ。睡眠不足では、イイプリントは出来ないぜ。では諸君、また会おう。

2011/04/20

Post #159 ひねもす

昨夜の仕事が終わったのは、今朝の9時前だった。

おかげさんで今日は一日、ひねもすゴロリと眠ってばかりだ。

書きたい事も在るには在るが、なに、今日でなければならぬような、火急の事など、ありゃしないさ。ただ、一日のんべんだらりと、ひねもす寝て暮らす。ありがたいこった。
Paris
ふふふ…、そんな一日も、時には悪くないんじゃないかな。
第一、睡眠不足はイライラするし、お肌によくないからな。
読者諸君、また明日話そう。今日はもう遅い。ひねもす眠くてたまらないのさ。

2011/04/19

Post #158 Transparency Films

うーむ、困ったことだ。
先日さんざん、モノクロにこだわっているなんて言っていたくせに、今回の旅行で撮ったリバーサルが昨日ラボから上がってきたんだが、そいつを見ると、リバーサルの発色や階調の美しさに、くらくらしてしまう。今回はKODAKのEBXつまりエリート・クローム・エクストラカラーを使っていたんだけれど、正直、たまらん。
余りのたまらなさに、今朝の早朝仕事から帰ってきたときに、眠っている連れ合いをたたき起こして、どうだ、キレーだろって見せびらかしてしまったくらいだ。迷惑な話だぜ。
ゾクゾクするとは、このことだ。デジタルから写真をはじめた若い衆には、一度是非、俺に騙されたと思って使ってみてほしい。
リバーサルは、露出のラチュードが狭くって撮影時にきちんと露出を考えて撮らないと、まったく使いもんにならないが、それでも一度つい買ってみる価値はあろうかと思うぜ。また、フィルムも高いし、現像代も馬鹿になりゃしないんだが、それでこそ、道楽。日々の仕事にまじめに取り組もうっていう張りが出るッちゅうもんだ。
まぁ、能書きはイイとして、実際見てみぃ。
Bruxelles,Belgique
くぅ~、素晴らしい!どうだい、君も喜んでくれるかい?
撮影は、例によってCONTAX T3、レンズは銘玉SONNAR T*35㎜ F2.8、露出はお任せテキトーだが、この美しさ。黒の締り、発色の美しさ。俺もデジカメは使っているが(おもに男の仕事でね)、ラボから上がってきたときにスリーブをライトボックスで見て、思わず感激~!みたいな感覚はないね。もう一発行ってみようか?今度は夜景だ。
Printemps,Paris

う~む、この闇に浮かぶ赤や紫の発色。たまらん。思わずエビぞってしまう。
これだから銀塩カメラはやめられん。普段はモノクロばかり使って、あまり使わないんだが…。
実際、今回の旅行でも3本しか使わなかったし、うち一本は、去年の夏に行ったトルコの写真と、同居しているというくらいの使わなさなんだが…。

侮れんなリバーサル。やはり俺の原点だけあるってカンジだ。

モノクロうどんの頑固親父も、なんだかまた、リバーサルに浮気してみたくなるってもんだ。
カッコよさや美しさの前には、主義も主張も思想も何もかも骨抜きになるのは、異性に対する感覚とまったく同じもんだぜ、ふふふ…。
とはいえ、キレーなおねいさんにちょっかい出すと、そのあとの厄介さはきっとモノクロかリバーサルかなんて選択の比じゃなかろう。それに、外見がキレーだからって、中身がカラッポという例も多いし、酷いときには脳みその代わりにクソが詰まっているような奴もいるからな、そこんところはしっかりと自重していかないとな。

なにはともあれ、写真をやってて、リバーサルを試したことのない君は、一度リバーサルを使ってみようぜ。なに、カメラを持っていない?中古カメラ屋に行けば、今ならいくらでも安く買えるぜ、フィルムカメラは。なんなら俺が貸してやってもいい。
あ、あと初歩の初歩の注意点。デジタルと違って、フィルムを使いきって、巻き上げてから、カメラの裏ぶたを開けるように。冗談みたいな話だが、若い衆には、そこまでフィルムカメラの事を知らない人もいるらしいぜ。俺は浦島太郎になったような気がするぜ。

読者諸君、また会おう。現実は常に理念を裏切るもんだ。俺のことを変節漢だとはいわんでくれないか。基本はあくまでモノクロうどんの頑固おやじなんだから。とはいえ、このキレーさはまいるな。
ではまた。今夜も俺は夜通し働いているだろう、君たちの事を想いながらね。

2011/04/18

Post #157 Interlude

今日は急遽、仕事に出撃しなければならなくなったので、ごくあっさりと。

今回の旅行で触れ合った、世界の人々からは、口々に今回の災害について訊ねられた。あなた方は、こんなところに旅行に来ているけれど、大丈夫だったのか?とね。日本を応援しようというポスターや募金箱も限りなく目にした。俺達は世界とつながっている。そして、今回の災害が、単に日本の東北地方だけの問題ではなく、世界中の、人類全体の問題だということがわかる。もちろん、未だ誰もその回答を持っているわけではないがね。
Osaka
多くの知人と話していて、よく耳にするのは、『これからの日本は、いったいどうなってしまうんだろうか』という言葉だ。その言葉には、不安の色が濃い。確かに俺たちは未曽有の災害に直面し、それでなくても社会は少子高齢化によって、活力が失われている。
俺の連れ合いなどは、『日本から逃げ出して、地震のない国に移住したい』とまで言っている始末だ。
それもいいかもしれないが、俺は今回の災害で、日本は大きく変わっていかざるを得ないと思う。政治も、社会も、文化も、人々の考え方も、何もかもが。

こういっちゃ何だけれど、俺にはすごく楽しみだ。

もちろん、ある朝目が覚めたらなんてカンジで、一挙には変わらないだろう。何年も、何十年もかかるかもしれない。しかし、必ず変わるだろう。どう変わってゆくかはまだはっきり見えてはこないけれど、俺自身は、日本がこれからどう変わっていくのか、自分のこの目で確かめたい。肌で感じていたい。出来ることなら、俺の生きているうちに、変わった日本を見てみたいし、世界の人々にもそれは大きな指針になってゆくと思うぜ。
諦めない限り、希望はあるだろう。

Ok、そろそろ出発の時間だ。男の仕事が俺を呼んでいるのさ。
読者諸君、また会おう。俺は夜通し働いているはずだ。

Post #156 Provoke #3

ふふふ、読者諸君。俺は昨日の夜から今日の夕方まで、みっちりと働いてしまった。連れ合いには、あんたってガメツイ男ねとうんざりされてしまったぜ。ついでに、仕事仲間のゲイが、やたらと朝からハイテンションで、今朝、一緒に現場へと向かう車の中、一睡もさせてくれなかったために、つまらぬ諍いになってしまったくらいだ。
実につまらぬ諍いだ。
久々に俺に会ったゲイの彼は、なんだかテンションが上がっている。ほとんどシャブ食ったような状態だ。現場に向かう車の中では、ずっとはしゃぎっぱなしで高速道路をすっ飛ばし、俺は眠るどころの騒ぎじゃなかった。ほとんど、脳内麻薬でまくりの彼の運転で、高速道路で帰らぬ人となる運命だと思ったほどだ。予想では、帰りの車の中でも、きっとハイテンションでくっちゃべって、俺を寝かせてくれないだろうな。しかしだ、今日の夕方まで仕事をした時点で、すでに俺自身はとっくに体力の限界を迎えていたんだ。少しでも眠りたいという生理的な要求に突き動かされた俺が、『あんたには悪いけれど、俺は眠りたいから電車で帰るぜ』と言うと、相手は、なんて失礼なと怒る。双方、くだらない応酬をひとしきりした挙句、俺は『あんたの運転する車でぐっすり眠ったとして、目が覚めたら、ラブホテルの一室に連れ込まれて、オカマ掘られてたなんてのは御免だぜ!』と啖呵を切っていたんだ。
かなり険悪になって、お互いにもう二度と一緒に仕事しないとまで言うほど緊迫した事態になっちまったんだが、今考えると、ヒジョーにおかしー。幸い、和解が成立して俺は無事に帰ってきたんだが、なんで諍いになったのかも、正直よくわからないくらいだ。
まぁ、人間、眠っていないと、イライラとしてよくないもんだ。

さて、そんなことで、今日の更新は日付変更線を越えてしまうことになる。カンケーねぇか、そんなこと。地球がくるりと回っただけの話だ。気にするほどじゃないか。

よし、今日は例の消耗品軍団へ第3弾をお見舞いするぜ。覚悟も本気も無しにテキトーなこと言いやがったら、俺は容赦しないんだ。ここまで来たら論破なんかじゃない、殲滅だ。
もう一度、彼のコメントをここに引用しておこう。
『福島原発行って、モグリで写真撮ってくるくらいの気迫がほしいな
五感に訴える何かがたんねーな
あと写真に色つけもほしいな~ 全部同じものに見えちまうよ
魂の乗ったエクスペンダブル・フォトグラファーになれるよう努力が必用(原文ママ)
一般的な人間には写真も文章も??ですよ』

以上の異様に人を舐めきった文章のうち、“福島原発行って云々”の件は、昨日のPROVOKE #2にて、対応させてもらったぜ。正直言って、五感にクソが詰まったような手合いには、どんな写真も訴えかけてはこないだろう。もっとも、写真は視覚にしかかかわらないが。写真を見て、音が聞こえたり、においや味を感じたりしたら、比喩としてはおもしれーが、本気で言ってたら、シャブ中か共感覚者のどちらかだろう。
また、“魂の乗ったエクスペンダブル・フォトグラファー云々”の件に関しては、先日のUnexpendable photographにて言及したとおりだ。消耗してんのは、彼の魂だか精神のほうじゃないのかね?
“一般的な人間には写真も文章も??ですよ”に関しても、PROVOKE #1にて、俺の姿勢は表明しておいた。一般的なモノがいいんなら、正直言って、俺のところなんかに来ることないんじゃないですか?といいたいが、自分自身は、ストリート・フォトグラファーちゅうのは、リアルな世界そのものと対峙するスゲーカッコいい存在だと思っているので、俺からするとこれこそ写真の王道で背骨で、アルファにしてオメガだと考えているんだ。まぁ、百万言費やしても、分からん奴には、きっと死ぬまでわからんもんさ。かまやしねぇが、ちょっかいかけるのは目障りだ。

今日は、モノクロ写真に関して論じてみよう。
これはもちろん、消耗品軍団のコメントの中の、“あと写真に色つけもほしいな~ 全部同じものに見えちまうよ”に焦点を当てたものだ。もちろん、これは俺とモノクロ写真という極めて限定された話しだ。Are You Ready?

まずたとえ話をしよう。君はなじみのうどん屋でうどんをつるつる食っていたとする。そこに、ふいと一見さんが入ってきて、うどん屋のオヤジに、ラーメンを注文するんだ。オヤジは、うちはうどん屋なんで、ラーメンはおいてないっていうんだが、このお客、ぱらぱらとメニューを見ては、『全くシケタ店だなぁ。トンコツや激辛台湾ラーメンだのはないのかよ、背油たっぷりと浮いたような奴はないのかよ?タヌキだ、キツネだ、月見だって?どれも同じ味だろう』と、無体なことを抜かしやがる。
オヤジは、うちはうどん屋だからあるわけないって言っても、このお客、うだうだとこんな味のしないようなうどん喰いもんじゃねぇって態度だ。酷いな。食文化の違いを考慮していないのかよ、この馬鹿野郎は。君は傍で見ていて、イライラしたりするのさ。

Fukuoka
ラーメンが喰いたいやつは、うどん屋に行く必要はない。素直にラーメン屋に行けばよいのだ。
俺は、モノクロうどんのオヤジで、たまに定食で色のついたもんも出してみるが、あくまでそこはモノクロうどん、お品書きの主力はうどんかそばだ。まぁ、蛇足ながら名古屋人の俺にはきしめんも味噌煮込みうどんも捨てがたいが。まぁ、この辺は中判とかの味わいか。
うちの3軒隣には、銀塩ラーメンもある。あそこのオヤジは、昔馴染みで気心知れてら。合成調味料ですっかり麻痺しきったあんたの舌に合わないようなら、そこの角には、今風のスープのデジタルラーメンがある。うちのうどんに不服なら、そっちに行っておくんなさいってなもんだ。

30を過ぎたころ写真をはじめた。世紀末は目前だった。俺のすんでいる小さな郊外の街でも、昭和の香りが漂うような路地や横丁、古い家並みなんかがいつの間にか壊されてゆき、ふと気が付くとコンビニや駐車場になっていった。俺は、積極的にではないが、そんな景色を見かけると、惜しむように写真に撮っていった。
写真をはじめて何年かした頃に、森山大道を知り、意外なほどに自分の写真が、森山大道の写真の系統につながっていることを知って驚いた。また、彼の『犬の記憶』を読み、写真に関して同じような考えを俺も持っているなと気が付いた。もう10年近く前のことだ。何処がどうってのは、この際バッサリ割愛する。

当時俺は、リバーサル・フィルムそれもKODAKのE100VSという彩度の高い、異様にケバイ仕上がりのフィルムを常用していたんだ。夕焼けの空は燃えるように赤々と写り、木々は目にも鮮やかな緑色だった。ISO100の感度しかないにもかかわらず、積極果敢に夜の街を撮影すると、光は流れ、人物は歪んだ。写真によって、俺が見ている世界はこんなにも変容するのかと、驚いた。
HomeTownずいぶん昔さ
当時の客先のおじさんが、たまたま俺の写真を目にして、『お前さんは自分でプリントとかしないのか?』と聞いてきたりした。当時はまだ、自家プリントなんて、想定外だった。していないと答えると、おじさんは『それじゃ、写真の楽しみは半減だぞ…』といって残念がっていたっけ。今ならそれはよくわかる。半減どころか、撮影とプリントは、写真術(あくまで昔ながらの写真の技術だ。昭和の香りだ)という車の両輪なのだ。しかし、当時はわかりっこない。なんでも自分でやってみるまではわからないものだ。それに引伸機だって、かなり高価で且つまた場所ふさぎなもんだからな。当時の俺には考えもつかなかったぜ。
森山大道を知ったのは、そんな頃だ。しばらくの間は、モノクロで写真をとれば、森山大道の真似っぽくなってしまうと思い、あくまでもカラーにこだわっていた。実際には、真似ったって、そんなに簡単なもんじゃないんだけどね。
しかしある年の春、愛用していたCONTAX T3が故障したんだ。こいつは70周年記念モデルのブラックボディというマニア受けしそうなやつなんだが、長年の使用で焼き付け塗装には手ずれ、角は色落ち、70周年の記念ロゴの入った正面のパネルは、なんかでぶつけて、えくぼができている。この愛機を修理に出すのはイイ。しかし、その間カメラがないと困るんだよな。
そこで、修理に出す間のサブ機として、ほとんど未使用のT3をもう一台購入した。今度はDate付だ。もちろんブラックだ。
ほぼ同時期に、俺は母方のおじいさんの3回忌の席で、親戚のおじさんから古い引伸機を譲り受けたんだ。俺は薬品を買い揃え、印画紙を買い込んで、プリントという無限地獄に踏み込んでいったんだ。
こうして、T3が修理から上がってきた時から、俺は常に2台のT3をベルトにぶら下げて出撃するようになった。一台はモノクロ、一台はカラーリバーサルで。
友人からモノクロプリントの手ほどきを受けると、プリントの面白さにはまっていった。

何が面白いんだって?
Paris
やってみればわかるよ。
あの現像液の中に印画紙を入れて、画像がジワリと浮かんでくる瞬間のドキドキ。モノクロ印画紙ならではの粒子感。そして、デジタルと違って、わずかな温度や露光時間の違いによって、決して全く同じものが出来ないという不便な面白さ。
真っ暗にした部屋で、赤いライトを点けて、プリントしている時の奇妙な安心感というか充足感。あれはどこか性的なイメージが喚起されるとともに、母胎の中にいるような気分になる。
俺は写真を撮るときに、対峙する世界を自分の足と目とカメラを使って、自分の中に繰り込んでゆき、プリントすることで、自分の中にしっかりと定着させる。

そして、カラーの世界をモノクロで捉えることで、あくまで個別の現実が、一旦色情報を剥ぎ取り、抽象化することで、何かしら普遍性を持ったものに転化するような感覚がある。

読者諸君、悪いけれどこんなわけで俺はモノクロにこだわっている。全部同じに見えるような手合いは、どうぞ余所に行ってくれて構わないぜ。
いや、その前に眼科医に診てもらう方がいいだろう。なんなら、俺の高校の同級生の眼科医、野村君を紹介してやろうか?なかなか面倒見のいいお医者さんだぜ。
俺は俺の道を行くぜ、外野が何を言ったって、構うもんか。そろそろ今夜はおねむになってきたから、この辺で切り上げさせてもらうぜ。
読者諸君、また会おう。夜明けは近い。

2011/04/16

Post #155 Provoke #2

パリのポンピドゥー・センターは、石造りの街並みの中に突如として出現する、巨大な化学プラントのような外観の巨大な現代美術の殿堂だ。剥き出しの配管とガラスで構成されたファサードは、計画段階から賛否両論で、パリの景観にはそぐわないと批判され1977年に完成したのちも、人々からは「この建物はいつ完成するのか?」と尋ねられることもしばしばだったらしい。日本で言ったら、京都駅みたいなカンジだろう。
Paris
しかし、近年では、『リサとガスパール』のリサがその外部に張り巡らされた配管の中に住んでいるという設定になっているし、何時いってもポンピドゥー・センターの前に広がる緩やかに傾斜した石畳の広場はパリ市民のみならず、世界中から集まった人々の憩いの場になっている。大道芸人がいたり、エレキギターを小さなVOXアンプに繋いで、路上セッションしている若者もいる。そのすぐ横で、子供がサッカーしていたりする。カップルがのんびり座ったりしている。賑やかなんだ。祝祭的な空間なんだよ。いいもんだぜ。
だから、俺はパリに行くと、必ず一度は足を運んでみる事にしている。

大抵いつも、バスティーユのあたりから、西へ向かい、路地を覗きながらたどり着く。今回、行ってみると、正面ファサードには、巨大なジョルジュ・ポンピドゥーのタペストリーがかかっていた。そこには彼の言葉として、次のように記されていた。


『芸術は議論されなくてはならない。
 挑戦しなければならない。
 抗議しなければならない。』

さすがは、フランス人だ。大統領にして、この発言だ。俺は芸術ちゅうもんの苛烈さを想い、本当に泣けてくる。

俺がこのポンピドゥー・センターに行くのは、ここにはとても充実したアート専門の書店が併設されているからだ。もちろん、日本で買えるものも多い。それどころか、近年ではアマゾンを使えば、大抵の洋書は手に入る。しかし、それだけじゃつまらないだろう。
残念ながら、今回はここでそんな凄い買い物をしたわけじゃない。しかし、俺の大好きなウィリアム・クラインのちいさな写真集を2冊買ったんだ。
そう、ウィリアム・クラインだ。
戦後の写真は、ロバート・フランクとウィリアム・クラインによって新たな時代を迎えたといっても過言ではないと思う。特に、俺にとっては、ウィリアム・クラインだ。彼が28歳の1956年に発表した『New York』は、それまで写真の常識の全てを覆した。
全編モノクロのその写真集は、1950年代のニューヨークの生々しさを今に伝える、素晴らしい写真集だ。現在では絶版で手に入りにくく、俺が持っているのは、その縮刷版的なerrata editions刊『Life is Good & Good for You in New York』だ。これは写真集自体をスキャンして作ったもので、見にくいとか、プリントの美しさとかを損なっているとか、批判も多い。しかし、構うもんか。手に入らないんだからな、これでも充分さ。グッとくる。
荒れた粒子、ハイコントラストの荒々しいプリント、 ピンボケした人物、暗がりの中でブレて流れる人影、ネオン輝く夜景、ノーファインダー、逆光の光の中で、光と影に熔解してゆく街路。
そして何よりも、そこに写されているのは、特別な人々ではなく、市井の人々のまったく任意な瞬間であり、これといって特別でも、決定的でもない、何らのニュース性もない、日常的なシーケンスというところが、最高だ。野球観戦に講じる人々、道行く老婦人、遊びまわる子供、地下鉄の車内、つるされたツナギの下着、ショーウィンドウ、壁の落書きetc...。
サイコーだ。自分が、あくまで私淑の域を出ないが、ウィリアム・クラインの系譜につながる者の一人だと確信する。
Centre Pompidu,Paris

俺は、カメラを手にして、気の向くままに写真を撮っていく中で、はじめは中判写真で、ジッツォの三脚を立てて、人がいなくなるまで待っていたんだ。自分のイメージに忠実に、その瞬間が来るまで、辛抱強くレリーズを握って、タイミングを待っていた。二度とは訪れることのないかもしれない風景の中に、その辺のおばはんとかが写り込んでいたら、嫌だったんだ。
しかし、だんだんと、それでは飽き足らなくなっていった。写真が嘘っぽいのだ。ライブ感がないのだ。ロックンロールなカンジがしないのだ。俺は三脚を使うのを止めた。中判から一眼へ、一眼からレンジファインダーへ、レンジファインダーから、コンパクトカメラへ。カメラはどんどん小さくなっていった。出来ることなら、肉眼レフがいいくらいだ。この目の中にカメラが入っていたなら。瞬くごとに写真が撮れていくのなら。そして、自分が生きて、歩き、目にする、どうでもいいようなシーケンスを、次々と写真に収めることができたなら…。俺はそんな写真を夢想する。俺の生の総体が、俺の見た経験した生々しい世界そのものが、記録されるような写真を夢想する。

世間の皆様の写真に対する考え方はどんなものか、実は俺にはよくわからない。
戦場や悲惨な災害の現場に果敢に乗り込み、報道したり、あるいは世の人々に悲惨な現実を告発したり、警鐘を鳴らしたりするものもある。それを決して否定しない。しかし、俺の道は違う。確かに、ロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士』や『ノルマンディー上陸作戦』の写真は、身震いするほどの迫力をもつ写真だ。
或いは、美しいモデルに、優秀なスタイリスト、計算されたライティング、多大な経費を投じて用意されたセットで、撮影された美しい写真もある。
しかし、篠山紀信もかつて、アメリカの死の谷で衝撃的なヌードを撮った後、このままではいつかは月面に行ってヌードを撮る羽目になると思い、方向性を転換したの有名な話だ。人間の欲望にはきりがないからだ。より、多くの刺激を求める。戦場写真においても、報道写真においてもそれは同じことだろう。よりショッキングな写真を、より強烈な印象の写真を。

昨日も取り上げた消耗品軍団なる人物から寄せられたコメントに『福島原発に行ってモグリで写真撮ってくるくらいの気迫がほしーな』という一節があった。この時期に不謹慎だというのは一旦脇に置くとしても、この発言は、この辺のことに関わることと思う。
俺にはそんな必要はない。それは、サッカー選手に野球をしろというようなもんだ。それは、報道写真のかたにお任せしよう。どうしても、そんな絵が欲しければ、TVをつければいいのさ。TVに写った映像を、自分のフィルムに収めてしまえばいい。そんなことは大昔に、森山大道がすでにやっている。それもまた写真だ。それに、そんなものにしか、気迫を感じることができないのは、その消耗品軍団なる人物の感性は、過剰な情報にされられ、マヒしてしまっており、より刺激的なものにしか反応しなくなっているのではないのかね?おもえば、かわいそーなことだ。舌の荒れた人には、料理の微妙な味わいはわからない。セックス中毒の人間が、より過激で過剰なプレイへと突き進み、はたから見るとおぞましい変態行為にしか快楽を見いだせないのと同じようなものだ。
Centre Pompidu,Paris
写真の味わい方は人それぞれだと思うけれど、写真を消耗品のように味わっていては、写真のしみじみとしたよさなんてわからないと思うぜ。
しっかりと眺め、目に焼き付け、そして、目を閉じる。そして、あたかも、自分がその写真を撮った人物の位置に立っていることを想像する。写真なんて、所詮は、レンズの前に広がっている空間を円錐形に切り取り、さらにそれを四角くトリミングしただけのものにすぎないんだから。それを味わうのは、見る人間のイマジネーションが必要なんだ。そう、想像してみよう。君の前にある写真の中の、光を、風を、人間のぬくもりを、一枚の写真が、どれほど豊かな世界を秘めているのか、写真の中にダイブするようにして感じてみよう。
なんで無い風景が、リアリティーを持って、自分の内側に繰り込まれてくるだろう。

自分の身の回りにあるモノを、出来事を、接する人々を、その手触りを確かめるように写真に撮る。それによって、俺の中には、この世界が繰り込まれてくる。自分な中の世界が広がる。そして、その世界を、他人にも味わってほしいものだと、いつも思う。それは決して美しいばかりではないだろう。みだらなものもある、醜いものもある。面白いものもある、つまらないものもある。そして、美しいものもある。暴力的でノイジーであると同時に、美しく繊細な、まるで壮大なロックンロールのようなこの世界。

今日の締めの言葉として、戦前の日本で活躍した道楽写真家安井仲治の言葉を引用しておこう。

『(前略)卓上一個の果物を撮る人も、戦乱の野に報道写真を撮る人も「道」において変わりはないのであります。従って本当の「道」といものについて実践しようとすれば、果物を写すのも、戦場に出て写すのも同じ覚悟でなければならぬ。そういう写真家が天下に何名かは出なければならぬのであります。』
(一部、旧字体を改めた)

読者諸君、ここ何日か理屈っぽくなってスマン。もう少し付き合ってくれないか?これは大事なことなんだ。

2011/04/15

Post #154 Provoke #1

ふふふ、昨日に引き続き写真について語ってしまおう。旅行中、毎晩ベッドの中でいろいろと考えていたんだよ。とは言うものの、日頃の考え方を反芻していただけなんだがね。
ひとつには、3月27日Sexual Desire #4に対する、消耗品軍団を名乗る人物からのコメントに対する返答という側面がある。
俺にとっては、なかなかに態度も発言も、不快極まるコメントだったが、我慢してここに全文引用してみよう。
『福島原発行って、モグリで写真撮ってくるくらいの気迫がほしいな
五感に訴えるなにかがたんねーな
あと写真に色つけもほしいな〜全部同じもんに見えちまうよ
魂の乗ったエクスペンタブル・フォトグラファーになれるよう努力が必用(ママ)
一般的な人間には写真も文章も??ですよ』

本気かね?と私はまず問い返したい。
Efes,Turk
当初、ご自身のトラックバックなどもなく、言いっぱなしのコメントなど、黙殺して構わないと考えていた。それが大人の対応だと思う。
しかし、それは写真について語る契機となりうる要素を含んでいると思い、敢えて取り上げてみる気になった。
それに、何よりこの人物が、軍団と称して、衆を恃んだ趣きすら漂わせたうえで、自分自身は安全地帯から一方的に批判とういうか挑発するような態度は許し難い。
私の心中には吉本隆明の『知力、腕力、思想、識見、全てをかけて私と戦ってみろ』という言葉が駆け巡っている。かつて、私はこの言葉を吐いて、会社で労組、役員、上司の全てに対して、たった独りで多方面闘争を仕掛け、会社を辞めた事もある。
言いたい放題抜かしておきながら、挙げ句の果てには、エクスペンタブル・フォトグラファーになるには努力が必用だと?この頓馬はプロデューサーにでもなったつもりだろうか?しかも、一般的な人間には写真も文章も??ですよだとさ。
この人物は、いったい全体何様のおつもりか?編集者にでもなったつもりかね?
良いだろう、売られた喧嘩は、買わずにおけまい。自らが傷付く事すら、私はいとわない。もとより私は、このブログを道楽でやっているのだから。
こんなことをしても経済的に鐚一文儲かる訳でもない。むしろ、時間と労力、そして写真を撮影プリントするために、思わず笑えてくる程の経費を費やした。しかし、それでこそ『道楽』だ。未知なる道を楽しむ、という意味合いでの『道楽』だ。
故にこそ、一般的な人間の好みに会わせたりする必要性など微塵もないのだ。全てを自らの楽しみの為にやっている事だ。自分の好みで押し通して、誰に迷惑をかける物でもない。
毒にも薬にもならぬ、気の抜けたコーラのような文章など書く気はない。これはかつて私立クロマティ高校の演劇部に在籍していたときから、一ミリも揺らがない。おかげで、演劇部からは追放されたがな。あの時以来、自らは何もしないくせに、衆を恃んで、或いは他の権威を借りて、個人を追い詰めようとする者には、容赦せず交戦し、例え敗北しても悔い無しという無頼孤高の姿勢を貫いて来た。
その人生経験のを土台にして産み出した、自らの虚飾を一切放擲した文体だ。
当たらず障らずの文章しか読んだことも書いたこともない方には、当然の事ながら??だろう。承知の上だ。しかし、私がそんな一般的な文章を書いたとして、面白がる読者は果たしているだろうか?
先程も延べた如く、私自身はこの写真で一銭も稼いでいない純粋な『道楽者』だ。これが意味するところが解るだろうか?
市場調査やアンケートで、自分の方向を決めていくような、定見も信念もないような自他共に認める『アーティスト』とか『クリエーター』とかとは、根本的に違うのだ。
第一、私たちが一般的に目にする写真は、私には人々の持つ共同幻想的なイメージに予定調和した退屈なモノに感じられるのだ。
私は長年、そうした写真を『風呂屋のタイル絵』と称して、自らがそのような写真を撮る事を忌避してきた。ともすれば、水が低きに流れるように、そうした写真を撮ってしまいそうになる自分自身を、戒めて来たのだ。
そうした写真は、つまり可愛らしいネコとか、絵葉書のような美しい風景とか、セクシーなモデルさんを用いたヌードとか、或いはまた、事故や災害戦争などの報道・ドキュメントなど、世間一般でいわゆる写真と認知されている写真は、認知されているが故に、価値があると考えられ、価値に応じた対価が支払われ、消耗品として流通する事が可能になるのだ。それこそが、この消耗品軍団なる人物が示唆するエクスペンタブル・フォト=消耗品写真であろう。そんなものは、他の方々におまかせしよう。私は自らが信じる写真の道を、堂々と歩んで行けばよいのだ。

芸術は、実利的な社会一般では、本来なんの価値もない。対価を得る事を究極の目標とする芸術は、煎じ詰めれば単なる賃労働でしかないのだ。一般的な人間には受け入れ難いというのは、それに胡座をかくような筋のモノではないが、芸術においては、当然の帰決であるとも思われる。何故なら、一般的な人間は実利のために生きて、働き、喰い、眠りしているのだから。芸術はそのプロセスに、何ら寄与しない。寄与しないがゆえに、芸術は意味があるという、ある種倒立した存在なのだ。
一般大衆の上に立ち、特権的なインテリの一種としての芸術家として、上から目線で大衆を啓蒙するのではなく、あくまで大衆のなかの無名に等しい独りの道楽者として、一般的な大衆よりも遠くを見て歩く事。それが道楽写真家たる私の立ち位置だ。いたずらに消耗されたり消耗したりしてたまるものか。
Izmir,Turk
消耗品としての写真に対して、私が否定的な見解を有している事は、昨日の投稿『Unexpendable Photography』にて触れているので、ここでは触れない。参照していただきたい。

写真を始めた頃から、何故写真を撮るのか?何故このスタイルを選択したのかを、不断に自らに問い続けて来た。阿弥陀如来の五劫思惟の願には程遠いが、この10年、考え続けて来た。
今日はこの辺りにしておこう。続きは明日だ。『福島原発に行ってモグリで写真とってくるくらいの気迫がほしいな』の辺りを粉砕しよう。徹底的に捩じ伏せる。ふふふ…、楽しみな事だ。

2011/04/14

Post #153 Unexpendable Photograph

パリのジェフロワ・パッサージュは、1847年に建設された、由緒あるパッサージュだ。パッサージュとは、ガラス屋根を備えた商店街、日本の感覚で言えば、アーケード街ってのに近いのだろうか。
ボンマルシェやプランタンなどの百貨店が出現する前は、パリの人気のショッピングスポットだったようだ。
今回、俺はこのジェフロワ・パッサージュで、素晴らしい写真のあり方についての見本のような写真を見つけた。
ジェフロワ・パッサージュの入り口にはグレヴァン蝋人形館がある。そこから入ってゆくと、お菓子屋さんや骨董店、ステッキ店などがある。このステッキ店を覗くのが、パリの楽しみの一つだ。これを行き過ぎると、突き当りにオテル・ショパンがある。オテルとはホテルの事。フランス語ではHは発音しないからね。このオテル・ショパンで、パッサージュは左に折れ曲がる。そして小さな階段を下りると、そこでまた右に曲がって、パッサージュは続いてゆく。その曲がり角には、古い写真などを扱う店があるんだが、俺がその写真を見つけたのはまさにその古写真屋だった。
それは、大きな額縁に入っていた。
1メートル四方は優にあるだろうという、実に大きな正方形の額だ。
額の中には10段10列で正方形の窓が100個開けられたマットがおさめられていた。
そして、その穴の中には、ローライだろうか、20世紀前半と思われるごく古い時代に撮影された、モノクロの写真が全部で100枚、おさめられていた。
一枚一枚は、なんといいうことのない風景であったり、人物であったりするわけだ。子供や、老人、海辺の漁船、その他諸々。一枚一枚をつぶさに見てゆくと、この撮影者の非凡ならざる力量と、被写体に対する優しい思いが伝わってくる。そして、それは100枚が一つに集積されることで、互いに共鳴し、イメージを増幅させ、いうなれば、一つの世界を生み出していた。

100枚の6×6判の写真たち。

俺はそのイメージの集合体ともいうべき100枚の写真を一つの額におさめた『作品』(作品というのは妥当ではないかもしれない。何故って、撮影者はそれを意図して撮影したわけではないだろうから)の前で、しばらく動けなかった。そして、それを写真に撮ることも躊躇われた。
神聖なものを損なってしまうような、その時を超えた写真たちが放つオーラを、捉えることなど出来っこないと思ったからだ。
幸せな写真たちだ。そして、なんて幸せな撮影者だろうか。
Paris
ヨーロッパに行くと、骨董品店などで、ずいぶん以前にどこの誰ともわからない写真家(それは単に写真を趣味としていたアマチュアの好事家かもしれないね、俺や君たちのようにね)によって撮影された、色あせた写真が結構なお値段で売られている。それらは柔らかなトーンでプリントされた肖像写真であったり、あるいはまた、なんでもないような風景写真であったりするわけだ。そのほとんどは、いささかセピア色に退色していたりするが、それが実にいい味を醸し出しているんだな。
どこの誰が、何時の撮ったかも定かでない、何処の風景ともわからない、誰の肖像ともわからない、セピア色の写真たち。
しかし、それは、かつてこの世界に、この人物が、この風景が、確かに存在したということを、寡黙に、しかし揺るぎなく記録している。
無限に流れていく時の中で、その景色が、後世の人間によって手を加えられ、すでに同じ場所など特定できないほどに変わっていたとしても、その写真に写っている人物を知る人すらも死に絶え、もしその写真に写っている人物の子孫にあたる人が、全くの偶然でその写真を見たとしても、自分の先祖であるなどとは夢にも思わないようになっていたとしても、いいかいみんな、ここからが重要だ、その写真は、かつてその世界にこの場所があったことを、そしてまた、この人物がこの世界で生きていたことを、声無くして語っているのだということだ。

そして、俺たちが目にするすべての風景も、俺たち自身を含めた全ての人間が、生き物が、この時の濁流の中にいずれは呑み込まれ、闇に消えていったしまった後も、写真は俺たちここにいたことを、後世の人間に声無くして語ってくれるのだ。

そう、写真は決して単なるイメージとして消費されていくようなモノではないんだ。消耗品ではないんだ。君が愛用のライカで撮った、君の妻や子供の写真は、あなたがケータイのカメラで撮った彼氏の写真は、それが残っている限り、君やあなたにとって、かけがえのない人々が、かつて確かにこの世界にいたことを、そして、幸せそうに微笑んでいたということを、時の暴力的なまでの破壊力に抗って、後世の人々に語りかけるものなのだ。

ただ一時の視覚的な刺激や欲望を満たすものが写真では、ない。

その意味で、写真はまだ本当にその真価を、重たさを理解されているメディアとは思えない。

写真は、ティッシュペーパーや手帳のリフィル、使い捨てライターや、シャーペンの芯、あるいはプリンターのインクのような、消耗品では決してないのだ。
俺は、いつも本能的に反射的に写真を撮影しながら、狭い暗室で寒暑に苦しみながらプリントしながらも、俺が消え去ったのちも、この世界に残る写真を想う。
そして、自分の撮った写真が、何時の日にか、『詠み人知らず』の写真となって、一枚でもいいから残ってほしいと切望している。出来ればパリのパッサージュで、売られていたなら、きっと幸せだ。
そこに俺が写っていなくても、その写真を撮影し、プリントした俺は、その写真の中に息づいている。その写真が残っている限り、俺はこの無情な時間の流れに、完全に敗北したわけではないと、信じている。

エクスペンタブル・フォトグラファーだと?
けっ!誰だか知らないが、笑わせんな。写真はそんなに軽いもんじゃないんだぜ。俺は、そんなくだらないものになりたくなんかねぇや。

読者諸君、また会おう。写真は素晴らしいものだと再認識できたとことが、今回の旅の最大の収穫だ。心して、覚悟して写真に取り組んでくれ給え。

2011/04/13

Post #152 I'm Back To Japan !

不肖Sparks、恥ずかしながら帰って参りました。
未だ騒然且つ自粛ムード漂う日本の皆様とは、とりあえず一旦7,000キロ程距離をおいて、ヘルシンキ、アムステルダム、ブリュッセル、パリとヨーロッパの4つの都市を彷徨い歩き、足は豆と靴擦れだらけ、世界各地の皆様と触れあい、パリでは屈強な黒人2人に、写真撮っただろうと絡まれ逆ギレ、鳩にはクソをかけられ、通りすがりのパリジェンヌにあんたの髪型ステキ!って言われ、ムーランルージュでは最前列でおっぱいぽろんのバーレスクをタンノーし、世界各地から集まった何百人もの客の中で、ノリにおいて俺に勝る者無し!で、日本人のイメチェンを計り、ブリュッセルのちびっこたちには、ヘビ皮の靴にパイソンプリントのスキニーデニムを穿いた俺の姿からピトン(パイソンのフランス語読み)と呼ばれ、ヘルシンキでは駅のトイレでホモっぼい男に声を掛けられ、アムステルダムでは大麻もやらず、女も買わず、日焼けしまくりながらも、ひたすらに写真を撮りまくった。
モノクロ、リバーサル、中判ふくめて約40本。これが、とりあえずの俺が生きた証だ。
かつて、シーザーはガリア(今のフランス辺り)の征服戦争について記したガリア戦記で『来た、見た、勝った』と総括したけど、俺の場合は『来た、見た、撮った』だ。
Bruxelles
今回の写真も、ラボに出して現像し、おいおい暇を見つけてプリントしていくさ。だからとりあえず今日は、ブリュッセルのグランプラスの写真なんかでお茶をにごさせてもらうとするかな。まるで並みの観光客の写真みたいで恐縮しちゃうぜ。
そんなワケで今日は眠らせてもらおうかな。読者諸君、また会おう。旅の話しはまたおいおいしていくさ。

2011/04/12

Post #151 Trans-Global Express #9

Paris


ボンジュール ムッシュウ エ マダム
写真には、『働き過ぎず、稼ぎはほどほど。そして、よく生きよ』って書いてあるぜ。日本もそんなノリで行きたいもんだ。
読者諸君、君たちはどーだい?
明日には帰ってくるぜ。待ってておくれよ。

2011/04/11

Post #150 Trans-Global Express #8

Paris
ボンジュール ムッシュウ ェ マダ~ム
これがサンドニ門。この門をくぐり南に行くと、いきなり街は庶民の下町になってゆくのさ。
こんな下町が結構好きだぜ。
Paris
この門のあたりは売春婦が多い。夜歩くと、あっちにもこっちにも、とっくに盛りを過ぎたような、やたら肉感的なおばちゃんが、胸元もあらわにして立っている。人生の厳しさを感じるぜ。
しかし、こんな売春婦の皆さんも、どうやら日曜日には仕事はしていないのさ。なんてったって、奴らだってカトリックの端くれ。日曜日はきっと、サクレクール寺院に行って、ミサに参加し、贖罪を神に求め、心安らかに過ごすのさ。
ああ、これが人生さ。ロックンロールさ。
読者諸君、また会おう。俺はまだパリの路地をぶらついているはずだ。

2011/04/10

Post #149 Trans-Global Express #7

ボンジュール ムッシュウ ェ マダ~ム

Paris
俺の好きなクリニャンクールのあたりだ。骨董市とか皮革製品の店が多いこの一角は、黒人が多く住む町でもあるんだ。なんとなく、パリのニューヨークみたいな雰囲気で、俺は好きだぜ。ガキどももどことなくひねてやがる。
出来ることなら、こんな街に住みたいくらいだ。こんなファンキーなアンちゃんたちと楽しくやりながら、ちんたら暮らしたいもんだ。
しかし、そうはいかんだろうよ。
Paris
読者諸君、もう少しの辛抱だ。寂しいのは、君たちだけじゃないだろう。俺も、そろそろさみしーぜ。

2011/04/09

Post #148 Trans-Global Express #6

Paris
ボンジュール、今日はパリに移動するんだ。
俺はいつもの決まった宿、オテル・マドレーヌ・オスマンに泊まるんだ。小さな居心地のいいホテルだ。朝食はトムとジェリーに出てくるような黒人のメイド?のおばさんが、にこにこしながらゆで卵をくれるようなホテルだ。ダノンのヨーグルトは自分で冷蔵庫から出すんだぜ。パリじゃフランスパンが旨いからな。朝からしこたま食っちまうこと必至だな。
読者諸君、待っててくれ。じきに帰ってくるぜ。たぶん・・。

2011/04/08

Post #147 Trans-Global Express #5

Paris
ボンジュール ムッシュウ エ マダ~ム
今日も留守にしてます。
読者諸君、また会おう。

2011/04/07

Post #146 Trans-Global Express #4

Paris
今日はアムステルダムからブリュッセルに移動するぜ。
日本の読者諸君、また会おう。

Post #145 Trans-Global Express #3.5

いや~、疲れたな。アムステルダムは。今は真夜中だ。市の中心部のダム広場のすぐ脇のホテルでゆっくり休んでいるのさ。
昨日から走り続けて来たのさ。地球を三分の一周してたどり着いたヘルシンキでは、連れ合いがパスポートをなくしたと大騒ぎし、あわや入管で強制送還寸前だった。たまらん。結局、飛行機の中に落ちていたんだが、海外ではパスポートはとても重要だ。強いて言えばパスポートとクレジットカードさええあれば、なんとかなると言っても過言ではないのだ。諸君も気をつけてくれたまえ。
で、昨晩はヘルシンキの街へ繰り出したのだが、寒かった。そんな寒いところに行く予定はなかったので、手袋もコートもない。そして、さすがヨーロッパの片田舎。よいこの住んでるよい町だ。駅の有料トイレで、白人のアンちゃんに馴れ馴れしく話しかけられ、ホモじゃなかろうかと焦ったりもしたぜ。何せ俺はホモに何故か好かれるからな。俺はまったくその気はないんだが。もう一度言おう。俺には全くホモっ気はない!
で、今朝朝イチの飛行機に乗ってアムステルダムにやって来たのさ。
そうして一日中写真を撮りながらブラブラ歩き回ったぜ。脚がパンパンだ。さすがの俺も疲れきった。
街の中心部にあるレンブラント広場には俺の大好きな木蓮が咲いていた。今日はその写真をお送りしよう。アムステルダムの、キレーな顔に、やたらでっかいお尻のおねーさん達の写真は、まぁそのうち。そこらじゅうを走り回るベスパの排気ガスで俺の髪はすっかり硫黄臭くなってしまった。まいったな。しかし、アムステルダム、なかなかに面白い街だぜ。

Amsterdam

それでは諸君、また会おう。しばらくはヨーロッパをぶらついているはずだ。

2011/04/06

Post #144 Trans-Global Express #3

Paris
時折、はっとするようなかわいらしい御嬢さんを見かけます。
いやらしい気持じゃなくって、散りゆく花を惜しむような気分で、そっとシャッターをきる俺なのさ。

2011/04/05

Post #143 Trans-Global Express #2.5

いや~まいったな。
いきなり飛行機が遅れているじゃないか。おかげさまで今日は目的地のアムステルダムにたどり着けないぜ!ダッハッハ!で、トランジットのヘルシンキで、飛行機会社持ちで一泊だ!だからと言って、チェックインカウンターのお姉さんに、文句を言ってもはじまらない。OK、考えようによっちゃ、もう一ヵ国旅先が増えるだけのこった。それもまたなかなかに面白いぜ。
ふふふ…、これも人生だ、ロックンロールだ。せっかくの旅だ。自分の予定通りにならなくっても、プリプリプンスカしてちゃ、旅も台無しだろ?むしろ、こんなことこそ旅の醍醐味と思って、不測の事態をおもいっきり楽しんでやろうじゃないか。
ふふふ、なかなかに前途多難で楽しみな事だぜ。読者諸君、こんな俺の行き当たりばったりな旅を楽しみにしててくれ!頼んだぜ。

Post #142 Trans-Global Express #2

今頃俺は空の上さ
日本の諸君、ごきげんよう。俺は旅に出るのさ。所詮おいらは、旅また旅のマタタビ野郎さ。
けど、寂しがらないでくれないか。俺も後ろ髪をひかれてしまうぜ。君のことは忘れやしないさ。
なに、あんまり小遣いもないから、すぐに帰ってくるさ。
諸君、また会おう。

2011/04/04

Post #141 Trans-Global Express #1

読者の皆さんに、ちょいとご報告。
明日から、俺、ヨーロッパにいってくるぜ。こんな大変な時期に、旅行なんて、なんて神経だって思うかもしれないけれど、前々から計画していたんで勘弁してほしい。

俺は旅慣れてるから、旅の準備はあっという間だ。愛用のサムソナイトにイカした服とスカした靴を詰め込んで、カメラバックにフィルムをしこたま、そして何よりカメラを放り込めば、世界中どこにだって行けるぜ。あと、飛行機の中で読む本も忘れずに。
今回は、昨日の話があるから坂口安吾の『桜の森の満開の下』と吉本隆明『西行論』の2冊だ。軽く12時間くらいはかかるからな。
今回は、いつもの俺のメイン機材CONTAX T3を2台だけ、一台はモノクロ、もう一台はリバーサルってカンジでベルトに着けていこうかと思ったが、冷蔵庫の中に、120フィルムが何本か残っていたから、いい機会だ、FUJIの中判カメラ GA645Zi も持っていこう。久しぶりの中判だ。わくわくするなぁ。
ヨーロッパ北回り航路ロシア上空。こんな非情な大地を踏んでみたい
で、どこに行くかって?ふふふ…、知りたいかい?いいだろう、君たちだけにはそっと教えてあげよう。フィンエアーに乗って、ヘルシンキ経由でアムステルダム。そして、電車でベルギーのブリュッセル、さらに電車でパリに行くんだ。金はないけどね。悲しいくらい。

フィルムはしこたま買い込んだ。新しい旅に、新しい写真だ。これで新しい女なんて言ったらさすがにバチが当たるぜ。うちの連れ合いも旅慣れてるからな。並みの女じゃ、俺の相方は務まらないだろう。

見知らぬ国に行くと、日本の中のジョーシキというもんが、どうでもいいローカルルールに見えてくる。それは、この先行き不透明な時代を自分の力で生きていくうえで、大きな力になるんだ。こんな生き方でもゼンゼンOKだって思えてくるのさ。

OK、お土産の欲しい奴は、コメントしてくれよ。
けど、お金ないからな…。まぁ、俺の写真を楽しみにしていてくれよ。どうせモノクロばかりだし、どこに行ってもおんなじような写真しか撮らないけれどね。俺が君たちにお贈りできるモノといえば、所詮シケた写真くらいさ。でも、それがイイのさ、それがサイコーなのさ!

じゃぁ、日本の皆さん、さようなら。なに、すぐに帰ってくるさ。

2011/04/03

Post #140 Cherry Blossoms

今日は旧暦では3月1日、新月だ。
桜もちらほら咲き始めた。ふと、西行法師の
『願わくば 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ』
という歌を思い出したぜ。実際に西行は旧暦の2月16日に亡くなったと伝えられている。出来過ぎだ。しかし、この歌を思い出して、鎌倉時代には旧暦2月の満月の頃には、桜が咲いていたということに気が付いた。今とはおよそ2週間の違いがある。地球温暖化だったのか。実際、俺達の住むこの星は、絶えず揺れ動いている。寒くなったり熱くなったり、そんなのは人間の体温が微妙に変わるほどの事だろう。
桜が咲くといつも読みたくなる小説がある。坂口安吾の『桜の森の満開の下』だ。
ここは俺の故郷の川辺。しかしこの桜は今はない。俺の家が無いように。
坂口安吾を読み始めたのは、高校生の頃、俺の通っていた私立クロマティ高校の現代国語の鈴木先生が、君はこれを読みなさいと言って、坂口安吾の小説のコピーをくれたのがきっかけだ。
その小説は、『夜長姫と耳男』。
当時はもう絶版で手に入らかったのを、きっと先生が自らコピーしてホッチキスでとめてくれたのだろう。このほかにも、鈴木先生は俺に埴谷雄高の『死霊』を読むよう強く勧めてくれたりもした。俺は、モヒカン刈りの文学少年だったから、すっかり魅了されたぜ。
ありがとう、鈴木先生。おかげですっかり、まっとうなエスカレーター人生を踏み外したぜ。後に、鈴木先生に対して、『先生がそんな本を勧めるもんだから、俺はこんなおかしな大人になっちまったじゃないか』って抗議したら、先生破顔一笑、君は放っておいても、遅かれ早かれそこにたどり着く運命だったんだからいいじゃないかと言っていたぜ。よく御存じで。ふふふ‥・、これも人生だ、ロックンロールだ。

さて、坂口安吾の桜の森の満開の下だ。
これは日本文学史上に残る金字塔的な傑作なんだが、ご存じない方のためにざっくりと導入部だけ、話しておこう。

鈴鹿峠に一人の山賊が住み着いていた。峠を通る商人から金品を奪ったり、女をかどわかして、自分の妻にしたりしていたんだ。男は永年、峠道にある桜の森に、ただならぬものを感じていた。男は教養のない野人だから、それがどんな感覚なのか表現できない。そしてそれを確かめるために、桜の森の満開の下に行ってみるんだが、何故か毎年気が変になりそうで、桜の森から逃げかえってくる始末だった。
そんな山賊のもとに、ある商人の夫婦が通りかかった。山賊は女があまりに美しいので、商人を殺ろして女を奪い、自ら背負って、山奥の自分の家に連れ帰ったんだ。
山賊の家についた女は、山賊が今までに奪って、自分の妻にした、かつては美しかった、そして長年の山暮らしですっかりむさくるしくなった女たちを、山賊に皆殺しにするように命じるんだ。山賊は、躊躇しながらも、何かに憑かれたように、自分の妻たちを殺しまくる。一番醜いビッコの女だけを召使として残してね。そして、女は山暮らしにうんざりし、都に連れて行ってくれるように山賊にせがむんだ。
そっから先は、自分で読んでくれ。小説を読むのが苦手な方には、近藤ようこがマンガ化したものもある。このマンガは、その辺の小説の翻案と違って、とてもよく描けているからお勧めだ。

桜を見ると、いつもこの小説を思い出す。
美しくて、醜悪で、優しくて、残酷で、虚しくて、孤独で、儚い話なんだ。
桜の下には死体が埋まっている。墓場だもん当然さ。
決して長い作品ではないんだが、文学に求め得る要素のかなりの部分が凝縮しているといっても過言じゃない。
俺は、この小説の中で、山賊とビッコの女のこんなやり取りにぐっとくる。

「都ではお喋りができるから退屈しないよ。私は山は退屈で嫌いさ」
「お前はお喋りが退屈でないのか」
「あたりまえさ。誰だって喋っていれば退屈しないものだよ」
「俺は喋れば喋るほど退屈するのになあ」

くぅ~ッ!喋れば喋るほど、退屈するこの感覚。
毎日こんなにブログを書き散らかしていながら、時折、痛切に、こんな言葉が胸をよぎる。
ホントに伝えたい気持ちは、言葉でなんか伝わらないんでないかい?
俺は、このやり取りを思い出しては、時折立ちすくむ。言葉は舌の根元で、絡まって声にならない。
言葉を連ねて俺の気持ちは、君に伝わるのだろうか?
俺の言葉は空を切り、あの時、あの娘の胸には響かなかったんじゃないか?
仕方ない、カメラを構え、シャッターをきるか。

この小説と、夜長姫と耳男の二つだけでも安吾はスゲー作家だって文句なしに断言できる。

桜には、どこか人の心を騒がせるものがあるんだろうな。
心浮かれ、騒ぐのも悪くないかもしれない。
けれど、今年は年季の入った蕩児のように、過ぎ行く春を、帰らぬ日々を惜しむように、ゆっくり桜を眺めてみたいんだが…。なかなか忙しくて難しいだろうな。さびしーことだ。
諸君、また会おう。今夜も俺は男の仕事に出撃だ。

2011/04/02

Post #139 Magnolia

俺の町には、木蓮の街路樹が植えられている。この時期、白い大振りな花を咲かせるのさ。木蓮は俺の好きな花なんだ。白い木蓮のあのベルベットのような花弁の質感も、艶やかな紫木蓮の色合いも、とても好きなんだ。君のまわりでも咲いているだろうか?
木蓮てのは、しっとりしてて、年頃の、しかも品のいいお嬢さんみたいで、見ていると、こわばった心がほぐれてくるような気がするんだ。

Magnolia
気がつけば桜もチラホラ咲き始めたようだ。
毎日、慌ただしく忙しく生きているうちに、季節は巡ってしまうんだ。俺もずいぶんと年をとった。オイボレ一歩手前だ。だからあと人生で何度、こんな季節を楽しめるのか判らないけど、せめて今この春を、しみじみ味わっていたいのさ。そう、今日という日は二度とないんだからね。
そんな感じて連れ合いと歩いていたら、以前働いていた会社の後輩にたまたま行き逢った。今年も花見をやるから、来ませんかって誘われたけれど、丁重にお断りさせて頂いたぜ。俺はあのどんちゃん騒ぎが好きじゃないんだ。どいつもこいつも、酒呑んで浮かれて、花なんか見てもいない。焼肉のケムリで、花の薫りもあったもんじゃない。子供がいたら最悪だ。俺は子供が川に落ちたりしないように、酔っぱらった保護者に代わって、面倒をみる破目になるんだ、100%ね!それに子供は何だかんだ言って、おかしな大人が大好きだ。こんなマンガから出てきたようなファンキーな俺を、ガキ共が放っておくはずがないだろう。
止めてくれ、俺は静かに花を楽しみたいのさ。
そう俺は、花見と称した無礼講なんかじゃなく、暖かい日差しの中を、ゆったりゆっくり歩いて、花の薫りをかぎ、春の風に髪を靡かせて、散りゆく花の美しさを、しみじみ心に焼き付けたいのさ。
心のなかに、プリントするようにね。
その点、木蓮は素晴らしいぜ。木蓮で花見をするようなスカした奴はなかなかいないからな。
諸君、また会おう。
今年くらいは静かにしみじみと花を愛でてみるのも悪くはないとおもうぜ。