2011/05/31

Post #200 Get Back

読者諸君、おはよう。今日で5月も終わりだ。
それとは何の関係もないんだけれど、 今日のこの投稿をもって、なーんて書くと、もう止めるとかいいそうだが、そうではない。何事も最後まで聞くべきだ。そう、今日のこの投稿をもってFragment は200投稿達成だ。
200回。なかなかに険しい道のりだった。毎日よくも厭きもせず、書き散らしたものだ。我ながらご苦労なこった。
思い起こせば第1回『世界のフラグメントを集めて…』から第10回『Going Home』まで、全てが去年の大坂への出張中に、今どきネット接続もできないウィークリーマンションで、エクスぺリアのアプリでシコシコと作られたものだ。
以来約半年、早いもんだ。そして、よくもまぁ書くことがあったもんだ。我ながら呆れるぜ。
あの頃の俺の状況は酷いもんだった。八方塞がりだった、まさに厄年真最中だった。しかし、何とかこうしてここまで乗り切ってこれたのは、ロックンロールと写真と、何より他でもない読者の皆さんのおかげさまだ。
そう、俺のこの糞下らないブログを、毎日根気よく見続けてくれる、あるいはたまたま目にとめて覗いてくれたりしてる読者諸君の、そう他でもない、今まさにこのブログを読んでいてくれるあなた!のおかげさまだぜ!どうもありがとー!
で、だからと言って記念するほどでもないこの200回に、俺が昔、まだモノクロをはじめる前の写真を引っ張り出してきては原点回帰、つまりはGet Back と洒落こんでみようかな。
いや、そんなことしたって、誰も喜びゃしないのは承知のうえなんですがね・・・。
まぁ、言うなれば、俺の勝手だろう?
HomeTown
ふふふ…、ずっと前から、こんな写真を撮って来た。多分、こんなのしか撮れないんだろう俺には。
HomeTown
 さぁ、飯食って寝よう。例によって夜通し働いて来たのさ。その前に、もう一丁行くかい?
HomeTown

親愛なる読者諸君、俺は行けるところまで行くつもりさ、気合を入れたり手を抜いたりしながらね。
これからもよろしく頼むぜ。お迎えが来るその日まで、俺はいつだってこんな調子さ。

2011/05/30

Post #199 太陽の塔

ここ何年か仕事で使っていたデジカメがとうとうお釈迦になっちまった。仕方ない。何度も脚立から落としたりして、トップカバーは外れそうだった。奴の最後の仕事は例の小学校の遊具の点検写真だったって訳だ。長いこと御苦労さん。いろいろこいつとはいろいろと苦楽を共にした。パリやバルセロナ、イスタンブールやアムステルダムにも連れて行った。地味にイイ仕事をして俺を公私ともに支えてくれた。
ありがとう、RICOH R10。
しかし、デジカメ無しでは俺の仕事は成り立たないんだ。商売あがったりだ。俺は昨日、出張出撃前に、行きつけのカメラ屋で目をつけておいたRICOHの中古のデジカメをゲットしたんだ。OK、これでイイ。外観が多少よれていたって、型落ちだって構うもんか。どーせ仕事カメラだ。お買い得だぜ!
で、俺はフロントグラスに叩きつけるような激しい雨の中、単騎俺の戦場に向けて一路西へと向かったんだ。
雨の高速でのカーチェイスさながらの運転は神経を磨り減らす。仕事にかかる前からクタクタだ。そんな苛酷な約二時間のバトルの末、俺は目的地にたどり着いた。そこで、俺を迎えてくれたのは、太陽の塔だ。 岡本太郎の最大にして最高の傑作、あの太陽の塔だ。
世界の車窓から、今日は大阪府吹田市からお送りします
太陽の塔は、高度経済成長に沸き立っていた40年前のこの日本の国で、人類の進歩と調和という極めて楽天的な未来志向のスローガンを掲げた大坂万博が開かれたとき、その会場のド真ん中に、現れたゴジラのようなモニュメントだった。強烈なインパクトだ。それはまさに、岡本太郎という稀有の素質を持ったシャーマンを媒介にして、顕現した原始混沌の太陽神像だ。
明るい未来に酔いしれる日本人の前に、有史以前のどろどろとした混沌を根にして、ちんけな現在を嘲笑うかのように突き抜けて、遥かな未来へと聳え立つ異様なシンボルとして、太陽の塔は降臨したと俺は思っているんだ。まさに、万博という祭の庭に、超太古の神々を呼び、その荒々しい息吹を閉塞した現代社会に吹き込むためのヒモロギだ。
過去を知ることができれば、未来が見えてくる。
安っぽいペラベラしたパビリオンが全て消え去ってもなお、天に向けて聳える太陽の塔。かっこいいったらないぜ。
俺はハンドルを握ったまま、時速100キロでまだ見ぬ未来に向けて走り抜ける車の窓から、太陽の塔を撮ってみたんだ。買ったばかりのデジカメでね。
こうして見るとマメみたいに小さいがね。 
言わずと知れた太陽の塔
読者諸君、こんな芸当は危険だから、くれぐれも真似しないように頼むぜ。失礼する。今夜の仕事までの一時、写真でも撮ってぶらつくんだ。

2011/05/29

Post #198 In A Cross Fire Hurricane

なんてついてないんだ。
台風がやってきているというのに、俺はこれから仕事で関西方面に出張だ。2泊3日、むしろ2泊3夜勤だ。浮かれている暇はないんだ。切迫してるぜ。何しろ季節外れの台風が来ているからな。梅雨に入ったばかりだというのに、いったいぜんたいどうなってやがるんだ。
俺は、こんな叩き付けるような雨の中、高速をすっ飛ばして出かけなきゃならないんだ。ついてないぜ、まったく。俺の連れ合いは心配している。そりゃそうだ。俺だって心配だ。なにもないのなら、窓の外の嵐をのんびり見物し、読書でもできたものを…。たまらないぜ。
読者諸君も、俺の無事を祈っていてくれたまえ。あ、あと商売繁盛もね。
Barcelona
窓の外では、雨に浮かれた蛙たちが、俺の部屋から流れ出すロックンロールのリズムに合わせて、ゲッゲッ、ゲッゲッと鳴いているのさ。
全然関係ない話だけれど、君たちは来世は信じるかい。俺は自分の来世はきっとカニ蒲鉾だと思っているのさ。しかも、酢醤油とかついているよーな少し高級な奴だ。あれは旨いからね。
で、俺は死んだあと、カニ蒲鉾に生まれ変わって、君たちにおいしいおいしいって食べてもらいたいなとか想像して、一人でくすくす笑ったりしてるんだ。まぁ、俺はそんなくだらないことをいつも喋って、連れ合いや家族にはうんざりされているんだ。困ったもんだぜ。
Amsterdam
さて、読者諸君。くだらないおしゃべりは今日は早々に切り上げさせてもらおうか?何しろ俺は今からこの十字砲火のような激しい雨の中、車を飛ばして俺のフィールドに向かわなければならないんだ。なに、心配はいらないぜ。俺は運転が巧いのさ。
では、失礼する。危険だから台風の中、あまりで歩いたりしない方がイイだろう。せっかくの日曜日が台無しさ。

2011/05/28

Post #197 Photographica #8

読者諸君、おはよう。
俺は昨日は、山のなかのホテルで行われた仕事関係の親睦会で、ゆったりさせて貰ったぜ。なんてったって、展望大浴場独りぼっちで一時間半だ。
風呂の好きな俺にはたまらないぜ。ただし、展望のほうは真夜中の山に川だから、まるっきり見えなかったけどね。
こんな忙しい毎日だが、この親睦会に出掛ける前に、別のお客さんの事務所に顔を出したついでに、ちょいと本屋に行って写真集を買ってきてしまったぜ。
しかも2冊。
ヤバい、また本が増えてしまった。最近は本が増えすぎて、けっこうな収納力を持つ本棚が3本、ぎっしりみっしりと本でいっぱいだ。本を新たに購入するたびに、つれあいからは、これじゃいつか床が抜けるとか、そんな金があるんなら、貸してある金を返せとか、嫌みを言われたり、叱られたりするのだ。道楽者も楽じゃないぜ。
Amsterdam
さて、閑話休題。
今回お買い上げは、藤原新也『アメリカンルーレット』とピーター・リンドバークの『ON STREET』の2冊だ。
藤原新也のほうに関しては、1990年初版なんで、まぁ買ったというご報告だけで済ましておこうかな。とはいえ、俺はこの写真集、ずっと欲しかったんだよ。というのは、新潮社文庫から出ているチャールズ・ブコウスキーの短編集『町でいちばんの美女』と『ありきたりな狂気の物語』の装丁に、藤原新也のアメリカンルーレットの写真が使われているんだ。
酒と女出身を持ち崩したろくでなしばかりが出てくる無頼反骨の呑んだくれ作家ブコウスキーの小説も好きなんだが、そもそも藤原新也の写真が使われていなかったら、ブコウスキーを手に取って見ることもなかっただろう。
とまぁ、そんな思い入れもあって今回お買い上げに至った訳だ。
さほどイイ紙質ではないが、そこにアメリカ大陸を横断して撮影したさまざまなイメージが、モノクロで、カラーで展開している。荒野、夜の都市、フロリダ、ディズニーランド、旅のまにまにすれ違う人々。これはイイんだ。

昨日購入の二冊。
藤原新也『アメリカンルーレット』1990 情報センター出版局刊
Peter Lindbergh 『ON STREET』2010 SChirmer Mosel Verlag Gmbh刊
もう一冊のPeter Lindburghの『ON STREET』は、C/O BERLINというベルリンにある写真の美術館で行われた彼のエキシビションをもとに構成された写真集のようだ。ようだというのは、これはもちろん洋書で、ドイツ語、英語、フランス語のトリリンガルで解説されているんですが、ドイツ語は当然わかんねーし、フランス語は、トイレどこ?くらいしかイケないし、英語だったらまぁそこそこわかるんですが、何分ほら、昨日は懇親会でしこたまコンパニオンのおねーさんにビール飲まされて、酔い覚ましに長風呂、しかも酔っ払ったおっさんたちが戦死したように転がってる大部屋での宿泊だったんで、ゆっくり見てみようと思って持っていったんだけれど、そこまで突っ込んでないんだよね。
しかし、写真そのものは、文章と違って即時了解可能なメディアなんで、心配ない。いい写真は、一目見ればいいものだとわかる。
パリを拠点に活動しているドイツ人写真家、ピーター・リンドバーグは、ファッションモデルをあえてモノクロ写真で捉え続けている写真家なんだが、正直言ってファッション写真は俺の守備範囲じゃないから、普段あまり積極的に購入するようなものではないんだよね。ヘルムート・ニュートンとかも素敵だとは思っているんですが、どちらかといえばやはりスナップシューティングのほうに、触手は伸びてしまうわけです。
しかし、この『ON STREET』は、いいぜ。俺好みだ。というか、こういう写真を撮ってみたいなと願っていたようなのを、まざまざと見せつけられたようで、矢も盾もたまらず、お買い上げだ。くそ!
その中身は、LOOKING AT、ON STREET、BERLIN、A SELECTIONに章立てされている。BERLIN(これも俺、スゴク行ってみたい街の一つ。)はベルリンでの様々なシーケンスのスナップやモデル撮影。A SELECTIONはKlaus Honnefによる傑作選ってところか。
俺が注目、瞠目、括目したのは、LOOKING ATとON STREETの2つのセクションだ。
LOOKING ATは1999年に、ON STREETは1996年にいずれもニューヨークで撮影されたもののようなんですが、モデル女性が、ファッションショーのようにエレガントな服を着て、ポーズを決めたりしながら信号待ちをしてたり、雑踏の中をケータイで電話しながら歩いていたり、長いコートの裾を翻して歩み去って行ったりするんだ。
まるで、たまたまスナップをしていたら、GAPなんかを着た野暮ったいヤンキー(これはもちろんアメリカ人の事。コンビニの前や田舎の駅前でたむろしているあれではない)やよれたスーツ姿のビジネスマンの間に、抜群のプロポーションの極上の女性が、しかも素敵に洗練された服装で佇んでいたり、歩いていたりするのを見つけて、気付かれないようにそーっとシャッターをきったかのようなライブ感がある。カッコいい~!
そのモノクロの写真の中には、周囲の生活感むんむんの環境の中に、モデルの女性たちが強烈なしかし静謐なオーラを放っている様が写し取られている。
それは時に、モデルそのものは、後姿だったり、画面の中心を外れたところに配置されていたり、全身が写っていなかったりするんだが、それがかえって写真のリアリティーを増長させている。
くぅ~、やられた。
俺は、いつもこんなネーチャン・フォトを撮りたいと思っているんだ。
もし、素敵な女性が俺に写真を撮らせてくれるのなら、こんなカンジにとりたいといつも考えていたんだ。羨ましさと悔しさが入り混じるぜ。思わずため息が漏れてくる。

読者諸君。これは素敵な写真集だ。アマゾンで買うのが安価でいいだろう。俺はもうしばらくしたら、また今日の仕事に出撃しなくちゃならないんだ。まだ見ぬ俺の写真を遠く思いながら、そしてそれを目にした時の君たちの驚嘆の声を幻聴のように耳の奥に想いながら、車を転がしていくのさ。
各位、よい週末を過ごしてくれ。こんな事をやってるうちに、毎日は光の速さで過ぎ去ってしまうんだ。時間を無駄にしている場合じゃないぜ。台風が上陸する前に、本屋に行って気に入った写真集でも買ってきて、ゆったりと写真でも見て暮らすのも、ありだろう。
失礼するぜ!

2011/05/27

Post #196 現場処理の男

原子力発電の行く末に暗雲が垂れ込めている。結構なことだ。
各国の首脳たちが集まっては、この話で頭を悩ませている。真剣に悩んでほしいものだ。俺達のこの世界の未来が、行く末がかかっている。目先の利益や体面なんかじゃなくて、イロクォイ・インディアンの長老たちのように7代先の子孫たちの事を考慮しながら、結論を出してもらいたいものだ。
その一方で、未だ避難生活を送っている人々のご苦労ご心痛を想うと、やりきれない気持ちになる。一体誰がこの人々の生活を支えてくれるというのか?事故からすでに2か月以上の歳月が流れたが、事態は一向に収束には向かっていない。それどころか、ますます深刻な様相を呈しているといっても過言ではないようだ。
だが、俺達はすっかりこの状況に慣れ切ってしまい、メルトダウンなんて実はたいしたことじゃなくて、フツーにあることのように錯覚し始めている。TVでは、まるで他人事のような淡々とした説明が、東電によって毎日繰り返されている。挙句の果てにはメルトスルーなんて、聞いたこともないような奇怪な言葉が飛び交っている。
Amsterdam
いろんな噂が流れている。
俺自身、電気関連の仕事をしている知り合いから、耳を疑うような奇怪な話をいくつも聞いた。電力業界の現場無視、作業員の待遇のひどさと安全管理のずさんさ、そして作業員を仲介している業者がいかに儲けているか、耳を疑うような話ばかりだ。
一日も早く、全ての指揮権を東電や日本政府からIAEAにうつして、迅速な事態の収束に向けて舵を切ってもらいたいもんだ。
もう、俺は奴らは1ミリも1マイクロシーベルトも信用していなんだ。

そして、偉いさんたちが滑稽なドタバタ喜劇を演じている。
原発を巡ってくだらない責任のなすりつけあいをやっている。今はまだその脅威も危機も去っていないというのに。まったく面白いぜ。哀しくなるほど面白い。無気力な笑いが顔に張り付いてしまうぜ。もううんざりだ、責任のなすりつけあいは。
過ぎ去った事の責任を云々することよりも、目前の危機的な状況をどうするのかのほうが、深刻じゃないのかい?それともお偉いさんたちは、日本が放射能によって人の住めないノーマンズランドになることよりも、自分自身の体面や利益なんかが大切なのかよ?
俺たちは、もううんざりなんだ。
原子炉への注水中断は、政府の指示だった、首相の指示だった、いや班目委員長が再臨界の可能性があるから止めろと言ったとか、東電首脳部はそんな総理官邸の空気を読んで注水中断の判断をしたとか、田舎の中小企業のようなやり取りが報道されていた。それらはどれも、つじつまの合わない各人各様の言い訳に終始していたぜ。挙句の果てには亀井静香が班目氏はデタラメ氏だなんて笑えないダジャレを飛ばして悦に入っているという惨状だ。

一体だれの指示と判断で注水を中断したのか?
どっちだって、イイよ。だれが言ったことでそうなったとはいえ、もうそれは2か月も前の事だろう。どのみちメルトダウンはしていたんだしね。俺は心底うんざりしていたんだ。どいつもこいつも結構な金をもらっていたくせに、いざという時に信念と自信をもって、決断も判断も出来ないバカヤローばかりなんだからな。

けれど、実際には注水中断はされていなかったんだ。
そう、海水注入中断はなかった。東電首脳部からの中断命令に対して、福島第一原発の吉田所長の現場判断で、注水中断は見送られたんだ。

笑えるぜ。これはホントーに喜劇だ。怒ったり、陳謝していたりしたお偉いさんが、みんなピエロのように見えてくる。スリルと放射性物質溢れる原発サーカスのピエロさ。朝から新聞を読みながら、俺の腹の皮はよじれちまったぜ。吉本新喜劇みたいだ。土曜の午後にTVでやってほしいくらいだぜ。
現場の奴らは本当の事がわかっている。きっとその時点で、現場はかなりの高確率でメルトダウンが起こっていると推測していたんだろう。人間、現場からはなれ、地位や体面が大事になってくると、目の前の不都合な事実を直視したくなくなるもんだ。俺自身、そんな頭のイイ馬鹿野郎どもの阿呆らしい判断にさんざん振り回されてきた。何度も『とろくしゃーこといっとるだにゃーわ、このドタワケ!』と俺の地口の名古屋弁丸出しで抗議したりしたもんだ。え、これ意味が分かんない?『バカバカしい事をいうんじゃない!この馬鹿者が!』って意味だわ、よー覚えといてちょう。

その事実が、どこでどうして今日の今日まで隠蔽されていたのか、そんなことはどうでもいいけれど、俺は吉田所長の現場判断に喝采したぜ。溜飲が下がる思いとはこのことだ。くだらない責任のなすりつけあい泥仕合を、一気に卓袱台返しひっくり返しだ。

Amsterdam
だいたい日本の組織ってのは、上は政府官僚から下は中小零細企業に至るまで、現場で、最前線で、一番しんどいところで苦労している末端の人間の意見に耳を貸さない傾向にある。
冷暖房完備の快適なオフィスで体面重視のお偉いさんが、思い込みと皮算用と机上の空論をもとに、現場が聴いたらのけぞるような判断を下して、それを現場に押し付けるんだ。それで、現場が必死の思いで矛盾を感じながらも現実無視の指示と、実際の現状と格闘しながら成果をあげざるを得ないという、まことに困った状況になるわけだ。しかも、その利益を真っ先にぶんどっていくのは、現場じゃなくてお偉いさんたちだ。結構なことだ。
冗談じゃないぜ。振り返れば俺の人生、そんな理不尽との絶え間ない闘争だった。しかし吉田所長、さすがだ。内心に葛藤はあったろうが、何食わぬ顔で東電首脳部の指示をスルー、いやメルトスルーだ。サイコーだぜ。きっとそこで正面から抗議しても、時間の無駄だし、なにより疲れるだけだからな。そんなところで疲れるくらいなら、現場で疲れたほうが何ぼもましってもんだ。
何といっても、結局お偉いさんという奴らは、自分が責任をとりたくないってだけで、いつだってズルズルと事態をより悪い方向に持って行っちまうんだからな。真面目に取り合うよりも、はいはいいって聞き流して、自分たちがベストだと思うことを信念持ってやったほうがいっそ話しが早いぜ。

現場で処理すりゃ 文句は言えねぇ
現場の奴らは へらずぐちたたかねぇ
腐ったガキなら 穴に埋めちまう

毎度おなじみの忌野清志郎も、そんな歌を唄っていたな。
頑張れ、吉田所長!
俺はずっと吉田さんを応援してきたし、これからも応援したいぜ。東電は吉田所長に対して、何らかの処分を検討してるって話だけど、ふふふ…、所詮お偉いさんたちには、この難局を乗り切ることなんか出来っこないんだろ。お偉いさんたちも、俺達国民も、吉田所長を頼りにしてるんだ。
頼むぜ、吉田さん!
放射性物質と一緒に、この国のあらゆる組織に蔓延する旧ソビエトみたいな官僚主義をブッ飛ばしてほしいぜ。
しかし、いったいここ一番の時に責任も取らない、判断も出来ない、指示も徹底出来ない、都合の悪いことは隠蔽する、そんなことしか出来ないお偉いさんってのは、何がどうしてあんなに高給取りなんだろうな?土下座するから高給取りなのか?俺には奴らが詐欺師か泥棒のように見えて仕方ないぜ。

読者諸君、また会おう。俺は今日は浮世の義理だ。仕事関係でほうぼうお出掛けだ。温泉旅館に一泊だ。明日から4日間は大忙しだからな。せいぜい大浴場で日頃の疲れを癒させてもらうとするぜ。

2011/05/26

Post #195 Good Times Bad Times

今日も今日とて、小学校巡りだ。田舎まわりのドサまわりだ。
睡眠不足だ。請求をまとめるのに今朝の4時までかかってしまったんだ。猛烈に眠い。しかし、それも悪くない。睡眠不足でささくれた心と体を、やわらかい日差しと、足元のちいさな可憐な花々が癒やしてくれるのだ。さぁ、写真撮るならお手のもんだ。ジャンジャンバリバリ仕事するぜ。
しかし、今日は風が強くなってきた。雨が降るのだろう。急がなければならないぜ。しかし、さすが山あいの小学校だ、裏山に上っていくとちょっとしたアスレチック場みたいな遊具の群れが展開している。街中の学校ではちょっと考え付かないな。これを点検するのは、なかなかに骨が折れるもんだ。聞けばこの校庭にはカワセミもやってくるそうだ。どんだけ自然がいっぱいなんだよ!びっくりだぜ。校庭でヤギも飼われていたしな。俺の知見は毎日こうして、新たなる現実に遭遇することで、更新されテイクって訳だ。中平卓馬もなんかそんな様なこと言っていたっけな。
Amsterdam
いやはや、急がなきゃならないってのに、休み時間になると子供たちがどっと校庭に飛び出してくる。しかもどいつもこいつも、一輪車に乗ってやがるぜ。いや、その鉄棒の写真を撮りたいんだがな。頼むから、俺が歩くあとを一輪車でくっついてこないでくれよ。そっちが一輪車なら、俺は自転車操業なんだぜ。なんて、子供にはわかんねぇだろうな。おいおい、仕事の写真を撮ってるんだから、ピースしながら一輪車でフレームに入ってくるのはやめてくんないか。
まぁ、こんな仕事もたまには悪くないか。毎日続けていたら、すっかり毒気が抜けた善良なおじさんになってしまうだろう。ユニクロに行って日曜日のお父さんのような服を買ってしまったりするに違いない。俺のアイデンティティが揺らいでしまうじゃないか。ロックなオヤジで通ってるんだ。

ロックなオヤジといえば、ここ3日一緒に仕事をしていたHさんというひとは、パッと見どうみてもその辺をぶらついている酒の好きそうなおっさんなんだが、これが凄腕のドラマーだったことが発覚したぜ。
俺のイメージではドラマーってのは、変人でハチャメチャってカンジなんだが、このHさん、まさにそんなカンジだ。テクよりも、ノリ重視。豪快にしておおらかな、日本人受けしない?世界レベルのプレースタイルを自称だぜ。なかなか、人は見かけでは分からないもんだ。どう見ても酒好きのルーズなおっさんなんだけどね。今朝も2リットルのペットボトルに入った水をぶら下げてきて、開口一番、昨日の酒が抜けてないときたもんだ。なかなかにロックンロール・スタイルだ。
仕事中は子供たちと言葉を交わし、行き帰りの道すがらは、ロックンロールをききながら、ドラム談義に花が咲くってもんだ。人生ってのは、こうありたいもんだね。
この世の中、類は友を呼ぶって奴だ。俺もHさんも同じAB型だしな。やはり、どこか同じ匂いのする奴だとは思っていたが、心のなかにロックが鳴ってる奴と仕事をするのは、楽しいもんだぜ。
ほんと、巡り合わせってのは不思議なもんだ。もっとも、女関係の巡り合わせってのは、まずないけれどね。残念なこった、まったく。ホントーに残念なこった。
Amsterdam
こんな戦士の休息みたいな仕事も、今日で一旦おしまいだ。明日は気が重い。50トンくらいはありそうだ。何といっても、午前中に一発、取引先の気難しい偉いさんと面談し、午後からはこれまた山間の町のホテルで行われる、ほかの取引先の寄合に出席して、そのまま交流会にご一泊だ。
かったるい事だ、まったく。しかしそれも浮世の義理だ。お客さんのようなものには、イイ顔しておきたいからな。
とはいえ、俺の考えじゃ、仕事を出してくれるだけではお客さんとは呼べないんだぜ。
仕事をくれて、それで儲けさせてくれて初めてお客さんというのさ。残念ながら、俺の仕事は、よくてトントン、酷い時には逆ザヤなんてこともしばしばだ。おかげさんで、何時まで経っても自転車操業だ。競輪選手にでもなったほうが良かったんじゃないか?
しかも、挙句の果てには、このクソ忙しいときに、面談に宴会かよ。気が重いなぁ、まったく。
ココは一番、お得意の本音でズバリと行きたいところだが、そんなことしたらオマンマの食い上げだ。
ホントーに俺が言いたい放題できるのは、このブログの中だけなのか?
そんなことはないつもりなんだがなぁ…。しかし、明日はそれではマズイ。ヤバすぎる。俺のライフラインが明日の俺の振る舞いに懸ってる。仕事を干されたら、それはそれで不味いんだ。この辛さは経験済みだ。そうさ、俺は野戦は得意なんだけれど、兵糧攻めには弱いからな。金の余裕があれば、どっしり構えて風向きが変わるまでプリント三昧に浸ってもいられるんだが、如何せん、自転車操業だからな。なかなか、そうなると戦々恐々としちまって、道楽にも身が入らないもんなのさ。
う~ん、仕方ない、明日は目を開いたまま眠って、テキトーな寝言でもほざいてやり過ごすとするか。結構得意なんだよ、そういうの。君も一度気が乗らない時にやってみるとイイよ。

読者諸君、また会おう。俺も明日の精神労働に備えて、歯磨き、入浴、睡眠の3拍子こなしておかなけりゃならないんだ。明日か明後日、また会おう。

2011/05/25

Post #194 春の一日、子供たちの声をききながら‥

本日、今夜中にやらなきゃならねばならないことが山積みなんだが、ブログの更新は欠かせないぜ。君に俺の写真を届けたいんだ。まるで中毒だ。これには習慣性がある。仕方ないぜ、まったく仕方ない。至極あっさりと行かせてもらうか。
そんじゃ、いきなり一発目行くかな。
Amsterdam
俺は昨日から、小学校や中学校をまわって、遊具や運動設備の点検をしてるんだ。タンポポやレンゲが咲く校庭をぶらぶら歩きながら、ブランコや雲梯や鉄棒の写真をデジカメで撮っては、子供たちが使っても危険がないか点検しているんだ。
田舎町のすれてない子供たちが、おじさん何してんのって訊いてくる。写真を撮っているのを見ると、おじさんカメラマン?とか訊いてくるんだ。
のんびりと楽しい仕事だぜ。
子供たちが写真を撮ってほしそうな顔をして、俺の周りをちょろちょろしているぜ。とはいえ、写真に子供たちが写り込むのはNGなんで、休み時間に子供たちが遊んでいると、俺は光と風に戯れながら、子供たちが遊んでいるのをじっと眺めて、子供がその遊具に飽きるのを待っているんだ。
そう、俺は子供たちの楽しみを妨げたくはないんだ。
あぁ、心の底から癒やされる気がするぜ。
一日にそんな写真を200枚から300枚撮影しているんだ。とても電池が持たないぜ。跳び箱やマットなんかも撮っているぜ。なんだか昔のラブコメとかに出てくるような体育館の倉庫で、窓から差し込む逆光の中、ゲージュツ的に跳び箱だの平均台なんかを激写しているんだ。自分でもその出来栄えの良さに、惚れ惚れするぜ。
おかげさんで、俺は滑り台の写真をとらせたら、凄いぜ。ピカいちだ。
もし君たちが、ブランコや鉄棒の写真が必要だと考えているのなら、ぜひ俺に声を掛けてくれ。きっと、期待以上の写真を撮って差し上げるぜ。
しかし、いい事ばかりはありゃしないぜ。今日の帰り道、高速道路は事故渋滞で、2時間も立ち往生だ。これじゃ高速道路じゃない。低速道路だ。歩いたほうがよっぽど早いぜ。クソ、金を返してほしいぜ。まったく、なんてこった。あんまり渋滞し続けてるんで、俺は小便を我慢できなくなって、路肩で立ちしょんしてしまったくらいだぜ。精一杯の俺の抗議行動だと解釈してほしーもんだ。
ケッ、せっかく癒されたのに、こんなんじゃまたまたストレスがたまっちまうぜ。
そう、これが俺の人生さ。ロックンロール・ライフさ。
よし、ここらでもう一丁行ってみよう!
Amsterdam
よし、これでいい。
これから今夜帳簿を作り、請求書をジャンジャンバリバリ書き上げるぜ。いくら貰えるのか、楽しみだ。クライアントの皆さん、たんまり支払を頼むぜ。俺の生活はクライアントの皆さんのさじ加減一つに懸っているんだぜ。
Oh Yeah! 親愛なる読者諸君、また会おう。俺はどんなに忙しくても、君たちの事を忘れちゃいないぜ。

2011/05/24

Post #193 行け!自転車操業だ!

なんてこった、まったく。
いきなり7月の初旬まで仕事の予定がぎっしり詰まってしまった。我ながら驚くぜ。
この不景気の嵐が吹き荒れているご時世に、結構なこった。しかし、正直に言って、仕事よりも遊ぶ暇がほしいんだよ、俺は。連れ合いも知り合いも、読者の皆様も、俺の身を案じてくれている。働き過ぎで倒れるんじゃないかってね。冗談じゃない。手を抜きながらも、しっかり成果を出していかないといけないんだ。生かさぬように殺さぬようにだ。
しかし、仕方ない。俺はたった一人で超零細マイクロ企業を経営してやがるんだ。あまりに小さくて、顕微鏡で見ないと見えないくらいだ。潰そうにも、小さすぎて潰せない。それくらい小さいんだぜ。案の定、資本は圧倒的に不足してる。唯一の売りもんは俺の知識と経験と人柄だといっても過言ではない!しょっぼい商売をしてるんだ、鰹節みたいに身を削ってな。
つまり、そう、自転車操業なのさ。寅さんに出てくるタコ社長の会社並みだぜ!
そこで、今夜は自転車関連だ。行くぜ、一発目!
Amsterdam
この写真みたいに俺の自転車操業零細マイクロ企業には、俺以外の人間を乗せている訳じゃないので、気が楽だぜ。一人気ままに金儲けだ。しかし、大変な割に儲からないんだぜ。さすがは自転車操業だ。手伝ってくれた仲間に月末ごとに分配すると、寂しい風が吹き荒れるのさ。まさに金は天下の回りものだ。なんだかこうして文章を書いていると、一人で面白くって、顔がにやけてくるぜ。気味が悪いぜ。なんだかもう、やけくそ気味だな。
OK、もう一発行かせてもらうぜ!Ready GO!
Amsterdam
俺が先日会った内装屋さんの社長は、49歳でランボルギーニに乗っているそうだ。自転車の俺とは月とすっぽんだぜ。少し羨ましいけど、その社長も若い女にはモテないって言っていたぜ。俺と同じだ。安心したぜ。乗ってる車の問題じゃないんだ、それは。

俺の事を心配してくれている方もいらっしゃるが、どうもありがとう、しかし、今週はぜんぜんOKだ。何故って、今週の俺の仕事ときたら、写真を毎日300枚くらい撮るのが仕事だからさ。そうはいっても、風俗店の嬢の写真を次から次に撮影したりしている訳じゃないぜ。それも一度はやってみたいがね。
太陽の下で、春の心地よい風に吹かれながら、写真を撮って金を稼いでいるのさ。そんな調子のいい仕事なら、俺にもやらせて欲しいぜって声が、世界中から聞こえてくるぜ!
ふふふ…、その秘密はまた明日にでも話そう。世界は広い。読者諸君が思いもよらないような仕事があるんだぜ。
読者諸君、また明日会おう。俺は明日も自転車操業を続けるべく、がんばっているはずだ。何といっても、自転車というのは、ペダルをこぐのをやめた途端にこけてしまうのだ。とはいえ、自転車が環境に優しいように、自転車操業もそうそう悪いもんじゃないぜ。気楽なもんさ。
では、失礼するぜ。ダッハッハ!

2011/05/23

Post #192 時はいま、百花繚乱

どうにも一日中しゃっきりしないぜ。降り続く雨のせいもあるだろう。しかし、本当の原因は分かっている。オーバーワークだ。俺の魂の無限の力に比べて、肉体が脆弱なのか?いや、ロクに眠りもせずに働いて、朝の6時に拘束をブッ飛ばして帰ってきたと思ったら、午前中にはもう次の仕事の打ち合わせだ。もう、6月の中盤までほとんど休みなしで仕事が詰まってしまっているからな。
なかなかプリントだってできやしないぜ。だから、待ってておくれよ。傑作力作揃いなんだ。君たちにぜひとも見て欲しいのさ。
それじゃ、今日の一発目、行くぜ!
Amsterdam
君たちが見てくれる事で、俺の写真は初めて完成するっていっても過言じゃないんだ。
俺はかつて、人間がどうして存在しているかっていう、哲学的なジョークみたいな話をきいたことがある。それはこんなんだ。
『宇宙は認識する者がいないと、存在していることにならない。ゆえにこそ、自らの存在を認識する知性としての生命を生み出し、十分な認識能力を保有するところまで進化させた。』
原子物理学なんかをやっている人は、人間の予想や思考が結果に影響すると、真剣に感じていたという話も聞いたことがある。もしかしたら、人間の存在ってのは、そんなところに意義があるのかもしれない。
まぁ、そこまで大げさな話じゃないんだが、どれだけ俺が自分の写真に自惚れていても、親愛なる読者の皆様に、見てもらわなけりゃ、何も意味がない。そう、つまり、女のいない世界のように意味がないのさ。(ふふふ‥、ここんところには、少しジェームス・ブラウンへのリスペクトをスパイスさせてもたっらぜ。君にはそっと教えておこう、名曲Man's Man's Man's Worldだ。)
そこで、もう一発行くかい?
Amsterdam
昨日は結局、兵庫県の加古川という歴史のある静かな街で仕事だったので、仕事の前のひと時、川から吹いてくる心地よい風に吹かれながら、ブラブラ写真を撮って歩いたんだ。
日本全国、地方都市では人々は車がないと生活できないんで、昔ながらの商店街などは、ゴーストタウンのように寂れている。閉じたシャッターやほこりをかぶった古臭いマネキンの間を、風だけがわたっていく。時折、おばーさんが通り、子供が自転車で走り抜けるくらいだ。
寂しすぎる。
しかし、寂しくとも路地には様々な花が、ひっそりと咲き誇っている。そこに住んでいる人々が育てているモノだろう。西日によってますますセピア色に染まったような街並みに、花々だけが鮮やかに映えている。
季節は今、百花繚乱だ。

読者諸君、また明日会おう。君たちの街にも、花は咲いているだろうか?

2011/05/22

Post #191 Sunday Morning

俺は性懲りもなく、大阪くんだりまで出張し、最近プリプリと起こりまくっていた尻拭いの仕事をこなしたんだ。出張といっても、何の面白みもない。夕食は仕事が終わった後、コンビニで買った弁当だ。食ったのは何と朝の4時さ。そして、巧くもないコンビニ弁当をすきっ腹にぶち込み、眠りについたころには空はすっかり明るかった。もっとぐっすり眠っていたかったが、チェックアウトの時間が近づいている。
Osaka
まったく、金が欲しくて働いて眠るだけとはよく言ったもんだ。いや、それどころか俺はゆっくり眠ることすらできやしない。これが俺の人生さ。まったくお忙しい事だ。人生の密度が高そうだ。この調子じゃ、早く死んじまうんじゃないかって心配になるぜ。
とはいえ、ゴッホも太宰治もキース・ムーンもジミ・ヘンドリックスも、オーティス・レディングも俺の年にはとっくにくたばっていたぜ。俺の愛するThe Whoは、初期のヒット曲マイ・ジェネレイションで、『ジジイになる前に死にたいぜ!』と歌って物議を醸した。その言葉を実践するように、キース・ムーンは32歳で死に、ベースのジョンはラスベガスで年甲斐もなく薬をキメて女遊びをした挙句腹上死した。生き残ったピートとロジャーは、今じゃすっかりジジイになっちまったけど、素敵にイカれたジジイになった。確率は2分の1だ。お楽しみなこったぜ。

日曜日の朝くらいはゆったりしていたいぜ。そう、ベルベット・アンダーグラウンド・アンド・ニコのアルバム、あのアンディ・ウォホールが描いたバナナの絵のジャケットのあれだよ、あの一曲目、サンデー・モーニングみたいにゆったりとしていたいのさ。

時間はあるのさ。けれどこのホテルには、もういられないってことだ。仕方ないぜ、それが世の中の仕組みだ。掃除だなんだっておれが出て行った後に、やるべきことがしこたまあるんだろう。俺はもう少し眠っていたいのに。何しろ今夜もこっちで仕事が待っているからな。しかしそれまで12時間ほど暇を持て余してしまうのさ。

俺はこの街に、マシーンをブッ飛ばして、たった一人でやってきた。気楽なもんだ。誰にも気兼ねはいらない。俺の好きなように時間を使わせてもらうぜ。そうだ、車はこのまま有料駐車場に放り込んでおいて、久々に大阪の街でもぶらついて、写真を撮ってみようかな。たまには撮らないと、ただでさえ巧くないのにますます下手クソになっちまうぜ。文章もつまらん、写真もへたっぴでは、読者諸君に愛想を尽かされるも近いってもんだ。冗談じゃないぜ。
俺の道楽はこういう時にこそ、俺を助けてくれるぜ。こんな道楽がないと、性懲りもなくくだらないことに金を使っちまうことになりかねない。この街にも、そう、誘惑は多いものさ。朝からやってるキャバクラとか、人間としてどうなのよ?ってカンジだ。
Osaka
そんなわけで、俺は日中ここいらで暇そうな顔をして写真を撮って歩いてるだろう。天気がもってくれると嬉しいぜ。
読者諸君で、大阪あたりの人がいるのなら、そして、目の見えないカメが、海から顔を出した時、たまたま浮いてる木の板の節穴に首を突っ込むような感じで俺を見かけたら、声をかけておくれよ。因みに、これを『盲亀浮木』というのだよ。マレちゅうのマレ、滅多に無い事を意味する格言だ。諸君、憶えておきたまえ。

さぁ、出発だ。母を訪ねて三千里のマルコのように旅立つのさ。君たちは、有意義な日曜日を過ごしてくれ。頼むぜ。

2011/05/21

Post #190 ごまかした仕事しかできない奴らが横行してるぜ

世の中には口先だけで、ごまかして、自分じゃ何もできないくせに出世して、ドバドバ金をもらっている奴がいる。
某電力会社の社長が、経営責任とやらをとって辞めたそうだが、笑止千万だ。むしろ笑死しそうだぜ!土下座したりするのが、本当に嫌だったんだろう。
Amsterdam
総理大臣に辞任を突きつける、議会の議長の見識を国中の人間が疑っている。いやむしろ、呆れ果てていることだろう。自分がやったら、この難局をスマートに乗り切れるとでも思っているんだろうか。ご苦労なこった。
わが国では、偉いさんが、とにかく責任を全うすることなしに、最前線から逃げ出すことを『責任をとった』と称している。どうにもこうにも面白いぜ。
下っ端が同じことをやれば、無責任だの敵前逃亡だの非難糾弾の雨霰だ。しかし、多くの下っ端は逃げ出すことすらできず、首を吊ったり、電車に飛び込んだり、ビルから飛び降りたりする。自殺者3万人社会は伊達じゃない。
しかし、責任をとって身を引いた偉いさんが、そんな風に死んだって話は聞いたこともないぜ。結構なこった。やはりよっぽど厚かましくなけりゃ、出世できないんだろう。
それどころか、しばらく息をひそめていたかと思うと、禊は終わったとか言って、全て片がついたころにしゃしゃり出てきて、一丁前な口をきいてくることだ。
何故だか、日本の政治家や経営者とかには、こんな手合いが山盛りだ。

恥を知れよ。昔の日本人は、こういう時に切腹して責任をとったもんだけどな。実際に、俺のおばあさんのおじいさんは、鹿児島のある村の村長だったんだが、助役が汚職をしていたことの責任をとって、切腹して死んだそうだ。男のケジメは最終最後これしかないってカンジだ。

ケッ!どいつもこいつも、ごまかした仕事ばかりしやがって。そんな奴に限って、部下には責任もって仕事しろとかエラソーにほざいてるから、どうにもたまらないぜ。泥棒や詐欺師みたいなやつが、利いた風な口をきくんじゃないぜ。ダッハッハ!

俺のまわりにも、そんなクソ野郎がうようよしてる。あまりのていたらくに詰問すると、怒っている相手に対して、ヌケヌケと『困ったなぁ…』って言いやがる。おいっ!それは俺のブログの決まり文句だ!相手がいなくなってから言えといいたいぜ!
こいつは、俺が以前働いていた会社の社員なんだが、その会社は現場で地道に利益を出す人間は出世できず、机上の空論と口先だけのごまかしが横行し、上司へのおべんちゃらなどが評価対象だった。現場の人間はまるで、奴隷だった。社会の法律よりも、組織の掟のほうが優先される、村人の集まりだった。
俺は当時、自称スーパードラゴン、略してスードラと自分たちの事を呼んでいたぜ。インドの奴隷階級の事だよ。まるで鵜飼の鵜だ。せっかく捕まえた魚を、グエッグエット吐き出すことを強いられるのさ。
くっそ~、こんなんじゃ巨大な石を引っ張ってピラミッドでも造っているほうがよっぽどマシだぜ。あれこそは千年万年残る有意義な仕事だ。

Amsterdam
余りに馬鹿らしくなって独立したんだ。こんなクソ野郎と関わりあうのは全く人生の無駄だ。無駄使いだ。腐った木には釘は打てない。自分から責任を全うしないような奴は、とっとと退場すればいいさ。そのあと、しっかり反省するなり腹でも切るなりするがイイぜ。
そう思っていたのに、またこんなクズ野郎たちの尻ふきだ。冗談じゃないぜ。こんなことで、今夜も明日の夜も、出張して仕事なんだ。泣けてくるぜ…。俺の人生を返してくれよ!

大事なことだから、もう一回言わせてもらうぜ。
ごまかした仕事しかしてない奴が多すぎるんだ。
お客さんの事よりも、上司の顔色ばかり気にしてる奴いが多すぎるんだ。
馬鹿じゃないのか?下足番からやり直せよ!
俺は読者の皆さんに、子供の頃の自分自身に、そしてロックンロールの神様に恥ずかしくないよう、精一杯ベストを尽くすだけさ。そう、俺は会社や組織に護られている訳じゃないんでね。一人っきりでも百姓のクソ意地さ。凹んでるような暇はない。やるべきことをやるべき時に、やるべき様にやるだけだ。

OK、読者諸君。失礼させてもらうぜ。また明日会おう。出撃体制をとらないといけないんだ。

2011/05/20

Post #189 しょんぼりすんなよ、元気を出せよ!

昨日の仕事はしくじったぜ。
俺の手落ちじゃないんだが、確認しなかった俺の手落ちだ。
俺はそれについてはこれ以上ぐたぐた言いたくないぜ。せっかくの人生が無駄になる。
ガックリしょんぼりしていても仕方ない。予約してあった医者まで、イカした音楽を聴きながら歩いていくのさ。俺の歩みはいつしかステップになり、心の奥底から渦巻きながら吹きあげる、滑らかなグルーヴは俺の腰を、肩を、腕を踊らせる。そう、マンガのキャラのようにあり得ないカンジで歩いていくのさ。
道行く人は、誰も彼も俺をイカれた奴だと思うだろをうが、俺は健康さ。すこぶるケンコーなのさ。心の中にロックンロールが溢れているのさ。熱いビートが津波のように押し寄せるのさ。
俺は疲れているんだろうが、いたって元気なんだ。この元気を、君たちに分けてやりたいぜ。
銭金と違って、こいつはどれだけ分けても減るもんじゃないんだ。むしろ、増えていくのさ。
この元気はどこからやってくるのか?

そんなこと、言えるわけないだろう。俺が頭のイカれたシャブ中かおかしなカルト野郎だと誤解されそうだからな。
そう、まだ君たちに言うのは早い。早すぎる。
Amsterdam
俺には108の秘密があるが、まだまだ君たちに打ち明けていない秘密が多すぎる。
ダメダメダメダメ。何事も順番だ。日本人は順番を守る礼儀正しい民族だろう?
いずれにせよ、頭の固い、会社の中だけが自分の全世界だと感じてる世間の皆様に、そう思われるのは屁でもねぇけど、親愛なる読者の皆さんにそんな誤解をされるのは、少し寂しくもあり、悲しくもあるからな。
それにまた、いつものよーに調子に乗って、読者の皆様の理解をぶっちぎるような、訳の解らない事を書き散らして、つまらんとか言われちゃたまんないぜ、ダッハッハッ!

どこかで、誰かが俺の駄文を読んで、共感したり、反発したりしてくれているんだ。不様な生き方は出来ないぜ。いや、無様でもイイか、マディーウォーターを飲んでも、這いずってでも行くぜ。俺は自分の人生の軌跡で、虚空に絵を書くように生きていたいのさ、すぐに消えてしまう飛行機雲のようにね。
この糞溜めみたいな社会で、苦しんでいる人もいるだろう。
自分自身の人生を送れていないと悩んでる奴もいるだろう。
過去にこだわって、前に進めなくなった人もいるだろう。
OK、俺の中に渦巻いている、このエネルギーを、分けてあげたいぜ。
君が元気になったなら、俺はきっと、もっと元気になるのさ。これは資本主義じゃ説明できないぜ。
もちろん、元気になったからって、問題が解決する訳じゃない。高価な壺やパワーストーンで幸福になれる訳ないのと同じ事さ。
Barcelona
しかし、俺が崇拝しているロックンロール・グル、ピート・タウンゼントは言っているぜ、『ロックンロールは悩みを解決したりはしない。悩んだまま、踊らせるのだ』と。
そう、元気さえあれば、この糞ったれな現実に立ち向かう事はできると思うぜ、元気を出せよ!しょんぼりすんなよってカンジだ。
下らない社会だと、絶望する前に、面白い人間になるのはどーだい?あくまで自己責任だけとね。所詮、社会なんて、ちっぽけな人間の寄り合い所帯さ。一人ひとりが面白い人間になれば、この息苦しい社会も、いつかきっと変わるさ。
俺は信じてるのさ。明日の君が、今日よりも面白い人間だって事を。
そうさ、悩んだまま、踊ればええのさ。
『グルーヴがあれば、水の中に入っても濡れることもない』と、Pファンク軍団の総帥、ジョージ・クリントンも歌っているぜ。つまり、グルーヴを、元気を持っていれば、くそくだらない社会の中でも、簡単に押しつぶされたりはしないってことだ。実に、含蓄があるぜ。
もし一度でも、俺のところに来てくれたなら、俺はいつでもここにいながらに、君のそばにいるだろう。
読者諸君。失礼する。今日も仕事がてんこ盛りなのさ。
仕事のボーディングタイムが近づいているんだ。また、明日会おう。いつでも君たちのすぐそばに俺はいるのさ。

2011/05/19

Post #188 Fragment Of Amsterdam #5

俺はいつも、くだらない文章を書き散らしているんだ。
今日は何を書こうかななんて、別に考えていない。キーボードを打ち始めると、勝手に言葉が湧いてくる。そのうちに自分でも面白くなっていったり、わけの分からない愚痴のような文章になってしまうんだ。
Amsterdam
おもしれー!というチェックボックスに数字が入っていると、ふふふ…、この面白さを解ってくれる人が世の中にもいるもんだと思うし、つまらん!ってなかに数字が入っていると、う~む、なかなかこのビミョーなカンジは分かってもらえないのかなぁと思ったり、ちょっと俺も独りよがりなタコツボ状態で書いてたなぁと反省したりするんだ。
俺はだれからも金をもらって書いている訳じゃないんで、書きたいこと好きに書いてもいいはずなんだが、さすがに2つも3つもつまらん!という評価が続くと、さすがの唯我独尊、お山の大将の俺も、いささか検討すべきかとは思うね。
俺自身はいつだって面白がって書いてはいるんだが…。
まぁ、仕方ない。感じ方は人それぞれなんだ。面白いときもあれば、つまらないときもある。これも打率3割か。自分で言っていてなんだが、もう少し打率をUPさせたいもんだな。こんなんじゃ、読者諸君に愛想を尽かされてしまう日も近いだろう。いつも俺は言われるのさ、自分の思ったことの1割ぐらいを発言するようにしておいた方がいいってね。欲求不満になりそうさ。
しかし、何もリアクションがないよりも、つまらないならつまらん!ってチェックしてもらった方がイイのかもしれないな。手応えってのがあるぜ。誰だってスルーされるのは、なんだか物悲しいものさ。
まぁ、今日は少し反省して、あっさりだ。飽きもせず、アムステルダムだ。
Amsterdam

アムステルダムには『赤窓』地帯があるというのは、先日書いた通りだが、かなり開放的というか退廃的というか、明るくオープンに退廃しているという感じがするんだ。あけっぴろげ。じめじめしていないカンジなんだ。嫌いじゃないぜ、俺は。同じエロネタを披露しても、ジメッとして笑えない奴より、カラット笑い飛ばせるノリのほうがイイからな。
だから、おしゃれな服や小物を売っている店が並んでいるような通りの真ん中に、これまたおしゃれなカンジで、大人のおもちゃが真昼間から売られていたりする。日本の感覚からすると、おかしな気分だ。眉をひそめる向きもあるかもしれないぜ。けど、若いキレーなおねいさんがフツーに入って行ったりするんだから、あちらではフツーなんだろう。
俺が思うに、旅の醍醐味ってのは、あなた、新たな現実が目の前に立ち現われてくるのを、自分自身の中に受け入れ、自分の世界観を解体し、再構築して行くことにあるんだから、理解しがたいものは、楽しんでしげしげ見てみないとな。俺はいつもそんな風に思ってるのさ。
Amsterdam
とまぁ、今日はこんなところで。
夜の仕事に出撃する前に、ゆったり寛いで、爽やかな春の風を感じたり、小鳥のさえずりをきいたりしていたいのさ。でないと、頭の中が混線状態なんだ。脳みそのデフラグが必要不可欠なのさ。あっ、しまった。こんなこと書くと、またつまらん!とか言われそうだな。
それでは読者諸君、失礼する。また明日会おう。俺は今夜も車を飛ばして東奔西走、商売繁盛だ。

2011/05/18

Post #187 On The Road #3

今日一日で450キロ車を飛ばして、俺は帰ってきた。
南へと戦線拡大したかと思えば、一旦撤収だ。せわしない事だ。
Turk
独りで車をすっ飛ばしていると、実にいろんなことを考える。
考えすぎて頭がパンクしそうだ。
そりゃマズい。高速道路でのタイヤのパンクもヤバイが、運転中に頭がパンクするのもいただけないぜ。
抽象的な概念が、哲学的ともシャブ中の幻覚とも取れるようなイメージが、次々と浮かんでくる。
俺達が生きてる意味についてとか、『2001年宇宙の旅』のデビット・ボーマン船長のように、肉体を離れた形而上の存在になって、この宇宙の果てまで、時間の果てまでも見届けてみたいとかね。
そういえば、すでに今年は2011年。夢の21世紀もすっかりいろいろあって、まったく色褪せた気がするぜ。かつて、俺がこの地球にやってきた頃に、人々が思い描いていた未来は、いったいどうなったんだろう。中学生の時に初めて見たあの『2001年宇宙の旅』を、久しぶりに見てみたいぜ。
他にも突如として俺を裏切った奴の事を思い出し、はらわたが煮えくり返り、アクセルに思わず力が入ることもある。心の奥にしまい込んだ悲しみのスイッチが突然何の前触れもなくONになり、心臓を鷲掴みされるような感覚にくらくらしたりする。時に涙がこぼれるのは、悲しいからじゃないぜ。運転に集中しすぎて、瞬きするのを忘れているからだ。
Turk
よくない兆候だ。運転に集中したほうがイイ。でないと危険だ。追突したりしてしまうだろう。いつも高速道路を走っていると、こんなカンジなんだ。危なっかしいったらありゃしないぜ。
けれどもし、君が隣に乗ってくれていたなら、そんなこと考えたりしないさ。
もちろん、感情や思考のうねりとともに、加速したりもしないだろう。
もっとゆったりと、この長い道のりを楽しむことができただろう。そんな事を想像するだけで、心がほんわかと温まるのを感じるぜ。楽しみだ。そんな日が来ることを祈ってる。
けれど、隣で眠るのは無しだぜ。運転している時、助手席の人間が眠ってしまうと、不思議と眠たくなってしまう俺なのさ。

人間は、自分の思い描いた事しか実現できない生き物だという。
そうだろう。どんなことも、偶然だけで出来てしまうほどちょろいはずはない。しかし、俺の実感では人間は、思い描いたことの3割も実現できれば、御の字な存在だ。誰もがみな、理想は現実によって裏切られると言うけれど、持って生まれた資質や、時代の流れや社会の状況は、俺達弱い人間がどれだけ努力しても挽回できないこともままあるだろう。しかし、夢や理想がなければ、どこにだって行けやしないぜ。単に現状維持しか出来ないことだろう。これはなかなかに難しい舵取りだ。
その中で、夢や理想の3割を達成できたなら、それはなかなかなもんだと思うぜ。なんせ、打率3割なら、かなりの強打者と評価されるんだからね。大したもんだ。
つまり、人生はナビの通りにはいかないってこった。途中でパンクする事もあるだろう。道に迷うこともあるだろう。脱輪するときだったある。俺は毎日、人生ってのは真っ暗な道を、どこに向かっているかも分からず走るようなもんさって感じているぜ。ときには何故走るのかも分からなくなるくらいだ。
けど、本当に俺達は、どこに向かって毎日走り続けているんだろう?
どこかにたどり着くことは出来るんだろうか?

とまぁ、そんなことばかり考えているうちに、何とか無事に家に帰ってきたのさ。

読者諸君、失礼する。どうだい、こんな俺だけど、助手席に乗ってみないかい?君を怖がらせるような危ない運転は控えるようにするさ。何といっても、明日も夜には車を転がして遠征しなけりゃならないんだからな。念の為に言っとくけど、俺はトラックの運転手とかじゃないからね。

Post #186 On The Road #2

今日も車を飛ばして走り回った。西へ西へと。
このまま走り続けていけば、リスボンまで行きそうな勢いだ。
しかし、当然ながらどこまで走っても、ココからはリスボンになんて辿り着きゃしない。そう、この国は島国なんだ。どこまで行っても、結局は海にぶつかってしまう。袋小路のブラ小路だ。
さすがの自民党の面々も、その長期政権の期間中、一度たりとも海を越えて大陸につながる巨大な橋を建設しようとは思わなかっただろう。奴らにできたことといえば、自分の選挙区に海峡をまたぐ巨大な橋を架け、だれも乗らない空港を築き、人外境の深い山々にトンネルを穿ち、高速道路をひっぱて来ることぐらいだ。あと、原発ね。どれも、それでホントーに俺たちの幸せ繋がったのかは定かではない。その評価は、これからの歴史がケリをつけてくれることだろう。楽しみなこった。
そう、そんなわけで、この国からは逃げ場所なんかない。この国に絶望しても、放射能にやられた国土からモーゼに率いられた流浪の民のようにザイオンを目指すこともできない。あぁ、モーゼなら玄界灘を断ち割って、俺たちを朝鮮半島くらいには連れて行けたかもしれないな。
ふふふ…、しかし、この国に生まれた人々の多くは、ココが世界で最も幸せな国であると信じているんだ。だから、ザイオンを目指して流浪することはない。しかし、この狭い国土に、原子力発電所が犇めき、現に放射能をガンガンまき散らしている。本当はどうなっているのか、どこが危険でどこが安全なのか、誰にも分からない。いやぁ~、まいったなぁ。苦笑いして頭を掻くくらいしか出来ないぜ。どうしてこんなになっちゃったのかねぇ?
Amsterdam
俺のマシーンはなれない道を一本たがえ、夜の歓楽街に突っ込んでしまった。なんてメーワクな車だ。ネオンの下に群がる酔っ払った男たちと、その懐を狙う女たち。俺は奴らをまとめて轢き殺しそうだ。ボーリングじゃないんだぜ、頼むぜ。どいてくれないか?
車の窓から見るそれは、どうにも滑稽で、どこか物悲しい。
その男たちも女たちも、誰一人として、自分の思い描いていた人生を生きていないように感じてしまうのさ、なぜだかね。どうしてかな?強いて理由をつけてみれば、そこは本音や本気のないお遊戯の世界だからかな。酔っ払って、わけのわからないことをしでかしたり、喋り続ける男たち、適当に聞き流し、愛想笑いを浮かべ、男たちにさらに金を使わせようとする女たち。

キヨシローの歌にもあった。

♪心も体もお金で売ってる 誰もが
 大人になってみれば 実はみんながそんなことしてる
 だってそれが この世界の仕組みだから
 そうしていつか 疲れ果てて 死んでいくのさ

 でもイイじゃない 人類って それしかできないんだもん
 しょうがないじゃない 人類って すごく弱い動物だもん

 愛が欲しいなんて ただの口癖
( Ruffy Tuffy 口癖)

あぁ、そうなんだよな。まさにそんな感じの光景なんだと気付くんだ。それはそれで、イイんだぜ、全然。俺もついふらふらと一杯行ってしまいそうになる。だけど、それがなんになるのさ?って車の窓から見れば、冷めた目で見えてくる。やはり、一日中走り回ったマシーンの煮えたぎったエンジンのように、本気で、迸るように生きていたいのさ。そこには、生ぬるい空気が流れてる。蕩児になろうとしても、内に秘めた倫理のおかげで蕩児になりきれない自分に、偽善臭さと狭量さを感じて、少しうんざりもするんだがね。

こんな事を書き散らすなんて、きっと俺は疲れているんだ。グデグデだ。もうギリギリだ。なのに仕事のオファーは次から次に入ってくる。もう6月も休みが取れないくらいに仕事が詰まってしまった。俺の本当の人生は、いったいぜんたい何処にあるんだ?これがそうなのか?きっとそうだろう、受け入れようぜ。そうして、フルスロットルで毎日を踏ん張るんだ。
俺は、心も体もお金でやり取りされない、本気の世界を探してる。今はまだその途上だ。少年の日、オフクロが死んだ日から、ずっと探してる。けどまだ見つからない。きっとそこでは、生ぬるいアイドルの歌なんて流れちゃいないだろう、ギリギリと心を締め付けるようなビートが流れ、吹き上げるようなシャウトが響いているだろう。
だが、そんなイノセントワールドは、この地球上にはどこにもないのかもしれない。
かつては、神秘に満ちていた道の大陸には貧乏な人々が淋しい目をして腹を空かせて、いさかっている。精霊の住む森は、すっかり切り払われ、トイレットペーパーにされちまった。そして母なる海は、放射能まみれだ。
天国のお母さん、こんな世界で走り回り、グデグデのクタクタになっている俺は、あなたからはいったいどう見えているのですか?もうあなたの顔も思い出せない俺に、教えてほしいものです。
俺は時折、食料も空気も何もかも必要としない体を手に入れ、孤独に宇宙を彷徨う、いや、虚空に浮かぶ自分の姿を思い浮かべるんだ。そう、鉱物のように、堅固に半永久的に存在するのさ。それはきっと、孤独を感じてる場合じゃない。峻烈なほどに孤独に存在しているんだ。そして、その孤独の境地から、読者の皆様に、ブログを日々書き送ろう。そんなシャブ喰ったようなヴィジョンを、月に一度は思い浮かべるんだ。そうさ、俺の頭の上に、宇宙服を着こんだ俺が浮かんでいるんだ。こんなんじゃ、ホリエモンや内田裕也みたいに豚箱行きになる前に、精神病院に入れられちまうだろうよ!それもまた一興ではあるがね。

Amsterdam きっとこいつは人類よりタフだ。この足を見てみろ
しかし、そんな世界じゃ写真なんか撮れないな。仕方ない、天体写真でも撮るとするか。きっと素晴らしい馬の首星雲だか馬の骨星雲だかが撮れることだろう。ふふふ…、みんな楽しみにしていてくれよ。

結局、お金で買えるものはたかが知れている。しかし、ソウルパワーは、決して金では買えないんだ。俺はそう信じてる。ロックンロールを信じているように信じているんだ。日本人が、結局は天皇を信じているくらい信じている。ほとんど信仰といっていい。そういえばかつて、俺が不良少年だったころ、ブルーハーツのヒロトは『戦闘機が、買えるくらいのはした金などいらない』と歌っていたっけ。

読者の諸君、失礼する。明日は南へ戦線拡大なんだ。今日の仕事をまとめておかなけりゃならないし、何より俺には睡眠が必要なのさ。また、会おう。失礼するぜ。

2011/05/16

Post #185 On The Road #1

俺は高速をブッ飛ばして、男の仕事のフィールドを渡り歩いた。
今日は仕込みだ、偵察だ。尻拭き仕事とはいえ、あまりにずさんな有様に、俺は愕然としたぜ。こんな手抜きの仕事で金をもらっていやがったのか、奴ら。これじゃ詐欺だ、泥棒だ。お客の事を第一に考えないような奴らは、早晩市場から退場を余儀なくされるだろう。
おかげで、俺にしわ寄せが来ちまった。もう五月は一日だって休んでいられないぜ。
糞っ!俺にはプリントしなけりゃならないネガが山盛りだってのに!このままじゃ、ダイヤモンドの原石が、ついに磨かれることなく、石炭のように黒ずんで、やがては干からびてしまうだろう。そう、俺にとってはネガはダイヤモンドの原石で、それを磨き上げるのがプリントなんだ。こんな他人の仕事の尻拭きをしてるような暇は、どう考えてもないだろう?
Amsterdam ママとお買いものかい?
世の中には、仕事よりも大切な事があるのは、厳然とした事実だ。
俺にとっては、それはズバリ道楽だ。

人生という長い道のりを楽しむためには、道楽は手放せないぜ。俺はジジイになっても、ロックンロールを口ずさみながら、写真を好きにとっていくんだ。その毎日こそが俺のOn The Roadなんだぜ。
どうだい、内田裕也みたいな感じでイカすだろう。いつか、女がらみで事件をおこしそうなノリだな。しかし、幸い俺は若い女の子にはさっぱり人気がない。昨日も、結婚式の2次会に行ったら、まるで、マンガに出てくるヒットマンみたいで、野郎どもには大うけ、御嬢さんたちにはさっぱりすっかり敬遠されていたぜ。
みんなマジで、目もあわさない。
おっぱいパブやキャバクラの客引きのアンちゃんたちですら、俺の方は見ないくらいだ。
寂しすぎる。
仕方ない、いつものモジャモジャ頭に、グレンチェックのタイトなスーツ、シャツはピタピタの紫。靴はパイソン柄のピンクで尖ったデザインで、悠然と肩で風をきって夜の街をのし歩くんだからな。そりゃ、堅気の衆には見えないよね。しかし、俺は君たちだけは、本当の俺を知っているとわかっているから、世間にどう見られようと、その辺の小娘にドン引きされようと、気にしないぜ、屁でもないさ。
Amsterdam 木蓮の下で、いい女がタバコを吹かしてるぜ
しかし、ごまかした仕事しかできないような輩には、仕事以上に大切なものなど、手掛けることは許されないだろうし、そもそも、そんなものが自分の人生にあるんだという可能性すら、思い至ることはないだろう。ただ、本能の要求に従って、地を這う虫のように生きるのが関の山だ。水が低いと心に流れていくように、ダラダラと楽な方へ楽な方へと自分を追いやってしまうのだ。

まったくなんてこった!そいつらは、自分自身の中に、とてつもない可能性が、未だ発見されていないウランやダイヤモンドの鉱脈のように眠っていることを、ついに知ることなくその儚い人生を無駄遣いしてしまうのだろうか。
ふふふ…、おもえばそれは哀れなことだ。今、目の前のことに真剣に取り組まないような奴は、自分の人生をどぶに捨てているような奴だぜ。俺の読者には、そんなくだらない奴は一人だっていないことだろう。何といっても、俺のブログを読んでくれているんだからな。俺は君たちとの間に、そう、魂のつながりを感じるぜ。

あぁ、高速の周囲の山々には、野生の藤が鮮やかにして可憐な花を咲かせているぜ。俺は、心地よい春風に吹かれ、野山にひっそりと咲き誇る藤でも見ていたいのに…。なんだか悲しい旅なのさ。

読者諸君、今日は俺の愚痴に突き合わせてスマン!
しかし、男一匹生きていると、たまには愚痴の一つもこぼしたくなる夜があるんだぜ。いつも辛抱強く聞いてくれている連れ合いは、今はいない、俺は旅の空なんだ。しかも、晩飯はコンビニ弁当っていうくらいの侘しさだ。この狭い部屋には、青じそドレッシングの、つんと鼻をつくにおいが充満しているのさ。
それでは諸君、失礼する。明日も飛ばして行くぜ!人生はのんびりしている暇もないってカンジだ。これでドバドバ儲かりゃ文句ないんだけどな…。

2011/05/15

Post #184 Photographica #7

暇だ暇だとぼやいているうちに、やばいことになってきたぜ。そう、仕事だ。仕事の波がやってきちまった。明日からは怒涛の勢いだ。関西方面死のロードだ。毎日車を転がして、見知らぬ街から街へ走り回るのさ。
ごまかした仕事しかできない奴の尻拭きをしに、俺は出かけるのさ。体調もいまいちだと言うのに、ご苦労なこった。しかも、今夜は友人の結婚式の二次会に出なきゃならないようなんだが、これがルーズな奴らの集まりで、未だに場所もはっきり分からねぇと来た。ルーズにもほどがあるってもんだ。お、電話がかかってきたぜ。なにぃ、昨日の場所が違っていた?OK、分かったぜ。19:30だな。急いでブログを作って、明日の仕事の段取りをしないとな…。

さてと、閑話休題だ。

Kabukicho,Tokyo
俺が自分で、写真の個展を開くなら、参考にしたいスタイルがあるんだ。一つは中平卓真が1971年10月10日から16日まで、パリ国際ビエンナーレで行った『サーキュレーション』。中平は連日パリの街で撮影を行い、即現像したプリントを次々と展示していった。今でいう、インスタレーションに近いものだと言えるだろう。

もう一つは、1974年に、東京のシミズで画廊で行われた渡辺克巳写真展『初覗夜大伏魔殿』だ。
この写真展を企画したのは当時カメラ毎日編集部員だった、故・西井一夫だった。西井さんの遺著『20世紀写真論・終章』(青弓社刊)にそのあたりの事を記した件がある。引用してみよう。

『…前略…ナベちゃんの写真をベニヤ板に張り、そのベニヤ板を画廊の床に敷き詰め、壁にも一面写真をくまなく張り巡らし、ついでに、夜の新宿で拾ってきた映画の看板とか、キャバレーのホステスの衣装とかポスターとかも貼り付けて部屋中写真と新宿のごみ箱のようなギトギトにしちゃおうと企画した。ナベちゃんが新宿でしているのと同じ体験を見に来た人にもしてもらおうと、会場では来た人のポートレイト写真を撮り、翌日には会場に展示する、という試みもやり、後日来て自分の写真が気に入った人には代金引き換えに写真を売る、という商売にもした。』
その西井一夫も、渡辺克巳も、とっくにこの世にはいない。


渡辺克巳は、新宿で流しの街頭写真師として活動を始めた写真家だった。流しの写真師とは、今のように誰もがカメラを持っていなかった頃、お客の写真を撮ってプリントし、翌日手札版3枚200円でお客さんに売るという商売だ。渡辺克巳の仕事場は新宿。そのお客は、ヤクザ、トルコ嬢(今でいうソープ嬢だ)、ヌードスタジオのモデル、オカマ、ホステス、芸者、暴走族、パンク、ロッカーそして浮浪者、さらに時代が下るとホスト、コギャルなど新宿の夜に蠢く人々で占められていた。
渡辺克巳は、正直に言って著名な写真家ではないかもしれない。しかし、その写真からは、世間から追われ、新宿という『アジール』に流れ着いた人々を、温かく見つめる視線がある。肩で風を切るチンピラや全身に彫られた刺青を誇示するヤクザモノに対しても、その視線は揺るがない。渡辺自身は、50を超えてから授かった息子さんに『悪い奴はいねぇ、哀しい奴はいる』と語っていたそうだ。
そんな街頭写真師でいつまでも生計が成り立つわけでもなく、写真館経営、焼き芋屋、週刊誌のカメラマンなどさまざまな仕事をしながら、ライフワークとして夜の新宿に集う人々を撮り続けた。

手元に、渡辺克巳の三冊の写真集がある。
渡辺克巳の写真集三冊「Hot dog」、「新宿、インド、新宿」、
「Gangs of Kabukicho」(L→R)
一冊はワイズ出版から2001年に出版された『Hot Dog 新宿1999-2000』
浮浪者、コギャル、飲み屋のママ、ホステス、夜の歌舞伎町に集う人々のスナップとポートレイトで構成されている。もちろんモノクロ。
次いで、New YorkのPPP Editionsから発行された『Gangs Of Kabukicho/歌舞伎町』
先にもあげたようなアウトローたちの肖像で全ページぎっしりみっしりだ。これもモノクロ。
どちらも見ごたえがある。強力な写真集だ。ずらりと居並ぶ半裸のヤクザ者、その肩や胸や背中には極彩色の刺青がビッシリだ。そんな男たちを前にしても、渡辺克巳の写真は揺るがない。オカマ、ホステス、風俗嬢、浮浪者。
これらの写真を見ると、日本がアジアだったことがよくわかるぜ。

そして、もう一冊がポット出版より、2011年4月7日発行の『新宿、インド、新宿』だ。くどいようだが、モノクロだ。ついこの間、インドにいきてぇと騒いでいた頃に買ってきたって言ってたでしょう、アレですよ。アレ。
この写真集には、1960年代から80年ごろにかけての新宿に集う人々、82年のインド撮影旅行の写真、そして84年から2003年にかけての新宿の写真で構成されている。

新宿の写真にも引けを取らないのが、インドを撮った一連の写真だ。インドは圧倒的に貧しいカンジだ。モノクロで、スラムのような風景が展開している。人力車のまわりに集いニタニタ笑っている若者、農婦、侏儒、市場の片隅で眠る赤ん坊。正直言って、日本の感覚からすると悲惨なカンジが漂うが、渡辺は『日本でなくようなことがあってもインドを見てしまえば、なんだなくことはないじゃないかという気がするわけですよ。』とぶっちぎっている。そりゃそうだろうな。

素敵な写真集です。本書の帯に寄せた森山大道の言葉が、渡辺克巳を活写している。
『新宿の夜、いつも渡辺克巳がいた。欲望のスタジアム、大いなる荒野『新宿』のアクチュアリティを写し切った写真家は、ただひとり、渡辺克巳である。』
渡辺克巳と同様に、新宿を写し続けた森山大道にこういわれちゃ、渡辺克巳もあの世でいかつい感じの顔を笑顔で崩しながら、照れていることだろう。
多くの読者諸君が、渡辺克巳を知らないかもしれない。ひょっとしたら、みんなよく知ってるかもしれないけれどな。けど、もし君がどこか社会から自分が浮いているアウトローだと感じているんなら、そう、本屋に向かって犬のように走っていき、渡辺克巳の写真集をゲットするのは間違いじゃないだろう。

読者諸君、失礼する。俺は結婚式の2次会とやらにお出掛けしなくちゃならないんだ。めんどくさいが、仕方がない。しかし、そうはいっても、大騒ぎしてくるだろう。なんてったって、例のホモM社さんも一緒だからね。ふふふ…、困ったもんだぜ。

2011/05/14

Post #183 On the Wall #2

今日は体調がいまいちで、実は医者に行ったりして一日が暮れてしまった。俺の週末が台無しだぜ。ひとつ前の投稿は、病院の待合室で暇を持て余している間に作ったものだ。
しかし、昨日ブログをUPできなかった借りを今日のうちに返しておきたいもんだ。
今日はアムステルダムの壁シリーズ第二弾。ポスターとか、フライヤーとかが貼られた壁だ。
まぁ、体調もいまいちだから、能書きはほどほどにしておこうぜ。

On the Wall, Amsterdam
この写真を撮ったすぐそばにはThe Red Light District、日本語では『赤窓』エリアと呼ばれる一画のすぐそばだ。何とも怪しげなBANANASって店は、どうやらその『赤窓』エリアで営業中らしい。
『赤窓』エリアってのは、要は公認の売春街なんだが、そこのシステムが変わっているんだ。建物には幅90センチ、高さ2メートルほどの窓が並んでいて、その窓の中は小部屋になっている。赤いカーテンがかけられているんだ。そして、その窓の中には、マネキンのようにビキニ姿や、下着にロングブーツといった姿の売春婦のおねーさん、もしくはおばさんが前を通る男たちに微笑みかけているのさ。白人もいれば、黒人も、混血らしき人もいる。SMの女王様っぽい女もいれば、その辺にゐそうな優しそうな小太りの女もいる。若いのも、年食ったのも、太いのも痩せてるのも、いろんなタイプの女が売春している。そして、どんな女か一目瞭然なんで、日本でよくあるように、写真と実物がまるで違ってガックリというトラブルはなさそうだ。
ココは、明確に撮影禁止とされているので、さすがの俺も写真は撮ってないんだ。大麻の吸えるコーヒーショップと並んで、アムステルダムの名物の一つだ。君ももしアムステルダムに行く機会があったなら、行ってみるとイイ。面白いぜ。
On The Wall,Amsterdam
これも、赤窓のすぐそばで撮ったもの。こんなカンジでフライヤーが貼られているぐっちゃぐちゃ感はたまらないもんがあるんで、つい撮ってしまうね。分かるでしょ?解ってほしーね。
では、もう一丁!
On the Wall, Amsterdam
これも同じく。なんだかこんな退廃したような一面がアムステルダムにはあるように感じるぜ。いや、どんな街でも人間がいる限り退廃はあるんだろうが、それがむき出しになっている街だと言いたいわけさ。
OK、今日はこんなところさ。失礼させてもらうぜ。腹が減った。飯を食いに行きたいんだ。
今日のUPで、写真は300枚を超えたんだ。投稿記事の下にあるスライドショーで全部見ることが出来るだろう。読者の諸君、暇を持て余しているのなら、一度じっくり見てくれ。いろんな写真がフラットに展開している。このブログが続いている限り、この写真は増えていくんだ。楽しみにしていておくれ。では、失礼する!

Post #182 Fragment Of Fragments #17

読者諸君、昨日はBloggerの不具合で更新できなかったんだ。今年になって毎日忙しくても更新という目標を自分自身に課していたんだが、どうしようもない。しかし、読者諸君のおかげで、ささやかながら5,000PVを達成することができたんだ。どーもありがとう!これからもどーぞよろしく!
VietNam
とはいえ、昨日は久々に早朝から仕事だったおかげさんで、夜、家に帰って来たときにはふらふらに疲れきっていたんだ。とてもブログなんて作っていられない程、疲れきっていたんだ。倒れそうだ。そう、ある意味好都合だ。こんなんじゃいずれ死んじまうぜ。俺も原子力とかで身体が動くよーな不滅のボディーがほしーぜ。鉄腕アトムみたいでイカすだろう?しこたま水を飲んでメルトダウンを防がないとな。そうすりゃ、痛風や結石の発作もおこりにくいだろうよ。
そう、俺はすっかり夜行性になっているんだ。最近じゃ、どうも午前中はチョーシが悪い。きっと血圧も低いことだろう。ますますゲージュツ家のようだ。明るい太陽たまに見るっていきおいだ。身体を壊して技に磨きがかかるってもんか。クールビズだのサマータイムだの世間は大騒ぎだというのに、困ったもんだ。
今回の震災がおこる少し前に、日本政府が産業界とタッグを組んでベトナムに原子力発電所を売り付けたそうなんだが、ベトナム人もクーラーのガンガン効いた部屋で暮らすようになるのだろうか?
それを彼の国の人々が望んでいるのなら、我々には、そんなの資源が足らなくなるから、ガマンしろよだの、日本の原発は危険だからお止めなさいなんて言う資格はないんだなぁ。まずは、自分たちのムダだらけのセーカツをリストラクションしねーと、そんな一見ごもっともだが、自分たちさえ快適なら他の連中は、どーだっていいんだって偽善まるだしの態度は人としていかがなもんだろうか?
暑い日中だからこそ、日が傾いてきたころ、街を吹き抜ける風は、涼しく感じられ心地よいのさ。たとえその風にブンブン走り回るバイクの排ガス臭が混じっていてもね。
俺はホーチミンの黄昏時を思い出す。
日が暮れ、街に夜が訪れると、メインストリートというメインストリートは二人乗りのバイクで埋まる。凄まじい排ガスと、エンジン音だ。
VietNam
熱気ムンムンだ。しかし、家の中にいても、糞っ垂れな我が国のようにクーラーがガンガン効いてて快適に眠れないんだろう。きっと下らないバラエティーなんてやってないんだろう。
凄い台数のバイクが濁流のように大通りを流れている。とてもソーカイにバイクを飛ばしているとは言い難いぜ。たいていみんなノーヘルだ。しかし、どいつもこいつも、イキイキした顔でバイクを転がしている。
そんな夏の夜の過ごし方も、たまには面白いぜ。とは言え、この世知辛い日本でやったら、スグにヤンキーと間違えられて、お巡りに追いかけられちまうぜ。
読者諸君、また会おう。よい週末を過ごしてくれ。

2011/05/12

Post #181 On the Wall

今年は岡本太郎生誕百年ということで、世間では岡本太郎ブームのようだ。
新宿駅の通路に移転されている『明日の神話』に福島原発の事故を描いた落書き、というよりベニヤ板が付け足されていたってのも、記憶に新しいぜ。
Amsterdam
俺自身、岡本太郎は結構好きで、ご多聞に漏れず、あの有名な『芸術は爆発だ!』ってのにガキの時分にやられちまった口だ。しかし、岡本太郎が極めて知性派の芸術家だったことは、みんな知ってるかな?
岡本太郎は戦前(アフガン戦争じゃないぜ、第二次世界大戦だよ)にパリに渡り、ソルボンヌ大学で民族学をマルセル・モースから学び、哲学者のジョルジュ・バタイユと親友になり、彼の作った秘密結社の重要なメンバーの一人になったりしていたんだ。文化人だな、まったく。
パリでの岡本太郎は、そこそこに評判になっていたようだ。知ってるかい?ロバート・キャパの最初の彼女で、世界初の女性戦場カメラマンだったゲルダ・タローのタローというのは、岡本太郎からとられているんだぜ。
戦前のコスモポリス、文字通り世界の文化の最先端だったパリで岡本太郎の基礎は作られ、世界中から集まった若き芸術家と交流を持っていた。それは、絵画芸術だけじゃなくて、写真家の友人も多かったようだ。
ハンガリー生まれのユダヤ人の写真家ブラッサイも岡本太郎の友人の一人だ。

岡本太郎は、ブラッサイから写真の手ほどきを受けてたんだ。で、カメラマンってのも悪くないと思っていたようだぜ。事実、後に岡本太郎がニコンFを携えて日本中を巡り、撮影した写真は、とても画家の余芸とは思えないダイナミズムがある。太郎が日本に帰るとき、ブラッサイは太郎に愛用の引伸機を贈ってくれたそうだ。それは空襲によって燃え尽きてしまったそうだがね。

手元にあるブラッサイの写真集を見てみよう。霧に包まれたパリの夜景が、ホモセクシャルや娼館の娼婦たちなどの戦前の退廃的な風俗が、パリ市民の穏やかな日常と街並みとが、当時の芸術家や作家の肖像が、モノクロで捉えられている。どれもカッコいい写真だ。影響を受けずにはいられないほどだ。
Amsterdam
そんななかでも、ブラッサイは壁の落書きに執着していた。当時はスプレーなんかないから、釘か何かで石の壁を削った線刻の落書きだ。そんな落書きを、ブラッサイはこまめに撮影していたようだ。
別にブラッサイを気取るわけではないけれど、壁の落書きは、いつも見かけると撮ってしまう。日本の落書きは、ヒップホップ調のものがほとんどだけど、ヨーロッパに行くとさまざまなスタイルの落書きを見ることができるんだ。面白いもんだぜ。
もちろんヒップホップ調のものも多い。パリのメトロのトンネルの中は、いったいぜんたい、いつどうやって書いたのか分からないけれど、そんな落書きだらけだ。轢かれちまうぜ、まったく。
壁の落書きとか、べたべたと貼られたポスターを見ると、街が生きているのが感じられるんだ。だからいつも、見かけるたびについ撮ってしまうんだ。
落書きや何度もなんども貼ったり剥がされたりして、まるで地層のように成り果てたポスターは、俺にとってはサイコーのご馳走だ。
そう、あまり小奇麗な町では息がつまって仕方ないぜ。人の気配が感じられないのさ。神は細部に宿るっていうだろう。そんなディテールが人の住む町には必要なんだ。ガラス張りのビルとゴミひとつない街路じゃ、写真をとってもなんだか味気ないものさ。とはいえ、自分の家の壁に落書きされるのはゴメン蒙るがね。

OK、読者諸君。今日はこのくらいにしておこう。今夜は久々にお仕事なんでね。いつまでも遊んでばかりはいられないのさ。

2011/05/11

Post #180 雨の日の来訪者

今日も一日、激しい雨が降っているぜ。何といっても台風一号らしいからな。今年はおかしな天候が続くぜ。幸か不幸かこの雨の中、仕事の気配もない。電話もならなけりゃ、Eメールも来ない。仕方ないな、今日もプリント三昧だ。家から出ずに引きこもってやるさ。こんな雨の中、俺を訪ねてくるのは、カエルくらいだ。
では親愛なる読者諸君、お贈りしよう!彼が僕の友人、トノサマガエルだ。どうぞよろしく!
My Friend, My House
そんなこんなで、今日も今日とて、相も変わらずアムステルダム。
フィルム1本半、27カット出来上がり。
アムステルダムシリーズ、一体いつまで続くのか?先は長い。この後、ブリュッセルも、パリもある。ヘルシンキだってある。去年のトルコだって、まだ残ってる。どれも力作ぞろいだ、ネガを見る限り。俺はいつも未だ見ぬ自分の写真を夢想する。道は遠い。母を訪ねて三千里か、はたまた目指すはガンダーラか?それぐらい遠い。一日も早く仕上げて、一枚でも多く、君たちにお見せしたい。見せびらかしたい。面白がってもらったり、下手ッぴだなと呆れられたり、時には感心してもらったりしたいんだ!
そう、なんてったって写真は一人で見ていてもつまらないもんだからね。君の声をききたいもんだぜ。(あ~M社さんは、ほどほどにしてもらって構わないから)
だから、もっとプリントしたかったけれど、印画紙が無くなった。現像液は疲労しきった。もう限界だ、もうギリギリだ。連れ合いも帰ってきた。早く片付けないと叱られちまうぜ!仕方ない、今日はこれくらいで勘弁しておこう。人生は長いんだ、楽しみはとっておくのも悪い事じゃないんだろう。

てなわけで、昨日のプリントから行ってみようか?

Amsterdam
まぁ、写真のセックス・ピストルズたる偏奇郎のこの俺も、たまにはこういうフツーな写真も撮るんだぜ。というか、船は結構好きなモチーフで、昔からつい撮ってしまうんだが…。あぁそうそう、ご存じない方のために言っておこう、アムステルダム旧市街は運河の街なんだ。縦横無尽に運河が張り巡らされている。だから、そこいらじゅうに船を見かけるんだ。船に住んでいるような奴だっている。この街には、蜘蛛の巣みたいな感じで運河が設けられているんだ。つまり、車にはあまり向いていない街なんだ。まぁ、道幅も狭いしね。人々はたいてい自転車で移動しているみたいだぜ。

OK、調子に乗ってもう一発行ってみよう!
Amsterdam
実は俺は、こんなグルーミーなカンジの空が好きなんだ。なんだか、写真に物語性が付与されるよーな気がするのさ。なんだか怪しい鳥とか飛んできそうな気配がしてくるだろう。

OK、今日はあっさりとこんなところさ。一日家から一歩も出ずに無心にプリントしていると、あまりなにも考えないからな。これといって言うべきこともないってカンジだ。ホントはいろいろイロイロあるんだけれど、ふふふ…、かまやしねぇぜ、何が起こってもカエルの面に小便ってカンジさ。

読者諸君、失礼させてもらうぜ。明日は雑事がてんこ盛りなんだ。とっとと風呂に入って寝なけりゃ、明日の男の雑事に差し支えるぜ。こんな激しい雨の日には、家の中に引きこもって、心静かに読書をしたり、カエルの声でも聴いていたいもんなんだがな。

2011/05/10

Post #179 降り止まない雨の中、俺はブルースを抱えているのさ

思いっきり暇でござる。
5月に入ってから、仕事はぴたりと止んだぜ。すっきりするほど思いっきり暇だ。しかも、激しい雨が降ってるぜ。こっちはやむ気配なしだ。家の近所じゃカエルがケロケロ鳴いているぜ。まぁ、こんな日に仕事がなくて、ほっとしたといえばほっとするな。
あんまり暇で、時間を持て余すくらいだ。仕方ないな、今日は心置きなくプリントするか。
例によってアムステルダム、フィルム一本半、21カット。出来はまぁこんなもんかな。
今日お見せしようかとも思ったが、水洗した後、まだ乾かないんだ。だから、今日はお預けさせてもらうぜ。悪しからずだ。仕方ないさ、洗濯ものだって乾いてないんだから。
Shinjuku,Tokyo
ホントのところは、いろいろとあるんだけれど、ここで言っても仕方ない事ばかりだ。しかし、つい指が動いてしまうぜ。困ったなぁ…。俺の取引先の人間が、たまたま見ちまったら、ヤバイな…。
しかし、しかしだ、このリスキーなカンジがロックンロールな香りがしないかね。ふふふ…、仕方ないな。このまま行っとくか。
世間はデフレだ。すっと続いてる。インフレも大変だが、デフレも大変だ。おかげさんで、いろいろと驚くことばかりだ。しかし、安けりゃいいのか?いや、俺たちはいつの間にか、安かろう悪かろうじゃなくて、安くて高品質を求めるようになってしまったんだ。値段が上がっていくのは、ガソリンと税金くらいだぜ。
俺はどっかで、世界最高の品質、世界最強の価格競争力って話を聞いて、椅子からずっこけるほどびっくりしたぜ!なんてたって、世界最高のものを世界最低価格で買おうってんだからな、虫がイイにも程があるとは思わないかい?こんな事を抜けしゃぁしゃぁと放言する奴らが、この世間をまかり通っているんだ。そいつは結構なことだ。モノの値段も下がっていくことだろうよ、もう一回言わせてもらおう、結構なこった。それでみんなが丸く収まるのなら、こんな結構なことはないぜ、笑いが止まらないぜ。
しかし、どこかで誰かにそのシワ寄せが行ってることだろう。間違いないぜ。下請けの、あ~、最近は協力会社って持って回った言い方をしてるな、そうその値下げ協力会社の皆さんのキューリョーが削られているに違いない。ひょっとしたら、中国からやってきた研修生と呼ばれる人々が、とんでもない安値で働かされているかもしれない。それどころか、俺たちが手にするものは、ラベルだけがご立派な粗悪品かもしれないぜ。仕方ないだろう、安いんだからな。
OK、こうして安い金で働かされた俺達は、これまた安いものを買いたがるのさ。一円でも安くね。その挙句、世間はくるくる持ち回りで、またまた俺達の実入りは減っていくんだ。
仕方ねーだろう、それが世の中の仕組みだ。つまりはデフレスパイラルだ。

呆れるぜ。呆れてものも言えねーのさ。

俺自身は、モノの値段には正当な対価が支払われるべきだと思ってるんだ。つまりは等価交換だ。ふふふ…、鋼の錬金術師か、はたまたパチンコか。しかし、この社会は鵜の目鷹の目だ。少しでも安い金で自分の欲しいものを手に入れようとする。それは悪い事とは言い切れないけれど、ほどほどってもんがあるだろう。
安い金で、いいものを手に入れることなんか、本当は出来っこないのさ。安い安いと浮かれていると、腹をくだして血を流し続けて、死んじまうような目に合うに違いないぜ。
Shibuya,Tokyo
昔のカメラなんかも、家が一軒買えるほど高価だったそうだぜ。その頃のカメラは半世紀以上たっても、モノとしての存在感がビンビン放射されているのがわかるぜ。クロームメッキの厚さが半端じゃない。そんなのを見ると、つい欲しくなったりするぜ。たまらん物神性だ。まぁ、小遣いが無いから、そもそも買う気遣いもないけれどな。

ああ、そうだ。今いい言葉を思い出したぜ。『安物買いの銭失い』って奴だ。

読者諸君、失礼する。ココでは言えないモヤモヤ、つまりはブルースを抱えながら、明日もプリントするぜ、雨の音を聴きながらね。

2011/05/09

Post #178 Sexual Desire #6

なんだか、blogger の調子が悪くてPCから投稿できなくなってしまったぜ。まいったなぁ、なんとかならないもんですかねぇ?
しかも、男の仕事で現場に来てみりゃ、時間を一時間間違えてて、真っ暗な駐車場で暇をもて余しているんだ。仕方ない。スマートフォンでブログでも作るか?しかしですな、携帯にはたいして写真を入れてないんだなぁ。てことで、久々に評判の悪いSexual Desire シリーズでもいってみますかね。

女性の方には、いささか不愉快な写真かもしれないので、先に断っておくぜ。品性下劣でモーし訳ありません。
On The TV
兵庫県の日本海側は、神戸とかからイメージする兵庫県とは全く違う。俺が何度か仕事で通ったのは、国道9号線が山また山を縫って走るうらさびれた町々だった。もう何年も前の話だ。冬ともなると、この辺りでは、一晩で膝くらいの高さまで雪が積もる。現場につくとまずは車を停めるスペースを雪かきしてつくらなけりゃならない程だ。さすがに関西圏ではそこいらは定番のスキー場とされているだけあるぜ。
仕事が終わったからといって、羽目を外すような場所もない。それどころか、ケーヒ節減とやらで素泊まりで宿をとっていると、晩飯にありつくのも一苦労だった。
あるのは、関西圏最大級と銘打ったエロビデオ屋と峠にポツンと作られたトタンで出来たエロ自販機ばかりだ。人間、どこにいっても暇をもて余すとこれかよってカンジだ。
たまたま泊まった宿の部屋、有料アダルト番組のチューナーが壊れていた。フツーは壊れると見れないてのが相場なんだが、この宿のチューナーは、無料でアダルト番組が見放題だった。
外は寒い。しかも、真っ暗な闇夜だ。時おり見えるネオンは、場末の飲み屋のもんだろうか?とっくに盛りを過ぎ去った婆さんが、とんでもない化粧をして、カウンターの中におさまっているに違いない。ひょっとしたら、田舎ヤンキー候な子娘もいるかも知れないな。
そんなところで、銭を棄てるくらいなら、部屋でアダルト番組でも見てみるか?てなカンジだったぜ。なにせタダだしな。
う~む、これはこれで退屈なもんだな。
On the TV
あんまり退屈だったんで、写真をとってみたぜ。
モノクロでプリントすると、何がなんだかよく分かんないが、やたらと淫靡な味わいだ。TVの画面に映っているモノのほうが、実際の女性よりも淫靡なカンジだな。しかも、プリントすると妙なリアリティーが感じられそうだ。

読者諸君、今日はこんなところで失礼するぜ。なんせ今から仕事だからな。bloggerのチョーシがよくなっていたら、また明日会おう。