2011/05/02

Post #171 5月2日は、俺には特別な日さ

連休中日、残っている仕事などさほどあろうはずもなく、銀行に行ったり、取引先に何件か電話をしたりして、俺の半日は過ぎていったぜ。そんな中、出勤していた俺の連れ合いからメールが入ってきた。『ビン・ラディンがアメリカに殺されたらしいよ。また世界が動く』
40分もの銃撃戦の末に殺され、遺体は何処の国も引き受けを拒んだため、海に葬られたという。無残な話だ。まぁ、墓地があれば、そこが新たな聖地になってしまう可能性があるから、仕方ないだろうが…。
おもえば、あの9.11の時も、俺は仕事中に落とした家の鍵を探しに、晩飯を食ってから何十キロも離れた町に出かけていた。で、飛行機がビルに突っ込んでいるって電話を連れ合いからもらって、お前、なんか変な映画でも見てんだろうって呑気に言っていたっけ。あれからもう10年近く過ぎたのか。早いものだ。
Amsterdam
しかし、今日がビン・ラディンの命日になったところで、何ほどの事もない。俺にとってはね。
殺し殺される憎しみの連鎖がまたつながるのだろうか。それを想うと何ともやりきれない気分になるが、そういえば『ナルト』でもそんな話があったな。
また、こんな事を書くと、きっと世間様から平和ボケした日本人扱いされてしまうが、なぁに構うもんか、平和ボケしていられることは、実に幸せなことなんだぜ。

いやいや、今日は俺にとって特別な日なんだ。なんせ今日は、忌野清志郎の命日だからな。

俺はあの時、親戚のおじさんが死んでしまったような、寂しいような、胸にぽっかりと穴の開いたような気分になったっけ。当時はまだ会社員だったから、暑くなるまでずっと、バーバリーで買った黒いネクタイしかしていかなかったな。今でもそのネクタイは法事なんかには重宝してるぜ。そして3か月くらいは、キヨシローの曲しか聴かなかったもんだ。おかげで連れ合いにはうんざりされるし、仕事仲間もヘキエキしていたもんさ。なぁに、かまやしないぜ。それが人生さ、ロックンロールさ。

ガキの頃から俺をかわいがってくれた叔父さん二人と、RCサクセションのライブを見に行った中学1年生のあの熱い夏の日から、すっかり不良中年に逞しく成長した今日まで、忘れたことなんかなかったぜ。世間のジョーシキを疑ってみたり、茶化してみたり、真正面から喧嘩を売ってみたりするのも、キヨシローから学んだことだ。ホントーの自分の気持ちを、いつも使っているフツーの言葉で表現することの大切さを教えてくれたのも、キヨシローだ。自分のオヤジから学んだことよりも、キヨシローに学んだことの方がずっと多いぜ。
Amsterdam
今日はキヨシローの『ガラクタ』って曲を聴いていた。自分を潰そうとする奴らを挑発し、そんなに簡単には、自分たちは潰されないと叫び、そして自分を潰そうとするやつらが、ガラクタだから無理だって歌い上げるのさ。会社で四面楚歌な状況に置かれていた頃、何度口ずさんだことだろう。
ざまみろ!俺は自分の足でしっかり立って歩いていくぜ。俺と奴らは決定的に違うんだ。心の中にロックンロールが響いていない奴に、ロックンロールを信じていない奴に、俺が負ける訳ねぇよなって思っていたぜ。挙句の果てに、会社を辞めて独立したのも、キヨシローの『ロックで独立する方法』という本を読んだからだ。
俺はロックンロールを杖にして、人生を這いずってここまで来たのさ。で、キヨシローは俺にとって、グルだったのさ。ロックンロール・グルさ。
しかし、キヨシローはもういない。ついでに言うと、ビン・ラディンもいない。ビン・ラディンがこの世からいなくなったからって、イスラム原理主義者のテロが無くなるわけじゃ無いように、キヨシローがいなくなっても、俺が自分のやり方を変えるわけがないだろ。それに今更世間様のお気に召すように改心したって遅いのさ。
キヨシローは、実は中年になってからのほうがカッコいい。若いころの力みが抜けて、スゲーことも過激なことも、そらよってノリで飄々とやって見せた。実際はインディーズからも発売中止になったりして、やることなすこと悪戦苦闘だったとしても、楽しんでやっているように見せてくれた。カッコいい大人だぜ。出来ることなら、若い奴らから、そんな素敵なおっさんに思ってもらえるようになりたいもんだぜ。

そうして、俺はキヨシローの歌を心に響かせながら、本日24枚プリント。フィルム1本半。俺の道楽はまだまだ終わらないのさ。
それでは読者諸君、また会おう。明日は親戚の小僧の6歳の誕生日だからな、顔を出してやるのさ。いい意味で手に負えない奴に育ってほしいもんだぜ。

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