2011/06/30

Post #229 2011年 日本の旅

はやいモノだ、今日で6月も終わりだ。今年も半分終わったってことだ。
すごいスピードだ。まさに光陰矢のごとしだ。ボケボケしていると、何にもせずにまた一つ歳を食っちまうぜ。歳を食うってのは、その分墓場に近づいていくってことだろう。嫌になっちまうぜ。

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金が欲しくて滑車を回すリスのように働いて、気が付いたらこんな歳だ。いつもいつも、車に乗って、この狭い日本を西に東に走り回っているのさ。特に今年は出張が多い。まさに2011年日本の旅さ。そうこうしながら、財布の中の残りの金を気にするように、けちけちと日を惜しみながら生きていくのさ。何しろ俺の人生、まだやりたいことが山盛りてんこ盛りだからな。
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まず第一に、溜まりに溜まったネガの山からしこたまプリントを作らないとな。この出張が終わったら、じっくり腰を据えてやってみるかな。とはいえ、来月もなんだか仕事のオファーがガンガン入りそうな気がするんだ。
ホテル暮らしは、日中暇だから、ここでプリントが出来れば、文句ないんだが…、機材や薬品を運んでいたら、肝心の仕事の機材が運べないんだ。世の中そんなにうまくいかないってことさ。仕方なく、暇潰しにキューブリックの名作、毎度おなじみの『2001年宇宙の旅』のDVDを中古で買って、みてる始末さ。やっぱり面白いぜ。
初めて見た中学生の頃、2001年は夢の未来だった。気が付けば、2011年も半分終わってる。俺の人生も半分以上終わってるってことだろう。気が滅入る事だけど、それでしょげてるわけにはいかない。マンガの神様・手塚治虫は『自分の寿命はあと残り10年だと思って、毎日マンガを描いている』と語っていたそうだからな。そんな覚悟で毎日を全力投球で生きていたいもんだ。

数少ない我が読者諸君、そんな事を書くと、こんなブログを読んでいることこそ、人生の無駄使いって呆れられてしまうかもしれないな。うむ、まいったぜ。まいったところで、ここらで失礼させていただくぜ。今夜も仕事が待っているんだ。そう、なんだかんだ言って、この資本主義の世の中じゃ、働かないとイケないのさ。

2011/06/29

Post #228 Suburbs

昨日から、一週間ほどの予定で、富士山にほど近い小さな町に仕事で来ているんだ。
相も変わらず、仕事は夜だ。そう、俺は夜の男なんだ。夜のほうが調子がイイんだ。とはいえ、富士山に近いだけあって、夜灯りをつけて仕事をしていると、大小さまざまな虫が飛来してくる。たまらないぜ。カブトムシとか来てくれればよさそうなもんだが、世の中、そんな風にはいかない。大方は蛾だ。中には手のひらくらいの大きさで、透き通った緑色の羽をした奴もいる。美しいのか薄気味悪いのか…、判断に窮するところだ。

例によって昼間は開いているので、とりあえず様子見ってことで車で街を流してみた。
どこも同じだ。日本の地方の町は、どこに行っても似たようなもんだ。
駅前はなんだかやたらと小奇麗に整備されている。駅から続く商店街はインターロッキングで舗装されていて、これまた小奇麗だ。さぞかし建築関係の会社が儲かったことだろう。
しかし、肝心の商店街は寂れきっている。小奇麗な商店街には、人影はまばらだ。それどころか小奇麗な通りから一本筋が違うだけで、昭和がそのまま風化してしまったような有様だ。言っちゃ悪いが、小奇麗どころか小汚いぜ。言葉を取り繕っても、味があるとか、侘びさびだ。もちろん好きでやっているわけではないだろう。当然だ。
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しかし、地方では人々は車に乗って、国道沿いのショッピングセンターに行ってしまう。駅前の商店街では、人の姿が無くなり、軽自動社ばかりがあっちこっちしている。こうして町は、何時しか活気が無くなり、魅力を失い、寂れていってしまうんだろう。
日本が衰退していることがよくわかる。
人間がそこにいないんだ。
産業が無いから、人間がいつかないんだ。
人口も減ってきているそうだしな。いつしか、ゴーストタウンみたいな町がそこいらじゅうに出来ちまうことだろう。
いい事なのか、悪い事なのか、俺には判断するだけの見識はない。
ただ、自ずからそんな街で写真を撮ると、寂れた街角、崩れかけたビルの隙間、年老いた人々、そんな寂しい写真になってしまうんだ。日本中、どこに行ってもそんな写真しか撮れないのなら、ちょいとつまらないなってことだ。

いっそ中平卓馬のように、毎日同じ場所で写真を撮っても、ココは初めての場所だねぇなんて思えるのなら、まんざら悪い事でもないだろう。しかし、これでいいのかなぁ?
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いっそ、考え方を変えてみようかな?
日本の地方の町だと思うからつまらないんであって、これが地球の果てまで、そう、地球を一周するほど突き進んだ世界の涯にある、名も知らぬ国の、名もない町だと思えば、写真も変わってくるかもしれないぜ。
自分自身の日本人の目や耳を捨てて、この国にはじめてきた旅行者のような目で、この日本中にごまんとある寂れた町々を撮ってみるってのも、面白いかもしれないな。
そうと決まれば、明日は日中、ぶらりと歩いて写真でも撮ってみるとするか。

読者諸君、失礼するぜ。そろそろ晩飯を食って、男の仕事に出撃しなけりゃならないんだ。御機嫌よう。

2011/06/28

Post #227 Photographica #9

今日から俺は出張なんだ。高速に乗って東へ向かうんだ。放射能が心配だが、構っちゃいられないさ。涼しい山の中で、毎日夜間作業だ。イタチなんかに出くわしちまうかもしれないな。楽しみなこった。
そんなわけで、今日は朝も早くから更新しておこう。ずいぶん前に買ったと言っていた、中平卓馬の写真集『Documentary』(Akio Nagasawa Publishing刊)だ。

中平卓馬『Documentary』Akio Nagasawa Publishing刊

写真を撮る人間にとって、いや、他人の考えはよくわからないから、ココは謙虚に、俺にとって中平卓馬は、写真の極北であり、2001年宇宙の旅で、絶滅の危機に瀕した類人猿の前に顕れて、その進化を促したモノリスのように、謎めいた、そして無視することのできない写真家だ。

この写真集をめくってみよう。カモ、ヤギ、コイ、カメ、芍薬やツツジ、ハイビスカスなどの花々、樹木、看板(それは文字が書いてはあるが、そこから中平のメッセージを読み取ることは難しい)、そして何より数ページおきに登場する、眠る男たち。
それらすべてのモチーフが明るい日差しのもと、一点の曇りもなく、映し出されている。
一点の曇りもなく、Canon F-1に105㎜のレンズで、しっかりと写し取られている。
一点の曇りもなく、写し取られているがゆえに、一つの問いが浮かんでは消えない。
一体これは、何なのだ?
何故、彼はこれを写真に撮り、私たちの前に提示しているのか?
この写真には、どんな意味があるというのか?

中平卓馬が日々の生活の中で、写真を撮影しているドキュメンタリーを見たことがある。NHKで放送されていたものなので、読者諸君の中には、御覧になったことのある方も多い事だろう。
中平は、ほぼ毎日、雨が降っていない限りは、朝食を食べ上げると、帽子をかぶり、愛用のCanon F-1(これは彼の扱いが雑なので、しばしば壊れて、新しい中古品?と入れ替わるそうだ)をぶら下げて、撮影に出ていく。彼は家の近所を自転車でめぐり、河原でカメやヘビを撮り、公園で眠っている浮浪者を撮る。その時、彼は用心深くカメラを構え、左手でレンズのピントを合わせながら、音もなく被写体に近寄り、シャッターをきった途端に、カメラを小脇に引き寄せて、隠すようにして身をひるがえす。まるで、何かを盗み取った者のように。そして、その顔には、満面の笑みがあふれている。
中平卓馬は、毎日決まって同じ場所で撮影していても、ふと『ここは初めての場所だねぇ』とか言ったりする不思議な人だそうだ。マンネリでも、飽きなきゃいいとはこの事だ。自分で忘れている?んだから最強だ。

中平が使用するのはリバーサルフィルムで、彼の部屋には、無数のリバーサルマウントが散らばっている。彼は撮影から戻ると、その無数のリバーサルマウントの中から、任意の2枚を選び出し、ライトボックスの上で、組み合わせを考えている。見開きに一枚づつ、どのように配置するのかを注意深く検討しているようだ。

俺はそんな中平卓馬の姿を見ていると、世界の秘密を掠め取り、それを再構成しようとしているように感じる。中平の写真が他と隔絶しているのは、その写真の一枚一枚が、私たち自身が写真、さらに言うなればイメージ(今日では画像はイメージと称されることが多いね)に対して抱いているコードを完全に無視しているという点だろう。
つまり、写真には、意味がある、というコードだ。さらに言えば、私たちが目にする写真は、何らかの主観によって選び出され、それを視る者に対して何らかのメッセージを含んでいる。あるいは、視る者の中にあるイメージを喚起する触媒のような力を持っている。詩的に言うならば、一枚の写真の中には、何らかの『喩』が潜んでいると言っても過言ではないだろう。
この『喩』によって、喚起されうるものが多ければ多いほど、それは視る者に何かを与える写真として成立しうるだろう。女性が写った写真が、男性にとって、性的な行為の喩を孕んでいるようにだ。

しかし、中平はかつて『世界、事物の擬人化、世界への人間の投影を徹底して排除』するト語っていた写真家だ。その言葉から今日の彼の立ち位置まで、昏倒と記憶喪失、そしてそれに伴う一時的な全言語喪失というイベントが横たわってはいるのだが、かつて悩める写真家中平卓馬が目指した境地に、彼は今、立っているのだろう。

あらゆる『喩』から、解き放たれた、見たままの世界。それはもう一歩で、名前という最後の喩(或いは事物にかけられた呪)からも被写体を解き放ちそうなほどだ。
明るく、何も含むところがない、世界の断片そのもの。
そこには、かつてそれがカメラの前にあったということしか、意味しない。(いや中平卓馬自身としてはあるのかもしれないけど…。なんてったって、森山神社って看板を撮って、これが森山大道、東照院とかいうお寺の表札を撮って、これが東松照明とかいうくらいの人だからねぇ。けど、そんなのダジャレみたいなの、分かんないでしょう?突っ込み不能だもん)
決定的瞬間や、風呂屋のタイル絵のような類型的な美しさは、どこにもない。
あらゆるイメージを排して、格物致知、つまりモノに即して知るに至るという経験を、視る者に迫る。

そういう意味で、凄い写真家だし、素晴らしい写真集だ。まさに、中平卓馬が触れた世界の『ドキュメント』そのものに他ならない。

かつて、俺は一度だけ中平卓馬に会ったことがある。
この時彼はすこぶる上機嫌で、横浜の駅前でペルー人のバンドが『コンドルが飛んでいく』を演奏していた時、東京外国語大学スペイン語学科卒の自分が、その歌詞を日本語に訳してあげたら、道行く人々は深く感動して、バンドに対してたくさんのお金を投げてよこしたと、現実とも虚構ともつかない話を繰り返ししていた。(中平自身は一度ウケると何度でもその話をするらしい)
中平卓馬その人こそ、写真という空をはるかかなたに飛んでいく、コンドルのような男なのかもしれない。少なくとも、俺は嬉しそうにその話をし続ける中平卓馬の顔を思い出しては、そう思わずにはいられない。いられないんだ。

読者諸君、また会おう。今日は忙しいんだ。出張に行く前に、銀行に行って税金を払ったり、請求書を送ったりしなけりゃならないんだ。こう見えて俺も小忙しい男なのさ。失礼するぜ。

2011/06/27

Post #226 たまには写真やカメラについて話そうかな#6

俺は、ツァイス信者、いやむしろコンタックス信者なんだろう。
コンタックスは、現行のカメラとしてはすでに無い。かつて、35㎜カメラの勃興期に、ライカと覇権を競った名ブランドなのだが、残念なことだ。
以前にも触れたイコンタやコンタックスⅢa、あるいは京セラコンタックスのAFレンジファインダーG2。他にもまだ本項目で触れていない、コンタレックスやレンズシャッター一眼レフのコンタフレックスなど、ツァイス系のレンズ、そして独特な存在感のあるボディーを愛好してきたんだ。
これらのカメラは、どれも癖がある。あるいはとんでもなく重かったりする。それはそれぞれのカメラが開発された時点で、望みうる最高のスペックを追求した結果、操作は複雑になり、複雑な機構を支える部品点数の多さゆえに、ズシリとした重みを持ってしまったと言えるだろうな。
しかし、そんなところがツァイス系のカメラの魅力だ。
決して素直に手になじまない。使いこなすのに熟練を要する。玄人好みなカメラだ。

玄人好みのコンタックス一族の中で、最も人々に受け入れられたカメラは、間違いなく高級コンパクトカメラの代表選手、T2だろう。
あれは売れた。ロングセラーだった。チタン外装に秀逸な描写のゾナー38㎜ f2.8搭載。コンパクトカメラとしては、かなり高額だったはずだが、バンバン売れた。京セラカメラ部門のドル箱だったことだろう。今でも中古カメラ屋に行けば、T2はごろごろしている。兵どもが夢のあとだ。時代はすっかり移り変わってしまった。今やコンパクトなカメラはデジカメで、大概のコンパクトデジカメは単なる消耗品だ。そこには、どうしても手が伸びてしまうようなオーラは、何が何でも所有したくなるような物神性は微塵もないんだ。少なくとも、俺にとってはあれは仕事用の消耗品だ。何年か使用しているうちにダメになって買い替える電動工具なんかと同じ、消耗品だ。

さて、この爆発的なヒット商品だったT2の後継機種こそ、俺が最も多用するカメラ、コンタックスT3だ。21世紀初頭2001年発売。当時の低下は98000円だそーだ。ちなみに、俺の持ってる70周年記念モデルは118,000円ってプライスタグが入っている。驚きだ。まぁいい、百聞は一見に如かず。まずはその写真を見てやってほしい。
CONTAX T3 左は通常版、右は70周年記念モデル
俺の使っているT3は2台。いずれもブラックだ。写真右の70周年記念モデルは、珍しく新品で購入したカメラだ。左は通常版。こいつにはDate機能付きの裏蓋がついている。いわゆるデータバックだ。デジカメしか触ったことのない若者ために言えば、この機能は、フィルムの縁に、撮影した日時を写し込むための装置なんだ。これは記念モデルを修理に出した時に、カメラが無いと困るので中古の美品を購入したんだ。だから、まず使うことのないデータバックがついているわけだ。
しかし、記念モデルが修理から帰ってくるとともに、記念モデルはリバーサル専用、通常モデルはモノクロ専用として、2台を2丁拳銃のようにベルトにぶら下げて、写真を撮って歩き回ることになったぜ。我ながらご苦労さんなことだ。
2台ともかつては美品だったんだが、今じゃすっかり手ずれして、見る影もない。記念モデルに至っては、落っことした時にチタン外装のパネルに、えくぼというか傷が入っちまったんだが、修理すると、この記念ロゴが消えてしまうと言われ、そのままだ。なに、外装が凹んでいたって、写真には何らカンケーのないこった。問題ないぜ。俺はコレクターじゃないんだ。
ズイブンと使い込んでいるのさ。
レンズはCarl Zeissの銘玉Sonnar 35mm f2.8。
このゾナーって玉は、間違いなくカールツァイスを代表する名レンズだろう。古くはレンジファインダーコンタックスに装備されていたSonnar 50mm f1.5とかね。
そもそもこのT3の先輩格T2 に搭載されていたSonnar 38mm f2.8も、コントラストや解像度が高い素晴らしいレンズだという評判だったそうだが、このT3の35㎜は、コントラストも解像度も、38㎜のさらに上を生き、絞り開放から素晴らしい結像性能を発揮すると評価されたゐる銘レンズだ。
しかも、これが38㎜だったら、買わなかったろうな。かつて東松照明だったかな、一本だけレンズを選ぶとすれば、何ミリの玉を選ぶかという質問に対して、35㎜と答えたという話を聞いたことがある。別に東松照明を気取るつもりはサラサラないけれど、俺にとってはT2の38㎜ではビミョウに標準より過ぎる。この焦点距離3㎜の違いってのは、実際に写真を撮ってみれば、非常に大きな違いだと感じることが出来るだろう.
それに対して28㎜では広角寄りすぎる。よほど近くによらないと、被写体はちんまりとしてしまう。
だから、ストリートのスナップ撮影に最適な距離感とは、35㎜レンズにありだと俺は思っている。
このブログに掲載している俺の写真のほとんどは、このT3で撮影したものだ。
一眼レフなんかで、街のスナップは出来ない。いや、やってできないことはないけれど、まず持ち運びに疲れてしまうし、余り写真を撮っていると悟られたくない時に、一眼レフはマズイ。目立ちすぎる。万一のために、逃げ足か腕っぷしを強化しておく必要が生じるぜ。いや、一眼レフだと逃げるにしても闘うにしても、邪魔か?
ライカや俺の愛用のG2、もしくはヘキサーRFなんかのレンジファインダーが理想なんだけれど、俺は写真を撮るのに、時と場所を選ばない。遠慮しない。となると、コンパクトカメラで、優秀なレンズが付いたものを選択するのがベストだろう。実際、はじめてこのT3を手にしたとき、俺は自分の写真が変わるという予感がしたもんだ。
手放すなんてできっこないぜ。
HomeTown
このT3、シャッターはもちろんレンズシャッターだけれど、絞り開放時で最高速度は500分の一秒、そして絞ると1200分の一秒まで行ける高性能だ。絞りはf2.8からf16まで。シャッターボタン(これがまた作りと手触り異様に良しの人工多結晶サファイア製、たまらん。)の脇に設けられたダイヤルで絞りを調整することができる絞り優先AEだ。ついでにP表示のプログラムAEもありだ。
AF(アナルファックではない、もちろんオートフォーカスだ)はT2は赤外線アクティブ方式だったが、T3はパッシブ方式に変わって一段と合焦精度が向上している。
ファインダー倍率は0.5倍。視野率は85%。ファインダーカバーガラスは、サファイアガラスを採用。とはいえ、俺ほとんどファインダー見ないから、まぁ関係ないか。
何といっても、このボディーの大きさ、いや小ささだ。W105mm ×H 63mm ×D30.5mm、230g。写真を撮り終われば、手のひらにすっぽりと収まる。というより、鷲掴みして持つと、まったく目立たない。シャッター音も静かで、これ以上はないスナップカメラだ。
名古屋の老舗カメラ店の松屋の社長は、以前会った際に、ベルギーの世界遺産ブルージュに行くと言っていたが、その時持っていくカメラは表向きはライカなんだが、このT3も必ず持っていくと言っていたっけな。まさに通好みのカメラだ。
これ以外には、俺のメインカメラは無い。35mmの距離感も画角も、全て自分の身体に沁みついている。もはや、自分の目の延長だ。チタン外装の醸す程よい硬さも、手になじんでいる。
さて、今日で今までの仕事もけりがついた。明日からは静岡方面に出張するんだ。明日の昼には、俺の車も車検から帰ってくるだろう。俺は高速道路をブッ飛ばして、また旅に出るんだ。とはいえ、仕事だけれどね。もちろん、このT3を持っていくのさ。どこに行くにも、このT3が一緒なのさ。これが手元にないと、どうにも落ち着かない俺なのさ。ギタリストのギブソンや、ルパン三世のワルサーP38みたいなもんだ。
そうだ、明日から出張なんだ、こうしちゃいられないぜ。とっとと眠るとするかな。読者諸君、失礼する。またいずれ会おう。

2011/06/26

Post #225 Naked Eye #9

今日は、これでどうよ?
HomeTown
もう一丁、行かせてもらおうかな?やっておしまい!てなもんさ。
HomeTown
今夜は、まだまだやりたいこともあるんで、これで失礼させていただくぜ。
読者諸君、御機嫌よう。

2011/06/25

Post #224 Naked Eye #8

何とか、仕事が一段落だ。やれやれだ。そして俺はよれよれだ。明日は2週間ぶりに休みだ。疲労が蓄積すると、何も頭に浮かびはしない。去勢された馬のようだぜ。食欲すら減退する。ヤバいな。去年の夏も仕事をやり過ぎて、8キロもやせてしまい、胃癌を疑うかかりつけの先生によって、胃カメラまで突っ込まれたほどだった。何でもいい、身になるものを喰わないとな。
Tokyo
本当は、今日は違う内容でじっくり行きたかったんだが、如何せん、さすがの俺も、今夜はギブアップだ。
ここんとこずっと、走り続けてきた。月末からはまた、しばらく気が抜けない仕事が始まる。この不景気にありがたいこった。しかし今すでに、俺の不滅のパワーも底をつきそうだ。そう、KEYを叩きながら眠ってしまったほどだ。
休息が、上質な睡眠が必要なんだ。
だから今日はこんなところで、お茶を濁させていただくぜ。言い訳ばかりで、すまないな。40過ぎると無理は禁物なのさ。君もこの年になれば、きっと実感するぜ。ふふふ…、楽しみなことだな。
Tokyo
それでは、読者諸君。失礼させていただくぜ。

2011/06/24

Post #223 ジンジャーエールはウィルキンソンに限るぜ

まだ6月だというのに、暑い日が続いている。本来なら、昨日で仕事がひと段落して、4日ほどうっくりできるはずだったのに、甘かった。プリントでもしながら、優雅に暮らしたかったが、それは7月の上旬までお預けだ。しかし、もし、俺のもくろみ通り何日か仕事から開放されたとしても、この暑さだ。締め切った暗室でプリントなんかしていたら、熱中症で救急車を呼ぶ羽目になってしまううだろう。俺の家は、連れ合いがクーラー嫌いなこともあって、よほどの暑さでもない限り、クーラーをかけない。こうしていても、熱をはらんだねっとりとした空気が体にまとわりつく。冷えたビールでも九いっとやるのがイイんだろうが、生憎俺は痛風もちだ。調子に乗ってビールを飲むと、痛みに転げまわることになる。それはゴメンこうむる。
VietNam
だから俺は、ビールの代わりにジンジャーエールを飲むんだ。カナダドライの甘いジンジャーエールよりも、ウィルキンソンのあの辛い奴だ。独特のガラスのビンもイイ味を醸してやがる。なかなか売っていないのが、難点だが、この夏はコンビニでウィルキンソンのジンジャーエールが売られている。
いい時代になったもんだ。もっとも、あの印象的なガラス瓶ではなく、ごく一般的なペットボトルに入っているのが残念だが、ビンを飲むわけじゃないから良しとしておこうぜ。銀行と税務署に行った帰り道、行きつけのコンビニでこいつを見つけた俺は、思わず『おお!ウィルキンソン!』と叫んでしまった。行きつけだから、お店の人もさして驚きもしないぜ。俺は近所で評判の愉快な男なんだ。
俺の友人の伊佐地の話によれば、炭酸飲料は、炭酸の働きで体の中の熱をとってくれるらしい、本当かどうかは知らないが、ジンジャーエールやコカコーラは、やはり暑いときのほうが旨く感じるもんな、一理あるのかもしれないぜ。

VietNam
この暑さは俺に、以前訪れたベトナムを思い出させる。
暑さの厳しい日中、男たちは木陰で、よれたランニング一枚で椅子に座り、涼を求めている。
日が暮れてくると、心地よい風が街路を吹き渡る。たとえその風に原付の排気の匂いが混じっていたとしても、何とも言えない気持ちの良さだ。
人々は、決して清潔とは言い難いような屋台で、楽しげに食事をとりはじめる。
男も女も、バイクに乗って夜の繁華街をクルージングしている。狭い家の中でじっとしているよりも、バイクで走り回ったほうが涼しいのだろうか?そうかもしれないな、ベトナムの庶民の家にクーラーがついてるとも思えないしな。ベトナムの皆さんのご家庭にクーラーをつけるとしたら、ベトナムに原子力発電所をガンガンおっ建てないといけないんだろう。それは、いかがなモノかな。それくらいなら、原付ナイトクルージングも悪くないんじゃないかな。
日本じゃヤンキーしかやらないような、原付2人乗りは当たり前、なかには3人乗りなんて強者もいる。繁華街のメインストリートは、あまりにたくさんのバイクが走っているため、歩いたほうが早いくらいだ。それでも、老若男女問わず、誰もかれもが夜の道をバイクで走っているようだ。そして、ヤモリも街路樹の、なぜだか白く塗られた根元を駆け回るんだ。
VietNam
また、行きたいもんだぜ。あのユルさがたまらないのさ。日本人も少しはあんなユルサを持った方がいいかもしれないな。俺はいつもそう思ってるんだ。どうにも俺たち日本人は、生真面目すぎるんだ。どうしてこんなに生真面目な国民性になっちまったんだろう…。
まぁ、そんなことはどうでもイイ。熱くて頭がぼうっとして、そんなことは考えたくもないぜ。さっぱりと風呂にでも入って眠るとするかな。
読者諸君、ごきげんよう。失礼させてもらうぜ。

2011/06/23

Post #222 夢を見た

昨晩は、ブロガーの不具合で写真をUP出来なかったから、これは昨日の投稿なんだ、実は。

昨日の夜は、遅くまで仕事をしていた。しこたま写真をメールに添付して、お客さん送ったときには、もう真夜中どころか夜明けだった。つまり、夜明けまで仕事をしていたんだ。
床に就いた頃には、すっかり空は白み始めていた。まぁイイ、それでも2時間は眠れるぜ。充分だ。何なら、明日の仕事は、車で出撃で高速に乗って行けばいいだろう。飛ばして行くぜ。なんせ仕事はまさに今山場だ、胸突き八丁だ。ボケボケ眠っている場合じゃない。
Izmir,Turk

その短い眠りの中で、夢を見た。
夢の中では、もう二度と逢うこともないと思っていた君から、俺の携帯に電話がかかってくるんだ。
そして、俺はまた、君と逢えたんだ。君はまたあの頃のあの夜と同じように、どこか照れたような笑顔で屈託のない話をしていたんだ。
俺は、嬉しかったんだ。夢の中で、これが夢だなんて思ってもみなかったぜ。
そんな嬉しさは、目覚ましの音で幻のように消えちまった。
隣には、俺のつれあいが眠っている。それが現実だ。
そうさ、全て夢だったのさ。俺は、無性に悲しくてやりきれなかった。君たちには、そんな経験はないものかねぇ?

俺は思い出したぜ。RCサクセションの切ない曲、『夢を見た』を。こんな曲だ。

きみのことを 夢に見たのさ
目が覚めて ぼくは悲しい
夢の中には 涙はなかったさ
目が覚めて ぼくは悲しい

鏡の前できみを呼んでも
泣き出しそうな ぼくがいるだけ

今日一日は 朝から晩まで
なんとなくなんとなく 悲しい

決して目立つ曲じゃないんだぜ。ヒットしたわけでもない。むしろ、売れない部類だろう。けれど、こころに残るイイ歌だ。まぁ、つまらないと思う奴は思っていればいいさ。きっと、俺の感性とは志向性が違うだけの話だ。しかし、今日はそれを云々する気にもならない。そう、今日の俺ときたら、まるでこの歌のような一日を送っていたんだ。

なんとなくなんとなく、悲しかったのさ。
Izmir,Turk

いくら悲しんだところで、どうなるもんでもないんだけれどね。けど、なんとなく、そう、なんとなく、悲しい余韻が残る一日だったのさ。もっとも、仕事はそんな俺のなまっちょろな感傷なんかすっ飛ばしてしまう程、大回転の大忙し、八面六臂の大活躍だったんだがね。それがまた、やりきれない反面、有難かったんだけれどね。

そうだぜいつだって、心の中に、ブルースがあっても、それでへこたれへたれている訳にはいかないのさ。そんなブルースのない人生なんて、味気ないものさ。

2011/06/20

Post #220 Grief Of Last Dinosaur

俺は、今日仕事が終わってから、久しぶりに現場のそばにあるカメラ屋に行ったんだ。久々に中古カメラを物色したり、暗室用品を物色したりしていたんだ。そこで目に入った一枚の告知。俺は愕然とした。膝から力が抜けそうだ。
HongKong
それは、次のようなものだ。
黒白印画紙 一部製品の販売終了について
拝啓 貴社益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。
また、平素は富士フィルム製品に格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、標記の件、永年にわたりご使用拡販頂きました本製品は、需要が大幅に減少したため、下記サイズを順次販売終了と致しますのでご案内申し上げます。
これまでのご愛顧を深く感謝いたしますとともに、今後とも弊社製品をお引き立て賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

1.販売終了製品 および終了見込み
*終了時期は見込みのため、終了時期が前後する可能性があります。』

何だと?聞いてないぜ、俺。俺は一覧に目を通した。俺の目ん玉はトムとジェリーのトムが驚いた時のように、飛び出していただろう。そこには、こうあった。

③黒白ネガ用引伸印画紙“フジブロWP FM4号”シリーズ
終了品 F BRO WP FM4 6 100A 
おいおい、こいつはズバリ俺の使ってる印画紙じゃないか?フジのRCペーパー、六つ切り、特別硬調、100枚7180円の愛用品だ。マジかよ。
終了見込み 平成23年3月
おいおいおい、待てよ、今平成23年の6月だぜ。俺、ついこの間100枚入り買ったよな?どうなってんだよ。
代替品 F BRO WP FM4 6 20A
おいおいおいおい、それって割高な20枚入りだろう!ふざけるんじゃないぜ、富士フィルムさんよ!あんたら確か以前、写真文化を守るために、フィルムカメラや用品をなくすことはないって言っていただろう?いやいや、薬品が統合され、引伸機の製造販売から撤退したのは、つい2,3年前だったよな。どうなんだよ、
そりゃ、20枚入りでは残ってますよ、同じ商品が、しかし100枚買ったら8900円だ。約24%の値上げだ。そりゃ、あんまりだろう!
ふざけるな!
俺は棚を見た。すでに俺の愛用のFM4の100枚入りは無い。しまった。
俺は直ちにその店を出て、地下鉄に乗り、ビックカメラに行った。いつも俺が印画紙を買っているところだ。あるじゃないか、FM4 100枚入り。しかも二箱。(この箱が、プリントの整理にはもってこいなんだぜ。それが無くなるなんて…。)
懐に金はない。しかも今月は市県民税を払わねばならんのだが…。
市県民税と印画紙。俺にとってどちらが大切か、言うまでもない。
お金がなければ、カードを使えばいいじゃないと、心の中のマリー・アントワネットがささやく。
俺は、2箱抱え込んでレジに向かった。『カードでお願いします。』 
いや~、まいったなぁ…。
HongKong
富士フィルムさんよ、写真は単なる商売じゃなくて、文化なんだぜ!
そんな値上げで需要の減少に対応しようなんて、ますます印画紙を使う奴が減っちまうだろう!本当にシビアなビジネスならば、需要喚起を考えろよ!流行のドラッカーでも読んだらどうだい、こんチクショー!
そもそも写真を文化として捉えていないから、みんな目新しいものにぴょんぴょん飛びついて、昔ながらのモノクロ愛好者がガンガン減っちまうんじゃないのかい?
デジタルで処理すればいいだろうという声も聞こえてくるけれど、ケミカルでプリントを作る充実感、緊張感、達成感。これはやったことのない奴には、ちょっと分からないだろうな。黒の粒子の織り成す美しさ。そして何より、同じものは二度とは焼けないという一回性。
ロバート・フランクが言うように、モノクロ写真は、『私の手の詩』なんだ!
そうさ、俺は滅びゆく文化を愛しているんだ。
しかし、鈍行列車が新幹線に取って代わられ、リニアに取って代わろうかって時代の旅が、長期の船旅が飛行機に取って代わられ、東京パリ間を2時間半で結ぶ大陸弾道航空機が開発されようとしている時代の旅は、俺が思うに、密度が下がったんではないだろうか?
それと同じように、こだわらなければ何もかもお手軽に出来てしまうデジタルな時代の写真は、俺にはどこか物足らない。いまどきのロックがどこか物足りないのと同じだ。ちなみに言っておくと、俺は内田裕也もダイゴも、どっちも認めていないんだけれどね。

ああ、それはもちろん俺の個人的な感想だ。

俺の心の中では、荒涼たる大地を彷徨う、滅びゆく定めの最後の恐竜が天を仰いで悲しげに咆哮している。怒りに燃えていても、その怒りを誰にぶつけることも出来ない。
Tokyo
フィルムカメラ、モノクロ写真愛好家の諸君、立ち上がれ!
モノクロ写真こそ、ズバリ写真の王道だろう!写真の火を消してはいけない。立ち上がれ、同志たちよ!値上げにも負けず、じゃんじゃんプリントし、じゃぶじゃぶ印画紙を浪費してやろうぜ!
読者諸君、俺はやり続けるぜ。自分の選んだ俺の道だ。金がかかってこそ、高尚な道楽ってもんだ。あぁ、それでこそ、金儲けにも励みが出るってもんさ!Fuck!
読者諸君、また会おう。俺は悲しみと怒りに悶えながらも、闘志に燃えているだろう。

2011/06/19

Post #219 All Men Are Bored With Other Men's Lives

俺のブログに『他人の人生を生きるのはうんざりだ』というのがあるんだが、何故だかこれが地味にPVを伸ばしている。しかも、検索で引っかかって読んでくれる、いわゆる一見さんが多いようなんだ。
悪い事じゃないんだけれど、俺は考えさせられる。
この世の中で、かなりの数の人々が自分自身の人生を生きていないという、心の飢餓感を抱いて生きているということだろう?自分の人生に満足してないのかい?自分で選んだ道じゃないのかい?俺はあえて問いたいぜ。大いに危惧しているんだ。この人たちの心の健康が、おせっかいだと思いながらも、心配だ。
このフレーズは、俺の心の糧ともいうべき、The Who の名曲中の名曲、『Pure & Easy』の一節を日本語に訳して拝借したものだ。スティーブ・ジョブスとかとは何の関わりもない。世界そのものが本来備えていた純粋さを失い、人間は自らの本来性を損なっていることを、そして、本来性を回復し、世界と一体となるために、かつて世界に満ちていた完全で単純で美しい音色を聴け!と歌ったものだ。小難しーロックなんだ。しかし、美しく力強い曲だ。名曲だ。町を歩けば自然と耳に入ってくる、そこいらの曲が束になっても足元にさえ及ばないだろう。
Tokyo
俺が敬愛してやまない岡本太郎も、その歴史的名著『今日の芸術』の中で、今からもう50年も前に、こんな状況を『自己疎外』という言葉でつかみ出し、憂慮している。
これは大事なことなので、うん、いささか長ったらしいが、引用してみようか。野郎ども、行くぜ。

『なるほど人は、社会的生産のため、いろいろな形で毎日働き、何かを作っています。しかし、いったいほんとうに創っているという、充実したよろこびがあるでしょうか。正直なところ、ただ働くために働かされているいう気持ちではないでしょうか。
(中略)
「自己疎外」という言葉をご存じでしょう。
このように社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが自己疎外です。
自分ではつかうことのない膨大な札束をかぞえている銀行員。見たこともない商品の記帳をするOL。世の中は自分とは無関係なところで動いているのです。
一日のいちばん長い時間、単一な仕事に自分の本質を見失いながら生きている。
(中略)
義務づけられた社会生活の中で、自発性を失い、おさえられている創造欲が何とかして噴出しようとする。そんな気持ちはだれにでもある。だが、その手段が見つからないのです。』

この後、岡本太郎の筆は、ビシビシと冴えまくるんだ。

『失われた自分を回復するためのもっとも純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということを、象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割があるのです。』

とくるわけだ。

それはべつに絵画や彫刻でなくってもいいだろう。音楽でもいいし、文学でもイイ。何か身内から吹き上がるマグマのような衝動に、筋道をつけてやれるのなら、何でもいいだろう。生きてるって、実感するぜ。たまたま、俺の場合は、それが写真だったんだ。それだけのことだ。
前にも言ったように、仕事には命は賭けることはできねぇが、道楽は命懸けってのは、こういうことだ。
Tokyo
自分じゃ何もしない、何もする気も起きない、そして、イライラして周囲の人間を批判して溜飲を下げる。それもストレス解消にはなるかもしれない。しかし、そんなんで人生終わったらたまらないぜ、くだらないぜ。俺たちに与えられてる時間は、長いようで、実はすごく短い。あっという間に42歳になっちまった俺が言うんだ、間違いない。消費者とかよりも、創造者でありたいと思わないかい?
家畜みたいになんでも与えられて、決められた道筋を大人しく歩み続ける。自分では何一つ生み出したりしない、そんな人生は、つまらないぜ。
よく考えようぜ、自分の人生なんだからな。娯楽とか言って、パチンコ屋や飲み屋のネーチャンに金を払って、自分の時間を浪費するなんて、俺からしてみりゃ、チャンチャラおかし―ぜ、あほらしーぜ。これじゃ、消費者どころか浪費者だぜ、まったく。
仕事で自己実現?それもいいだろう。けど、仕事がなけりぁ、君には価値がないのかい?年食って働けなくなったら、この世のお荷物になっちまうってのかい?
そうじゃないだろう。
ただ生きているだけの人生には意味はない。俺たちは無限の時空の中で、かりそめの命を与えられた儚い存在にすぎない。しかし、自分で何かを生み出すとき、世界は確固たる手ごたえを返してくれるだろう。人生の意味が、自分の中から湧き起ってくるだろう。
道楽者に幸あれだ!
俺達には、創造力こそが、必要だ。複雑怪奇で混乱したこの世界で、自分の世界を築き、座標を決めうるスキルが必要なんだ。流行に浮かれてるよりも、自分自身に浮かれてる方が、ずっとカッコいいんじゃないのかい?
何でもいいだろう、自分が好きなことを、自分がやりたいと思っていたことを、本気でやってみたらいいのさ。旨い下手など関係ねぇーさ。自分が良ければ、何でもイイ。そうこうしてるうちに、俺みたいに、俺サイコーで、最強って、根拠不明の自信が湧いてくるのさ。どっからでもかかって来いやってなもんだ。
とはいえ、その道は険しいけどね。たいていの場合、金は儲からないし、女にちやほやされるわけでもない。下手をしたら、ゴッホみたいに、耳を自分で切り落す羽目になるかもしれない。けど、自分で選んだ道なんだぜ、苦労も批判も覚悟の上さ。苦しみのない人生なんて、タイヤのない車みたいなもんさ。どこにも行けやしないぜ。

OK!それさえつかめば、人生は変わるだろう。

冒頭で紹介したThe Whoの曲は、こう締めくくられている。

We all know succsess, when we all find own dreams
And our love is enough to knock down any walls
And the future's been seen, as men try to realize,
The simple secret of the note in us all

There once was a note, Listen

(俺達の全てが夢を見出した時。俺たちは成功を知る。
俺達の愛は、どんな壁だろうと打ち崩すことが出来る
俺たちすべての内に響く音色のシンプルな秘密、
それを実現するにつれて、未来は見えてくるんだ

かつて一つの音色があった。聴け!)

世の中の他人の人生にうんざりしている皆さんに、ささげるぜ。
失礼する。昨日上海から帰ってきた連れ合いに、今こっぴどく叱られちまったぜ。
ふふふ…、これが俺の人生さ、ロックンロールさ。

2011/06/18

Post #218 Naked Eye #7

今日は一日、小雨が降り続いている。俺がもしナメクジなら大喜びの天気だろう。
しかし、俺はナメクジでもナメック星人でもない。こんな天気はあまり好きじゃないのさ。しかし、仕方ない。誰にも雨を止めることなどできはしないのだから。
しかし、雨の日に写真を撮るのは決して嫌いじゃない。とりわけ夜だ。濡れた路面にネオンの光が反射して、何とも素敵だ。エロスが漂うぜ。
HomeTown
今日は友人に仕事をお願いしたんだけれど、彼の車の中でジェフ・ベックのCDを見つけて、速攻借りてしまった。ジェフ・ベックかっこえ~。心に沁みるような渋いギターだ。99年のWho Else!もパワフルでぶっ飛んだプレイが炸裂しているが、去年発売のEmotion & Commotionのしっぶ~い、優しい音色のギターもこれまたたまらん。
友人は、天白区(名古屋の区の一つ)でジェフ・ベックの良さがわかるのは俺だけといっていたが、いや、俺もいいと思うよ。
HomeTown
読者諸君、今夜は、いろいろと溜まりに溜まった仕事をやっつけなけりゃならないんで、こんなところで失礼させていただくぜ。いろいろと書きたいことはあるんだけれど、何分一日は24時間しかない。それどころか、仕事の休みも満足には得られない。頭の中には、仕事が溜まり、肉体には疲労と尿酸がたまる。これが俺の人生だ。ロックンロールだ。

2011/06/17

Post #217 I See

俺が思うに、写真に関しては本来的に言葉は不要だ。
Tokyo
理解することなく、一瞬で了解する。
I See, But I Can't Understand. 
つまりは、百聞は一見に如かずだ。
その視覚情報の意味するものは、了解した個々人が、写真を仲立ちにして、自らの中から生起して来るイメージから、そしてそのあとからそれぞれの脳裏に浮かびあがるイメージの残滓ともいうべき言葉から、汲み取り、見出すべき類のもので、決して撮影者の意図を十全に、いやむしろまったくと言っていいほど、反映するものではない。

Tokyo
その文脈で考えると、写真はコミュニケーションのツールであると同時に、撮影者と鑑賞者の間に、いかんともしがたい齟齬を生み出しうるディスコミュニケーションのツールでもありうる。
その過程では、醜いものが美しく見えることもある。倫理に反する行為が美しく見えるときもありうるだろう。
理解することなく、了解するという地平においてこそ、この意味の転倒は生じうると考えている。
ゆえにこそ、意味を逸脱した、いわゆる決定的瞬間ではない、ありふれた光景を写真に写す事に対する意味の比重が生じ得るし、そういった写真に、ある種のこだわりを抱いている。

Amsterdam
正直に言えば、写真はどこか後ろめたい行為だと、俺はいつも感じている。どこか反社会的で非人間的な行為だと、俺には感じられる。
カメラを右手におさめ、シャッターには常に指をかけ、何時でも動物的に、瞬間的にシャッターをきりつつ、雑踏を歩むとき、俺は自分がすっ裸で、道行く人々にさらされ、対峙しているように感じるのだ。俺はふと何とも形容しがたい不安に襲われる。しかし、武器は右手にしっかりと握った一台のカメラしか、無い。心を奮い立たせ、シャッターをきり続ける他、不安を乗り越える術を俺は知らない。

読者諸君、今日は疲労困憊した。率直に言って、俺は眠りたいのさ。だから今日はこれで失礼する。諸兄諸姉が、有意義な週末をお送り下さることを、仕事に明け暮れながらも祈っている。

2011/06/16

Post #216 あっ!

拍手、そしてオープンノイズ
『ハーイ、チェック‥』
湧き起る野次、怒号、金切り声
うるせぇ!文句あるんやったらここ来たら?…マイクで言え、マイクで言え…』
エッジの効いたギターリフがはじまる。
チャーボーが割れたような声で叫ぶように歌いだす。

俺の事 わかる奴 よく聞け
わかる奴聞け 俺の事
耳をすまして よく聞きな Hey Yeah!
俺の事 よく憶えな

俺はかたわ かたわもの
心のみにくい かたわもの

そうさ それで 俺の天下
わかっているぜ 俺の事を
耳をすまして よく聞きな
俺の事を よくおぼえな

俺はめくら めくらもの
全ての見える めくらもの

俺は片輪 片輪者
心の醜い 片輪者

(山口富士夫のギターソロが弾ける)

俺はびっこで あきめくら Ahaa!
俺の事を たすけて欲しい Oh
俺の事を 助けてくれ
わかる奴聞け 俺の事

俺は盲 盲者
すべての見える 盲者

俺の事 解かる奴 よく聞きな
耳を澄まして よく聞きな!

俺は片輪 片輪者
心の醜い 片輪者

『声が聞こえへん……誰か親切な人、水もってきて……』

村八分 ライブ+1より『あっ!』

HongKong
京都が生んだ早すぎるパンクロック、村八分は、俺の好きなバンドだ。
現在にまで残されている音源は少ない。だから今では知る人も少ないのだろう。もともと、彼らは生粋のロックンロールライブバンドで、世に出ることを拒み続けていたという。ひねくれたバンドだったんだ。
村八分は天下のNHKでは全ての楽曲が放送禁止だ。何故って、バンド名がいきなり差別用語だからだ。仕方ない。アンダーグラウンドで、時代の徒花として咲き誇っていたのだ。まさに伝説のロックンロールバンドだ。
村八分の楽曲には様々なヴァージョンが存在する。演奏されるごとに、歌詞が演奏が異なっているのだ。ここに記したのは、村八分が遺したアルバム『ライブ+1』の一曲目、『あっ!』だが、その歌詞はあくまで添付の歌詞カードに従った。スタジオ版では、次のようになっている。

俺の事 解かる奴 いるけ?
解かる奴 いるけ? 俺の事
耳を澄まして よく聞きな
俺の事 よく覚えな

俺は跛 跛者
身体の丈夫な 跛者

助けてくれと 言った所で
助けてくれるけ? 俺の事
もういいさ お前等
俺の事 振り向くな

俺は盲 盲者
すべてのみえる 盲者

そうさ すべて 俺の所為さ
解っているよ 俺の事
もういいさ お前等
俺の事 振り向くな

俺は片輪 片輪者
心の綺麗な 片輪者

いずれにしても、強烈すぎる歌詞だ。とてもNHKはおろか、普通のFM局でも放送禁止だろう。
けど、そんな毒が無いロックなんて、薬にもならないぜ。 
以前にも紹介した村八分の『ライブ+1』は、日本のロック史上に燦然と輝く、数少ない本当のロックアルバムだ。もちろん、興味が無い向きには、ただのノイズと怒鳴り声にしか聞こえないだろうけどね。
俺の耳には、幻聴のようにチャーボーの歌声が響いているのさ。
『俺の事 解かる奴 いるけ?』

失礼するぜ。

2011/06/15

Post #215 PINHEAD

突然だが、世の中には、くだらない奴らがゴマンといる。
自分じゃ何もしないくせに、社会や会社や学校や家族に、不満たらたらな奴らだ。挙句の果てには死にたいなんてほざきやがる。くだらないぜ。俺は文句は言うが、文句を言った以上は、自分はベストを尽くし、結果を出すことにしているんだ。ご立派だろう?
ネットを見ていると、そんな奴らをしばしば見かける。
ストレートに言って、死にたい奴は死ねばいいだろう。それも黙って。ネットで自分がドン詰まりで、にっちもさっちもいかないから死にたいなんてつぶやいたりしてる奴は、どうなのさ?寂しくてかまってもらいたいだけじゃないのかい?本当に死にたいのなら、とっとと死ねばいいんじゃないか、誰にも言わずに黙って。
Tokyo
言わせてもらえば、人生なんて自分の思うようには決して行かない。思うようにいってもせいぜい3割だ。少しばかり人生経験を積んだ人なら、誰だってわかってることだろう?
とりわけ、自分が頭がいいと思っている奴に限って、自分に対して正当な評価が与えられていないとぶーたれる。
例えば、俺の弟がそうだ。俺には3人の弟がいるが、その一人は、私立の中学高校に進み、慶応大学に入学したんだ。クロマティ高校卒、某愛知大学中退の俺とはえらい違いだ。しかし、奴は慶応じゃご不満だったらしく、大学を辞めて京都大学に入ったんだ。大したもんだ。俺の考えじゃ、才能のない奴は大学に行くしかないんだけどね。奴は目出度く京都大学を卒業し、これまた目出度く一流企業に入社したんだ。しかし、しかしですよ、奴はこの会社がご不満だったらしく、会社を辞めて専門学校に行きたいなんてほざきやがった。それを親にぐちぐち言っている訳だ。要は認めてもらいたいんだろうな。しかもあわよくば学費を出してもらいたいなんて虫のいい考えもあったのかもしれない。
俺は思ったぜ。
もういい加減大人なんだから、自分の生きる道なんか、自分で決めて、黙って実行すればいいだろう。なんてったって自分の人生なんだぜ?人に迷惑をかけないように好きにやったらいいだろう。
俺はそういって突き放してやったぜ。20万光年くらい突き放してやった。ひょっとしたら、ぶん殴ってやったかもしれない。いや、ケリを入れてやったのかもしれない。なんせ昔の事なんで、よく覚えちゃいないがね。奴は今でもぐずぐずとその会社に留まっている。俺にいわせりゃ、人生の無駄だ。
会社の上司がじぶんを評価してくれないから、もう会社に行きたく無いとか、自分から辞めると世間の目が厳しかったり、失業保険がすぐにもらえなかったりするから、クビにしてもらえないだろうかなんて虫のいい事を考えている奴もいる。惰弱なカンジがするぜ。人生は短いんだ、ぐずぐずしてる暇はないぜ。
もうこんな暮らしには疲れ切ったから、死んでしまいたいけれど、自殺するほどの勇気もないから、病気にでもならないだろうかとかほざいてやがる奴もいる。とんだ玉無し野郎だ。
そんな奴に限って、他人を受け入れたりしない、自分は優れた人間だと勘違いしているから手におえない。心の底から、ぶん殴ってやりたいぜ。そのあとで俺についてこい!って言ってやるさ。
この手合いは、どいつもこいつも、人生は上げ膳下げ膳で、自分の思うままになると思ってるのかよ。甘い、甘すぎる。この世界で最も豊かな国で、甘やかされて育っちまったんだな、可哀そうに。
そんなにうまくいくんだったら、今頃俺は結構な邸宅に住んで、高級外車をブイブイ乗り回し、若い女をスケコマシ放題だろう。そいつはいいぜ、楽しそうだな。そんなクソ野郎に俺もなってみたいもんだぜ。
しか~し、人生はちっともそんな風には運ばない。
俺だって、伊達に仕事を次から次に変わっている訳じゃない。人生がそんな甘いもんじゃないってのは、骨身にしみてるぜ。そう、ブルースを知っているのさ。絶望していると言っても過言じゃない。しかし、人生は絶望から始めたほうがいいんだ。甘い夢など、見ちゃいないさ。しかし、苦しみのない人生なんて、スープのないラーメンみたいに味気ないもんだろうよ。まったく、満たされ過ぎると野生が萎むとはこの事だ。
俺の愉快痛快な人生をプレイバックすると、ちっぽけな会社で、権力闘争に負けて、やむなく辞めたこともあった。交通事故で酷い怪我をして、やむなく辞めたこともあった。元請の思いつきの指示に腹を立てて喧嘩し、その日のうちに辞めたこともあったし、びっくりするほど安い金で、奴隷同然にこき使われて、あほらしくなって辞めたこともあった。時には、夜逃げ同然で逃げてきたこともある。
いつも、理不尽と闘ってきた。気に入らない奴にデカい顔をされるのが嫌だったから、必死になって働いた事もしばしばだ。阿呆な上司に正面切って戦いを挑んだことなんか日常茶飯事だった。
勢いで飛び出したはいいけれど、何の当てもなく、不安な思いで近所の川を覗きこみ、水面に浮かぶカモをみては、『鳥はイイよなぁ…、家賃もいらなけりゃ、飯代もかからねぇ。年金も保険もないしな…』なんて、ゲゲゲの鬼太郎の歌みたいな事を呟いていたことだってあった。
しかし、そのどれもがイイ経験だった。その経験のどれが欠けても、今の俺はいなかっただろう。
いつだって、頼りになるのは、自分の意志しかない。世間の目なんか気にしたこともないぜ。俺は毎日生きるのに全力投球なんだ。世間なんて、かまっちゃいられないぜ。俺は自分の人生を、自分自身の人生を、自分だけの人生を生きるんだ。
つまり、こういうことだ。自分自身を十全に認めて、自分の人生を受け入れるのさ。
そう、まさにこれが人生だ、ロックンロールだ。
Tokyo
誰かのようになりたいなんて思ってもダメだ。ダメダメだ。
所詮自分は、自分自身にしかなれないのさ。生まれた瞬間に自分が出来ていると思ったら大間違いだ。俺達は毎日の一見くだらない平凡な暮らしの積み重ねの中で、経験を積み、自分自身になっていくモノだと俺は思っているんだ。
もっとはっきり言えば、俺達の人生にはそもそも意味なんか、無い。
蚊やナメクジの生が俺たちにとって無意味なのと同じように、人間の人生にもまるっきり意味なんかない。神様も手を差し伸べたりするほどの価値なんかどこにもないんだ。ちっぽけなもんなんだ。生まれちまったから、仕方なく生きているのが、人間の有様だ。
しかし、もし人生に意味があるとすれば、この人生で、いったい何をなすのかということだ。意味は生得的に付与されているモノではなく、自ら見出すものなんだ。ナマコやクマムシと大きく違うのは、人間には意志があるという一点だけだ。思うにままになりっこないこの絶望だらけの世界で、自分の足でしっかり立って、自分の目で将来を見つめて、自分の手で夢を掴む。そう、この意志の力で世界に対峙し、一点集中突破するしかないんじゃないか?どうだろう?
俺の見出した人生の意義?それはここじゃ、言えないな。そんなに安くないぜ。まぁ、いつも俺の文章を読んでくれている君には、もうわかっているだろうけれどね。

Barcelona
ふぅ、今日はなんだか久々に熱くなっちまったな。そんな日もあるさ。きっと、つまらん!なんて言う読者が続出だろう。楽しみなこった。そういえば、最近しばしばつまらん!にチェックが入っているんだ。しかもいつもきっちり2つ入っている。しかも、しかもだ、おもしれー!にチェックが入る前に、必ずつまらん!にチェックが2つはいっている。やる気がなくなるほど、驚くぜ!つまり、しばしば2人の熱心な読者が、つまらないと思いながら読んでくれているんだろう。まったくもってご苦労なことだ。ありがとう、まったくもって尊敬するよ。俺ならつまらない事をやりたいとは思わないからな。
そんなにいつもつまらないんなら、もっと他にも面白い事をやったほうがいいぜ。俺のようなイカれたおっさんの妄言なんか読んでるよりも、人生にはもっと有意義なことがあるはずだ。TVをみたり、パチンコしたり、ネットで政府を批判してみたり、ケツの穴に塩もみしたキュウリを突っ込んでみたりとかな。ダッハッハ!もちろん俺はそんなことはしないがね。
前にも言ったように、俺は銭金のためにこのクソったれな文章をつづっている訳じゃぁないんだ。資本主義を超越してるんだ。つまらんと言われようが、俺のスタイルを変える気はサラサラないぜ。悪かったな。
俺の人生は、そして君の人生も、苦難と闘争と、そしてその向こうに広がる創造に満ちている。どんとこいだ。痛快だ。そう、それが人生だ、ロックンロールだ。
失礼する。

2011/06/14

Post #214 Fragment Of Fragments #19

今日からうちの連れ合いが上海出張だ。
久々に自宅で一人っきりだ。
一人じゃ食事を作ったりするのも面倒なもんさ。近所の中華料理屋に行って回鍋肉定食780円であっさり済ましてしまったぜ。洗濯モノも干したままだ。どうにもいけないぜ。エントロピーが家の中で増大している。何かをする気が湧かない気怠さが、身体中に詰まってる。眠気すら感じるほどだ。
それじゃいけないぜ。こんなチャンスはまたとないんだ。
真夜中は、心の解放区だ。そういって清志郎もうたっていたな。
Tokyo
ふふふ…、思いっきり羽を伸ばすかな。
といっても、飲みに行ったりするわけでもなく、写真の整理なんかだけどね。始めるとなかなか終わらないんだよね、あれも。
Tokyo
どうだい、こんな機会はあんまりないんだ、君さえよければ、写真や音楽について朝が来るまで話してみないか。いつも一方通行じゃ、俺だってつまらないってもんだぜ。とはいえ、明日も朝から仕事なんだけれどね。
読者諸君、また会おう。

2011/06/13

Post #213 Naked Eye #6

読者諸君、昨日ほどじゃないけれど、飛ばすぜ。
Osaka
HomeTown
Tokyo
ふふふ…、今夜は大阪、名古屋、東京、三大都市圏ツアーってところかな。
では、あんまりながなが書くと、つまらん!って言われるので、失礼する。
いつかまた、語りつくそう。

2011/06/12

Post #212 Naked Eye #5

最近、つまらん!という評価が多いので、今日は写真だけ。
写真だけと言ったら写真だけ。
それじゃ、行くぜ。
Barcelona
HomeTown
HongKong
Amsterdam
Osaka
Paris
Tokyo
Turk
VietNam

Fukuoka
どうだった?つまんなかったかな?
俺は自分ではいつも面白おかしく書いているんだけどね。
それでは、読者諸君、そのうちにまた会おう。

2011/06/11

Post #211 この痛みは、もしかして痛風?

読者諸君、痛風ってご存知かな?
肉やアンキモ、ビールやラーメンといった男どもの好きそうな食い物によって、身体に取り込まれたプリン体(ぷっちんプリンとかとはきっと関係ないと思うぜ)が分解される過程で、尿酸が生成されるんだが、この尿酸、普段は血液の中に溶け込んでいるんだ。ある一定の濃度まではね。しかし、発汗などで血液の水分が失われ、相対的に尿酸の血中濃度が上昇すると、血液に融けていた尿酸は、それ以上血液に溶け込むことが出来ず、結晶化する。これがまた、針のような形をしていて、見るからに痛そうな形をしてるのがいやったらしい。この結晶が関節の神経にぶすぶすと刺さって痛風の発作は起こるのだよ。想像するだけで、胸苦しくなってくる。
その発作は、主に足の親指やくるぶしなんかで起こりやすい。体の末端のほうが体温が低いから結晶化しやすいし、こういった不純物も大いなる地球の引力のおかげ様で、下の方に溜まりやすい。結果、足の親指の付根や関節が、じわじわと腫れてきて、最初は鈍い痛み、そして、じきに風が吹いただけでも痛いという程の激痛に見舞われることになるんだ。その痛みは、骨折の痛みに匹敵するとまで言われている。結石の痛みともいい勝負だろう。
うぅ、書いているだけで痛くなってきそうだ。
Tokyo
しかし、女性の読者の方は安心してくれ。痛風患者の99.9%が男性だ。何故か、女性はかからない。昔から、高タンパク、高カロリーな食生活によって発症することから、世間では俗に、『贅沢病』と呼ばれている。だから、痛風だと言っても、なかなか同情してもらえない。やけに詳しいだろう、俺。なにせ俺自身が痛風患者だからね。そうさ、俺は痛風患者なのさ。成人病の贅沢病だ、泣きたくなってくるぜ。あの発作が起きたなら、愛用の髑髏の握りのついた杖をついて、肩でゼエゼエと息をしながら、脂汗を浮かべて病院まで歩いていくのさ。
幸いなことに病院は、俺の家から50メートルだ。有難いぜ。しかも、先生は俺の高校の同級生の岩田君だ。とはいえ、俺は彼の属していたサッカー部からは嫌われていたからな。向こうはそんなこと覚えちゃいないだろうが、俺は忘れないぜ。もっとも、俺もこう見えて分別のある成人男子だ。成人男子というだけあって、男性特有の成人病なわけだが、そんな昔のことで喧嘩を吹っかけたりしない。どっちにしても、痛風の発作が起きていたら、やったとしても、俺の必殺のローリングソバットをお見舞いすることはできないし、それ以前に、激しい痛みのために、それ以外の事はどうでもよくなるんだ。
痛風、実に恐ろしい病気だ。しかし、俺の親族にはごろごろいる。別に贅沢一族という訳ではない。遺伝的に、痛風になりやすい体質のようだ。痛風患者は2つのグループに大別されるんだ。つまり、体内で尿酸がドバドバできやすい奴と、体内から尿酸を排出する機能が弱い奴の2グループだ。俺は後者なんだ。どうせなら、金が出ていきにくいほうが良かったが、生憎、金は俺の懐からドバドバと排出されていく。ディーゼル車の排気ガスのようにドバドバ出ていくんだ。まったく笑えないぜ。

そういえば、初めての発作もこんな時期だったっけ。
俺が最初に、痛風の発作を起こした時には、捻挫かと思い、行きつけの整体の先生のところに診てもらいに行ったんだ。そうしたらそこで俺はアイシングされてしまった。なにしろ俺の足首は腫れあがって発熱していたからな。しかし、痛風にはアイシングは禁物だ。冷えることで尿酸の結晶化に拍車がかかってしまう。つまり、前の車にぶつかりそうなのに、アクセルを踏むようなものだ。
思い起こせば、あのときの発作は酷かった。息をするだけで、痛くて脂汗が出てきた。あまりの痛さに会社を早退したが、最寄の駅にたどり着くまでに意識が無くなりそうだった。大げさに言ってるんじゃない、マジだ。君も痛風になってみれば、俺が吹かしてるわけじゃないって分かるさ。実感するさ。
俺はそれで、仕方なく整形外科に行ったんだが、そこで初めて痛風だと診断されたんだ。そういえば、その何年か前から健康診断で尿酸値だけが引っかかっていたっけ。いつかこうなる運命だったというのか。痛風は、俺の体に埋め込まれた時限爆弾のようなものだ。こんなものを抱えて生きていかねばならないなんて、厄介なもんだ。しかし、それが人生だ、ロックンロールだ。
Tokyo
今日、仕事を終えた俺は、左足の親指の付根に鈍い痛みを感じている。
ヤバい。痛風の発作かもしれない。
蒸し暑くって今日は汗もかいた。夜型人間の俺が、早起きしていることだけで、大きなストレスだ。そして連日の満員電車の息苦しさと言ったら、それこそ拷問のようだ。ストレスなんてもんじゃない。そういえば今日、昼飯に食ったラーメンのスープをごくごく飲んじまったしな。あれはプリン体の濃縮液みたいなもんなんだぜ、知ってたかい。最悪だな。
紛らわしいことに、俺は疲労がたまってくると、ココが必ず痛くなってくる。特に立ちっぱなしとか、長距離歩いた後とかには、しばしば痛くなる。うむ、そうあってほしい。電車通勤と監督業務で、ここ最近は立ちっぱなしだったからな。多少痛くなってもおかしくはないぜ。そんな痛みは痛風の痛みに比べれば、屁のようなもんだ。お子様ランチだ。ココ壱番屋のカレーで言えば甘口だ。ちなみに痛風は優に10辛だ。もしかすると10辛に、激辛パウダーをかけたくらいかもしれないぞ。まったく侮れないぜ。
いずれにせよ明日が楽しみだぜ。明日は仕事が空いたからな。しっかり睡眠をとって、ゆったりと風呂で温まれば、明日には痛みはとれているだろう。しかし、それは希望的観測に過ぎない。政府の無能な役人どもが考える需要予測のように、バラ色の希望に満ちた希望的観測だ。
しかし、もし、本当に痛風の発作だったなら。ふふふ…、明日が楽しみだぜ。何といっても明日は日曜日、岩田君の整形外科もやっちゃいないからな。もちろん月曜日も仕事だ。痛いからって文字通りに、家でゴロゴロ転がってるわけにはいかないんだ。
世間は週末だってのに、俺は黒ひげ危機一発のような状況におかれてるんだよ。余りのタイミングの悪さに、思わず笑えてくるぜ。本当に明日が楽しみだ。心の底から楽しみだ。なんとなく、足が腫れてるような気もするんだがな…。
読者諸君、また会おう。出来ることなら、俺のこの痛みが、痛風の痛みじゃないことを、君たちの信じる神様でも仏様でも何でもいいから祈ってはくれないか?頼むぜ。君たちの祈りのパワーにすがるしかない無力な俺なんだ。
では、失礼する。また会おう。

2011/06/10

Post #210 Naked Eye #4

Amsterdm
最近、大した仕事もしてないってのに、やたらと疲れる。
年のせいかよ?
いいや、きっとそれは違うだろう。
俺が思うに電車で現場に通っているからだ。そう、環境に優しいと言われるあの電車でね。

通勤時間帯の満員電車。朝っぱらからおっさんの体臭と時代遅れの整髪料のムカつくようなにおいは、何なんでしょうね?
みんなよくこんな生活を我慢してるもんだ。俺はあっさりと体調を崩しそうだ。すっかり、車で夜から出撃ってのが習慣になっちまった。よくぞ俺、あんなのに毎日乗って出勤していたもんだ。我ながら感心するぜ。
とはいえ、俺も実際のところ、かなりのおっさんだけどね。俺と彼らの違いは、ロックンロールを信じているかどうかだけさ。
Amsterdam
読者諸君、俺は休ませてもらうとするかな。もう眠りたくって仕方ないのさ。では諸君、良い週末を。Good Night!