2011/08/31

Post #291 季節が巡る

今日で8月も終わる。子供のだが、毎日ホントーにクソ忙しいのさ。いつも言ってるようにね、いい加減皆さんも耳タコだろう。お見舞い申し上げるぜ。ゆっくりと眠ることも、買い貯めた本を読むこともままならない始末だよ。けどまぁ、自分で決めた道だからな。それも人生の暇潰し穀潰しさ。
ここ何日か、ギャル服ばかり売ってるファッション・ビルでをしてるんだ。喫煙所でパイプを吹かしていると、さすがの俺もびっくりするよーな派手なメイクに、派手な服装のお嬢ばかりが、入れ替わり立ち代わりやって来る。といつもこいつも、スゴい付け睫だ。きっとボールペンくらい、へいちゃらで乗るだろう。季節がら、露出もオーバーだ。キモいおっさんとか言われちゃ堪らないからな、目のやり場に困るぜ。ここはひとつ、必要なくても深刻そうな顔をしておこう。
HomeTown
個人的には、そーゆーぶっ飛んだファッションの女の子は一見、個性的で好みなんだけど、これだけ入れ替わり立ち代わりやって来るとね、さすがに食傷するぜ。第一、仕事で来てるんだから、あんまりニヤニヤするべきではないよな。
とはいえ、何だかな、タバコを吹かしながら彼女達が話している姿にインテリジェンスちゅうか品ちゅうもんが感じられないんだなぁ。要はガキだなぁと、つい感じてしまうんだ。仕方ないか、俺の年齢はとっくに彼女達のダブルスコアだ。人生第四コーナーだ。年をとると熟女がよくなるということか?それはなんとも言えないが、若い女じゃ物足りないのか、身体がよくても侘び寂びを知らねぇからな・・・。
HomeTown
だが、自分が図らずも、世間の皆さんと珍しく歩調を合わせて、年を食ってしまった事をおもいしらされ、しかもひょっとすると、俺の人生、もう二度とこんな素敵な年頃の女の子に熱をあげて、ウキウキするような、あんなキモチを味あうこともないのかもしれないと思うと、やるせない気持ちになってくるぜ。
そんな気持ちを知人に漏らすと、つれあいがいるからいいでしょうと言われるけど、そーいう問題ではないんだなぁ、あくまで俺の可能性の問題であってだね、なんというか、年々歳々、日一日と俺の人生に何かがおこる可能性が狭まっていくのを、こーしてツーカンする訳ですよ。老眼だって診断されてるし。寂しい風が、心の中に吹いてるぜ。
もっとも、俺の女の子の好みはムツカシーからな。そう、俺ももうヤリたいだけのお年頃じゃないんだから、中身のつまった奴じゃなきゃつまらないだろう。若くて可愛けりゃいいってもんでもないわな。
きっと、彼女達からは俺は、草臥れた中年にしかみえてないんだろう。俺の事をかまってくれるのは、子供かおばちゃん、そうじゃなきゃホモくらいだ。ただただ生きる為に働いて、気がつけば、すっかりおじさんだ。最近じゃ鏡を見るのもうんざりするぜ。
自分自身でうんざりするくらいだ。俺の回りでタバコを吹かしてるお嬢たちの目に、俺が見える訳もないぜ。ここじゃ俺はとんだインヴィジブルマンなのさ。
まぁ、どーせ話しあったところで、接点もないような気もするし、お互い理解出来る気もしない、残念だがそれが真実だ。俺も外見ばかりステキでも、何かにとりつかれたように夢中になるモノを持ってなかったり、自分の世界や考えを持ってない子供と話すのは、無駄に疲れるからゴメンだ。もちろん、中にはそんな子もいるんだろうけれど、俺は人生の秋を迎えているし、彼女たちは人生の春真っ盛りだ。互いの軌跡が交わることもないのさ。
HomeTown
俺は、彼女達の付け睫やアイメークの奥の瞳がどんな夢を見ているのか、どんなことを感じて生きているのか、けっこう興味津々なんだけどね。まるで戦後の焼け跡に現れたパンパンさんに興味津々だった金子光晴のようにね。
俺の人生は、とっくに秋真っ盛りだ。季節を先取りだ。寂しくなってくるぜ。人生の秋か・・・。秋風は追い風だろうかい、いや、どうせ向い風に決まってるぜ。いつだって、そうだった。たまに追い風かと思ったら、目の前が崖っぷちとかなんだろう。いつだってそうだったさ。
しかし、思わず髪に花を挿してあげたくなるような女の子は、絶滅してしまったのかなぁ、6,500万年前の恐竜のように。
読者諸君、また会おう。年の事を考えると、愚痴っぽくなっていけないぜ。誰だって、人生の季節は巡っていくものさ。岡本太郎みたい『自分には過去も未来もない。今があるだけだ』って、突っ張って行かないとな。落ち込んでる暇はない。さあ、今日も朝まで夜通し働い て 打ち合わせなんだ。OK、構わないぜ。明日は一日プリントでもして暮らすとす

2011/08/30

Post #290 Beggar With Street Organ

ヨーロッパでは、物乞いをよく見かける。
大抵はジプシーのオバサンなんだが、もう一方の主流派として、障碍者が物乞いをしている姿をよく見かける。日本では、とうに見かけなくなった。
アムステルダムの中心、ダム広場からマグナプラザに抜ける石畳みの路地で、その盲人の物乞いを見かけた。
首からストリート・オルガンを下げている。ストリート・オルガンは、ヨーロッパの童話や児童文学にしばしば登場し、陽気な雰囲気を醸し出す。けれども、実際に、モノ号人々が奏でているストリートオルガンは、どこか哀切な響きを持っている。いや、譬えそれが陽気な音色でも、その姿や音には、どうにも痛ましいモノがある。
しかし、この物乞いの商売道具のオルガンは、虚しく首から吊るされているだけで、男はハンドルを回して音楽を奏でることはなかった。何故なら、片手にはコインを入れてもらうための、どこかカスタネットにも似た金属の器が握られているから、オルガンのハンドルを回すことはできないんだ。そして、もう一方の手は、しっかりと白くて長い杖を握っていたんだ。自分が盲人であることをアピールするように。もしかしたら、オルガンは単に彼が物乞いだと示す、符牒のようなものなのかもしれない。
右手に握られた金属の器を上下に振ると、蓋と本体がチャンチャンチャンチャンという耳障りな金属音を立てる。その金属音が耳障りでなければ、誰も彼に目を向けることもないというように。そして、道行く人の懐の小銭を、この中に入れてくれるまでは、鳴らし続けるというように。
Amsterdam
見れば、がっしりした体つき。もし彼の目が見えたなら、レンガ職人なんかやっていてもおかしくないような初老の男だ。
金属器の立てるけたたましい、それでいてどこか物悲しい音で、彼の姿を目にした。俺のつれあいはぎょっとして、何かいけないものを見てしまったようなショックを憶えたのか、足早にその前を駆け抜けていった。
俺は、心のどこかに、少しばかりのやましさを感じながら、そっとノーファインダーで彼をレンズにおさめた。不思議だな。相手は目が見えないんだから、写真を撮られrていることなんか気が付かないはずなのに。
写真は、倫理と非倫理の境界を越えてしまうこともある。何故なら、倫理は人間の心の内なる問題だけれど、写真は、人間の心とは別個に、確固として目の前に存在する現実を写すものだから。
だからこそ、本能的に写真を撮りつつも、その瞬間瞬間に、撮るべきか否かということが脳裏をよぎる。
Amsterdam
そんなことも、忘れてひとしきり街をぶらついてきた俺たちが、再び同じ道を通ると、この盲人の物乞いはまだそこにいた。しかも、誰かがその口に丸いリンゴを咥えさせていた。彼は、白いつえを小脇に抱え、両手をポケットに突っ込みながら、食べるでもなく、当惑したようにリンゴを咥え続けていた。そのリンゴが、善意によって施されたものなのか、悪意によって口に押し込まれたものなのか、俺には解からない。つれあいは、その姿に悪意を感じ取ったようで、おぞましいものを見たかのように、ひきつった顔をしていた。
日本では、政府が無能だという声が高いが、無能な政府の無為無策な福祉生活のおかげで、物乞いする人を見ることはほとんどない。ホームレスですら、空き缶を拾い、売れ残りの弁当を漁って、物乞いすることなく暮らしている。福祉国家イギリスでは、税金によって暮らしを保護されている者たちが暴動を起こした。どんな社会が正解なのか、俺にはまったく分からないぜ。

2011/08/29

Post #289 Photographica #10

本日8月29日は仕事がWヘッダーだ。たまらん。毎度まいどこんなことをしてちゃ、早死にしてしまいそうな勢いだ。おそらく時間の問題だろう、諸君、まだ生きてるけど、香典はいつでも受け付けてるぜ。俺が死んだと思って、諸君の温かなお志を包んで送ってくれるのは、一向に苦にならないぜ。ダッハッハ!
さて、昨日は名古屋市美術館にレンブラントを見に行き、夕方からはボリショイサーカスなんか行って、熊の曲芸なんか見て、それがし、大いに感銘を深めていたんだが、そのついでに駅前のT島屋百貨店に入っている投球HANDSを覗いてきたんだ。そこの『男の書斎』コーナーは、男の物欲を刺激する素敵な商品が(もちろん女性の立場から見てらガラクタという訳ではない。)てんこ盛りで、俺はそこでしばしば買い物をするんだ。昨日の場合は金は無いけどね、市場調査ですよ。
そこで、中古カメラが売っていた。俺の目に留まったのはコンタックスⅠ型と、FujiのTX-1かな。TX-1は持ってるんですけどね。目には留まりますよね。グリップがオプション品がついてましたんで、余計にね。
まぁ、今更クラッシックなカメラを新規導入するのも物入りなんで、心の物欲に火がつかないように、ネコが物陰に隠れるようにすぅーと歩み去って行こうとしたら、名古屋の老舗カメラ店、今池の松屋の社長さんに呼び止められてしまった。長身、総白髪の上品な紳士なんだな、松屋の社長さんは。男の書斎にぴったりだ。お金もありそうだし。そういえば、ここに並んでいるカメラは松屋さんの出品だった。俺もかつては松屋さんで、コンタックスⅢaやスーパーイコンタなんかを買ったりしたもんだ。もっとも、最近はとんとご無沙汰だけどね。
この社長、単にカメラを売るだけじゃなくて、海外旅行もお好きで、ご自分で写真を撮るのもプロ裸足というすんばらしいカメラ屋さんなんだ。実際、そこにかけてあった写真は、ノルマンディーとかヴェニスとかで社長が自ら撮影したモノクロ写真だった。羨ましい限りだ。
で、海外の撮影旅行についてちょこちょことお話しさせて頂いているうちに、お店に俺の写真を8枚ピックアップして展示しようという話になった。今はコスプレ写真が展示されていて、その次は風景写真の人が決まっているそうなんで、その次ということだ。
面白い。受けて立つぜ。一挙に地元名古屋でファン拡大を狙おうか?ドラゴンズかスパークスってのも夢じゃないぜ。いや、そりゃいくらなんでも調子のり過ぎだな。
しかし、8枚か。セレクトが難しいな。読者諸君が気に入っている写真があったら、コメントしてくれ。参考にさせて頂きたいぜ。

閑話休題。
そして、昨日はボリショイサーカスに行く前に、これまた行きつけのNADIFF愛知で、天才アラーキーの写真集『楽園』(2011年Rat Hole Gallery刊)を購入したぜ。限定500部、定価1260円税込だ。財布にもお優しい金額だ。ココは限定ものとかが必ず入荷してるんで、要チェックなお店だ。
荒木経惟 『楽園』 Rat Hole Gallery刊
アラーキーこと荒木経惟は、森山大道と並んで好きな写真家だ。緊縛とかヌードとか猥雑な写真も好きだが、俺が一番好きなのは、大昔の写真集『東京は秋』だ。電通を辞めた荒木氏が、東京アッジェを気取って毎日4×5のカメラを担いで東京を撮影し、その写真を今は亡き荒木氏の愛妻・陽子さんとともに、ああでもないこうでもないと一枚づづ語っていくという、素敵な写真集だ。『センチメンタルな旅・冬の旅』がその次だな。
それはさておき、この写真集。表紙、裏表紙含めてたったの21枚のカラー写真からなっている、多作饒舌なアラーキーにしては寡黙な印象を与える写真集だ。
そのほとんどすべてが、荒木氏の自宅の屋上、氏の写真にたびたび登場するあの屋上か、もしくはスタジオで撮影されている。楽園に見立てられた屋上に、あたかも生き物のように配されたゴジラや恐竜のフィギア。色鮮やかな花に這い回る、ビニールの恐竜。少女の人形の頭にかじりつくトカゲのような人形。
生々しくも静謐な写真が並んでいる。
俺は、最晩年のメープルソープを思い出した。メープルソープも、AIDSに冒された最晩年、花やギリシャローマの彫刻のレプリカを撮影していた。スタジオから動くことが出来なくなったからだ。そんな不吉なことを想ったのにも訳がある。アラーキーは近年、前立腺癌を患っている。東京ゼンリツセンガン、東京ホーシャセンなど、そんな自分を戯作する様なタイトルの写真集が発汗sれ他のも記憶に新しい。愛妻陽子さんの死後18年の長きにわたってアラーキーの内面を支えてきた愛猫チロも死んだ。そして、去年NHKの番組で見たアラーキーは、今まで見たことのないくらい気弱になっているように見えた。もちろん、そんなことにお構いなく、相も変わらず多作な荒木氏ではあるが、どうも自分のキャリアで埋もれていたものを、近年発掘するような写真集も見受けられるしなぁ。
そして、この写真集だ。
写真集としては、小さいながらも、とても美しく、素晴らしい出来だ。しかし、どこか死後の世界すら連想させる『楽園』というタイトル。そして、写真の中に漲る不吉な予感。
荒木経惟ほどのエネルギーと世界に通用する作風、そして何より清濁併せ飲む強烈な個性を持った写真家は、残念ながら今の日本には彼をおいて他にいない。アラーキーは俺のオヤジと同じ年だが、俺のオヤジは近年新しい彼女を作って頑張っているんだ。アラーキーにも、まだまだしばらく眼べってもらいたいと、心から祈ってる俺だ。
荒木さん、しっかり病気治して、エロスとタナトスが写真から放射するあなたの写真集を、これからも末永く量産し続けてください。
読者諸君、失礼させて頂くぜ。俺はアラーキーが大好きなのさ。君はどうだい?

2011/08/28

Post #288 光と影の魔術師

今日は、名古屋市美術館に行って、レンブラントをしこたま見てきた。凄い人気らしく、おばはんやおっさんが犇めいていた。給料日のATMに並ぶようにして、絵や版画を見なけりゃならなかったぜ。
レンブラントは、光と影の画家、時にはその超絶技巧により光と影の魔術師とも呼ばれる。
多くの作品が、暗い闇の中に、かすかな光で人物や主題がドラマチックに浮かび上がっているというものだ。
多くの版画は、実にアンダーで、つまり真っ黒で、照明も作品を傷めないように暗めになっているから、老眼プラス1の俺も、立ち止まり、目を凝らさないと、なにがなんだかよくわからない。それが、さっきも言った大渋滞の原因となっていることは間違いないだろう。
世の中の美術愛好家がどんな感想を持っていたか知らないけれど、もし、レンブラントの時代にカメラがあったなら、俺が思うには、彼は間違いなく写真もやっていただろう。
写真、とりわけモノクロ写真も、光と影によって生み出されるという点においては、レンブラントの作品とまったく同じベクトルを持っていると感じるからだ。
Amsterdam/レンブラント公園に佇むレンブラントの銅像
今回間近に接したレンブラントの数々の作品を見ていて、俺は思ったぜ。
『俺の写真ももっとアンダーでも、つまり黒がつぶれるくらいに焼きこんでも、ええんでないの?』ってね。
最近、ネガが真っ白、つまり非常に暗い部分をプリントするときにですねぇ、露光時間をグッと短くして、夜景でも影の中でも、極力被写体が黒くつぶれないように気を使っている訳なんですが、もっと昔自分が焼いていたプリントのように、黒くつぶれてしまう寸前までしっかり焼きこんで見るのも、イイんじゃないかなぁということですわ。
いや、うまい下手ってことで言えば、今のほうが旨いわけなんですが、所詮道楽、巧けりゃいいってもんじゃないだろう。俺は好きでやってるんであって、アサヒカメラの月例コンテストに投稿して、モノクロの部上位入賞したいわけではないんだから、イイじゃねぇかよ。
そもそも、写真にキマリなんかないんだろう。そんな堅苦しいもんじゃないはずだ。自分以外の誰かが決めた尺度で、俺が好きで焼いた写真を評価されても、こちとら、さしてうれしくもないさね。小手先の猪口才な巧さよりも、ドラマチックで、見る人に対してエモーショナルな刺激を与えるような写真のほうが、お好きな口なんでね。
Amsterdam
憶えておくがいいさ。闇が深いほどに、星は輝くのさ。
それは写真も同じだろう。黒が深いほどに、光が引き立つんではないのかい。どうだい、全面明るい写真なんて、健康的でわかりやすいけれど、エロスが感じられないんじゃないのかい。いや、エロスっても、いわゆるエロじゃないぜ。隠されたものを追い求めるという、ギリシャ語本来の意味合いでのエロスだよ。ココからまぁ、彼女のパンツの中に隠されたあれを追い求めるというエロスが、生じているのは間違いないけれどな、イッヒッヒッ・・・。まぁ、そういう写真もたまには撮りますけど、なんか喰い足らない、物足らないカンジがしてねぇ・・・、自分ではあまり好きではないんですよ。そして、綺麗に階調が出過ぎちゃったりするのも、なんだか物足らないなぁ、喰い足らないなぁと思っていた矢先でございますからね、ここらでいっちょう、黒くかましてみますかね。ストーンズのPaint It Blackなんか口ずさみながらね。
よし、9月になったら初心に戻って、もっと黒々焼き込んでいくとするかな。もちろん写真の内容次第だけれどね。
なぁに、上手い下手など関係ないさ、自分が良ければ、それでいいのさ。どうせ、対してみてくれている人も多いわけじゃないんだ。遠慮は無用だぜ。読者諸君、見ていておくれ、俺はきっとますます下手になっていくだろう。ではまた。明日も朝早くから、深夜までダブルヘッダーでお仕事なんだよ。
頑張れ俺!

2011/08/27

Post #287 Buterfly

Sometime, Somewhere
蝶が飛んでいるのを見ると、不思議な感覚にしばしば襲われる。
何やらこの世のものではないような気すらする。
蛾はもっとリアルでそんなカンジはしないんだけれど。見かけると、カメラを持ってファインダー越しにその姿を追ってはみるのだが、なかなかうまくは撮れないんだ。変なところにピントが合ってしまったりしてね。何といっても、ひらひらと舞っては、ひとところに留まってはくれない。それが蝶というものだろう。
蝶や鳥など、空を飛ぶモノたちを見ていると、いつもそれが、死んでしまった誰かの魂のような気がしてくる。それが誰だか、心当たりが多すぎて、誰とは言えないけれどね。そう、この年にもなれば、周囲の人が死んでしまったことなんて、いちいち数えきれないくらいだ。
そんな不思議な感覚にトリップしてしまうのは、俺だけかと思うかもしれないけれど、アルカイックな世界観では、鳥や蝶はやはり死者の魂を象徴するものと考えられていたようだ。
反対に、多くの卵を産む魚は、生の象徴だとされていたようだ。生命が海からやってきたことを、記憶以前の本能的な記憶として感じているのかも知れない。そういえば、お寺なんかに魚の姿を象ったレリーフを見ることもあった。何だかんだとこじつけたような教理があるんだろうが、きっとその奥底には、作物の豊かならんことと、命の永からんことへの祈りがあるんだろう。

蝶を見ていると、不思議な感覚に陥るんだ。
まるでこの世のものではない世界から来たもののように、感じるのさ。
俺もずいぶん生きた。生き過ぎたりや42歳だ。きっとそう遠くないいつか、この世界からいなくなるに違いない。それが、明日かもしれないし、30年後かもしれないが、必ずやこの世界からいなくなる時が来るだろう。
そうしたら、蝶に姿を変えて、縁ある人の様子でも見に来るかな。
Sometime,Somewhere
夏の激しい日差しの季節もじきに終わる。日が沈めば、秋の虫たちの鳴き交わす音すら聞こえる。
夏の日差しは、俺たちの生きるこの世界をくっきりと照らし出す。しかし、光が強ければ、影もまた深い淵のように黒々としていることだろう。
写真は、目に見えるモノしか映らない。当然のことだ。けれども、自らの中に世界を読み解く感受性があれば、何気ない風景は異界への扉となり、花に戯れる蝶は、もう二度とまみえることのかなわない人の面影を宿す。
時には、そんな写真を撮りたいもんだね。ただ生きるために、生き抜くために、仕事ばかりしていると、そんな感性は萎えてしまう。忙しいってのも、ほどほどにしないといけないな。

2011/08/26

Post #286 Speak Like A Child #6

Speak Like a Childは、言わずと知れた新約聖書の一節だ。
そういえば、The Style Councilの曲にも、あったな。しかし、俺が好きなのは聖書のほうだ。コリント人への第一の手紙の第13節だ。これはとても有名。愛について語っている一節だ。これを俺に教えてくれたのは、数年前に癌で死んだ俺のオジサンだ。愛介という名前だけのことはあった。
少しばかり長いが引用してみよう。
『愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、私たちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。私たちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、大人となった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。(中略)わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかし、その時には、私が完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』
この文脈で言えば、本来は幼子らしく語ったり、感じたり、考えたりすることは、不完全さの比喩になっているけれど、俺は当初から誤読していた。つまり、大人になって幼子のように、世間的な常識や固定観念によって思考や感情を曇らされることなく、ある種無垢で純粋な存在として語り、感じ、思うことを肯定するように考えていたんだ。だいたい常識的な、つまり世間慣れした大人なんて、これ以上につまらないものは無いからねぇ。これはこれで致し方なかろう。しかし、なんでこんなに思いっきり誤読してしまったもんだろうかね?
Paris
その原因の一つには、俺の好きなThe Whoの曲の歌詞にあるかもしれない。
『僕は若者 僕は多くをやらない 昔どうやって戦ったか思い出せ 子供のように僕は夢だけを見てる 僕は混乱しているけれど、何が正しいか知っている』(The Who /Dirty Jobs)という歌詞の影響がありそうだ。ロックの引力によって、解釈が曲げられているんだ。うむ、これはこれで俺らしいもんだ。
うむ、明らかな誤読だ。しかしですね、歴史的に誤読によって新たなものが生み出されるというのは、多々あるのだよ。孔子だって、親鸞だって、道元だって、みんな誤読誤解して、自己流の解釈を生み出してきたんだからね。

まぁ、俺はそんな歴史上の巨人とは程遠いバカヤローだけれど、大人のくだらなさにヘキエキしていた反抗的な少年だった俺は、このSpeak Like A Childという言葉を、いささか感傷的なカンジもするけれど、肯定的に受け取っていたんだ。子供のように、虚飾なく、ストレートに、思ったままに語り、振る舞い、生きることができたなら・・・。
ニーチェだって、名著『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、人間が歩むべき修行と闘争と、それを経たうえで初めて花開く自由な創造の時期をそれぞれ、駱駝、獅子、小児に例えているんだぜ。『小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。』(手塚富雄訳 中公文庫版『ツァラトゥストラ』第一部より)と述べているんだぜ。
幼子のように、世界そのものを肯定的に受け入れ、そして自由に創造していく。それこそがまさに、俺がSpeak Like A Childという言葉から思い浮かべるイメージなんだ。もちろん、幼子のままという訳っではなくって、それは修行と闘争という過程を踏んで、360度(180度ではないよ)まわって、レイヤーが上がった状態ってことなんだけれどね。
Paris
あ~、調子にのって学のあるところを披露してしまったな。
まいった、まいった、まいったな。いささか反省だ。
反省ついでにもう一丁行っておこうか。
俺は子供は結構好きだ。自分自身は子供を持つタイミングは逃してしまったが、これまた実に残念なことだ。俺はともかく、連れ合いだって少し難しい年頃になってきちまった。世間の皆様のように、我慢して辛抱強く働くことが出来ない性分だったからなぁ。とても子供なんて、養っていけなかっただろうよ。
そう、子供がいないからといって、子供が嫌いなわけじゃないんだ。子供の遊ぶ声をきくと、心がほぐれるような心持がするぜ。思わずニンマリしてしまう。そう、梁塵秘抄にもあったっけ。
『遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声きけば、わが身さえこそ動がるれ』
読者諸君、失礼するぜ。このシリーズは今日で終わりさ。

2011/08/25

Post #285 Speak Like A Child #5 Ship

今日も超忙しい。忙しいたらありゃあしないんだ。
午前中に打ち合わせを一件こなし、夕方から現場が2件。しかも、これから銀行に振込みに行かなけりゃならないんだ。しかも、またたった今、仕事のオファーが舞い込んできやがった。たまらないぜ。よって、例によって写真のみ。
Paris
この忙しい毎日の、寸暇を縫ってブログってるわけなんだけど、どうも俺の調査によれば、ながなが文章を書いていないとPVが伸びないのは、何故だろう?不思議なもんだ。俺が忙しいときには、世間の皆さんも忙しいんだろうか、それとも俺はみんなから、飽きられてきているんだろうか?
忙しい中にも、そんな疑問が頭にこびりついて離れない俺なのさ。
読者諸君、失礼させて頂くぜ。冗談抜きで忙しいのさ。明日には、一息つけるだろうか?

2011/08/24

Post #284 Speak Like A Child #4 Amusement Park

仕事は終わった。
俺は仕事の仕上がりを見た施主さんが、大喜びしてくれるのを見るのが好きだ。報われた気がするぜ。しかも、誰かを搾取したり、誤魔化したり、口先でだましたりすることなく、一生懸命に取り組んだ仕事で、誰かが喜んでくれるというのは、健全でイイことだ。イエス様がおいでになった時、恥ずかしくないようにしないとな。
Paris
しかし、仕事は終わったんだが、眠たくてどうしようもない。気が付くと同じキーをずっと押し続けている。意識が飛んでいる。しかも、一つの仕事が終わったからといって、仕事から解放されるわけでもない。明日も忙しい。儲かって仕方ないでしょうと言われるが、そんなことはない。忙しくても、儲からん。じっと手を見るだ。残念なことだ。泣きぬれて蟹とたわむるだ。まったくもって、残念極る。
仕事がドバドバ入ってきても、純粋な子供のように、素直に喜んだりできないぜ。残念なことだ。
何といっても、どれだけ仕事をしても、現金を掴むまでは安心できないしな。
読者諸君、失礼するぜ。もう、これ以上はまともな日本語を入力する自信もないぜ。
眠たくて眠たくて、もう倒れそうだ、いやむしろ、すでに倒れているぜ。

2011/08/23

Post #283 Speak Like A Child #3 Just A Girl

今夜あたりは、家に帰って少しでも眠りたいもんだ。
この写真が公開される頃には、まだまだガンガン仕事をしている頃だろう。たまらないぜ。これじゃまるで鉄人レースだよ。去年はこれで8キロ痩せました。
Amsterdam
では、失礼させて頂くぜ。読者諸君、御機嫌よう。
たまには素敵な写真ですねとか、コメントを貰いたいもんだぜ。いやホント、切望してます。

2011/08/22

Post #282 Speak Like A Child #2 Horses

今日も工事中。
明日の夜中まで、家に帰ることも、眠ることも出来ないんだ。仕方ない、これも人生だ。ロックンロールだ。
Amsterdam
では、今夜もこれで失礼させて頂くぜ。読者のみんな、またゆっくり語り合おう。

2011/08/21

Post #281 Speak Like A Child #1 Pigeon

本日、作業中なので写真のみ。
Amsterdam
それでは、読者諸君、失礼させてもらうぜ。今頃俺は八面六臂の勢いでフル稼働してる事だろう。そんな時もたまにはないとね。

2011/08/20

Post #280 Naked Eye #14

明日から仕事がヘビーな進行なんだ。
眠ってる暇もありゃしないくらいだ。8月の山場なんだ。
朝早くから真夜中まで、現場に張り付きだ。ヘビーだが致し方ない。それが俺の仕事だ。
だから、いつものようにあっさりと流しておくことにするさ。
Paris
では、失礼するぜ。明日は朝早くから出撃なんだ。

2011/08/19

Post #279 記憶中枢異常あり

今日は昨日よりも涼しかったんで、プリントも進むかと思ったんですがね、結局仕事のメールだの電話だので、思うように進まないわけだ。とはいえ、懸案のアムステルダムの写真はすべてプリント出来たんだ。勢いでそのままブリュッセルに突入しようかとも思ったんだけれど、新しいフィルムに突入するには、時間的にも中途半端だし、現像液もすっかり疲れ切っていた。初めは無色透明なんだが、披露してくると、黄褐色になる。そうすると、印画紙の黒のノリも悪くなるし、時間もかかるわけだ。さらに言うと、最初15カット焼く予定だったフィルムを見直していると、何枚か焼きたいコマが増えてしまったんで、これをずべて片付けると、今夜程よい時間で切り上げることは無理だなぁ、明後日からの仕事の図面もチェックしたいしなぁ・・・って事情もあった。こう見えて、まっとうな職業人だからね、俺は。
で、やめた。本日、17カットプリント。結局暑くても、涼しくても同じだってことだ。
Amsterdam
最近、自分で気づいて驚いたというか、呆れかえったことがある。
つい先日、俺は自分のつれあいが撮った写真を見ていたんだ。そう、アムステルダムやブリュッセル、それにパリの写真だ。最近お見せしているあたりの写真だ。
うちのつれあいはカラーで撮っているので、サービス版にプリントされていた写真を見ていたわけだ。同じところを歩いていても、写真とはこれほど違うもんかと、いつも驚くんだけれど、今回一番驚いたのは、俺と連れ合いの写真のセンスの違いでは、ない。
確かにどの風景も記憶にあるんだけれど、俺の記憶にある風景には、何ということだ、どれもこれも、色がない。つまり俺の脳みそには、風景がモノクロで記憶されちまってるってことだ。
まいったなぁ・・・。犬じゃないんだから、勘弁してほしいぜ、まったく。
だから、他人の撮った写真を見て、あぁ、この風景、こんなに色鮮やかだったんだと感心する始末だ。ホント、まいったなぁ。いくらモノクロ写真ばかりやっているからって、それはニンゲンとして問題アリじゃないだろうか?
Amsterdam
もともと、俺の記憶はいい加減だ。死んだオフクロの顔など、とっくに思い出せない。暫く合わない人の顔なんか、自動的にデリートされていく。きっと脳みその空き容量を自動で増やすアプリケーションがビルトインされているんだろうよ。
しかし、それぐらいならまだいいさ。冗談みたいな話だが、俺は自分の顔に関しても、しばしば、俺こんな顔だったけ?なんて鏡の前で首をひねっている始末だ。これはまぁ、ゲシュタルト崩壊しているのかもしれないけれどね。
ゲシュタルト崩壊ってのは、うむ、要は脳の中の認識するユニットが疲労してしまうせいで、文字や顔なんかが、これってこんなんだったっけ?って自信が持てなくなるあれだ。詳しいことは、よくわからいけれど、興味があるなら、各々ネットで検索するなりして、無駄知識を増やしていただけると幸いだ。
いずれにせよ、記憶に色がないって、どこか寂しいもんだ。ひょっとしたら、プリントすることで、記憶がカラーからモノクロに上書きされてしまってるのかもしれないがね。
俺の友人の陽ちゃんは、空手家の父親から『写真は、脳の怠慢を招くだけだ。写真などに頼らず、自分自身の脳みそにしっかり記憶しろ、記憶!』と、いまどき無茶なことを言われて育ったおかげで、写真は不要ときっぱり言ってのける凄い男だ。俺は、その話を聞いて『いや、冗談じゃないぜ。そんなこと言ったら身もふたもないもんだぜ・・・、まいったなぁ』って思っていたんだが、自分の記憶から色が抜け落ちているこの現実を前にして、もう少し、しっかり記憶したうえで、記録しなけりゃなと思った夏の一日だったのさ。

読者諸君、失礼する。ブリュッセルの写真をプリントするのが、今から楽しみだ。そのためには、いくつか仕事の山を乗り越えなけらならないのさ。やれやれ、気が重いぜ。

2011/08/18

Post #278 天気予報は能天気予報

天気予報で今日あたりから暑さが和らぐと言っていたのを当てにして、今日は久々にプリントしてみたんだが、死ぬかと思った。
俺が暗室につかっている洗面所には、もちろんクーラーなんて気の利いたものはない。だから、閉め切った暗室は、さながらサウナ風呂のようだ。目の前では、150Wの電球を使用した引伸機が、熱を発している。汗がとめどなく噴き出してくる。覆い焼きしていると、汗がしたたり落ちてくる。
Paris
一体何枚タオルを使ったことだろう。何枚かプリントすると、失われた水分を補給するために暗室を出て水を飲む。頭に巻いているタオルは、すでに汗でべとべとだ。暗室=洗面所の洗濯機に放り込む。新しいタオルに替えて、また2、3枚プリントする。
ちっとも進まないぜ。露出の読みを外して、紙を何枚も無駄にしている。もったいなくてうんざりするぜ。
Paris
いつもながら、この時期のプリント作業は苛酷だ。俺は遠い目をして伝説の常春の国、マリネラ王国を想う。何といっても夏もきついが、冬もしんどいからね。
とまぁ、こんな有様でプリント17枚。あと16枚焼けば、パリに続いてアムステルダムは終わり。次はブリュッセルだ。
明日も仕事は休みだ、残念ながら。仕事が休みだからといって喜んでいては、オマンマの食い上げだ。いくらリキを入れてみても、写真じゃ小遣い銭すら稼げない。しかし、そんな時こそ、気を持ち直してプリントだ。TVの天気予報は、明日からは暑さも和らぐと言っている。毎日そんなことを言っていやがる。今日も涼しい予定だったはずなのに・・・。まるで馬の前にニンジンをぶら下げて走らせているようなものだ。
という訳で読者諸君、失礼するぜ。汗と薬品のにおいの染みついた身体を、風呂に入ってすっきりさせたいのさ。また会おう。しかし、正直言って、ヨーロッパの写真、早く終わらせて、他の写真をプリントしたくなってきたぜ。そう、平たい顔に短い手足の民族の皆さんが、なんとなく懐かしく思えてきたんだ。

2011/08/17

Post #277 明日こそは…

お盆休みを利用した仕事が終わった。日曜日に始まる新しい仕事まで、しばらく息抜きだ。結構なことだぜ。この暑い時期、あまり一生懸命に働き過ぎるのは考えもんだぜ。
Paris
幸い、暑さも和らいできた。ほんの少しだがね。OK、チャンス到来だ。久々に、プリントでもするとしよう。
昨日は午後から仕事が空いたので、プリントしようかとも思ったんだが、久々に、高校時代の先生の家に行ってきたんだ。
大好きな先生だ。若いころは登山に熱中し、写真もやっていた。夏休みに登山が出来るからって理由で教師になったんだそうだ。ここ3年ほどは、18世紀フランスの天才数学者、ガロワについて研究しているんだそうだ。ここ最近は、遊びに行くたびにガロワの話しを聴かされる。五次方程式とか冪数とか群とかについてなんだが、もちろん俺にはとんとわからないぜ。けれど、俺は先生が夢中になって話しているのを聴くのが好きだ。
俺がこの先生にはじめて会ったのは、もう30年も前。蕩児中学一年生だった俺は(俺の学校は中高一貫校だった。)、あの頃の先生とちょうど同じ年齢になっている。
人生に与えられた時間は、そうは多くない。少年老い易く、学成り難しとはこのことだ。ましてや、70を超えた先生に残された時間は、俺以上に少ないだろう。俺にはプリントも大切だけれど、大切な人とお喋りしたりする時間も、これまた大切だ。
人生は、他人とお喋りしたりして、自分以外の誰かを理解するためにあるんだと思うぜ。
Paris
そう、明日はプリントするのさ。いろいろと仕事の雑務もあるにはあるけど、明日はプリントすると決めたんだ。何れ諸君にもお見せしよう。楽しみにしていてくれ。

2011/08/16

Post #276 俺の声は小さいけれど

昨日の新聞を読んでいたら、戦争中に女学生だったおばあさんが、自分の孫娘に戦争体験を伝えるという話が載っていた。孫は訊いていた。『どうしてみんな戦争なんていやだって声をあげられなかったの』と。『そんなことをいえるような時代じゃなかったの』というようなことを、大昔の女学生のおばあさんは答えていた。

好戦的な勇ましい発言は、格好いいものだぜ、確かに。勇ましい掛け声は、世間に対して通りがイイ。不景気風にあおられている庶民の耳にも心地よく響くってもんだ。しかし、そんな発言を繰り返す保守的な人々に、果たして自分自身が最前線にたって、殺したり殺されたりする覚悟は、あるもんだろうかと、俺はいつも思う。自分も相手も、同じ赤い血の流れているニンゲンだというのに。
Paris
その代表的なモノに、中国人や韓国人への差別的な言説があるんじゃないかい?
中国人や韓国人に対する感情的な批判は、世間に満ちている。フジテレビに対する一連の騒動には、どっちの言い分もなんだかねぇというカンジで組する気にもなれない俺さ。
しかし、まぁ落ち着け。日本人が中国でどれほどやらかしたが知らないが、かなりの数の中国人をぶっ殺していたのは、間違いないだろう。シャブ喰った日本兵が、どれだけ日本刀で中国人を斬り殺せるか競争していたんだぜ。日本人が韓国を併合して、日本国内と平等に扱うという美名のもとに、韓国語を禁止し、文化を抑圧していたのも間違いないんだ。まぁ、この辺のことは歴史の授業でも一番最後のほうで出てくるので、受験だ卒業だのを控えて、もう消化試合状態だから、まともに学校で教わらなくても仕方ない。仕方ないッたら仕方ない。しかしもし、俺たちが逆の立場だったらって想像してみようじゃないか。
近所の床屋のおっさんとかが、中国人に青竜刀でジャンジャン首を斬りおとされていたら、韓国人によってハングルの使用を何十年も強要されていたとしたら、どうだろう?想像力を働かせてみようぜ。経済的に不可分な関係になった今日になっても、中国人や韓国人に対するわだかまりは、しこりになって心の中に残っているだろう。良い戦争も、良い帝国主義も無い。それだけだ。
にもかかわらず、日本社会にわだかまってる中国人や韓国人に対する、差別的な扱いや言説はどうしたもんだろう。俺には日本人そのものの自信の無さの表れとしか思えないぜ。
その一方で、俺達日本人は、中国をネタに金儲けすることに忙しい。どれだけ中国人をネット上で罵倒している人々も、今や中国製の製品を買わずに生活することは、なかなかに難しいだろう。大企業は言うに及ばず、中小企業も生き残るために、中国に進出している。俺は産業の流出だと思っているがね。そしてその分、日本の若者たちは、ましな仕事にありつくことが出来なくなる。悪いのは中国人じゃないだろう。日本を見限って行った企業の皆さん、つまり俺達日本人自身の問題だ。いずれ、企業栄えて国滅ぶってことになるだろう。
日本のTV には、韓流スターやK-POPがあふれている。韓国料理の店もずいぶん増えた。にもかかわらず、韓国人(そしてもちろん朝鮮人)に対する拒否反応を持つ人々も、相変わらず多い。
足を踏んだのはこっちの方で、踏まれて痛かったのは、あちらの方であると思うんですが、如何なもんでしょうね。
日本人の、とりわけ若者のやり場のない生活の不如意と将来に対する不安が、人々をファシストやレイシストのような発言や振る舞いに走らせる。
うんざりだ。
俺が以前に働いていた会社にも、自衛隊あがりで中国人や韓国人を忌み嫌っている奴がいた。そいつの携帯の着信音は軍歌で、電話がかかってくるたびに、俺は気分が悪くなったもんだ。
ある日、現場からの帰り道、そいつが助手席で酒を飲みながら、よどんだ目をして中国人や韓国人を罵倒し始めた時には、不愉快になって『黙れ!このアル中のレイシスト!ここから降りて歩いて帰るか!』って怒鳴って黙らせたこともあった。何しろそこは高速道路の上だったからね。
そいつは昼間から酒飲んで、会社の前を通りかかった自転車の通行人を、中国人と決めつけて怒鳴りつけたこともあった。ありえないぜ。
いろんな人間がいるのは確かだが、少なくとも、俺が接する中華料理屋のコックさんや研修生名目で来ている中国人の娘さんは、日本人よりも安い金でも、一生懸命働いていると思うぜ。香港の両替屋のおやっさんは、人懐っこくていい人だった。俺としちゃ、アル中の日本人よりもずっと好感が持てるんだがな。もちろん、蛇頭同士の勢力争いで、日本の繁華街の真ん中で青竜刀で殺しあってる奴もいるのも知っている。俺の友人の中にはそんな修羅場を見た奴が何人かいる。しかし、どんな社会にも悪い奴はいるぜ。だからといって、それですべてがそんな奴だと思っちゃいけないだろう。
在日の人にも、華僑の人にも、この人生で触れ合ってきて、そこそこに面白かったし、世話にもなった。俺のオヤジの前の彼女も在日で、気性のさっぱりした、情に厚い人だった。ずいぶんお世話にもなった。偏見を持つなんてとんでもないぜ。ましてやノルウェーのアンネシュ君みたいにマシンガンや爆弾でブッ飛ばすなんてありえないぜ。
だいたい、ユーラシア大陸の反対側から見たら日本人も中国人も、韓国人も見分けがつかないって!そう、みんなまとめてイエローモンキーだ!うちの連れ合いは海外に行くと大抵中国人や韓国人、下手をするとベトナム人と間違えられる。まぁ、俺はどこに行っても、何故か日本人と思われてるようだがね。然し、日本の中じゃいつだってはみ出し者扱いなんだが・・・、困ったもんだ。
Paris
俺は、レイシストになるのはゴメンだ。冗談じゃない。それはまったくろくでもなけりゃ、ちっともロックでもない。
他者を排除するような勇ましい声は、世間によく響く。大合唱だ。よく響いているうちに、いつの間にかそれがジョーシキになってしまう。彼らが自分の意見を述べるのは自由だ。それが民主主義だ。しかし、それがいつしかジョーシキの様に認知されたとしたら、きっとそのジョーシキに異を唱えるのは、はばかられるようになってしまうだろう。世間のジョーシキと違うことを述べる自由もあるはずなんだがね。
それは杞憂だろうか?
いや、俺たちはつい66年前のあの日まで、世間のジョーシキに異を唱える者を非国民と呼んでいたんだぜ。ケッ!ファシスト万歳だ。自民民主の大連立で大政翼賛会発足だ。今に俺も何も言えなくなる日が来ないとも限らないぜ。しかし、自分の良心に従って、言いたいことを、いうべきことを、自分んが正しいと思うことを、堂々と言うべきだと確信している。それが民主主義だ。
俺の話しはこうして、冒頭のおばあさんと孫娘の話しに帰納するわけだ。
俺の声は小さい。声をあげたところで、何のメリットもない。けれど、自分が言いたいことを、自分が愚直に信じていることを、誠実に言い続けていくんだ。それはそれは蚊の鳴くような小さな声ではあるけれど、世間に漲る空気を無視して、言い続けるってのは、あんがい大事なことだと思うんだが、どうだろうか諸君。けど、正直に言って、狭い地球の上でけなしあっても仕方ないしくだらないだろう?

あ~あ、また今日も肩っ苦しい話で、スマン。本当はもっと楽しい話がしてみたいんだけどな・・・、まぁ、時期が時期だけに勘弁してくれよ。俺はガキの頃から戦争の悲惨な話を、おばあさんからたっぷりと訊かされて育ったんだ。そんな息苦しい社会は、二度とごめんだ。君はどうだい?

2011/08/15

Post #275 戦争が終わった日に

日本人の悪い習慣の一つに、物事を言い換えることによって、本質をごまかしてしまうというものがある。ゴミ処理場や下水処理場をクリーンセンターと言い換えてみたりするのが一例だ。
今日迎えた『終戦記念日』ちゅうのも、俺に言わせれば、『敗戦記念日』だ。ボロ負けだ。この国はあの戦争ですっかり焼け野原になった。戦争は終わったのではない。戦争に敗れたのだ。
日本人だけで、軍人、民間人合わせて300万人以上が犠牲になった、つまり無謀な軍人と無能な政治家の始めた戦争によって、殺された。
300万人だ、300万人。黙禱!
その多くは、病と飢えによって死んで行ったり、空襲によって虫けらのように焼き殺されたりした。
今NHKで当時の戦争が無謀に拡大していった原因は、リーダー不在、セクショナリズム、危機管理意識の欠如などがあげられるという。それを聞くと、震災と原発事故に苦しみ続ける今の日本人も、当時となんにも根本的に変わっていないことがわかる。
何にも変わってないぜ。馬鹿なんじゃないか、俺たちは。
HomeTown
けれど、たった一つだけ変わったことがある。
それは、多くの犠牲によって俺たちが手にした素晴らしいものだ。
皆さん、もうお分かりですね、そう、憲法9条だ。国家の軍備と交戦権を認めない、あの憲法9条だ。
おかげさんで、俺たちは自分たちの組織のメンツと利益しか考えずに戦争をおっぱじめたり、クーデターを起こしたりするような軍隊ときっぱり手をきることができた。俺たちは年頃になっても、軍隊に集められて人殺しのレクチャーを受ける必要もなくなった。どこかに利権を求めて、鉄砲を担いでのこのこ出かけていく必要もなくなった。そのおかげで、俺たちは経済を発展することに集中することができたわけだ。
憲法9条を替えてしまおうという声を、保守の皆さんからよくうかがう。先のアホラシイ戦争には大義があったと抜かすのも、勇ましい発言で世間の皆さんに大人気の保守の皆さんだ。みなさんのおかげで支持率が盛り返してきた自民党さんは、永年にわたってこの憲法9条を改悪して、アメリカ主催の戦争がジャンジャンできる、責任ある国にしていきたいと願っている。憶えておいてくれ、世間の皆さんが見限って、そして今また支持し始めているあの自民党だ。終戦記念日という名の敗戦記念日に、靖国神社に参拝するのが大好きな、あの自民党の皆さんだ。
けど、奴らが書き換えたがってる憲法9条こそ、俺たち日本人が300万人の人命と引き換えて手に入れた唯一最大のものだ。
これを書き換えることは、300万人の犠牲者に対する冒涜だ。

だいたい、軍隊がある国は、おかしな権力構造になっている場合が多い。
①軍隊が支配している糞ったれな国。
この軍隊の敵は自分の国の国民だ。自由を求める国民は国家の敵として殺される。
②民主主義が行われているように見えるが、軍隊がすぐに政治に口を出す国。
政治対立が深まると、政治とは距離を置いた軍隊が、どちらにつくかで国の政治が決まる。
③軍隊に対する文民統制が行われてはいるが、軍隊が政治に深く深くかかわっている国。
武器をジャンジャン作って、外国にも売りまくり、よその国でジャンジャン使うことで、金儲けする奴らがはびこっている国。
Paris
どれもロクな国じゃない。
いつだって、戦争したがる奴は、自分たちが平和を守ってるというし、自分の国の国民をひどい目に合わせる軍隊は、いつだって国家の敵を排除しているだけだという。
そうじゃない、まともなシビリアンコントロールが行われている国でも、警備名目でふつうの街中や駅の構内や観光スポットに、機関銃を肩に背負った軍人がうろちょろしてる。人を一度に大量にぶっ殺せる道具を担いだ奴が、その辺をうろちょろしてる、しかも合法的に。それが軍隊のある国だ。
ふつうの若者が、人殺しの集中講義と訓練を受け、時には実地に人殺しをする、それが軍隊のある国だ。
冗談じゃない、俺はゴメン蒙るぜ。腰抜けだって笑ってくれてもいい。日本が侵略されたらどうするんだっていうかもしれない。平和ボケというがいいさ、俺はいざとなったらゲリラにでもなる覚悟だぜ。しかし、すぐに戦争になるんなら、外務省はいらないぜ。まともな大人なら、利益を求めて、いきなり人を殴ったりしないだろう。ましてや国家間のことだ。いきなりポカってやるような国は、なかなかないぜ。にっちもさっちもいかなくなって初めて戦争なんだ。いずれにせよ、軍隊は無いにこしたことはない。軍隊の無い国、それが21世紀の世界標準、軍隊のある国は20世紀以前の遺物だ。人類の発展段階として、軍隊が無い方が、軍隊を持っている国よりも、はるかに進歩しているぜ。
俺はこの件に関しては、無条件に日本の国は素晴らしいと思うんだ。
300万人の犠牲を悼むのが今日であるならば、その犠牲によって手にしたものを、大切にして、なおかつ世界にアピールする日であったもいいんじゃないのかい?

まぁ、世間の皆さんが大好きな自民党の皆さんが政権党に返り咲いたら、絶対にそんなことにはならないだろうがね。何しろ奴らにはガイドライン特措法とかいろいろと前科があるからな。安倍なんか、憲法9条を替えたくてうずうずしていたんだ。
大連立?冗談じゃないぜ。大政翼賛会って言葉を思い出して、不愉快になってくるぜ。
読者諸君、本日もこうして言いたい放題だ。言いたいことがある限り、見せびらかしたい写真がある限り、このブログは続く。続くったら続く。正直言って自分でも時折面倒臭いが、でも続く。てなわけで、ご勘弁願いたいぜ。明日か明後日、また会おう。

2011/08/14

Post #274 Fragment Of Fragments #20

眠い、猛烈に眠い。例年のこととはいえ、暑さのあまり眠りが浅くて、一日中、なんだか眠たい。そう、ぐっすりと眠りたいんだ。
Paris
今日仕事で、久々に例のホモの電気屋さんM社さんに会ったんだ。
どうもM社さん、俺のブログを読むのも飽きたらしくて、ココ最近、まったく見ていないって言っていた。大丈夫、もともと楽しみにしてくれている読者さんの数は知れているんだ。俺はいつだって少数精鋭主義だ。挙句の果てには『ブログまだやってんの?いつまでやんの、アレ』なんて言い出す始末だった。余計なお世話だ。M社さんは基本的に失礼な事を本気とも冗談ともつかない失礼なことばかり、年中言ってるような人だから、気にもしちゃいないがね。
どんなものにも終わりはある。いつかはやめることになるだろうが、まだ一年もやってないんだから、考えてないんだよ、出口戦略なんて。
まぁ、M社さんも『いや、だって仕事だって結構忙しそうだし、そんな時間、負担じゃないのかなと思ってね』なんて言ってましたが、まぁ、楽しみにしてくれる読者の皆さんがいる間は、ごまかしごまかしやって行くつもりだ。要は自分で飽きるまではやるってことだ。継続は力なりだ。
Paris
読者諸君、失礼する。なに、いつまでもこんなことやってる場合じゃないってことだ。とっとと風呂でも入って、睡眠をとらないと、明日も朝早いんだ。そう、俺には盆も正月も残業手当もないんだ。

2011/08/13

Post #273 今年の夏はどこにもいかないのさ

昨日の夜、高速を飛ばして帰ってきた。
ある意味ちょろい仕事だ。行って帰ってくる方が時間がかかる。とりわけ昨日は世間様は盆休み序盤、高速は激混みだった。幸い、行きは上り方向だったので、さほどの渋滞にも合わなかったが、帰り道はかなり混んでいた。普段、高速道路を走りなれていないドライバーが多いので、車の流れは深夜といえども悪かった。
とりわけムカついたことに、大阪ナンバーの頭のおかしいレガシーが、俺の車の前に執拗に立ちはだかり、悪質な進路妨害、危険極る車線変更や急ブレーキ、幅寄せなどで嫌がらせをしてくれやがった。俺は運転しながら荷物をあさり、仕事で使うハンマーを手に取って、危うく奴を実力排除するところだった。最後は、チキンランだ。登坂車線から追越を計る俺に、奴は激しく幅寄せをしてきやがったんだが、俺も臆さず、アクセルを踏みぬいてぶっちぎった。ふざけやがって、大阪人め!
こんなバカがいることで、大阪人への心証が俺の中でうなぎ降りだぜ、ケッ!
Istanbul, Turk
ゴールデン・ウィークや盆休みにどこかに行くと、こんな目に合う確率が高い。
以前はしばしば車で国内旅行とかしたもんだけれど、海外旅行をするようになってからは、とんと行ってないんだ。まぁ、毎日の仕事が旅行のようなもんだからな。あえて国内旅行に行く気がしないってのもある。下手をすると、旅先にもお客から電話が入ってきて、急な仕事の依頼をされかねないんだ。冗談じゃない。最初っから仕事してた方がマシだ。とはいえ、この時期に長距離遠征の仕事はゴメン蒙るってもんだ。
去年の今頃は、トルコに旅行中だったんだがな・・・。
日本語でバカ高い絨毯を売りつけてくるこすっからいトルコ商人もごまんといたが、総じて人情に篤い人懐っこい人々ばかりだった。なんとなく居心地もよかった。
去年のトルコも死ぬほど暑かったが、何故か旅行だと、カメラを持って、ひたすら炎天下でも歩き回れたりするから不思議だ。イスタンブール、かつてヨーロッパとアジアの交点だったコスモポリスだ。
ヨーロッパとイスラム圏のミックスされた街並みが、人間の風貌が、独特の雰囲気を醸していたっけ。うむ、ぜひまた行きたいものだ。
しかし、今年は仕事だ。今日は一日仕事は明いていたんだが、明日からまた仕事だ。世間様がお休みの時こそ、俺の稼ぎ時といえば稼ぎ時なんだ。そう、今年の夏はどこにもいかない、どこにもいけない。せいぜい今日、墓参りに行ってきたくらいだ。ひたすら男の仕事に明け暮れる毎日だ。そんなわけで、今日はイスタンブールで仕事に励むおっさンたちの写真をお届けしておこう。
Istanbul, Turk
それでは読者諸君、失礼するぜ。明日も早いのさ。
あんまり渋滞するようなら、高速を降りてシタミチをゆったり走ってみるのも悪くないだろうさ。意外とスムーズに流れているものだぜ。何より渋滞してるのに、高速料金を払うのって、なんだかバカバカしくはないかい?俺はゴメンだぜ。何といっても、自分で稼いだ大事な金だからな。無駄使いは出来ないんだ。せいぜいけちけちやらせてもらうさ。
失礼する。明日か明後日、またお会いしよう。

2011/08/12

Post #272 Naked Eye #13

今日は夜仕事なんですがね、それまでにやっつけておきたいことが結構あるんで、至極あっさりと、写真だけですわ。
Tokyo
夜は暑くて眠れないし。何かを集中してやる気力が、イマイチおき無いんだ。いけないな。お盆休みってのが、この時期に設定されている理由がよくわかるってもんだ。
Tokyo
しかも、帰省ラッシュの中、高速に乗って現場に出撃しなきゃならないなんて、う~む、実に気が重いぜ。余りに気が重くて、眠りたくなってくるってもんだ。
しかし、仕方ない。これも自分の選んだ道だ。そう、これが俺の人生だ、ブルースだ。

2011/08/11

Post #271 またもや俺の街で殺人事件か、やれやれ…

暑い日が続いている。世間様は、そろそろ盆休みだというのに、俺の仕事は忙しさを増してきやがった。今日こそは、今月はじめてのプリントでもするべ、これでアムステルダム・シリーズに引導を渡せるぜと思っていたのに、打ち合わせだ、現場調査だと立て続けに予定が詰まってしまった。どうなってるんだ?もちろん、お盆もみっちり仕事が詰まっている。そのあとも、10月くらいまでは、ほぼびっしりだ。しかも、いくつも仕事が重なっている。身体は一つしかない。ブローカーの様に仕事を他所に回さないと、何ともならないんだ。
これで、ドバドバ儲かればいいんだけれど、俺の商売は薄利多売で成り立っている。世の中そうは甘くないのさ。俺の財布の中身を当てにしてはいけない。情けないことだ。
Paris
またもや、俺の街で殺人事件が起こった。45歳の派遣社員の男が、写真撮影のモデルとして、派遣型モデルクラブ(ってなにそれ?)から、21歳の女子大生を自宅に呼び、どうやら一発やってやろうってスケベ根性を起こして、女に大騒ぎされて、刃物で女子大生の首を切って殺しちゃったそうだ。男は自首したんだが、どうもね、俺の住んでる街は、こんなクソみたいな事件ばかりで嫌になる。ゴッサムシティーだ。ドストエフスキーやエミール・ゾラが知ったら、ニンマリして小説の題材を探しに来そうな町だ。
男はたいてい誤解しているんだが、女がセクシーな恰好をしていたからって、すぐにやらせると思ったら大間違いだ。
かつては、ホットパンツにへそが出たような恰好をしているのは、売春婦ぐらいだった。
嘘だと思うかい?嘘じゃないんだぜ。1976年公開の『タクシードライバー』(言わすと知れたスコセッシとデ・ニーロの強力コンビによる傑作映画だ。
見たことのない奴は、必ず見るべし。
俺はサークルKで1050円で購入したぜ。
で、15歳の売春婦アイリスを演じた当時若干13歳のジョディ・フォスターは、衣装合わせの時に、『こんなはしたない服を着るのは耐えられない』と泣いたそうだ。
厚底のサンダルに、ホットパンツ、派手なブラウスはみぞおちのあたりで結ばれて、へそというか腹部丸出し。今ならどってことないカッコーだが、70年代のアメリカでは、それは淫売、つまりビッチ!だということを周囲に示すドレスコードだったわけだ。
マイルス・デイビスの元妻で、60年代末期から70年代初頭のセックスシンボルの一人、ベティ・デイビスの1stアルバムにも、アフロヘアーで、ホットパンツ、膝上のブーツ姿の彼女の写真があしらわれているが、今ならごく普通のファッションとして受け入れられるだろうが、おそらく当時は、良識ある人々の顔をしかめさせたにちげーねー。
俺のつれあいは、そのジャケットを見て、『かわいらしいじゃん』と言っていたが・・・。
Paris
現在の日本じゃ、それがヨーロッパやアメリカなら淫売しかしないぜっていう格好を、売れればよしってことで、じゃんじゃんガンガン売りさばいている。
実際に、ヨーロッパに行くと、なかなかそんな恰好の女の子は歩いていない。時折見かけるのは、よほどハイセンスで周囲の目なんか気にしないって娘か、それともそういったご商売の方か、そんなところだ。
そういう事情を知ってて買うのならまだしも、残念ながらニッポンの女の子に対して、そういったことを誰も教えてはくれない。雑誌を見ても、そんなファッションばかりだし、メイクだってそんな雰囲気だ。それがクールだって、彼女たちは思っているのさ。だから年頃の女の子たちは、喜んで買って、身にまとうのさ。
いや、それは決して悪いことじゃないんだけど、そういうファッションを選択する事で、男たちからは、自分自身が思ってもいないような、ふしだらな女に見えてるっていうことは知っておいても損はないと思うのぜ。いや、むしろ自分の身を守るためにも必要なことだろう。
まぁ、俺も男だから見てるぶんには悪い気はしないんですがね、だからといって、決してどいつもこいつもすぐに股を開くとか思い込んでいたりはしないつもりだ。さすがの俺も、そこまで馬鹿じゃないつもりだ。まぁ、バカバカしい、ホントーにバカバカしい話だ。

やりきれない思いで、俺はロバート・デ・ニーロ演じるタクシードライバー、トラヴィスの様に『この腐敗と背徳の渦巻く街を洗い流す雨は、いったい何時降るのか・・・』と思う。

トラヴィスは銃をとった。俺は、銃の代わりにカメラを向ける。それだけの話しさ。

OK、読者諸君。失礼させてもらうぜ。お盆休みを思いっきり楽しんでくれ。
休みのない君や俺は、せいぜい頑張っていこうぜ。熱中症にならない程度にね。

2011/08/10

Post #270 London's Burning

ロンドンがエライことになっているようだな。
俺は、ロンドンにはずっと憧れてきた。俺の尊敬するロックスターが次々と現れた街だ。しかし、食い物がマズイというのと、物価があまりにも高いということで、行ってみる気がしなかったんだ。
街の方々で、若者が商店に火を点け、警官隊と衝突し、衣類や電化製品を略奪している。まったく目も当てられない惨状だ。60年代にもイギリスでは、モッズとロッカーズというともに労働者階級に属する若者たちのグループ同士の衝突が発端となり、ブライトンで暴動がおこったりしている。
イギリスは日本なんかとは比べ物にならないくらいの階級社会だ。労働者階級に生まれたものは、よほどの成功を手にしない限り、そのクラスから抜け出せない。ロックスターになるか、サッカー選手になるか、そんなところだろう。
実際に、イギリスの産業ってのは、伝統的な高級衣類や工芸品、そして未だに職人気質の非効率的な小規模工場で作られる高級車、そして何より金融関係くらいしか思いつかない。俺の大好きなMINIはとっくにBMWに名前が残るだけ。ジャガーやランドローバーはインドのタタ財閥の持ち物になった。他に思いつくのは北海油田くらいか。
産業革命発祥の地だけあって、早くから工業化がすすめられてきた。そのおかげで、20世紀初頭より、徐々に経済は衰退停滞し始めてきたそうだ。うむ、日本の失われた20年なんて目じゃない。失われた100年か?それに二度の世界大戦が追い打ちというかとどめを刺したようだ。
第二次大戦後は労働党政権によって、『ゆりかごから墓場まで』という有名なスローガンのもと、福祉国家の道を歩んできたが、早くも60年代には、経済は行き詰る。まるでよその話しとは思えない。
税収不足と、福祉政策の両立は社会に大きな軋轢を生み、『イギリス病』とまで言われたほどだ。
仕事のない若者たちが、パンクムーブメントを起こしていたのも、こんな頃だ。あれは単なる音楽のりゅこうじゃない。若者たちによる社会への異議申し立てだと俺は思っている。そう、イギリスでは、何十年もの間、先行きの見えない閉塞した状況が、ずっと続いている。
79年にサッチャー保守党政権が誕生すると、大胆な規制緩和と国営企業の売却が行われ、海外からの投資が活発化した。おかげでさんで、リストラ倒産の嵐がイギリスを襲い、自動車産業は外国資本のものとなり、炭鉱は次々閉鎖され、職を失った労働者が国中に溢れた。
しかも80年代には、海外領土のフォークランド諸島を巡ってアルゼンチンと戦争。そして、北アイルランド独立を標榜するIRAの爆弾テロは、21世紀になってIRAが武装解除を宣言するまで続いた。
そして今なお高い失業率だ。失業率は7.7%だそうだが、16歳から26歳の失業率は20%に迫るほどに高い。そりゃ、何かのきっかけで暴動くらいおこるさ。
Paris
俺は、最近いつも思うのは、昨今の日本はまるで80年代のイギリスのようだ。何故かっていうと、俺がロック少年だった時代に見た、炭鉱の閉鎖に伴う労働者のデモが頻発し、社会が不安定になっていたイギリス、その姿が、かつて少年だった俺の中に強烈な印象を以て残っているから、そう思うのかもしれない。
産業は行き詰っている。長い不況の出口は見えず、自民党政権時代に行われた構造改革と規制緩和は、かつて一億総中流とまで言われた社会を、大きく分断した。
そして、高い法人税と円高リスクを嫌気した企業は次々と生産拠点を海外に移している。その流れは、今や中小企業にまで及んでいて、それを止める手立てはない。このままじゃ、企業は生き残っても、日本人はその企業の作ったものを買うことはおろか、どいつもこいつも生活保護のお世話になるようになっちまうんじゃないか?大阪じゃ、10人に一人は生活保護だっていうしな。
一部の金融関係に従事する者は、高い給料を得ているが、多くの人々は、特に若者には、まともな職がない。どうして日本で暴動が起きないのか、不思議なくらいだ。みんなネットで韓国人や中国人を排斥したり罵倒したりして、欲求不満を解消しているんだろうか?
このままでは、日本もいずれ、あんな暴動が起こるに違いないぜ。東京や大阪が、火の海になり略奪が起きる。今はまだ、日本人にはそんな実感はないだろうけれど、このまま社会が閉塞し続けると、きっとそうなる。そういえば、『31歳フリーター。希望は戦争。』という身もふたもないタイトルの評論が話題になったこともあった。
HomeTown
優れたアーティスト、素晴らしいミュージシャンの本当の仕事は、人々の、若者たちの形の定まらない感情に、音楽を通して形を与えることだろう。イギー・ポップがそう歌っていた。イギーの暮らすアメリカのPOPミュージックは、セックスと暴力と拝金主義だらけ。飲み屋とかでプロモーションビデオが流れていると、目を背けたくなる。俺には、マイナスの感情そのままに見える。そりゃ、銃をぶっ放したくもなるってもんだ。そんな状況をイギーはかつて、歌の中で嘆いていた。
80年代、不景気のどん底にあえぐイギリスで、最も輝いていたのは、ポール・ウェラーとビリー・ブラッグだ。決してボーイ・ジョージではない。労働者階級出身のポールはパンクムーブメントのさなか、The Jamのギターボーカルとしてデビュー、当時国民的に支持されていた。このころには、人気絶頂のジャムを解散し、より洗練されたThe Style Counsilを率いていた。バブル期の日本でもスタカンと呼ばれ、おしゃれな音楽として人気だったが、その歌う内容や発言や姿勢は、かなり政治的なものも多かった。
かたやビリー・ブラッグ。日本ではまったく認知されていないが、ギター一本でアンプを背負い、常に社会の矛盾を歌い、馬鹿正直なまでに誠実に等身大の若者の姿に政治的な内容を織り交ぜた歌を歌っていた。そのレコードは、当時アパルトヘイトが行われていた南アフリカでは売らないとわざわざジャケットに明記されていた程に政治的だった。後に、天安門広場で、たった一人でギターを弾き歌うことで、中国共産党に対する抗議を現した。カッコ良すぎる。
この二人が、解雇される炭鉱労働者に対する支援コンサートに並んで立っていたのを、雑誌のグラビアページで見た時の感動を、今でも忘れられない。
この時俺ははっきりと解かった。ロックは、単なる若者の娯楽ではなく、社会を動かし、人々に希望と情熱を示しうるものなんだと理解した。酒やドラッグや女にずぶずぶなどんちゃん騒ぎももロックかもれない。しかしそれだけじゃない。ロックは、俺達の閉塞した社会に風穴を開けて、一筋の道を示し、より開かれた、より自由な社会を指し示すことができる、苦境にある人々を連帯させることが出来るものだと、思い知らされた俺だった。
今のイギリスに、若者たちが素直に耳を傾けることのできるロックンローラーは、いないのだろうか?若者はSNSで連帯している。けれど、その連帯は、暴動を起こすだけなんだろうか?
ニュースでは黒人の若者が『暴動は終わらない。鎮圧されても、またきっかけがあれば、いつでも起きる』といきり立って語っていた。彼はいったいどんな音楽に耳を傾けているんだろうか?
結論から言えば、イギリスの事は、イギリス人に任せよう。所詮、俺にはどうにもできやしないんだ。
ただ、明日の日本の姿をそこに見て、どうしたらよりマシな社会になるんだろうかと考える。団塊の世代にいつまでも任せていてはいけない。社会に出てから、ずっと不景気に苦しんできた俺たちの世代が、若者に道を示していかないといけないんだろう。自分ならどうするか、無駄だと思いつつも、考える。考えても、無駄かもしれないが、考えないと、いつ何時、自分が決断を迫られるかしれない。そして、民主主義っていうのは、政治家や官僚にお任せして、税金を払い、福祉を受け取るだけのシステムではなく、一人一人が考えて、選択して未来を作っていくシステムだと思っている。
そう、俺はせめて若者に恥ずかしくない生き方をしていきたいと思っている。

あぁ、今日もまた、説教くさい事を書いちまった。これじゃ俺、まるで偽善者に見えちまうぜ。

2011/08/09

Post #269 健全な精神は、健全な肉体に宿るらしい

唐突なようだけど、俺は昔から体育会系の皆さんちゅうのが苦手だった。この時期、甲子園関係のニュースも多い。世の中の皆さんは、とてもスポーツが大好きだ。スポーツ関係のニュースが始まると、俺は夕食の食器を洗いはじめる。こんな事をいうと、これまた顰蹙を買ってしまいそうだが、仕方ない。今年は中日もゲキ弱いしな。
俺の住んでる街の駅前の居酒屋は、開店前に店長以下従業員、バイトの全てが店の前に整列し、いらっしゃいませ!有難うございます!お父さん、お母さん、ありがとう!とか、その他もろもろ、声を張り上げて仕事のウォーミングアップだかなんだかやってらっしゃるんですが、そういう体育会系的なというか、健全な精神は健全な肉体に宿る的な雰囲気が、どうにも好きになれないんだなぁ。
大きな声というよりも、怒鳴っているようで、聴いている方も気が滅入る。それ以前に、こいつらホントにこんなこと、やりたくてやってるのかよ?とも思う。
まぁ正直に言わせてもらえば、やりたいんなら、わざわざ表に出て衆人環視の中でやらずに、店の中でひっそりとやってもいいんじゃないですか?っておもうのさ。いやむしろ、歩道とはいえ、天下の公道でそんなことやってるのを見ると、偽善者って言葉が頭に浮かぶぜ。
どうしてそんなに元気いっぱいをアピールしたいのか?それが爽やかだと思ってるんなら、ズイブンな勘違いだと思いますが、如何なもんでしょうか?
Paris
長年にわたって俺が体育会系の人間を敬遠してきたのと同様に、体育会系の人たちは、俺を嫌ってくれていた。水心あれば、魚心ありだ。
俺の様に誰かのグループに属して数を恃んだり、先輩上司の考えを強要するような風土になじめない無頼派の俺の事は、先輩後輩仲間で団結が大好きな皆さんにはご理解いただけなかったようだ、残念ながら。
忘れていたことを思い出してきたぞ。
実に愉快なことに、高校の卒業式には、野球部やらサッカー部やらの皆さんが、俺を袋にしてやろうと待っていてくれたそうだ。ご苦労なことだ。この21世紀にも、こんな土人みたいなことってあるんだろうか?あってほしくはないもんだがね。
しかし、彼らには悪いが、その日俺は寝坊をしてしまった。しかも、卒業式に遅れてしまうなと案じながらカーテンを開けると、外には激しく雪が舞っていた。ロックンロールスピリット全開だった俺は微塵の迷いもなく、もう一度布団にくるまって、卒業式にはいかなかった。もちろん学校には何の連絡も無しでだ。ざまぁみろ、空振りだ。残念だったな。
どうも、奴らは長年にわたって、俺を痛めつける企画を立案していたそうなんだが、当時パンクだった俺を痛めつけると、街中から大勢のパンクス連中が集まってきて報復されるという、根も葉もない愉快なうわさが流れていて、在学中に俺に手を出すことはできなかったそうだ。俺は全くそんな話、知らなかったんだけどね。ずっとのちに、俺の弟の同級生から聞いた話だ。バカバカしいッたらありゃしないぜ。道理でのびのびさせてもらえたもんだぜ。
俺はいつだって、大勢でつるむのはゴメンだぜ。つるむんなら男同士、一対一までだな。
俺が体育会系が嫌いなのには、きちんとした理由がある。昨今のゆとり世代に関しては知らないが、あくまで俺が学生の頃の話だ。
まず一年生で入部すると、先輩連中からほとんど理不尽とも思えるような命令に服従するよう強要される。俺は、内心は理不尽で阿呆らしいと思いながらも、いやいや従順に従うことが嫌だった。しかもありえないことに、内心嫌だと思いながら耐えてた奴が、上級生になった途端に、これが伝統だと言わんばかりに、自分がやられて嫌だったことを、自分の後輩に容赦なく強要することが、全くもって理解できなかった。それはむしろ、ある種の復讐、しかもお門違いの八つ当たりのような卑劣な振る舞いに見えていたので、どうしても、どーしても好きになることが出来なかったんだ。
そんな奴らの仲間に入るくらいなら、一人で喫茶店でタバコを吹かして、ゆっくりと中上健二や坂口安吾なんかの小説でも読んでいた方が何ぼもましだった。しょうがない、俺は私立文系数学なしで、しかも文科系の演劇部すら、派閥抗争に敗れて追放されたような困った奴だったからな。不健全で結構だ。
社会に出ても、同じだった。会社はまるで村人の集まりだった。
企業は何故かこういった傾向の人間を高く評価する傾向がある。まぁ、組織という村の掟に、何の疑問も抱かずに従う、モノの道理の分かった奴だって思うんだろう。冗談じゃないぜ。自分が管理職になった途端に、言っていたことが180度変わる奴も、これまたごまんと見てきた。自分より弱い立場のモンには思いっきり偉そうにふるまうが、上司先輩にはペコペコする様な格好悪い奴ぁ、掃いて捨てるほどいやがるんだ。げんなりするぜ。人間として健全とは言えないぜ。
どうして、自分がされて嫌なことを、人にすることができるのか?
どこかで誰かがその因果を断ち切るべきではないのかい?
やるんだったら、組織や先輩の権威を笠に着ないで、自分一人の責任と意見でやってみたらどうかね?それなら俺もいくらでもお相手致すぜ、一人の男として対等にね。
アウシュビッツで酷い目にあったユダヤ人が、今度はパレスチナ人を容赦なくいたぶっているのを目にすると、ここにもこういう奴らがいたかと、思わず心強く思えてくるぜ。ダッハッハ!
Paris
意外にも俺の愛読書、論語の中の好きな言葉の一つに『己の欲せざるところ、人に施すなかれ』ちゅうのがある。
自分がやられて嫌なことは、人にやってはいけないということだ。
俺の目にした体育会系の皆さんは、自分がやられて嫌だったことは、自分より弱い立場の奴には遠慮なくやってやろうって手合いばかりだった。今でもその頃の事を思い出すと、甲子園のニュースとか素直な気持ちで見ることは出来ないぜ。そんなことでしか協調性や一体感が生み出せないのかしらと思うんだ。
この辺にこそ俺が、健全な精神は健全な肉体に宿るってのが胡散臭く感じる源があるんだ。
自分が嫌なことは、人に対してやらない。
これは人として、最低限のマナーだと思うが、どーだろうか、諸君。これが難なく出来るならば、俺たちの社会はきっともっと、暮らしやすい、ましな世の中になると思うぜ。極楽とか天国とか調子のいいことは言わないけれど、せめて、地獄じゃないと言えるだうさ。
OK、最近どうも説教くさい。仕方あるまい、俺はおっさんなんだから。おっさん臭いから、失礼させてもらうぜ。明日か明後日、また会おう。

2011/08/08

Post #268 明るさは滅びの姿であろうか…

今日も一日、話すべきこともなく終わろうとしている。これを積み重ねていくとすると、なんて退屈な人生だろうかった思うぜ。いや、ホントは色々いろいろイロイロあるにはあるが、ここで言っても仕方ないだろう?とるに足らないことばかりさ。
俺は、TVを見て、新聞を読んで、ネットのニュースをチェックして、いつも思うのはいいニュースってのは、なかなかありつけないってことだ。人間は、不幸のほうが好きなんじゃないだろうかって感じるぜ。
空前の円高、企業は日本を逃げ出そうとしている、原子力発電所はいつまでも放射性物質をまき散らし続けている。その一方で、景況感は改善されているという。何が本当なのか、俺達には正直よくわからない。強盗、殺人、詐欺、強姦、放火、死体遺棄、俺達は眉を顰めながら、そんなニュースこそがニュースだと思い込んでいる。そんなニュースばかりなら、この世の中は、酷いところだ。どこかに避難したいくらいだ。
TVでは、芸人と呼ばれる男たちが、楽屋ネタで笑い転げている。俺はそれを見ると、うんざりしてTVをきるか教育TVにかえるかするんだ。太宰治の『右大臣実朝』のなかで、太宰は実朝に『明ルサハ、滅ビノ姿デアロウカ、人モ世モ暗イウチハ滅ビハセヌ』とかいうセリフを語らせているが、TVで目にする明るさは、この俺をしても滅びの姿であろうかと思わせるもんがある。いやぁ、もうとっくに滅んでいるのかもしれないな、俺達。ならばここは死後の世界か、それならろくでもないニュースばかりが耳目にふれるのも仕方ないな。俺達は生きながらにして地獄に落ちていながら、なお、それに気が付かない能天気なのさ。
Paris
俺がこの人生で目にした、もっとも素敵なニュースは、アメリカの製材所でフラフラとコンテナに忍び込んで閉じ込められてしまった猫が、船で運ばれたフランスで発見され、治療を受けて元気になって、エールフランスだったっけ、飛行機のファーストクラスにのってアメリカの飼い主のもとに帰って行ったという話だ。もう何年も前の話しだけどね。
Paris
読者諸君、失礼する。明日か明後日、また会おう。

2011/08/07

Post #267 Vertical Or Horizontal

なんだか一日中眠い。今日の仕事も監督業務なんで、職人さんの仕事を優しい眼差しで見守るだけ。緊迫緊張した現場で、のるかそるか、おののきながら仕事する方が、大変だけれど遣り甲斐があっていいんですがね。
最近、プリントしていて自分の写真が変わってきたのを感じるんだけれど、一番感じるのは、やはり横位置の写真が増えてきているってことだ。よく言われるように、縦位置の写真撮影ってのは、カメラをあえて縦に構えて撮影することから、対象に焦点を合わせたものになる。ちょうど、片目で対象を凝視してるような感覚だな。対して横位置は自然とカメラを構えることになるので、ファインダーは効き目で覗いているにしても、自ずと人間の自然な視野に近い写真になるっていうことだ。
強いて言うなら、対象に肉薄する縦位置、空間を捉える横位置ってことが言えるかもしれないな。
Paris
 俺の場合は、縦位置のほうが写真を並べた時の収まりがいいから好きってのが大きい。バランス的にね。もし縦位置の写真ばかり並んでいる中に横位置の写真が混ざると、単純に写真を2倍のサイズにするか、半分のサイズにして2枚縦に並べるかしない訳で、するてぇと、レイアウト的にムツカシーでしょ。なんだか収まりが悪い。これが写真集なら見開きページってことになって、それはそれでカッコいいかもしれないんだけど、俺如きでは、まぁそんな機会もゴザイマセンしね。
俺の場合、もっとも大きな理由は、やはり撮影スタイルだと思う。
コンパクトなコンタックスT3のシャッターボタンに人差し指をかけたまま、ストラップを手首にかけて持っている。で、撮影したい被写体を見かけたら、カメラを構えることなく、悟られないように他の方向を向きながら、時にはゆったりと歩きながら、さりげなくシャッターをきるわけだから、意識的といわれる縦位置のほうが、俺自身は意識せずに撮影できるわけだ。意識することなく対象に肉薄する縦位置なんて、サイコーじゃないかな。何がサイコーだよ、ホントにこれじゃ、プリントもエー加減なら撮影もテキトーだと思われても、まぁしゃぁないですね。
最近は、これにも更に磨きがかかってきて、これはと思う被写体を見つけると、その手前、正面、そして時にはダメ押しで歩み去りながらもう一発、計3カット撮影したりするときもある。まぁ、言うたら構図のブラケッティングですな。とはいえこれも、ファインダーをのぞかずに撮影しているので、あくまでも撮り洩らしの少ないようにっていう、保険の意味合いが強いんですわ。こんなことばっかりやってたら、盗撮だ、迷惑条例違反だなんだって、逮捕されたりする日も近かろうぜ。
しかし、これによって、地面が不安定に傾き、ブレたり、荒れたりしたネガが出来上がるわけで、これ無しじゃ、写真のライブ感が減衰してしまう気がするんで、これまた止められないんですわ。
Paris
けれど、最近どうにも不思議と横位置の写真が増えてきた。俺にとって横位置の写真は、安心して写真が撮れる状況であり、かつまた、少し引いたところから写真が撮れるポジションにいるってことなんじゃないかと思う。たとえば、さほど広くない道路の反対側の風景をまるっとざっくり取り込みたいとか。あるいは、被写体が動物とか、オブジェとか、写真を撮られても、文句を言って来たりしないような場合かな。
どっちに転んでも、さほど大した写真じゃないんだから、縦だろうが横だろうがカンケーねーだろうって言われそうだけれど、写真が縦か横かは、俺にとっては表現上の大きな問題なんだ。写真集作るときのレイアウトが面倒だろう!
冗談はさておき、最近、写真が少し変わってきている気がする。これがいい方向に働いてくれると、ありがたい事なんですがね・・・。さて、どうなることやら。

読者諸君、失礼する。君たちは縦位置と横位置、どちらが好みだい?もちろん俺は圧倒的に縦位置なんだけれどね。

2011/08/06

Post #266 Penalties For Sex Offenders

実は、昨日うちの連れ合いにこっぴどく叱られてしまった。
それというのも、俺が性犯罪者に対する持論を展開したからだ。
事の起こりはこうだ。昨日の朝だったと思うんだが、新聞を読んでいたら、俺が生まれた町に住む34歳の男が、強姦強盗の容疑で逮捕されたという記事が目に留まった。鍵のかかっていなかった女性の部屋に侵入し、刃物で脅して強姦し、財布から現金をふんだくって行ったという鬼畜野郎だ。近隣の町々でも似たような犯罪が続いており、我らがどんくさ警察が、やっと逮捕したというものだ。
俺は、この手の犯罪者は、常習性があり、実刑を加えても、出てきたらすぐまた同じことをしでかすと思っている。偽善者のように聞こえるかもしれないが、俺は強姦とか痴漢とかといった性犯罪は、大嫌いだ。いや、好きっていう奴がいたら、即刻警察に通報したいぜ。まぁ、奴らは事件になって被害が出てからしから動かないから、きっと俺が通報しても無駄足だろう。かえってそんな強姦大好き野郎に逆恨みされてしまうのが、関の山だ。いやいや、強姦大好きなんて奴になんて、逆恨まれるくらいがちょうどいいさ。そんな奴に気に入られたくもない。
世界の皆さん、女性には、優しくしましょう。
強姦するくらいなら、風俗にでも行った方がイイですよ!
Osaka
俺は、常々思っていることを連れ合いに言ってみたんだ。
『いやぁ、こういう卑劣な強姦野郎は、豚箱に入れて家具なんかを作らせるよりも、金玉をとっちまって去勢するなり、チンを高枝切はさみなんかで斬り飛ばして、二度とそんなことができないようにしてやった方がいいんじゃなかろーか』ってね。
そう、俺はこう見えて、ハンムラビ法典やタリバーンもびっくりするだろうってくらいの厳罰主義者なんだ。
だいたい犯罪ってのは、罰という貨幣ではかられる一種の商品だ。
たとえば、殺人に対する最高刑が、懲役3年だったとする。すると、頭のおかしいサイコ野郎どもはこう思うだろう。『あいつをぶっ殺してやっても、裁判でさっさと罪を認めたら、たった3年で自由の身になれるんだ。それならば、この殺人は充分に有利な取引だ。何しろ、こっちは3年豚箱で家具造りだが、にくいあの野郎の存在は、永久にこの世から消え失せるんだ。むしろお買い得といってもいい。やっちまえ!』
冗談じゃない。
覚醒剤?日本じゃこれで死刑になる奴はいないが、お隣中国じゃ所持しているだけで死刑だ。まともな裁判なんか省略して、死刑だ。
強姦野郎はこう思うだろう。『女を脅して、無理やりねじ込んでやり、うまくいけば女も世間体があって訴えない。訴えられたとしても、捕まるとは限らない、捕まったとしても、大した刑罰じゃない。OK、今からやったるで!』
もし、こいつが捕まったら、麻酔も無しにチンを切り取られたり、玉をむしり取られたりするんなら、二度と悪さは出来ない。根本治療だ。去勢された馬のように、大人しく暮らすがイイさ。
ついでに泥棒、腕を叩き切っちまえ、二度と悪さが出来ないようにな。
そんな事を真剣に話してみたら、うちのつれあいには気分を悪くしてしまって、俺はこっぴどく叱られることになった。仕方ない。この世の中には、腐った奴らがゴマンといやがるんだ。そいつらに高級家具ばかり作らせてどうする。せめて時計仕掛けのオレンジみたいに、洗脳治療でもして、強姦しようと思っただけで、強烈な吐き気が襲ってくるようにしたり、嘘をついて人をだまそうとすると鼻が伸びてしまうという強迫観念を抱くようにしたりするべきだ。
もう一度言う。時代遅れの箪笥を、そいつらに作らせてどうすんだ!そんなのいまどき買う奴はいないんだ。腕切り落しや玉抜きが許されないなら、犯罪を精神疾患として捉え、懲役に合わせてカウンセリングを施し、犯罪を起こさせるクソ野郎の頭の中のクソ回路を改善し、社会に出て使えるきちんとした職業訓練を施してやるべきだ。
くどいようだがもう一度言おう、桐の箪笥を作る技術を身につけても、この現代社会には、そんなスキルを持った労働者のニーズは、無い。まったく。
HomeTown
俺が、こんなにも激しく性犯罪者に対してキツイのは、むかし、まだクロマティ高校に通っていた頃、知り合いの女の子が強姦されていたことを知ったからだった。
その人は、家族にもそのことを打ち明けることが出来ずに、独りで長い間苦しんでいた。
その人は、俺から見ると痛ましいほどに心にぽかりと穴が開いていた。
その穴を埋めるために、その人はいろいろともがいていた。月並みな同情かもしれないが、それはどうにも見ちゃいられなかった。もう25年近く前の事だが、俺自身忘れることはできないし、きっとその人の心の奥にも、触れれば血の出るような傷が残っているはずだ。まぁ、もう逢うこともないだろうから、確かめることもできないけどな。
推測だよ、推測。
男性諸君、力づくで、女性を蹂躙してはいけないぜ。そんな奴は人間のクズだ。クズになって生ごみの日に袋に詰めて出される前に、次善の策として、真っ当に稼いだ金で風俗にでも行ってくれよ。
まったく冗談じゃないぜ。
俺はそんなクズ野郎は、とっとと玉抜きしてしまえばイイって真剣に思っているんだ。もしくは昔中国で採用されていた宮刑、つまりチン切り落しの刑だ。
もし俺が総理大臣とかになったなら、諸君、その時は楽しみにしていてくれ。アムネスティー・インターナショナルから非難の大合唱が起こるほどに、思い切ってやってやるぜ。とはいえ、俺がそんな立場に立つことは、間違ってもないから、まぁ悪党どもよ、せいぜい枕を高くして眠るがいいさ。
読者諸君、失礼する。明日も仕事だった。たった今また、連れ合いに叱られちまったぜ。

2011/08/05

Post #265 Money Go Around

なんだか今日あたりから次々と仕事の引き合いの電話が入ってくる。特に営業活動しているっちゅうわけでもないんだが、不思議なもんだ。
占いによれば、俺は生涯食うには困らない星回りなんだそうだ。食うには困らない程度の幸運ちゅうわけですわ、へい。しかし、通帳の預金残高を見ると、そんなの全く信じられなくなってくる。むしろトホホって泣きたいくらいだ。もっと華々しく儲けたい気もするが、しかし、そんなんじゃただでさえプリントするヒマがあまりないとぼやいているというのに、こんなことやってられなくなってしまうわ。
Paris
金をふんだんに持っていたら、間違いなく酒色で身を持ち崩していただろう、俺は。調子がいいからな。金のないのは、そういう意味では結構なことであるな。いや、羨ましくないわけじゃ決してないけどね。
しかし、持っている金の多寡で、人間の値打ちが決まってしまうようなこの21世紀の昨今、何とも寂しいものでござるよ。金は無くとも心は錦なんてのは、今の若い子は知らないだろうな。余りにも多様な価値観が乱立した挙句、共通の尺度が資本力以外に見いだせなくなってしまったのだ。
これが価値観のグローバルスタンダードなのか?本末転倒な感じがして、なかなかに面白い話だぜ。人間の価値が、世界の市場で取引される貨幣のレートにリンクしているようなもんだ。ボブ・ディランの歌じゃないけど、なんだか狂ってるぜ。俺達には一息つく暇もないのさ。
いくら金があっても、国家財政破綻、デフォルト、ハイパーインフレなんてことが起こったら、そんなの何の意味もないんだぜ。金ってのは、国家がその価値を担保してるからこそ、ただの紙切れが社会のメディウムとして、異なる価値体系のモノ同士を仲立ちする機能を、それは一種の物神性といってもええかもしれん、を有しているわけで、国家が崩壊してしまったら、誰もその価値を認めてはくれないのだ。ざまぁみろ!
そんなの起こるわけないって思ってるだろう?俺は、少し待ち遠しくもあるんだけどね。来るんだったら、俺がまだ健康なうちに来てもらいたいぜ。
俺が思うに、それはいつ起こってもおかしくないのさ。それがこの21世紀だ。お偉いさんたちの頭の中にある20世紀的なジョーシキでは、この21世紀は計り知れない。
俺たちは黒ひげ危機一発の樽の中で暮らしているようなもんで、自分たちの力の及ばない大きな歴史の流れによって、樽の中から吹っ飛ばされる日が、いつ来るとも来ないとも言えないのが、この不安な現在社会なんだよね。まったく嫌になっちまうぜ。
その時、本当に役に立つのは何か?俺はある種の図太さ、しぶとさが一番必要になってくるんじゃないかと思うんだが、どうだろう?俺は密かにそれをソウルパワーと呼んでいるのさ。あぁ、もちろん海外の銀行に口座を設けて、そこで外貨預金しておくというのも、現実的に役立つと思うよ。
まぁ、どっちにしたって草食系なんてとんでもないぜ。肉食、雑食好き嫌いなくガンガン行かなきゃ乗り切って行けないぜ。だから文句を垂れる暇なんかない。仕事のオファーが来たら、やれるだけやっておこう。さぁてと、ジャンジャン稼ぐぞ!
Paris
なんだか今日は、自分自身でも思わぬ話になってしまったなぁ。ホントーにいつも自動書記の様に、思いつくまま書いてるから、読者の皆様にご迷惑をおかけします。すんません。
という訳で、明日も朝早い。今日はこんなところでとっとと失礼させて頂きますぜ。皆さん良い週末を。おいらは仲間と一緒にコツコツ蟻のように働いているだろう。俺はキリギリスの皮をかぶったアリなのさ。うむ、それもまた人生だ、ロックンロールだ。

2011/08/04

Post #264 俺流のプリント作法

おとといの夜から昨日の夜まで、仕事が3タテでブッキングされていたんで、今日はゆっくり寝かしてもらった。目が覚めたらとっくに昼をまわっていやがる。人生が無駄になったような気がするが、無理して心筋梗塞なんかになって死ぬのはゴメン蒙る。これくらいの緩い感じがいいカンジなのさ。はたから見てるとろくでなしのごく潰しに見えるところも、ロックンロールなカンジがにおってきそうだ。
そろそろ仕事が忙しくなってくるんで、今日はプリントしておこうかと企画していたんだが、如何せん暑い。暑すぎる。あまりの暑さに、やる気が失せてしまう。どうしたもんかとも考えたが、このまま一人で家にこもっていると、またぞろ最近の傾向として怒りや悲しみが金山寺味噌みたいに熟成されてしまうので、思い切って髪でも切りに行くことにした。行きつけの美容院で、若くてかわいらしい女の子に髪を洗ってもらったりしながら、面白おかしい話をしていたりすると、心がほぐれるんだ。同じ要領で歯医者もかなり好きなんだが、これは虫歯とかにならないといかないからね。
これがキャバクラなんかだと、あまりのバカバカしさに、これまた心がささくれてしまうんだが、美容院のいいところはお金を払った分、髪型が変わってすっきりするってことで、呑みに行って、高い金を払って、自分が気を使って嬢を笑わせて、原価の高いしょんべんを体内で製造するのとは、雲泥の差だっちゅうことだ。
今日は思い切って、2ブロックにしてみたんだ。読者諸君もご存じのように、泣く子も黙るほどのモジャモジャ頭だ。はっきり言って夏は暑くてかなわない。サイドから襟足にかけて、15年ぶりくらいにバッサリと切ってみた。さっぱりだ。体感温度がゼンゼン違うぜ。こいつぁイイ。唯一の難点は、髪をしばると、短いところと長い部分のジョイントで地肌がライン状に見えてしまい、横着な若い衆みたいに見えてしまうところか。まぁ、致し方なかろう。切り落された髪は、まるで小柄なプードルのようだ。
Amsterdam
閑話休題。
今日は俺のいい加減きわまるプリントの手順を話しておこう。
俺がプリントのやり方を習ったのは、友人のI上さんからだ。学生時代に写真部で基礎を身に着け、大手カメラチェーン店で働く彼は、今では遠く首都圏で働いているが、以前はうちの近所の店に勤務していたナイスガイ、独身だ。まず教本を買ってきて見たんだが、なんだか面倒臭そうなんで、テキトーなやり方を一二度俺の家に来てもらって伝授していただいたって次第だ。
他には、森山大道のドキュメンタリー映画『≒森山大道』の暗室作業のシーンをDVDで何度も見て真似してみたりしただけだ。ZONEシステムなんて、本屋で立ち読みしてみただけで、俺には向いてないってわかったぜ。
プリント作業は、洗面所に机を運び込み、引伸機をよっこらっせと机の上に運ぶことから始まる。で、引伸機の横に現像液と停止液のバットを並べ、床に定着液のバットを並べる。ユニットバスの中には水洗バットをおいて、シャワーで水を一杯にはっておく。現像液は、以前はゲッコール(PQ)を買いだめしたおいたのを使っていたけれど、無くなってしまったので、今はフジのコレクトールEだ。どちらも使っていくと褐色もしくは黄褐色に変色してくる。変色しきったら、潮時だろう。トイレに流してはいけない。行きつけの写真屋さんに持って行って、一緒に処分をお願いしよう。下水にそのまま流すのは、あまりにも環境負荷がたかいってもんだ。
予め、ネガの袋にダマートペンシルで、プリントするカットを選んで、大まかなトリミングも兼ねて枠線を記入しておく。暗室に入ったらよほどのことがない限り、それ以外のものは焼かない。キリがないからね。
さて、あらかじめ選んでおいたネガをキャリアに挟み、ブロワでほこりを飛ばしてから、引伸機に突っ込む。これ、ブロワで吹かないと、たいへんなんだ。目に見えないほどの小さなホコリも、引伸ばすと同じように拡大されて、印画紙にインモーが張り付いているような線が走ってしまうからだ。ムカつく。地球温暖化に心を痛めながら、容赦なく吹っ飛ばすべし。
ちなみにレンズはローデンシュトックのロダゴン50㎜、F2.8だ。これ、コントラストがたかっくて、キリリとした好調な像を結ぶ、実にすんばらしい引伸レンズだ。おすすめです。
このレンズを開放にしておき、光を通してみて構図を決める。そのあとで、じっと、じっくりとイーゼルの上に映し出された白黒反転の画像を見ながら露出を考える。もちろん、露出計は使わない。あくまで感覚だ。
俺は実際に焼き付けるときはF11に絞るので、それを勘案して露光時間を決める。紙で部分的に光をさえぎって行って適正露光を見てみたり、カビネ判でテスト焼きをしてみたりは、トーゼンながら一切行わない。紙と時間がもったいないだろう?第一、面倒臭いったらないぜ。商売じゃないんだからそれで失敗しても、自己責任だろう。すべてぶっつけ本番だ。自分を信じていこう!
Amsterdam
この時ばかりは、光に対する感覚をフル稼働させる。ココが、ココこそが一番の勝負どころだ。
息をひそめて集中し、時には目を細めて、どこが明るくて暗いかをイメージする。
強調したい部分をどれくらい覆うか焼きこむか?その時の焼き込みは、どんな形で手を組み合わせるのか?それらをじっくりイメージしたり予習してみたりする。おかしな形で覆い焼きをすると、手が攣りそうだ。もちろん、丸や四角い紙に針金を付けたような焼き込み小道具も、面倒だから使わない。ほとんど2本の腕と10本の指を組み合わせて覆い焼きをする。テキトーなんだ、スマン。
そうして、露光時間を決める。全体を30秒焼いて、このハイライト部分だけ、20秒露光して、空は紙を使って、段階的に80秒焼きこんでグルーミーなカンジを出す、地面は60秒焼きこんで、暗い感じに仕上げると、そんなことを一人でブツブツ呟きながら決めていく。こうして人物だけ、オーラをまとったように焼きこんでみたり、くらい背景の中から浮き上がるように覆ってみたりすると決めていくわけだ。まぁ、大まかに言えばこんなカンジだ。
これらの事が決まれば、あとはイーゼルにフジのRCペーパー、FM4号(特別硬調)六切りを放り込み、露光するだけだ。俺は特別硬調しか使わないんだ。多階調紙は便利なんだろうけど、フィルターとかどうにも面倒臭そうで、手が伸びないんだ。ずぼらでスマン。
露光している間にも、空いてる手で床に置かれている定着液(スーパーフジフィックス)のバットをゆすり撹拌する。これをまめにやっとかないと、せっかくのプリントがハイポ焼け、つまり定着不十分で、セピア色に変色してしまうからだ。
露光が終わると、さっと一気に現像液のバットに滑り込ませる。ここはじっと我慢で、白い印画紙に黒々しい画像が浮かんでくるのを待つ。程よく像が浮かび上がってきたところで、竹ピンでつまみ、停止液に滑り込ませる。この時、我慢が足らないと、竹ピンでつまんだところだけ現像不十分で、半円のムラが出来たり、現像ムラが出来たりするから、せっかちは禁物だ。
こうして、停止させたときには、速やかに次のネガに交換して、一からまた同じことの繰り返し。
もしも、この時にプリントの出来栄えが気に入らなかったら、今のはテスト焼きだったんだと自分に言い聞かせ、露光時間を替えてみて、再度チャレンジ。気に入るまで何度でも焼くときもあれば、これはこれでありかってあっさりやめて、次のコマに行くときもある。基準はあくまで、自分の好み。言うなれば、気まぐれだ。
一枚焼くのにだいたい5、6分~10分ってところだ。こうして次々流れ作業で一日(とはいえ実際には3,4時間)に20~30カットほどプリントする。それだけやると、髪の毛には薬品のにおいが移って、かなり気持ち悪いことになる。
じゃんじゃん焼かれていったプリントは、最後の一枚が終わるまで予備水洗のバットのなかで、豆腐の様に浮かんでいる。こいつらは、最後の最後にシャワーを使って20分くらい水洗され、一枚ずつイギリスのパターソンってメーカーのスクイーザーでバシャバシャ水切りされる。そうして、やはりパターソンのRCペーパー乾燥ラックに立てかけて一昼夜乾燥させておくんだ。このパターソンのラックとかスクイーザーは便利なんだが、残念ながらニッポンじゃ売ってない。パターソンのサイトからメールでオーダーし、PeyPalで入金して送ってもらった便利グッズなんだ。
こんなカンジで、粗製乱造されているのが俺のプリントなんだ。
ふふふ・・・、余りにいい加減すぎて、誰の参考にもならないだろうな。
読者諸君、御機嫌よう。今日はこんなところで失礼させてもらうぜ。