2011/08/30

Post #290 Beggar With Street Organ

ヨーロッパでは、物乞いをよく見かける。
大抵はジプシーのオバサンなんだが、もう一方の主流派として、障碍者が物乞いをしている姿をよく見かける。日本では、とうに見かけなくなった。
アムステルダムの中心、ダム広場からマグナプラザに抜ける石畳みの路地で、その盲人の物乞いを見かけた。
首からストリート・オルガンを下げている。ストリート・オルガンは、ヨーロッパの童話や児童文学にしばしば登場し、陽気な雰囲気を醸し出す。けれども、実際に、モノ号人々が奏でているストリートオルガンは、どこか哀切な響きを持っている。いや、譬えそれが陽気な音色でも、その姿や音には、どうにも痛ましいモノがある。
しかし、この物乞いの商売道具のオルガンは、虚しく首から吊るされているだけで、男はハンドルを回して音楽を奏でることはなかった。何故なら、片手にはコインを入れてもらうための、どこかカスタネットにも似た金属の器が握られているから、オルガンのハンドルを回すことはできないんだ。そして、もう一方の手は、しっかりと白くて長い杖を握っていたんだ。自分が盲人であることをアピールするように。もしかしたら、オルガンは単に彼が物乞いだと示す、符牒のようなものなのかもしれない。
右手に握られた金属の器を上下に振ると、蓋と本体がチャンチャンチャンチャンという耳障りな金属音を立てる。その金属音が耳障りでなければ、誰も彼に目を向けることもないというように。そして、道行く人の懐の小銭を、この中に入れてくれるまでは、鳴らし続けるというように。
Amsterdam
見れば、がっしりした体つき。もし彼の目が見えたなら、レンガ職人なんかやっていてもおかしくないような初老の男だ。
金属器の立てるけたたましい、それでいてどこか物悲しい音で、彼の姿を目にした。俺のつれあいはぎょっとして、何かいけないものを見てしまったようなショックを憶えたのか、足早にその前を駆け抜けていった。
俺は、心のどこかに、少しばかりのやましさを感じながら、そっとノーファインダーで彼をレンズにおさめた。不思議だな。相手は目が見えないんだから、写真を撮られrていることなんか気が付かないはずなのに。
写真は、倫理と非倫理の境界を越えてしまうこともある。何故なら、倫理は人間の心の内なる問題だけれど、写真は、人間の心とは別個に、確固として目の前に存在する現実を写すものだから。
だからこそ、本能的に写真を撮りつつも、その瞬間瞬間に、撮るべきか否かということが脳裏をよぎる。
Amsterdam
そんなことも、忘れてひとしきり街をぶらついてきた俺たちが、再び同じ道を通ると、この盲人の物乞いはまだそこにいた。しかも、誰かがその口に丸いリンゴを咥えさせていた。彼は、白いつえを小脇に抱え、両手をポケットに突っ込みながら、食べるでもなく、当惑したようにリンゴを咥え続けていた。そのリンゴが、善意によって施されたものなのか、悪意によって口に押し込まれたものなのか、俺には解からない。つれあいは、その姿に悪意を感じ取ったようで、おぞましいものを見たかのように、ひきつった顔をしていた。
日本では、政府が無能だという声が高いが、無能な政府の無為無策な福祉生活のおかげで、物乞いする人を見ることはほとんどない。ホームレスですら、空き缶を拾い、売れ残りの弁当を漁って、物乞いすることなく暮らしている。福祉国家イギリスでは、税金によって暮らしを保護されている者たちが暴動を起こした。どんな社会が正解なのか、俺にはまったく分からないぜ。

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