2011/09/30

Post #321 つまらねぇ、写真なんてもうやってられないぜ!

仕事で来ている池袋、俺は朝の朝の6時くらいまで働いて、宿に帰って眠りについたのは、もう8時過ぎだったろうか?11時には目を覚まし、シャワーを浴びて外に出た。掃除をするので出て欲しいってことだ。ゆっくり眠らせておいてくれってカンジだが、仕方ない。
星占いでは、俺の山羊座は12位と運気は低迷していた。気にもしなかったが、もう少し気にしておくべきだった。俺は眠たく、かつ疲労した体を引きずりながら、街を歩き回った。もちろん愛用のコンタックスT3がお供だ。見も知らぬ大勢の人々が行きかう。誰もかれも疲れているようにも見えるし、不機嫌そうにも見える。悲しくなってくるぜ。俺は気楽にいつものように、ノーファインダーで行きかう人々をパチリパチリとやっていたんだ。それくらいしか俺には楽しみなんかないからね。

そろそろ掃除も終わった頃だ。宿にかえってひと眠りさ、なんて思って歩いていると、向こうからオマワリが二人してやってきやがった。面倒だな。しかも俺に声を掛けてきた。職務質問だ。
俺は、東京で歩いていると、必ず職務質問に会う。
か・な・ら・ず・だ。ふざけやがって!
どうして奴らは俺を狙ってる?
俺はオマワリから見ると、そんなに怪しいのか?
地元じゃ、俺は町の人気者なのに。どうなってやがるんだ、この東京って街は。

俺はもう怒る気もなく、財布から免許証から、タバコからパイプやライターまで、全部奴らに見せてやったぜ。こういう時は明るく、協力的にやり過ごすのが一番だ。内心では煮えくり返っていても、食って掛かれば奴らの思うつぼだ。表面上にこやかに、きわどいゲームのように話を進めていくのがポイントだ。

オマワリが俺の免許証を一応照会させてもらうと言ったまま、なかなか電話が終わらない。嫌な雰囲気だ。俺の犯罪歴は、去年の夏のスピード違反くらいしかないはずだ。それもとっくに罰金は払ったぜ。俺は何にも悪いことしてないぜ。こう見えても、正義の味方なのさ。

電話を終えたオマワリが俺に告げたのは、俺と思しき人物に写真を撮られたと言って、女性が警察に届けたということだった。やめてくれよ、悪い冗談だろう。
俺はスカートの中を撮ったりするような変態じゃないんだぜ。
肖像権?いつからそんなものが大手を振るようになったんだ?
コンビニやスーパーや百貨店で、俺達は嫌になるほど撮影され続けてるってのに、それにはみんな文句を言わない。オマワリだってやってるだろう?車のナンバーをチェックするNシステムとかね。
俺達は、いつだって誰かに撮影され続けてるってのに・・。
俺はうんざりした。変な疑いをかけられるのはまっぴらだ。
俺はフィルムをカメラから抜いて、オマワリの目の前で、パトローネからフィルムをすべて引き出して、感光させた。そうするとオマワリは、証拠隠滅だと思ったんだろうか、ますます俺に対してあたりをきつくさせてきやがった。挙句の果てには、現代の技術では、感光させてしまったフィルムでも、再現可能だってこきやがる。そんな訳ないだろう。化学の知識があれば、そんなのは脅しだってわかる。
で、結局どうなったかっていうと、撮られたと主張している女が俺に一言文句を言いたいっていうんで、俺はおまわりに促されるように連れられて行った。
そこにいたのは二十歳くらいの小娘二人で、憎悪に燃えた目で俺をにらみつけていた。
こんな小娘撮ったかどうか、まったく身に覚えはない。女の子を撮るのはしばしばな俺だが、この程度の精度の女、撮る気にもならないしな・・・。正直言って、身に覚えがないんだが、そいつらは、俺をずっとつけていたというんだ。とんだ暇人だ。それとも自意識過剰か。こんな手合いを相手に争っても、時間の無駄だ。俺は早く宿に帰って、眠りたいんだ。
正直に言って、撮ったか撮っていないかは、全く以て覚えがないが、カメラを持っていたのは事実なので、ゴメンなさいと頭を下げて謝ると、『これだけフィルムがあれば、(たった1本ですけどね)私たち以外にも、撮ってんだろう。私等はその人たちを代表して怒ってんだよ!』とぷんすかしている。まいったなぁ。まぁ、読者諸君はよく御存じのとおり、そりゃいつも撮ってますけどね。
けど、それは俺に言わせれば、マグロに泳ぐな、鳥に空を飛ぶなというようなもんだわさ。反省してないのかと突っ込まれると、困るが、読者諸君には言っておこう。
いやぁ、まいったなぁ~。
警察に促されて深々と頭を下げて謝る俺に、奴らは『東京から出てけ!』とか、『訴えて金とってやろうか!』とか、『誠意を見せるためにカメラを壊せ』とか、『謝り方が気に入らない』とかさんざん罵声を浴びせてくれたぜ。ありがとよ。いいケーケンだぜ。
俺が頭を下げ続けている間に、女たちはぷんすかしながら行っちまった。俺はおまわりに何度も促されて始めた頭をあげ、その場にドカリと座り込んだ。
オマワリが言うには、こういうのは痴漢と同じで、やった覚えがなくても、女性がやったといえば、やったことにされてしまうので気を付けたほうがいいということだ。冗談じゃないぜ。そして、こういう繁華街ではカメラを持って歩かないように、約束してくださいとまで言われちまったわな。やってられないぜ。俺の喉はカラカラだ。俺はオマワリに一言言ってすぐそばの自販機で水を買って飲んだ。さすが、星占いってのはあたるもんだ。こんなところに来て、こんな目に遭うなんて、思ってもみなかったぜ。大人しくホテルでアダルト放送でも見とけってことかよ?泣けてくるぜ。
俺には解かった。どうしてどいつもこいつも、公園のブランコだとか、花だとか、風呂屋の書き割りみたいな風景だとか、自分の身の回りの私的なモノゴトを撮るのかってことが。俺のような写真は、なかなか撮れないってどいつもこいつも言うのか、はっきりと解かった。了解した。
俺のような写真を撮っている限り、社会との軋轢は避けられない。
誰だって、面倒なことはゴメンだろう。けど、そんな俺からすると人畜無害な写真を撮ってるくらいなら、写真なんてきっぱりやめてしまいたい。俺はもっと生々しくて、人間の生の姿が写っているような写真を撮りたいってのに。こんなことでいちいち裁判沙汰だって脅かされていたら、やってられないぜ。
いっそ、きっぱりやめるか。そうなりゃ当然、このブログもおしまいだ。
権力と、権力によって肖像権とかいうまやかしを吹き込まれ、映像の体制独占に知らず知らずに片棒担いでるような奴らがいっぱいな世の中だ。やってられないぜ。バカバカしい。生存権とか、労働権とかはいくらでもないがしろにされているのに、この肖像権というのはお上の腹も痛まないので、大いにもてはやされている。
聞けば、防犯カメラとかの映像には、肖像権は無いんだということだ。おかしくないか、それ。
ゆっくり考えてみよう。本当にバカバカしくなってきた。後悔すれども反省せずがモットーの俺だが、こんなくだらないことで犯罪者扱いされちまったら鬱陶しくてかなわないぜ。
写真よさようならだ!
以前にも書いたことがあるが、写真ってのは、どこか後ろめたく、反社会的な営みだってことが、骨身にしみるぜ。俺は基本、今日までずっと、反権力でやってきた。今、やっと見つけた自分の生きがいで、犯罪者扱いされ、権力からやんわりと警告されている。
俺が俺であるために、これは欠かせないものであるのだが、そんなことを警察官や、場合によっては裁判官にいってみたところで、彼らは芸術を、しかも反社会的なにおいのするゲージュツを理解するような回路は持ち合わせていないんだ、残念ながら。
誰か有能な弁護士を探すべきか。いや、奴らは金がかかりすぎる。ソクラテスの弁明のように、自分自身で自分の弁護をすべきなのか。もっともソクラテス自身は、自らの身の潔白を確信しながらも、疑われたことにうんざりしたのか、ドクニンジンを飲んで処刑されたけどねその気持ちも分からなくはないさ。道を歩いているだけで、犯罪者に見られる。俺だって、ドクニンジンでも食いたくなって来るってもんだ。
犯罪者、浮浪人、亡命者、ボヘミアン。俺はそんな風に見えているのか。ゲージュツは犯罪、つまり人間の暗い側面と気脈が通じているからな・・・。喜ぶべきか、悲しむべきか・・・。
どうするべきなのか。俺は、社会との軋轢を覚悟の上で、写真を撮り続けるべきなのか。それとも、大人しく尻尾をまいて、カメラをさっさと売り払い、パチンコでもして暮らすべきなのか?
読者諸君、しばらくゆっくり考えさせてくれ。君たちの意見も聞かせて欲しい。今回ばかりは真剣に聴いているんだ。もちろん、裁判沙汰になったりすることがあった時、俺の弁護人になってくれなんて頼んでいるわけじゃないさ。だから、頼む。俺はうんざりしまくってるんだ。世の中、こんなに写真を撮られることが嫌いな奴が多いなんて。魂を撮られるとか、丑三つ時に写真を使って呪うとかするつもりじゃないんだぜ。それが心配なら、アラブ人みたいにチャドルでもきればいいだろう?そのくせTVの中継の時には、レポーターの後ろで、カメラ目線でピースしたりするような奴がごまんといるってのに。

かつて森山大道の写真集には、こんな素敵なタイトルが付けられていた。
『写真よ さようなら』

2011/09/29

Post #320 Act Nice & Gentle To Woman

TVのニュースで見たんだけれど、サウジアラビアで車を運転した女性を鞭打ちの刑の処すという判決が出たそうだ。鞭打ちされる女性は、女性の車の運転が禁止されているサウジアラビアで、女性の権利拡張を求める一端として、自ら車を運転する様子をビデオにおさめ、ネットで公開していた女性たちらしい。ひでー話しだ。俺はそんな国に生まれなくてよかったと思うぜ。確かに女性ドライバーにへたっぴが多いとは思うが、運転したからって社会の秩序を乱すってのは言い過ぎだろうし、ましてや鞭打ちの刑なんて、まったく冗談じゃないぜ。
サウジアラビアでは、今もなお女性の運転は社会秩序を乱すとして、女性の車の運転は禁止されているそうだ。参政権もない。やっと数日前に、国王が次回の選挙から女性に参政権を認めると表明したばかりだ。俺たちの感覚からすると、奇妙な世界だ。もちろん、俺たちの国も女性に参政権が認められていなかった時代があった。それは確かなことさ。しかし、この21世紀、そんなことが世界のどこかで行われているなんて、びっくりだ。
男にだけ国のかじ取りを任せていると、ロクなことにはならないんだぜ。なにしろ男ってのは、喧嘩っ早いからな。いつだって権力闘争、そして不景気になると戦争をしたがるんだ。女に任せとけってのは言い過ぎだけれど、女の言うことはきちんと聞いておいた方がイイ。この世界の半分は、女なんだからな。そうすりゃ間違いなく物事が丸く収まるってもんだ。君も自分のご家庭の事を考えてみればわかるだろう。亭主関白なんて気取っても、いまどきはやらないぜ。そんなのは昭和の話しさ。
Paris
時折、自分の奥さんをぶん殴ったっていう話を耳にする。人の家庭のことだから、とやかく言う筋合いじゃないけれど、どんよりした気持ちになるぜ。
斯く言う俺も若いころには、連れ合いと言い争いになった挙句、手を挙げたことはある。しかし、今からすると、我ながらどうかしてたんじゃないかと思うぜ。女を殴ったところで、いい事なんかありゃしないんだ。現に俺はそのあと、連れ合いに包丁を持って追いかけられて、家を飛び出して走って逃げた。おかげで、近所の鵜飼さんちのおばあちゃんに、『夫婦喧嘩で警察呼ばれたのは、あんたんとこだろ?』なんて突っ込まれたもんだ。いや、警察は呼ばれていないはずだけど・・・。全くバカバカしいったらありゃしないぜ。もう10年以上前、今ははるか遠い20世紀末の話しだ。
女性には、優しく接するのがいいと思うぜ。面白くないことがあっても、そんなのは極力顔に出さず、ニコニコ優しく接していれば、まともな女ならきっと、君たちを優しく扱ってくれるさ。それで調子にのってわがまま放題に振る舞うような図々しい女なら、ちょっと付き合い方を考えたほうがイイだろうな。意見の合わないことがあるのなら、力ずくじゃなく、よく話し合って解決しようじゃないか。口は飯を食うためだけにあるんじゃないんだぜ。
所詮、男は女には勝てっこないのさ。どんなに頑張ったって、男だけじゃ人類は滅びちまうしな。おっと、こんな言い方すると、むかしの自民党の偉いさんみたいに『女は産む機械』だなんて思ってるように受け取られそうで、ひやりとするぜ。そんなつもりはないんだ。誤解しないでおくれよ。
この世の中には、男と女しかありゃしないんだ。どちらに生まれてくるのか、俺達は選ぶことはできない。だからなおさら、女性には優しく接するのがいいと思うぜ。手を上げるなんてもってのほかさ。自分が反対の立場に立っていたら、理不尽だと思うだろう。ましてや鞭打ちの刑?アナクロニズムにも程があるぜ。
もっとも、そういうのが趣味として好きな人がごまんといるのは承知してるけれど、それは男と女の間の夜の営みとして、この際脇に置いておこう。そんな話も決して嫌いな訳じゃないんだが、TPOってのもあるだろう。そもそも俺が言ってるのは、そういう問題じゃないんだ。分かって欲しいぜ。
Amsterdam
科学や技術がどれだけ進歩しようと、人間の頭の中はなかなか変わらない。古い文化やしきたりや、あるいは宗教の戒律でがんじがらめだ。けれど、それを一旦脇に置いて、クリアな目で見てみれば、女性が男性より劣ってるなんて、迷信に過ぎないってわかるぜ。自由になるってのには、そんな心の自由ってのも大切だ。
そう、女は世界の奴隷じゃない。むしろ女を軸にして回ってると俺は思ってるくらいだ。
なにしろ、うちの連れ合いは、俺なんかよりよっぽど稼いでるんだぜ。俺は世間じゃひもだって思われてるくらいなのさ。働いてるって力説しても、趣味で働いてるとしか思われないくらいだ。冗談じゃない、こちとら寝る間も惜しんで働いてるってのに。思わず笑えてくるぜ。
とはいえ、俺の腕は、女を殴ったり鞭打ったりするためにあって欲しくはない。自分の女を守るためにこそ、この腕を、拳をふるうべきだ。もちろん、そんな物騒なことにならないのにこしたこたぁないんだがね。ニュースを見れば、物騒な話ばかりの昨今だ。とりわけ俺のすむ町は治安が悪い街だからな。覚悟だけはしておかないとね。
読者諸君、失礼する。俺は決してイスラム教が嫌いなわけじゃないけれど、ムスリムの皆さんにもぜひ、女性に対する扱いは時代に即して見直していただきたいと願ってるのさ。
また会おう、御機嫌よう。

2011/09/28

Post #319 Children of Bruxelles

うむ、明日から一週間ほど出張だ。東京だ。まだ荷物もまとまっていないんだ。大忙しだ。
なので今日は、さらさらと流させて頂くぜ。
Bruxelles
ブリュッセルの朝早く、子供たちが手を取り合って歩いていた。子供たちは見慣れぬ東洋人の俺を見て、興味津々だ。
子供ってのは、どこでも可愛らしくっていいもんだねぇ。
子供たちは、俺を見てなぜか『ぴとん、ぴとん』と口々に騒いでいたぜ。ぴとんってなんだ?
俺の脳裏にはダイキンのクーラーのキャラクターぴちょんくんが浮かんでいたが、俺を見て、ぴちょんくんは連想しないよな。
Bruxelles
読者の諸君、分かるかい?俺はそん時は分かんなかったんだが、何日かして分かったんだ。ぴとんってのは、PYTHON=パイソンのフランス語発音だ。
子供たちは、俺がはいていたパイソン柄のスキニーデニムを見て、びっくりして『へびだ、へび!』だって大騒ぎしてたって訳だ。ふふふ・・・、ブリュッセルの坊ちゃん嬢ちゃんには、俺はいささか刺激的なおじさんだったようだぜ。
まぁ、この日本の国じゃあんまり人気ないんだけどね。
では読者諸君、失礼するぜ。また会おう。

2011/09/27

Post #318 一体ぜんたい!

秋の気配が深まってきたぜ。俺のブラック・ミュージック・マイブームも上げ潮だ。
今日はマービン・ゲイでどっぷりだ。仕事をしながらも、つい口ずさんでしまう。
♪Oh  I Need Your Love, I Don't Wanna Wait, I Can't Wait...♪なんてね。
これを日本語に訳すと結構恥ずかしーんだぜ。
なんて言っても、♪おぉ、お前の愛が欲しい、俺は待ちたくない、待てないんだ♪だぜ。
どうだい、素敵だろう。

マービン・ゲイ、アル・グリーン、サム・クック、オーティス・レディング、ステーヴィー・ワンダー、ジェイムス・ブラウン、カーティス・メイフィールドetc…。
数え上げたらキリがないほどだ。素晴らしい、リズム&ブルースの、ソウルの綺羅星だ。
その厚みとぬくもりのある音楽、そして何よりそれぞれに個性的な深みとコクのある歌声、まるでコーヒーの宣伝みたいな月並みな言葉だが、ホントーに心に響く歌声だ。
若いころには解からなかったかもしれない。しかし、年食った今はよくわかる。
サイコーの楽器は人間の声だと確信に至るぜ。嘘だと思うんなら、君も聴いてみるとイイさ。俺は現場の行き帰り、車の中で大音量で聴いては、心が震える心地だぜ。思わず、カンドーの涙が頬を伝うが、ハンカチーフはいらないのさ。俺の涙が流れるままにして欲しい。せめて、独りきりの車の中ではね。
そして、彼らが歌うのは、愛だ。そう、その多くはラブソングだ。
Yeah! 愛し合ってるかい!キヨシローでおなじみのこの言葉だって、本家はオーティスレディングなんだぜ。
Paris
OK、覚えておいてくれ。ラブソングは、小娘アイドルやひょろっとした坊やたちだけのものじゃないんだぜ。ホントーのラブソングは、それなりに人生経験を積んできた、挫折や悲しみも知った大人の男が歌うものでもあるんだぜ!極上のブラック・ミュージックがそれを教えてくれるぜ。
あ、R&Bっていうと最近の薄っぺらなアメリカのPOPミュージックを連想してしまうが、俺の言ってるのは、そんなヤワでチャライもんじゃないぜ。
デカくて、ぶっとくって、腰もあれば、粘りもある。流行り廃りの激しい現代社会で、忘れ去られることもなく、輝き続けてきた魅惑の音楽だ。間違ってもらっては困る。
あぁ、あの頃の黒人ミュージシャンたちのカッコ良かったことと言ったら、無いぜまったく。

しかし、今のアメリカで黒人音楽とされているのは、酷過ぎる。哀しくなってくる。
人相の悪い小太りな連中が、だらしない格好で、金ぴかのネックレスやブレスレットをジャラジャラつけて、指をおっ立てて、つばを吐き散らさんばかりの勢いで怒鳴りまくってる。
何を?大方は、女とのセックス、金、ドラッグの三拍子。そして、必ず俺を舐めたらただじゃおかないぜって風情だ。その後ろじゃ、やたらケバいメイクに、男を誘うような表情を浮かべた露出過多の女が、くねくねしてる。お前等、おかしいじゃないのかって言いたいぜ。
飲み屋なんかで、そんなPVが流れていると、気分が悪くなって、一瞬でも早くその店からトンズラしたくなる。酒が不味くなるとはこのことだ。やってる方も、それを見て喜んでる方も、どいつもこいつもIQが低いんじゃないかって不憫になるぜ。もっといい音楽を聴いてほしいぜ。そんな荒んだ人相じゃ、人生が台無しだ。
Paris
夜の繁華街で仕事をしていると、よく見かける黒人のアンチャンがいる。真夜中の2時3時にハマーにのって、くそデカい音でやたらビートを効かせたヒップホップをかけながら、通りを流しているマレ歌のような腕をした奴だ。まるで、往年のアブドゥーラ・ザ・ブッチャーを思い出す。歳がばれるぜ。
一体何をしたいっていうんだ、お前は?それで日本人のバカ女をひっかけるつもりかい?カッコ悪いぜ、俺の価値観からしたらな。
あの頃のカッコ良かった黒人達は、ブラックメンは、お前さんみたいにぶくぶく太っちゃいなかったし、威圧的でもなかったさ。いつも柔和な微笑みを浮かべていた。そして時には、世の中を覆う不正義に憤り、厳しい顔をしていたぜ。しかし、それでも未来は明るく、私たちは困難を乗り越えることができる、We Shall Over Come!と歌っていたぜ。
本当に強い男ってのは、そういうもんだろう。チンピラ同士の縄張り争いみたいな強がりじゃなくて、自分たちの権利と幸せを求めて、歌だけを武器に戦っていたんだぜ。優しくて、強い男たちだったんだ。だからこそ、本当のラブソングが歌えるのさ。何十年、何十光年離れていても、その星々の輝きは消えることはないのさ。
本当の黒人音楽は、本当に心を打つようなブラックミュージックは、もう残っていないのだろうか?
傷ついた心を抱えた人々を、ゆったりと優しく包み込むようなヴァイブレーションを放っていたあの音楽は、失望のどん底に苦しむ人々を勇気づけてくれた音楽は、一体どこに行ってしまったのか?誰か教えてくれ。一体ぜんたい、どうしてこんなひどいことになっちまったんだ。誰か教えてくれ。

2011/09/26

Post #317 クレージーな日々がまた始まる

体調はまだ万全じゃないけれど、またクレージーな仕事漬けの日々が始まる。今夜も君たちが眠っている頃、俺はしこしこと働いているだろう。我ながらご苦労なこった。ふふふ・・・、俺たちの人生は、どことなく懲役みたいなものさ。この世に来た時にくぐった門には、きっと働かざる者食うべからずって書いてあったんだろう。結構なことだ。
こう忙しくっちゃ、ジムに通うっていう長年の夢もかなえられそうにないぜ。以前に比べて、筋力が落ちてきた。下っ腹がぷっくりしている。決して太っているわけじゃないが、早めに手を打たないとな。小便するときに、自分のムスコが見えないようになっちゃ手遅れってもんだ。
世界にはもっと深刻なことがあるのは分かっちゃいるが、俺にとっちゃこれはかなり深刻な事態なんだ。分かるだろう?デビルマンみたいなエッジのたった体をしていたいんだ。
Paris
最近、Red Hot Chili Peppersのニューアルバム、"I'm With You"を連れ合いが買ってきたんだ。レッチリは連れ合いの担当なんだ。で、You Tubeで、奴らのPVを見たんだけれど、相も変わらず上半身裸で、歌ってはジャンプ、ベースを弾いてはジャンプだ。
男の一番格好イイスタイルは上半身裸だってのがよくわかる。こんなぷっくりおなかじゃ、格好つかんぜよ!
この世名の中で、もっともロックンロールな風景は、レッチリが出番前の楽屋で、上半身裸で逆立ちしたり、楽器を弾いたりしてウォーミングアップしている姿だと思うぜ。憧れるさ。あいつらだって、もうかなりいい歳だろう。負けちゃいられないんだ、俺だって。きれいに割れた腹筋を取り戻さないといけないぜ。あのイギー・ポップだって、あの肉体を維持するために、早朝から走り込んだり、ジムに通ったりしてるんだぜ。酒をかっくらうなんてもってのほかさ。
そのためにも、規則正しい生活をして、近所のジムに通いたいもんだが・・・、この商売じゃ無理だろうな。なんせ、夜討ち朝駆け当たり前の異常な仕事だからね。
親愛なる読者諸君、また会おう。俺はいつでもこんな調子さ。

2011/09/25

Post #316 穏やかな日曜日にはブラックミュージックがお似合いさ

今日は取り立てて話すほどのこともない一日だ。
自分より若い友人が遊びにやってきたことぐらいだ。どうってことない。けれど、かつて大学生だった友人が、もう29歳になるというのを聴いて、年を食ってるのは俺だけじゃないんだって、少し安心したぜ。当然のことだけど、俺のような自己中心的な人間は、そういうことになかなか気が付かない。自分が年食った事ばかりが気に食わないのさ。
Istanbul,Turk
で、今日はその友人といろんな音楽を聴いていた。俺のおすすめをね。今日のプレイリストはだいたいのところ、こんなカンジかな。

The Rolling Stones "Jumpin' Jack Flash" (from Get YerYa-Ya's Out!)
Jeff Beck "Loose Cannon" (from You Had It Coming)
Stevie Wonder "Another Star" (from Songs In The Key Of Life)
Al Green "Let's Stay Together" (from Let's Stay Together)
Curtis Mayfield "Move On Up" (from Curtis)
Kings Go Forth "One Day" (from The Outsiders Are Back)
James Brown "Ain't It Funky Now" "Georgia On My Mind" (from Love,Power,Peace Live At The  Olympia, Paris, 1971)
Bootsy's New Rubber Band "Blasters' Of The Universe" (from Blasters' Of The Universe)
Bootsy Colins "Play With Bootsy" (from Play With Bootsy)

まぁ、今日二人して聴いていたのはこんなとこさ。基本、どれも俺の愛聴盤なんだけどね。マニアックで、大抵の人はまったく分かんないだろうな。けど、カッコいい音楽ばかりさ。もしよかったら、聴いてごらんよ。けどまぁ、こんなもんばっかり聞いてたら、ロクな大人にはなりゃしないね。なんてったって、自然と腰が動いちまうんだから。若者を洗脳するのは、楽しいものさ。
読者諸君、また会おう。まだ本調子とはいかない俺さ。

2011/09/24

Post #315 If I Should Die Tonight

うう、相も変わらず体調が、優れませんねェ・・・。
今日も今日とて、プリントするつもりでいたんですがね、ダメですわ。身体がというよりも、身体を動かす精神のほうが、その気にならないんだな。季節の変わり目には、こんなことがよく起こる。自分としては、身体が来たるべき気候に向けてチューニング中なんだと思ってはいるが、全身熱っぽく、とりわけ顔が火照るように熱くなってて、とてもクリエイティブに何かに取り組めるような心身の状況じゃないんだな。おかげで今日もダラダラと眠っている。体温計を探すのもおっくうなんだ。読者の諸君にこんな不甲斐ない姿を晒すのもなんだけれど、これが現実だ。この二日間で、百枚はプリント出来たんじゃないかって思うと、泣けてくるぜ。人生に残されてる自由時間は少ないってのに・・・。俺は老後の楽しみに、プリントを残しておこうなんてこれっぽっちも思っちゃいないんでね。
Paris
こうして少し調子が悪くなると、しばしば俺、もう死ぬんじゃないかって思う。
おふくろが39で早死にしてるから余計にそう思う。とっくに40を超えた俺だ、いつ死んでもおかしくないぜ。縄文時代の日本人の平均寿命は30歳くらいだったっていうしな。医療がなければ、人間なんてそれくらいで死んじまう弱い生き物なのさ。
だからこそ、一瞬一瞬、迸るアーク溶接の火花みたいに激しく生きていたいんだけど、昨日今日の不甲斐ない有様じゃねぇ。こんな状態じゃ、いつもヘソの下あたりに渦巻いている生命エネルギーが、自分で感じられないんだよ。俺に写真を撮らせたり、プリントさせたりさせてるのは、この下っ腹のあたりにとぐろを巻いてる生命エネルギーなんだ。それが自分で感じ取れないとは・・・、弱気にもなってしまうさ。
いつも新聞の死亡記事に目を通す。どんな立派な業績を残した奴でも、最後は新聞の片隅にちいさな記事が出るくらいだ。顔写真がついていれば大したものさ。俺が今夜死んだところで、どこかで犬が一匹死んだのと大差ない。俺のつれあいは悲しむだろうが、世の中から痴漢が一人減ったくらいのものさ。
せめて、俺の葬式は楽しいものにしてもらいたい。俺は親しい友人にはいつもお願いしている。涙は無しだ。俺の好きなロックやファンクやソウルを流して欲しいぜ。思わず棺桶から起き上がりたくなるようなとびっきりの奴をね。そう、参列者も思わず腰が動いちゃって、ステップを踏みたくなるようなイカした奴だ。
もっとも、俺は『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』でおなじみの浄土真宗だから、好き放題の俺の往く先は極楽往生間違いなしだ。キレーなおねーちゃんが待っててくれるとイイんだがな。で、肝心の葬式だけれど、いろいろと注文がある。今日はいい機会だから、ここに書いておこうや。誰かが憶えていてくれて、この通りにやってくれるかもしれないぜ。
まずは、俺の死に顔はニッコリ笑顔にしておいてほしいーもんだ。
ガンガンロックの流れる中で、棺桶の中の死に顔を見た親類知人が、思わず噴き出すような満面の笑顔にしておいてほしーぜ。これは自分が死ぬ時の心掛けもカンケーしてそうだ。最大限努力するぜ。
Paris
棺桶の中には、あの世に行っても傾いていられるように、グレンフェルのパープルのコートや、蛇皮の靴や、パイソン柄のスキニーデニムを入れておいておくれよ。髑髏の杖も欲しいけれど、燃え残っちまうから、誰かにやるさ。あの世に行って、幽霊みたいな恰好はゴメンだぜ。カメラも入れなくていいぜ。どうせあの世に行って写真をとっても、どれもこれも心霊写真だって言われちゃうだろうからな。
で、肝心要の葬式がはじまり、坊さんが席に着いた途端に、天井からでっかい金盥が坊さんの頭に落ちてくるとか、コミカルな演出をお願いしたい。頭を強打した坊さんが、しぶしぶお経を読みだすと、木魚のリズムに合わせて、棺桶の顔の部分に設けられてる小窓が、パタパタキーキーと開いたり閉まったりするのも小憎い演出だ。焼香の途中なんかに、棺桶がワイヤーでつられて蓋が開いたり飛び上がったりするってのも、あほらしさ満点でいいんじゃないかな。そうそう、焼香の香炉の灰の中に、爆竹なんかを仕込んどいてもらえると、スリル満点だ。気味が焼香した途端に、バチバチ!っとはじけるのさ。俺もきっと棺桶の中で笑い転げることだろう。
そう、全体的なイメージとしては、大昔のドリフターズのコントだ。8時だよ、全員集合だ!
そして、出棺の際には、マービン・ゲイの"If I Shoud Die Tonight"なんかかけておくれよ。とびっきりのブルースマン、ジョン・リー・フッカーの“Burning Hell”なんかもイイかもしれないな。これもカッコいいブギーなんだぜ。出来れば気の合う仲間たちに、お神輿みたいに景気よく担いでほしーぜ。バカバカしいのは分かってるぜ。けど、湿っぽいのは嫌いなんだよ。所詮この世から馬鹿が一人減っただけのことだ。だったら最後まで、バカバカしくいきたいもんだろ?
もちろん霊柩車は、宮型つまり、屋根が作ってあって、その上に金ぴかの鳳凰なんかが輝いてるあれじゃなきゃね。なんたって、俺はあの手のゴージャスな霊柩車を自家用車にしたいと思ってるくらいなんだ。眠りたくなったら、サービスエリアに車を止めて、棺桶の中でぐっすり眠るのさ。暑い時期にはドライアイスなんかを入れるのもいいだろう。その夢がかなう時がやってくるのさ。
そうそう、花輪なんかも一ひねり欲しーもんだ。菊の花でグラマラスなおねーさんの姿を象ってもらえたりすると、死人冥利に尽きるぜ。個人は生前、いい女を見ると、すぐにシャッターをきっていましたとか言ってね、ダッハッハ!
で、俺の糞くだらない人生をリワインドするようなスライドショーを作るくらいなら、俺の撮った糞ったれな写真のスライドショーを流して欲しいぜ。どこよりもその中に、俺の生きた証があるはずだ。
そして、何より弔辞だ。このブログには、弔辞のネタになりそうな馬鹿話をせいぜいちりばめておくとするかな。
まぁ、こんな夢みたいなこと書いたって、きっとまだ死にゃしないんだろうし、それを実現できるほどの肝っ玉の奴なんていやしないだろうな。だからこそ、こうやって書いておくんだ。これは故人のたっての願いだったって言えるようにね。
読者諸君、人間、気弱になるとどうもネガティブな事を考えちまっていけないぜ。まぁ、どうせもう少しダラダラねむってりゃケロッとするさ。けど、俺の葬式には、みんなぜひ来てくれよ。たんまり香典包むのを忘れずにね。失礼する。あの世で会おうぜ!


2011/09/23

Post #314 こういっちゃなんだが、素人に21㎜は荷が重いのではないだろーか?

スパークス、ついにダウンだ。
いや、死んだわけじゃないよ、もちろん。今こうしてブログってるし。単に疲労困憊して。一日ダラダラ眠っていただけさ。仕方ない。365日のうち、そんな日もたまにはあるさ。とはいえ、溜まりに溜まった洗濯物をかたずけ、散らかった部屋を掃除し、行きつけのカメラ屋にフィルムを出しに行き、プリントの薬品を調合するところまではやったんですよ。やったんですが、それで力尽きた。俺は眠ったぜ。一日ダラダラ眠って暮らしたんだ。友人のケンちゃんから借りたCDも、一曲だけ聞いて止めてしまったほどだ。イイプリントを作るのも、イイ音楽を聴くのも、結構体力が必要だってことだ。疲れてぼうっとしてると集中することもできないからね。
Amsterdam
先日仕事関係で知り合った若者は、GR21が欲しいと言っていた。
GR21かぁ・・・。森山大道センセーもお使いの名機だ。リコーGRシリーズの行くとこまで行った精華だ。いいカメラだ。俺としては、レンズが完全に沈胴できへんのがちと難点だが。レンズが完全に沈胴しないコンパクトカメラは、俺のように結構ヤバ目のシチュエーションで写真を撮りたがる阿呆には、イマイチ不向きなんだ。パッと撮って、さっと逃げる。これ肝心。今まで、それを怠りトラブルになったこと多数ありだからな。その時、沈胴しきらないと、機動性が悪い。まぁ、これは単に俺の都合ではあるがね。
21㎜は、まぁ現在、フツーに使われる中ではもっとも広角レンズの部類に入るだろう。もちろん12㎜とか16㎜とか、さらに広角な玉があるのは承知の上で言ってるんだぜ。しかし、実際のところ、21㎜よりも広角のレンズになると、何か特殊な表現意図がないと使わないだろうという意味で言ってるわけだ。
GR21が欲しーなんて言う若者だと書くと、カメラに詳しい読者さんからすると、なかなかにいまどき見どころのある若者じゃないかという事になるだろうが、実際に話を聞くと、そんなたいそうなもんじゃなかった。がっくりだ。
きけば、フィルムカメラは持っていないということだし、何故21㎜かと聞くと、とりあえず撮り洩らしがなく、なんでも写るからと、素人丸出しな事を言っていた。俺は若者の意欲に水を差すのもなんだったので、言わなかったが、正直21㎜舐めるなって言いたかったぜ。21㎜の持つ奥の深さ。言い換えれば、その扱いにくさ。それは意図して画面を構成することを撮影者に要求するシビアなレンズだってことを、写真を真面目にやったことのある人は、理解してくれるはずだ。
テキトーに写真を撮っているように見える俺が言うのもなんだけど、被写体にどうやってアプローチするのか、どれくらいの距離感でシャッターをきるのか、写真にはそういったセンスが絶対的に必要だと思うぜ。何でも写るから広角21㎜なんて感覚じゃ、フィルムに何も写せやしないさ。何でも写るってんなら、心霊写真でも撮ればいいのさ。
かつて、ハリー・キャラハンは、1950年代にやっと開発された21㎜レンズ(そう、コンタックスのBiogon21mm f4です。レンズ史上に燦然と輝くあのBiogonです!ライカが、シュナイダーにスーパーアンギュロンを開発させ、発売したのはそのあとですよ)を使うために、中判カメラからコンタックスⅡaにカメラを替えたほどでした。当時の21㎜レンズは現代の12ミリとかのような特殊レンズだったようです。
21㎜は、正直難しいレンズです。俺もG2を投入するときには、必ず使うレンズですが、21㎜は画角が広い分、被写体との距離のとり方がかえって難しい。主題に持っていきたい被写体が、マメ(これは俺の用語で、肝心要の被写体が小さくなっていること)になってしまうこともしばしばだってことです。周辺光量の低下や空間の歪は、広角レンズの味だから置いといても、メインの被写体がどれって状態は困る。
広角レンズならではの被写界深度の深さを応用したテキトー且つ大胆なピント合わせや、広角ならではの開放値の暗さ(もちろん、昔ほどじゃないけどね)などを考慮しても、素敵なスナップ用レンズだと思いますが、むしろ近接した場所でポートレイトを撮るとか、もっとクリエイティブな使用法を試していきたい上級者向けのレンズですわ。そう、さらりと言っておくけど、俺に写真を撮ってほしーという人は、ぜひとも名乗り出てください。出来れば、若くてキレーな女性がイイです!
だから、ロクに写真を撮ったこともなく、フィルムカメラを使った事もないようなボーヤが買っても、箪笥の肥やしに直行便なのは明明白白なんですから、決して賛同出来ね―ぜ。そういったカメラは毎日ガンガン写真を撮りたい、やりたい盛りの思春期の小僧みたいに写真が撮りたいっていう、ハードコアな奴にこそ持ってほしーもんだ。
で、俺は奴に35㎜とか28㎜をお勧めしてみたんだけれど、人の話しをロクに聴かない奴で、まったく聞く耳を持たないんだ、困ったなぁ。せめてレンズ交換の出来るカメラで徐々に感覚を磨いていく方がいいと思うんだけれどね。まぁ、仕事じゃないからそいつの好きにしてくれていいけれど、仕事でもそんな風に、ロクに分かってもいないくせに人の意見を容れないような奴と組むのは、骨が折れるだろうぜ。自分のところの若い衆なら、回し蹴り一発で教え込むんだけれど、そうもいかんしな。
Amsterdam
やれやれ、困ったもんだ。しかしまぁ、自分の稼いだ金で買って、無駄にするなり苦労するなりして勉強していけばいいのかもね。どんな写真を撮りたいのか知らないけれど。まぁだけど、21㎜なら撮り洩らし無しなんて言ってるようじゃ、マジにロクな写真は撮れないだろうな。もったいないぜ。マータイさんもきっと『モッタイナイ』というと思うぜ。
そう、ガチで被写体と切り結ぶ覚悟が感じられんぜ。冗談じゃない、カメラはアクセサリーじゃないんだぜ、侍で言ったら刀、次元大介で言えば44マグナムだ。けど、本質的なことを言えば、本当に撮りたかったら、写るんですでもケータイでも十分に写真は撮れるさ。なんせこの俺だって、写るんですで写真をとりはじめたんだからね。
カメラがあるから写真を撮るんじゃない。写真を撮りたいからカメラが必要なのさ。問題なのは、写真を撮りたい気持ちであって、写真を撮る俺たちのセンスと覚悟であって、カメラなんて何でもいいのさ。まぁ、そうは言いつつも、俺だってコンタックス信者だけどね。
読者諸君、写真はシャッターを押せば写る。だけれど、いやだからこそ、カメラ以外に問われるものがたくさんあるってことだ。毒にも薬にもならんような写真を撮りたくはないのさ。そう、森山大道も言ってたぜ、覚悟しろ!ってね。

2011/09/22

Post #313 立ったまま眠れ!

睡眠不足だと頭が回らない。昨日の夜は仕事だったんだ。で、今日は朝の10時から東京で打合せ。まいったぜ。昨日の台風の影響で、新幹線は朝から満員御礼だ。結構なこった。おかげさんで、東京まで眠っていこうという俺のケーカクは瓦解したんだ。一睡もしてないというのに、東京まで二時間近くたちんぼだ。しょんべんにすら行けない程だ。思わず笑えてくるぜ。
荷棚で荷物に混じって寝てやろうかと真剣に検討したくらいだ。やってみれば良かったかな。回りの連中の驚く顔が目に浮かぶぜ。なかなかに楽しげだ。想像してみるとこれはこれでなかなかに痛快だ。
Tokyo
常識?糞食らえだ。インド辺りじゃそれがフツーさ。珍しくもないぜ。だが、この日本の国ではダメだ。とても理解されないだろう。みんな鶏舎に詰め込まれたニワトリのようにお行儀がいい。自分たちの常識の外に、別のジヨーシキが存在することなど、夢にも思わない。
残念だ。残念きわまる。生きるというのは、刻一刻と可能性を狭めて行くことに他ならないが、つまらんジョーシキとやらで、可能性のあることにすら気が付かないとは、いささかもったいないのではなかろーか?
しかし、そんな俺も品川から東京までは座ることが出来た。70くらいのばーさんたちが、三人掛けのシートから出ていったからだ。それも、前のシートの背中に着いてる網に、さんざん食い散らかした弁当ガラを残してだ!ご丁寧に、袋に入れて、網に縛りつけてある。ふざけんな!
年寄だからって、人様にケツを拭いて貰うことばかり考えんな!
俺は憮然とした声と睡眠不足で不機嫌窮まる顔で、『ちょっと待て、あんた達、ゴミ、自分で出したゴミは自分で片付けろ』とお勧めしてあげたぜ。何せ、弁当ガラはなんとも嫌な臭いがする。それが、俺が限界を更新しながら眠気に抗っていたすぐ横で、いぎたなく眠りこけてたバアサンが食ったと思うと、不快感は二乗だ。
Tokyo
この国では、無駄に年をとったような厚かましい年寄は珍しくもない。
可能性を狭めて行くと、こんな自分のゴミも公共の場に、へーちゃらで残していくような情けない人間に仕上がるのか。朝から、情けない気持ちでいっぱいだ。
イカれたジジイにはなりたいが、俺は自分のケツは自分でふけるジジイでいたいぜ。
まぁ、仕事はあまりに眠くて、何もかも夢の中の出来事のよーだった。情けない!
秋葉原、池袋、原宿。そんなところを回ったというのに、メイド喫茶にすら行かず、夢遊病患者のようにさ迷っていたんだ。やれやれ。
親愛なる読者諸君。いつも君が読んでいてくれると思うと、胸が高鳴る。下らない事を、一生懸命全力を尽くして書かねばと、身が引き締まるぜ。下らない事を、真剣にやるからこそ、そこに比重が生じるはずだ。まだまだ俺は真剣味が足らないのさ。
では、そろそろ失礼するさせて貰うぜ。明日こそプリントでもさせてもらうさ。楽しみだぜ!

2011/09/21

Post #312 俺が居眠りしている間に…

夜の仕事に備えて俺が居眠りしてる間に、台風はどっかに行ってしまったようだ。
いつも不思議に思うんだが、台風がこようが電車が止まろうが、何としても会社に行こうとする日本人。まぁ、かく言う俺も午前中は吹き荒れる嵐の中、銀行に行ったりホームセンターに行ったりと何やらごそごそ動き回ってはいたんだがね。
TVを見ているとずぶぬれになってサラリーマンやOLが歩いている。ご苦労様なこった。
HomeTown
子供の頃は、台風が来ると学校が休みになるんでかなり嬉しかったんだけどね。どんなに頑張ってみたって、人間の力では吹き付ける風を、降り注ぐ雨を止めることなんてできないんだ。家族と一緒に、静かに家の中で小さくなって自然の脅威をやり過ごしていたって、イイじゃないかな?
まぁ、大人にはそうはいかない事情があるのは充分に承知してるけれど、そんな事情なんて、所詮はせせこましい人間の都合であって、一日くらいサボったって、命まではとられないと思うんだけれどね。むしろ、嵐の中いそいそ出かけていって、命を落とすことだってあり得るんだ。どっちが得かよく考えてみたいぜ。
とまぁ、今日はこんなところで失礼するぜ。やっておきたいことがいくつもあるんだ。俺の人生、ヒマでどうしよーもないなんてことは全くなかった。ゲームに没頭したり、パチンコに行ったりするような暇はありゃしないのさ。金を稼いで、稼いだ金で好きな事をやるだけだぜ。
読者諸君、また会おう。明日は明日の風が吹くのさ。

2011/09/20

Post #311 またもや台風か、まいったなぁ…

今年は台風の当たり年だ。またまた台風だ。直撃もしていないうちから、名古屋じゃ河川の氾濫だ。愛知県内で100万人もの避難勧告だ。一体全体、100万人もどこに避難すりゃいいんだ?
俺は10年ほど前の東海豪雨を思い出す。あのときも大変だったっけ。名古屋水没って海外でも報道されたほどだった。まぁ、今年東北地方を襲った地震に比べれば、大した規模じゃないかもしれないが、当事者にとっては、災害の規模など関係ない。
誰にとっても、自分自身が大事なものさ。まぁ、俺はあんときもこれといった被害も蒙らず、のほほんとしていたがね。今回も仕事に行くことも無く、のんべんだらりと日を送っていたのさ。電車はJRも私鉄も止まっていたが、うちのつれあいは同僚に送ってもらって何とか帰ってきた。今は雨も小康状態で、鈴虫が鳴いている。いつもより静かな夜だぜ。
しかし、天災ばっかりは、望むと望まないとに関わらず、また、無事だったことを負い目に思うことがあったとしても、被害に遭うかどうかは、ちっぽけな人間の力ではいかんともしがたい。たまたまだ。この偶然に感謝することしかできないんだぜ。
出来ることなら、被害が最小限にとどまってくれることを祈らずにはいられないぜ。俺の友人もそのあたりにはそこそこ住んでいるんだからね。これ以上は勘弁してほしいぜ。鎌倉幕府3代将軍、源実朝も詠っていたよな。『時により 過ぐれば 民の嘆きなり 八大竜王 雨止めたまえ』って奴だ。 
Paris
サラリーマンNEOのサラリーマン体操に出てくる近藤良平を見るたびに、俺はこの人へんな髪型だなぁって言ってるんだけど、うちのつれあいには『あんたも似たようなもんだよ!』って一喝されてます。そういえば、近藤良平さんとは同じ学年にあたるようで・・・。人相があまり良くないところも、似たようなものかな。いや、俺の方がほんの少し愛嬌があると・・・、思いたいねぇ。
以前にオカマバーに行ったときには、葉加瀬太郎かとおもったってオカマのおじさんに言われちゃったんだけどね。まぁ、まいったなぁ・・・。
Paris
俺のよく行く美容院の女の子は、俺のことを自転車関係の仕事をしてると勘違いしてるらしいんだ。今日、のどの具合が悪くて行った病院の受付のおばちゃんから聞いた話しなんだけれどね。俺は町のおばちゃんや美容院のおねーさんたちの話題の的なのさ。病院の受付のオバちゃんはともかく、美容院のおねーさん方なら、いつでも喜んでご飯でも食べさせてあげるんだけど、若い人はシャイでいけないぜ。
で、俺の仕事なんだが、自転車関係の仕事・・・?そんなわけあるかよ!今時さっぱり儲かりそうにないぜ。
たまたま、俺がその美容院で『俺の仕事は自転車操業さ』って話をしたらだ、自転車操業の意味を知らない彼女は、自転車関係の会社だと思ったんだろう。で、それから数日後に、俺が自分の自転車(ちなみに名古屋弁ではケッタという)のパンクの修理に近所の自転車屋にだねぇ、赴いたところ、たまたま俺の家の近所に一人暮らしをしている彼女が通りがかって、ちょいと立ち話したって訳だ。なんて言うことのないことなんだが、彼女は、まさに俺が自転車操業の営業でもしていると思ったんだろう。あぁ、若いって素敵なことだぜ。世の中に知らないことがたくさんあると、おかしな誤解を連発で、人生面白く過ごせるってもんだ。羨ましいぜ!けど、そん時俺、自転車操業の意味を説明したはずだけどなぁ。あまりに巧みな話術で、話の内容も流れるように聞き流されてしまったのか?ふふふ・・・、もっとこれからは重々しく語るようにしようかな?
読者諸君、世間は台風で大騒ぎだというのに、超自然的じゃなくて、超私的な与太話の連打で、スマン。しかし、誰の人生もそんな小話の集積でできているのさ。え、俺だけかよ?まいったなぁ・・・。

2011/09/19

Post #310 Gypsy Queen

ありがたい事に今日も仕事はOFFだった。しかし、遊んでいたわけじゃない。忙しさにかまけてサボっていた帳簿をみっちり時間をかけてシコシコとやっていたのさ。自分のこととはいえ、こいつはたまらないぜ。お金もたまらないぜ。まぁ、金がないのは悪い事でもないけどね。金子光晴の詩にも『剽軽者の俺の人生だったが 金がないのでまだ助かった』なんて文句があったしな。
で、朝TVを見ながらコーヒーを飲んだりしていると、モデルの道端ジェシカがトルコを旅して、トルコの街を走るっていう番組をやっていたんだ。イスタンブルにエフェス、そしていつかは行ってみたいカッパドキア・・・。俺は連れ合いと一緒に旅した去年の夏のトルコを思い出したぜ。実際、道端ジェシカが走っていた界隈を、俺はカメラを持って歩き回っていたんだ。また行きたいもんだぜ。

で、今日はまた思い出したように、イスタンブルの写真をお送りしよう。先日の慕情海峡ボスポラスの続きだ。慕情海峡ボスポラス#4で、アジア側のカドキョイに着いて、花を売るジプシーの女性を目にしながら、信号待ちをしているふりをして、そっと写真を撮ったとこまで書いたと思うけど、今日はその目抜き通りの信号を渡ったところの話しだ。
横断歩道を渡って、右に曲がって歩き出した俺の目に、一人の異様な女性の姿が映った。広い石畳みの歩道で、異国情緒あふれる音楽に合わせて踊っている。
Istanbul,Turk
これが生演奏だったらばっちりだったんだろうけれど、生憎小さなラジカセからその旋律は流れていた。ちょいと残念だ。道行く人々は、そんな彼女が目に入らないかのように足早に過ぎていく。しかし、彼女はそんなことにはお構いなしといった風情で、いささか疲れのにじんだ足取りでステップを踏み、何かに憑かれたように踊り続けていた。
よく見れば、彼女の足は裸足だ。手の甲にも、足の甲にも、血管が浮き出しているのが見て取れる。髪の艶も無く、肌は日にさらされてなめしたようになっていた。それでも、俺は思ったのさ。彼女はきっと誇り高いジプシークイーンなのさ。おっと、むかしの中森明菜の歌じゃないぜ。そんなこと言ったら、俺の感じてた旅情が、一挙に安っぽくなっちまうだろう?
Istanbul,Turk
他のジプシーの女性たちが、トルコ人や観光客に花を売って稼いでいるのを横目に見ながらも、それを良しとしないような矜持が、そう、かつて歌舞音曲で人々を魅了していた頃の暮らしを頑なに変えようとはしない厳しい意志が、その深いしわが刻まれた顔に読み取れるような気がした。
彼女が踊ることを、誰も気に留めようともせず、足早に通り過ぎ、彼女にお金を与える者がいなくても、彼女はそんなことは微塵も気にしていないような風情だった。ひたむきに、夕陽を浴びて踊り続ける姿は、何か価値が逆転し、途轍もなく高貴な姿にすら見えてきた。
Istanbul,Turk
俺は写真を撮る。彼女は踊る。そこに何も理由などなく、ただ、踊るべく生まれたものが踊るのだと言わんばかりに。その姿は、ボスポラス海峡に沈みゆく夕陽に照らし出され、気高さすら漂っていたのさ。俺は確信したんだ。『彼女こそ、落ちぶれてしまったけれど、生まれながらのジプシークイーンなんだ』ってね。
読者諸君、こんばんはこれで失礼させてもらうぜ。ちなみに、日本じゃ最近、ジプシーってのは差別用語の放送禁止用語なんだそうだ。日本じゃ、言葉がどんどん狩られていく。事なかれ主義の上っ面の平等主義者たちの手によって、血の通った言葉が刈り取られていく。馴染のない、持って回った言葉が、イメージの手垢のついてないピカピカの言葉がかわりに与えられる。
冗談じゃないぜ。そんな言葉の上っ面だけ取り繕っても、世の中は何も変わりはしないし、1ミリだってよくはなりはしないのさ。むしろ、物事の本質は覆い隠され、世の中はどんどん悪くなっていくんだ。ふざけるんじゃないぜ。その言葉が背負う歴史を、自ら背負って使う覚悟が無いだけの話しさ。
おっと、いけないぜ。思わぬところで、本音が出ちまった。読者諸君、おやすみなさい。君たちに会う夢を、俺は今夜も見ていることだろう。

2011/09/18

Post #309 休日を楽しんできたのさ

今日から名古屋では、何十年かぶりに歩行者天国が再開されったってことで、街に繰り出してみたんだ。もっとも、最近地元じゃあんまり写真を撮らないんでいけないけれどね。もうスッカリお馴染みなんで、新味がないっていうか・・・。中平卓馬みたいに、毎日同じ場所で写真を撮りながら、ぬけぬけと『ここは初めての場所だねぇ・・・』なんて言える図太さというか、忘却力が欲しくなるくらいだ。しかし、あんまりジャンジャンとってもプリントするヒマがないからなぁ、まぁイイかな?
HomeTown
いや、本当は名古屋PARCOのPARCO Galleryで開催中の岡本太郎の展覧会『顔は宇宙だ』ってのを見に行ったんだ。面白かったぁ!いきなり岡本太郎の等身大マネキン、ただし、顔はめちゃリアルが出迎えてくれて、嬉しくなって笑いこけてしまった。サイコーだ。岡本太郎、実は身長156センチって、今からするとずいぶん小柄な人だったんだなぁと意外の感に打たれたぜ。あの小さな体で、あれだけのエネルギッシュな人生を生きたんだ。間違いなく、この世にミッションを持って生まれてきたに違いない。
大阪万博の太陽の塔とか、未完成の絶筆『雷神』とか、まじまじ見てきたんだ。『グラスの底に顔があってもいいじゃないか』グラスとか、子供の頃CMで見たよ!懐かしいー!
名古屋会場では、特別企画で、犬山にあるモンキーパークの敷地内にある『若い太陽の塔』の1/20マケットと名古屋市北区のお寺にある梵鐘『歓喜』の1/2試作品が展示されているんだぜ、Yahooh!
『若い太陽の塔』はご当地出身の俺にはガキの頃からお馴染みだ。本家の太陽の塔を作っている頃に作られた太陽の塔の兄弟みたいな塔だ。2003年から老朽化を理由に公開されていなかったんだけれど、太郎誕生100年の今年、修復公開の予定なんだ。これも楽しみだ。10月に公開されたら、ぜひ見に行きたいぜ。
『歓喜』1/2試作品は、大昔のマクセルのCM、そう、あの名ゼリフ『芸術は爆発だ!』って言うあの伝説のCMで、岡本太郎自身が、でっかいハンマーを両手に持って打ち鳴らしていた角だらけの鐘だよ、そう、アレだよ、アレ。この『歓喜』という梵鐘は名古屋市北区大杉の久国寺ってお寺の依頼で、1965年に製作され、今もなお使用されているそうだ。その縁で、『歓喜』試作品名古屋会場にて特別展示だ。ううっ、実際に叩きたかった。仕方ない。一度このお寺に伺って、叩かせてもらうとしよう。毎年大晦日には先着108人が叩かせてもらっているらしいぜ、羨ましいことだ。
HomeTown
俺はそんな素敵な作品の前で、両手を顔の横で広げ、目ん玉を剥いて、『なんだこれは!』って岡本太郎の真似をしながら楽しんでみてきたぜ。当然だろう?静かに真面目に見ていたかった人、ゴメン。けど、俺は眉間にしわを寄せてじっと見るよりも、楽しんで岡本太郎とシンクロするように見る方が、太郎さんにふさわしいかなぁって思ったんだ。
入場料たったの300円。渋谷、仙台、名古屋と来て、この後札幌、福岡と巡回するそうだぜ。楽しみなこった。
で、そのあとCDを大人買いだ。仕方ない。ノエル・ギャラガーの抜けたオアシスの残りのメンバー(もちろんボーカルはリアム・ギャラガー)の新バンド、ビーディーアイの1stアルバムと、ドアーズのアルバム6枚セット。これが実にお買い得。6枚セットでお値段なんと3240円!一枚当たり、なんとなんとたったの540円ですよ。買わずにはいられないぜ。
ドアーズは好きだったんですけど、なかなか戦線拡大するのに躊躇してましてねぇ、それが一挙に制圧できたわけで、永年の宿願が叶ったイイ休日だったってことさ。
読者諸君、また会おう。たまの休みにはゲージュツにふれてみるってのは、とても楽しいことだぜ。君もどうだい?

2011/09/17

Post #308 My Photo Is The Reflection Of Me Myself

ここんところ、俺を寝かせてくれなかった仕事が終わった。
しかし、みんな覚えておくがいい、終わりは新しい始まりの序章に過ぎないのさ。また、キビシー仕事の日々が巡ってくるに違いない。永劫回帰だ。
まぁ、そうでなきゃ俺もオマンマの食い上げだ。冗談じゃないぜ、いくら最近下っ腹が気になりはじめて、これじゃロックンロールらしくないな、いや、年食って腹が出てても気にせずロックし続けてるブライアン・セッツァーみたいな奴もいるからな、気にすることないかって、優柔不断に悩んでいる俺でも、オマンマの食い上げはゴメン蒙る。何十年も断食してぴんぴん生きてるインドの驚異のグルじゃないんだぜ。俺だってどうも日本社会では絶滅危惧種の珍獣扱いだが、インドの仙人みたいな奴とは一緒にしてもらっちゃ困る。俗臭ぷんぷんだ。トーゼンながら飯は食わなけりゃ生きていけないのさ。そう、何よりも肉を喰わなけりゃな。痛風もちの名が廃るってもんだ。せいぜい肉食って腹筋でもするか。
Paris/Parisienne Of Peep Show Club
俺は、いつも写真を撮るときには、野の獣が獲物を捕らえ、大空を舞うタカが獲物を鷲頭掴みにするよーに、本能的に写真を撮っているんだ。しかし、その本能的な動きの陰では、俺の脳みその中で三角帽子を被った小人どもが、ガンガン働いているのさ。つまり、俺の脳の中では自分のまわりの世界を、目にしている出来事物事が語りかけてくる言葉にならない意味を、光の速さで認識し、言葉なんてまどろっこしいもんに置き換えることなく、そのまんま、魚を網で一網打尽に漁るよーにして、状況を判断してシャッターをきるっちゅう、アクロバテイックな脳内活動を展開しているわけだ。もっとぶっちゃけて言えば、一を聴いて十を知りつつも、2から9は潔くすっ飛ばされているわけだ。思考のワープ航法だ。
きっと信じてもらえないだろうけど、どうだいスゲーだろう?
このケーカは残念ながらなかなか説明し辛い。ロジカルなんだけれど、言葉になってなかったりするからね。自分でも、反射的に撮って、すっかり忘れていたネガを見て、初めてその時の心の動きを思い出したり、この糞っ垂にしてすんばらしい社会に対する批評批判がぶっ込まれていることに気が付いて、俺天才、しかし、そんなの誰も気が付きゃしないだろうってニンマリしてる始末だ。おかげで、俺のブログは人気がない!ダッハッハ!
あ~、こういうことは、あまり言わない方がイイんだろうな。けど、構うもんか、今日は言ってしまえ。
なんだか実は写真が、社会に対する批評批判なんだなんて、夜のニュース番組の司会者みたいでケーハクでカッコ悪いんだ、俺的には。とんでもなカッコーをしたおねーちゃんの写真を、何だか風紀の乱れを摘発している写真として見てもらうのは本意じゃないしね。第一、写真は道徳の授業じゃないんだから、そんなのゴメン蒙る。単に、いい女だから、反射的に撮りました、ごめんなさい、っていう方がカッコEだろう!
本当はどの写真にも、俺の怒りが悲しみが、希望や絶望が、共感と反感が、諦めと憧れが、ドッカんブッ込まれているんだぜ。あー、そんな事を言うと、なんかカッコ悪りぃでかんわ。けど、俺の愛する読者の皆の衆は、ずっと俺の写真を見てくれている一部の読者の皆さんは、とっくに気が付いていてくれるだろう。
そう、いつも俺は思ってる。俺の糞ったれな写真を何百枚、何千枚と集めて体育館の床みたいなだだっ広いところに並べた時、そこに俺自身が一枚も写っていなくても、(そりゃ当然だろう、俺が撮ってるんだから、俺以外のものが写っているのさ)そのボーダイな映像的なクズ写真が、下手糞なモノクロの写真たちが、俺の輪郭を影絵のように描いてくれることを、俺の心の中を、まどろっこしい言葉なんて抜きでクロスワードパズルのように君に示してくれることを。
俺の写真は、一枚で完結しない。ゲージュツなんてクソ喰らえだ。毎日まいにちランダムに君たちにお届けしている一枚一枚の写真全てが一つながりのもので、俺のむっちりブリブリ詰まった中身が、この糞っ垂な世界と向き合った時に瞬間的にスパークした思考の軌跡を描くものであって欲しーなと思ってるんだ。
Paris
だからと言っちゃなんだけれど、スライドショーを暇な時には見てやってほしい。昨日までで575カットだ。こりゃちょっとした数だ。
自分で言うのもなんだけれど、これが結構おもしれーんだぜ。絶大な自信を持って君におすすめするぜ。木を見て森を見ずの反対、つまり一本一本の木を見ることで、森が見えてくるって奴だ。俺の写真が、俺の出会った世界の断片の寄せ集めだけれど、同時に俺そのものを表現してる事に関しては、自分で言うのもなんだが、自信満々だ。
あ~、なんか今日は調子にのってまた訳の分からんことをほざいていやがるぜ。こんなことダラダラ酔っぱらいみたいにほざいてないで、とっとと眠ればいいものを、やれやれ・・・。
読者諸君、また会おう。そろそろ暗室が俺を呼んでいる。仕事が空くのは、実に結構なこったぜ。

2011/09/16

Post #307 Parisienne

Paris
日本の女の子も素敵だけれど、パリの女の子も素敵なもんだぜ。べっちょりしたいやらしさがなくって、センスの良さを感じるんだ。
読者のみなさん、今日は臨界点を突破しそうな勢いだ。なのに今夜も仕事だ。今からひと眠りして充電させてもらうぜ。さらば。

2011/09/15

Post #306 猫のすむ町

猫は好きですね。
以前実家に住んでいた頃には、学生の時に学校に捨てられていた猫を拾ってきて飼っていました。
ずいぶん前、うちのつれあいの今は亡き父親がボケちまって、世話が出来なくなったトラ猫を、自分の家に連れてきた事があります。クルマの中ではずいぶんおびえていたんですが、家についた途端に逃げてしまい、見つからなかったことがあります。夜の闇にまぎれてどこかに行ってしまったのです。俺と連れ合いは次の日一日中探していました。
その父親が突然浴槽の中で死んでしまったのは、その次の日のことだったと記憶しています。そのトラ猫の失踪が、不吉な予兆のように感じたものでした。
猫にまつわる少し後味の悪い思い出です。
HomeTown
家の近所には、猫がやたらと集まっている道があって、俺とつれあいはそこを猫横丁と呼んでいました。そこいらを一日中探し回ったんですが、ダメでしたね。自分の経験では、トラ猫は特に臆病な気がします。もう10年くらい前の話しなんで、いい加減生きてはいないと思いますけど、今でもトラ猫を見ると、それもムチムチと太った骨太なトラ猫を見かけると、その猫を思い出して可愛がってやりたくなります。
猫のいる町は、路地が多くてでティールに富んでいる町だと思いますから、ぶらりと歩いて写真を撮るのにもってこいってカンジですね。海外に行った中では、イスタンブルは圧倒的に猫の多い町でした。だからって訳ではないんですが、また行きたい街の上位ランクインしてます。

HomeTown
 イスタンブルでは、どこに行っても猫がうろうろしていました。
日本では猫にチッチッと声を掛けますが、トルコではピシピシって声を掛けます。ホントかよと思ってやってみると、どの猫も、びくっとして振り向いてくれます。そういえば、泊っていたホテルの近所の悪ガキどもが、野良猫を捕まえて俺に5トルコリラで売りつけようとしてきたこともありました。両脇に手を突っ込んで、ぶらりとぶら下げて、俺の鼻先に突きつけては5リラ、5リラって大騒ぎなんだよ。日本円で300円くらいだったかな?思わず俺は笑い転げて、ガキどもとすっかり仲良くなったんだっけ。昼間っから猫がブラブラしてる街は、何だかほっとできるいい街だなって感じます。
反対に猫の姿を見かけない街は、人間もなんだかぎすぎすしているような気がして、どうにもいけません。どうにも猫には、スナフキンのような自由人っぽいイメージが重なるんで、そう感じるのかもしれないですね。ボヘミアンな動物。車にひかれる事さえなければ、猫ってのは自由気ままで、ちょっと羨ましい生き物です。ひょっとしたら、人間なんかよりもずっと生きることを楽しんでるのかもしれません。
読者諸君、失礼する。今から銀行に振込みに行って、更に仕事の材料を買いにいかなけりゃならないんだ。もちろん、今夜も仕事だ。キツイ毎日を送っているのさ。あぁ、猫はええなぁ。

2011/09/14

Post #305 鉄人レース出走中

別に本当にレースに出てるわけじゃない。
仕事ですよ、仕事。
Bruxelles,Belgique
毎日の仕事が鉄人レースだ。昨日の夜の8時から今日の午後3時まで、みっちりと働いた。
今夜も、23時から明日の朝まで仕事。
Bruxelles,Belgique
まぁ、いつものことながら、よくやるぜ。
この業界、あまりにしんどくて若い奴は続かない。俺のような40男でも、若手の部類だ。50代、下手すると60代がしぶとく頑張っている。俺なんか洟垂れ小僧扱いだ。驚くぜ。遊ぶ暇はおろか、寝る暇だってない。だから若い奴は、すぐに辞めていく。若い連中が仕事がないっていうけれど、選んでるだけじゃないのかって思うぜ。おーい、日本の仕事のない若者の皆さん、僕のところにはお金は無いけれど、きつい仕事ならいくらでもあるぜ!って大声で叫びたいぜ。右の人たちが大好きな戦争なんかより、ずっと楽だと思うけどな。どうだろう。人を騙したり、いかさまタコさま商品を売りつけたりするような仕事じゃないんだ。自分が汗をかいただけ、銭になるという健全な仕事だぜ!どうだい、魅力的だろう?君もやってみないか!
俺は生きるために全力投球だ。失敗もあるが、めげてるわけにゃいかないぜ。なにしろ、こちとら、生活が懸かってるんだからな。
しっかり稼いで、また海外旅行でトンズラ決めるぜ。今に見てろよ。
とりあえず、シャワー浴びてひと眠りするかな。
読者諸君、お休み。

2011/09/13

Post #304 Naked Eye #15

我ながら思うんですが、こんな働き方していたら、きっと長生きできないだろうなって思います。
Bruxelles,Belgique
そもそも、俺の仕事は世間の皆さんがお休みになっている時に、闇にまぎれてやるもので、長らく酒飲みに行ったりしてないですねぇ。こんな書き方するとまるで泥棒だけれど、そうじゃないんだが・・・。まぁ、イイか。
朝まで仕事をして、やっとの思いで家に帰ってきて眠っていると、次から次に電話がかかってきます。大抵は仕事の電話なんだけれど、時折まったくみしらぬ番号の着信が入っていて、だれから掛かってきて、何を話したのか、まったく記憶にないってことがしばしばあるわけだ。こういう番号はコールバックしても大抵出ない。気味が悪いぜ。
まぁ、こんな状況で不当に安く仕事を受けちまうこともしばしばで、まいったことです。
Bruxelles,Belgique
まぁ、この現代社会で真っ当に生きるっちゅうのは、なかなかに骨が折れることですなぁ。
さてと、今夜も仕事、明日の夕方まで仕事して、明日の夜も翌朝まで仕事。やれやれ、一体いくら貰えるのかねぇ?楽しみなこった。読者諸君、また会おう。俺はきっと生死の境をさまよっていることだろう。冗談じゃねぇぜ。

2011/09/12

Post #303 ふと、頭をよぎること

誰かを幸せにしようというのは、難しいことです。
自分自身が幸せなのかと、正面切って問われたなら、幸せなのだという気もしますし、不幸ではないが、幸せでもないという気もします。
Bruxelles,Belgique
世間一般に言う幸せというのは、とても漠然とした概念で、相対的なものですからね。
ギリギリの状況に置かれた人なら、生きているだけで幸せという場合もありますし、物質的に恵まれていても、不幸せだという場合も多々見受けられます。
客観的な計量尺度で最も手っ取りはやいのは、金の額ですが、資産一億の人と、一億一万円の人とでは、後者の方が一万円分幸せということになるのでしょうか?しかし、幸せは精神的な尺度でもあるので、このようにすっぱり計量できるものではないと考えます。携帯もネットもTVもコンビニもなかった昔の人々が、幸せを感じることがなかったのかといえば、そんなことは無いでしょうから。しかし、この不思議に対する一つの鍵は人間と人間の関係性にあるように思います。

つまり、人は一人では幸せにはなかなかなれないってことです。

溺れているニンゲンが、他の溺れている人を助けるのは、無理というものでしょう。しかし、幸せという観点においては、それはある意味成立しうるものではないのかとも思っています。
これは、不思議なことです。
しかし、精神的な世界では、経済原理や物理法則を超えたことが起こりえる、ということです。そもそも、精神的な幸せというのは、客観的に計量しうるものじゃないからねぇ。
誰かを幸せにしたいと、ある意味分不相応な、おこがましい願いにとりつかれて、そのように動いていくことで、相手も自分もなんとなく幸せになったりすることもあり得るということです。
そこから気が付くのは、幸せというのは、人間と人間の関係性に深い関係を持つものなのではなかろーかということでしょう。
人間が幸せを感じるのは、どこか自他の境目が融けあっている時なんじゃないかとも思います。ですから、性的なエクスタシーちゅうのもその一つの形だろうし、俺の嫌いな全体主義ちゅうのも、ひょっとしたらその一つの形なのかもしれません。何かの組織に属したり、ボランティアをすることで遣り甲斐を感じたりするのも近いものがあるかもしれません。

その一方、人間は誰かを不幸に陥れるのは、実に得意です。
先ほども、24歳の男が、19歳の女子大生から金品を奪い、車で連れ回して強姦し、挙句ビニール袋を頭にかぶせて窒息死させ、山林に死体を捨てたということで逮捕されたというニュースを見て、暗澹たる気持ちになってしまいました。余りにあさましく、あまりに痛ましい。
うむ、若い男と女、もし状況が違えば、互いに幸せを与え合うこともできたかもしれないのに、と思うと、人間の愚かしさにホトホト嫌気がさし、そしてまた、自分自身もそんな愚かな人間の端くれであり、そんな酷い行いをなしうるものなのだとも気が付き、悲しくもなります。いっそ、野の獣となって、人外境をオオカミのように一人往きたいと思うくらいです。
Bruxelles,Belgique
幸せについて考えると、何かの本で読んだ言葉が、いつも心に浮かんできます。
自分以外の人間を幸せにしようなどということは、そもそも人にとって過ぎた願いであり、もしそれを成し遂げようと思うならば、一生涯をその相手に尽くす覚悟が必要だろう、というような意味合いの言葉です。
普段何気なく使っている幸せという言葉が、とんでもなく重い意味を持つものだと思い知らされ、いつも思い出すたびに、心密かに戦慄を覚えるほどです。
愛というのは、お互いに共食いしなくてはならなくなった時に、この相手になら食われてやってもいいな、というのが突き詰めたところなんだということを、半村良のある小説の中で見つけて、人間の幸福の不可思議に、気が遠くなるような思いをしたこともありましたね。

読者諸君、夜勤明けだと、いろんなことが頭をよぎるが、頭の中が星雲のようにぐるぐる回って、考えがまとまらないもんだねぇ。こんなとりとめのないことを、頭の片隅でダラダラ考えていたりしますわ。さて、今夜も朝まで大仕事。こんな俺は幸せなのかどうなのか、よくわからんが、まぁ、迷うところ敵なしってもんだ。出たとこ勝負で乗り切ろう。
では、また会おう。それがどんなものかはわからないけれど、読者諸君の幸せを願っているぜ。

2011/09/11

Post #302 あの日の出来事

その日、俺は鍵を探していた。
当時通信工事の会社で働いていた俺は、日中、四日市に行って駐車場の表示装置の点検の仕事をしていたんだ。そう、四日市コンビナートや四日市ぜんそくだので有名なあの四日市だ。で、家に帰って鍵を開けようとすると、家の鍵がない。当然、車の鍵や倉庫として借りているガレージの鍵もない。これじゃぁ家に入ることすらできないぜ。まいったなぁ。
俺は会社から家までもう一度歩いてみた。当時働いていた会社は、家から歩いて約2分だ。目を皿のようにして道路を探し回ったことだろう。
無い。
しばらくすればつれあいが帰ってくるだろう。そうすりゃ、とりあえず家には入ることができるが、問題は何も解決しない。アパートの鍵は管理会社に言って交換してもらわなけりゃならないだろう。車の鍵もだ。そのままじゃ、どこかの誰かに車を持って行かれかねんしな。何かと物入りだ。今も昔も金回りはすこぶる悪い。何とかせねばな。
俺は連れ合いが帰ってくると、そそくさと食事を済ませ、スペアキーを使って車のエンジンを回して、夜の四日市に向かって車をすっ飛ばした。
Yokkaichi
俺は四日市の中心部に転々と存在する駐車場の表示装置を次から次にまわって探し回った。
夜の繁華街を横切り、交番に行って鍵の落し物は無いかときいたりもしたぜ。さすがにこの時ばかりは、写真を撮るような余裕はなかったな。なんだか夜の繁華街は、暴力的なアトモスフィアが漂っていたように記憶している。今にして思えば、写真を撮っておけばよかっただろう。けど、まだこのころ俺はモノクロをやっちゃいなかったんだ。カラーのリバーサルだった。
昼間に結構しっかり点検して回っていたんで、10か所くらいを探し回っただろうか。鍵は見つからない。俺は諦めて、家に戻ることにしたのさ。
四日市のインターに向かう道の途中で、俺は信号待ちの間に、運転席を降りて、後続の後輩の車に、何か言いに行った事を思い出した。念のために、行ってみることにしよう。
すると、ラッキー‼、道の真ん中にポロリと鍵が落ちていた。間違いない、俺の鍵だ。インクレディブルだ。俺は自分の記憶力の勝利を確信したぜ。
俺は家に電話をした。鍵が見つかったから帰ると伝えるために。
電話の向こうでは、何だか知らんがつれあいが動転していた。『アメリカで飛行機がビルに突っ込んで、しばらくしたらもう一機そのビルに突っ込んで、その瞬間をTVでやってる・・・』
『落ち着け、何をそんなにテンパってるんだ。そんなことあるわけないだろう』
『でもニュースステーションで、もう何機かの飛行機が行方不明になっていて、ホワイトハウスが狙われてるらしいってやってるよ!』
『落ち着け、きっとなんかアクションものの映画でもやってるんだろう。そんなことはあるわけないから、今から俺、帰るからもう落ち着け、鍵は見つかったんだ。もう心配することは何もない。』
俺はそういって電話を切った。夜の道をロックをガンガンにかけながら家に向かって車をすっ飛ばしたぜ。なにしろ明日の朝も早いんでね。
家に帰ると、本当に大変なことになっていた。
NetherLand
NYのWTCはイスラム系テロ組織アル・カイーダによる、民間旅客機を使った攻撃で、粉々になってしまっていた。飛行機がビルに突っ込む瞬間の映像が、何度も何度もTVで流れていた。ホワイトハウスだかペンタゴンを狙った旅客機は、乗客の抵抗によって、目的を破壊することなく、墜落した。
俺は、真夜中にTVを見ながらぼんやりとこう思っていた。
世界が本当の貌を、凶暴で破壊的な素顔を見せたんだ、ただ、それだけだ・・・。
俺たちが平穏に暮らしているこの世界は、本来こういった剥きだしの暴力が満ち溢れる世界だったんだけれど、社会の規範によって、世界は平穏だと思いこされていたんだ。
この地面の下にどろどろに溶けたマグマが流れているように、そしてそれが時折大地を割って噴き出すように、人間の世界の本当の姿が、現れたんだ。
これからいったい世界はどうなるんだろう。

それから今日で10年。この10年のてんやわんやは、皆さんもよく知るとおりだ。
サダム・フセインのイラクは、アメリカの火事場泥棒的な言いがかりによって崩壊し、イスラム原理主義者タリバーンの支配していたアフガニスタンは、アメリカの攻撃によってこれまた政権崩壊。アメリカの傀儡政権がイラクにもアフガニスタンにも誕生しているが、自爆テロによるアメリカ的なモノへの攻撃はおさまらない。パキスタンはアメリカに協力しているのかと思っていたら、同時多発テロの首謀者のビンラディンは、今年の5月にパキスタンの軍関係の施設のすぐそばの豪邸で見つかり、殺されたばかりだ。この戦争はアメリカにとってもべらぼうに高くつき、アメリカの景気はガタガタ。リーマンショックだの、ユーロ危機だの何だかんだ、大騒ぎの10年だった。そして半年前の地震だ。俺は、俺たちは穏やかに暮らしていきたいんだがな。

世界は優しくなんかない。むしろ非情で、無情だ。俺たちが、今日ものほほんと暮らしているのは、ほんの偶然でしかないんだ。高速道路に座り込んだ猫が、たまたま轢き潰されずにいるのに、状況を理解できずにかわいらしいしぐさできょとんとしているようなものさ。危なっかしくテ見ちゃいられないぜ。
読者諸君、失礼する。俺はあの日、自分の鍵を探しまわって夜の街を彷徨っていた。それから、もう10年が過ぎたってことさ。いろいろあったような気もするが、俺は相変わらず金回りが悪い。気が付けば40をいくらか超えた。つまり、そう、人生を無駄にしているのさ。

2011/09/10

Post #301 海峡慕情ボスポラス #4

ボスポラス海峡を横断するフェリーは、シルケジのエミノニュ埠頭を出発し、アジア側のハイダルパシャを経由してカドキョイへと至る。港の建物を出ると、キオスク(これ、確かトルコ語だったはず)がそこここに建っている。そこでは、まぁファーストフードが売っていたりするわけだ。
目につくのは、ジプシーのおばちゃんたち。ヨーロッパ側に比べると、はるかに数が多い気がする。
ジプシーはフランスなんかでもスッカリお馴染みなんだけれど、トルコのジプシーの顔立ちは、フランスなんかで見かけるジプシーの顔立ちよりも、東方の色合いが濃い。ジプシーがインドからやってきたというのが、納得できるような顔立ちだ。
彼女たちは何をしているのか?そう、行き交う人々に花を売りつけているんだ。どこから仕入れてくるんだろうか?
Istanbul,Turk
ワンピースに素足も露わな現代的なトルコ人のおねーさんに比べると、ジプシーの皆さんが着ている服が、まるで中世からそのままのような、浦島太郎的なギャップを感じさせる。
ジプシーはご存じのとおり、放浪の民だ。アジアとヨーロッパの交わるこの街に、どこかからやってきて、どこかに去っていくのだろう。花を売り、歌舞音曲で人々から喜捨を受けて生活するようだ。
トルコはジプシーが多い。ヨーロッパのジプシーは、黒海をぐるりと回ったルーマニアあたりが本場らしいが、トルコのジプシーはどこからきているのだろうか。どことなく顔立ちも異なることを考えると、ルーマニア方面のグループとは、ずいぶん昔に別れ、アジアに残っているグループなんじゃないかとも思う。まぁ、単なる旅人の俺にはよくわからないさ。ひとつわかるのは、下手に買うと、きっとずいぶん吹っかけられるだろうってことぐらいだ。俺は大抵いつも、見て見ぬふりをしてやり過ごす。目をあくぁせては、必ず売りつけにやってくるからだ。第一こんな旅先で、花を買ってもねぇ・・・。
Istanbul,Turk
まぁ、さわらぬ神に祟りなしだ。俺は何だかんだといって、結構目立つんでターゲットにされやすいんだ。積極的にかかわりあわない方がイイだろう。
このアジアの涯の港町に、アジアのはるか彼方の島国から来た俺は、ふと、彼女たちの暮らしがどんなものだろうかと思う。高度に、必要以上に発展した国に住む俺には、皆が生きてゆくために、いらないものを頭をひねって考えだし、それが必要だと洗脳するために、TVやネットやさまざまな媒体でコマーシャルされる奇妙な世界から来た俺には、彼女たちの売る花の値打ちがよくわからない。
Istanbul,Turk
けれど、彼女たちの生活が俺達よりもシンプルで、ある意味明解なものであることだけは確かなような気がする。うむ、しかし彼女たちとはいえ、いまどき携帯電話くらい持っているかもしれないな。まぁ、住所不定じゃなかなか契約できないかもしれないが。
もしかしたら、俺たちの身の回りに溢れかえるある意味いらない商品の山よりも、彼女たちが路上で売る一房の花束のほうが、人間には必要なもんかもしれないけれどね。
けど、まぁぼられても仕方ないんで、見なかったことにしよう。信号待ちをする様な顔をして、俺はこっそりとシャッターをきったのさ。
そう、信号が変わるまで、俺は飽きもせずまたあの歌を口ずさむ。

♪ボスポラス海峡 男一匹ぃ~ 道行く人の 言葉は俺には わからない
明日の行方も 東も西も 今の俺には わからないィ~♪

読者諸君、また会おう。合言葉は海峡慕情ボスポラスだ。

2011/09/09

Post #300 海峡慕情ボスポラス #3

う~、体調は最悪を脱していないというのに、忙しい。独楽鼠のようにくるくると回っているだけで、貴重な人生を空費しているようなブルースで、俺の心はいっぱいだ。財布がいっぱいになれば、そのブルースも少しは癒されるだろうが、世の中そんなに甘くない。人生には影のようにブルースが付きまとうのさ。
俺は、遠い旅の空を想い出す。そう、あのボスポラス海峡を照らす夕陽を思い出すのさ。
Istanbul,Turk
沈みゆく夕陽は、乗り合わせた人々の顔を照らし出していただろう。
ヨーロッパ側からアジア側に、往く人帰る人、それぞれに喜怒哀楽を抱きながら、同じ船に乗るのさ。
Istanbul,Turk
なかには、肩が凝ってる人もいるようだ。
人生が交差し、また離れていくそれがこのボスポラス海峡。
俺はそこから、はるかかなた、アジアのはるか辺境の島国で、狂ったように働いている。どうなってんだまったく。
♪ボスポラス海峡 はるかに離れ 今じゃアジアの果ての涯
疲れた体に 鞭打って 働き想うは 旅の空
ボスポラス海峡 男一匹ぃ~ ♪

読者諸君、また会おう。

2011/09/08

Post #299 海峡慕情ボスポラス #2

読者の皆さん、今日はついにダウンだ。朝、起きることが出来ずに、お客さんとの打ち合わせに激遅れてしもうたわ。社会人として失格だ。身体が異常に怠い。眠気が治まらない。きっと風邪だ。
案の定、先ほど行きつけの病院に行ってみると、熱があった。しかし、仕事は続く。
そんなわけで、今日はもう、これだけで勘弁して!俺には休息が必要なんだ。
Istanbul,Turk
シルケジのフェリー乗り場から、カドキョイ行のフェリーに乗って、ヨーロッパからアジアへと20分ほどの格安クルーズ。地元のトルコ人ばかりが乗っている。アジア側に行こうっていう観光客は、ほとんどいないようだ。やはり旅はそうでなくっちゃね。
おすすめの席はもちろんデッキ席だ。それも、客室の周囲の狭い甲板に並べられたベンチのデッキ席。奥から詰めて座らないと、あとから乗り込む人に迷惑だ。とはいえ、すねをけるようにして、どいつもこいつもお構いなしに自分の好きな席に向かう。海峡を吹き渡る風に吹かれながら、タバコを吸って、乗組員に叱られる若いカップルもいる。
そんなデッキ席だけれど、船の右舷のデッキ席に座るのがお勧めだ。
ヨーロッパからアジアへと吹く風を感じよう。波しぶきが時折顔にかかるほどだ。手すりに足をあずけ、リラックスして海を渡る。何も考えない素敵な時間だ。その間にも、フェリーはボスポラス海峡を南下するように進み、対岸のカドキョイを目指す。
すると、君にも見えてくるだろう、かつて中近東は言うに及ばず、北アフリカ、東ヨーロッパまでも支配したオスマン・トルコの皇帝の宮殿、トプカプ宮殿が、ギリシャ正教の総本山だったにもかかわらず、オスマン帝国に占領されイスラム教のジャーミーとなったアギァ・ソフィアが、そして六本の尖塔を持つスルタンアフメット・ジャーミーが。
俺はデッキで夕日に浮かびあがる栄華の跡を眺めながら、口ずさむ。

♪ボスポラス海峡~ 男一匹ぃ~ 夕陽に照らされ どこに行くぅ~♪

読者諸君、今日はこれで失礼する。俺は熱っぽい体に汗をかきながら、はるか遠くの海峡を想っている。あの潮風にまたあたりたいと想ってる。まぁ、津軽海峡ってのも悪くないけどね。

2011/09/07

Post #298 海峡慕情ボスポラス #1

今日は頭が痛いんで、あっさりと。睡眠不足と台風一過で急に秋の気温になって、風を引いてしまったようだ。しかも、筋肉痛にも苦しんでる。しかも、しかもだ、ほったらかしにしていた仕事の現金出納帳を整理したら、現金が足らない。まったく頭が痛いぜ。急な仕事のオファーは舞い込んでくるし。いや~、まいったな。
Sirkeci,Istanbul,Turk
ボスポラス海峡は、イスタンブルを東西に分かつ海峡だ。長さはおよそ30キロ。北は黒海に通じ、南はマルマラ海に通じている。海峡の幅は3.7キロ。もっとも狭いところでは800メートルだそうだ。
この狭いボスポラス海峡を挟んで、東がアジア、西はヨーロッパになるんだそうだ。いわゆる観光名所犇めくイスタンブル旧市街は、ヨーロッパ側にある。俺が宿をとったのも、旧市街だった。
多くの市民はアジア側の新市街にも住んでいる。だから、この海峡には交通手段としてフェリーが多用されているんだ。風情があるぜ。もちろん巨大な橋もあるし、来年には日本の大成建設が作っている海底トンネルも開通するそうだ。しかし、海峡だ。慕情だ。そうくりゃ、ココは船だろうよ。
かつてオスマン・トルコ帝国の皇帝が暮らしたトプカプ宮殿の裏手の坂を下り、そのまましばらく歩けば、シルケジ駅がある。かつてのオリエント急行の終着駅だ。この駅前の船着き場から、夕暮れ時にフェリーにのって対岸のカドキョイという古い街に繰り出してみたのさ。
シルケジの周辺は、行きかう市民でごった返している。そして、駅前の広場からは、巨大なモスクも見えるだろう。
Sirkeci,Istanbul,Turk
俺は、フェリー乗り場のあたりを歩きながら、口ずさんでいたのさ。

♪ボスポラス海峡 男一匹ぃ~♪

ふふふ・・・、まるで昔のド演歌のようだ。痺れるシチュエーションだ。俺は思わず雰囲気に酔ってきたぜ。俺のすぐ隣を歩くつれあいが、そんな俺をじろりと睨む。すぐさま俺は歌を続けたぜ。

♪ボスポラス海峡 男一匹ぃ~ 女が一人ぃ~ 男はほんのおまけですぅ~♪

読者諸君、これが苛酷な現実だ。男一匹、ひも付きの犬のようなもんさ。
さて、明日はフェリーにのる話だ。今日は頭が痛いんだ。とっとと眠らせてもらうとするぜ。読者諸君、御機嫌よう。くれぐれも寝冷えには気を付けておくれ。

2011/09/06

Post #297 改めて言っておきますが

親愛なる読者の皆の衆、ムシュゥ・エ・マダァム、レディース・アンド・ジェントルマンの皆さんに、改めて言っておきたいことがあるんだ。そう、言っておきたいことがあるんだよ!
それは君たちにとっては、大切なことじゃないかもしれない、しかし、俺にとっては大切なことなんだ。
OK、聞いてくれ。そして理解してくれ。
難しいことじゃない、スゴク簡単なことなんだ。
『このブログの文章と写真は、基本的には何にも関係ありません!』
Istanbul,Turk
どうだい、簡単だろう。
たとえば、日本の政治についてブリブリ怒っていたりする文章と、パリの街角で見かけたおねーさんに、何らかの関連があるかといえば、どう見てもフツー無いでしょうよ。
そりゃ世の中というのは、風が吹けばおけ屋が儲かるという奇奇怪怪なことがフツーに起こっている複雑性に満ちた世界なわけですから、まったくカンケーないとは言えないかもしれないが、少なくともこのブログに書いてある文章に関してはだねぇ、簡単明解に言って、何のカンケーもない。
俺は、まぁ写真と文章という二つのメディアがあるわけだから、それぞれに全く異なることをやったほうが、広がりがあっていいかと思っているんだが、どうだろうか。いちいち自分が撮った写真の解説をしたり、撮影に至ったいきさつや、そのご苦労話するのも、何だかべっちょりしてて嫌な感じだ。とはいえ、時にはドキュメントみたいなものも作ってみたいけれどね。
所詮、写真は写真であって、極論すれば『好き』か『嫌い』しかないだろう。
だったら、言葉でもって写真そのものの訴求力を上げようとするのは、ちょっと違う気がするんだ。
しかし不思議なことに、この文章と写真は、リンクするものとして皆さんに認知されているようなんだ。というのも、文章量が落ちると何故か不思議なことに、PVも文章量にリンクするようにして低下するんだ。これ不思議。
訳の分からんどっかのイカれたおっさんの身辺雑記に、旅行の思い出、それに社会や政治に対する批判的な記事。俺のブログに書いてある文章なんて、そんなもんだ。誰にでも意見はある。俺は俺の意見や経験を表明する場を、ブログ上に設けただけなんだ。まぁ、一種の笑い話みたいなもんだと思ってもらえるとありがたいもんだ。切実な笑いかもしれないけれどね。
俺自身の中では、『写真』こそが、見て欲しい、味わって欲しいものなんだ。つまり、このブログの神髄なんだ。
なら、文章書くの止めればいいじゃないかって言われそうだが、それじゃ、問題のすり替えだ。それじゃ、このおれのブログがごく一般的な写真のブログになってしまうじゃないか。世間様と同じことをやってちゃ、世間に埋没してしまうぜ。
写真がつまらないと言われれば、それは仕方ない。けど、こう見えて俺は自分の写真に関して、実はちょっとした自信があるんだぜ。もちろん中にはつまらないものも、へたっぴなあることだろう。そして写真を見てくれる他でもない君自身の、好みの問題もあるだろう。
けれど、本当に君たちに見て欲しいのは、写真なんだよ。分かっておくれよ。
Istanbul,Turk
だから、写真そのものに関するコメントなんかもらえると、うれしいのさ。それがたとえ、この写真、好きだとか、嫌いだとか、面白いとかつまらないとか、そんな端的なモノでも構わないんだ。写真に関してコメントしておくれよ。                                              
眠くて堪らないぜ。言いたい事だけ一方的に言って、今日は失礼させて頂くぜ。
おやすみなさい、わが親愛なる読者諸君。

2011/09/05

Post #296 いつも不思議に思うこと

家に帰ってTVをつけると、今回新しく厚生労働大臣になったオバサンが、満面の笑顔でタバコを増税し、ひと箱700円にしたいと言ってやがる。嬉しそうに、ニコニコしながら。
イラッとするぜ。
この手合いが言うのは、国民の皆さんの健康の為なんだそうだ。タバコは毒物だからね。
あぁ、彼らの言い分はよくわかる。よくわかるけれど、あえて言わせてもらうぜ。そんなにまでして、長生きしたくないぜ。そんなに毎度心配ならば、いっそ禁止したらどうだい。抜本的だろう。まぁ癌に関しちゃ放射能もかなり危険だけどな。東電さんには税金を投入してるってのに、一般の国民からはいじめのように増税かよ。
何故だろう、いつも不思議なのさ。サッパリわからない。
タバコがそんなに危険な毒物ならば、どうして禁止にしないんだい?
本当に俺達愚かで忘れっぽい国民の健康を思いやってくれるのなら、一思いに禁止すればいいじゃないか?どうしてしないんだ。毒なんだろう?乱暴を承知で言わせてもらえば、放射能やフグと同じさ。
それとも何かい?日本のタバコ農家の皆さんに、いい顔したいのかよ?そして、その後ろに控える農協と第一次産業従事者が怖いのかよ。これじゃ、生かさぬように殺さぬようにさ、まったく。
 The Grand Bazari in Istanbul,Turk
大麻は禁止、覚醒剤は禁止。そりゃ、当然だろう。
タバコも体に有害だけれど、税金がとれるから合法!
タバコ産業を保護したいから、農協さんが怖いから、禁止するなんて極端なことはせず、税金を上げていきましょう!
冗談じゃないぜ、そんなに健康が大事だって言うなら、いっそすっぱり禁止したらどうだ。そしたら俺は裏山や河原にこっそりタバコ畑を作って楽しませてもらうさ。
北朝鮮やアフガニスタンでは、ケシを栽培して覚醒剤を作るのが、農民の最大の収入だ。けれど、いくらその農民が路頭に迷うことになっても、ケシの栽培は犯罪を引き起こし、覚醒剤常習者の心身を蝕むのだから、彼らにはケシ栽培を辞めてもらわなけりゃならないだろう。だからこそ、覚醒剤は禁止だって、子供だってわかる。まぁ、そうは言っても、我が国も戦争中には兵士たちにガンガン覚醒剤を投与して、眠らずハイテンションで戦争、つまり人殺しが出来るようにしていたんですがね。今の北朝鮮と大差ない、いやそれ以上にたちが悪いぜ。シャブ喰った連中の、首切り競争などのどんちゃん騒ぎのおかげで、日本人はすっかり嫌われ者になっちまった。
おお、その覚醒剤とタバコはどう違うのか、教えてくれよ、おえらいお大臣さんよ。
Istanbul,Turk
どちらもしつこい習慣性があるぜ。頭がおかしくなるのも怖いけれど、癌になって死ぬのもたちが悪いぜ。それとも、頭のおかしくなった奴が、訳のわからない犯罪を犯しまくって社会の秩序を乱すのは国家にとっては大問題だけれど、愚かな国民が、自分の好きでタバコを吸って、肺を腐ったカリフラワーのようにして苦しんで死んでいくのは、社会統治に問題ないから、禁止せずに金づるにするちゅうのかい?
ナベでカエルだかドジョウを煮るようにジリジリ税金を上げていくくらいなら、いっそ禁止しちまえよ。その笑顔から透けて見えるぜ、永年専売で国民をニコチン中毒にしておいて、税金を搾り取ろうっていう偽善者根性が。

それにあいつらはいつも口を開けば、ヨーロッパではこうだ、アメリカではこうだって力説するんだけれど、タバコの値段のこと以外は、あちらの先進的な政策を参考にすることは、ほとんどない。
厚生労働大臣なら、日本が国際労働機構事ILOの条約を、いつまでも批准しないのは何故か説明してほしいんです。
日本の労働者にも、ヨーロッパと同じようにバカンスがあってもいいでしょう。フランスは法律で決まってるんですが、どうですか?
有給休暇の完全消化を怠っても、企業に何の罰則がないのはどうしてですか?
未だに男性と女性では給与体系が異なっていたりするのは、どうしてですか?
御用組合と経営者が36協定というイカサマ協定を締結すれば、過労死するほど残業してもOKなのはどうしてですか?
もう10年もの間、年間3万人を超える人々が、自殺してしまう原因は、どこにあると考えているんですか?
俺達国民の、健康で文化的に生きる権利を、あなたはどう守ってくれるんですか?
厚生労働大臣なら、開口一番たばこ増税じゃなくて、山住する問題に対して、真摯にしかし、粘り強くしたたかに立ち向かう決意こそを、述べるべきじゃないんですか?
厚生労働大臣なら、同一労働、同一賃金や夫婦別姓の実現に、どのように取り組んでいくつもりか、教えて欲しいもんだ。
厚生労働大臣なら、増え続ける生活保護受給者を、可能な限り資本の流れ=社会に復帰させていくようなシステムをどのように構築していくべきかについて、どう考えているんですか?
厚生労働大臣なら、海外から奴隷労働と批判されている研修制度、未だに解決を見ない年金問題、機械の部品のように使い捨てられ続ける非正規労働者への保護と制度改善等々などなど、真っ先に取り組むべき課題は多々あるんじゃないんですかねぇ?
えっ、どうなんだい!キリがないぜ!
それとも、経団連さんの御要望には忠実で、その分、誰からも文句の出にくい世間の嫌われ者ニコチン中毒の皆さんに、税金を課していこうって方針なんですかい?
はっきり言わせてもらうけど、煙草も吸わずに長生きしても、何も面白くないぜ。
俺の人生、最後に死ぬのは俺なんだ。だから放っておいてくれ。
あんたらに心配されるのだけはゴメンだぜ。結局は税金が欲しいだけのくせに、満面の笑みで上っ面の心配してくれなくて結構だぜ。
さて、一服つけさせてもらうとするかな、クソ喰らえ!

2011/09/04

Post #295 まだまだ足りないんだ

昨日からフィルム4本、79カットプリントしたんだ。ミスった紙も多い。貴重な印画紙だが、これは繰り込み済みだ。ベルギーのブリュッセルで40カット、そして去年の夏のイスタンブールで39カット。キリが悪いんでもう一カット焼いてもよかったかもしれないが、仕方ない、後の祭りだ。照りつける夏の写真は、なかなかに難しいからな。手間がかかって仕方ないのさ。
しかし、79枚焼いたからといって、いい気になっていてはならないんだ。まだプリントしていないフィルムは何十本とある。ざっと50本はあるだろう。どんだけさぼってんだよ、俺。一本あたり20枚プリントするとしたら、ざっと千枚だ。冗談じゃない。金と体力がいくらあっても足らない。しかも、撮影したフィルムは次々増えていく。
あ、スキャナーでフィルムから読み込めばいいじゃないって、微妙に次元のずれたこと言わないでもらえるかな?まるでそれは、フランスの格言『ごはんがなければケーキを食べればいいじゃないの』ってのと同じで、俺にとってはマリーちゃん発言だぜ。
俺にとって写真はですねぇ、暗室でチマチマプリントして、みなさんにお届けして、初めて完結するものだから、そのショートカットはご法度だ。それでよけりゃ、はなっからデジカメでやってますがな。
だから、まだまだ足りない。ボケボケしている暇はない。
もし、明日事故で死んだりしたら、この事だけで、十分に成仏できないぜ。仕方ないな、今年はナマズ釣りにも行かずに頑張るとするか。仕事はサボるわけにいかないからな。しかし、この台風が去れば、もうすぐゲージュツと食欲の秋だ。まいったなぁ・・・。
それじゃあ、とりあえず今夜はブリュッセルから行ってみようかな。イスタンブールも飛ばしちゃいるけれど、今まだ乾燥中なんだ。
Bruxelles,Bergique
イカにもタコにも観光写真っぽいのが、自分としてはその、いささか遺憾ではありますが、親愛なるみなさんにまずは名所から味わっていただこうと思いましてね。まぁ、どうにもベタですがご賞味ください。しかし、ブリュッセルの観光名所、グランプラスのブラバン公邸宅も、俺にかかっちゃ、どうにもこうにも、ドラキュラ伯爵の城みたいになっちまうぜ、困ったなぁ。

参ったついでにもう一発行くかい?OK, Come On!
Bruxelles,Belgique
ふふふ・・・、なかなか味わい深い親父さんだ。朝っぱら(この写真を撮ったのはアサイチ)から、どうにもご機嫌斜めなカンジが漂う。それとも二日酔いか。はたまた、このオヤジ、ヒットマンとかそんなもんかもな。ひげにロン毛に、ちょっとサファリっぽいジャケットが一時期はやったチョイワル親父っぽいが、朝っぱらからその荒んだ表情はなかなかチョイ悪どころか、極悪な稼業の人じゃないかって心配になってくるぜ。
さて、明日は5時30分に出撃なんだ。お迎えが来るんだ。いや、死んじまう訳じゃないぜ、仕事仲間が迎えに来るんだ。いつまでもこんなことしちゃいられないぜ。俺は風呂に入るぜ、そして体に染みついてる酢酸や定着液の臭いを洗い流して、心穏やかに眠るのさ。
読者諸君、また会おう。仕事に遊びに炊事洗濯ゴミ出しに、何かと忙しいこの俺なのさ。