2011/11/30

Post #382 30/Nov/2011

Bruxelles
最近、荒木経惟氏の写真集を見直しているんだけれど、やっぱりアラーキーは天才というほかないもんだと、再認識している。
昔、ロックを題材にしたある映画の中で、『あなたにとってロックンロールとは何か』と訊ねられた登場人物が、『ロックンロールが何であるか、誰にもわからない。ピート・タウンゼント以外にはな』というセリフを語っていた。
もしもいま、誰かから『あなたにとって写真とは何か』と訊ねられたなら、俺はきっとこう答えるだろうと思ってるんだ。
『写真が何であるかは誰にもわからない。荒木経惟以外にはな』
しかし、そんな気の利いた事、誰も俺に訊ねやしないさ。原価だの利益だの経費だの工程だの、ロマンのないことばかりさ。そう、うんざりするような退屈な話ばかりだ。
まったく、うんざりするような一日だった。
明日もきっとロマンのかけらもなく、うんざりすることだろう。
俺は未だ見ぬ自分の写真を心に描く。
こんな不毛な仕事なんかしてるよりも、プリントしている方がなんぼもましだ。
読者諸君、失礼する。

2011/11/28

Post #380 28/Nov/2011

昨晩は、夜中の1時よりプリント再開。
24カット仕上げて、気が付けば朝6時過ぎ。あと、フィルム一本でブリュッセルの写真に片が付く。次の旅行までに、前の旅行の分はけりをつけておきたいもんだが、あとまだヘルシンキが残っているんだ。
Paris
いささか眠いが、いつまでもダラダラしている訳にもいかないな。行動開始だ。
読者諸君、失礼する。

2011/11/27

Post #379 27/Nov/2011

本日、日中プリント。25カット。
しばらく休んで、また続ける予定。
Bruxelles
読者諸君、失礼いたす。

2011/11/26

Post #378 If You Want My Prints, Call Me Right Now!

昨日の夜遅く、友人からメールが来た。以前にもご紹介した友人、名古屋は栄のタイ料理屋ジャイサンマーのマスターM君である。以前俺は、M君に請われるままに、写真を何枚か差し上げたことがある。確か、ひっくり返って寝てる浮浪者のオヤジの写真とかだったはずだ。それを部屋に飾ってくれているらしい。我が友人ながら、凄まじいセンスだ。脱帽する。
生憎俺は昨日、ひっくり返って眠っていたので、今朝になってから電話をしてみた。すると、どうやらまた写真を頂きたいとのこと。しかも、彼の強烈なセンスが炸裂しておる。よりにもよって、大阪の路地裏で座り込んでガンを飛ばしまくってる、危なそうな若い衆の写真をご所望ときた。よりによって、あれか・・・。相変わらず、凄いセンスだ。
しかも今回は、M君の彼女も写真を欲しいということだ。幸いなことに、こちらはもっと妥当穏健なリクエストだ。アムステルダムで場所の前に佇んでいるお子様の写真とか、バラ一輪がモルタルの壁の前に写っているのとか、ブリュッセルの教会のステンドグラスとか、まぁ、絵になるものばかりだ。ほっとするぜ。
とはいえ、M君のリクエストのほうが、俺としては面白いし、俺の写真の本質に迫ってるように思うのだが、致し方ないな、俺は女性には優しいのだ。残念ながら、男性にはあまり優しくないという評判だが、頑張ってリクエストにお応えすることにしよう。女性の喜ぶ顔を見るのは、世界で一番心躍るものさ。
Bruxelles
さて、前回は面倒臭かったんで、スキャンデータからプリンターで印刷してみたんだが、あれは実は納得がいかなかったんだ。何がって?そう、それは切実な問題なんだ。黒が黒にならないんだよ。気にするのは俺だけかもしれないが、黒が黒じゃないってのは、モノクロ写真として致命的だ。
何だか赤味がかったというか、紫が混じったような、微妙な黒になっちまうんだよ。M君はそんなんでも結構喜んでくれてたんだが、俺はまったく納得行かなかった。モノクロで、黒が黒で出ないなんて、満足いかないぜ。納得しないぜ。黒の締りが悪い写真は、嫌いなんだ。何事においても締りはイイに限るぜ。
仕方ない、今回はアレだ、全部真面目に印画紙にプリントするとするか。調子にのって、枠か裏にサインとか入れておくかな。いつか俺がユーメイになった時、ひょっとしたら、思わぬ小遣いになるかもしれないだろう?
とはいえ、まったく同じものは決してできないのが、アナログ写真の味わいだ。特に俺は、露光時間なんかのデータは一切遺しちゃいないんだ。やったらやりきり、感覚任せ。いいか悪いかを決めるのは、唯俺自身の感性。だから、その時の気分と状況次第で、ずいぶん変わる。そういうもんさ。
同じものがイイってんだったら、どうぞ、デジタルデータで。個人でお楽しみいただく分には、一向に差し支えませんぜ。PCやケータイの壁紙だろうが、どうぞお好きに。
しかし、しかしですよ読者諸君、俺の写真の欲しいという奇特な人が、M君たち以外にも、もしもいるというのなら、遠慮せずに申し出てくれたまえ。基本は六切り、つまり8’×10’(約20㎝×25㎝)だ。これぐらいの大きさが一番プリントしやすいんだ。俺はRCペーパーを使ってるから、表面は少しツルツルテカテカしているんだが、たまらんもんだぜ、生の印画紙の粒子とか、黒の締りとかは。他から見たら、まぁ、フェチとかの部類だろうよ。
どっか上の方に俺のメールアドレスも出ているだろうし、それが見つからなかったら、コメントに入れてくれればいいぜ。細かいことは、応相談でよろしく。まぁ、どうせ俺は程よくヒマ人だからな。

さてそんな事情もあって、今日はプリントする気満々だったのだが、急に仕事のオファーが入って、打合せに行くことになってですね、帰ってきたときにはなんだか時間が中途半端だったんで、あっさり諦めた。人間、諦めが肝心だ。そして、やることをやってると、ホントに仕事がネギ背負ってやってくるもんだなと実感。これがもっとドバドバ儲かる仕事だったら文句なしだが、如何せん、安仕事だ。仕方ない、薄利多売で奮闘努力するとするか・・・。
蛇足ながら、明日からうちの連れ合いは同僚と一緒に2泊3日で台湾旅行ときたもんだ。結構なことだ。俺も台湾に行って、写真を撮ったり飲茶を楽しんだりしたいもんだがな。
畜生、こうなったら明日はせいぜい朝から晩まで次の朝まで、うんざりするほどプリントさせてもらおうか。みっちり髪や指に薬品の臭いが染み込むほどに。こんなチャンスはまたとない。誰にも邪魔はさせないぜ。
読者諸君、失礼する。明日は早起きして連れ合いを送って行かなきゃならないんだ。

2011/11/25

Post #377 Do It Myself でテキトーに行くのさ

はやいもんだ、11月も終わりに差し掛かっている。一年がたつのは、あっという間だ。年が明けると、何と驚いたことに、俺も43歳だ。冗談じゃない。坂道を転げ落ちるような勢いだ。こんな調子じゃ、あっという間にジジイになっちまうというもんだ。その頃には、間違いなく、年金はもらえないだろうけどな。
そして、11月末は俺の仕事の決算なんだ。
今日もお暇だったんで、プリントでもしようと思っていたんだが、決算のことが頭にこびりついて、何も手につかない。仕方ないから、帳簿を整理して、決算準備表でも作ってみることにしたんだ。不安材料があると、クリエーティブなことはできんもんですわ。そうさ、俺は君たちが思っている以上に、繊細な男なんだ。しかも、フツーなら税理士にお願いするのが定石だろうが、俺のような零細ビジネスでは、高い金出して税理士にお願いするような余裕はない。従って、いつも言ってるように、セックス・ピストルズ直伝のDo It Myself 精神でこの難局を乗り切るしかないわけだ。
訳なんだが、これが結構大変なんだ。俺には向いていない。
去年はそれでひどい目に遭った。何度やってもその都度出てくる数字が違う。そう、いつも計算が合わないんだよ。俺にはつくづく、向いてない仕事だと実感するぜ。しかも、年末調整もやらなけりゃならないんだぜ。たまらないぜ。仕方ない、税務署さんだけは誤魔化してスルー出来る程度に、テキトーに、そう、テキトーに行かせてもらおう。どうせ仕事は暇なんだ。じっくりとテキトーにやっていくさ。これも人生勉強ってもんさ。
Tokyo
俺はつくづく、死んだ母方のおじいさんが生きていればよかったと思わずにはいられないんだ。おじいさんは、税理士だったからね。仕方ない、青森方面に出向いて、絶滅寸前のイタコさんにお願いして、死んだおじいさんを呼び出してもらうとするか。いや、そこまで行くくらいなら、素直に税理士お願いしたほうが安く済むんじゃないか?
そもそも、青森に行ったからってイタコのオバァに遭えるとも思えん。まだ西表島に行ってイリオモテヤマネコに出会う確率の方が高いことだろう。近年、イタコさんはすっかり減ったという話を聞いたことがある。眼が見えないからといって、イタコなんて特殊な職業以外に選択肢がないような前近代的な時代ではないんだ。マッサージとか鍼灸按摩だとか、いろいろとあるようだ。盲学校だってもうけられている。こうして新規参入がなければ、当然高齢化が進んでいたイタコ業界は衰退の一途だ。少子高齢化社会の縮図を見ているようだ。
俺の話しは、いつだって脱線する。それが魅力だと俺は思ってるんだがね。えっ、そうじゃないのかい?読者が増えないのは、このせいだったのか?仕方ない、今更方向性は変えられないなぁ。なんせ、40年以上このノリでやってきたんだ。車だったら、とうに廃車だ。俺の頭の中の、ジャングルのような知性(あぁ、痴性かもしれんなぁ)を、君にも見せてあげたいもんだ。そう、役に立たない無駄知識でいっぱいの、この頭の中を。
ひとつわかったことがあるんだ。
今年度は、少なくとも赤字じゃないってことだ。いくら上りが出たかは、君には教えられないけどね。いやいや、大丈夫、そんなにガッツリとは儲かっちゃいないさ。微々たるもんだ。小商いだ。零細自転車操業だ。小さく生んで大きく育てるつもりもない。俺はジョブスや孫さんには、全く及ばんケチな野郎なのだ。
仕方ない、俺の感覚じゃ、写真こそが自分の本来やるべきことで、仕事はそれを支えていくための方便だって思ってるんだから。本末転倒だって?望むところさ。人間、クソ仕事には命なんてかけられないし、出来ることなら金もかけたくないもんだが、道楽には金も命もかけてしまうってのが人間の本性だと俺は思っているんだからね。そんな奴ばかりじゃないって、ふむ、それはつまらない奴だな。仕事なんて所詮、定年を迎えるまでの腰掛に過ぎないんだがな。道楽こそ、人生を貫いて打ち込むべきものだと、ジジイになってから気がついても遅いのさ。
親愛なる読者諸君、失礼する。そうは言っても、金儲けの道は険しいもんだな。やれやれ・・・。

2011/11/24

Post #376 この国はどーなってるんだ?

やっと眠りから覚めた気分だ。ジャンジャンバリバリ帳簿をつけ、請求書を作り、伝票を作りまくっている。すごい勢いだ。次の仕事は決まっていないというのに、そんなに一生懸命やっても仕方ないだろう。しかし、やるべきことをやっておかないと道は開けない。じたばたせずに、やることをやってれば、仕事は向こうからやってくると、信じたいもんだなぁ。
伝票を付けていたら、とんでもないことに気が付いた。
10月から、年金額が上がっていた。受給額じゃない。俺はそんな年寄りじゃない。徴収額だ。じりじりと値上げされているんだ。クソッ!ただでさえ実入りは少ないってのに、なんてこった。俺が独立してから、一体何回目だ。タバコの値上げよりも頻繁だ。ふざけんな!
こんなに真面目に年金を払っていても、どうせ俺達はもらえないんだ。死ぬまで空き缶を拾い集めて生き延びるしかないのさ。年金なんかよりも、生活保護のほうがたくさんもらえるんじゃないか?
俺達現役世代は、搾り取られまくっている。ケツの毛まで抜かれちまうんだ。景気が良くなるわけがないぜ。
その一方で、年金の受給開始年齢を引き上げようって、役人どもは考えている。60歳で定年になったあと、わずかばかりの年金を頂戴するまで、乞食でもしてろってのかよ!貯蓄だと?給料をたくさんもらってる奴は、貯蓄もできようが、そんなことばっかりあてにしてるから、一向に経済は好転していかないんだ。
Bruxelles
俺の暮らしはもちろん、働けど働けど、わが暮らし、楽にならず、じっと手を見るだ。うちのカミさんに言わせると、俺は一生喰う分には困らないという結構な星のもとに生まれているらしいんだが、手相はどうなってる?空き缶拾いする相とか出ていないかい?今だって金がなくて、鳩のようにキュウキュウ言ってるんだぜ。そんな有様の俺に貯蓄なんて出来るわけないだろう?
冗談じゃない。きっと俺はけち臭い年金をもらう前に、あっさりと死んじまうんだろうよ。クソっ!
だいたい役人や政治家どもは、結構な給料をもらってやがるから、多少年金の徴収額が上がったところで、まったく苦にもならないんだろうが、その日その日をなんとかサバイブしてる俺達社会の底辺組には、この年金の値上げはボディーブローのように効いてくる。半端ない額だ。
一体この国は、どーなっちまうんだ?政治家も頼りにならない奴らばかりで、役人は庶民の感覚なんかこれっぽちも分かっちゃいない。まるでマリーアントワネットだ。パンがなければケーキを食べればイイじゃないのだ。昔は、貧乏人は麦を食えと言ったもんだが、今じゃ麦飯のほうが高い。安いタイ米でも食うしかないのか。
うむむ・・・、読者諸君よ、一体どうしたものかね。俺達は泣き寝入りしてケツの毛まで大人しくむしられるしかないのか?経済は世界第3位だが、借金は世界一なんだぜ、この国は。
いやぁ~、スェーデンにでも亡命したくなってくるぜ、まったく。よし、スェーデン語の勉強でもしておくかな。ちなみにおはようはグッモーロンだそうだ。

2011/11/23

Post #375 俺は燃え尽きちまったのか?

どうにもなにもやる気がしない。
本当は帳簿をつけたり、見積もりを作ったりしなきゃならないはずなんだが、どうにも何もやる気にならない。燃え尽き症候群か?まぁ、一時期三つも四つも舞い込んできていた次の仕事の話しも、いつの間にか有耶無耶になってしまっている。焦って何かをやらなけりゃならないわけじゃない。
それならそれで、プリントでもすればいいじゃないかとも思うが、まぁ、正直言ってなんだか今日はイマイチやる気にならなかったってことだ。
ダメだ。いい年こいてこれでは、中年ニート状態だ。とても勤労感謝の日だから休んでいますって雰囲気ではない。次の仕事有耶無耶ってことは、俺のようなフリーランスの人間にとっちゃ、失業しているのとかわりはないからな。顧客回りとかして、仕事をゲットしたりしないとマズイ。しかし、今日は勤労感謝の日だ。祝日だ。こんな日に顧客回りなんかしたって、どこの事務所もカラッポだろうよ!
そんなわけで結局、今日も俺は友人を呼んで、おっさん二人で俺の作ったスパゲティを喰らい、マンガの話しなんかしてダラダラしていただけなんだ。それはそれで、子供から学校と宿題を取り除いたような楽しい時間なんだが、人間これだけでは脳細胞が萎縮してしまうんじゃないかと、心配になってくるぜ。
Bruxelles
うむ、これはこれで困ったものだ。しかし、やる気が起きないからって、無理やり何かするのは失敗や怪我のもとだ。ご都合主義的に考えれば、やる気が起きない時は何もせずに、マンガを読んだり、写真集でも見ながらゴロゴロしているに限るというもんだ。ここ最近、休みなく走り続けてきたからな、そんな時間を持つことも、精神と肉体のバランスを整えるのに必要なんだろう。そう自分に言い聞かせて、自己正当化を計ろうじゃないか。ご都合主義ってのは一種のポジティブシンキングだ。大切だぜ。
なに、俺のことだ、いずれダラダラしているのにも飽きて、猛然とダッシュすることになるんだろうよ。特に俺は金が懸ると、普段の生活からは信じられないほどの、瞬発力と持久力を発揮するんだ。そう思えば、まぁそう心配することもないだろう。
俺は昔っから、自分がいつかホームレスとかになっちまうかもしれないと心配はしているんだが、周囲からは、あんたはがめついし、しぶといから、絶対にそんなことにはならないから安心しろって言われているんだ。
読者諸君、失礼する。御機嫌よう。

2011/11/22

Post #374 閑居して不善を為すと言うが…

今日は暇だった。
かといって、何か悪さをするわけでもなく、悪さをしようにも軍資金とてなく、家に引きこもってプリントしていた。ブリュッセル、19カット。ただ今乾燥中。明日以降にお目にかけよう。
しかし、めっきり寒くなってきたからな、プリントするにも問題が多い。現像液の温度が下がってしまうので、現像の進行が遅い。俺はせっかちだからな、じっくりと印画紙に像が浮かび上がってくるのが待ち切れなかったりするんだ。で、そうするとどうなるかっていうとだね、現像ムラが出来てしまうのだよ。暗室のセーフライトの赤く薄暗い灯りの下では、OKに見えても、明るい照明の下で水洗水切りするとですねぇ、思わぬムラが出来ていたりするわけですよ、アナタ。
しかも、そういうのに限って、他の部分はズビズバかつドンピシャに仕上がっていたりするからムカつくったらないぜ。まぁ、現像液もそろそろ疲労して、薄茶色になっていたからな、それもよくなかったんだろうが・・・。致し方ない。また、他日焼きなおそう。
Paris
そういえば、今日プリントしていたら、貴金属の買取業者の女性が訪問買取にやってきやがった。
偶然にも、俺と同じ苗字だったんだ。よくある苗字さ。何万とある日本の苗字の中でもトップ100位圏内だ、ついでに言うと、俺のすんでいるアパートの隣の部屋に住んでいる方も、奇しくも同じ苗字なんだ。まったく、紛らわしいもんだ。もちろんどちらも親戚でも何でもないんだがな。
金が高騰しているらしい。人間、先行きが不透明になると、つい貴金属を持ちたくなるんだ。国家がつぶれたりすりゃ、途端に紙切れになっちまうような貨幣よりも、こんな不透明な時代には、金や銀、プラチナなんかの貴金属がもてはやされる。昔懐かしい金本位制って奴だ。
生憎、俺の家には貴金属などありはしない。ハロゲン化銀つまり、印画紙ぐらいしか貴金属なんてありはしないのさ。そう、フィルム写真の印画紙は、銀の化合物が光にあたって化学反応することによって、像が浮かび上がるような仕組みになっているんだぜ。
そういう意味じゃ、俺はかなりの銀を持っているはずなんだが、これを売るわけにはいかないわな。むしろ、金を払えって言われかねんぜ。俺の写真の値打ちなんて、俺以外には、このブログを読んでくれている君達以外には、分かりっこないんだぜ。
しかし、金か・・・。たまにはズシリと持ち重りのする奴を、この手につかんでみたいもんだな。
読者諸君、失礼する。明日もきっと、俺以外にはなかなかご理解をいただけない写真をプリントしていることだろう。

2011/11/21

Post #373 金ならないぜ

うむ、なかなかに困ったことになった。
あんまり出張ばかりしていたもんだから、金が無くなってしまった。出張貧乏という奴だ。幸い、今日は仕事が早く終わったので、昼飯も食わずに帰ってきたんだが、帰りがけにラボに出していたフィルムを引き取りに行ってきた。
しかし、金は無い。我ながら、いい年してそんな金にも事欠くようじゃ情けなくなってくるんだが・・・、仕方ないカードを使うか。マリー・アントワネットも『パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃないの』って言っていたしな。お金がなければ、カードを使えばイイじゃないのって訳だ。
Bruxelles
俺は金が無くなると、どうにも元気がなくなるんだ。
まったくげんきんなものだ。
塩をかけられたナメクジの気分だ。
今日もなんだか無性に眠たくなってきた。疲労が溜まっているのか?金は貯まらず、疲労だけが溜まっていくなんて、なかなかに生きにくい世の中じゃないだろうか?洒落にもならないぜ。
仕方なく、今日は午後から眠って暮らした。眠っていれば、下らないことに金を使っちまうこともないしな。とはいえまぁ、使いたくても肝心な金がないんだけどね。短いようで長い人生だ、そんな日もたまにはあってもいいんじゃないか?
25日には、自分の口座に給料を振り込むんだ。出張手当もつけておこう。決算だからな、出来ることなら、決算賞与もつけたいもんだぜ。それまでの辛抱だ。どうせロクに仕事の予定もないんだ。帳簿をつけたり、写真をプリントしたりして、金は無いなりに有意義な生活をさせていただくとするか。なかなかそれも楽しみだ。
では、そんな情けない中年の悲哀漂う日常を暴露したところで、失礼させて頂くぜ。寒くなってきたからな、風邪なんかひかないように、お互い気を付けていきたいもんだ。なんてったって、病院じゃカードは使えないからね。
失礼する、御機嫌よう。

2011/11/20

Post #372 I Can't Standing

俺がホームタウン名古屋に帰ってきたら、中日、負けよった。
ボロ負けだ。元祖オレ流落合監督の最後の試合だというのに、あっさり負けよった。昔から、投手王国とか言って、それが実は貧打の裏返しという傾向にあったが、ここでそれかよ。ヒットの一つも打てない野手なんて、意味ないぜ。泣けてくるぜ。落合解任を狙っていた中日球団のお偉いさんも、今頃ガッツポーズしていることだろうよ。中日ファンだった俺の死んだおじさんも、こんな試合を見たら、墓場からゾンビの様に起き上がってくるに違いない。あの世にTVがないことを祈ってるぜ。
こんなことを書いても、名古屋人以外には殆ど共感してはもらえないだろう。所詮ローカル球団だ。しかし、仕方ない。いつだって、親会社の勢いのあるところがやはり勝つのだ。飛ぶ鳥も落とす勢いのソフトバンクと、20世紀の遺物たる新聞、それも名古屋の地方新聞では、勝負が見えている。むしろ、それを勘案すれば、よくやったというべきだろう。
俺は、もう立ち上がることもできないぜ。セバスチャン・サルガドの写真に出てくる難民の様に、毛布にくるまって、力なく転がっていることしかできないぜ。
HomeTown/Nagoya
それはさておき、今日帰ってくる電車の中で、胸を締め付けられっるほどに心ゆすぶられ、写真に撮りたい風景を見た。
二人掛けのシートの窓側には、やたら仕立ての良いスーツ(おそらくはオーダーだろう。)を着た、12歳くらいの少年が座っていた。少年は羽海野チカのマンガ『3月のライオン』2出てくる二階堂君のようだ。デブではないが、丸々としている。あどけなさの残る血色の好い顔は、疲れているのか、少し眠たそうだ。隣には、その母親と思しき女性が座っていたが、息子とは好対照に、年齢相応にやつれ、骨格が見て取れる。俺は人の顔を見ると、どんな頭蓋骨をしているのか、想像するようにしているんだが、実に骨格をイメージしやすい顔立ちだった。肌も年齢相応に荒れていて、これまた息子とは好対照だ。そしてまた、母親もずいぶんと疲れているようだった。息子の方に顔をあずけて、そこか険しい表情で眠っていた。
母親は、ショールを羽織っていたが、それを息子の肩にもかけてやると、二人はちいさな鳥のように身を寄せ合って、眠っていた。
どこにでもある光景だろう。しかし、俺は人間のいとおしさに、胸が締め付けられるようだった。
カメラはもちろん持っていた。しかし、日曜日の夕刻、家路をたどる多くの乗客の目の前で、この親子の写真を撮ることははばかられたんだ。もし、この親子の姿を写真に撮ったことを、周囲の乗客に見咎められたとしたら、どう説明するよ?とても美しく、いとおしい姿に、胸を打たれたから写真に撮らせて頂きましたって言って、みんな納得してくれるだろうか?無理でしょうよ。自分を特別な人間だとは思わないけれど、そう思うためには、それなりの感受性が必要だからな。
仕方ない、肉眼レフで心に焼き付けておこう。
この親子の姿を、俺は忘れないようにしたいもんだ。そして、この親子の姿に、美しさを見ることのできる心持こそを手放したくないもんだ。
読者諸君、失礼する。明日も仕事だ。なに、大した仕事じゃない。ほんの消化試合のような仕事だ。せいぜい仲間と気楽にやっつけてくるぜ。

2011/11/19

Post #371 場末に流れ着いて

思わぬトラブルで、仕事は一日伸びてしまった。宿は、今朝引き払ったばかりだ。
仕方なくネットで探した安宿に、土砂降りのなか、荷物を引いてたどり着いてみると、そこは品のない風俗やガールズバーがひしめく、背徳の街の連れ込み宿だった。ホテルの名前はご立派なんですがね。
冗談じゃない。
心なしか、バスタオルも精液のような嫌な臭いがする。ベッドのスプリングときたら、中山式快癒器かと思うような違和感だ。窓を開けて澱んだ空気を入れ換えようとすれば、焼き肉のようなムカつくような臭いがどっと流れ混んでくる。
Paris
あぁ、俺の人生、良くできてるぜ。思わず笑えてくるぜ。
とっとと眠るか、中日もソフトバンク相手になんとか踏ん張った事だしな。それに明日も朝早いんだよ。読者諸君、御機嫌よう。

2011/11/18

Post #370 Insturment

いつも、音楽を聴いて暮らしている。
ピート・タウンゼントやジェフ・ベック、ジミー・ペイジなどが、感情の赴くがままに、その内側から噴出するがごときうねりに、ギターを通して形を与えたような、エモーショナルなギター・プレイを聞くと、自分自身の中にも、火がともり、熱い炎となって心を融かすような、胸を焦がすような思いを抱く。音楽があったから、今の自分になれたと思う。結構なことだ。
そして、自分がやっている写真に、そんな熱がこもるのだろうかと、自問自答する。
写真は、あくまで静かなメディアだ。
音楽の様に、大勢のオーディエンスを前にして、インストゥルメント=楽器に命を吹き込み、自らの心の昂ぶりのままに、どこまでも飛翔するがごとく自在に旋律を奏で、瞬時に人々を熱狂させるようなことは、残念ながら写真にはできないと、思う。残念だ。
写真に出来るのは、カメラというインストゥルメントを用いて、この世界の一定の範囲の光を切り取り定着させることだけだ。俺の内なる心のうねりは、写真には写らない。リンダリンダだ。
俺は写真を撮っている時の、自分自身の昂ぶりを、君にも味わってほしいのに。
飢えた獣が獲物を求めて、五感を総動員して歩き回り、ついに見つけた獲物に襲い掛かり、その血肉を喰らうような、内心の昂ぶりを感じて欲しいのに。
醜いものを美しいモノへと自在に変容させる、錬金術のような営みに、知覚が痺れるような感覚を味わってほしいのに。
それには、タイムラグがあり過ぎる。
タイムラグだけが問題なら、いっそデジタルというのもひとつの解決手段かもしれないけれど、それで、多くのオーディエンスを熱狂させることが出来るとも思わない。それは黄金期のロックを捨てて、テクノ・クラブサウンドに乗り換えろというようなものさ。
それは、俺の表現様式では、無い。
モノクロ写真という、制約の多い表現に、俺は魅力を感じているんだ。
写真と音楽。同じようにカメラなり楽器なりのインストゥルメントを用いる芸術なのに、どうしてこんなに、オーディエンスに与えるモノが違うのだろう。
ひょっとしたら、音楽には連続しつつ変化していく流れがあり、写真は逆に、連続しつつ変化していくものの一瞬を切り取るものであるが故かもしれない。瞬間の音楽にはイントロクイズのような使い道しかないし、微分化していくと、音は意味を失ってしまう。これは写真とは真逆だ。
一方で、連続する写真は、すでにアニメーションもしくは映画へと歩みをはじめ、別のものに変容しようとしている。
時に俺は悲しくなる。写真で、他者を熱狂させることはできないものかなと。とりわけ、このブログを読んでくれている君を、もっともっとワクワクドキドキさせたいんだがな。
Amsterdam
写真と音楽には、大きな相違点がある反面、両者の間に、俺が共通すると感じている項目がある。
それは、言語によるくだらない能書きによってオーディエンスを感動させるのではなく、目の前に示された画像や、耳に響く音色そのものによって、ストレートに人間の中にある何かを揺り動かし、感動させるということだ。
音楽を批評する言葉は、まやかしだ。それは何も生み出しはしない。
写真を眺めて、能書きを垂れる奴は、うるさくて不愉快だ。
どんな音楽も、百万言を費やした批評を聞くより、音楽そのものを聴くこと以上に、その音楽を理解する手立てはない。
どんな写真も、写真に関する解説を読むよりも、写真そのものを静かに凝視し、その写真に写されている時空に、そう、カメラを携えていた撮影者の視点にたって、その世界を感じること以上に、写真を理解する手立てはない。
俺は、そう思う。
つまり、音楽も写真も、ロジカルな言説では捉えることのできない性質のものだということだ。決して網にかからない魚のようなものか。どんな音楽か、何を写した写真かは、言葉で伝えることはできる。しかし、その本質は、言説によって表現されるものではなく、音楽そのもの、写真そのものによって表現され得るものであるべきなのだ。
写真も音楽も、自分のいる世界を一旦棚に上げて、感覚で楽しむものなのだと、俺は考えている、いやむしろ、感じている。それには本来、マニアックな知識など必要ではないと確信している。
もし、音楽や写真を補完する言葉があるならば、それは詩的な言葉だろうと思う。
読者諸君、今日は珍しく日頃自分が思ってる事を書いてみた。いい年こいて、こんなことを毎日ぼんにゃり考えながら生きている。あぁ、ひょっとしたら、写真で他人を熱狂させられないのは、俺の写真がヘボってことかもしれないな。その可能性も考慮しておこう。失礼する。

2011/11/17

Post #369 写美に行ってきたんだ

今日は、仕事が空いたんで、東京都写真美術館、略して写美に行ってきたんだ。
もう一か月ほど恵比寿にいるというのに、一度も写美に足を向けてないってのは、俺にとって大きな問題だった。
しかし、その前に溜まりに溜まった洗濯物をコインランドリーで洗いまくり、さて、写美に行こうかなと思っていた矢先、急遽原宿の現場に行くことになったりもした。野暮用だ。人生の大半はそんな予定外の野暮用で彩られている。俺は現場で所要を済ませると、行きつけの中華料理屋、原宿の昭和軒で堅焼きそばを食って、もうなかなかに来る機会もないだろうカンジのイイお店のおじさんおばさんとの別れを惜しんだ。ココは、昔ながらのしょうゆ味のラーメンとかを食わしてくれる、気取らない店だ。とにかく作業服で言っても構わないような庶民の店なんだ。しかも、兄弟姉妹で店を営んでいるそうだが、おじさんやおばさんたちが若かったころの音楽が、いつも有線でかかっているんだ。俺はここで、レッド。ツェッペリンやパーラメントを聴きながら、ラーメン定食を食っていたんだ。俺には解かる密かな楽しみだ。ちなみに今日は70年ごろのスティービー・ワンダーを聴きながら、堅焼きそばを食ってたんだ。そりゃサイコーだよ。これがAKBだったら・・・。
Paris
こうして俺はゆったりとした気持ちで、原宿から渋谷を抜けて恵比寿の写美まで歩いて行ったんだ。
畠山直哉の写真展だけ見るつもりだったんだが、受付のおねーさんに、勧められるままに収蔵品展の『子供の情景 原風景を求めて』も見ることにした。俺は女の子に勧めr垂れると、大抵は断れない。いつか手痛い仕打ちに遭うんじゃないかって、憂慮しているのさ。まぁ、それはイイとして、二つ合わせて1050円。商売上手だねぇと言ったら、真面目そうなメガネのおねーさんがダブルピースして喜んでいたのが、心がほっとするような感じだった訳だ。
畠山直哉の『Natural Stories』は、予想通りよかった。炭鉱を撮った一連のシリーズや、爆破され、崩壊する建築物を連写し、さらに重機で解体されていく様子をたどったシリーズ。そして、俺が大好きな『ブラスト』シリーズ。ご存じの方も多いかと思うけれど、ブラストは鉱山での発破作業を、至近距離から連写で捉えた迫力のあるシリーズだ。これを特大のスクリーンでアニメーションのようにして見せてくれる展示もあって、これはかなりの迫力。まるで、自分自身がその現場に立ち会っているような衝撃だ。しかも、爆発による膨張が、最高潮に達したところで画面は一瞬不自然にブレイクする。この不自然さがたまらないぜ。必見だ。ちなみに、小ぶりな連続写真を壁一面に並べたブラストシリーズの前では、俺は一枚一枚を見るんじゃなくて、写真のほうを見ながら、走ってみてみた。自分が動くぱらぱら写真のようだ。
このほかにも、東日本大震災の情景を撮ったシリーズも、写真自体はちいさな判型だったったんだが、迫るものがある。聞けば、畠山直哉自身が東北の被災地の出身だそうだ。確かに、今、日本の写真家でこの現実を直視しないわけにはいかないだろう。
いずれにしても、画面の中に引きこまれるような写真展だ。12月4日まで。
そして、勧められるままに見ることにした収蔵品展『子供の情景 原風景を求めて』が、これまたよかったんだなぁ。さすがは写美。
木村伊兵衛、土門拳、田沼武能、長野重一、杵島隆、東松照明、森山大道、奈良原一高、植田正治、藤原新也、やなぎみわ、ユージン・スミス、ブレッソン、島尾伸三、吉田ルイ子、次から次にきりがないぜ。大抵はモノクロなんだけどね、それがまた俺にはたまらない。
なかでも、俺が一番嬉しかったのが、ムンカッチの1930年の傑作、『タンガニーカ湖の波にかけよる少年たち』とウィリアム・クラインの『ブルックリンのダンス』(これはクラインの傑作中の名作『ニューヨーク』の中におさめられてる奴だ)が見られたことだ。
ムンカッチの写真は、あまりにも有名だけれど、途轍もなく完璧な写真だ。きらめく陽光の中、一糸まとわぬ黒人の少年たちが、波の打ち寄せる湖を目指して、しなやかな獣のように疾走していく様を背後からとらえたものだが・・・、美しい写真だ。完璧だ。こんなものを持っているとは、写美侮りがたし。
これ見よがしにモノクロ写真ってのはどうのこうのと生半可なことを語り合っていた若い衆は、このムンカッチの写真を見て、『グロっ!』と抜かしていたが、この写真の良さも分からんようなボケは、肥溜めにでもかけよって飛び込んでろ!えっ、肥溜めなんて今時ねぇよなぁ。俺がガキの頃は、そこらへんにゴロゴロあったんだけど。よく、肥溜めに泳いでいるトノサマガエルを素手で捕まえようとして、オフクロにブッ飛ばされたもんだ。
そして、ウィリアム・クライン。ブルックリンのダンスって、10歳くらいの女の子が、おかしな踊りとも身振りともつかない変なポーズでおどけて写真におさまってる奴なんだけど、いや、このボケ感というのか(ポーズがではない。イマイチピントが甘いカンジで、しかも粒子が荒れているので、そうなっているわけだ)、表情すら定かでない画像が、細かな粒子に分解し、今にもハイキーで淡い風景の中に融解してしまいそうなそのカンジ、これは堪らない。
写真の好みはもちろん人それぞれだとは分かっているが、分かったうえでなお言おう!この良さがわからん奴は、その辺の道端でタコ踊りでも踊って暮らせや!

ああ、今日も言いたい放題だ。

で、写美の中のショップ、NADIFFで、フィリップ・フォレストによる評論『荒木経惟 つひのはてに』とかつて写美で行われたウィリアム・クラインの写真展の図録を買ってきたんだ。あぁ、仕事のことが頭をよぎらなけりゃ、イイ一日だったってことさ。
読者諸君、失礼する。明日も早いのさ。

2011/11/16

Post #368 Fragment Of Fragments #23

Paris
俺は名古屋人だからな、当然ドラゴンズファンなんだが、中日2連敗・・・。
だから今日は何も言いたくはないんだ、残念ながら。やっぱり、俺が名古屋にいないと、だめかなぁ。いつも日本シリーズにはハラハラするぜ・・・。
明日は、休みなんだ。出張に来ていて休みなんて、なんだかビミョーなんだか、仕方ない。東京都写真美術館にでも行って、畠山直哉の写真展や写真新世紀でも、見てくっかな・・・。ついでにカメラを持ってぶらついてみよう。せいぜい監視カメラの死角を歩いて行こう。職務質問もやんわりとお断りしよう。気を付けないとな。
読者諸君、失礼する。

2011/11/15

Post #367 いろんな考え方がある

Barcelona
最近よく思うんだけども、この世界には70億も人間がいると、いろんな奴がいるってことだ。
トーゼンながら、いろんな考え方がある。それは結構なことだけれど、おかげで諍いも絶えないもんだ。
お、そういえばシーナ&ロケッツの歌で、そんな歌があったな。あれは確か、こんな歌だった。

♫いろんな考え方がある
 俺はたぶんバカだ、バカだ。
 はたちでヒッピーになったまま
 未だに自由に憧れてる

作詞は阿久悠だったはずだ。『ガキ』とかいうタイトルだったはずだ。Bメロの歌詞は忘れちまったけど、最後はこんな歌詞で締めくくられていたっけ。

♫とっくに老いた、お前と違って、
 心の中に眠らないガキがいる、ガキがいる

そんな大人になりたいもんだと、若いころ思っていたけど、実際なってみると、まぁこんなもんですか。所詮、70億のうちのありふれた1人ってことさ。
俺が死んだところで、世界は何にも代わり映えしないだろうし、痴漢が一人減っただけのこと。
俺が長生きしたって、世界に何か有益なことをすることも、まぁありはしないさ。
ならば、このまま自分の考え方で行ってみるのも一興じゃないかね。どうせ今更軌道変更なんて、できっこないんだろうから。
だから読者諸君、俺が自分で飽きるまで、こんな調子でお付き合い願いたいもんだ。失礼する。

2011/11/14

Post #366 Psychotherapy

何だかんだで、このブログも一年を超えていた。思い起こせば、これをはじめた頃はグデグデだった。心身ともに疲弊していたんだ。ちょうどあの頃も出張していた。今は東京だがあの時は大阪だった。このブログの第一回は大阪の堺筋本町にあるウィークリーマンションの一室で書いたんだったっけ。
体重もすっかり減っていた。そして、ロクな仕事もなかった。スッカリ自身も喪失していた。自分を奮い立たせるように毎日書いたんだ。そうして気が付いたら、一年が過ぎていた。とりあえず今の段階では仕事も忙しいんだ。そして根拠不明に自信満々だ。
Turk
ここまで自分を取り戻したのは、この一年、まるでサイコセラピーのように、毎日毎日、くだらない文章を書き、下手糞な写真をUPし続けてきたからだろう。そう、まるでサイコセラピーさ。サイコ、セラピーってラモーンズの歌のようだな。
何より、このブログを見続けてくれている君たちのおかげだ。
何故だか最近は、アメリカだのロシアだのからのアクセスも多い。訳の分からない海外のサイトからのアクセスも多いんだ。おかげで最近、無駄にPVが伸びてきている。しかし、本当に俺を支えてくれているのは、他でもない、この俺以外にはどーでもイイ文章を我慢して読んでくれているあなた、そう君達だってことを解っていてほしいんだ。俺の自信に根拠があるなら、これを読んでくれている、君達こそが、俺の自信の源なんだってね。失意の底を這いずりまわっていた俺を、調子に乗せてくれたのは、君たちに他ならないんだ。
俺は訳の分からないアクセスでPVが伸びることよりも、少数のコアな読者によって支えられる男でいたいんだ。万人受けなんて、する気もないさ。もっとも、俺の写真は自分で言うのもなんだけど、我流ではあるけれど、ある種写真の正統派だと確信してるのさ。
まぁ、そんなことはいい。本当に今夜君たちに行っておきたいことがあるんだ。たった一つだけ、行っておきたいことがあるのさ。そう、それはどうもありがとうってことさ。
もー一度、改めて言わせてもらうぜ、どうもありがとう。
しかし、それほともかく、俺はなんだかいつも旅行してるか出張してるかのように感じるんだけど、これは気のせいかな。
親愛なる読者諸君、失礼させてもらうぜ。明日も男の仕事なのさ。働く男にとっちゃ、眠るのも仕事のうちなのさ。

2011/11/13

Post #365 モロッコ旅行にカメラ選び

喰っちゃ寝むり、また食って眠る。こうして、失われた体力を充電している俺さ。
今夜からまたまた東京出張だ。重箱の隅をつつくような残工事だ。我ながらご苦労なこった。
帰ってきてからきしめん、赤だし、味噌煮込みうどんと、俺は体にソウルフードをぶち込み続けた。本当は寸暇を縫ってプリントするのも一興だったんだが、プリントには気力体力が必要だ。そして、今の俺にはそこまでの気力も体力もない。ガス欠状態だ。そう、もう俺は若くないんだ。人生の折り返し点はとっくに過ぎちまった。好きで折り返したつもりもないがね。寝床で転がりながら、出張中にアマゾンから届いていた写真集なんか見ながら暮らしていたんだ。
そうこうしていると、連れ合いがモロッコにはカメラは2台しか持っていけないらしいと言い出した。
俺は連れ合いと一緒に、この年末年始モロッコに行くんだが、どうにも入国の際に1人当たりカメラは2台までしか持ち込めないらしい。
カメラ2台?まいったなぁ・・・。
俺はいつも旅行にはフィルムカメラ数台を主軸に据え、スーパーサブとしてコンパクトデジカメを一台持っていくんだが、2台限定となると難しい選択だ。
いつもなら、CONTAX T3を2台、つまりモノクロとリバーサルフィルムで一台づつ、で、CONTAX G2とその交換レンズを6本、さらに状況と気分に応じて、中判カメラを登板させたり、レンジファインダーのドイツ製のコンタックス、Contax Ⅲaを控え選手として同行させたりするのだが・・・。
イケイケで持って行って、税関で没収されたりしてはかなわん。これだけで一財産だ。
どうにも、ガイドブックなんかを見ると、モロッコ人は肖像権がどうのこうのというのではなく、もっとなんか違う理由で、写真を撮られることを好まないということだ。ふむ、むかしの日本人が、写真を撮られるとタマシイを抜かれるとか言って、写真を撮られることを嫌ったのと同じようなことなのか?
なかなかに厄介だ。写真を撮る際には、ひと声かけるようにしようと書いてある。“ワッハ・ハディートゥ・タスウィラ?”と声を掛けるんだそうだ。アラビア語だ。全く異言語だ。だからこれだけは覚えたんだ。
それに加えて、カメラ台数制限かよ・・・、面倒くせぇ話しだなぁ。
Istanbul,Turk
インドで永年写真を撮りまくっている写真家スティーヴ・マッカリーは、現地の人々に怪しまれずに写真を撮るために、インド人と同じような服を準備して、インド人に偽装して写真を撮るという。今回の俺も、現地に行ったならさっそくカフタンとかガンドゥーラとかいう、現地の衣装を調達して行動することにしよう。ターバンも欠かせないだろう。これは面白そうだ。楽しみな企画だ。服装の件は、これでいこう。問題はカメラだ。
そういえば、今から30年以上前の上海で写真を撮っていた藤原新也は、当時の一般的な中国人同様に、鼠色の人民服で街を歩き写真を撮っていた。しかし、当時の世界最大の後進国中国の、筋金入りに貧しく持たざる人民は、藤原新也の手に握られたカメラを目ざとく見つけ、彼に、と言うより彼の持つカメラにねっとりとした熱い視線を注いできたらしい。うむ、モロッコはどうだか知らないが、どっちにしてもカメラは極力小さく目立たないものに限るな・・・。
であれば、いつも使っているCONTAX T3は絶対に欠かせない。マストアイテムだ。
ちょうど一台は修理に出していて、選手登録を抹消中だ。だからメインはこれ一台で決まりだ。
もう一台はどうする?G2か?あれはすごくいいカメラだが・・・、いささか大きい。そんなどちらさんも写真を撮られるのがお好きでないようなお国柄のなか、ぶら下げて歩くには、いささか大きすぎる。まいったなぁ・・・。
デジカメ?いや、それは至極便利なんだが、味気ないんだ。よって今回は、選手登録なし。彼にはせいぜい仕事で頑張ってもらおう。まぁ、いざとなりゃ、ケータイがあるしな。
俺は悩んだ末に、2台目にはCONTAX TVSを投入することにした。
レンズはバリオ・ゾナー28~56㎜、気持ち程度のズームだけれど、俺には申し分ない。ちなみにTVSというのは、Tシリーズ、バリオ(V)ゾナー(S)搭載の略だわさ。こいつは、行きつけのカメラ屋で去年か一昨年に、一万円だか8千円だかの捨て値で買ったコンパクトカメラだ。往年の人気カメラだ。チタン外装だ。
唯一の問題は、ケースがグレーで格好悪いってことだ。しかし、ケースの格好悪さは写真には関係ないだろう。まぁモチベーションとしては若干下がるけれど。そういえば俺、このカメラ、買ってから一度も使ったことがないよなぁ・・・。まぁイイさ。ぶっつけ本番って奴だ。何とかなるだろう。それも一興だ。どんな写り具合かすぐに気になるせっかちさんが、デジカメの普及以来増加しているようだが、俺はせっかちさんじゃない。所詮道楽だ。のんびり構えていくとするぜ。

読者諸君、失礼する。これからホームセンターに行って、明日からの仕事に必要な材料を購入し、荷物をまとめて出発しなけりゃならないんだ。やれやれ、気が重いぜ。

2011/11/12

Post #364 Nightscene #5

HongKong
いや、まいったぜ。なんだかエラーで、今日書いた文章がみんな消えちまった。消えちまったんだ。久しぶりに真面目に書いたってのに・・・。まいったなぁ・・・。読者諸君、また会おう。俺は今夜はすっかりやる気が無くなったんだ。

2011/11/11

Post #363 Nightscene #4

今日も今日とて、夜仕事。
そんなわけで、今日も写真のみで、ご勘弁願おうかな。
Paris
では、読者諸君。御機嫌よう。
そういえば、このブログもそろそろはじめて一年がたつ。早いもんだが、よくもまぁ、飽きずに続けたもんだって、自分でもいささか呆れるぜ。

2011/11/10

Post #362 Get Relief !

Paris
せめて今日くらいは、ゆっくりとダラダラ過ごしたいんだ。
休息が必要だ。睡眠も必要だ。強いて言えば、潤沢な資金も必要だ、何をするにも。
資金をやりくりするのは骨が折れるけど、睡眠や休息は簡単に手に入るんだ。横になり、目を閉じるだけだ。簡単なものさ。
読者諸君、そんなわけで失礼させてもらうぜ。毎日ろくでもない長話じゃ、俺も君たちも、さすがに疲れちまうだろうよ。では、さらば。

2011/11/09

Post #361 Mission Complete

いや~、ついに終わった。この充実感と達成感。これで請求満額もらえるんなら、サイコーだな。
身体はボロボロになった。使い古した雑巾のようだ。しかし、何だか清々しい。今となっては、この腰の痛みも、勲章のように感じる程だ。おっと、誤解しないでくれないか、俺はマゾじゃないんだ。
今だから言うけれど、俺は原宿の裏通りで、90年代に爆発的にヒットし、最近はパチンコ台にもなった某ガイナックスのアニメのストアを作っていたんだ。そう、監督としてね。監督ってのは、オーケストラで言ったら指揮者のよーなもんだぜ。今まで俺が携わった仕事の中で、一番手が込んでいた。
途中で逃げ出したくなる時もあった。しかし、俺は自分に毎日言い聞かせていたんだ。何をって?
じゃ、行くぜ。『終わらない仕事は無い。どんな素晴らしい成果も、目の前の事を一つ一つ地道にこなしていくことで辿り着ける』俺は心の中で、毎日呪文のように唱えていたんだ。
俺は自分の出来る限りの戦力を注ぎ込んだ。そうして、なかなかいい感じのものが出来上がったんだぜ。これはなかなかの達成感と充実感さ。君がもしアニメに興味がある奴で、何かの都合で原宿に行ったなら、ぜひ行ってみてくれ。11月23日にオープンだそうだ。そうして、そここそが、スパークスが腰痛に苦しみながら作ったってことを、思い出してみてくれ。ふふふ、カンドーに打ち震える君たちの姿が目に浮かぶようだぜ。
Bruxelles
もちろん、まだ残工事が残っている。来週にはまたこの宿に戻ってくる手筈だ。しかし、なにはともあれ、俺は明日、帰るのさ。赤だしの味噌汁や、きしめんや、味噌煮込みうどんや、味噌カツがソウルフードの俺の街に。何とも言えない酢酸の臭いが洗面所に沁み込んだ俺の家に。
何はともあれ、俺はまた一つやりきったんだ。ミッション・コンプリートって奴だ。ざまぁみろ!
読者諸君、失礼する。そろそろプリントしたいもんだ。

2011/11/08

Post #360 I Believe Me

世の中には、口先だけの奴がゴマンといる。
そういう奴に限って、デカい会社で働いていて、能書きだけはいっちょう前に抜かすが、実際には何もできないんだ。自分でやると言いながら、結局誰かがやってくれるのを待っているのさ。呆れた奴らだ。いい格好しいなのか、それとも自分でも楽にできるとタカをくくっているのか。いずれにしても、俺はそんな奴らをごまんと見てきた。もう、おなかいっぱいだ。
俺は昔、馬鹿学生の頃、学校の先生に説教を喰らって、感銘したことがあるんだ。それは、きっと君の人生においても役に立つ言葉だろう。今さっき、思い出したぜ。
『やる気も能力のうち』というありがたいお言葉だ。
私立クロマティ高校生徒指導部の岩田先生、ありがとう!この先生の娘さんは、かつて俺が高校生の頃、当時人気絶頂だったお笑い系の芸能人と結婚したんだが、何年か前に離婚したと風の噂に聞いた。その結婚が決まった頃に、この先生に、その話を振ったら、マジ切れして殴られたもんだった。だから、岩田先生は、少しうれしかったのかもしれない。近年その娘さんが芸能人の元夫との間にもうけた娘が、芸能界に入ったといううわさも聞いた。この世は噂に満ち溢れている。しかし、売れているかどうかは、聞いたこともない。どーでもいい話だ。俺にとっては、アンドロメダ星雲での出来事と同じくらい、どーでもイイ。なら、いちいち書く必要もなかろうが、筆の勢いちゅうのは恐ろしいものだ。自分でも予測不能だ。まるで自動書記かコックリさんだ。
閑話休題。
俺は、他人がやっていることは、かなり特殊なことを除外すれば、自分でも出来ると信じている。それは思っているなんてちょろいもんじゃない。巧い下手だの早い遅いだのはさておき、絶対に出来ると信じているんだ。そう、同じ人間だもの、出来ないわけがないと確信しているのさ。何としてもやらねばという責任感と、絶対にやってやるっていうガッツと、自分の経験、感覚をフル稼働させることで、他人がやっていることは、必ずできると確信してるのさ。
もちろん、途中で投げ出さなければね。
途中で投げてしまえば、どんなに能力才能のある奴でも、何も成し遂げることはできないんだぜ。ウサギとカメのウサギのようにね。
根性とかって言葉は大嫌いなんだが、根性の無い奴らが多すぎる。内臓の一部をおふくろさんの腹の中に忘れてきたみたいに、スグに奴らはギブアップだ。しかし、大抵そいつらは金の流れる川の上流に居座って、大したこともしちゃいないのに、ポンプで水をくむように、真っ先に利益を掠め取るんだ。さも当然のような顔をしてね。仕方ない、奴らも女房子供を養わねばならないんだからな。けど、俺にもセーカツというものがあるんだぜ、貯金というものは無いけれど。
まったく冗談じゃないぜ。この世は理不尽なことだらけさ。一体何を信じたらいいんだ?
Paris
考えてみる。そして、考えてみるまでもなく、その答えを俺は知ってることに気が付くのさ。
そうさ、自分自身を信じればいいんだ。自分の意志を信じるのさ。何かを成し遂げる自分の手を信じるのさ。腰痛や痛風の痛みを抱えてなお、動く事の出来る自分の肉体を信じるしかないのさ。
そして何より、自分が選んで歩んできた道を、信じるしかないのさ。
自分を信じていない奴には、何もできはしないぜ。笑わせんな!寝言は寝て言えってんだ。ダッハッハッハ!
読者諸君、俺は疲れ果ててはいるけれど、平気のヘーザさ。なんてったって俺は自信満々なのさ。根拠のない自信満々の人間は、おろかに見えるか、虚勢を張ってるように見えるか、もしくは鼻につくだろう?俺だって、分かっているさ、知ってるさ。だから君たちに嫌われないうちに、今夜は失礼させてもらうぜ。明日で全てが報われるのさ。だから、俺も明日に備えてとっとと眠らせて頂くぜ。ご清聴、ありがとう!

2011/11/07

Post #359 Surer Heavy Backache

君は、息をするのもつらいほどの腰痛を経験したことがあるだろうか?今の俺の状況がまさにこれだ。
鏡を見てみよう。痛みのあまり体がよじれている。まるで汚染された海で捕れた奇形の魚のようだ。
もう何日も続いている。一向に良くなる気配もない。これが普段ならさっそく行きつけの整体に行ってメンテナンスするか、家の近所の整形外科に行ってレントゲンを撮ったりするんだろうが、出張中だとそうもいかない。痛いからといって、宿で寝ている訳にもいかないんだぜ。仕事は最終局面だ。もう少しで上がりなんだ。痛い痛いって、ベッドで丸太のように転がってるわけにはいかないんだ。俺には代打はいないんだ。そう、俺も男だ。この男の商売、信用が第一だ。一度ケツを割ってしまえば、2度とオファーはこない。常に全力投球だ。控え選手もストッパーもいない、しかも毎日先発出場だ。
こりゃ、ヘヴィーだ。なかなかにキビシー状況だ。年を取るってのはこういうことか。人生には往々にしてキビシー局面が訪れるが、こう毎度まいど痛風だの結石だの、腰痛だのに襲われると、あまりの情けなさに、思わず笑えてくるぜ。笑わせんなよ、笑うと腰が痛いんだ。
そんな状況なのに、今日はクソ重いロッカーを2階まで上げてくれなんて頼まれて、泣きそうになったぜ。もちろん、途中で断念した。俺の腰が砕けちまうぜ。
Bruxelles
現場の帰りに、葛根湯とフェイタスを買って帰るんだ。痛む身体を引きづって宿まで帰るのさ。もう少しの辛抱だ。もう何日か、この痛みを背負いながら、無様にイタタッと呻きながらも乗り切っちまうんだ。そう、もう少しの辛抱だ。
読者諸君、こんなつまらない話ですまないね。全く申し訳ねぇこった。けど、これが俺の現実なのさ。そう、俺はフィールドに出て、自分の食い扶持を稼ぐために戦ってるんだ。身体をボロボロにしながらね。そうここは荒野に他ならないけれど、俺が生きる場所は、とりあえずここしかないんだ。誰かに強要された訳でもなく、自分自身で選んだ道なんだ。たとえ周りからどんなに無様に見えようとも、自分の選んだ道を、這いずってでも進んでいくのさ。それが人生さ、ロックンロールさ。文句はないぜ。そんなことで諸君、失礼させてもらうとするぜ。

2011/11/06

Post #358 Nightscene #3

HongKong
今夜は写真だけでスマン。お疲れなのさ。明日も朝早い。
読者諸君、失礼する。また明日会おう。

Post #357 I'm So Tired

いやはや、今日はまったく山場だった。予定通りだ。順調だ。もう23時過ぎだ。疲れはてたぜ。腰も痛くてたまらねぇんだ。
Amsterdam
I'm So Tired だ。ビートルズだ。ホワイトアルバムだ。知ってるだろう、君も?そう、疲れ果てたのさ。
駅前の吉野家で牛鮭定食でもかっ喰らって、ねぐらに帰って、さっさとねむるぜ。
読者諸君、そんなわけで失礼いたす。

2011/11/04

Post #356 ケバブ弁当一丁!

ここんところ、原宿で仕事をしてるんだが、毎日のように明治通り近くの中華料理屋に通っていたんだ。味は悪くない。しかし、さすがにこう毎日のように通ってくると、さすがに違うもんが食いたくなってくるのが人情だ。
で、今日は職人サンと一緒に、明治通り沿いのケバブ屋で、ケバブサンドを食うことにしたんだ。
若者でぐちゃぐちゃの歩道に面したケバブ屋の店先、いかにもトルコ人のおにーちゃんが串刺しにした肉の塊から、デカいナイフで肉を削ぎ落している。これがドネルケバブだ。君も見たことくらいはあるだろう。
Istanbul,Turk
『いらっしゃい!』赤いテンガロンハットをかぶったトルコ人のあんちゃんが、流暢な日本語で挨拶してくる。
よし、驚かせてやるぜ。『メルハバ!』ここは一丁、トルコ語で挨拶だ。あんちゃんの表情がニヤリと緩む。そうだろうよ。俺だって、東京で名古屋弁で話しかけられたら、嬉しなってまうでよぅ。
同行の職人さんはケバブサンドをさっさと注文してる。俺もケバブサンドにしようと思ったら、俺の目にケバブ弁当なんてイカシタ張り紙が飛び込んできた。これはイイ。さっそく注文だ。
トルコ人のあんちゃん、ご機嫌豪快にご飯を盛り付け、キャベツを盛り付け、弁当の容器からはみ出す位に大盛りに盛り付けてくれたぜ。『頑張ってるから、大盛りね』なんて言ってるぜ。『本当にスゲー大盛りだ』って驚くと、あんちゃん、『大盛りも大盛り、青森まで行っちゃったね。北海道はガス欠でいけなかったよ』なんて、強烈なオヤジギャグを飛ばしてくる。
俺達は笑い転げた。こういうノリは、俺たちのような現場の人間にはいつだってバカ受けなんだ。
『テシュッケレム!』俺はトルコ語で、ありがとうって言う。
あんちゃん、『どーしてトルコ語知ってんの?』って訊くんだ。
そりゃ、トルコに行ってからさ。どこに?イスタンブールとエフェスとイズミルだ。俺の出身はカッパドキャ。おお、カッパドキャ、行きたいな。あの不思議な岩がそびえる渓谷だ。そこまで行ったらいかなけりゃね!そうだ、トルコ人のあんちゃんの言うとおり、次にトルコに行く機会があったら、カッパドキャにも足を延ばしてみよう。
で、肝心のケバブ弁当。トルコで食ったケバブとは違って、ずいぶん日本人向けにアレンジされてたけど、うまかったし、腹いっぱいだったぜ。君も街中で、トルコアイスやケバブの店に出くわしたら、『メルハバ!』って挨拶してみればいいさ。きっとサービスしてくれるぜ。
Istanbul,Turk
世界中、どこに行ったって、まずは挨拶くらいは覚えておかないとな。挨拶は人間関係の基本だぜ。
読者諸君、失礼する。もちろん俺は明日も仕事だ。そろそろ休みたいもんだ。

2011/11/03

Post #355 Some Girls

久々に、ネーチャンフォトでも行ってみようかな。こういうのがないと、何だか俺のブログから潤いってもんが失われてしまっていけねぇや。
Amsterdam
俺は、しばしばその辺の女の子の顔をぼんやりと眺めながら、いろいろと想像して楽しんでるのさ。例えば、そうだな、この子の顔、メイクを落としたらどんなだろうなんてのは、まぁ初歩の初歩だ。チョイと遺伝子のいたずらで、この女性が男に生まれていたら・・・、うむ、こんなカンジの貌になるのかとか、母娘で歩いている女の子を見るときなんか、いや~、今は結構かわいく見えても、行きつくところはそこら辺りか、人生とはままならんものだなぁとかね。他にも、この娘のオヤジさんは、どんな顔してんだろうとかもよく考える。
まぁしかし、最近はどいつもこいつもおんなじようなメイクで、すっぴんの顔がよくわからねぇってのもたくさんいるんで、なかなか想像力にブーストかけないと、この暇潰しが出来ないんで、困ったもんです。想像力とはいえ、脳みそを稼働させると、何だか甘いもんが無性に食いたくなっちまって、ついついスニッカーズなんかを買ってしまうのさ。
いずれにせよ、若くてきれいな時期はすぐに過ぎ去ってしまうんだ。くだらない男に引っかかったり、つまらないことで悩んだりして、人生のかけがえのない時期を無駄に送ってほしくはないもんだね。とはいえ、つまらない男に引っかかって所帯を持っちまったり、他人から見れば、全くどーでもいいようなことで悩んだりするのが、人間の人生さ。そういうもんだ。
読者諸君、失礼する。ふと気が付くと、このブログをはじめて、あと一週間ほどでまるっと一念が過ぎようとしている。我ながら、よく続くもんだって呆れてるんだ。よくもまぁ、毎日どーでもよさそうなことを書き散らすもんだなぁってね。

2011/11/02

Post #354 Fragment Of Fragments #22

Bruxelles
街中で、こんなのを見つけるとぎょっとする。ぎょっとするけど、すぐにニヤリとするんだ。
なんだかこうしてまじまじ見ると、必殺仕置き人を思い出すぜ。

親愛なる読者諸君、今日は仕事で肉体を酷使した。腕も腰も筋肉痛だ。キーボードを叩くのもおっくうだ。今の世の中、誰も彼もが何もかも、PCの画面上で物事が進行していると思っているだろうが、実際にはそんなことはない。リアルな世界では、所詮汗をかき、身体を動かさないと、何も生み出されることはないのだ。そこん所を忘れてはいけない。
俺は、そんな現実味のあるリアルな世界が好きだ。PCの画面上で何もかも物事が進むなんてのは、絵に描いた餅を喰らうような話に過ぎないんだ。冗談じゃない。口先や指先だけでは、世の中小石ひとつ動かすことはできないんだ。身体を使って、頭を使って、気を使って、出来ることなら金は使わずいかないと、何も現実の世界では生み出されてこないのさ。
それを忘れてはならないんだ。フィルムから引伸ばして、モノクロ写真をつくることも、俺の中にリアルな感覚を呼び覚ます。写真とは何かって、世界を複製するとはどういうことか、それを思い知らせてくれる営みだ。自分が見た世界を、自分の指でじかに手にふれるようなリアルな感覚だ。
そっから言ったらデジタルなんて、お手軽便利この上ないが、俺にとっちゃ所詮仕事用なのさ。リアリティが感じられないのさ。
それでは、諸君失礼する。

2011/11/01

Post #353 いつか、あの車に乗って

男は車が大好きだ。首都圏とは異なり、トヨタのおひざ元、日本のMOTOWN豊田市を擁する愛知県に住む俺やその仲間には、車は欠かせない。大概の男は車好きだ。俺も、ここ最近出張続きで、あまり車を運転していないので、フラストレーションが溜まりまくりだ。ひと仕事終えて、夜の国道を一人車を飛ばして家路をたどるのは、心地よいもんだ。もちろん、大音量でロックをかけるのは欠かせない。俺は音楽を聴くのは、車の中が最高だと思ってる。それはべつに変わったことじゃないぜ。俺がこよなくリスペクトする、The Whoのギタリスト、ピート・タウンゼントも、いつも新譜を聴くときには、高速道路で運転しながら聞くんだって話を、何かで読んだ覚えがある。
あぁ、ハンドルを握って、アクセルを踏み込みたいのさ。
俺がよく仕事仲間に飛ばすジョークのネタでこんなのがある。
仕事の合間に、どんな車に乗ってみたいかって話をするんだ。俺のまわりにいる奴らは、どいつもこいつもさほど金回りが良くないくせに、欲の皮の突っ張った奴らだからな、何だか名前を聴いただけでも高そうな車の名前が、次から次に出てくるのさ。
俺はいつも、そんなときはニコニコしながら奴らの夢と希望を聞いているのさ。夢は誰にだって見る権利があるんだからな。そうしていると、『で、スパークスさんは、どんな車に乗りたいんだい?』とか必ず振られるんだ。
俺は、しばらく考えて『うん、そうだな。いろいろ乗りたい車はあるけれど、やっぱり一番は霊柩車かな?それも上に神社みたいな屋根と鳳凰の飾りのついてるクラッシックなスタイルの奴さ。あれがサイコーだ。』と答えるのさ。大抵の奴らは、困惑して苦笑いする。まぁ、ブラックジョークだ。で、俺はここからラッシュをかける。せっっかくの持ちネタだ。徹底的に行くに決まってんだろう。
『あの、銅葺きの屋根をきらめかせながら、校則をブッ飛ばしたりしてみたいんだ。屋根についてる鳳凰が羽根をパタパタさせるような仕掛けがあればサイコーだ。手に入れたなら、ぜひそんなギミックを搭載したいもんだ。そんな車が後ろから追い上げてきたら、きっとみんな道を譲りたくなるんじゃないかな?』
どいつもこいつも、ありえねーだろって顔をしてるんだ。ふふふ、俺様ともあろう男が、人並みの野望で満足してなるものか。
『いや、よく考えてみてくれよ。あの車なら、運転していて眠くなったら、後ろに乗せてる棺桶の中でぐっすり快適に眠れるぜ。夏の暑い盛りには、胸元にドライアイスでもおいておくといいぜ。きっと涼しく眠れるはずさ。他にも、現場について道具を持ち込むときだってきっと便利だぜ、あの棺桶に道具を一式ぎっしり入れておいて、現場に着いたら棺桶ごとストレッチャーに乗せて、運んでいくんだ。白い布とかかけてあったら最高だな。マンガみたいでいかすだろう。』
そういえば昔、棺桶を引きづって歩いてる漫画の登場人物を見たような記憶があるぜ。この辺に来ると、どいつもこいつもあきれ顔だ。まぁ、致し方ない。所詮奴らは人並みな発送と欲望しか持てない連中だ。十把ひとからげだ。そんなことでは大衆にうずもれてしまう。冗談じゃないぜ。
『とはいえ、あれは特注で、一台一台手作りだからな。なかなか個人じゃ持てないだろうな。カーセンサーにものってなさそうだしな。まぁ、人生一度は乗ることにはなるんだらかな。その時を待つとするか・・・』まぁ、そうすっるってと、大抵みんな呆れて休憩終了となるわけだ。休憩ばかりじゃ仕事は終わらんのだ。
親類の葬儀にて
しかし、俺の希望は生きてるうちに霊柩車を転がすことなんだがな。何度か真剣に葬儀会社で働こうかとも検討したことがあるが、やめた。あまりにノリノリでファンキーな葬儀屋なんて、誰だって嫌だろう?人間には向き不向きがあるってことさ。
この写真は、親類の少年が16歳の若さで死んだ時のもの。これからっていう若者が、死んでしまうことの理不尽さに、腹が立って仕方なかった。しかし、不幸はそれだけではとどまらなかった。その後、その少年のご両親は離婚し、父親も痩せ衰えた末に、首をつって死んでしまった。葬儀には、別れた奥さんはもちろん、死んだ少年の弟や妹すら来なかった。人生は時に残酷だ。しかし、人生とはそういうもんだ、残念ながら。
あの車に乗って、俺達は一体どこに行けるというのだろうか?火葬場?そんな即物的な答えなんか聴きたくもないぜ。もっと誌的な、宇宙を感じるような、肉体という監獄から解き放たれるような、心躍るような答えが聞きたいもんだ。とはいえ、それがもしあんまり素晴らしいと、自殺者年間3万人じゃ利かなくなっちまうだろうがな。
読者諸君、失礼する。どうぞ皆さん、健康には気を付けて、日野原センセーのように長生きしてくれたまえ。