2011/11/17

Post #369 写美に行ってきたんだ

今日は、仕事が空いたんで、東京都写真美術館、略して写美に行ってきたんだ。
もう一か月ほど恵比寿にいるというのに、一度も写美に足を向けてないってのは、俺にとって大きな問題だった。
しかし、その前に溜まりに溜まった洗濯物をコインランドリーで洗いまくり、さて、写美に行こうかなと思っていた矢先、急遽原宿の現場に行くことになったりもした。野暮用だ。人生の大半はそんな予定外の野暮用で彩られている。俺は現場で所要を済ませると、行きつけの中華料理屋、原宿の昭和軒で堅焼きそばを食って、もうなかなかに来る機会もないだろうカンジのイイお店のおじさんおばさんとの別れを惜しんだ。ココは、昔ながらのしょうゆ味のラーメンとかを食わしてくれる、気取らない店だ。とにかく作業服で言っても構わないような庶民の店なんだ。しかも、兄弟姉妹で店を営んでいるそうだが、おじさんやおばさんたちが若かったころの音楽が、いつも有線でかかっているんだ。俺はここで、レッド。ツェッペリンやパーラメントを聴きながら、ラーメン定食を食っていたんだ。俺には解かる密かな楽しみだ。ちなみに今日は70年ごろのスティービー・ワンダーを聴きながら、堅焼きそばを食ってたんだ。そりゃサイコーだよ。これがAKBだったら・・・。
Paris
こうして俺はゆったりとした気持ちで、原宿から渋谷を抜けて恵比寿の写美まで歩いて行ったんだ。
畠山直哉の写真展だけ見るつもりだったんだが、受付のおねーさんに、勧められるままに収蔵品展の『子供の情景 原風景を求めて』も見ることにした。俺は女の子に勧めr垂れると、大抵は断れない。いつか手痛い仕打ちに遭うんじゃないかって、憂慮しているのさ。まぁ、それはイイとして、二つ合わせて1050円。商売上手だねぇと言ったら、真面目そうなメガネのおねーさんがダブルピースして喜んでいたのが、心がほっとするような感じだった訳だ。
畠山直哉の『Natural Stories』は、予想通りよかった。炭鉱を撮った一連のシリーズや、爆破され、崩壊する建築物を連写し、さらに重機で解体されていく様子をたどったシリーズ。そして、俺が大好きな『ブラスト』シリーズ。ご存じの方も多いかと思うけれど、ブラストは鉱山での発破作業を、至近距離から連写で捉えた迫力のあるシリーズだ。これを特大のスクリーンでアニメーションのようにして見せてくれる展示もあって、これはかなりの迫力。まるで、自分自身がその現場に立ち会っているような衝撃だ。しかも、爆発による膨張が、最高潮に達したところで画面は一瞬不自然にブレイクする。この不自然さがたまらないぜ。必見だ。ちなみに、小ぶりな連続写真を壁一面に並べたブラストシリーズの前では、俺は一枚一枚を見るんじゃなくて、写真のほうを見ながら、走ってみてみた。自分が動くぱらぱら写真のようだ。
このほかにも、東日本大震災の情景を撮ったシリーズも、写真自体はちいさな判型だったったんだが、迫るものがある。聞けば、畠山直哉自身が東北の被災地の出身だそうだ。確かに、今、日本の写真家でこの現実を直視しないわけにはいかないだろう。
いずれにしても、画面の中に引きこまれるような写真展だ。12月4日まで。
そして、勧められるままに見ることにした収蔵品展『子供の情景 原風景を求めて』が、これまたよかったんだなぁ。さすがは写美。
木村伊兵衛、土門拳、田沼武能、長野重一、杵島隆、東松照明、森山大道、奈良原一高、植田正治、藤原新也、やなぎみわ、ユージン・スミス、ブレッソン、島尾伸三、吉田ルイ子、次から次にきりがないぜ。大抵はモノクロなんだけどね、それがまた俺にはたまらない。
なかでも、俺が一番嬉しかったのが、ムンカッチの1930年の傑作、『タンガニーカ湖の波にかけよる少年たち』とウィリアム・クラインの『ブルックリンのダンス』(これはクラインの傑作中の名作『ニューヨーク』の中におさめられてる奴だ)が見られたことだ。
ムンカッチの写真は、あまりにも有名だけれど、途轍もなく完璧な写真だ。きらめく陽光の中、一糸まとわぬ黒人の少年たちが、波の打ち寄せる湖を目指して、しなやかな獣のように疾走していく様を背後からとらえたものだが・・・、美しい写真だ。完璧だ。こんなものを持っているとは、写美侮りがたし。
これ見よがしにモノクロ写真ってのはどうのこうのと生半可なことを語り合っていた若い衆は、このムンカッチの写真を見て、『グロっ!』と抜かしていたが、この写真の良さも分からんようなボケは、肥溜めにでもかけよって飛び込んでろ!えっ、肥溜めなんて今時ねぇよなぁ。俺がガキの頃は、そこらへんにゴロゴロあったんだけど。よく、肥溜めに泳いでいるトノサマガエルを素手で捕まえようとして、オフクロにブッ飛ばされたもんだ。
そして、ウィリアム・クライン。ブルックリンのダンスって、10歳くらいの女の子が、おかしな踊りとも身振りともつかない変なポーズでおどけて写真におさまってる奴なんだけど、いや、このボケ感というのか(ポーズがではない。イマイチピントが甘いカンジで、しかも粒子が荒れているので、そうなっているわけだ)、表情すら定かでない画像が、細かな粒子に分解し、今にもハイキーで淡い風景の中に融解してしまいそうなそのカンジ、これは堪らない。
写真の好みはもちろん人それぞれだとは分かっているが、分かったうえでなお言おう!この良さがわからん奴は、その辺の道端でタコ踊りでも踊って暮らせや!

ああ、今日も言いたい放題だ。

で、写美の中のショップ、NADIFFで、フィリップ・フォレストによる評論『荒木経惟 つひのはてに』とかつて写美で行われたウィリアム・クラインの写真展の図録を買ってきたんだ。あぁ、仕事のことが頭をよぎらなけりゃ、イイ一日だったってことさ。
読者諸君、失礼する。明日も早いのさ。

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