2011/12/31

Post #414 31/Dec/2011

まったく今年は、いろいろあった一年だった。
思わずぎゃふんとのけぞるようなことばかりだった。
地震も、津波も、洪水もあった。原発事故もだ。そして、それは年が変わっても、決して過去のことにはなっていない。現在まさに進行している事ばかりだ。えらいこった。目を閉じて、現実逃避したくなる。しかし、目を閉じても、現実はそこにありつづける。
その一方で、ビン・ラーディン、カダフィ、金正日、ムバラク、ベルルスコーニ・・・、世界を賑わせてきたあくの強い連中が、あの世に行ったり、表舞台から退場したりもした。
Bruxelles
人類史上、大半の人間にとって、生きるのが容易だった時代なんかない。
そして、俺や君や彼らの送っている一日一日の集積が、人類の歴史を形作っている。
生きている限り、自分たちを取り巻く困難な状況から、逃げ出すことはできっこない。
自分の置かれた状況の中で、自分の力を振り絞って立ち向かうしかない。
せめて、今日よりマシな明日が来ることを信じて。
それを信じることは、現実逃避とは言わないと思うが、どーだろう?
今年よりマシな来年が来ることを信じて、みなさん、よいお年をお迎えください。
読者諸君、今年も一年、辛抱強くお付き合いくださり、どうもありがとう。

2011/12/30

Post #413 30/Dec/2011

『旅立つことが重要である。生きることは重要でない』
アイザック・ディネーセン

かねてから言ってた通り、俺は今日旅に出る。
自分の仕事の決算に欠かせない損益計算書も貸借対照表も今日やっつけた。今年のやるべきことはすべてやり遂げた。心残りは、大掃除をしていないことだけだ。まぁ、イイか。どうせ俺の家だ。誰からも文句は出ないさ。
きっとまた、現実逃避とか言われちまうんだろうな。
けど、言いたいやつには言わせておけばいいのさ。
臨済宗の開祖、臨済の言葉に『随所に主となる』というのがある。
自分自身がしっかりとしていれば、どこに行っても本質を見失うことが無いちゅうくらいの意味だ。
OK、自分自身をしっかりグリップしていれば、どこに行ったって、現実がついて回ることに気が付くだろう。
旅に出て、言葉も満足に通じない見知らぬ土地に行ってみると解るさ。自分の判断だけが頼りなんだ。ルーティンで済むことなど何もないんだぜ。もちろん、俺の旅行にはガイドなんかいないのさ。自分の見たもの、聴いたもの、漂うにおい、方向感覚、記憶、直感、それらだけが頼りなんだ。
どこに行ってもそこには、まだ見ぬ現実が待っているのさ。
いろんな考え方やご意見があるのは承知の上で、きっぱりと言わせてもらえば、この世界に生まれてきて、自分のまわりの小さな世界に閉じこもって、何も知らないままに年老いて死んでいくのは、ゴメンだ。世界には、この堅苦しくて息苦しい日本以外にも、いろんな国がある。楽園なんてないのは分かっているけれど、俺はこの目で見たい。そして、見てきたものをフィルムにおさめて、君たちにも見てもらうだけさ。
Bruxelles
待ってろよ、読者諸君。帰ってきたら、おいおいお見せすることができるだろう。入館でフィルムを没収されなかったらの話しだけどね。
読者諸君、失礼する。俺は今日、飛行機に乗って旅に出るのさ。御機嫌よう。

2011/12/28

Post #411 28/Dec/2011

Paris
この年の瀬のあわただしい時期に、民主党政権が、武器禁輸3原則の緩和を発表した。
日本は、平和憲法を持っているのに、武器輸出ですか。
戦争が終わって、何十年もの間、日本の名のもとに、世界の人々を殺してこなかったことは、誇るべきことだというのに。武器を売りとばして利益を得るのが、国民の意志なのか?
どうせ、兵器を扱ってる財界のお偉いさんからのリクエストにお応えしちゃったんだろう。
あいつらは金の為なら、国民を奴隷のようにこき使って、利益を生み出して恥じることのない奴らだ。海の向こうで、自分たちの作った兵器で、何にも知らない人たちが、貧乏で時代遅れの武器しか持ってないような連中が、バッタバッタとぶっ殺されても、平気の平左さ。なんてたって、奴らのところには、弾は飛んでこないんだからな。
そもそも人道目的に限ってとおっしゃるが、人道目的だろうがなんだろうが、人間を殺戮するための凶器にかわりはないんだろう?それに、一旦外に出てしまったものが、当初の目的以外に使用されないって保証はどこにもないんじゃないのかい?えっ、どうなんだい?
原発でさんざんひどい目に遭ってるのに、その原発を海外に売り込もうという、欺瞞偽善で悪臭ぷんぷんな政策と、どこか相通じてもいるようだ。どーだろう?
民主党が、とんでもない反動保守だということが、よくわかったぜ。
まるで、かつて自衛隊合憲とぺろりと言っちまった旧社会党の村山富一政権みたいだ。
俺はいつだって共産党か社民党に入れてるんだがな。
かといって、自民党がイイわけじゃない。五十歩百歩だ。
この社会で、正義と理想を実現できるのは、政治しかないというのに、いつだって正義は踏みにじられ、理想は脇に追いやられる。それも、当の政治屋さんたち自身によってだ。
俺は、奴らの片棒を担ぐのは、ゴメンだ。
FUCK OFF! だ。
読者諸君、失礼する。久々に俺はムカついているんだ。黙ってなんていられないぜ。

2011/12/26

Post #409 26/Dec/2011

昨日一日中、帳簿をつけたり、年賀状を作ったりしていたら、すっかり目が疲れてしまった。
しかし、今年も年賀状は傑作だ。眼精疲労で頭まで痛くした甲斐があったってもんだ。
窓の外は、雪だ。寒くてやってられないぜ。
Paris
読者諸君、失礼する。

2011/12/25

Post #408 25/Dec/2011

クリスマスは、フランス語でNoȅl。
奇しくも、クリスマスなんか大嫌いだと公言してはばからない、Noel Gallagherのファーストネームと同じ発音だ。
Paris
今年リリースされたCDの中で、俺が最も気に入っているのは、このノエル・ギャラガーのソロ第一作、“Noel Gallagher's High Flying Birds”だ。買ってから、ほぼ毎日のように聞いている。ソロになっても、相変わらずオアシスなのか、オアシスとはそもそも、ノエルのことだったのかと言いたくなるほど。ロックミュージシャンになって成功するっていう、イギリスのロック少年の夢をそのまま体現したようなノエル・ギャラガー。その音楽には、イギリスの50年以上に及ぶロックの歴史が蓄積していることを感じるんだ。
読者諸君、メリークリスマス。

2011/12/24

Post #407 24/Dec/2011

今日はクリスマスイブだ。しかし、うちは長年仏教徒だからってことで、毎年このイベントはスルーなのさ。
Paris
俺は、バリバリの浄土真宗なのさ。なんてったって、善人よりも悪人のほうが救われやすいってんだから、たまらないぜ。

2011/12/23

Post #406 23/Dec/2011

今日も今日とて、気の合う野郎どもとひと仕事片付け、その後で一年の感謝をこめて、ささやかに焼肉を食いまくる。うむ、これまた痛風が心配になってくるってもんだ。
Paris

2011/12/22

Post #405 22/Dec/2011

結局、客先の忘年会に出席し、笑い転げて、頭の血管が切れるかと思った。しこたまビールを飲んだからな、痛風の発作が心配だ。人生黒ひげ危機一発だ。
Bruxelles

2011/12/13

Post #396 投稿に対する批判

本日の投稿に対して、次のような批判的なコメントをお寄せいただきました。
一度は、スパムとして処理したのですが、改めて、以下に全文掲載させて頂き、反省の材料としたいと考えております。

『旅→ただの現実逃避
 くだらない仕事→そう思うならさっさと辞めてしまえ
そこで働いてる人にたいする冒涜だ
忘年会→これは一番大事な行事だ 社会人なら100%はずせない


 総括
あなた終わってるよ
ブログでさんざん俺のこと叩いておきながら
失礼 無礼きわまりない
以上』

本当はこの後に、コメントを下さった方の会社名とお名前が入っていたのですが、あまりに忍びないので、削除したうえで掲載させて頂きました。
もちろん、会社名と実名を入れていただいているというのは、実生活の上でも、事実上の絶縁宣言であると、重く受け止めております。

いろんな考え方があるのは承知しておりますが、未だかつて、これほどの批判にさらされたことはなかったかと思います。
これに関して、逐一反論することは可能ですが、それはこの方のお怒りを和らげることにはならないでしょうから、一切反論することなく、この批判を甘受することと致します。

おそらくこちらの方は、終わってる人間のブログには、もうおいでになることもないとは思いますが、ご不快な思いをさせてしまいましたことを、心より陳謝いたします。

自分自身にも至らないところがあり、熟慮の上勢いに任せて書き飛ばしている日々のブログで、不快感を感じて見える方も、明らかにおいでになるということを再認識させて頂きました。ご指導ご鞭撻、有難く頂戴いたします。

最後に、この方は、仕事上のお付き合いもある方ですし、よい友人だと考えておりましたので、重ね重ね残念です。

Post #395 13/Dec/2011

注文していたフィルムが届いたと、行きつけのカメラ屋さんから連絡が入った。KodakのTX-400だ。モノクロ写真はやはりこれでなければね。本当はイルフォードでもフジでも、モノクロフィルムならなんでもイイんだけれど、あの黄色いパッケージ、そして今日まで、実に多くの名作傑作が、このトライXで撮影されてきたってことを思うと、こいつがしこたまなければ、何も始まらないと思うのさ。そう、ぐっとやる気が出るのさ。
そそくさと仕事を終えると、さっさとスーツを脱ぎ捨てて、銀行に向かい、真新しい札を引き出しては、マネークリップに挟み、無造作にポケットにねじ込む。財布なんて野暮ったいもんは持っちゃいないさ。以前、バルセロナの地下鉄で、スリに財布を盗まれてから、小銭は小銭入れ、札はマネークリップ、カードは名刺入れと、分散している俺なのさ。そう、リスク管理という奴だ。しかし、そんなことは今はイイ。車のアクセルを踏み、まっすぐカメラ屋に向かうのさ。
カメラ屋で支払いを済ませて、フィルムを受け取ると、まとまった本数のフィルムは、結構かさばるもんだと改めて実感したぜ。今時のデジカメならば、SDカードが1枚か2枚あれば充分なんだろう。便利なもんだ。結構なこった。しかし、俺は自分の流儀を貫くんだ。セバスチャン・サルガド大先生も、デジタルカメラは、せっかく撮った写真が、万が一の操作ミスですべて消えてしまう恐れがあるから使いたくないって言っていたのを、どこかで読んだ記憶がある。
そう、フィルムカメラこそ、写真の保守本流なのさ。正統派なのさ。
さっそく、家に持ち帰り、今回のために先日買っておいたNORTH FACEのメッセンジャーバックの中に入れてみた。ぴったりだ。この中には既に、コンタックスTVSが一台、飛行機のEチケットや、ホテルのバウチャー、パスポート、それに以前アムステルダムで買ったステッドラーの油性ペンも入っている。フィルムのパトローネに、日付を入れるのに、油性ペンは必需品なんだ。
そう、もういつだって出撃可能なんだ。あとは、愛用のサムソナイトに着替えを詰め込めば、何時だって旅に出ることができるんだ。なんてったって、俺は旅慣れているからな。旅の準備はいつだってあっという間に完了だ。本当に必要なモノさえあれば、何時でもOKなんだ。俺の場合は、カメラとフィルムとパスポート。そして、ほんの少しの金くらいさ。これだけあれば、世界中どこにだって行けるさ。
カメラバックなんて肩の凝るものは、今回は持っていかないぜ。なにしろ、今回の行先はモロッコだ。モロッコにはカメラは一人2台しか持ち込めないんだ。前にも書いた通り、俺はデカい一眼レフなんか持っていく気はないんだ。使い方ももう忘れちまったくらいだ。小さなコンパクトカメラを2台持っていくだけだ。レンズ交換なんてまどろっこしいことはしないぜ。そんなことしてる間に、シャッターチャンスは過ぎ去ってしまい、二度とふたたび廻っちゃ来ないんだ。どんな強打者だって、ボールがキャッチャーミットに収まってから、バットをどれだけスイングしてみたところで、空振ることしか出来やしないのさ。そうさ、大きく撮りたきゃ走って近づき、広く撮りたきゃバックするのさ。気持ちのズームって奴だ。そういや、天才アラーキーもそんなこと言ってたっけ。
だから、手荷物はメッセンジャーバック一つっきりさ。なかには、フィルムがみっしりぶち込まれてる。どうだい、旅慣れてる感じがむんむんするだろう。俺は時代に逆行することで、前に進むのさ。
Paris
いいかい諸君、俺は毎日の退屈な仕事にうんざりしてるんだ。せめて、濡れ手に粟の勢いでどっかんどっかん儲かるんなら、我慢もできるってもんだが、残念ながら人生はそんなに甘くはないんだ。社会の底辺から少し上くらいで、落穂ひろいの様につましく稼いでいくしかないのさ。
だからこそ、俺はさっさと旅の準備を済ましちまったんだ。あとは旅立つだけだ。何時でもGo!だ。まさにスタンバイOKだ。待ってろよ、もう少しの辛抱だ。今年はくだらない忘年会はお断りしよう。旅の軍資金が目減りしちまうぜ。どうせ、むさくるしい男どもが、酒の勢いでやたらと気勢を上げてるだけの虚しいものさ。年末年始の親戚の集まりも、日本にいないからぶっちぎりだ。お年玉をバラまかなくて済むってもんだ。
そう、なんと言っても今度の旅はモロッコだ。マラケッシュだ、フェズだ、カサブランカだ。アフリカ大陸だ。俺は遠足を控えた子供のようにウキウキしてるんだ。お菓子の代わりにしこたまフィルムを詰め込んで、俺は旅に出るのさ。君たちに、素敵な写真を見せびらかしてやりたいんだ。
読者諸君、失礼する。もういくつ寝ると、お正月さ。俺の新年は、君達より9時間ほど遅れて、遠い北アフリカはモロッコで迎えることになるだろう。まったく待ち切れないぜ。

2011/12/12

Post #394 12/Dec/2011

朝、起きて開口一番、今日は何して遊ぼうかななんて、子供から学校をとったようなことを口にしながら、結局、これということもせず、一日が無為に終わってしまった。まるで、冬眠するケモノのように、いくらでも眠ることができるのさ。
久しぶりに知り合いの女性から連絡があって、このしょうもないブログを読んでくれているっていうんだ。ブログを読んでくれているのもうれしいが、女性から連絡があるってのが、これまた何って訳じゃないけれど、心がときめく男の性さ。
ありがとう、Yさん。懐かしい君の為にも、オジサン頑張っちゃうぜ。
Paris
本日、暇潰しに近所の本屋に行き、スーザン・ソンタグの歴史的名著『写真論』(近藤耕人訳 晶文社刊)を購入。まだ一章読んだだけなんだけど、写真についての考察が、恐ろしく深い。一章よんだだけでも、写真に関して、さまざまな考察が行われている。もちろん、誰か特定の写真家の撮った写真に対する評論ではない。いわゆる写真全般に関する論が展開されているんだが、なるほど、これは『写真とは何か』についての記念碑的な書物だと納得したぜ。
そこでいつものように、引用してみよう。
『・・・(前略)・・・、写真をとる行為にはなにか略奪的なものがある。人びとを撮影するということは、彼らを自分では決して見ることがないふうに見ることによって、また自分では決して持つことのない知識を彼らについてもつことによって、彼らを犯すことである。それは人々を象徴的に所有できるような対象物に変えてしまう。ちょうどカメラが銃の昇華であるのと同じで、だれかを撮影することは昇華された殺人、悲しげでおびえた時代にはふさわしい、ソフトな殺人なのである。・・・(以下略)』
ふむ、なるほどね。この事自体は、俺も自分で常日頃から意識していたことなんだけどね。その感覚は、写真を撮ることの持つ、ある種のうしろめたさに裏打ちされている。
俺が写真を撮って歩いていると、オマワリによく職務質問されたり、時には自分が写されたと思いこんだ女性や黒人男性から、抗議されたりする原因の根源は、どうやらこのあたりにありそうだ。だとしたら、それで生計を立てているかどうかにかかわらず、警察によって職務質問されたり、被写体とされたと感じた人々から抗議されることによって、俺は本当にフォトグラファー=カメラを持った略奪者だと周囲から認知されたってことにならないかい?イイね、調子にのっちゃうよ。

そう、カメラを持ったソフトな殺人者。それが俺なのさ。

しかし、その一方で写真によって、消え去りゆく景色やいずれは死にゆく定めの人々を、無情な忘却と、無差別な破壊から、救っているようにも感じているんだけれど。

そう、カメラを持った無力な救済者。それが私です。

読者諸君、そろそろ眠くなってきた。失礼させてもらうぜ。殺人者だろうが、救済者だろうが、どっちだってかまやしないさ。俺が写真を撮り続けることに、何の変りもないんだからな。
では御機嫌よう。また会おう。

2011/12/11

Post #393 11/Dec/2011

本日、プリント22枚。やっとブリュッセルが終わり、すでに仕上げていたパリにつながった。
12月はもっとヒマを持て余して、毎日のようにプリントしてるはずだったのに・・・。なかなか小忙しくてね、プリントすることができないんだ。
Bruxelles
まだ、去年のトルコの写真だって残ってるし、去年の秋に出張で大阪に行っていた時の写真だってまだだ。当然のように、この秋に東京に出張していた時の写真もまだ一枚も手を付けちゃいない。
デジタルが手軽なのはわかってるんですがね、俺はモノクロ自家プリント以外は、あまり興味が無いんだ。悪いねぇ。
読者諸君、失礼する。冬場のプリントは、特にプリントの最終工程である冷水での水洗が、気が乗らないというか、堪えますね、身体に。

2011/12/10

Post #392 10/Dec/2011

健康診断に行ってきた。ウェストは6センチ太くなって76センチ。去年がやつれ果てていたのだ。視力が下がっていた。0.6と0.7だ。おまけに老眼+1で、なおかつ乱視だ。まったく何でも来いだ。
きっとパソコンのやり過ぎだろう。もっとずばりと言えば、ブログの書き過ぎだ。
仕方ない。そのうちイカしたメガネでも選んでみることにしよう。写真に差し障りが出るのは困るからな。どうにも最近、女の子がべっぴんさんかどうか、目を凝らさないと判別できなくなってきたんだ。これは実に大きな問題なんだ。写真には、イイ目が欠かせないからな。それに何より俺はセンスのイイ、おしれな女の子を眺めるのが、何より好きなんだ。俺は女性こそ、神様のお造りになられた最高に美しいものだと確信している。それに比べて、男はなんだ、こう言っちゃなんだが、残り物でテキトーに捏ね上げたんじゃないかって思えてくるぜ。
Bruxelles
俺はまだまだ写真を撮って楽しんでいたいからな。
というか、他にそれほど楽しいと思えることもない。少し大げさに言えば、世界そのものに向き合い、その断片をフィルムにおさめていると、そしてカットを選び、プリントしていると、自分自身が世界の一部分だとわかる気がする。
面白いことは、細部に宿る。その面白さを見い出すためには、いい目が必要だろう。
今日の写真も、俺は結構面白がって撮ったんだ。なかなかにユーモラスだ。しかも、少し品がない。君にもそんなユーモアを共有してもらえるとイイんだが・・・。俺は笑うことも結構好きなんだ。むしろどっかんどっかんと君たちを笑わせてみたいんだ。それが無理でも、せめてニヤリとさせてみたいんだ。
ユーモアが大切だ。僕らの間にはね。この暗いニュースばかりの世の中には。
そのためにも、目を大切にしないとね。何といっても、写真は目が命なのさ。だから、ブログにしょうもないことばかり書き散らしては、自己満足していてはいけない。風呂に入って眠るとするぜ。
そんなわけで読者諸君、失礼する。寒くてどうにもいけないぜ。

2011/12/09

Post #391 09/Dec/2011

Bruxelles
彼女は、恋人が地下鉄に乗って帰ってくるのを待っていたんだ。
読者諸君、失礼する。今日は健康診断なんだ。

2011/12/08

Post #390 08/Dec/2011

70年前の今日、日本はアメリカと戦争をはじめた。
無謀な戦争だったにもかかわらず、国民は熱狂的に支持した。あの無頼派太宰治ですら、その日のことを緊張した筆致で記している。
おかげさんで、日本人だけで300万人の人間が死ぬことになった訳だ。
平和ボケで結構だと思うぜ。
お国のためにとか言って、人殺しになったり、ぶっ殺されたりするのはゴメンだ。
だからいつも、世間の皆さんが熱くなってるようなことには、どうしても胡散臭いものを感じるんだ。
一歩引いて、自分の頭で考えるようにしてるんだ。自分のことにはすぐ熱くなっちまうんだけどね。
Bruxelles
しかし、今にして思えば、つくづく馬鹿なことをしたもんだ。
せめて俺達は憲法9条を大切にしなけりゃな。死んでいった皆さんに、顔向けできないぜ。
読者諸君、失礼する。

2011/12/07

Post #389 07/Dec/2011

俺はほとんどTVは見ないんだけれど、NHKのニュースくらいは見てるんだ。
しかし、ビックニュースで始まるときは、大抵酷いことが世の中で起こっている。
そうじゃない時には、取るに足らない、どうでもいいようなくだらないニュース。
Bruxelles
出口の見えない不況に、言葉すら失うような災害。
目を覆うような犯罪に、愚かしい政治家たちの振る舞い。
ギャンブルのような資本の流れに翻弄される人々と、世界に今日も降り注ぐ放射能。
取り返しのつかない環境破壊と、消耗品の様に扱われる労働者たち。
終わることのないテロと、報道されない戦争。

世界のどこかで、今日も幼い命が、虫けらのように失われている。
医学の進歩によって死ぬことすら許されない老人たちが、虚しく天井を眺めている。
そして、彼らの命をつなぐために、税金は上がり続け、国の借金は増え続けていく。
若者は何に希望を見い出したらいいんだろうか?
名もない絶望者が自らの人生の幕を降ろす時、電車停まり、疲れ切った人々は家路を辿ることすらできない。

俺たちを取り巻く世界は、何時からか、とんでもない悪意に満ちているようだ。
酷いニュースも、くだらないニュースももう見たくないってのが、正直な気分だ。

しかし、チャンネルを変えて、バカげたバラエティー番組を見る気にもならないぜ。
上っ面の馬鹿笑いでは、俺たちの上にタレこめる雲を払うことなんて出来ないんだ。
それとも、俺たちがそんなに間抜けで単細胞だと、奴らはタカをくくってやがるのか?

TVのスイッチを切ったところで、それらの不幸や災厄が、この世界から消えるわけでもない。
何故なら、そのほとんどは、俺たち人間自身の問題だから。
だから、目を背けるわけにもいかない。

明るいニュースが欲しいんだ。穏やかで明るい暮らしがしたいんだ。
世界を悪くすることも、よくすることも、俺達一人一人の人間にかかってるんだから。
だから、目を背けるわけにはいかない。

読者諸君、失礼する。今日よりマシな明日が来ることを、俺は願ってる。

2011/12/06

Post #388 06/Dec/2011

Bruxelles
病院送りになっていた愛機・CONTAX T3が戻ってきた。およそ一か月ぶりだ。
その代りに、一葉さんと諭吉さんが、俺のもとから旅立っていった。まったく、この世の中は、すべからく等価交換だ。
出来ることなら、カメラにも健康保険があって欲しいものだ。今回の様に何かあると、俺の懐は大いに痛み、そのショックで俺自身が病院送りになりかねん。うむ、やはりカメラは、とりわけ今はもう製造されていないフィルムカメラは、大切に労わりながら、ガンガン酷使してやらなけりゃいけないってことだ。一見、相反するようだが、カメラは使わなければ意味がない。どんな銘レンズも、磨いてあるだけでは意味がないんだ。酷使されてこそ、カメラも本望ってもんだろう。使われないカメラなんて、弦の無いギターのようなもんさ。
読者諸君、失礼する。また会おう。

2011/12/05

Post #387 05/Dec/2011

Bruxelles
昨夜遅く、中平卓馬の写真集“ADIEU A X”を見ていた。『あばよ、X』といった意味だ。
巻末に中平自身の手による『撮影行為の自己変革に関して』という一文が載っている。これを読むのが好きだ。ご存じの方も多いかと思うが、70年代末、中平は昏倒し、記憶喪失に陥った。一時は日本語も忘れてしまったほどであった。中平の華麗な文体は失われてしまった。この文章は、それ以降のものではあるが、写真に関して、根源的な事を語ってなお余りある。
どの部分も考えさせられるが、試みに一文を引用してみよう。
『私、毎夕刻からフィルムを現像し上げ、水洗し、乾燥し上ったフィルムを凝視し、選出し、それから作品を造り上げています。私、それらの作品を見直してみると、とても変わった、奇妙な精神的ショックさえ、感じ続けています。だが、私、そのこと自体を考え始めると、写真と言うものは、他のほとんど全てとは異なり、写真は、写真だけの、独特な、奇妙な力を持っていることに気づきました。写真作品、またその前の撮影行為とは、この社会、諸姿の模写で在るにすぎないのだ。しかし、それを端的にやって行くことによって、この社会をあらわにさせることが、可能なのだ。その一点に、私も意欲的に参加することを決めている、のです』(河出書房新社 ADIEU A X より)
中平卓馬の決意に倣いたいものです。
世界の断片たる映像を拾い集め、集積させることで、この社会そのものを現すことができたなら・・・。この世界を再構成することができたなら・・・。
それは、私自身の見果てぬ夢でもあります。
読者諸君、失礼する。

2011/12/04

Post #386 04/Dec/2011

久々に美容院に行き、髪を切る。とはいえ相変わらずのモジャモジャ頭さ。
帰り道、白戸三平のカムイ外伝を2冊、コンビニで買い求め、一挙読了。
抜け忍のカムイが、執拗に迫りくる追手と死闘を繰り広げながら、あての無い旅を続けるカムイ外伝を読むと、かつて若い頃、ある組織を抜け、必死の思いで逃亡したあの寒い朝を思い出すのだ。
追手との遭遇に怯えて、ネズミのように引き籠っていた、辛い日々を思い出すのだ。
そして何時しか、もしも組織の追手と遭遇したならば、殺られる前に殺ると腹を括った日のことを、仕留められなくても、必ず相打ちにしてやると、暗い覚悟を決めた日のことを思い出して、切なくなるのだ。
それまで信じていたモノをかなぐり捨て、それまで仲間と思っていた者達を、自分の命を狙う敵と定めた若い日を思い出すのだ。
あの日以来、俺はどんな組織も信用してはいない。
そう、小は零細企業から、大は国家まで一切信用しない。何故なら、組織というものは、組織自身を維持するために、個々の人間のささやかな幸せや夢や自由を踏みにじることなど、何とも思っちゃいないからだ。組織に属していた頃、俺はある意味で、あらゆる価値観が転倒した、狂った世界で生きていたのだ。
Bruxelles
あれから、随分と月日が経った。
幸い、俺はカムイの様に、独りあてもなく彷徨うこともなかった。命を狙う追手に遭遇することもなかった。おかげで、決して裕福ではないが、ささやかながらも平穏な暮らしを続けている。
こんな事を書いても、読者諸君には解からないだろうが、あの頃のことを思うと、正直言って今の平穏な暮らしが幻のように感じる。
いつか、その気になったなら、書く事もあるだろう。しかし、書いたところで誰も信じてはくれないだろうな。我ながらなかなかに面白い人生を送ってきたものさ。
読者諸君、失礼する。
俺のことをマンガの読み過ぎだと思ってくれても、構わないぜ。
けれど、せめて君たちだけには、信じて欲しいもんだな。

2011/12/03

Post #385 03/Dec/2011

Bruxelles
最近、俺はお喋りにうんざりしているんだ。
キース・リチャーズのソロアルバムにも“Talk Is Cheap”ってのが、あったけな。
Ok、つまりは沈黙は金だ。饒舌は銀だ。
俺の落とした斧は、金の斧か、銀の斧か。よく考えてみようじゃないか。
読者諸君、よい週末を送ってくれ給え。失礼する。

2011/12/02

Post #384 02/Dec/2011

Bruxelles
トレンチコートは、第一次世界大戦の際に、塹壕、つまりトレンチで闘うために考案されました。
ベルギーは、フランスとドイツの激突する激戦地で国中に塹壕が張り巡らされて、戦車が、毒ガスが、戦闘機が、人類史上初めて投入されました。
その戦没者を悼む戦没者記念塔です。我が国のサラリーマンのおじさんの着こなしとは、ずいぶん違うものだなぁと、感心してます。やっぱり、トレンチコートはキリリと着こなして欲しいものです。
あぁ、アクアスキュータムとかグレンフェルなんかの、上等なトレンチコートが欲しいもんです。キリリとベルトを締めて、ミリタリーな雰囲気をムンムン漂わせたいもんだ。
読者諸君、ご機嫌よう。失礼する。

2011/12/01

Post #383 01/Dec/2011

Bruxelles
あの時、猫は窓の中からじっと俺を見ていたんだ。
読者諸君、失礼する。