2011/12/05

Post #387 05/Dec/2011

Bruxelles
昨夜遅く、中平卓馬の写真集“ADIEU A X”を見ていた。『あばよ、X』といった意味だ。
巻末に中平自身の手による『撮影行為の自己変革に関して』という一文が載っている。これを読むのが好きだ。ご存じの方も多いかと思うが、70年代末、中平は昏倒し、記憶喪失に陥った。一時は日本語も忘れてしまったほどであった。中平の華麗な文体は失われてしまった。この文章は、それ以降のものではあるが、写真に関して、根源的な事を語ってなお余りある。
どの部分も考えさせられるが、試みに一文を引用してみよう。
『私、毎夕刻からフィルムを現像し上げ、水洗し、乾燥し上ったフィルムを凝視し、選出し、それから作品を造り上げています。私、それらの作品を見直してみると、とても変わった、奇妙な精神的ショックさえ、感じ続けています。だが、私、そのこと自体を考え始めると、写真と言うものは、他のほとんど全てとは異なり、写真は、写真だけの、独特な、奇妙な力を持っていることに気づきました。写真作品、またその前の撮影行為とは、この社会、諸姿の模写で在るにすぎないのだ。しかし、それを端的にやって行くことによって、この社会をあらわにさせることが、可能なのだ。その一点に、私も意欲的に参加することを決めている、のです』(河出書房新社 ADIEU A X より)
中平卓馬の決意に倣いたいものです。
世界の断片たる映像を拾い集め、集積させることで、この社会そのものを現すことができたなら・・・。この世界を再構成することができたなら・・・。
それは、私自身の見果てぬ夢でもあります。
読者諸君、失礼する。

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