2012/01/15

Post #429 Photographica #11

モロッコのラバトには、一泊しただけだったんだが、その宿のラウンジにスティーブ・マッカリーの『South Southeast』(2000年 Phaidon 刊)が何気なく置いてあった。この写真集は、以前からなかなかに気になってはいたんだ。スティーブ・マッカリーのベスト盤みたいな位置づけだ。
やはり、イイ。素晴らしい。俺は帰国して早々に、アマゾンにオーダーして購入してしまった。金もないのに、ご苦労さんなこった。
Steve McCurry "South Southeast" Rabat,Morocco
この写真集には、数十年もの間、何十回とインドに赴き、写真を撮り続けてきたマッカリーのキャリアの中から90年台を中心に選りすぐった60枚余りの写真が、大判の判型でおさめられている。
インド、アフガニスタン、ビルマ、チベット、カンボジア、パキスタン、スリランカ、タイ等で撮影された写真には、誰もが目にしたことのあるものも多い。
緑色の壁を背にして、赤褐色のスカーフを身につけて、青い瞳でレンズを見据えるパキスタンの少女。
インド洋の荒波の中、海面に立てた竿の上に絶妙のバランス感覚で座り、釣りをするスリランカの男たち。
ボンベイの少年は、顔も服も何かの祭儀の為だろう、真っ赤に染まったままで強い視線をレンズに向けている。
どれも力強く、何かを訴えかけてくるような写真だ。写真そのものに、視る者を惹きつける強度が溢れている。
それだけではない。駱駝の前で、少年に何かを教え諭しているようなターバンの老人。
瓦礫の中で、薄汚れた布で鼻と口、そして頭を覆った少年は、ゴーグルを額にあげ、どこか憎しみをたぎらせたような眼差しでレンズを見つめる。
若いころの高橋幸弘を思い起こさせるパキスタンの青年は、ターバンを巻いた顔をまっすぐこちらに目を向ける。それはどこか威厳を感じさせるほどの視線の強さだ。
薄暗い寺院で礼拝する人々には、窓から光が差し込み、あたかも敬虔な者たちに対する神の恩寵のようにも見える。
カンボジアの母と子は、ハンモックの上で安らかにまどろんでいる。そしてその下には、3メートルほどはありそうな蛇がいるのが見えるだろう。
全編、美しい色彩に幻惑される。
空はどこまでも青く、女たちが身に纏う民族衣装は鮮やかな赤や黄色。子供たちが売る花々は、暗い画面の中に、自ら光を放っているように鮮やかに輝く。
そして、やらせじゃないかと思いたくなるほどの、完璧な構図。
表紙にもなっている、インドも街角で撮られたと思しき一枚が、この写真集のエッセンスといってもいいだろう。
雨の中、赤いチャドルをまとった少女が、幼い兄弟を抱いて、車の窓にすがりついている。
おそらくは物乞いだろう。途上国に行くと、こういった場面にはしばしば遭遇し、同情とも、憐憫とも言えないような、どこかやましさを感じもする。つまり、どきりとするのだ。
暗い車の中、後部座席から写真家はシャッターをきる。幼い子供の視線が、レンズを通して、私たちに何かを語りかける。それが何かは、この写真を見るひとりひとりの中に内在するものだろう。
日本に、そして多くの先進諸国に暮らす我々からすると圧倒的に貧しい人々だが、その人生は決して貧しくみじめなだけのものではなく、我々と何ら変わらず、喜びと悲しみによって鮮やかに彩られていることを、そして、彼らの多くがレンズを通して私たちを見据える眼差しには、精一杯生きているニンゲンの持つ威厳を、この写真集から読み取ることは、深読みのし過ぎではないと思うが、如何なものだろう。

もちろん、写真は貧しさに苦しむ人々を、決して救済したりはしない。
神様が貧しさに苦しみ人々を決して救ってはくれないように。
ただ、かつて、その人はそこにいたということしか、写真は語ってはくれないのだ。
そう、写真集は道徳の教科書ではないのだから。
光と影、生きることの厳しさと、それが故の安らぎと喜び。
それら全てが描き出す、美しくエキゾチックなイメージ。
コンクリートとアスファルトとガラスに覆われた世界以外にも、ツンと鼻を刺す香辛料や羊の肉の焼けるような香り、むせ返るような花の香り、土のにおい、頬をなでる砂交じりの風、そんなリアルな感覚を伴った世界があることを、思い知ればいいのだ。そして、俺は、自分の暮らす世界と、どこかでつながっていながらも隔絶したこの世界が、この同じ地球の上にあることを知り、どちらが現実的なのか、ふと、考え込んでしまう。
そう、私たちは、この写真集を眺めて、自分の知らない世界に思いを馳せるだけでイイのだ。
そう、世界は美しいと。

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