2012/02/29

Post #474 29/Feb/2012

心のなかで、百万回生きた猫が宙返りしながら、ばっからしくって!といってる姿が、エンドレスで浮かんでいます。ホントー何もかも、底抜けにバカらしくって、今すぐ家に帰ってふて寝したくなります。
Paris

2012/02/28

Post #473 28/Feb/2012


Bruxelles
いやぁ、終わりが見えい仕事だったが、なんとか終わりが見えて来た。
しばし家に帰ってシャワーを浴びて、新聞を見てみると実に興味津々な記事が載っていた。
アメリカで行われた研究によると、社会的地位や富を持っているニンゲンのほうが、自らの利益のためにイカサマをすることに抵抗がないということだ。やっぱりなぁ。
しかも、ベンツなんかに代表される高級車に乗った金持ちほど、歩行者に道を譲らず、信号無視をしたり、スピード違反したりする傾向が強いそうだ。やっぱりなぁ。
いつもベンツやレクサス、BMWに乗ってる奴らの傍若無人ぶりには、憤慨してきた。大学で研究しなくても、誰でも知ってることさ。金持ちは他人に依存する度合いが低いので、他人に配慮する必要を感じないんだそうだ。やっぱりなぁ。
そういう奴らのことをズバリ言い表すイイ言葉がある。
それは『成金』だ。これを英訳すると、君たちの大好きなセレブってことになるんだ。知ってたかい?成金なんだよ、成金!
ビンボー人をゴミくらいにしか思ってない成金の皆様に、ビンボーな俺から、素敵な言葉を送ろう
稔る程、こうべを垂れる、稲穂かな
失礼する。俺は働けど働けど、ビンボーだ。イエス様の好みのタイプの野郎なのさ。

2012/02/27

Post #472 27/Feb/2012


Amsterdam
夜明け前の路上に停めた車の中で、朝が来るのを待っている。冷たい風が吹いて、体温を奪いさっていくばかりだ。段ボールの粗末な家じゃ凍えて死んでしまうことだろう。俺は車の中に閉じ籠り、エンジンを回して暖を取る。今夜も家には帰れそうにないんだ。帰ることは出来ても、朝の仕事には間に合わないだろうよ。ひとたび布団に潜り込んだら、連日連夜の仕事の疲れで、容易くそこから這い出す事は出来ないだろう。だから、路上で眠るのさ。地球温暖化なんか気にしちゃいられないんだ。ハイオクガソリンを燃やして、ヒーターをぶん回すんだよ!なに、この寒さだ、ちょっとばかり温暖化してほしいってのが、今の俺の偽らざる心境だ…。
むにゃむにゃ…
あっという間に目が覚めた。もう、こんな時間かよ。タイムトラベルしたんじゃないよな?
読者諸君、失礼する。
これから仕事だ。そろそろうんざりさ。

2012/02/26

Post #471 26/Feb/2012


Bruxelles
昨日は  現場の  なかで  ねた
とRCサクセションの名曲スローバラードのパロディのような暮らしぶりだ。
ただ、残念ながら、スローバラードと大きく違うのは、手を繋いで、ひとつの毛布にくるまるような女の子は、どこにもいなかったってことだ。
残念だ。ただただ残念な人生だ。
読者諸君、また会おう。俺は今宵も現場で眠ることになるだろうよ。

2012/02/25

Post #470 25/Feb/2012

睡眠不足で働き続けると、頭の中が白い靄で覆われていくような感覚で、まったく思考能力が低下してしまいます。
働き過ぎは、正常な思考能力や判断力を奪いさってしまいます。奴隷のような塩梅です。
せめて、ユーモアくらいは失なわず、ヘラヘラ笑って仕事がしたいものです。
イノベーションとか言って技術が進めば、余暇が増え、人間の生活にユトリが生まれるという寝言をしばしば耳にします。
Amsterdam
しかし、実際には、本来ニンゲン様に奉仕するための技術によって、仕事時間は短縮されるどころか、圧縮され、単位時間あたりの作業量が増大し、余暇なんか産み出されることなんかありません。携帯電話は便利ですが、本当に自由なプライベートな時間は、これによって失われてしまいました。僕ら鎖に繋がれた奴隷のような有り様です。時折、発作的に携帯電話を投げ棄ててしまいたくなります。
それどころか、余暇と称して僕らに与えられるものは、ネットやテレビや携帯ゲーム、或いは新奇な、つまりコストの掛かるレディメードの商品ばかり。まさに消費者が間断なく資源を消費し、自らを消耗させている有り様です。その影で誰かが莫大な利益を得ているわけです。
ビンボーな国の人々は、そこそこにしか働かず、貧しいけれども、僕らのような高度に発達した世界に生きてる者共よりも、遥かに生きる事を楽しんでいるよーに見えます。もちろん、快適便利で高コストな生活に慣れた僕らには計り知れない、ストレートな貧しさに起因する様々な問題があることは間違いないのですが、有史以前から今迄に、ニンゲンの暮らしが安逸安泰だった事などありません。僕らにとって、一体何がホントーに幸せなのか、仕事をサボって考えてみるヒツヨーがあります。
折からの雨で、寒さも緩み、じきに梅が咲くでしょう。そのあとには木蓮が、桜が、桃が次々と花を咲かせていくことでしょう。
糞忌々しい携帯電話の電源を落とし、身近な人とノンビリのほほんと花を眺めて、鳥のさえずりを聞く。
そういうのが、本当の余暇と言うもんじゃないかね?どーだろーか?
失礼する。そんなことを切望しつつも、仕事は絶望的にのし掛かってくる。まったく、息つくヒマもありゃしない。俺にとって、労働は刑罰のようなものさ。さて、現場に戻るとするか。
地球の皆さん、ご機嫌よう。

2012/02/24

Post #469 24/Feb/2012

昨日の真夜中、仕事を前途有望な若者たちに任せ、車を飛ばして家路を辿ると、コンソールにタイヤパンクのアラームが出ていた。スタンドで見てみると、後輪にがっちり釘のようなものが刺さっている。うむ、仕方あるまい。今日は世のサラリーマンの皆さんと仲良く電車通勤と洒落混むとするか。例によって痴漢に間違えられないように、注意が必要だ。この世界は悪意に満ちている。
で、今日は少し俺の考えを述べてみようか。なに、所詮は俺ごときの考える事、たかが知れてるってもんさ。気楽に行こうぜ。
ニンゲンという奴は、俺もあなたもひっくるめて、相互に交換、共有し難い、それぞれの経験を生き、その蓄積として、個々の世界認識を持っておるわけです。身の回りから宇宙の涯にまで拡張するそれぞれの世界認識という基盤が異なっているため、俺と貴方が同じ経験をしても感得認識する内容は、群盲象を撫でる が如く、似て否なるものでしかないと、思うのさ。子供の頃から思っていたが、自分の見ている信号機の赤い色が、君の見ている赤色と、同じとは限らないということさ。
しかし、俺たちニンゲンはその誤差を擦り合わせ、感覚経験を共有するなんて事は出来ないわけで、それぞれが各々の経験を基にして、コミュニケートするしかない訳でござる。

このとき、俺たちは、自分自身の経験をダイレクトに交換することぁ出来ないから、俺の経験は、俺の内部に一旦沈潜し、それまでの経験体験に基づく『概念』に統合されてしまう。
このとき、留意するべきは、この『概念』なるものも、あくまで個人の経験の蓄積に基づくものでしかないので、普遍的なものではありえないということなんだ。
つまり、君は猫を見かける。その猫は君が今までに目にした無数のネコのイメージによって受け止められる。
君のなかにあるネコの概念は、おそらく、多くの人々の持っているネコの抽象的な概念と、おおよそ重なりあっている事だろう。しかし、それが猫のように誰もが認知しているものなら、俺と君と彼等の間に、如何なる齟齬つまりギャップを生み出すこともなく、あってもごくごく僅かなギャップしか生み出さず、そのために、相互のコミュニケーションに妨げになることではなかろう。
しかし、それがより特殊性を帯びた経験体験であったなら、同じ言葉を話している両者の間にも、同じ事物を話題にしていながら、両者が脳裏に浮かべているものは、若干、或いは全く違うこととなるだろう。
これを最小限に止め、円滑なコミュニケーションを成立させるためには、あらゆる事物は、一旦我々のなかに沈潜し、個々の具体性を剥ぎ取られ、普遍的に認知されている『概念』に統合されていく必要があると言えよう。
そんなこと、考えてみた事も無くても、自らの行動体験に照らし合わせれば、何となく納得することじぁなかろーか?そのプロセスをすっ飛ばして話し合う時に、お互いの持っている『概念』のスレ違いにより、話しは噛み合わなくなるだろう。言うならば、自分の尺で物事を測っている事になるわけだ。
これはいかん、いかんぜよ。ケンカのもとだ。
どんな特別な経験でも、個人的なレベルのみで消化されている限り、そこから、誰にでも理解しうる道筋を見いだすのは、困難だ。その反面、芸術は、その辺の理解され難さによってある種の謎にも似た魅力を放つもの、つまり芸術として成立すると言えるかも知れない。そのためには、具象から抽象的な『概念』という回路を持つ言語から、ある程度の距離感を獲得する必要がある。しかし、全く『概念』や『共同幻想』に呑み込まれてはならない。その辺のさじ加減が難しいのだ。
Bruxelles
モノクロ写真の魅力には、色情報という具象具体的な情報を、画面から削ぎ落として、『概念』のほうに一歩踏み込んでいる事に由来する。と、同時に、写っているものは、二度と同じ構図を顕す事のない為に、これ以上はない程の具体性を放っている。
必要以上に、写真にキャプションは必要ないという俺の考えは、実はその辺によるものなんだ。
俺の写真が単なる俺の現実逃避のなぐさみものではなく、俺のなかで、普遍性に至る道筋を獲得して、貴方がたにとっても、ある種の経験の雛型として響くことが出来たなら、その道筋さえ明らかになれば。
読者諸君、失礼する。睡眠不足だと、いろんな妄想が頭のなかを駆け巡るのさ。

2012/02/23

Post #468 23/Feb /2012


Amsterdam
どうにもこう、明けても暮れても仕事ばかりじゃ、青春が台無しさ。
まぁ、もっともこちとら、とっくに青春なんて年齢ではないけどね。このブログも暇をぬっていくしかないんだよねぇ。やれやれ。
毎日働いていると、すぐにうんざりしてくる。こんなことをするために生まれて来たんじゃないぜって思うのさ。
もっと知らないところに行って、見たこともないような人々の暮らしを見てみたい。ネットやテレビやガイドブックには載ってない経験をしてみたい。出来れば写真におさめて、雨の日なんかに、じっくりプリントしてみたい。忘れかけた頃に、そうして遥かな国の、二度と赴く事のない路地裏に当たっていた陽射しを、流れていた匂いを、吹き渡っていた風を、髪を揺らして歩み去っていった、言葉も通じない娘さんを、プリントしながら思い返すんだ。
現実逃避?どちらも抜き差しならない現実さ。そういったことに現実味を感じるかどうかは、自分次第だろうよ。そして、すべては人生の儚い暇潰し穀潰し。その意味じゃ、すべては、日々の暮らしも、旅での経験も、儚いマボロシなのさ。あとには、写真だけが、ベットに残った女の温もりのように残るって寸法なのさ。
失礼する。まだまだ忙しいんだ。いつまでもこうしちゃいられないのさ。

2012/02/22

Post #467 22/Feb/2012

Paris
いつかの街角にて。
永年にわたって、サラリーマンとビジネスマンの違いについて研究していたのだが、最近はっきりと解かった。
サラリーマンは上から言われたことを、言われたとおりに遂行する。ビジネスマンは自ら仕事をプロモートして、自分で考えて動く。サラリーマンはいつだって、極力自分の責任を回避しようとする。ビジネスマンはリスクを考慮し、十分に利益が出ると判断すれば、自らの責任で判断を下す。
世の中とかくMBAだとか資格だとかが喧伝されているが、それ以前に必要な、人間としての素養があるのではないかと思うが、どーだろうか?
それは、自分のケツは自分で拭くということだ。
どいつもこいつも、責任がとれないといっちゃ、物おじしてばかりで、何時もなんにも進みやしない。びしっとけじめをつけてやってみるがいいさ。
俺のばあさんのおじいさんは、九州の小さな村の村長だった。村野助役が村有林の木を叩き切って売りとばし、ひそかにそのあがりを横領していたことが発覚したときに、そのじいさんは切腹して死んだんだ。
どいつもこいつもビビりやがって、切腹覚悟でやってみやがれってんだ。今の世の中、そうそう命まではとられやしないさ。
そう、自分の想うように生きていきたいんだったら、自分のケツは自分自身で拭くってことを忘れてはいけないぜ。
読者諸君、失礼する。俺はもじもじと責任をうやむやにしたがる連中に、取り囲まれている。だから
心底うんざりしているのさ。

2012/02/21

Post #466 21/Feb/2012

Paris
遂に、身体の方がギブアップしてしまった。毎度おなじみ痛風だ。
昨日の朝、居間の床で目を覚ますと、左足のいつもの場所がいつものように痛んでいた。俺の体のほうが、精神より先に降参しちまったって訳だ。
けど、俺は朝いちばんで医者に行き、痛み止めの注射をケツにぶち込み、薬をしこたま処方してもらうや否や、スカルの握りのついた杖を携えて、車に乗って出撃したんだ。車の運転には、左足はさほど重要じゃないからな。痛風の発作が出ると、いよいよ仕事も佳境だって気がしてくるぜ。
ああ、けど今の俺は、ただただ眠りたいのさ。

2012/02/19

Post #464 19/Feb/2012

およそ四日間、昼夜となくマシンの様に働いた。やっと今朝、電車に乗って、しかも隣の県の街まで寝過ごして、這うように帰ってきた。限界を超えたと思ってからも、粘りに粘ることができるのが俺の強みだ。
まったく、この数日、呆れるような出来事の連続だった。
久々に湯船につかり、布団で眠った。石膏ボードの上で眠るのとは大違いだ。出来ればもっと眠っていたいんだが、そうもいかんようだ。今度はいつ帰ってくることが出来るのか。
大いに興味があるぜ。とっとと見切りをつけて、トンズラしてくるってのも手だな。なにしろ、仕事の責任感も大事だが、自分の体はもっと大事だからな。
Paris
久々に帰って新聞を見ると、世の中ではいろんなことが起こっている。
しかし、大切なことは何もない。本当に大切なことは、これだ。
『家に帰ったら、まず手を洗え』

2012/02/18

Post #463 18/Feb/2012

ただ今、おそらくきっと、俺は激戦区で奮闘中。
奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の、今日も涙の日が暮れる いや、日暮れて道遠しだ。
Paris
おもしれーぜ。俺の人生、全くおもしれー。どこまでやれるのか、自分でも見てみたくなってきた。ふふふ・・・、ブログのタイトルを『FRAGMENT GO TO HELL!』とかにヴァージョンアップしてみたくなるくらいだ。問題は、とびきりバカそうに見えるってことだな。
読者諸君、御機嫌よう。俺の分まで惰眠を貪ってくれたまえ。そう、俺は当分眠れないのさ。

2012/02/17

Post #462 17/Feb/2012

クレージーな日々が続いている。
マルマル二日、ほんの少しの仮眠だけでぶっ通しで働いて、死にそうになって立った今シャワーを浴びに帰ってきた。ホコリまるけなんだ。そうして、コーヒーでも飲んだら、タッチアンドゴーで出撃だ。
クレージーな仕事はまだまだまるっと二日は続くだろう。
みんなが心配してくれる。ありがたい事だ。しかし、一番心配してるのは、俺自身なんだ。
Paris
約束しよう、俺はきっと早死にしちまうだろうよ。冗談じゃないぜ。

2012/02/14

Post #459 14/Feb/2012

HomeTown/Nagoya
またまた48時間労働、鉄人レース真っただ中。いつもながら、この商売、嫌になるぜ。

2012/02/13

Post #458 13/Feb/2012

HomeTown/Nagoya
いつか、港にて。
政治塾というのが、流行っています。古くは、数多くの政治家を輩出した、松下政経塾があり、最近では維新政治塾が人気だそうです。
しかし、政治に本当に必要なのは、写真と同様に、ある意味でのアマチュアリズムなのではと思っている私からすると、一体何をそこで学ぶのだろうかと、いぶかしく思います。
名もなき大衆の一人として、今後の社会をどうしてゆくべきか、そして何よりも、未だ実現されたことのない、あるべき社会とはどういうものかという理念がなければ、小賢しいもので終わってしまうのではないかと危惧しています。青臭くアホくさい理想が無ければ、政治なんてドブのような腐臭を放つ権力闘争に過ぎないのですから。
人類の行く末という遠くを見ながら、現実社会の諸問題という足元を踏みしめて一歩一歩ゆっくりと歩く、そんな政治の在り様を求めてやみません。

2012/02/11

Post #456 11/Feb/2012

Nakasu,Fukuoka
やっと、仕事が動き出したぞ。自分が動かない奴の言うことは、誰もまともに聴いてはくれない。
周囲の人間を、金を使わずにですね、自分の想う方向に動かしたいのなら、まずは真っ先に自分がその方向に突っ走ってゆくことがポイントじゃないかと、分かりかけてきました。
まったくこの商売、身体使って、頭使って、気も使って、金は使うなってカンジです。
たまらないぜ。失礼する。


2012/02/10

Post #455 10/Feb/2012

今夜から仕事は激戦区に突入するんで、ゆっくり眠っていたかったんだが、朝も早よから、仕事の電話がジャンジャンかかってくる。大半は、どいつもこいつも自分の立場を守り、責任を回避するためのもので、熟慮の末にかかってきたものでは、ない。
バカらしー。まったくもってバカらしー。俺の睡眠のほうが、よっぽど重要だってのに。しょせんは仕事なんて金儲けなんだ。スマートにこなしちまえばいいのに。
怒られようが損しようが、どうってことないさ。命まで取られる事なんて、よっぽどありゃしないんだ。しょせんはたかが金儲けだろ。テキトーにやっつけちまえばいいのさ。
俺の頭の中には、キヨシローが歌う『不真面目にいこう』という名曲がぐるぐる回りはじめる。
君たちは知らないだろうが、これは名曲なんだ。君も覚えておくとイイ。バカらしくなった時に、頭の中に流れることだろう。クソまじめな故に、かえってバカバカしいニッポンの皆さんには、こんな開き直ったセーシンも必要だ。とはいえ、そのケツは自分で拭いてくれよな。俺はゴメンだぜ。ふとことでいえば、『真面目に不真面目快傑ゾロリ』ってとこさ。
そういえば、森山大道の映画、『≒森山大道』のなかで、夜の新宿をスナップする森山大道のシーンのバックに流れていたのもこの曲だ。素晴らしい選曲だ。
HongKong 猪八戒、不真面目のマエストロだ
不真面目にいこう テキトーでいい
不真面目にいこう ダイタイでいい
正直者はバカをみる
そうさ いつでも泣きをみる
俺は何も見たくない
はるか彼方を見てるだけ

不真面目にいこう テキトーでいい
不真面目にいこう オーヨソでいい
家に帰って眠るだけ
どっかのアホが起きている
俺は夢など 見たくない
まして 現実は もうタクサンダー

月が流れ落ちていく夜
雲が歩き出していく夜
ああ それもヤブサカではない
だが しかしヤブヘビでもない

不真面目にいこう テキトーでいい
不真面目にいこう ホドホドでいい
仕事と称して ヒマつぶし
どっかの ボケが 食いつぶし
俺は今から 居なくなる
はるか 彼方に しけこむ算段


不真面目にいこう
不真面目にいこう
不真面目にいこう
不真面目にいこう
不真面目にいこう
不真面目にいこう
不真面目にいこう

(『不真面目にいこう』忌野清志郎Little Screaming Revue“GROOVIN' TIME”より)

こんな歌だ。ふん、どいつもこいつもケツの穴の小さい勘違いヤロー、いや失礼、肛門の狭小な理解力の低い方ばかりで、世の中なんだか馬鹿らしくなってくるぜ。怒りたい奴や呆れたい奴、誰かのせいにしたい奴、おケツを拭いてほしい奴、世間に蠢く魑魅魍魎、そんな奴らはどいつもこいつも勝手にそうしてればいいのさ。俺は俺のやり方で、泥臭くかつスマートにやって見せるってもんだ。百姓のクソ意地だ!口八丁手八丁だ。ヤケクソだ。ケツを拭いても火傷しそうな勢いだ!それが人生だ、ロックンロールだ!イヒヒ・・・、よし、やる気が出てきたぞ、気力充実だ。俺はこの世の中のぐでぐでと偽善に吐き気が止まらず、胸の奥には静かな怒りの炎が臨界突破してる。メルトダウンのカウントダウンだ。のってきたぞ!きっと仕事はバンバンだぜ!厄介ごともトラブルも、資金不足も血だるま火だるま、七転八倒七転び八起きで切り抜けて見せるってもんだ。
OK、合言葉は『不真面目にいこー!』だ。
失礼する!始まる前からやってられないぜ!

2012/02/09

Post #454 09/Feb/2012

Paris
ニンゲンは弱いから群れるのではなくて、群れているから弱いのだという、有難いお言葉を目にした覚えがある。うむ、その言葉を目にして、目から鱗が落ちた気がする。
どんなに力強く見える人も、一皮剥いてその内面を覗いてみたならば、ひょっとすると、弱い者なのかもしれない。
確かに、会社なりなんなり、何かの組織に属しているニンゲンで、この人は勁い、質実剛健だと感嘆させられるような人を見たことが無い。その手の人々は誰しも、組織という器に護られている。組織の中で、個々人の責任の所在はあやふやに溶解し、無責任なくせに、偉そうなことをほざくバカヤローを、俺は今までうんざりするほど見てきた。どいつもこいつも自分の立場でものを言っているだけで、大局的なモノの見方が欠落しているんだ。
たった一人で、社会に対峙した時に、そんな態度をとれるのかい?たった一人じゃ、自分のケツを拭くのは、自分一人しかいないんだぜ。
だから、組織に属していると、人間がひ弱になってしまうのかもしれない。仕方ない。組織に属して、言われるままにしていた方が、生活だって安定するし、金回りもよくなるってもんだ。しかし、そんなんで勁いニンゲンを、残念ながら見たことが無い。だからこそ、群れているから弱いのか。
独りで勁い。自分の行いに対して、全責任を負うこと。それは本来当たり前のことなはずなんだけれど、何か困ったことがあると、やれあいつが悪いの、それ民主党が悪いの、なんといっても景気が悪いの、そもそも俺は運が悪いのと、自分の責任はこれっぽっちも認めずに、自分以外の誰かや何かのせいにする奴の多いこと。地球の人口の約98%はその手合いだろうよ。
自分の弱さを認め、それを直視し、自分の過ちを認め、その責任を負う。自分のなすべきことは責任を持ってやり遂げる。それでいて、その成果を鼻にかけることもない。あたりまえのことをあたりまえにこなしただけのことで、なにも特別なことなどしていないといった風情。
なんだかこうやって書いてみると、道徳の教科書みたいで決してかっこよくは見えないかもしれない。むしろ泥臭い。けれど、そういう人間は、きっと勁い人だと信じている。
独りで勁い。それこそが俺の理想です。もう二度とサラリーマンになんて、なりたいとも思いませんね。それがどうしたって言われると、身も蓋もないんですがね。
読者諸君、失礼する。イロイロと俺もバカらしくてやりきれないことが、たくさんあるのさ。

2012/02/08

Post #453 08/Feb/2012

Paris
仕事に行けば、インフルエンザで死屍累々。
家に帰れば連れ合いがインフルエンザでのびている。
今の俺には、安住の地は、ないもんかねぇ・・・。
こう見えたって、俺はインフルエンザで倒れるわけにはいかないからな。気を張って行こうぜ。とはいえこれじゃ、黒ひげ危機一発。いつ発症してもおかしくないだろう。
仕方なくマスクなんかしてるんだ。俺は当節大流行のマスクが、大嫌いなんだ。名古屋弁で言うと、でゃーきりゃーなんだわ。俺がガキの頃は、マスクなんてしてる奴は、口裂け女くらいしかいなかった。今じゃ日本中、マスクだらけだ。海外に行っても、マスクをしてるアジア人は、日本人だってすぐにわかるくらいだ。そんなもん、とろくせぇやぁでかんわぁ。あぁ、すんません、名古屋弁でバカバカしいってくらいの意味ですわ。うみゃあこと日本語の綴りに表しにくい、複雑な発音だ。
気合だ、気合。しかし、見えないウィルス相手に気合もクソもあったもんじゃないぜ。
ふふふ・・・、俺の人生、結構おもしれーもんだ。読者諸君、失礼する。十分な休息と栄養の補給が欠かせないそうだが、俺の夕食はコンビニののり弁だったってことをここに記しておこうじゃないか。

2012/02/07

Post #452 07/Feb/2012

Paris
寒い日が続いている。俺の周りには風邪だのインフルエンザだので死屍累々だ。
斯く言う俺も、昨日は余りの辛さに、布団から起き上がることもままならず、這うようにして医者に行ったんだ。生まれて初めて鼻の粘膜を採取され、インフルエンザの検査もした。冗談じゃない。もしインフルエンザだったら、商売あがったりだ。俺はフリーランスだから、一週間も丸太の様に家で転がっているわけにはいかんのだ。まぁ、熱さえ下がれば、しばらくゆったりとプリントできたかもしれないけどね。結果が出るまで10分ほど、病院の処置室の片隅で、俺は真剣に考えていたぜ。
しかし、幸いなことに単なる風邪だった。セーフだ。やはり、俺の様に頭脳鋭敏な男は違う。しょっちゅう風邪をひく。例によって罹りつけの野村センセーには、ゆっくり休むように言われたが、働くおじさんには、ゆっくり家で寝てる暇なんかない。
昨日も仕事であちこち飛び回り、家に帰ってきたのは夜の11時半という有様だった。
連れ合いの誕生日だったってのに、酷いもんだ。
今日も今日とて、東京まで打ち合わせに日帰り出張だ。ガンガン精力的に活動している。
我ながら昨日の朝まで、咳と発熱で苦しんでいた人間とは思えん。どうなってるんだ。
そういえば、昨日病院に行ってから客先に顔を出すと、いつも元気そうだねぇなんて言われて、ずっこけたもんだ。絶好調の俺を見せてやりたいもんだぜ。
そうこうしているうちに、うちの連れ合いが風邪でダウンしたんだ。
どうにも俺から感染った様だ。残念だ。食事も喉を通らないという。風邪気味なのに、請求関係の締日だとか言って、無理して出勤するからそんな目に遭っちまうわけだ。風邪のときは無理は禁物だ。代打がいるならば、遠慮なく休んで眠っているのがイイのさ。だいたい俺達日本人ときたら、働き過ぎなんだからな。
だから諸君、俺は連れ合いの看病もしてやらねばならないんだ。明日までに片付けておきたい仕事もそこそこたまっている。貯まってないのは金くらいだ。
OK、だからとっとと失礼するぜ。御機嫌よう。君たちは無理しないように、テキトーにやってくれたまえ。

2012/02/05

Post #450 05/Feb/2012

Bruxelles
今夜はこれから仕事だというのに、咳が止まらない。熱もあるようだ。まいったなぁ。そんな時もあるか。

2012/02/04

Post #449 04/Feb/2012

Bruxelles
読者諸君、申し訳ござらぬが、今夜は、大人買いしてきた白戸三平の『カムイ伝』を読み倒すという方針なので、これで失礼いたす。
なにしろ、全十五巻のうちの8巻から15巻を一挙に購入してしまった。
無論のこと金は無い。日々の暮らしに事欠いておる。
しかし、心の中のマリー・アントワネットが、『お金がなければ、カードを使えばイイじゃないの』と申しておったでのう。ついカードで買ってしまったわ。ダッハッハッハッハ!
かつて赤瀬川原平は、中古カメラ市で思いもよらぬカメラを見つけて、うっかりカードで購入してしまうことを、麻酔と称していたっけな。麻酔が切れる、即ち請求が来ると、財布が痛むということだ。
しかし、これも大人の生きる道。しかし、デジカメばかりの中古カメラ市なんて、面白くないだろうなぁ、きっと。黒塗りやクロームメッキ、梨地仕上げも艶やかな昔々のフィルムカメラには、興味のない人にはわからない、ドキドキするような魅力が溢れていたっけなぁ。
あぁ、そんなことより『カムイ伝』だよ!
そんなわけで、地球の皆さん、今夜はこれで失礼いたす。御機嫌よう。

2012/02/03

Post #448 03/Feb/2012

ニッポンの偉大な写真家、アラーキーこと荒木経惟の写真集に、『東京は秋』という素晴らしい写真集がある。
天下の電通の雇われカメラマンを、訳あり自己都合退職した直後、毎日当てもなく三脚とペンタックスの67を担いで東京を歩き回って撮影された、モノクロの小さな写真集だ。
もちろんここには、みなさんご存じの大股開きのヌードや緊縛写真なんかは一枚も出てこない。
仕事を失った寂寥感と、将来に対する漠然とした不安感が入り混じっているような印象すら受ける。このころ、荒木経惟は、結婚して間もない妻・陽子の貯金で食いつないでいたという。
エラい!
これが並みの女なら、土方でも職安でも行きやがれ!ととんでもないことになるだろう。この奥さんがいなかったら、きっと今日の天才アラーキーは存在していないだろう。
撮影されたのは、1972年の9月から1973年の8月にかけて。まだ、天才アラーキーになっていない頃の、荒木経惟だ。当時、彼は自らを、19世紀末『芸術家のための資料』と称して失われゆく古いパリの街並みを写し続けてウージェーヌ・アッジェになぞらえて、東京アッジェと気取っていたという。
Bruxelles
この写真集は、もうすでに失われて久しい東京をノスタルジックに回顧するような造りになっている。
というのも、見開きの左側には写真が、右側にはその写真を見て語り合う、荒木経惟とその妻・陽子の会話が収められているからだ。その対話は、撮影から10年を経た83年の12月と84年の6月だった。ここに、写真の本質にはノスタルジーなものであるということが見て取れる。
この年、この写真集は三省堂から刊行され、失業者時代の荒木経惟の写真が明らかにされたという訳だ。
私の持っている版は筑摩書房から1992年に復刊されたものだ。この時には、既に荒木経惟の愛妻・陽子は子宮癌の為、他界している。通常この手の写真集が復刊されることはあまりないのだが、この場合には、荒木経惟自身が、妻・陽子との思いで・メモリアル(それは極めて写真の本質に近しいものだ)として、強く復刊を望んだのではないかと俺は邪推する。
ココには、三省堂版にはなかったあとがきが記されている。
全文引用してみよう。
『こんなふーに写真を話す相手がいなくなってしまった。実は、写真てーのは写すことより写したものを見せて話すほーが楽しいのだ。
もー妻はいない。
でも、妻はチロを残してくれた。最近チロは写真を見せると、イイにゃあと言うようになった。
1992年 東京は、初秋』
このチロすらも、既に去年他界してしまった2012年の今日から見ると、この写真集は、私たちがそれを見ている現在—チロの死んだ昨年—妻・陽子の死んだ1992年—写真をはさんで荒木経惟と陽子が語り合った83,4年—写真が撮影された72,3年というように、思い出によって紡がれる世界がまとりょーしかのような入れ子構造になって広がっていくのが感じられるはずだ。

さて、どうして今回この写真集の話しを唐突にしたかというと、この写真集が、素晴らしくなおかつお手頃な写真集であるということだけでなく、俺のとても好きな写真集だという理由だけでもなく、先に引用した『あとがき』に、写真の楽しみのエッセンスが詰まっているからだ。

正直言って、俺は、君達読者の諸君と、そんな語らいの場を持ってみたかったんだが、空気の読めない野郎のおかげさんで、コメントの受け入れを中断している。それに加えて、心中密かにコメントの再開を期して臨んだアンケートには、投票総数1という盛り上がらなさだった。
がっくりだよ。
アラーキーの言葉を借りれば、こんなところだ。
『こんなふーに写真を話す相手がいなくなってしまった。実は、写真てーのは写すことより写したものを見せて話すほーが楽しいのだ。もーコメントはこない。』
写真ってのは、やっぱり見ながらワイワイ言ったりするのが、楽しいし、その方が世界が広がるような気がするんだが、どうだろうねぇ。それとも、写真を趣味にしている人たちは、シャイな人が多いのかい?俺のブログを見てくれてるはずの友人たちは、俺のやっぱり写真になんか興味が無いんだろうか?ただ、上手いねぇとか、キレイだねぇとかで終わるようなもんじゃないだろう。
どの写真に写っている瞬間も、もうすでに二度とは戻ってこない時間を切り取ったものだし、写っている人は、いつか必ずこの世からいなくなってしまうんだぜ?そして何より、写真を見せてる俺も、写真を見てる君も、何時かはこの世から消え去ってしまうんだ。これだけは間違いない。絶対の真理だ。だからこそ、俺は君たちと話し合いたいと思っていたのにね、残念だ。残念きわまるとはこのことだよ。
OK、もっと見たことの世界や、会ったこともないような他人に興味を持ってもいいんじゃないのかい?いい年こいて金儲けと放射能、芸能人の恋愛話や政治家のスキャンダル、そしてTVのドラマやB級グルメにしか興味が無いなんて、つまらないと思わないかい?俺は、ホントは写真について、あるいは写真をネタにして君たちと、この世の中のことを、俺自身や君自身の事を、いろいろと話し合ってみたかったんだがね。
ううっ、この冬一番の寒さが、俺の心の寒々しさに呼応するようにも感じるぜ。
読者諸君、そんなわけで失礼するぜ。君もホントは、自分の写真に関して誰かともっと話してみたりしたいんじゃないのかい?どうなんだい?しかし、そう問いかけても、コメントできないから、誰も答えてはくれんだろうな。やれやれ、嫌になっちまうぜ。

2012/02/02

Post #447 02/Feb/2012

HomeTown/Nagoya
今年は寒い。比較的冬も過ごしやすいはずの俺の地元でも、今朝は雪がガンガン降っていやがった。TVではJR、名鉄、近鉄の各線は平常運転だとか言っていたはずなのに、実際に駅に行ったら電車は一時間半も遅れていた。目的の駅にたどり着いた時、遅れは115分に拡大していた。
JR東海さんよ、あんたらには正直さとか誠実さとかは無いのかよ。雪で遅れるのは恥ずかしいことじゃないだろう。正直に遅れていますって言えよ!
俺は以前の経験から知っているんだが、天下のJR 東海さんには、お客様苦情窓口がないようなのだ。電話番号すら、公開していない。イエローページには、最寄の駅の電話番号すら載っていないんだ。どうなってるんだ。きっと奴らは、鉄道電話と呼ばれる独自の回線電話だけで、事足りると思っているんだろう。
最近知ったんだが、JR東海の利益の9割近くは東海道新幹線によって稼ぎ出されているそうだ。サラリーマンや学生の皆さんが、毎日毎晩乗っている在来線からの上りは、一割ほどなんだそうだ。
だからきっと、奴らは在来線にのってるような貧乏人は、ゴミかなんかだと思ってるに違いない。せいぜいよくて、働きアリだ。そう、金持ちは在来線なんかに乗らないんだ。少なくともこの名古屋界隈じゃね。あの見栄っ張りな連中ときたら、駅ビルの中にあるJR名古屋高島屋に行くのにも、わざわざ高級車で乗り付けるんだ。あそこの駐車場はこれまた割高なんだぜ。金持ちじゃなきゃ、車でなんか行きゃしないさ。
俺の連れ合いは、かつて何かのトラブルで電車が線路上で止まり、冷房も止まってしまった真夏の満員電車に閉じ込められ、おっさんの体臭で気分が悪くなったにも関わらず、車掌からは何のアナウンスもなかったと憤っていた。
儲かってる会社は、下々の、蟻のように働く人々のことを軽んじるようになっていくものさ。
経団連のお偉いさん方のお顔を拝見してみるとイイ。弱い立場の人たちに、何の遠慮も配慮もありゃしないって顔をしているだろう。自分たちの会社が儲かるんなら、若者にまともな職が無くて、社会が少子化し、社会の安定が崩れても屁の河童なんだ。自分とこの会社が儲かるためには、ただでさえ借金ダルマの我が国に対して、税金を安くしろという。それが嫌なら、日本から出ていくと脅しをかける始末だ。まるでヤクザのようだ。
冗談じゃない。まったくあんな連中とは付き合っていられないぜ。東海の超優良企業と言われる元国鉄のJR 東海さんが、しみったれた庶民をコケにしてても、俺は全く驚かないぜ。
読者諸君、失礼する。俺はいつだって、蟻のように働く人々の仲間だ。なんたって、新幹線のグリーン車なんて、生まれてこの方一度たりとも、乗ったことは無いんだからな。クソ喰らえだ!

2012/02/01

Post #446 01/Feb/2012

Paris
今夜はこれで。
雪がガンガン降ってるんで、さっさと熱い風呂に入って眠りたいのさ。