2012/04/30

Post #519 今日もまたつまらない写真をお送りしよう

HomeTown
今日もまた、つまらない写真をお送りしよう。
道端に転がる、壊れたサンダルだ。世間一般の常識に照らせば、これはまぁ、ゴミだろう。
こんなゴミを、写真に撮る意味を云々するのは、言うなれば野暮というものだ。気になったんだから仕方ないだろう。
昨日に続いて、俺自身はこの写真がつまらない写真だなんて、これっぽっちも思っちゃいないんだがな。君はどう思う?俺が気に入っているのは、地面を覆うブロックの、粟立つような質感だ。
今日で四月も終わりだ。早いもんだ。俺はこの歳月の流れゆく速さが、まったく以てつまらない。子供の頃は、もっと時間が濃密に流れていたような気がするんだが・・・。それだけ年をくっちまったってことか。歳月は無情なものだ。写真は、その無情さに抗う手段の一つだ。
読者諸君、失礼する。お風呂に入って、とっとと眠るさ。なにせ明日も仕事だからな。我ながら、御苦労なこった。

2012/04/29

Post #518 つまらない写真を君に送ろう

ひょんなことから休みをとることができた。ゆっくり眠ったり、夕暮れの道をコウモリを追いかけながら散歩したりして、人間らしく暮らしたぜ。
さて、今日は君たちにつまらない写真をお送りしよう。とはいえ、俺自身はこれっぽっちもつまらない写真とは思っちゃいないんだがね。
HomeTown うちの近所、だったと思う。
この写真がつまらないと感じる方は、多いんじゃないだろうかと思うんだ。他人のアルバムにのっているどうということのない写真よりも、さらにどうということが無い風景だ。特に思い入れが無ければ、こんな風景、つまらないだろう。もちろん、俺自身にも、この家に対して何の思い入れもないけどね。この写真を撮った時のことなど、かれこれ一年ほど前のことだし、つい先日プリントするときまで、こんな写真を撮っていたとことすら忘れていた。もちろん、プリントする候補にも挙げていなかったカットだったんだが、ふと気になってプリントしてみた。
何が気になったかって?
まったく特別人の気をひくようなものが写っていないって事が気になったんだ。
しかし、にも関わらず、俺はこれをフィルムにおさめた。そこに何か引っかかるものを感じてプリントしたって訳だ。
その時の気持ちなんてまったく覚えていない。つまり、他者なる自分が撮った、意図不明のカットに魅かれて、プリントしてみたわけだ。そして、出来上がったプリントを見て、大いに気に入った。
写真には意味なんてないということを、所詮写真なんて俺たちの周囲の空間を四角く切り取るだけのものだということを、如実に雄弁に語っているように感じて、俺は面白く思ったんだ。なかなかに味わい深い。ぜひ君たちにも見せてあげたいと思ったのさ。
けど、この風景がいったいどうだっていうんだ?まったくつまらない写真だって思われるかも知れないなとは、覚悟はしていたんだよ。けど、それがどーした?撮ってプリントした本人の俺神が面白く感じてるんだ。それでいいだろう?
だいたい、写真には何か劇的なモノや決定的な瞬間が写っている必要があるのかい?俺はモチーフ主義者じゃないんだぜ。何もない、ただ普段無意識に眺めているような風景を、忠実に再現することも写真の持つ大きな役割の一つだと思うんだが、どーだろうか?
俺はこういう写真も、結構お好きなんだが、やっぱりつまらないかな?
俺の思惑を暴露しちまえば、この写真は一種の挑戦なんだ。そう、何かが写っている限り、その被写体の持つ意味や意義に関わりなく、写真は成立するんじゃないかっていう、俺の挑戦なんだ。
写真に意味なんかない。ただ、かつて、それが、あった、ということだけを証しだてるものでしかない。
かつて、その光の中、俺は、カメラを持って、この家の前に立ちどまった。それだけだ。
そして、そんなことすらもとっくに忘れ果てていた時、それは忘却の中から写真として顕現してくることになるんだ。
つまらない写真だと思うかい?俺は結構面白い写真だと思ってるんだけどね・・・。
もし君が、この写真に何らかの面白味を感じてくれるんなら、結構嬉しいよ。
読者諸君、失礼する。これだから写真は面白くって止められないぜ。

2012/04/28

Post #517 世間は大型連休というけれど

今夜もなんだかんだ言って、もうこんな時間だ。しかし、世間様は大型連休が始まるんってんで、夜更かししている向きも多かろう。結構なことだ、いささか羨ましい。俺にはカレンダーなど一切お構いなしに仕事に明け暮れる日々が待っているだけだ。だから早く眠らねば。明日も朝早い。正直言ってこんなことをしている場合ではないんだが、まぁイイさ。何とかなるってもんだ。写真を一枚くらいUPするなんて、屁でもないぜ。
Marrakech,Morocco
読者諸君、失礼する。今日はもう眠らなけりゃならないんだ。良い休日を満喫してくれたまえ。

2012/04/27

Post #516 いわゆるぜいたくな悩み

贅沢病といわれる痛風を患う俺だが、贅沢な悩みはそれじゃない。
いい加減、仕事のオファーは勘弁して欲しい。今夜も、いきなりどうでもいいような依頼を受けて、帰ってきたらもう2時前だ。明日は明日で日中と夜で2件掛け持ち。それどころか、8月以外は11月までなんとなく仕事が詰まっている。八月はまた海外旅行に出かける予定なんだ。贅沢してるんじゃない。日本にいる限り、仕事が追っかけてくるんだ。どうなってるんだ一体?俺はトヨタの工場の生産ライン並みにフル稼働だ。
Fez,Morocco
俺だって金は欲しいが、世間で話題のワークライフバランスってもんも必要だと思ってる。
第一これじゃ、写真を撮ったり、プリントしたりするヒマが、まったくないじゃないか!?
バカバカしくて仕事なんてやってられないぜ。と言いながら、世間様並み以上に一生懸命働いてしまうんだろうな。おかげさんで、俺はたいそう仕事の好きな人間だと、大きく誤解されている。冗談じゃない。俺はアリみたいに働くのは、ゴメンだ。趣味じゃない。趣味の世界に没頭していたいんだ。
悪いかい?けど、それが俺の偽らざる本心なんだがな。
なにしろ、プリントしなけりゃならないカットが、何千枚もあるんだぜ。けど、そのためには金が必要だ。金を掴むためには、蟻のように働かなけりゃならない。すると、趣味に費やすべき貴重な時間が削られていく。
う~む、なかなか難しい問題だ。
この悩みがすっきり解消するのはいつのことだろう。せめて俺が棺桶に入る前に解消したいもんだぜ。
読者諸君、失礼する。忙しいけど、決してもうかっているわけじゃないぜ、残念ながらね。まったくもってカツカツなんだ。そこがまた大きな問題でもあるんだけどね。

2012/04/25

Post #515 今夜はやりたいことがある

今夜はやりたいことがある。なに、チョイと帳簿をつけたりしたいのさ。
帳簿をつけて、経費を精査しておかないとね、請求書が作れないのさ。しっかり働いたんだ、損はしたくないからな。という訳で、今夜は昨日プリントした写真の中から一枚、お送りしよう。
Fez,Morocco
それでは読者諸君、失礼させて頂くぜ。御機嫌よう。

2012/04/24

Post #514 自惚れなのか自信過剰なのか

今日はこれまた、フィルム2本分、30カットプリントした。
まだプリントしていないネガの束から、テキトーに抜き出してプリントしたのだ。セレクトもテキトーなら、焼きもテキトーだ。しかし、それで飯を食っているわけじゃないから、自分さえ満足いくものが出来たらそれでOKだ。なんの問題もない。今日の分はまたおいおいお見せしよう。
よく、写真を見てくれた人に、芸大とか行ってたんですかとか、写真学校に行っていたんですか、もしくは写真部とかやっていたんですかと訊かれるが、そんなことはない。俺は、某私立大学経営学部中退だ。箸にも棒にもかからぬ。才能のない奴は大学に行けとは、忌野清志郎先生のお言葉だが、あの頃の俺は、いやいや大学に行っていたようなもんで、贅沢な話だが、これまた止めるのも早かった。とはいえ、俺には何か才能の片鱗が煌めいていたわけでもないんだがね。
Marrakech,Morocco
考えてみれば、俺の没落はこのころから始まっていたんだろう。しかし、気にすることはない。人生において、皆の衆が大騒ぎしている生涯年収だの羽振りのいい職業だのなんだのかんだのは、人間の生きる本質には、全然カンケーない。聡明な俺は、高校生の時にはそれを悟ってしまったので、あえて没落して好きに生きる道を選んだんだろう。

さて閑話休題。
もし俺の写真がいささかでも巧く見えるとすれば、それは一つには持って生まれたセンスというものもあるだろうが、俺はそれだけとは思わない。それだけだとしたら、それはそれでかなりの自惚れ屋か、自信過剰の馬鹿野郎だろう。
俺は、何時だって自分の写真をプリントしながら、自分の好きな写真家の写真からの影響を強く感じる。森山大道や、中平卓馬、荒木経惟、ウィリアムクライン、ブラッサイ等々だ。
もし君が素敵な写真を撮りたいと思うだったら、そういった先人の写真をじっくりみることが一番の早道だと思うぜ。温故知新という奴だ。真似しろとは言わないが、毎日飽きずに見ていることで、写真的な目が養われてくるというもんだ。
どんなものが写真として成立するのか?
こんなものまで写真として成立するのか?
実は、どんなものでも写真として成立しうるんじゃないか?とかね。
絵葉書や風呂屋の書き割りのような予定調和の写真は、撮りたくない。まぁ、撮ろうっていっても俺にはもともと無理なのかもしれないけどね。
一見、それは美しくまとまった写真に見えるかもしれないが、俺には何とはなしにつまらない。偶然と必然の間で、危うく成立するような写真、ようわからんけど、そんなもんが、俺の目指してる写真の在り方なんですけどねぇ。君はここんところの言葉にし難いニュアンスがわかってくれるだろーか?解ってくれれば、それでいいのだ。そして、分からなくっても、別にいいのだ。俺の意図とは関係なく、俺の写真を見て、カッコいい写真だと思ってくれたらそれでいいのさ。いやそれどころか、その反対に下手糞な写真だ、こんなのでいい気になるなって思ってくれても、それはそれでいいのさ。なにしろ、それはもう君の心の中で起こっていることだから、君の自由だからね。もちろん俺も、好きにやらせてもらってるんだ。お互い非難しあうのは、つまらないからやめておこうよ。
OK、今日のおしゃべりはこのくらいにしておこう。なんだか今日はドジョウのように掴みどころのない文章になってしまった。切り上げるのも潮時ってもんがあろうよ。
しかし、いったい俺は何を根拠に、こんなに偉そうに分かったような分からないようなことを毎日ほざいているのか?それこそ、自惚れなのか、自信過剰なのか?まぁ、どっちだっておんなじことさ。気にもしてないけどね。
読者諸君、失礼する。また会おう。

2012/04/23

Post #513 久々に中古カメラ市に行ってみた

先日、名古屋の丸栄という百貨店で、恒例のように行われている中古カメラ市に足を運んでみた。雨も降っていたしな、出かけるのもおっくうだったんだが、車で行ってきたんだ。
中古カメラ市といっても、デジカメの中古ではない。デジカメは俺の中では、カメラというよりまぁ、家電に近い。古くなったデジカメには、何の価値もない。古くなっても欲しくなるのは、やはり金属製のカメラだ。もちろん今となっては一部の愛好家だけが使うフィルムカメラだ。
そう、俺の中ではカメラと言えば、何といってもフィルムだよ。
俺はかつては、この中古カメラ市のお客の中で、もっとも騒がしく、もっとも若手の部類だった。今じゃすっかり、おっさんになってしまったけどな。
愛好堂、松屋カメラ、ヒダカヤ、ハットリカメラ、FIX、安藤カメラ、どこもお馴染み顔見知り、一度や二度はカメラやレンズを買ったことのあるお店ばかりだ。しかし、かつて中高年のカメラオタク、カメラ収集家の熱気に満ち溢れていたこの中古カメラ市も、デジカメ全盛の昨今では、どこか物寂しい。クロームメッキの輝きも、黒塗りの艶も、なんとなく以前ほどには輝いていないような気がしてくるってもんだ。
うむ、これはイカン。こんなことではどこか斜陽産業の気配が漂ってしまう。モロッコの露店で、中古の入れ歯を売っていたオヤジのほうが、よほど威勢が良かったようにも感じるが、あれは単なるやけっぱちだったのかもしれないな。もっと賑やかにした方が良いだろう。ご成約ありがとうございます!とか言って鉦や太鼓を鳴らしてみたりするとかね。もっとも、カメラ屋のおじ様達は紳士なんで、そんな商店街の福引みたいな真似はしないだろうけどな。
並んでいるカメラも、無難なものが多い。かつて、稀にしか見ることのできなかった高嶺の花の珍獣、絶滅危惧種のような類は、すっかり影を潜めている。いまやフィルムカメラ愛好家は、守りに入って気商品を束為したりはしないのだろうか?そして、並んでいるカメラのお値段も、かつての半額くらいだ。これも時代の流れか。
馴染のお店の方々も、俺がしこしこと働いて白髪を増やしていた間に、少しづつ年を取っている。侘しさがこみ上げる。当然、かつて中高年だったお客も、同じように年老いている。なかには、年を取り過ぎて、写真を撮ることをやめてしまったという方も多いことだろう。時折、中古カメラ屋では、死んだおじいさんのカメラを引き取ってくれといって、とんでもない量のカメラが入荷することがある。要は、そういうことだ。年々サビシクもなるというものだ。
俺達は、何かを所有したと思っていても、それをどれほど大切にしていても、あの世にまでは持っていくことはできないからな。俺達がもっているモノは、何もかもこの世界から借りているにすぎないんだ。裸で生まれて裸で死んでいくのだ。
Marrakech,Morocco
このフィルムカメラの火を絶やさずに次世代に繋いでいくためには、若者の参入がどうしても必要だ。しかし、相も変わらず若者の姿は少ない。かつては俺も若手、それも最右翼の若手だったんだが・・・。若者たちも、レトロっぽい物珍しさに魅かれてフィルムカメラを使ってみたいという人もいるんだろうが、大方はロモやホルガで止まってしまう。もったいないことだ。ロモにしても、ホルガにしても、レンズも性能もイマイチどころかイマ百だ。それで、フィルムカメラだからこんなもんだって思ってしまうとしたら、まったく残念なことだ。
素晴らしいフィルムカメラは、まだまだたくさんあるというのに。若くて感性の柔軟な若者にこそ、こういった素晴らしいカメラを使って欲しい。今なら、かつては高くて手が出せなかったような高級機や銘玉が、意外なほど手ごろな価格で手に入る。ニコンやキャノン、オリンパス、レンズにこだわるならコンタックスもお勧めだ。ライカみたいなレンジファインダーも機動性が良いので、若者にはうってつけだぜ。もちろん、ライカ以外のレンジファインダーもより取り見取りだ。一時期に比べて、品数は多くはないがね。値段は充分にこなれている。今が底値だ。狙い目だ。
使い方がわからない?お店の人に訊いてみよう。なんなら俺でよければ教えてあげるぜ。
それに、あと、いつも思うんだけれど、フィルムカメラを買うってことは、単に写真、それも今ではマニアックな写真の世界の入り口に立っただけのことにしか過ぎないんだから、撮り方をレクチャーしていったり、時には現像やプリントのことなんかも教えていかないと、内気な若者たちは、その世界の奥まで踏み込んでこれないんじゃないのか?何といっても、今時の若者は、上げ膳下げ膳じゃないと仕事だってロクにやれないような奴らが多いからな。これもゆとり教育の弊害か?まいったなぁ。
で、俺が何か買ったのかって?残念ながら、今回も冷やかしだけさ。馴染の中古カメラ屋の皆さんにはまことに申し訳ないけれどね。俺も不要不急のものにポンと金が出せるほど、儲かっちゃいないんだ。
出来ることなら、そのうちコンタックスのⅡ型戦前モデルが欲しいんだがね、ほらノルマンディー上陸作戦の時に、ロバートキャパが使ってたあのカメラさ。70年以上たっても、クロームの軍艦部(カメラのトップカバーのダイヤルとか並んでる部分を、軍艦に見立ててこう言うのさ)はギラギラと輝いていることだろう。今回の中古カメラ市では、とんと見かけませんでしたねぇ、残念なことに。
もっとも、買ったとしても、今の俺はコンタックスT3で満足しきっているんで、ろくすっぽ使うこともありゃしないだろうけどね。けど、男のロマンって奴だよ。いつだって、そういってろくでもないものを買いあさってきた。それに付き合わされる方はたまったもんじゃないだろうけどね。

読者諸君、失礼する。フィルムカメラは風前の灯だ。しかし俺は、行けるところまでフィルムカメラにこだわり続けていくつもりさ。どこまで行けるのか、見せてやるぜ。お楽しみに。

2012/04/22

Post #512 まったく不思議なんだけれど

Marrakech,Morocco
休みの日になると体調が悪くなるのは、いったいどういうことだろう。不思議だ。

2012/04/21

Post #511 鳥の巣箱を作ってみたんだ

久々にゆったりできた一日だった。とはいえ、この後ちょいと仕事に出かけなけりゃならないんだが。
ここんとこ忙しくってろくすっぽ家の掃除もできなかったからな。あちこちに綿ホコリが溜まっていやがる。醤油をかけて食えそうな勢いだ。仕方ない。俺は掃除をした。掃除は結構好きだし得意だからな。
掃除をしていると、ベランダに枯草や松葉なんかがちょろちょろ落ちている。
どうやら、スズメだかなんかの小鳥が運んできたようだ。そういえば、以前にも郵便ポストの中にそんな材料がしこたま運び込まれ、鳥が巣を作っていたことがあったな。あのときは、郵便物が来ないと困るので、卵なんか生まれて落ち着かれる前に、不本意ながら撤去したっけ。他にも、ベランダで布団を干していると、布団と手すりの間のスペースに、せっせと枯草を運んでくるスズメもいた。
ふむ、面白い。鳥の巣箱なんか設けてみるのも、乙な休日の過ごし方だ。掃除が終わると、俺はホームセンターに行ってみたんだ。しかし、そんなけったいなもん、今時売ってないよな。昔は売ってたんだけど。今じゃ、ゲンゴロウが一匹980円で、アメリカザリガニが一匹1280円で売られているご時世だ。鳥の巣箱なんか流行らないぜ。どうなってるんだ、この国は。
そこで俺は、倉庫にある端材を有効活用して、自分で作ってみることにしたんだ。ベニヤ板もあれば、ビスも電動ドライバーもある。もちろん丸鋸だってある。俺はあっという間にテキトーにつくてみたんだ。これで日々の生活にまたひとつ楽しみが増えたッちゅうもんだ。
小さな蝶番があったんで、屋根が開閉できるようにしてみたんだ。こっそり、中を観察できるだろう。
楽しみだ。小鳥の声で目を覚ますなんて、素敵な生活じゃないか?
それはそうと、昨日の朝現場のそばの駐車場に車を停め、足早に現場に向かっていると、公園のフェンスの向こうに一匹の黒猫がいた。
俺は、猫を驚かさないようにそっとカバンから愛用のコンタックスを取り出し、ワンカット撮った。で、ペシペシと猫に声を掛けてみた。これはトルコ人が猫を呼ぶ時の言葉だ。日本なら、チッチッと舌を鳴らすだろうが、向こうではぺシペシってカンジなんだ。君もやってみるがいい。意外と猫は反応してくれるものさ。
Marrakech,Morocco  肉屋の前にいつもこの猫は座っていた
急いでいるはずなのに、猫とか見るとつい立ちどまってしまう。俺は、自由人っぽい猫が大好きだ。
すると背後から『猫はお好きですか?』と声を掛けられた。
『猫の嫌いなひとなんているんですか?』俺は思わず聞き返した。振り向くとひとりの女性が猫に餌をやりに来たところだった。
『猫を嫌いな方は、結構たくさんいらっしゃいます』それは驚きだ。
『その証拠に、生まれたばかりの子猫は人間を怖がりません』へー、そうなんだ。
彼女は、野良猫の世話をするNPOの人だった。俺が見ていたその猫も、彼女が避妊手術を受けさせたそうだ。世の中には、立派な人もいるものだ。俺は彼女に『お力になれずに申し訳ありませんが、頑張ってください』と言葉をかけ、再び現場に急いだ。黒猫のご飯を邪魔しちゃいけないってもんだ。
俺は、猫は車に轢かれさえしなければ、結構気儘でよさそうだと思っていたんだが、猫には猫でいろいろと難しいことがあるようだ。世の中、なかなかに難しいものだ。せめてみんな、猫をいじめるのはやめようじゃないか。猫が暮らしやすい街は、人間も暮らしやすい街だと思うんだけどな。
読者諸君、失礼する。そろそろ仕事に出かけないといけないのさ。

2012/04/20

Post #510 世の中には凄い奴がいる

世の中には、俺の予想を超えた凄い奴がいると、先日つくづく思い知ったぜ。
俺は例によって、百貨店の改装工事の監督をしていたんだ。作業は大詰めだ。気は抜けない。
俺は朝八時からぶっ通しで、次の日の朝7時半まで仕事をしていたんだ。昔々、バブルの余韻冷めやらぬ頃、24時間働けますかというCMがあったが、今の俺の職業は、それが日常茶飯事だ。そのCMが流れていた頃、まさかそんな職業に就く羽目になるとは、夢にも思わなかったがな。
この日、夜の部から合流してきた元請の監督は、作業が始まって間もなく、そこらにどっかり座り込みパソコンをいじりはじめた。俺は何やら書類でもやっているのかと横目で見ながら、錯綜する現場を駆けずり回っていた。職人さんが、あっちでもこっちでも作業をしている。こんな奴にいちいち構っちゃいられないからな。
暫くすると、奴はゴロリと床にの転がったまま、何やらむにゃむにゃ言っていた。寝言かと思いきや、携帯にイヤホンを取り付けて、まことにリラックスして電話している。夜中の12時ごろだ。どう見ても、仕事の電話とも思えない。しかし、俺は構っちゃいられない。多少現場は落ち着いてきたが、まだいろいろな職種の職人さんが、多方面で展開中だ。しかも、本来夜の工事を担当していた監督は、体調不良のため、俺に後を託して帰ってしまったんだからな。仕事をしないレベルの低い奴は、どこにでもいる。この程度はざらだ。
更にもうしばらくすると、奴は太った体を丸くして、だるまのように揺れながら眠っていた。さすがに俺はこのような態度は現場の指揮に関わると判断し、『お体の具合がよろしくないなら、お帰りになって、ゆっくりお休みになってはいかがですか』と言ったんだが、この男はヒキガエルのような声で呻くだけで、何のアクションもなかったんだ。俺を格下とみて舐めてやがるのか?
Marrakech,Morocco ここではロバも馬もよく働く。
仕方ない、奴は俺に仕事を出してくれている2次受けの会社のさらに上、元請から送り込まれてきている監督だ。俺にはこれ以上のことを言う権限はない。俺は放っておいて現場の指揮監督に専念することにした。それに俺自身も、肉体の限界を突破したとき、現場の隅で眠っていることはあるからな。しかし、それはやるべきことをやってやってやり続け、致し方なくなんだが。まぁ、このおっさんもいつかどこかで仕事をして疲れているんだろうと、前向きに考えることにした。俺はみんなからポジティブな奴だと驚かれてるんだ。とはいえ、仕事が始まってから数時間、奴はどっかりそこに胡坐をかいたまま、ピクリとも動かないんだがな。
それからしばらく経ったとき、ふと見ると、この菊池(あ、書いちまった。まぁいいか)というおっさん、目を覚ましたようだが、寝ぼけ眼で何やら一生懸命やっている。仕事ではない。ニンテンドーDSかなんかで、ゲームをやっているんだ。
俺は、仰天した。ここまで堂々と、仕事をコケにしている奴は初めて見た。俺の指揮監督下にある人間なら、叩きのめして退場だ。パワハラだとか暴力だとか非難されようが、俺は躊躇なく安全靴で延髄にケリを入れるだろう。しかし、奴は俺よりも立場が上の人間だ。さすがに延髄斬りはマズイ。
俺は胡坐をかいて、うつろな目でゲームをやっているこの菊池というサイテーの監督の前にヤンキー座りして、奴が気が付くかどうか3分ほど見ていた。マトモな奴なら、気まずそうにして止めるだろう。しかし、奴はレントン教授の世界に没頭している。心ここにあらずだ。イヤホンをつけて、タッチペンを走らせている。胸倉をつかんで、殴りつけてやりたいぜ。
『あんた、ゲームがしたいんなら、帰ってやったら?みんな一生懸命仕事してんだからさぁ』
俺は、我慢出来ずに言っちゃたんだが、菊池はぎろりと濁った眼で俺を一瞥しただけで、ゲームの世界を彷徨っていた。
こんな奴に構ってはいられない。世の中には、俺の想像を超える超低能な凄い奴がいる。しかも驚くのは、これが50をとっくに越えたいい年をしたおっさんで、毎月40万は貰ってるということだ。凄い奴だ。自分の仕事に真剣に取り組まない奴を、俺はケーベツするぜ。まぁ、奴が寝ていようが、ゲームをしていようが、現場は回っていく。奴ははじめっからまったく必要のない人間だったってことだろう。
読者諸君、何だか俺はいつも何かに怒っているような気がするよ。俺は見かけと違って、うむ、常識的で真っ当な奴なんだぜ。いや、自由に自分の思うままにふるまいたいと思うなら、誰からも納得される仕事をして、それで自分のやり方生き方を認めさせるしかないと思っているんだ。俺だけじゃないだろう。誰だって、そう思ってると思ってたんだが、俺が目にしたのは実際には、みんなと同じ事なかれ主義の奴らばかりだった。そして、事なかれどころか、ここまで仕事を舐めた奴がいるとは。
けど、俺はこんな奴らには、負けはしないさ。失礼する。

2012/04/17

Post #509 老人が電車に乗ってくると、誰もが眠りだす

最近、電車で現場に通っているんだ。俺は通勤電車は嫌いだ。人間の嫌な面を見せつけられるからだ。入り口付近がおしくらまんじゅうのよーになってるのに、奥に詰めようともせず、新聞を読んでいるサラリーマンのオヤジ、俺の隣に立ってる男のケツが密着して、気味が悪い。そして、その隣の男の服には、吐き気を催すほどのタバコの臭いが染み込んでいる。ファブリーズとか使うべきじゃないのかい?平気で横入りをする、阿呆面の高校生の小僧たち。どうして、大人は社会のルールを守ることを教えないのか?ぶん殴ってでも、身体に叩き込むべきじゃないのか?
しかも、女の人がまわりにいると、痴漢と間違えられてしまうんじゃないかと、不安になってくるってもんだ。
やはり、メンタルヘルスを考えると、車で通うべきだろうか?しかし、ガソリンも高いし、駐車場代だってバカにならないからな。電車でいけるときは電車で行くのが低成長時代のやりくりってもんだ。
俺の眉間には、知らず知らずのうちに深いしわが刻まれる。よしてくれよ、皆の衆。これ以上皺が増えたら、女の子に嫌われちまうぜ。まったく冗談じゃない。
不愉快なのは、朝のラッシュだけじゃない。俺は帰りの電車でも、嫌な光景を目にして、はらわたが煮えくり返りそうだった。
帰りのラッシュの少し前、とっとと仕事を切り上げた俺は、家路を急いだ。たまにはそんな日もあってもイイだろう。いい加減うんざりするほど働いてるんだ。誰にも文句は言わさないぜ。
いつも俺はよほど疲れ切っている時でないと、シートには座らない。俺はまだまだ若くて、痛風持ちだが健康で、体力にも恵まれている。痛風の発作の出てるときでも、杖をついて立っている。俺よりも疲れている人や体の具合の良くない人、妊婦、子供を抱いた母親、お年寄り、そんな人々はたくさんいるはずだ。俺はその人たちを差し置いて、のうのうと座っているような恥知らずじゃない。
しかし、しかしだよ、そういう人々が乗ってくると、急に誰もが眠りだすんだ。今日もそうだった、ほんの10分くらいの乗車時間、ふと気が付くと、杖をついたおばあさんが立っている。いや、むしろ弱った体を座席の肘掛けにあずけて、今にもずり落ちそうだ。その顔は俺の眉間なんかとは比べもんにならんほど、しわしわのくちゃくちゃだ。コラーゲンも必要だよ。
Marrakech,Morocco
俺は、自分のおばあさんを思い出し、ハラハライライラする。
誰か、ばあさんがひっくり返る前に席を譲ってやれよ!
しかし、見れば、どいつもこいつも、ぐっすりと眠りこんでいるぞ!
どーなってるんだ?あんたたち、中年のサラリーマンも、20代後半とお見受けするOLさんも、高校生も、大学生も、どいつもこいつも、そんなにぐっすり眠くなるほど疲れてるのか?マカとかユンケルとか飲んだ方がイイんじゃないのか?ちゃんと飯食ってるのか?
それともなにかい、そのあたりにツエツエバエでもぶんぶん飛び回ってて、それに刺されたあんたたちは、眠り病に罹ッちまったとか言うんじゃないだろうな。俺は昨日の夜12時くらいまで働いて、今朝も8時から働いてるけど、まったく眠くないぜ。きりきりシャンだ。寝たふりするのはやめてくれないか?まったくあんたたち、恥ずかしくないのかい?ひとりの人間として!誰だっていつかは年を食ってよぼよぼになっちまうんだぜ。
俺は、善人ぶってるわけじゃないんだぜ。人として恥ずかしーって言ってるんだ!
俺はもう少しで怒声を発して、おばあさんに席を譲ってやるように命令する寸前だった。現場で鍛えた俺の声は、とてもよく通る。気味にも聞かせてあげたい。駅のホームの端から端まで聞こえるほどだ。今までにも、日系ブラジル人のお母さんが、子供を抱いて立っていた時、俺も立っていたけど、『誰かこの母子に席を代わってやれよ、寝たふりするな!誰もいないのか?みっともない!』と起こったことがあったな。俺の血はすっぽんの血みたいに赤くて熱いんだ。いつだって、見ちゃいられない。
しかし、俺の良心の雄たけびが、かえっておばあさんの心身に負担をかける恐れもあるので、ぐっとこらえたんだ。忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐えって奴だ。実際、俺のばあさんは、俺が若い頃怒号をあげて兄弟喧嘩していると、心臓が止まりそうだと言って、貧血をおこしていたからな。
いろんな国に行ったけど、こんな腐った奴らで一杯なのは、このニッポンという国だけだ。私の生まれたこの国だ。俺は自分は立っているので代わってあげることもできないのに、恥ずかしさで胸がいっぱいだ。情けない。あんたたち、格好悪いぜ!卑劣な人間に見えるさ!俺は、この寝たふり野郎共と同じ日本人であることが、ホントーに恥ずかしい!おばあさん、ごめんなさい!
その中でも、とりわけムカつくのは、二人の子供と、その母親たちだ。
私立の小学校に通っている小学生と思しきガキ共扉があくなり駆け込んで、二人並んで座っていた。それは悪くない。子供だからな。そして、そのシートの背もたれの後ろには、イオンの宣伝に出てくるような、授業参観だか入学式だかに着るような服を着た母親2人が、背もたれから覗き込むようにして子供たちに話しかけ、互いにくっちゃべり笑っている。小金持ちそうな母親たちだ。結構なことだ。
しかしなんと、例のおばあさんが、不自由な身体をあずけている肘掛けは、そのガキどもが座ってるシートの肘掛なんだよ!どういうこった?
俺が親なら、いや、真っ当な親ならば、おばあさんに席を譲ってあげるように、子供たちに教え諭すはずだろう。それが躾だよ!何も、裸にひん剥いてベランダに放置したり、脳みそがぶっ壊れるほどぶん殴ったりするのが躾じゃないんだぜ!社会の中で、如何に振る舞うのが人として正しい行いなのか、それを教えるのが躾だって!そんな風だから、どいつもこいつも堪え性の無い甘ったれたガキになっちまうんだ。
世間を見渡してみろ、自分が最優先、プライオリティー№1っていう勘違い野郎ばかりだ。君の周りにも、そんな勘違い野郎がいることだろう。そいつは、きっとおばあさんに席を譲らないセコい奴なのさ。
俺は恥ずかしい。おばあさんをねぎらってあげたいくらいだ。
もう一度言わせてもらうぜ、老人が電車に乗ってきたからって、寝たふりするのはやめろ!みっともない!
自分より弱いニンゲンに優しく接することもできないような奴らがごまんといちゃ、世の中は決してよくならないぜ。この世の中は、一人一人の人間が群れ集まることでできている。だから、世の中が腐ってると思えるならば、一人一人の人間が腐ってるってことだ。俺や君も含めてな。
どれだけ会社で偉そうにふるまってみても、どれだけ自惚れて、他人を見下してみても、どれだけ小金を貯め込んでいても、自分のケツも満足に拭けないガキの頃から私立の小学校で英才教育を施されていても、強くも優しくも正しくもない奴らは、ダメーッ!ゼンゼン話にならないぜ。
けど、世の中を少しでもマシにしたいのなら、自分自身が自分自身に誇れるような自分でいることだ。世の中をよくするのは、政治家や警察、マスコミや宗教団体の仕事じゃないんだぜ。一人一人の人間の日々の小さな振る舞いによって、世の中は良くなっていくんだ。俺は信じてる。そう、ココはもっと住みやすくなるはずだ。もう一度言おう、俺は信じているんだ。信じたいんだ。
読者諸君、俺は狸寝入りの得意な奴らにうんざりしてる。けれど、俺のブログを読んでくれている君たちは、そんなクズ人間じゃないって、俺にはなんとなく判ってるんだ。俺はそんな君たちが大好きだ。だから、また会おう。

2012/04/16

Post #508 Sorry, I'm So Busy

今日も急に、ホントーに急に、夜も仕事をしてほしいという話になってしまったんで、仕方ない。今日はこれだけ。いつもあんまり長い文章を読んでると、読んでる方も書いてる方も疲れるんじゃないのかい?ってことで、読者諸君、勘弁して欲しーもんだ。
Marrakech,Morocco

とはいえ、俺は自分の写真に自信があるんだ。根拠はないけれどね。これだけは言える、俺は俺スタイルの写真に関しては、世界サイコーの男だ。断言する。
だから、これだけでも君たちががっかりするってことには、ならないだろう。
読者諸君、失礼する。今から再度出撃なんて、うんざりするってもんだ。世間様並みに、くだらないTVでも見て、ダラダラしたいもんだね。

2012/04/15

Post #507 まことにもってつまらない歩行者天国

オッス!ファンキー・ガッツマン・スパークスだ。勢いで実名を書きそうになってしまった。別にかまわないけどね。今、仕事を終えて帰ってきた。なに、大したことはしちゃいないさ。疲れてるってほどでもない。チョロイもんだ、絶好調だ。そういうことにしておこうぜ、その方が丸く収まるってもんだ。
さてと、今日も今日とて俺は、百貨店で仕事をしていたんだ。
おもえばその百貨店で仕事を始めてから二か月以上にもなるだろう。いや、初見の人が勘違いするといけないから、あえて言っておくが、俺は内装工事屋だ。男業の中の男業だ。いい年して、自分の好みとは違う服を着て、自分が好きでもない服を他人に売るような仕事をしているわけでは、ない。しかし生きていくためには妥協も必要だ。好みよりも慣れということもあるだろう。フツーならばそれも致し方あるまい。しかし、俺にはどうにもできないんだな。モノを売るなら、売れなくっても、自分の好きなものを売りたいもんだ。
その点、俺は自分のことが大好きなお目出度い男なんで、自分自身に値をつけて売ることにした。それで今の仕事だ。おつな商売道具を生まれながらに持っている女性たちの究極の女業とは違い、男業の中の男業は買いたたかれるばかりだ。しんどい割に実入りは少ない。人生は思うようにはいかない。しかし、そこにドラマがあるというものだ。それで根を上げるような奴は、ファンキー・ガッツマンなどとは呼ばれない。腑抜けの玉無し野郎だと相手にされなくなるのがオチだ。値を上げるよりも、実力で値を上げることを目指す方が建設的というものだ。今目の前にあることに、全力投球できない奴は、どこに行っても、ガスの入ってない百円ライターほどの活躍しかできないだろう。
そんなことは、どうでもイイ。脱線、脱腸、脱肛だ。
Marrakech,Morocco
今日の昼休み、俺が百貨店の真ん前の吉野家に昼飯を食いに出かけると、大通りは歩行者天国になっていた。
実はこの歩行者天国、昨年試験的に実施して好評だったので、今年もやりますという話だが、何が好評なのか、俺にはさっぱりわからない。
ただ、いつもは車が行きかう車道を、ブラブラと歩くことができるというだけの、実に退屈きわまる代物だ。しかし、家族連れやカップルなどはご満悦なようだ。
屋台も出てなければ、大道芸もない。ただだだっ広い車道を歩くだけ。それ、面白いのか?
誰が付けたか歩行者天国という名前。よく天国とはつまらないところにちげーねぇ、その証拠にどいつもこいつも、あれだけうんざりしていたこの世にまた帰りたがる、という小話を耳にしたことがあるが、この歩行者天国も、退屈なことにかけては、本物の天国と同じくらい退屈だ。
俺はモロッコのマラケシュの中心、世界遺産ジャマエル・フナ、通称フナ広場を思い出す。
屋台あり、大道芸あり、民族音楽の楽団あり、へびつかいのオヤジあり、猿回しのオヤジあり。土産物屋、有象無象にあり、地面に布を敷き、帽子やら香辛料やら衣類やら自分の売れる限りのありったけを並べて売ってるおっさん、おばはんあり。なかには使い古しの入れ歯を並べて売ってるおっさんまでいる。誰が買うんだ、それ?
夜になると、本格的な屋台村が出現し、人々はぼったくられる。飯を食ってると、子供やおばーさんが、ティッシュを売りつけに来る。変な子供だましの玩具を売りに来る。
朝から真夜中まで、ドォンゴ、ドォンゴ、ドォンゴ・・・って、ドラムの響きの絶えることが無い。
人を小ばかにして、真面目に考える力を奪うような笛の音が、どこからか流れてくる。
そんな中を、馬車が、ボロボロのベンツのタクシーが、スクーターが、自転車が、ロバの荷車が、クラクションを鳴らし、怒号を張り上げ、人の波をかき分けるようにして走り回る。
俺の街の歩行者天国がもし天国ならば、ココはむしろ地獄だ。けれど、天国より燃える地獄のほうが、刺激的だぜ。そう、断言しよう。これこそが祝祭空間だ。一年365日、訳もなく毎日お祭り騒ぎだ。サイコーだ。ココに住みたくなってくるぜ。
どうせ歩行者天国とかやるんなら、そこまでとは言わないけれど、もう少し面白く、かついかがわしくしてくれても、いいんじゃないですか?ダメですか?もうちょっと羽目を外しても、いいんじゃないですか?えっ、屋台をやってるテキヤさんは、暴力団排除の名目で、最近敬遠されてるの?バッカじゃないの?所詮、ルール大好きの日本人には、無理な相談かもしれませんねぇ。
ますます、一般的な日本人のセンスから逸脱し、世界性を獲得している俺なのさ。
読者諸君、失礼する。明日も満員電車で現場に行かなけりゃならないなんて、気が滅入るぜ。

2012/04/14

Post #506 世界中コンビニ

俺の考えでは、経済てもんは、何かを持つものと持たざる者がいてはじめて機能するもんだ。
資源を持っている奴が、金を持っている奴に売る。その資源が、他の奴が持ってないようなレアなもんだと、ドバドバ金が入ってくるだろう。けれど、どこでも掘ったら出てくるようなものだと、買いたたかれてしまうわけだ。もし、金がそこいらに転がっているようなもんで、誰しもがフツーに金の延べ棒なんかを持っていたなら、金相場なんて、成立しやしないだろう。それは子供でも分かることさ。レアなトレーディングカードに、高い値がつくというものだ。
経済活動というものをイメージする際に、俺がいつもてっとり早くイメージするのは、熱の対流現象だ。温度の高い水と、温度の低い水を同じ容器にぶち込むと、異なる温度の水どうしが、対流を起こし、容器の中をぐるぐると駆け巡る。これがケーザイ活動が活発で、資本や物資が流通している状態だ。結構なことだ。リーマョックのことなんて忘れて、景気がよくなッたら、バブルの頃のように浮かれて暮らすってのもイイだろう。
しかし、熱の対流現象は、いずれ温度が一定になって、終わる。資本がある一定のレベルで全世界にいきわたった時、世界経済は停滞するのだ。日本を見てみるがいい、今や俺達は何もかも持っている。いや、そうじゃない、自分は貧乏だって言う人だって、洗濯機やTVや冷蔵庫を持っている。世界的に見たら、これってとても便利だ。一日1ドル以下で暮らしてるような人々が、いつか車を持ち、エアコンの効いた家に家に住み、流行の服を買い、洗濯機で毎日洗濯し、録画機能付きの液晶テレビを見て、くだらないバラエティー番組で笑い転げるようになったなら・・・。その時、経済は停滞する。70億総中流だ。日本の経済が、長らく不況から脱出できない本当の原因は、そこにある。だって、みんな何でも持ってるじゃないか、今更何が必要だっていうんだい?となれば、企業は何を売って利益を得ることができるだろう?はなはだ疑問だ。
Marrakech,Morocco
しかし、幸いなことに現時点では、この世界は残念ながら不公平だ。不公平に満ち満ちている。それが世界というもんだ、当ったり前だろー!金持ちもいれば、貧乏人もいる。それこそが、この世界のダイナミズムを生み出している。かつて、アメリカと覇権を争ったソビエトが崩壊し、中国が拝金共産主義に方向転換することで、21世紀に生き残った理由はこのあたりにある。そう、コップの中で、水はぐるぐる回っているんだ。OK、これが世界の定説だ。
俺達はジャンジャン電気や資源を使い、便利な暮らしをしている。世界中が俺たちのようなペースで消費活動を行ったら、地球は一個じゃとても足りない。5つくらいは必要だろう。
極論すれば、トヨタが頑張って中国やアフリカで車を売れば売るほどに、世界はヤバいことになっていくのだ、残念ながら。そういえば、原発事故以来、余り地球温暖化の話しをきかなくなったものだ。まぁ、放射能で苦しむか、地球温暖化で酷い目に合うのか、どっちが得かよく考えてみよう。いずれにせよ、俺たちの快適な暮らしは、何か取り返しのつかないことを犠牲にして手に入れてるのさ。とはいえ、俺は善人ぶって自分の生活を改める気もないし、今更、江戸時代みたいな暮らしには、戻れはしないよな。どっちに転んだって、すっかりゼータクな暮らしに慣れっこになっちまった俺達には、今更後戻りはできないぜ。そして、便利で豊かな生活を求めている途上国(という言い方は決して好きではないけれど、他にいい言葉もないんで使わせてもらおうか)の皆様に、お前らは不便でビンボーなままでいろよという権利は、誰も持ち合わせてはいない。人間の欲望って奴には限りがないからな、誰しも豊かで便利で、快適な暮らしをしたいって思うのは、自然なことだからな。
いつもながら、また脱線してしまった。今言いたいことは地球温暖化の話しじゃない。
もし、急速に拡大し続けている、怒涛のようなグローバル資本主義によって、世界の交易がますます盛んになり、今途上国と言われる国々の生活レベルが、改善向上され続けていったら、一体ぜんたい、この世界はどうなちゃうってんでございましょうか。
それはそれでけっこなことかもしれない。ビンボーな移民が暴動を起こすこともなくなることだろうよ。
いつも、俺はイメージする。アメリカで生み出され、日本で完成されたこのコンビニエンスストアちゅう奴が、世界中どこに行っても、俺が夢見るロシアのシベリアにも、サハラ砂漠のオアシスのような小さな町にも、マングローブの生い茂る南の島々にも、どこに行っても便利に24時間営業している世界をイメージする。ついでに言うと、店員はたいてい世界中どこに行っても中国人だろうよ、きっと。
その時、世界の経済はきっと終わっている。新しいものは、誰も買わない。新しくないものも、誰も買わない。何故なら、誰もが必要なものを十二分に持っているからだ。皆が買うのは、コンビニで売ってるようなものばかりだ。
いつかきっと、そんな世界がやってくるだろう。それは便利には違いない。
けど、そんな面白みのない世界に繰り出して、写真を撮ってこようって気には、俺はさらさらならないね。
幸いなことに、パリにもセブンイレブンは無かった。マラケシュにはローソンは無かった。イスタンブールにはファミリーマートは無かった。アムステルダムにもサークルKは無かった。個人のやってる、小さな間口の雑貨屋が、未だに幅を利かせていた。日本では、すっかり見かけないけれどね。けど、それはもう時間の問題だろう。実際に、香港はコンビニだらけで、日本と同じものが買えた。ホーチミンにも今頃、コンビニが続々とできていることだろう。
冗談じゃないぜ。変なところで、世界は一つ、人類はみな兄弟かよ。たまらないぜ。
読者諸君、失礼する。いつも俺は、そうなる前に、出来るだけ、旅行をしてみたいと思ってるんだ。

世界中にコンビニが展開する前に…。 読者諸君、失礼する。よい休日を過ごしてくれたまえ。俺は君たちの分まで働かせて頂くぜ。

2012/04/13

Post #505 今日も小忙しい

今日も小忙しい、さっき帰ってきたんだが、また夜8時から現場に行かなければならないんだな。
少し仮眠しよう。なので、今日はほぼ写真だけ。小学生から学校と塾を取っ払ったような暮らしが理想なんだが・・・、なかなかその道のりは険しー。
Marrakech,Morocco
読者諸君、失礼いたす。

2012/04/12

Post #504 ふと、ある女の言葉を思い出した

Marrakech,Morocco
この写真を見ていたら、ふと思い出したことがあった。
ずっと前に知り合った女の子は、独特のアイメークが印象的な素敵な女の子だった。

彼女は、自分は中近東の女性のようになりたいと言っていたっけな。

チャドルとか着たいのかと思ったら、メイクとか顔立ちのことだった。
俺はその時、もし中近東に生まれていたら、今の君のよーには、自由におしゃれを楽しんだりは、できっこないだろうと思ったもんだぜ。
アラブ系の女性は、目元が強調されたメークが印象的だ。もともと彫りも深いしな。仕方ない。目元以外はほとんどすっぽり覆い隠されているんだからね。そうじゃなくても、スカーフだ。
伝統的な衣装に身を包んでいる限り、目元だけで自分の魅力をアピールしないといけないんだからな。そりゃまぁ、リキも入るっちゅうもんだろう。
女の目力には、気を付けないといけないのさ。俺はなんて言ったって、酒には弱いが、女にはもっと弱いんだ。どうだ、スゲーだろう。
ふと、思い出しただけのことさ。
どってことない昔の話しさ。
きっと、この先の人生、もう会う機会もないだろうからね。忘れないうちに書いておいたまでのことさ。
君たちがいろいろ想像して楽しんでみるのも、一興かもしれないがね。しかし、そういうのは下衆の勘繰りという場合もあるんだぜ、ふふふ・・・、気を付けて欲しーものだね。
読者諸君、失礼する。話したいことは結構あるにはあるんだけれど、まぁ、俺もそこそこ忙しいのさ。なんて言ったって、寝るのも仕事のうちってことだよ。

2012/04/11

Post #503 本日、雨天につき

今日はアレだよ、思いもよらず仕事の予定が空いてしまったんで、家でプリントしていたんだ。
24カット。例によってモロッコだ。
しかし、まだまだプリントしていないネガは腐るほどある。道のりは遠いというものだ。
いや~、まいっちゃうなぁ。
Marrakech,Morocco
こんなんじゃ、全部プリントし終わる前に年食って死んじまうぜ。かといって、仕事もせずにそればっかりやってるわけにもいかないしなぁ・・・。なんかイイ方法ってないですかねぇ。
読者諸君、失礼する。今からちょっくら現場に行って来なけりゃいけないんでね。やれやれ・・・。

2012/04/10

Post #502 写真の極北を想う

取り立てて、何ということもない一日だった。
仕事が早く終わったんで、愛知県美術館のアートショップNADIFFに行き、写真集など物色する。
やはり欲しくなるのは荒木経惟センセーだ。どれを見てもおんなじようなもんだが、写真の放つ生々しさが尋常ではない。さすが、天才アラーキーだ。
しかし、懐具合がさみしーので、見てみるだけだ。なに、そんなに売れるもんでもないからな。ここに来れば、いつでも買えるさ。そういうことにしておこうよ。
いろんな写真集を見ていた。
ふと、写真の極北という言葉が頭をかすめる。そして、頭から離れなくなり、その言葉の周りを志向が旋回し続ける。今まで傾向に偏りはあるけれど、たくさんの写真集を見てきた。それを踏まえた上で、極北とは・・。
それがどんなものを定義するのか、今一つ自分でもはっきりしない。けれど、それはきっと、ありきたりなキレーな写真ではないと思う。そして、何かの挿絵のように、状況を説明解説するためのものでも無いだろう。
思わず、言葉を失うような写真。とはいえ、そこには決して目を背けるようなおぞましい光景が写されているわけでも、見るものを驚愕させるような突飛なものが写っているわけではない。ありきたりのものが写っていながら、我々が写真を見る際に無意識に運用している基準を逸脱しているような写真。
現在の一般的な写真からすれば、それはすでに意味のない写真と言うことになろうか。
そして、それでいて、その写真を見つめていることで、写真を見ている者の絶句沈黙の中から、新たな言葉をひきだすような、詩的な写真。
いつか、そんな写真を撮ってみたいと思っているんだ。
Marrakech,Morocco
そんな写真ってあるものかねぇ?
自分が思いつく限り、若き日の中平卓馬の写真くらいしか、思い浮かばない。
で、そんなことを考えていたら、家に帰ってプリントする時間もあったのに、まったく手につかなかったって訳だ。
読者諸君、失礼する。写真の極北、それがどこにあるのか、どうすればそこにたどり着けるのか、俺はこの先しばらくの間、気になって仕方ないことだろう。

2012/04/09

Post #501 体調不良につき

数日前から、腰というかケツというかそのあたりが痛いなぁと思っていたんだけど、風邪だったようだ。
どうもいつまでたっても、寒いな今年はとぼやいていたら、風による悪寒だったようだ。
冗談じゃない。明日からまた激戦区に突入予定だというのに・・・。
Marrakech,Morocco 絵にかいたような蛇つかいのオヤジ
という訳で、この写真をあっさりと載せて、今日は休ませて頂くとするぜ。
あぁ、原子力とかでガンガン動く不死身の体が、欲しいなぁ・・・。あれ、今時不謹慎だったかな?
読者諸君、失礼する。体調不良でも、ヤルときはやらなけりゃならないんだ。人生、甘くない。

2012/04/08

Post #500 久々の故郷は荒れ果てて

このブログも既に500回だ。我ながら、呆れるぜ。この労力をもっと建設的なことに使えば、どれほどイイだろうか。などとぼやいても仕方あるまい。所詮好きでやっていることだからな。けど、誰だって自分のやってることに、疑問を感じることってあるんじゃないのか?何はともあれ、ここまで毎日ダラダラと続けてきたのも、読者諸君のおかげだ。ありがとう、どうもありがとう。これからもヨロシク。
Marrakech,Morocco
さて、俺は今日、久々に自分の生まれ育った小さな町に、といっても車で30分くらいのところだけれど、足を延ばしてきたんだ。何という訳もない。そのあたりの堤防が、桜の名所で、毎年この季節、一度くらいは足を延ばしているって訳だ。
しかし、かつては何もなかった荒野のような場所に、公園が整備され、桜の香りに包まれるどころか、焼肉の煙の臭いに包まれる有様だった。
風情がないと言ったら限りない。これが、何とも言えずすがれた風情を漂わせていたあの場所かと思うと、寂しくなってくる。聞こえてくるのは酔漢の呂律の回らぬ大声ばかりだ。
この人たちは、花見とか言って、単にバーベキューがしたいだけではないのかい?おっと、迂闊にこんな事を言うと、ご立腹の諸兄も多いかもしれないが、実際、気のあう友人や家族水入らずで、桜の木の下で焼肉&ビールとくりゃ、春の浮かれた雰囲気だけで、桜なんか愛でちゃいないんじゃないのかい?その地面に敷いたブルーシートは、桜の木の根の呼吸を妨げる厄介な代物だってご存知なのかい?花見に誘われても、今一つ乗り気になれないのはそんなことがあって、どうも腑に落ちないんだ。昔の人は、当然ブルーシートなんかなかったから、緋毛氈やムシロとかを敷いて花見を楽しんでいたんじゃないのかい?あれは木の根の呼吸を妨げないんだぜ。心なしか、年々桜の咲きっぷりが悪くなっているように思えるぜ。
もっと、心静かに桜の花を眺め、静かに楽しめるようなところは無いものかね。桜の花の下で飲むのは、やはりビールではなくて日本酒がイイ。それも、コップ酒じゃなくて、盃だ。そうなると、喰いもんだって、無粋な煙をまき散らす焼肉じゃなくて、あらかじめ重箱なんかに詰めてきたようなものを、酒の肴につまむ程度が粋というもんだ。それ、盃に花弁が浮いている。これがビールじゃ何の色気もありゃしないが、日本酒をたたえた盃だったら、これだけで絵になるもんだろう。
焼肉が食いたいのなら、焼肉屋に行った方がいいと思うが、いかがなものかな?
俺の好きな小説、今は亡き隆慶一郎の『一夢庵風流記』(そう、言わずと知れた『花の慶次』の原作だ)に、主人公の前田慶次郎が、おそらく京都近郊の山奥に自分の愛人と、従者だけを連れて花見に行く件がある。深い山に一本だけ咲く山桜に、毎年会いに行くのだ。慶次郎は盃の酒を飲みつつ、桜の老木に話しかける。愛人は琴を弾いてくれる。桜は何も答えはしないが、慶次郎は桜の古木と心を合わせてゆく。
そんな花見がしてみたいものだと、ずっと思ってるのさ。焼肉、冗談じゃないぜ。そんなのは俺に言わせれば、野暮ってもんだ。批判は覚悟の上だが、これは一歩も譲れん。もっと、花を愛で、散りゆく花を惜しむがいい。焼肉は、何時だって食える。しかし、桜には一年のうち、この時期しか会えないんだからな。
俺を憂鬱にさせたのは、それだけだはなかった。
俺が、ご幼少のみぎりから親しんだ景色が、一変てしいたんだ。木曽川に並行するように流れる用水は、例年この時期は満々と水をたたえ、うねるように流れていた。その用水の流れに張り出すように枝を伸ばした桜を見るのが、大好きだった。しかし、かつて見事な枝ぶりを誇っていた桜の木は切られ、用水は暗渠工事が施されて、チンケな流れになっていた。場所によっては、全て無様な暗渠に覆われて、かつても面影もない。そう子供の頃、雑木林や農地の真ん中を突っ切るように流れていたあの力強い流れは、陽光に煌めいていたあの豊かな流れは、一面砂利で覆われた、こんもりとした堤防のようなものに、変わってしまった。
何ということだ。
つい2、3年前まで、キジがうろうろしていたような緑地は消え、黄土色の砕石に覆われている。子供頃、遊びに行くたびにわたった橋は、その砕石に上に、意味不明に渡されている。ある意味でシュールだが、むしろ醜悪な情景だった。
調べてみれば、生活雑排水と農業用水を画然と分けるための工事だという。とはいえ、余りの無粋さに悲しくなってしまった。いやむしろ、暴力的な景観破壊に、憤懣やるかたないと言った気分だ。
俺の生家は、父親の借金のカタにとられ、既に無い。やはりこの時期桜の花を咲かせていた近所の神社すらも、何年も前に打ち壊され、安っぽい建売住宅に代わっていた。俺がメダカを捕まえていた小さな流れは、しっかり埋立てられ、結構なサイクリングロードに生まれ変わってしまった。
そして、唯一俺の中に残っていたふるさとの美しかった姿も、こうして優秀な行政担当者と、これまた勤勉な土木工事業者の皆さんの手によって、踏みにじられ、二度とみることはできなくなってしまった。ありがとよ!多大な税金を使い、故郷の自然を破壊し、何をしようというんだい?
一度失われたてしまったものは、二度とは戻らないんだぜ。安っぽい公園をどれだけ作ろうが、自然と、人々の暮らしによって、綾なすようにはぐくまれてきた景観を超えるようなものは、一朝一夕に作れるもんじゃないだろう?

俺は、後悔した。どうしてもっと、写真を撮っておかなかったのか。
俺の記憶の中だけでなく、かつて、そこに、それは確かに存在した、という証しとして、写真を撮っておかなかったことを、真剣に後悔したんだ。クソ!
俺は、失われた流れを、堤防の上から眺め、かつてそこを流れていたはずの用水を想いながら、流れを覆い尽くして、大地に醜い蚯蚓腫れのように連なる砕石の帯を、怒りを込めて撮影した。
役人の考えることは、本当にくだらない。税金は有り余っているのか?
こんな醜い景観になってしまった郷土を、誰が愛することができるというのだ。
郷土に愛着も持てないようにしておいて、愛国心を持てだとか、ふざけたことをほざく政治家ばかりだ。どこを見たってコンクリートと、砕石と、アスファルトばかり。この小さな島国の隅から隅まで、そんなもので覆い尽くしたいのかよ!
写真にも、風景にも、水気が必要なんだ。そしてもちろん、俺たちの乾いた心にもな。
読者諸君、失礼する。故郷を失うことが、こんなに切ないものだとは、生家が無くなった時には気が付きもしなかったぜ。

2012/04/07

Post #499 何十年もあっていない友人

昨日の夜中、徒然なるままにネットを徘徊している時、ふと思い出して古い友人の名前を検索してみた。すると、ジャンジャン出てくる出てくる。
信じ難いことかもしれないが、この中年のおっさんにも、ご幼少のみぎりがあったのだ。内気な幼少年時代を共に過ごした数少ない友人だった。よく一緒に近所の川に釣りに行ったり、マンガを読んだりして過ごしたもんだ。気の合う幼馴染だったってことだ。
同じ幼稚園、同じ小学校に通っていた俺達だったが、俺は私立の中学校に進学し、彼は地元の中学に進学した。もともと、勉強の嫌いな彼だった。小学校の授業中に、ぷいと出ていって、そのまま家に帰ってしまうことも度々だった。俺はそのまま私立の高校に進学したころ、彼は高校にはいかずに、土方かなんかのアルバイトをして、中学から初めていたサッカーを真剣にやってみたいと、ブラジルに渡るための渡航費をコツコツと溜めていた。そしてしばらくして、彼は海外に出て行った。
以来、高校を出たくらいの頃に1、2度会ったっきりだ。その時の話しでは、ニューヨークでサッカーのコーチングを始めたと言っていた。あちらで知り合った中国人の女性と結婚するとも聞いた覚えがある。
あれからすでに25年くらいがたっていた。普段の生活では、思い出すこともまれだ。ココに書いておかなければ、ひょっとしたら、もうこの先一生思い出す機会もないかもしれない。
俺がすっかりよれたおっさんになっている一方で、彼はさらりと見た限りでは、サッカー指導者として、ニューヨークで活躍しているようだった。結構なことだ。ネット上で見る43歳の彼の写真は、陽にさらされた肌の色のと、何やら導師めいた口髭のアジア系アメリカ人のそれだった。細められた目に、どことなく幼いころの面影が残っていた。
FaceBookとかやっているようなんで、連絡を取ることもできるだろう。俺も、FaceBookのアカウントを作ろうかなとも、思ってはみたんだが、しばらく考えてやめた。
今更、連絡をとって旧交を温めてみたところで、どうなるものでもないだろう。
どうせ話すことなんて、百年くらい前の懐かしい昔話ばかりで、建設的なことなんて、これっぽっちもありゃしないだろう。お互いの現状を話し合うには、俺達は遠くに隔たり過ぎているというもんだ。それに、俺はサッカーにそんなに詳しくないしな。そっと、遠くから時折気遣かって、眺めているくらいがちょうどイイのさ。それに、あいつ、日本語なんて忘れちまってるかもしれないしな。
これが、女の子とかだったら、ちょっと話が変わってくるんだけどな・・・。
Marrakech,Morocco
そう、相手が昔の女の子だったら、もうちょっと前向きに検討してみるんですがね。
この辺の感覚にしっくりくるのが、金子光晴の次の詩だ。

『凄まじいな、もう僕も五十一だ。

僕がこの世ののぞみといへば
あの女たちにもう一度あつてみたいことだ。

かたらふすべもなくて、僕がそばを
すりぬけていったあの女たち。

どんなにかはりはててゐたつて
いや、それはお互いさまぢゃないか。

どこまでも追ひかけていつて
僕がききたいとおもふ一言は
〝まぁ、あのときのあんただつたの?〟』

まぁ、それでもこんなところさ。
それよりも何よりも、今、俺のしょうもない文章を根気よく読み、へたっぴぃな写真を見てくれている君たち読者諸君と、もっといろいろと語り合ったりしてみたいと思っているのさ。
読者諸君、また会おう。次回で何と五百回だ。我ながらよくやるぜ、まったく。

2012/04/06

Post #498 スークにて

久しぶりに、髪を切ってきた。モジャモジャだったからな。仕事の大変さをアピールするには、もってこいだったんだが、ご飯を食べてると、モジャモジャした髪の毛まで一緒に口に入ってくるのにはいい加減うんざりしていたんだ。
行きつけの美容院、栄美容室(どこの街にもありそうな名前だが・・、これは俺の住む町に実在する。スタッフの皆さんには、いつも歓迎してもらっている。感謝してるぜ。)に行き、髪を切ってきたんだ。相変わらずのくるくるパーマだが、これはくせ毛だから仕方ない。日本を代表するお騒がせ女優沢尻エリカも、天然パーマだそうだ。まぁ、俺にはカンケーないか。
栄美容室さん、いつもありがとう。とはいえ、年に3、4回しか行かないけどね。

それはともあれ、今日は写真だ。昨日水揚げしたばかりのぴちぴちだ。禅の用語を使ってみれば、活潑潑地という奴だ。なんだかよくわからんが、字面だけ見ているだけでも躍動感が伝わってくるというもんだ。
話はそれるが、俺は実は臨済録とか読むのが好きなんだ。岩波文庫の入矢義高センセーの訳注の奴なんだが、この現代語訳がすこぶる痛快なカンジだ。脱線を承知で少し引用してみよう。なに構うもんか、エリートビジネスマンじゃないんだ、好きにやらせてもらうよ。
『(前略)君たちの生ま身の肉体は説法も聴法もできない。君たちの五臓六腑は説法も聴法もできない。また虚空も説法も聴法もできない。では、いったい何が説法聴法できるのか。今わしの面前にはっきりと在り、肉身の形体なしに独自の輝きを発している君たちそのもの、それこそが説法聴法できるのだ。こう見て取ったならば、君たちは祖仏と同じで、朝から晩までとぎれることなく、見るものすべてがピタリと決まる。ただ想念が起こると知慧は遠ざかり、思念が変移すれば本体が様がわりするから、迷いの世界に輪廻して、さまざまな苦を受けることになる。しかし、わしの見地に立ったなら、〔このままで〕極りなく深遠、どこででもスパリと解脱だ。』(岩波文庫臨済録 示衆 P39より)
どこででもスパリと解脱だってのが、サイコーに格好Eわ。己とは何かちゅうことさえばっちりと押さえとけば、見るものすべてがピタリと決まる。これは写真にも通じるようにも思うが、どーだろうか、諸君?
臨済宗は、一休さんでおなじみの『怎(そもさん)!、説破!』でおなじみで、臨済はその開祖の中国の坊さんだ。理屈を突き抜けて、こまごました理論を蹴散らしといて、それを直感的に止揚するパワーが、読んでて堪らないんだけど、文章だけ読んでると、これは酔っぱらいのオヤジの妄言にしか思えないところがサイコーだ。すぐに、弟子とか自分の師匠を棒でぶん殴ってるしな。
他にも、仏なんてカチカチの糞の棒だ!とか、閻魔に飯代を請求されるぞ!とか、思わず笑い転げるような言い回しがてんこ盛りだ。こんなもんを読んでるから、ロクでもないおっさんになってしまったという訳だ。
あ、そうそう、マラケシュの写真だ。出し惜しみして今日はまず一枚だけだよ。
Marrakech,Morocco
モロッコのあたりの先住民族、ベルベル人の言葉でで神の国に由来するマラケッシュのスークの一角にて。
スークとは、アラブ世界で言うところの市場だ。人びとは、買い物が無くても、暇潰しや、唯座って時を過ごすために、スークに集まってくる。路上の屋台で飯を食い、路上で世間話に花を咲かせ、路上で遊んでいる。人間の生活が路上で繰り広げられている。
路上の暮らしだ。狭い路地に人が、車が、原付が、ロバが、馬車が縦横無尽勝手気儘に入り乱れる。竹で組んだ屋根から、アフリカの強い日差しがスポットライトの様に差し込む。荷車を引く馬が嘶く、人々は押し合うようにして馬車に道を譲る。馬車を操るおっさんは、何だか得意げだ。
どう、カッコいいだろう?俺は自分でこのカッコ良さに我ながらちびったぜ。
藤原新也の言葉(名著、印度放浪だよ!)をひくまでもなく、世界は良かった。
読者諸君、また会おう。

2012/04/05

Post #497 On The Road

本日、久々に寸暇を縫ってプリント25枚。
モロッコのマラケシュの写真だ。ただ今乾燥中なんで、明日以降、順次お見せしよう。
写真を撮っていて面白いのは、路上の暮らしだ。トルコでも、ベトナムでも、香港でも、モロッコでも、人々は路上でいろいろとやっていた。
生活の場が、個々人の暮らす住宅の中から、路上にはみ出している。路上で人々が交わり、生活を営んでいる。子供たちが、路地でよれよれのボールでサッカーをしていたりする。屋台のような店が並び、道に商品を広げただけの店とも呼べないような店もある。値段は決まっていない。客と店主の交渉によって、妥当な値段が決められていく。
日本では、路上は単に人々が行きかい、車が走り抜けるだけのものになってしまっているけれど、本来道とは、こんな雑多なものだったんだなと、楽しくなる。昔の日本もこんなようなものだったに違いないが、今は違う。人びとはただ忙しそうに道を行き交うだけだ。無駄がないと言えばそれまでだが、人生ちゅうのは、一見無駄な行為によって奥行きが出てくるんじゃないのかい。街も同じだろう。道路に、人々のプライベートな空間がはみ出している。どこからプライベートで、どこからがパブリックな空間か、混沌として判然としないわけだ。まるで、街の内臓がむき出しになっているように感じる。
まさに路上生活だ。そういってしまうと、今の日本ではホームレスを連想してしまうが、生活の場が路上にあるといったような意味合いでの路上生活だ。
どこに行っても、ただ街をブラブラ歩き、立ちどまることすらなく写真を撮っていく俺には、こういった路上生活は大のご馳走だ。
HongKong
俺は自分が、人間好き、つまりヒューマン・インタレストだと痛感する。どんなに雄大で美しい景色でも、人間の生活感ちゅうか、人間臭さがしない風景は、ことさら写真に撮りたいとも思わないからな。
路上の暮らしは、まさにそんな俺にうってつけなんだ。
確かに日本はどこに行っても整然としていて、キレーだけれど、路上に生活感があるかと言ったら、むしろないわな。強いて言ったら、ホームレスのおっさんの家とか、屋台とかか。しかし、行政はホームレスを公園から締め出し、街から追い出そうとしている。屋台は縁日なんかの得意な場所に限られているのが実情だ。
路上での暮らしが無くなったことで、俺たち日本人が失ったものは多いんじゃないだろーか。
確かに俺たち日本人は、世界的に見ると最も豊かな民族だ。子供たちは、よれよれのサッカーボールを、暗くなるまで追いかけることもない。塾の合間にPSPで遊んでいることだろう。
道端で、人びとが語り合い、笑いあう姿を見ることもまれだ。何といっても、ココ日本では、道は通行するものだからね。そんなことしてちゃ、すぐに車に轢き潰されちまうさ。道に人々がたむろして、集まれば、すぐにオマワリが飛んでくる。道路は、通行するためのもんだからな、仕方ないか。
けど、そんな暮らしが無くなって、俺たち日本人は、おおらかさまでなくしちゃいないかい?
身のまわりは抗菌素材で、ガードされている。マスクなんて、俺のガキの頃は口裂け女くらいしかしちゃいなかっただろう。けれど、今じゃどうだ、どれも彼も、目に見えないものを気にして、マスクをして足早に歩いている。そして俺たちはいつでも些細なことで、目くじらを立てていさかっている。
そういえば、もう14年もの間、自殺者は年間3万人を越えているそうだ。
まぁ、路上の暮らしの有無とは、何の因果関係も見い出せそうにないけれど、俺はそこに何か風が吹けば桶屋が儲かる式のつながりを感じないではいられないぜ。
読者諸君、失礼する。いつかどこかの街角で、君と遭うことがあったら、ぜひそこらの道端で、長話してみたいもんだ。

2012/04/04

Post #496 春の嵐は、家の中にも吹き荒れる

日本全国を爆弾低気圧による嵐が駆け巡った。俺も午前中から客先に行っていたんだが、不穏な空気を感じて、さっさと家に帰ってきた。今日はうちの連れ合いも有給休暇をもらって家にいるからな。
凄い雨風だ。車の運転をしていても、思わず目を瞠り、危険を感じるほどだと言いたいが、実際の俺は昼にコンビニで買ったチャーシュービーフンが腹の中で膨れ、なおかつ、急激な気圧の低下で眠くて眠くて仕方なかった。まだ完全に俺の体は復調していないんだろう。のんびり運転して帰ってきたんだ。
家に帰ってくると、すりゃスゲー雨だ。ホースで窓ガラスにジャバジャバ水をぶっ掛けているような勢いだ。これは仕事なんてしていないで、家でのんびり楽しむに限るな。大けがをしたり死んだりする人もいるのは承知しているが、俺は、こんな台風や嵐を家の中から楽しむのが好きだ。とはいえ、そのうちに飽きてきて、昼寝していたりするのが通例なんだが。
Bruxelles
で、夕方にはすっかり嵐はどこかに去ってしまったんだが、家庭内の嵐はそのあとで吹き荒れる。
うちの連れ合いは、俺が低気圧と腹の中のビーフンの余韻に浸ってまどろんでいる間、ずっと写真の整理をしていたみたいなんだが、夜になって、出来上がったアルバムに貼るタイトルを、テプラで作ってくれと言ってきた。面倒臭い。自分でやればいいものを・・・。
俺は、こう見えて神経質だから、テプラに文字を入力しながら、文字のサイズや字体を確認し、設定を変更したりしていたんだ。以前のものと整合性がとれていないのは嫌だからな、自分のものじゃなくても。しかし、女ってのは大抵そんなことは気にしない。男と女では気になるポイントが、全く違う。
俺は、年に3回くらいしか使わないテプラの入力に手間取っていた。あれはなんだか使いにくいもんなんだよ。分かって欲しいね。
うちの連れ合いは、そのうちに、遅いとか言って文句をいいだした。小バカにした雰囲気すら漂う。
俺は、かなりイラッときた。そんなことを抜かすんなら、自分でやってみろよと、すべての設定をクリアしてテプラを渡すと、なんでそんなことを自分がやらねばならないのかと、ブー垂れる始末。それでもやらせてみると、10分以上かかっているじゃないか。まぁ、それをストップウォッチで測る俺もかなりねちっこいが。
で、小ばかにしやがって謝れ、なんで自分が謝らなけりゃならないの、それこそ馬鹿じゃない?というまったく以て下らん応酬の末、俺は頭に来てテプラを不燃ゴミのゴミ箱に叩き捨てた。これさえなければ、今後二度と作ってくれと頼まれる事もないし、所詮は貰いもんだ、叩き棄てたところで、惜しくもないわ、内心少し惜しいけど。
で、俺はプリプリしながらも、気持ちを切り替えて仕事の電話をかけはじめたら、うちの連れ合いは、ゴミ箱のテプラを拾って、食器棚の扉に叩き付けている。『何やってんだ!やめろ』俺は怒鳴った。
俺は仕事の電話を切ると、いい加減にしろよ!と声を荒げて詰め寄ったが、当の本人は全く反省する風もなく、『いつもあんたがモノにあたるから、どんな気分がするかわからせようとしてやった』とかビミョウに位相のずれた事を言うばかり。
謝れっていっても、ゴメンとはいうが、何を謝ってるのか自分で分かってるかと聞くと、『あんたがゴメンって言えっていうから言った』と抜けしゃあしゃあと答える始末だ。連れ合いとは、もう18年くらいになるけど、実はこいつはとんでもなく強情だ。いつだってこうだ。挙句の果てに、すぐにもう出ていくとか、別れるとかいうんだぜ。こんなんじゃ、何を言っても仕方ない。疲れるだけだ。
以来、バカらしくって口もきいていない。昔のソヴィエトとアメリカの冷戦状態を思い出したくらいだ。バカバカしいと思っても、若い頃と違って、いろいろと抜き差しならないものもあるしな。若い頃なら、家を飛び出して友人の家に転がり込んだりもしただろうが、さすがに40越えてそんなことをすれば、転がり込まれた方も、大概メーワクきわまるってもんだろう。だから今夜も居間のホットカーペットの上で、毛布一枚で眠るのさ。なに、これも人生さ、ロックンロールさ。それにしても、とんでもない春の嵐だぜ。

2012/04/02

Post #495 I Just Believe In Me

俺は常日頃、自分自身が一番使用できないんだと言って、まわりの連中から失笑を買っている。
自分自身が、自分の希望や理想を裏切っている、もしくは、さまざまな事情によって自分自身に課した目標を達成できないことを、よく知っているんだ。
それには能力の問題や、さまざまな諸事情もあるだろう。体力的や事や時間的なこともあるだろう。俺はいつだって、マトモな人間になりたいと思っているんだが、往々にして、さまざまな要因によって、自分自身を裏切ってしまうんだ。急に仕事が入ったりとかね。
一番わかりやすいのは、アレだよ、アレ。プリントしようと思っていたんだが、どうしてもやらなけらやならない仕事が入っちまって、出来なかったんだぁ~とか、腰が痛くってプリントどころじゃなかったんだぁ~とかいうアレだよ。
この意志の弱さによって、俺は自分の人生の時間を無駄使いしてるんだ。
いつだって、半ば不可抗力といってもいい力の作用によって、俺の意志と希望はその軌跡を曲げていくことになってしまうんだ。そう、ブラックホールの近所を通る光が、その強力な重力によって、捻じ曲げられてしまうようにね。
もしそうじゃなかったら、俺は今頃は凄いことになっていることだろう。こんな少数精鋭主義の読者さんだけに寝言のようなブログを書いてるんじゃなくて、大手出版社のオファーで、パンピーが有難がるような自伝でも書いたりしてるだろう。いや、ああいうのはテキトーにあることないこと喋ってふくらまして、あとはゴーストライターが上手いこと仕上げるってもんだろう。気楽なもんだ。
Bruxelles
しかし、俺はそんな自分を納得させる、人生の法則を会得しているんだ。普段は、なかなかに教えない。授業料は高いんだ。おねーちゃんのいる飲み屋とかに連れて行ってもらわないと、決して言わない。しかし、読者諸君は特別だ。俺の上得意様だ。日頃の感謝をこめて、こっそりとお教えしよう。行くぞ!
人生、打率3割!
これだ。つまり、人生のうちで、3割ほど自分の思い通りになるんだったら、それはかなりのものだってことだ。
どんなバッターだって、3割くらいの打率があったなら、かなりの強打者とみなされるだろう。違うかい?中にはイチローの様にずば抜けた打率の奴もいるにはいるがね。しかし、3割ほども自分の理想に沿って行けたり、希望通りの人生を歩むことができたなら、これはうむ、もう人生の達人と言ってもいいんじゃないだろうか。何もかも自分の希望通り進むと思ってるのは、よほどの阿呆だろう。悔し涙で毎晩枕を濡らすがいいさ。
いいかい、人生打率3割理論ってのは、ある意味、せせこましくって、そのくせなんでも自分の思い通りになると勘違いして、勝手に悩んでいる現代人のみなさんに、大きな光明になる考えだと思うんだ。例えばだ、希望の学校や会社に入れなくても、それは人生のからぶってる7割の部分だと思えば、何も鬱病になったりする必要もないわけだ。
自分の好みの女の子とは上手くいかず、何故か自分の好みとはゼンゼン違う女性と所帯を持つことになっても、それは本当に自分の人生にとって、重要な、そう、外すことのできない3割の中には入っていないんだって思えばいいんじゃないのか?ひょっとすると3割1分くらいのところではあったかもしれないが。まぁ、なんだ、人生、7割くらいの諦めが肝心だ。
つまり、もっとわかりやすく言うとだね、河を泳いで渡ると、自分の目論見としては、まっすぐ最短距離で対岸に渡ってしまいたいが、怒涛の流れによって下流に流されながら、何とか対岸にたどり着くというもんだろう。
俺は高校生の頃、木曽川の対岸を目指してみたことがあるが、さすが一級河川だ、とても渡りきれるようなチョロイもんじゃない。危なく死ぬところだった。この喩えをスムーズに理解してもらえるとウレシーぜ。そんな抗うことのできない流れの中で、自分の願いのうち、3割を達成できたなら、これは大したものさ。3割じゃ不満かい?確かに、3割なんて赤点追試ギリギリかもしれないけどな。けど、世の中には、打率3割になんてとても届かない、貧打の方々も大勢いらっしゃるんじゃないのかい?中日ドラゴンズの打線のようにね。
俺自身は、七転八倒四面楚歌、自らの不徳の致すところで不如意な人生を送ってきたんだが、この人生打率3割ってのを見極めて以来、悩みが減ったぜ。貯えも減ったけどな。考え方によっちゃ、なかなか面白く生きているから、打率3割3分くらいのかなりお幸せな野郎じゃなかろうかとも思うんだ。なに、モノは考えようってことさ。
人生打率3割を標榜している俺は、自分のことを表面的には信用していない。
していないんだけれど、自分の人生は自分自身で切り開いていくしかないって意味で、俺は自分を誰よりも信頼してるのさ。矛盾してるようだけれど、ココをきっちり押さえておかなけりゃ、3割なんて夢のまた夢なのさ。
ジョン・レノン先生だって、I Just Believe In Me って歌っていたしな。
読者諸君、失礼する。いつもながら、寝言のような話にお付き合いいただき、申し訳ない。また会おう。