2012/04/08

Post #500 久々の故郷は荒れ果てて

このブログも既に500回だ。我ながら、呆れるぜ。この労力をもっと建設的なことに使えば、どれほどイイだろうか。などとぼやいても仕方あるまい。所詮好きでやっていることだからな。けど、誰だって自分のやってることに、疑問を感じることってあるんじゃないのか?何はともあれ、ここまで毎日ダラダラと続けてきたのも、読者諸君のおかげだ。ありがとう、どうもありがとう。これからもヨロシク。
Marrakech,Morocco
さて、俺は今日、久々に自分の生まれ育った小さな町に、といっても車で30分くらいのところだけれど、足を延ばしてきたんだ。何という訳もない。そのあたりの堤防が、桜の名所で、毎年この季節、一度くらいは足を延ばしているって訳だ。
しかし、かつては何もなかった荒野のような場所に、公園が整備され、桜の香りに包まれるどころか、焼肉の煙の臭いに包まれる有様だった。
風情がないと言ったら限りない。これが、何とも言えずすがれた風情を漂わせていたあの場所かと思うと、寂しくなってくる。聞こえてくるのは酔漢の呂律の回らぬ大声ばかりだ。
この人たちは、花見とか言って、単にバーベキューがしたいだけではないのかい?おっと、迂闊にこんな事を言うと、ご立腹の諸兄も多いかもしれないが、実際、気のあう友人や家族水入らずで、桜の木の下で焼肉&ビールとくりゃ、春の浮かれた雰囲気だけで、桜なんか愛でちゃいないんじゃないのかい?その地面に敷いたブルーシートは、桜の木の根の呼吸を妨げる厄介な代物だってご存知なのかい?花見に誘われても、今一つ乗り気になれないのはそんなことがあって、どうも腑に落ちないんだ。昔の人は、当然ブルーシートなんかなかったから、緋毛氈やムシロとかを敷いて花見を楽しんでいたんじゃないのかい?あれは木の根の呼吸を妨げないんだぜ。心なしか、年々桜の咲きっぷりが悪くなっているように思えるぜ。
もっと、心静かに桜の花を眺め、静かに楽しめるようなところは無いものかね。桜の花の下で飲むのは、やはりビールではなくて日本酒がイイ。それも、コップ酒じゃなくて、盃だ。そうなると、喰いもんだって、無粋な煙をまき散らす焼肉じゃなくて、あらかじめ重箱なんかに詰めてきたようなものを、酒の肴につまむ程度が粋というもんだ。それ、盃に花弁が浮いている。これがビールじゃ何の色気もありゃしないが、日本酒をたたえた盃だったら、これだけで絵になるもんだろう。
焼肉が食いたいのなら、焼肉屋に行った方がいいと思うが、いかがなものかな?
俺の好きな小説、今は亡き隆慶一郎の『一夢庵風流記』(そう、言わずと知れた『花の慶次』の原作だ)に、主人公の前田慶次郎が、おそらく京都近郊の山奥に自分の愛人と、従者だけを連れて花見に行く件がある。深い山に一本だけ咲く山桜に、毎年会いに行くのだ。慶次郎は盃の酒を飲みつつ、桜の老木に話しかける。愛人は琴を弾いてくれる。桜は何も答えはしないが、慶次郎は桜の古木と心を合わせてゆく。
そんな花見がしてみたいものだと、ずっと思ってるのさ。焼肉、冗談じゃないぜ。そんなのは俺に言わせれば、野暮ってもんだ。批判は覚悟の上だが、これは一歩も譲れん。もっと、花を愛で、散りゆく花を惜しむがいい。焼肉は、何時だって食える。しかし、桜には一年のうち、この時期しか会えないんだからな。
俺を憂鬱にさせたのは、それだけだはなかった。
俺が、ご幼少のみぎりから親しんだ景色が、一変てしいたんだ。木曽川に並行するように流れる用水は、例年この時期は満々と水をたたえ、うねるように流れていた。その用水の流れに張り出すように枝を伸ばした桜を見るのが、大好きだった。しかし、かつて見事な枝ぶりを誇っていた桜の木は切られ、用水は暗渠工事が施されて、チンケな流れになっていた。場所によっては、全て無様な暗渠に覆われて、かつても面影もない。そう子供の頃、雑木林や農地の真ん中を突っ切るように流れていたあの力強い流れは、陽光に煌めいていたあの豊かな流れは、一面砂利で覆われた、こんもりとした堤防のようなものに、変わってしまった。
何ということだ。
つい2、3年前まで、キジがうろうろしていたような緑地は消え、黄土色の砕石に覆われている。子供頃、遊びに行くたびにわたった橋は、その砕石に上に、意味不明に渡されている。ある意味でシュールだが、むしろ醜悪な情景だった。
調べてみれば、生活雑排水と農業用水を画然と分けるための工事だという。とはいえ、余りの無粋さに悲しくなってしまった。いやむしろ、暴力的な景観破壊に、憤懣やるかたないと言った気分だ。
俺の生家は、父親の借金のカタにとられ、既に無い。やはりこの時期桜の花を咲かせていた近所の神社すらも、何年も前に打ち壊され、安っぽい建売住宅に代わっていた。俺がメダカを捕まえていた小さな流れは、しっかり埋立てられ、結構なサイクリングロードに生まれ変わってしまった。
そして、唯一俺の中に残っていたふるさとの美しかった姿も、こうして優秀な行政担当者と、これまた勤勉な土木工事業者の皆さんの手によって、踏みにじられ、二度とみることはできなくなってしまった。ありがとよ!多大な税金を使い、故郷の自然を破壊し、何をしようというんだい?
一度失われたてしまったものは、二度とは戻らないんだぜ。安っぽい公園をどれだけ作ろうが、自然と、人々の暮らしによって、綾なすようにはぐくまれてきた景観を超えるようなものは、一朝一夕に作れるもんじゃないだろう?

俺は、後悔した。どうしてもっと、写真を撮っておかなかったのか。
俺の記憶の中だけでなく、かつて、そこに、それは確かに存在した、という証しとして、写真を撮っておかなかったことを、真剣に後悔したんだ。クソ!
俺は、失われた流れを、堤防の上から眺め、かつてそこを流れていたはずの用水を想いながら、流れを覆い尽くして、大地に醜い蚯蚓腫れのように連なる砕石の帯を、怒りを込めて撮影した。
役人の考えることは、本当にくだらない。税金は有り余っているのか?
こんな醜い景観になってしまった郷土を、誰が愛することができるというのだ。
郷土に愛着も持てないようにしておいて、愛国心を持てだとか、ふざけたことをほざく政治家ばかりだ。どこを見たってコンクリートと、砕石と、アスファルトばかり。この小さな島国の隅から隅まで、そんなもので覆い尽くしたいのかよ!
写真にも、風景にも、水気が必要なんだ。そしてもちろん、俺たちの乾いた心にもな。
読者諸君、失礼する。故郷を失うことが、こんなに切ないものだとは、生家が無くなった時には気が付きもしなかったぜ。

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