2012/04/24

Post #514 自惚れなのか自信過剰なのか

今日はこれまた、フィルム2本分、30カットプリントした。
まだプリントしていないネガの束から、テキトーに抜き出してプリントしたのだ。セレクトもテキトーなら、焼きもテキトーだ。しかし、それで飯を食っているわけじゃないから、自分さえ満足いくものが出来たらそれでOKだ。なんの問題もない。今日の分はまたおいおいお見せしよう。
よく、写真を見てくれた人に、芸大とか行ってたんですかとか、写真学校に行っていたんですか、もしくは写真部とかやっていたんですかと訊かれるが、そんなことはない。俺は、某私立大学経営学部中退だ。箸にも棒にもかからぬ。才能のない奴は大学に行けとは、忌野清志郎先生のお言葉だが、あの頃の俺は、いやいや大学に行っていたようなもんで、贅沢な話だが、これまた止めるのも早かった。とはいえ、俺には何か才能の片鱗が煌めいていたわけでもないんだがね。
Marrakech,Morocco
考えてみれば、俺の没落はこのころから始まっていたんだろう。しかし、気にすることはない。人生において、皆の衆が大騒ぎしている生涯年収だの羽振りのいい職業だのなんだのかんだのは、人間の生きる本質には、全然カンケーない。聡明な俺は、高校生の時にはそれを悟ってしまったので、あえて没落して好きに生きる道を選んだんだろう。

さて閑話休題。
もし俺の写真がいささかでも巧く見えるとすれば、それは一つには持って生まれたセンスというものもあるだろうが、俺はそれだけとは思わない。それだけだとしたら、それはそれでかなりの自惚れ屋か、自信過剰の馬鹿野郎だろう。
俺は、何時だって自分の写真をプリントしながら、自分の好きな写真家の写真からの影響を強く感じる。森山大道や、中平卓馬、荒木経惟、ウィリアムクライン、ブラッサイ等々だ。
もし君が素敵な写真を撮りたいと思うだったら、そういった先人の写真をじっくりみることが一番の早道だと思うぜ。温故知新という奴だ。真似しろとは言わないが、毎日飽きずに見ていることで、写真的な目が養われてくるというもんだ。
どんなものが写真として成立するのか?
こんなものまで写真として成立するのか?
実は、どんなものでも写真として成立しうるんじゃないか?とかね。
絵葉書や風呂屋の書き割りのような予定調和の写真は、撮りたくない。まぁ、撮ろうっていっても俺にはもともと無理なのかもしれないけどね。
一見、それは美しくまとまった写真に見えるかもしれないが、俺には何とはなしにつまらない。偶然と必然の間で、危うく成立するような写真、ようわからんけど、そんなもんが、俺の目指してる写真の在り方なんですけどねぇ。君はここんところの言葉にし難いニュアンスがわかってくれるだろーか?解ってくれれば、それでいいのだ。そして、分からなくっても、別にいいのだ。俺の意図とは関係なく、俺の写真を見て、カッコいい写真だと思ってくれたらそれでいいのさ。いやそれどころか、その反対に下手糞な写真だ、こんなのでいい気になるなって思ってくれても、それはそれでいいのさ。なにしろ、それはもう君の心の中で起こっていることだから、君の自由だからね。もちろん俺も、好きにやらせてもらってるんだ。お互い非難しあうのは、つまらないからやめておこうよ。
OK、今日のおしゃべりはこのくらいにしておこう。なんだか今日はドジョウのように掴みどころのない文章になってしまった。切り上げるのも潮時ってもんがあろうよ。
しかし、いったい俺は何を根拠に、こんなに偉そうに分かったような分からないようなことを毎日ほざいているのか?それこそ、自惚れなのか、自信過剰なのか?まぁ、どっちだっておんなじことさ。気にもしてないけどね。
読者諸君、失礼する。また会おう。

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