2012/05/31

Post #550 思いっきりヒマでござる

思いっきりヒマでござる。
一時は嵐に襲われていたような仕事ラッシュは、パタリと止んだ。やはり瞬間最大風速であった。
しかし、そんな仕事は経費も怒涛の如しだ。儲かるものではない。しかも月末だからってんで、帳簿をしめてみたら、この半年ちっとも儲かっちゃいなかったんだよ!クソッ!泣けてくるぜ。
さすがに、この現実には落胆した。仕方ない。金もない。で、今日も家に引きこもってプリントをしていた。余りの惨状に、プリントしていても何だか心が満たされず、焦燥感を感じるぜ。しかし、途中でやめるわけにはいかない。未だプリントされる日を待っているネガはゴマンとある。だから22枚、何とかプリントした。随分前から温存していた大阪での写真だ。最近お蔵入り寸前だった大阪の写真を、精力的にプリントしている。自分としてはここんところずっと、海外の写真が多かったんで、日本っぽい写真にちょっと飢えてましてね。日本の風景ってのは、まぁ、ちょっとカオスでしょう?何の調和もないし。人間の格好も、なんていうのか統一感がないし。なんだか、世界のどの場所よりも病んでるような空気感を感じてしまうぜ。清潔で、明るいが、それが故の病理というのか。そういえば金子光晴も『健康で 正しいことほど 人を無情にさせるものはない』みたいなことを、その詩の中で謳っていたっけな。
Osaka
ちなみに、俺は例の大阪の市長さんは、あまり好きではない。一見革新的なこと言ってるように見えながら、どうにも専制君主のように振る舞っておいでなのが鼻につく。
俺は権威権力を笠に着る人間や、自分の考える正しさを他人に押し付けるような輩が、生理的に嫌いなんだ。刺青やタトゥーは入れてないけどね。
まったく、大阪市民じゃなくってよかったぜ。
とはいえ、その市長さんをお選びになって、権力を与えたのは、大阪の市民の皆さんなんですがねぇ。きっと単に、なんや面白そうやんって、思ってるだけなんだろう。俺が知っている何人かの大阪人をおもえば、それは間違いないことのように思える。しかし、面白そうなだけで済めばいいんだがな・・・。
大阪は、今や夜中にクラブで踊ってるだけで、警察に検挙されるという困った街だ。大昔に作られた風営法に抵触するというのが検挙理由だそうだ。その反面、風営法の隙間を縫ったガールズバーは、カウンター一つ隔てているだけで、風営法のしばりなんか関係なく飲食店として扱われ、朝の5時まで営業していたり、朝の8時から営業していたりする。法律とはいえ、なかなかにおかしなものだ。悪法も法なりか・・・。さすが、弁護士出身の市長の施政は法令順守だな。
法律の為に人があるわけではなく、人のために法律があるんじゃないかと思うんですが、如何なもんでしょうかね。俺の感覚で言えば、昼日中から小娘相手に酒かっ喰らうなんて、人間としてゴメン蒙る。そこまでまだ腐っちゃいないと思ってるんだが、どうだろうか。
とはいえ、よい子の住んでる良い街なんて、写真に撮りたいとも思わないぜ。つまらないしな。水清くして魚住まずだ。

読者諸君、失礼する。明日も引き籠ってひたすらプリントだ。儲からない仕事をシコシコしてるくらいなら、家でプリントでもしてた方がマシさ。

2012/05/30

Post #549 Naked Eye #22

Marrakech,Morocco
本日、フィルム2本、34カットプリント。
いつもながら、なかなか目が疲れるもんだな。
読者諸君、失礼する。

2012/05/29

Post #548 Naked Eye #21

HomeTown
今更こんなこと言うのもなんだけど、キース・ムーンかシド・ヴィシャスのように生きたかったな。

2012/05/28

Post #547 微熱

ダリの彫刻 なぜか中部国際空港のホテルにあるんだ
今日は連れ合いとサーカスに行ってきた。今ちょうど、俺の住む町にサーカスが巡業しに来ている。
連れ合いがサーカスが好きなんで、俺もしばしば見に行くのさ。何故か、その辺に座っている子供が、俺の一挙手一投足に大注目していたりして困惑するんだが・・・。
60年代の森山大道の写真にも、サーカスを撮ったものがあったな。安井仲治にもサーカスを撮影した一連の作品があったような覚えがある。
それらに共通するのは、何かどこか郷愁を誘うような物悲しいアトモスフィアなんだけれど、昨今のサーカスにはそんな風情は微塵もない、ような気がする。結構なことだ。楽しい思いをしに行って、物悲しい気分になるのはゴメンだからな。それに、カメラは持っていったけど、案の定撮影禁止だってんで、一枚も撮らずに大人しく帰ってきたんだ。まぁ、サーカスそのものが面白かったから、問題ないさ。
で、サーカスから帰ってくると、どうにも体が熱い。体温を計ってみると微熱があった。知恵熱か?明日も早いのに、まいったなぁ。だから今日は夕方から、大事を取って眠って暮らした。まぁ、どうってことたぁない。けれど、まだ少し気怠い。

読者諸君、失礼する。サーカスは楽しいぜ。レーニンも民衆の娯楽にはサーカスが一番だみたいなことを言っていたらしい。君も機会があったなら、ぜひ見に行くとイイんじゃなかな。

2012/05/27

Post #546 戦争したがる奴が平和を守ってるらしい

というような大げさなタイトルを付けたのは、最近このフレーズが頭の中を回っているからだ。
渋谷の地下鉄の駅で起こった、32歳のアルバイト男性による切り付け事件以来だ。
防犯カメラ(またしても、これかよ。俺が写真撮ってると文句を言う奴が多いくせに、これは増える一方だ。まるでオーウェルの1984の世界だぜ)の映像が公開されたことで、あっさりと犯人は捕まった訳なんだが、この人、おかしなことに刃渡り30センチのサバイバルナイフを持っていた。
うむ、そういえば俺も職質された時には、カバンの中にナイフが入ってないかとおまわりに期待されたもんだ。ふざけやがって、本当に持ってる奴は、ほら他にいただろうって言いたくなるってもんだ。
この犯人は、この物騒きわまるナイフを、護身用として持っていたと言ってるわけだけれど、こんなナイフを持ってるおかげで、事件を起こしてお縄になってしまったわけだ。
もし、この犯人がこんな危険な(なんてったって刃渡り30センチだ。危険でないわけがないだろう。)ナイフを持っていなかったら、こんな事件にはならなかっただろう。護身用と言いながら、丸腰の相手の身体を傷つけ、自分の社会的信用や人生を誤ってしまうことになってしまった訳で、まったく身を護ってはいない。自分の身を損なっているわけだ。
もっとも、彼を馬鹿な男だと切って捨てるのはたやすいが、俺自身はいつも、自分がアメリカ人じゃなくって本当に良かったって思ってるんだ。何故って、車のダッシュボードの中に銃なんか入ってたら、思わず何かの拍子にキレて、無謀運転のタクシーなんかに鉛玉をお見舞いしてただろうってのは、十分にあり得ることだと思ってる。そういえば、若い頃拳銃を買わないかなんて聞かれたこともあったなぁ。そこで買ってたら、俺もこの渋谷駅の馬鹿野郎と同じ道を歩んでいたかもしれないからな。まぁ、人間そんなものを持つと、つい使いたくなってしまうということだ。
この犯人の間違いは、一言で言うならば、そんな物騒きわまるものを、護身用とか言って持ち歩かざるを得ない弱い心しか持っていなかったことだ。
誰も彼も、もちろん俺自身も、そんな物騒なものを持っていたとしたら、何時か使ってしまうことだろう。そして、使ってしまった後は取り返しがつかない。人間トラブルは言葉で解決するように努力することが大切だ。
HomeTown
とまぁ、ここまでは常識的な考えをお持ちの市民の皆さんなら、納得してくださると思うんだけれど、これを敷衍して、国家レベルの規模にまで拡大すると、抑止力つまり護身用の延長ですわな、として軍備を拡充するという妄想に取りつかれている方々が、世界中にたくさんいらっしゃる。
彼らは口々に、我々はこの軍備を抑止力として、他国からの領土侵攻を未然に防いでいるとおっしゃるんだ。アメリカ然り、中国然り、毎度おなじみの北朝鮮然りだ。非戦を高らかに謳った憲法9条を持つ我が国にも、その手の勇ましいことを言っては周りの人びとをげんなりさせるお方も、けっこういる。どこぞの知事の人とか、勇ましい発言がお好きだからな。
しかし、持っていれば、使いたくなってくるのが人情だ。なかにはぶっ放してみたくってうずうずしてる奴もいるかもしれない。何せ軍隊ってのは殺人のスキルを市民に叩き込み、いざとなれば、効率よく他国の兵士、時には非戦闘員=フツーの市民を殺して殺して殺しまくるのが仕事だから、軍隊の論理で行けば、より強力な武器を装備すれば、抑止力になり得ると声高に主張するのももっともだ。
しかし、気に入らない奴がいたら、酷い目にあわせてやれってのは、人間として進歩がなさすぎだ。ナイフや拳銃をちらつかせて、俺の縄張りから出て失せろなんて言うのは、ヤクザもんや動物と変わらないぜ。けど、そんな奴らは、兵器をずらりと並べて行進させたりするのが大好きだ。高い弾薬をしこたま使って訓練をして、いつでもよその国にのり込んだりして、平和を護ってると大言壮語するわけだ。そんなことなら、外務省なんかいらんわな。
という訳で、見出しに戻る。俺には戦争したがってる奴らが、平和を守ってると主張しているようにしか、思えないぜ。もちろん刃渡り30センチのサバイバルナイフよりも、戦闘機や弾道ミサイル、空母のほうがよほど物騒だ。そして、何か事が起こったら、勇ましいことを言ってる連中は、安全なところで憂国の士を気取り、平和をもまる時が来たと国民をたきつけようとするだろう。
もうやめておきなよ、そんなもん持っているから喧嘩になるんだって、俺は声を大にしてお伝えしたいぜ。そう、戦争したがる奴が平和を護っているらしい。不思議なものさ。冗談じゃない。
読者諸君、失礼する。

2012/05/26

Post #545 たまにはこんなのもありだろう?

名古屋セントラルパークのゆるキャラ、マグマ
いつもの硬派なモノクロをお楽しみいただいている諸兄諸姉には、顰蹙だろーか?
まるで、女の子のブログ出でてくるような、やっつけな写真だ。君たちの期待を裏切ってみたかったんだ。
名古屋の繁華街、栄にそびえるTV塔の地下に広がる地下街・名古屋セントラルパークのマスコットキャラクター、マグマです。中京圏以外の皆さん、よろしくお見知りおきください。
地下にいる熊だから、マグマ。
ゆるキャラにはダジャレが似合うということか。しかし、意外に可愛い。仕事の合間に見かけて、写真を撮りたいというと、ポーズを可愛くキメテくれたぜ。
今時、どこにだって地下街はフツーにあるが、何故か昔から名古屋は地下街が発達していると考えられている。確かに、真夏や真冬は、みんな地下街の中ばかり歩いている。地底人だ。仕方ない、名古屋の夏はアフリカ人でも堪える程に暑い。また、冬ともなれば、伊吹降ろしにさらされ、体感温度は低いのだ。快適な地下街に引きこもってしまいたくなるのも、よくわかる。
おかげで、街を歩いていても、スナップが撮りにくいんだ。何故って意外と人が歩いていないからね。車で動き、地下街を歩き回る。それが名古屋人というものさ。
彼の天才アラーキーも、その往年の名著『写真への旅』の中で、名古屋を訪れ、名古屋の写真サークルの面々と出会った際には、彼らの事をモグマン(=つまりモグラのような地底人という意味か)などと呼んでいたっけな。如何にもアラーキーっぽいが凄いセンスだ。思わず絶句してしまった事を思い出す。だからまぁ、モグマンよりもマグマのほうが、いいんじゃないかなぁ・・・。なにしろかわいいし。
読者諸君、失礼する。今日はこれからやっつけ仕事だ。仕事の段取りをしなくちゃならないんだ。まったく、週末も台無しってもんだ。

2012/05/25

Post #544 相も変わらず

相も変わらず、請求書を作り、銀行に振込みに行き、溜まりに溜まった伝票を書きまくり、チマチマと帳簿をチェックしたりしている。眼も肩も腕も疲れ切ってるぜ。遠近両用メガネがほしくなってくるというもんだ。さすがの俺にも、加齢の兆候は日に日に表れているんだ。イヤになっちまうぜ。とはいえ、もう一度20代に戻りたいとは思わないぜ。何故って、今の俺が、今日の俺こそが、俺史上最高の俺だからだ。もちろん明日になれば、明日の俺がもっとサイコーだ。人間は日々少しずつ成長していくんだ。もう一度、小僧からやり直しなんて、俺はゴメン蒙るぜ。
いつも言ってるように、俺はフリーランスだから、何もかも自分でやらなけりゃならないんだ。今日は一日、そんなこんなで暮れている。だから、君たちに話すような話なんか今日は何もない。無いッたら無い。一言で言えば、つまらない一日だ。
こんなの決して自分に合っているとは思えないけれど、どんぶりでは支障をきたしてしまうんだよなぁ。いやぁ、出来ることならガンガン儲けて、とびっきりの美人の秘書兼経理のおねーさんでも雇えるようになりたいんだが・・・。
いやいや、そうしたらそうしたで、なかなか仕事に出撃せずに、何だかんだと理由をつけて、事務所(兼自宅なんだけどね)にばかりいて、おねーさんにデレデレしてしまうかもしれん。挙句の果てには、セクハラだとか言って訴えられたりするに決まってる。ヤブヘビだ。本末転倒も甚だしいぜ。
第一、そんな人を雇ったら、その人に全うな給料も払ってやれるほど稼がないといけないいんだろう?ますます時間が無くなってしまうぜ。いや、それ以前に命が無くなってしまうかもしれん。
HomeTown/Nagoya
しかし、それはそれで男のロマンだわなぁ・・・。
読者諸君、失礼する。金曜日の夜だというのに、俺はこの後も伝票、伝票、伝票作りだ。なんだか悲しくなってくるぜ。

2012/05/24

Post #543 夢うつつ

昨日の夜の仕事が長引き、帰ってきたのは今日の昼だった。しかも、帰りがけによった薬局で、つい洗面台の陶器の水垢を取る便利グッズを買ってしまい、シャワーも浴びずに赤い目をして洗面台を磨き上げていた俺なのさ。なかなかにきれいになって満足だ。俺はいたく満足し、シャワーを浴びて、眠りについた。
しかし、真昼間に眠っても、熟睡はできない。こんな時はいつも、眠っているのか、起きているのかよくわからない一日になってしまう。夢うつつだ。どこまでが現実で、どこまでが夢なのか、判然としない時間が流れてる。こんな時に、取引先から電話がかかってくると、往々にしてとんでもないことになるんだ。なんだか、人生を無駄にしたような気分だ。まぁイイか。そんな日もあるさ。
じゃ、今日も君に写真をお送りしよう。
Osaka
寝床の中でゴロゴロしながら、北島敬三の写真集(正確には回顧展の図録のようなものかな)を見ていた。やはり俺の好みなのは、80年代初期くらいかな。ニューヨークや当時まだ共産圏だった東欧でのスナップ。どこか暴力的に、人間の姿を赤裸々にもぎ取ってきたような、荒々しい印象の力強い写真が好きだ。
かつて、森山大道が北島敬三を評して、『白昼の通り魔のような』写真家だとか言っていたのを読んだような憶えがある。
写真とは、少なくともスナップ写真ってのには、どこか理不尽な暴力のような、何かしら犯罪めいた背徳性があると俺はいつも思っているんだ。当時の北島敬三の写真は、そんな思いを確信に導いてくれるような重たい迫力を感じる。もっとも、近年の北島敬三は、その手の写真はもう撮っていないようだけれど。
そういえば、まったく北島敬三とはまったく関係ないけれど、先日福井の九頭竜湖で見つかった、冷蔵庫の中の白骨死体は、俺が住んでる町に暮らしていた27歳の女性のものだとわかったそうだ。昨年の11月のある夜、勤め先を出てから行方が分からなくなっていたそうだ。若い女性が変わり果てた姿になってしまって、遺族の方の悲しみの深さは、推し量ることすらできない。ひどい話だ。
俺の町は、本当に治安が悪い。まるでバットマンのいないゴッサムシティーだ。ジョーカーみたいなサイコ野郎が夜ごとうろついてるに違いない。夜になれば、カエルの鳴き声が響く一見平和なところに俺は住んでいるというのに・・・。
とはいえ、俺自身はかなり不用心で、家の鍵もかけずに、ぐうぐう眠っていたりするんだけどね。

読者諸君、失礼する。戸締りはきちんとした方がいい。日本が治安がイイなんて話は、一億層中流と言われた時代の遠い思い出だ。警察の中にも、くだらない犯罪者がごまんといるご時世だ。気を付けたほうがいいぜ。

2012/05/23

Post #542 たまには朝からお送りしよう

Osaka
たまには朝からお贈りしようとは言いながら、写真は夜ってのはないよなぁと、自分でもいささか呆れている。まぁ、イイじゃないの。細かいこと気にしなさんな。どうせ、写真と本文にはいつだって何の脈絡もないんだから。あまり細かいことを気にしてるようじゃ、大物にはなれないぜ。やはり大物になるには、4億円の取引とかでも、秘書に任せっきりで、細かいことは俺は知らんとか言ってのけるようなざっくり感が必要だ。もっとも、時代はすでにそんな大物を求めてはいない。何事にもアカウンタビリティー、つまり説明できることが求められる堅苦しいご時世だ。
閑話休題
今夜は仕事が入っているんだ。まぁある意味やっつけ仕事だ。だからこんな朝っぱらから、性懲りもなく駄文を書き散らしているって訳だ。付き合わされる方は堪らないことだろう。
で、グデグデ寝床で惰眠を貪っていたら、お客から電話があった。今日打合せして、明日の日中、他の人の代打で仕事をしてくれないかと打診されたんだ。待て待て、俺は今この瞬間まで眠っていたんだぜ。こんな時に、経営判断を迫られるなんて・・・、いやぁ、まいったなぁ。
しかし、安請け合いは禁物だ。というか、そんな代打の仕事を、夜勤明けの寝ぼけ眼でこなすわけにはいかないだろう。仕事をやるからには、責任を持って取り組みたいからな。それに、野球じゃないんだ、代打なんて気が進まないぜ。今日の明日のなんて、まるで蕎麦屋の出前だ。
俺は寝起きの回らない頭で、今夜の仕事が朝までみっちりかかり、朝の仕事のとっかかりに間に合わない可能性があると答えて断ったんだ。いくら俺がフリーランスとはいえ、さすがに今日の明日では厳しい。第一、そんな安請け合いしても自分がシンドイだけだ。
そんなシンドイ思いをするくらいなら、家でプリントでもしていた方が、人生が充実するってもんじゃないか?
こんな調子で、仕事を断っていたら、最近どうにもヒマになってきた。しばらくの間、まとまった仕事は無い見通しだ。俺の商売、こんなことはしばしばある。フリーランスになったばかりの頃は、かなり不安になってうろたえたりもしたが、いちいちうろたえても始まらない。運気も下がるというもんだ。
こんな時は、どっしりと構えて、プリントでもするのがイイだろう。
そんな時もないと、人生はあっという間に終わってしまう。なにしろ、俺が地球に来てからもう43年と5か月が経っている。これが車なら、とっくに5回くらいは廃車になっているだろう。縄文時代の日本人の平均儒教は30歳だったそうだ。120年まで生きられるという本が流行っているらしいが、冗談じゃない。人生は短いんだ。ジミヘンブライアン・ジョーンズシド・ヴィシャスを見てみろ。みんな早死にしてるじゃないか。光陰矢のごとしだ。少年老い易く学成り難しだ。それどころか、俺はいつの間にかかなりご立派な中年だ。中年死に易く道楽成り難しだ。棺桶に半分足を足を突っ込んでいると言っても過言ではない。誰にも知られない、俺と君たちだけが知っている、俺の写真の道を、静かに一歩一歩進んでいかなければならない。たとえその先に、何もないという不毛な道のりだとしても、自分の存在を証しだてるためだけに、進めていかなければならないんだ。
まるで、イメージの荒野の中を、独り彷徨っているようなものだな。
いや、ひとりじゃないか、いつもこれを読んでくれている君たちがいるじゃないか。いつも暇を持て余すと、思うんだ。ガンガン写真を撮って、しこしこプリントするのもいいけれど、出来ることなら、君たちともっと写真について話し合いたいものだって。何故って、写真ってのはお互いに見せ合ったり、それを肴にして語り合ったりした方が面白いもんだからね。なに、人生所詮暇潰し、俺の好物ひつまぶしってところで、ヒマを潰すのも独りじゃなかなか手に余るときもあるってことさ。
あぁ、なんだかんだ言って、今日も中年の愚痴のようになってしまった。

君たちの感想を、俺はいつも待っているんだ。一部の人を除いて、なかなか反響は無いけれどね。
なにしろ写真を趣味にしてるような人は、どこかシャイな人が多いようだ。シャイじゃなかったら、きっと写真なんか撮るよりも、女の子と合コンしてみたり、友達とバーベキューでもして盛り上がったり、ジャンジャンバリバリ営業してみたりして、写真なんかに興味を持つヒマもないことだろう。それが真っ当な人生だ。今はやりのリア充だ。
俺もかつてはシャイな若者だったんだけれど、今や厚かましくてイカれた中年だと誤解されている。しかし、本音のところでは、なかなかにシャイなつもりなんですがね。含羞というんですか、厚かましさの中に秘めた恥じらいというのを感じ取ってほしいな。いや、まぁそんなことは置いといて、正直なところ、俺はいつも君たちとじかに顔を合わせて、写真について、くだらない人生について、ああだこうだと語り合う日が来ることを、夢に見ているんだ。大丈夫、自分で言うのもなんだけど、意外と常識人だから。酔っ払って、隣の席のキレーなお姉さんにちょっかいを出したりして、君を困らせるようなことはしやしないさ。

読者諸君、失礼する。遊んで暮らしていたいけれど、遊んでばかりもいられないのさ。今日はこれから溜まりに溜まった伝票の作成でもしておくか。これをやっておかないと、精神衛生上よくないんだ。床についても、心穏やかに眠れないんだ。もちろん、道楽にも差し障るんでね。

2012/05/22

Post #541 ずっと前のプリントを漁ってみた

Osaka
まずは、昨日のプリントから一枚。
今日は仕事が早く終わったんで、昨日のプリントをスキャンしてPCに取り込んだんだ。そして、まだ時間があったんで、もう何年も前にプリントした写真を撮り込んでみた。今日一日で、150枚は軽く取り込んだことだろう。ずっと、The Whoのギタリスト、ピート・タンゼントのソロアルバムを聴きながら、マシンのようにスキャンしていた。
古い写真を見ていると、いったい何時どこで撮ったのか分からない写真も多々ある反面、その写真を撮った瞬間のシチュエーションまで鮮明におもいだすものもある。
最初期の写真は、焼きもイマイチだ。黒のノリが悪い。引伸機を手に入れて、現像をはじめた頃は、引伸レンズも、大昔のFUJIのレンズだった。引伸機の中の電球も、大昔に前の持ち主が使っていた100Wの球だったと思う。今は150Wの球を使っているので、光の強さもまるで違うというもんだ。
今見ると、またもう一度焼きなおしたいものも多い。しかし、今更もう一度焼いているような余裕はない。なぁに、不満はあっても、自分さえ納得していれば、全てOKだ。もう一度焼いても焼かなくても、俺の写真だということに何の変りもないからだ。いつも言うように、上手い下手など関係ない、自分が良ければそれでイイってもんだ。何といっても、俺は俺のスタイルの写真に関しては、世界でサイコーだからな。まぁ、世界が狭いねとは、しばしばご指摘いただいている訳ですがね。

読者諸君、失礼する。焼きの具合は変わっても、自分でも驚くくらい写真のスタイルってものは変わらないもんだねぇ。

2012/05/21

Post #540 プリントをすると心が落ち着くんだ

Marrakech,Morocco
今日は仕事の予定もなかったんで、久々にみっちり腰を落ち着けてプリントに取り組んだ。モロッコの写真がネガ一本分、そして長いこと放置されていた大阪の写真をネガ一本分合わせて35枚。
そういえば、この大阪の写真を撮影したころに、俺はこのブログをはじめたんだった。感慨深いな。いや、自分の無精を反省すべきか。
プリントをするのは、いつも始めるまではおっくうだ。なにしろ貧乏所帯なんで専用の暗室なんかがあるわけでもない。とにかく準備に手間がかかるんだ。掃除だってしておかないとな。ホコリは大敵なんだ。やってみればわかるさ。ホコリが舞って、ネガに付着するとだねぇ、ホコリも引伸ばされてしまうんだ。どうなると思う?そう、せっかくのプリントに陰毛が乗っかってるような筋が入るんだ。これにはいつもとうんざりだ。それに、部屋の片づけもしておかないと、水洗した印画紙を乾かすスペースも無い。とにかく手間がかかるんだ。
しかし、始めるといろんな心の中のモヤモヤも忘れて没頭できる。暗くて狭いあの環境が良いのか。確かにそれもあるだろう。しかし、俺はいつも焦燥感を感じているんだ。仕事をしていても、ホントーに自分がやるべきことはこれじゃないと感じている。そう、本当にやるべき事、それはプリントだ。
何より、今までに撮影したネガの中には、まだまったくプリントしていないものがゴマンとある。こんなことじゃ、死ぬに死ねないってもんだ。
ぶっちゃけて言えば、これをすべて片付けようと思うと、時間も金もべらぼうに必要なんだ。金は稼げばいいだろう。しかし、時間は?俺の人生、何時唐突に終わるかどうか分かったもんじゃないんだぜ。もちろんそれは、俺だけに限ったことじゃないがね。だから、いつも焦ってる。暇を見つけてプリントすればいいだけの話しなんだが、なかなかその暇がねぇ・・・、大きな問題なんだよ。そんなことだから、何時だって心穏やかでいられないんだ。
だから今日は、充実した時間を過ごすことが出来て、非常に満足だ。
出来のほうはまぁまぁだ。しかし、俺はプロじゃないから、つまりコレで飯を食ってるわけじゃないから、出来不出来なんて、自分が良ければ何でもイイんだ。それでこそ、芸術家っぽいというもんだろう?そもそも、写真の良し悪しなんか、見る人間が決めることで、俺がプリントする時には、何ら関わりないだろう。
まぁ、要はあれだ、俺はプリントをすると心の中のわだかまりも忘れて、充実した時間を過ごすことができるってことがいいたいんだ。まったく以て結構なことだ。君も試してみるがいい。何かを自分でつくりだすこと、それが大切なんだ。本当に生きてるって思えてくるぜ。

読者諸君、失礼する。例によって今日の写真はまた明日以降お届けしよう。なにしろ乾燥中だからな。

2012/05/20

Post #539 ちょっと見ないと無くなるぜ

On the Road,Nagoya
仕事の下見で、隣県の鄙びた町に出かけたついでに、連れ合いと一緒に付近のダムにまで足を延ばしたんだ。まさに仕事と称して暇潰しだ。
ココはよく自殺した人の死体が浮いているようなダム湖で、すぐ近くには町長襲撃事件で有名になった産業廃棄物処分場予定地なんかもある。初めて俺が行った頃は、もう10年以上前だが如何にも廃村という味わい深い場所だったが、今では立ち入り禁止となり、更地になっているようだ。そう、木曽川の上流のすぐそばなんで、水質汚染を危惧して産廃処分場の計画は頓挫したのだ。水が汚染されると厄介なことになるのは、最近の利根川水系のホルムアルデヒトの濃度問題でも分かるように、死活問題だ。
さて、どうしてこのダム湖に足を延ばしたかというと、このダムのほとりに骨材プラント跡地という産業遺跡があって、時折見に行っては、毎回同じような写真を撮るってのが、お気に入りのドライブメニューだったからだ。
骨材プラントというのは、ダムを作るときに使用されたプラントで、セメントに混ぜる石つまり骨材を、サイズごとに分別するための施設だ。現在では、高さ20メートルくらいの塔が五本ほど残っており、宮崎アニメに出てくるような不思議な風景を作っていた。なにせ戦争中からダムの建設が始まり、昭和20年代に使用されたと思われる産業施設だ。周囲は緑豊かな山そのものだ。忘れられたようにひっそりと佇み、味わい深いッたらなかった。
しかし、何年かぶりに訪れると、それらの塔は一本残らず無くなっていた。ご丁寧に、とうの立っていたところには、土台だけ真新しいコンクリートで補修してあった。ある意味シュールだ。コンクリートの土俵のようだ。
近所の関電の事務所のおじさんに聞いたところ、今年の3月に老朽化を理由に取り壊されたんだそうだ。まったく、ちょっと見ないと無くなるもんだ。これだから、写真を撮っておかないといけないと、再認識したってもんだ。
その写真は・・・、どっかにあったはずなんだが、見つからないんで、そのうちまた見つかったらお届けしよう。結構イイ雰囲気あったのに。残念だ。

読者諸君、失礼する。明日は日食を見ないといけないから、とっとと眠ることにするぜ。

2012/05/19

Post #538


Paris
夜勤明け、今日も一日眠って暮らした。外ではカエルが鳴いている。いったい何匹いるのやら。

2012/05/18

Post #537 アメリカさんには幻滅だ

夜勤を終えて家に帰ってくると、新聞が届いていた。一面に目を通すと。デカデカと『米軍大学で反イスラム授業』という見出しが躍っている(朝日新聞2012年5月18日朝刊)。
『現職士官ら講師』、『無差別攻撃できる』というセンセーショナルな小見出しが添えられている。呆れてものが言えないぜと思いながら、俺は目を通す。
記事の内容を要約すれば、以下のようだ。
『米軍幹部の教育機関で、イスラム教の聖地やイスラム教徒の一般市民に対して、広島や長崎への原爆投下や東京大空襲のような無差別攻撃が容認される、という内容の授業が行われていたことが分かった。米国務省は事態を重く見て、事実関係の調査を進めている。』
冗談じゃない。その狂った授業は、2010年の夏から陸軍中佐が行っていた授業『イスラム聖戦に対抗する作戦のモデル』という授業で、ココで使われた資料によれば、イスラム教徒14億人のうち少なくとも一割が過激派で(なんて乱暴な仮定だろう!)、穏健派も暴力を支持していると指摘しているという。
そして、アメリカがイスラム教徒と共通の基盤を探る戦略は『非合理的』で全面的な戦争が求められるとしているそうだ。馬鹿じゃないだろうか?
また、イスラム教徒が市民をテロの対象にしていることから、イスラム教との戦争では、市民を戦闘対象から除外することを定めたジュネーブ条約を順守する必要はないと、この頓馬は言っているそうだ。
しかも、『市民に対する戦争も選択肢になる』として、米軍が原爆を投下した広島、長崎や、大空襲を実施した東京やドイツのドレスデンの例を挙げて『歴史的な前例は、イスラム聖地のメッカやメディナにも適応できる』と記しているという。まったく、正気の沙汰とは思えない。
Marrakech,Morocco
俺はイスラム教徒ではないけれど、世界最強最大の軍隊の現役軍人が、軍事エリートを養成する学校で、自分たちを目の敵にして、こんなことを抜けしゃあしゃあと教えていると知ったら、自分たちの文化や家族を守るために、たとえ勝ち目がなくても戦おうっていう気になるだろう。穏やかなフツーの人々だって、過激派になっちまうぜ。なぜ、分からないのか、この無神経さにはイライラするぜ。
まったく、手前勝手な屁理屈で、イスラム教徒を大量殺戮しても構わないなんて、どこのテロ組織だって考え付きゃしないぜ。アルカイーダもオウム真理教もびっくりだ。これじゃアメリカ軍こそ、世界最大最悪の凶悪テロ組織だって言ってるようなものじゃないか。ベトナムで少しは懲りたんじゃなかったのかよ?

移民国家アメリカのモットーは『E pluribus unum (多数からなる一つ)』のはずだ。
大切なことだから、もう一度言おう。
アメリカのモットーは『E pluribus unum(多数からなる一つ)』のはずだ。
奴等はこのモットーに恥ずかしくは無いんだろうか?
これが、自由の国アメリカか?アメリカが尊重する自由は、アメリカ人だけのものなのか?
どれほど傲慢になれば、気が済むというのだろう?これがアメリカの本音なのか?
このような妄言をほざいたり、それを聞いても当たり前だと思うようなろくでなしがうようよしているような軍隊が、この日本にも居座っている。きっと、沖縄の人々はもちろん、俺達日本人なんて、人間のうちにカウントしちゃいないんだろうよ。
残念なことに、この日本という国では、右翼以外にも多くの人々が中国や韓国との領土問題でガタガタ言っている。しかし、実際にこの日本の国土に居座って、好き放題やっておいでなのは、自称自由の国、アメリカだ。
政治家も役人も、アメリカ様には逆らえない。まるで奴隷のようだ。属国だ。日本語の教育よりも、英語教育を充実させろと言っている。日本は51番目の州のようだ。こんな腐りきった人殺し集団のアメリカ軍は、とっとと日本から出て失せろと言いたいぜ。そんなジェノサイドの片棒を担ぐのは、日本人の一人として、俺はゴメンだ。

もし、自分の自由を(もちろん、それは何をやっても許されるというような腐敗した自由ではなく、自らの考えで、自らの責任のもとに行動するという自由だ)主張するならば、他人の自由も認めなければならないだろう。もし、マクドナルドとコカコーラとアップルに代表されるアメリカの文化が素晴らしいモノならば、他の文化も尊重し、お互いに理解し合おうとする謙虚さが必要だろう。

何時の日か、この地球に国籍や人種によって、命の軽重が量られることのない時代が来ることを、俺は信じてる。
何時の日か、この地球に宗教や政治体制によるくだらない争いが無くなる日が来ることを、俺は願ってる。
何時の日か、この地球上に引かれた、目には見えない国境という線が無くなり、人々がお互いの自由を尊重する日が来ることを、俺は待っている。
目を覚ませ、アメリカ!もっと謙虚になるがいい!

読者諸君、失礼する。不愉快千万だ。

2012/05/17

Post #536 眠るのも仕事のうちか‥

今日は心地よい一日だった。眠って暮らしたんだ。もったいないような気もするが、今夜も明日の夜も夜通し仕事だ。しかも、明日の昼間も仕事が入ってる。眠れる時に眠っておくのも仕事のうちだろう。
何といっても、今年に入ってからずっとブッ飛ばして働いてきたからな。まぁ、今更そんなこと言わなくても、お馴染みの読者の皆さんは、とっくにご承知のことだろう。しかし、あえて言うけれど、ちっとも儲かっちゃいないんだけどね。この儲からなさは一体なんだろうか?まるでボランティアで働いてるのに毛が生えたようだ。通帳を見ると思わず笑えてくるほどだ。たまには濡れ手に粟の仕事をしてみたいっちゅうもんだ。
Paris
しかし、この世の中は甘くない。20年近く日本の産業構造の最底辺を這い回ってきた俺には分かる。甘い話なんてないんだ。昨日の夜もNHKのニュースで、大学生が運営している投資グループに投資した人々が、すっかり騙されて銭を巻き上げられたという話をやっていた。どいつもこいつも、上手い話にすぐのせられる。俺に言わせれば甘ちゃんばかりだ。苦労が足りない。投資と土地転がしで儲けるような人間にはなるなと、俺は親から教えられている。楽して儲けた金は身につかないからだ。
俺がガキの頃はバブル真っ盛りで、土地転がしで儲けた奴がごまんといた。今は投資で生計を立てているという話をよく耳にする。しかし、俺に言わせれば、投資って要は一種のギャンブルじゃないか?儲かるか儲からないかは、投資した時点ではまったく分からない。そして儲ける奴がいる陰には、必ず損をしてる奴がいる。要は地に足がついていないのさ。
そういう俺の親は、事業が行き詰まり、家も土地も銀行にとられてしまった。俺はだから、裸一貫、自分の体一つで商売しているんだ。いくら銀行でも、俺の体そのものを奪うことはできやしないさ。もっともその前に、奴ら俺なんかには、金を貸してなんかくれないけれどな。ダッハッハ!
いつも暇な時、ふと考える。富の源泉とはどこから来るのか?価値の源とはどこから来るのか?ずんずんさかのぼって考えると、いつもそれは人間の文明を超えた自然そのものにさかのぼってしまう。これほど科学が進んでも、人間は無から有を生み出すことはできない。自然の営みに翻弄されるしかない。人間がモノを喰って、水を飲んで、空気を吸って生きていく以上、価値の源泉は必ずや自然に行き当たってしまう。カネの価値とて、国家が担保しているからこそ、紙切れに価値が生まれるのだが、その国家というものも、現時点では領土=大地という自然力と、国民という生命体の持つ生産力によって成り立っている。そう、地に足がついていないと文字通り、国家だって富だって、もちろん俺たちの生命だって成り立たないということだ。
うむ、話が大きく脱線してしまった。まぁ、一言で言うなれば人間はもっと謙虚になる必要があるんじゃないかってことだ。つつましく働き、今日の糧を得る。そう思えば、俺の儲からなさは、神様の恩寵のようにも思えてくるぜ。出来ればもう少し欲しいけれどな。

読者諸君、俺はこれから夕食をこしらえて腹を満たし、仕事に出撃せねばならぬ。いつまでも寝言のような妄言を吐き散らしているわけにはいかないのだ。今日はこのあたりで失礼する。御機嫌よう。

2012/05/16

Post #535 アフリカに井戸を掘る

最近、UNHCRに寄付をすることにした。君はUNHCRというのを知っているかい?日本語では国連難民高等弁務官事務所というお堅い名称だ。なに、知らないのかい?なら覚えておいておくれ。
君たちの中には、かつてこの国連機関の代表を日本の緒方貞子さんが勤めていたことを知っている人もいるだろう。
名古屋の街角で、このUNHCRの下部組織、国連UNHCR協会のスタッフの若者が募金の募集活動をしていた。何度か顔を合わせて話をするうちに、微力ながら月々寄付することにしたんだ。
月額千円。
タバコを買って、昼飯を喰ったらこの日本では千円なんて、すぐになくなってしまう。そう、微々たる金額だ。しかし、これを2年続けると、アフリカの難民キャンプに井戸が一つ掘れるんだそうだ。俺はそれを何度も考えて、世間様から偽善者と言われるんじゃないかとびくびくしながら、毎月少額ながら寄付をすることにした。
Fes,Morocco
井戸が一つ掘れるとどうなるのか?
災害や紛争などで、国を追われ難民キャンプで暮らしている人々は、世界中にうんざりするほどいる。セバスチャンサルガドの写真集を見てみるのも参考になるだろう。多くは劣悪な環境で、いつ帰ることができるかも分からない状況で暮らしている。水道施設などないテント村に、何万人もの人々が、不安を抱え、生命の危機に脅かされながら生きている。もちろん、仮設住宅なんて結構なものは無い。粗末なテント暮らしだ。女性や子供たちは、生きてゆくために、毎日何キロも歩いて水を汲みに行かなければならない。大変なものだ。食料だってまったく不足している。もちろん、教育を受ける余裕もない。
井戸が一つ掘れると、子供たちは水を汲みに何キロも歩かなくても済むため、この時間に勉強することができる。それはイイことだ。機械掘りではなく、現地の男たちが手掘りで井戸を掘削するため、仕事の無い難民の皆さんに、些少ながら現金収入が生まれる。それは結構なことだ。もちろん、そこにはパチンコ屋なんてないからな、彼らがその金でギャンブルしたりすることもない。そして何より、人間は水失くして生きていくことはできない。多くの命が助かるんだ。素晴らしいことだ。
ほかにも、1000円で毛布2枚、3000円で難民の子供たちが勉強するための教科書10人分、15000円で一家族が何とか生活することができるテント一張、30000円で100人の避難民に一日の食事(もちろん最低限のものだろうけど)を送ることができるそうだ。(UNHCRのHPより)
俺達は生まれてくる場所を選ぶことはできない。そして俺達が、日本に生まれたのはただの偶然にすぎないんだ。
俺達には難民なんてカンケーないぜ、日本は日本で大変なんだってってのも分かる。けど、難民が発生しているのも、難民を受け入れているのも、この日本とは比べ物にならないくらい貧しい途上国だ。スーダン、マリ、ルワンダ、イラク、アフガニスタン、世界中に難民はごまんといる。UNHCRは、全世界で3400万人の難民の支援をしているんだそうだ。その多くが、劣悪な環境の中で、今日もギリギリの状態で命をつないでいる。
紛争だけで難民が生まれるのではなく、自然災害でも難民は生み出される。去年の震災の際には、この日本にもUNHCRは被災者の支援を行ってくれたそうだ。
黙っていれば、偽善者と言われることもないだろうけれど、俺は君たちにも、世の中にはそういう現実があることを知ってほしいと思っているんだ。ひょっとしたら、俺たちだって、貧しい国に生まれ、自然災害や紛争によって、住み慣れた土地を捨てて、他の国に逃げてゆかねばならない境遇に生まれていたかもしれないだろう?この世界は今や一つながりなんだ。俺達はいつだって、腹いっぱいで、食い過ぎで太った挙句にダイエットとか言って痩せようとしている。難民たちから見たら、俺たちの姿はどう見えるだろう?ほんの少しでも、俺はいつも、この世界に対して意義のあることがしたいと思ってたんだ。俺の稼いだ金で、アフリカに井戸が掘れたなら・・・。ちょっと誇らしい気持ちになるってものだ。なかなか悪くない。俺が今まで手掛けたどんな仕事よりも、はるかに意義深い気がするぜ。
もし君が、興味を持ったならUNHCRのHP http://www.unhcr.or.jp/html/info.html を覗いてみて欲しい。驚いたことに、Tポイントカードのポイントから寄付することだってできるらしい。
なぁに、軽い気持ちで構わないさ。どんな気持ちで寄付しようとも、活きた金になるんだからな。人の価値観は様々だけれど、今話題のコンプガチャで、無いものに金を費やすよりも、よりもよっぽどマシじゃないだろうか。
もちろん日本も、さまざまな問題を抱えている。震災に、原発に、沖縄の基地問題に、格差問題だ。政府の借金は一千兆円を超えている。けれど、いやだからこそ、もっと困っている世界の人々の事を、少しくらい気にかけてもいいんじゃないか?
いつか、この世界から民族や宗教などによる争いが無くなる日が来ることを、俺はいつも願っている。もっと言えば、戦争も国境もなくなる日が来ることを俺は祈ってる。しかし、祈ってるだけでは世界は良くはならない。神様が何も言わなくなってから、随分と長い年月が過ぎた。もっとましな世界にするために、月に千円くらい出したって、悪くはないだろう。なんてったって、俺はこんな日本の片隅にひっそり暮らしていても、コスモポリタン=世界人でいたいからね。
読者諸君、失礼する。今日は少し硬いテーマだったかなぁ。そんな日もあってもイイだろう?

2012/05/15

Post #534 もうこんな時間かよ

いかんいかん、帳簿をつけていたらもうこんな時間じゃないか。まずいな。
今日はあっさりと済ませよう。俺はイイんだけども、家庭内で早く風呂に入って眠れと圧力がたかまってる。危険な雲行きなんだ。家庭の平和は重要だ。
Paris
とまぁ、そんなわけで今日は失礼する。明日は、午前中で仕事を片付けてプリントでもしたいなぁ。

2012/05/14

Post #533 今夜はこれから仕事だから

写真を一枚お見舞いするだけにしておくよ。
Paris
不毛な仕事でも、飯を食うためにはやっておかないとね。そうさ、大人ならだれでも分かっていることさ。
読者諸君、失礼する。また明日会おう。

2012/05/13

Post #532 何もしない一日

本当に久々に、何もせずに一日暮らした。
だらけきっていたんだ。たまにはそんな日も必要だろう?この人生、突っ張っているだけじゃ、疲れてしまうというもんだ。鬱とかになって自殺でもしたくなってはかなわないぜ。休めるときには、休んでおかないと。どうせ明日も忙しいんだからね。
Fes,Morocco
では読者諸君、失礼する。明日も早いんでね。

Post #531 久々に友人がやってきた、ヤァ、ヤァ、ヤァ!

まるで、ビートルズがやってきたヤァ、ヤァ、ヤァ!みたいなノリだが、そんな大騒ぎな話ではない。今日は五年ほどご無沙汰だった友人が遊びに来てくれたのだ。なに、仲が悪くなっていたわけじゃない。仕事の関係で、5年ほど遠くで暮らしていた友人が、仕事を辞めて地元に帰ってきたということだ。朋友遠方より来たるあり、これ嬉しからずやって奴だ。
Marrakech,Morocco
こんな俺だから、友人と呼べるような付き合いのある人は、さほど多くはない。俺の友人というのは、ある意味絶滅危惧種だ。そのうちの貴重な一人だ。余りに友人の数が少ないから、そのうち中国からトキみたいに輸入して、繁殖させたりしなけりゃならなくなるだろう。おっくうなこった。そんなことまでするくらいなら、友人は少なくても構わないぜ。
彼とは食事をして、(そう、彼にとっては5年ぶりの地元の味味噌煮込みうどんだ) 車に乗って岐阜まで足を延ばし、うちの連れ合いも一緒に3人で、寂れにさびれた柳ヶ瀬を歩いて写真を撮ったりしてきたんだ。
そうそう、俺としても久しぶりに岐阜の老舗の中古カメラ屋・棚橋カメラにも寄ってみた。少しとぼけた味のおじさんとおばさんが、永年夫婦で店を守っている。久々に会ったおじさんは、少しやせて頭が薄くなっていたな。聞けば、癌を患って大きな手術をして、最近ようやく回復したということだ。けれど、おじさんもおばさんも、俺や連れ合いのことはしっかり憶えていてくれて、たいそう歓迎してくれた。ここは中古カメラはもとより、なかなかマニアックなアクセサリー類が豊富な店だ。アサヒペンタックス67に55ミリの広角レンズが16,800円?!という、びっくり価格で売っている。思わず心がぐらついた。なんせ、天才アラーキーも使っていたカメラだからな。俺の友人は、OMのファインダースクリーンを1500円だかで買って喜んでいた。
棚橋のおじさんにとっては、久々に賑やかな客だったことだろう。おじさん、よほど嬉しかったのか、再び街に繰り出した俺達を、店の外まで見送ってくれた。そして、俺たちの後ろ姿をしばらくの間、見守っていてくれたんだ。棚橋のおじさん、これからもお元気で。

読者諸君、失礼する。俺としては、久々に休日らしい休日だった。こんなの本当に久しぶりだッたんだ。

2012/05/11

Post #530 五月というのに

五月も半ばに近いというのに、何だか肌寒い。どうなってるんだ、いったい?地球は温暖化してきてるんじゃなかったのか?しかし、温暖化論者に言わせると、このあたりが寒くなっているのも、温暖化の影響だと言うじゃないか?まったく笑わせてくれるぜ。ひょっとしたら、氷河期が来てるんじゃないのかと思うような肌寒さだ。こりゃ竜巻もおきるというもんだ。
そういえば、太陽の黒点なんかの観測から、どうにも太陽の磁力の+-がおかしくなってきており、マウンダー縮小期とかいう時期に入ってしまうんじゃなかろうかと、世界中の気象学者なんかが気をもんでいるらしい。以前こんな状態に太陽がなっていた時には、テムズ川は凍りつき、日本では雨が多く、冷害に見舞われ、人びとは飢饉に苦しんだそうだ。いくら時代が変わっても、人間の本質は変わるめぇ。きっとひどい時代になっちまうことだろう。真っ先に、北の将軍様の国なんかあっという間に食い物が無くなってが死者がわんさか出るだろう。そうなると、三代目の若旦那やけくそになって、またぞろ勝ち目の薄いバカげた博打に乗り出すんじゃないかって、心配になってくるというもんだ。そうなりゃ日本も含めた東アジアの情勢が不安定になってくるだろう。
しかし、人間は知性のある生き物だ。自然の猛威の前に為す術もなくボーゼンとするばかりではないだろう。きっと、そんな自然の脅威や政治の危機も何とか切り抜ける糸口を見い出して、切り抜けていくことだろう。切り抜けていけるだろうか・・・。正直、いささか疑問だ。
俺は人間の知性とやらを信じていたいんだが、如何せん、世間を見回すとくだらない出来事が多くて、人間の知性とかいうものの存在に関して、はなはだ疑問を感じることが多い。大丈夫か、人類?と言いたくなってくるぜ。
Marrakech,Morocco
何はともあれ、まずは原子力発電なんてとっとと諦めて、ジャンジャン石油を焚いて発電しないとな。石油だって俺がガキの頃には、あと30年もすれば、枯渇して大変なことになるだろうと言っていたのに、俺がすっかりいいおっさんになった今でも、なかなか無くなりそうにないんだからな。いい加減なもんだ。明日のことはよくわからないもんだ。とりあえず、この寒さだ。布団に入ってダラダラさせてもらうぜ、なんせ明日はお休みだからな。時にはそんな時があってもイイだろう。なんせ、肌寒いんだ。
読者諸君、失礼する。明日は友人がやってくる。俺が明日について言えるのは、それくらいのことさ。そう、イエス様も明日のことを思い煩うなとおっしゃっておいでだしな。よい週末を送ってくれたまえ。

2012/05/10

Post #529 紫色のクロコダイルのベルト

俺はここ最近、名古屋の繁華街の路面店で仕事をしている。仕事の合間に表でパイプを吹かしながら道行く人々をぼんやり見ていたりする。イイ女だなぁとか、なんだあのブタ子は?とか、うむ、俺はあんなチャラけた小僧どもは虫が好かねぇなぁとか、いろんなことを想ってるわけだ。
男の服のセンスというのは、なかなかに難しー。女の場合はその時々の流行のものを着ていればいいだろう。しかし、男のファッションには、さしたる流行なんてものはない。あったとしても、遺憾ながら俺にはあまり興味が無い。俺は自分に合うスタイルをちゃんと知っているからだ。40過ぎて、今更その辺のチャラけた小僧のように、ホストみたいな品の無い格好はしたくない。かといって、日曜日のお父さん、上から下までユニクロとかいうのもゴメンだ。老け込んじまうぜ。あるいは、何だかどっか爽やかで可愛げな少年のような格好もゴメンだ。人の好みはそれぞれあるが、俺には向いてない。プードルとかじゃないんだ。
Fes,Morocco
俺は、少し前にある友人と久しぶりにあった時、『あんたはいつもブリティッシュでええなぁ』と言われて嬉しかったぜ。ありがとよ、ぐっちゃん。君は俺の狙いがはっきり分かってる。何時もあったるわけじゃないが、俺のことをよく分かってくれている。俺はロック好き、しかもUKモノが好きなんだ。そんなロックの似合うようなスタイルを心掛けてるんだ。OK、分かるかい?
けれど、気をつけなけりゃならないことがある。一歩間違うと、おかしなメイクをして、ドクターマーチンを履き、街角でティッシュを配ってるアルバイトの若い衆のような格好になってはならないということだ。なにしろ俺は43歳だ。同じベクトル上にあっても、より洗練されたスタイルが求められるというものだ。
とはいえ、懐具合は厳しい。バカ高いブランド物を着たいとも思わないしな。どんなにいい服を着ていても、裏通りの怪しげな店で買ったように思われてしまう俺だ。ブランドのロゴの入ったラベルがついているだけで、バカ高い服を着る必要はないだろう。
俺がこだわっているのは、靴とベルトだ。
上質な仕立てと素材でいながら素敵に傾いた靴があれば、全てOKだ。どんな服を着ていても、ばっちりと決まってくるというもんだ。よくサラリーマンのおじさんが履いてる紳士モカシンとかいう得体のしれないような靴は、ゴメン蒙る。パイソンとかの派手で高そうな靴が、俺のおしゃれを際立たせるのさ。それにやたらとつま先が反り返っている靴も、品が無くって嫌いだ。バルタン星人じゃあるまいし。素材はゴージャスで、デザインは正統派、それが理想だ。
そして何よりイカしたベルトがあれば、小僧どもとは一線を画したスタイルが完成だ。ココは手を抜いてはいけない。これを安モンで済ますと、どんなおしゃれも全てが台無しだ。どんなにいい服を着ていても、何だかみすぼらしく見えてしまうってもんだぜ、気を付けろ。

けれど、俺の心にビビッとくるベルトや靴には、そうおいそれと出会えるもんじゃない。もっとも、そうそういつもそんなものに出会っていたら、俺は破産だ。金がいくらあっても足らないぜ。なにしろ足は2本しかないし、腰は一つしかない。必要なものは、ほんのちょっぴりのお気に入りのアイテムだ。
先日、ベルトを買った。その何日か前に見かけて、悩んでいたんだが、生憎というか幸いというか、俺の現場はその店のすぐ目の前だったんだ。俺は、仕事の昼休み、作業服のまま、ベルトを買いに行った。
イタリア製のクロコダイルのベルト。型押しじゃない、マジもんのワニだ。色は紫、いやパープルと言った方がいいだろう。俺は思わず、昔懐かしいプリンスを思い出した。そう、パープルレインだ。
紫は本来、上品で粋な色なんだが、どうにも今の日本では品の無い色と思われがちだ。しかし、俺は紫が結構好きだ。お値段はそこそこした。昔なら即決で買っていただろう。しかし、不景気のどん底、働けど働けどなおわが暮らし楽にならず、じっと手を見る足を見るの俺だ。何日か悩み、煩悶した。人間、金がないと決断力が鈍るというものだ。
しかし、買っちまった。俺は買っちまったよ、紫のベルト。そのうち君にもお見せしよう。
昔々、戦国時代には、武将たちは自分の強さをアピールするために、派手で目立つ格好を好んでしていたんだ。迷彩じゃないんだぜ。強さに自信があるから、目立つ格好をして、俺はここにいるぞと主張していたんだ。しかし、天下泰平の江戸時代を経て、日本人のセンスはすっかり変わっちまった。出る杭は打たれるだ。目立つことを嫌い、みんなと同じような服を着る奴らばかりだ。あれこそ、本当の都市型迷彩服だ。冗談じゃない、今の日本人のおとーさんたちにも、もっと戦国時代のような考えを持ってもらいたいもんだぜ。出る杭は打たれる。上等じゃないか?
読者諸君、失礼する。風呂に入って眠るのさ。

2012/05/09

Post #528 つまらない日々が続いている

だから今夜もつまらない写真を君にお見舞いしよう。
HomeTown/Nagoya
どう、つまらないだろう。どうということもない、平凡なよくあるタイプの女性が写っているだけだ。
きっと彼女は俺が写真におさめなかったら、瞬く間に大衆の中に埋没し、忘却の彼方に消え去ってしまうことだろう。サラリーマンのおじさんたちも、若いおねーさんたちも、どれもこれも、びっくりするくらいおんなじような格好をしているからな。憶えてなくっても仕方ない。いちいち覚えていたら、メモリーが不足してしまうことだろう。しかし、実際のところ、俺の脳はそんな記憶障害には犯されてはいない。安心してほしい。とりあえずのところ、ただちに健康に影響はないと言ったところだ。
読者諸君、失礼する。つまらない毎日が続いている。車の運転をすれば、頭のおかしな職工のような中年に絡まれる。うんざりだ、俺を引きこもらせてくれないか。そうすれば、君たちに新しい写真をお送りできるんですがねぇ。

2012/05/08

Post #527 イライライライラしてる昨夜からずっと

波長の合わない人間と仕事をしているのは、疲れるものだ。特に睡眠不足の時には、無性に腹が立ってしまう。イライライライラしっぱなしだ。
眉間にしわが刻まれ、目はやり場のない憤りで燃えている。口元は固く閉ざされ、下唇は切れて血が出そうになるほど前歯で噛みしめられている。正体不明の怒りにまかせてとんでもないことになるんじゃないかと、車の運転をするのが怖くなるほどだ。もし手元にバールのようなものがあったら、苦労して作ってきた現場を、ぐしゃぐしゃに叩き壊したりしかねない勢いだ。バールが無くてよかったぜ。けど、もしそうできたらどれだけすっきりすることだろう。きっと晴れやかに笑えるさ。しかし、そんなことは出来っこないのさ。大人だからな。二度と誰も俺に仕事を頼みには来なくなることだろう。だから、鬱屈はたまっていくばかりだ。マグマのように煮えたぎってる。
道行く人は、そんな俺の表情を見て、道を譲ってくれる。俺だって、何かに起こっているような手合いとぶつかったりして、厄介なことに巻き込まれたくはない。その気持ちはよくわかる。誰だって厄介ごとはゴメンだ。俺だってゴメン蒙る。
HomeTown
俺には休息が必要だ。
あてどなく街をぶらついてひねもす写真を撮ったり、真っ暗な暗室に引きこもって、毎度おなじみのつまらない写真をジャンジャンプリントしたりする、クリエイティブな時間が必要なんだ。なんてったって、つまらない写真を撮らせたら、なかなか俺ほどの奴はいないからな。
仕事の代わりはいくらでもいるだろう。けど、俺自身の代わりはどこにもいないんだぜ。
自分にしかできないことをやるのが、本当に意義のある人生ってもんじゃないのかね。それをロクにやらずに、今年は仕事ばかり続けてきた。息継ぎもせずに泳いでいるようなもんだ。イライラするのも無理はない。道楽の無い人生なんて、奴隷の人生さ。それでガンガン儲かって、笑いが止まらないほどもうかるんなら、話は別かもしれない。けど、そんなに儲かるんなら、三か月だけ働いて、あとは街をぶらついたり、飛行機に乗って旅行に行っては写真を撮りまくり、一転引き籠ってプリントを作りまくり、君に届けることに費やすことだろう。みんなから、印画紙の無駄と笑われながらね。
読者諸君、失礼する。もし君が、眉間にしわを寄せて、キビシー顔をして歩いている俺を見かけたら、怖がらずに声を掛けてくれないか?君に怒ってるわけじゃないんだから・・・。突然殴りつけたりしやしないさ。一緒にドトールコーヒーでも行かないかい?コーヒーくらいなら俺がおごるさ。

Post #526 明日また話そう

明日また話そう、今日はもう遅い。身体を休めよう、明日も朝早い。
HomeTown/Nagoya
じゃぁな。

2012/05/06

Post #525 つまらない男たちのつまらない写真をお送りしよう

今夜はもう眠りたいのだ。俺は俺の肉体を回復させる必要を痛感している。温泉でも行って、ゆったりした日々を送りたいくらいだ。しかし、残念ながらそんな暇も金もない。ないッたらない。だからせめて、眠りたいのさ。それはこんなカンジだ。
HomeTown/Nagoya
往来の真ん中で、真昼間からビールをかっ喰らって、ひっくり返って眠るつまらない男たち。人生にはもっと有意義なことがあるとも思うが、フツーこんな風になかなかひっくり返って眠れないと思うぜ。これはこれでどこかロックンロールなカンジも漂うってもんだ。何はともあれ、幸せそうで結構ではあるがな。
読者諸君、俺は眠るぜ。多くの人々は明日からまたつまらない仕事だろう。労働は、どこか刑罰に似ているように感じてしまう俺なんだ。そんな風に感じてしまうのは、働き過ぎなんだろう。おかげでUターンラッシュなんかに巻き込まれてうんざりすることもなかったが、工場の機械のように毎日働いていると、ホントーに倦み疲れてくるというもんだ。マジで温泉とか行ってゆったりしたいもんだぜ。
失礼する。

2012/05/05

Post #524 疲労のどん底からつまらない写真を送ろう

何やら悲壮感が漂ってくる。疲れているのは確かだが、死ぬようなことはない。死ぬにはまだ早い。どうせいつか死ぬんだ。しかし、それは今日じゃない。死にそうだぜ、とか言ってるたびに死んでいたら、それこそ命がいくつあっても足らないぜ。
しかし、その疲労で転がっている俺から、今日もつまらない写真を皆の衆にお見舞いするぜ。
Someday,Somewhere
久々に、森山大道の本を読むでもなく、つまむようにして眺めていたら、写真を撮る量と欲望の量は比例するというようなことが書いてあった。
まさしくその通りだと思う。とすると、写真をガンガン撮ってるような奴は、とんでもなく欲求不満なのか?うむ、あながち間違ってもいない気がするぞ。
俺がおねーさんをよく撮るのは、年頃のキレイなおねーさんにちやほやしてもらいたいっていう切実な欲望の表れなのか?しかし、そんなおねーさんたちにだけは、仲よくしてもらえないんだなぁ・・・。偏屈な年寄り、好奇心いっぱいの子供、とっくに盛りを過ぎたおばはん、金の無い若者。そんなのばかりが俺に声を掛けてくる。どうなってるんだ、いったい全体?
読者諸君、俺は寝る。夢で逢いましょう!

2012/05/04

Post #523 つまらない写真至上主義

などと、大きく振りカブってしまったが、今日は別段力みもしないさ。
なんて言ったって、仕事が長引いて、さっき帰ってきたばかりだ。お疲れなのさ。年齢を感じるぜ。マカか凄十でも飲んだ方がイイのか?冗談じゃないぜ、笑わせるぜ。
HomeTown/Gifu
俺はよく女性の写真を撮る。女好きだと思われている。結構なことだ。
ココ日本では、好色は人間臭さをUPさせる要素の一つと捉えられている。俺も死んだら道楽院好色居士とか気の利いた戒名を付けて欲しーくらいだ。とはいえ、写真はモノクロばかりで好色には程遠いか?
俺が女性を好んで撮るわけは、女性こそ、俺の想像力(妄想力ではないはずだ・・・)をかきたててくれる存在だからだ。ということにしておいてくれないか?それに比べて、男ってのは面白みのない奴らが多いもんだねぇ。
とはいえ、極上のモデルを雇って自分のイメージに合わせた写真を撮るのは、ゴメン蒙る。俺からすると、それはそんなに面白い事とは思えない。もちろん知り合いには、そういう道楽が高じて、自宅にスタジオまで作ってしまった重病人もいるし、それを非難も批判もするつもりはない。むしろ楽しそうでいいなぁとおもっているんだ。しかし、俺向きではないのさ。俺の街では、モデル撮影をすると称して、派遣された女の子をやっちまおうとした挙句、拒まれて本当にぶっ殺しちまった変態もいたっけな。
だから、そこいらで写真を撮っているわけだ。すると、誰でもどこかで見たこのあるような、つまらない写真が出来上がる。しかし、心配ご無用、構うもんか。俺はつまらない写真至上主義者なんだ。

読者諸君、失礼する。俺には休息が必要さ。ついでに言うと潤沢な資金もね。

2012/05/03

Post #522 ダメ押しのようにつまらない写真をお送りしよう

うぅ、疲れた。世間様は休日を愉しんでいるというのに、俺は男の仕事が山場だった。立ち続けて、足が重い。勢い眠りたくもなってくるというもんだ。読者諸君、分かってくれるかな?
にもかかわらず、つまらない写真を今日もお送りしよう。
HomeTown/Nagoya
仕事に倦み疲れた俺の手元に、アマゾンから一冊の写真集が届いた。
中平卓馬『Circuration Date,Place,Events』(OSIRIS刊)だ。
これは凄い。まさに写真の極北だ。
この写真集の概要は、既にこの写真集のカバーに日本語と英語で以下のように併記されている。
『1971年、パリ。世界各国から若い芸術家たちが参加したビエンナーレを舞台に、中平卓馬は『表現とは何か」を問う実験的なプロジェクトを敢行する。「日付」と「場所」に限定された現実を無差別に記録し、ただちに再び現実へと「循環」させるその試みは、自身の写真の方法論を初めて具現化するものだった。』(Circuration カバーより)
若き日の中平は、日本代表の一人として参加したこのビエンナーレの期間中、毎日パリの町中を歩き回り、無差別にシャッターをきり、毎日200枚もの写真を現像プリントし、展示し続けた。そして、その写真を見ている人々もまた、写真におさめられ、新たな展示物として、一連の写真の中に循環されていったのだ。そして、最終的には1500枚に及んだ写真は、さまざまな事情により、中平自身の手によって、会期の終了を待たずにすべて剥ぎ取られたという。その行為自体がいかなるいきさつによるものであれ、それは写真が双方向的なメディアであり、なおかつコンセプチュアルアートにすらなりうるものだと示しているように俺には思える。

写真とは、なにか。表現とは、何か。
その根源を突き詰めていくような写真の集積。

ここには無論のこと、キレイな女の裸も、可愛らしい猫も、絵葉書のように気の利いた風景も、決定的な瞬間も、何も写されてはいない。そんなもんが何も写っていない、ただ日常目にする風景のシーケンスの集積といっても過言ではない。世間一般の写真好きの中でも、この写真集に対する評価は、ある種の踏み絵のように別れることだろう。仕方ない、可愛らしい動物の写真集やアイドルの写真集ばかりが売れる日本だ。

疲れた体を引きずるようにして帰ってきた俺は、何をさておき、この写真集をまじまじしみじみと眺め、味わった。詳しいことは近いうちにまた話そう。いや、話さないかもしれないけれど、これは凄い写真集だ。君が写真に興味があるんなら、ぜひ一度見て見て欲しい。つまらない写真がたくさん並んでいる。写真に意味などないことを、そして、何かに意味があるのなら、あらゆるものに意味があるという逆説的な何かを訴えかけてくる。語れば語るほどに、迷宮に迷い込んでいくような感覚に陥る。確かに写真の極北だ。
まぁ、ムツカシーことを抜きにして、俺はここにある意味でパンクな写真の在り方を見てしまうんだけどね。そんなの俺だけだろうけども。
さぁ、俺は風呂にゆっくりつかって疲れた体を癒やすんだ。そして、深夜もう一度、この写真集を開いてみるんだ。写真の極北は遠い。しかし、それは確かに存在する。
読者諸君、失礼するぜ。しかし、一晩に200枚もの写真を現像・プリントするなんて驚異の体力だなぁ。疲れたなんて言ってられないぜ、きっと。

2012/05/02

Post #521 今夜も調子にのってつまらない写真をお送りしよう

HomeTown/Nagoya
いや~、調子にのってこれまたつまらない写真をお送りしよう。
なんだかわかるかね?
これはまぁ、エレベーターだ。名古屋の老舗百貨店のエレベーターだ。ちなみに、俺はこの百貨店で、この2月3月死ぬほど現場をこなした。いや、マジで死ぬかと思ったぜ。観光バスを運転していたら、間違いなく乗客を道連れにして死んでいただろう。地獄への道連れは、一人でも多い方がいいというのは、白戸三平先生のカムイ外伝に出てくる言葉だが、俺としてはそんなのゴメン蒙る。仕事も遊びもほどほどが大切だ。身に沁みるぜ。
大事なことなので、今夜も言わせてもらうけれど、俺はこの写真がつまらないとは、これっぽっちも思っちゃいないんだけどね、写真の面白さなんて、見る人次第だ。俺が面白いと思うものを、他人が面白いと思うかどうかは、何とも言えないぜ。なにしろ、俺はしばしば面白い事を言ったつもりで、まわりの連中をどっ白けさせてしまったり、ユーモアが伝わらなくて、何が面白いのか説明しなけりゃならないという野暮なことになったりするんだ。要は世間とずれているということだ。どんとこいだ。よく、訳の分からないところでクスクスゲラゲラ笑っては、おかしい人と思われているのさ。お目出度い話だ。
まぁ、親愛なる読者の皆さんは、この写真に俺が感じているカッコ良さが、なんとなく伝わってるんじゃないかと思うぜ。うん、俺は勝手に信じてる。信じるくらい俺の自由だろう。憲法で保障されてるはずだ。覚めない夢を見させておいて欲しーもんだ。
それはそうと、昨日の出来事だ。車を運転していた時のこと。信号が変わって、解き放たれた野生馬のように走り出した俺の前に、客を降ろしたばかりのタクシーが強引に車線変更してかぶせてきたんだ。危うくぶつかるところだった。頭に来た俺は、そのタクシーを回避した流れで、クラクションを鳴らし続けながら、自分の車をタクシーの前にねじ込み、次の交差点の左折車線を占有するようにして車を停め、運転手を引きずり出した。
『お前、どこの会社だ!名前は!』日頃からタクシーの無法な運転にうんざりしきっている俺の怒りの形相は、さぞ荒まじいものだったことだろう。俺は普段から人相が悪いと言われてるんだ。怒った顔はなかなか友人知人にお見せできるようなものじゃない。スワロータクシー(仮名)の加糖(仮名)という、まだ若く小柄な運転手は、完全にビビってしまっていた。声が裏返っている。蚊の鳴くような声とはこういうものかと43年生きてきて初めて実感したぜ。
奴は平謝りなんだが、いきなり会社の上司に連絡しますと言って、自分の携帯で上司に連絡し、俺に電話を替わったんだ。俺は、なんとなくその場の流れで、この上司にさんざん苦情を述べ、いったいあんたんところじゃ、運転手にどんな指導をしているんだと息巻いたんだが、よく考えたらこれはおかしなことだ。
だって、そうだろう?周囲を確認せずに無謀な運転をして、俺の怒りを買ってるのは、運転手本人なのに、なぜか俺は電話で運転手本人ではなく、その場にいないその上司と称する人間に怒ってるわけだ。その間、加糖本人は恐縮してるんだけれど、本来なら、この加糖(仮名)という運転手自身が、自分の行いの報いとして、俺にこんこんと説教されるべきじゃないのか?
自分のケツは自分で拭くことを、ママに教わってこなかったのかい?どうなんだい?自分のケツも自分で拭けないような奴が、横着な運転をするんじゃない!とっとと家に帰って、ママのおっぱいでもしゃぶってろ、この野郎!と言いたいところだが、ぐっとこらえて、あんたもプロならプロらしく、安全でマナーを守った運転しろよ!と吐き捨てるのにとどめたんだ。
読者諸君、何かおかしくないかい?まったくいつの間にかこの国は、上は政治家から下はタクシーの運転手まで、自分の行いに全く責任を取らないようになってるんだ。一体俺達はどこで道を間違ったんだ?そういえば、どこかの原子力発電所から吐き出された放射性物質は、
所有するものがいないということで、その原子力発電所で金儲けしていた奴らには、放射性物質の除去とかの責任は無いんだそうだ。
冗談じゃないぜ。これが、俺や君の暮らす国、事勿れ無責任主義国家・日本の姿なのか。
読者諸君、失礼する。連休中の車の運転には、注意した方がいいだろう。たまらないぜ、まったく。

2012/05/01

Post #520 今夜も懲りずにつまらない写真を君に送ろう

HomeTown/Nagoya in Midnight
今夜も懲りずに、つまらない写真を君に送ろう。
車を運転していれば、誰でもこんな光景を目にするだろう。誰でも目にするこんな光景を、写真という枠に切り取って、収めてしまえば、あっという間につまらない写真の出来上がりだ。
もちろん、毎日のように言っているけど、俺自身はこれがつまらない写真だなんて、これっぽっちも思っちゃいないんだがね。これはこれで、カッコいいと思ってるんだけど・・・、君にこのカッコよさは伝わるんだろうか。伝わっていると信じているんだがね。
ぶっちゃけ、ゴールデンウィーク真っただ中に、毎日地道に働いているという鬱屈した心情が、ルサンチマンが、ここ何日かの写真のセレクトの中に込められているのだよ。
つまり、みなさん休日を愉しんでいらっしゃる訳なんですが、そんな時に、マラケッシュだのパリだのイスタンブールだの、異国情緒あふれる写真を載せて、世間の皆さんをさらに愉しませては、相対的に、あくまで相対的なんだが(これ大事ね)、俺がますますつまらなくなっちまうってもんだからね。だから、誰でもその辺で見ているような光景を、選りすぐってお送りしたくなるというものなんだ。
ふふふ・・・、意外と俺もセコイ男だ。人間の器が小さい。PETボトルのキャップほど小さいものよのう。一体どれだけ集めれば、途上国の子供たちにポリオワクチンを接種してやることができるのか、気が遠くなるほどの器の小ささだ。

けれど君はとっくに気づいているだろう。写真の良し悪しは、エキゾティズムの有無で決まるわけではないのだよ。そんな写真は、職業として写真を撮っておいでの皆様にお任せしよう。白紙委任だ。風呂屋の書き割りのような写真を撮るのはゴメンだ。海外の写真が多くあっても、それはあくまで、その瞬間に、自分の周りに繰り広げられている光景を、底引き網で引くように、ザバリと掻き集めてきたにすぎないんだぜ。
我が敬愛・私淑する写真家・中平卓馬は毎日のように同じ場所で、同じモノを撮影しながら、これは初めての場所だよと、おっしゃるそうだ。
はたしてそれは、強烈なボケなのか、かつての記憶喪失の後遺症なのか、それとも人を喰ってるだけなのか・・・。
しかし、見慣れた場所に新鮮さを感じ、シャッターをきることができるというのは、これは実は凄いことなんだぜ。君も毎日カメラを持って歩いてみればわかるだろう。意識することもないほどに見慣れた場所やありふれた光景を写真に撮るには、日常の中に非日常を見い出す何かが必要なんじゃないのかい?もっとも、俺自身もいつもそんな写真を撮ってるわけじゃないさ。フィルムも印画紙も安くはないし、何より、それをプリントする手間を考えると、躊躇して、見過ごしてしまう。
しかし、これは大事なことだ。あえて言わせてもらうぜ。
身近な日常の中に、何かを見い出してシャッターをきるというのは、ある意味、とんでもない写真の跳躍だ。何故なら人は、目新しいモノ、見たことが無いモノ、刺激の強いモノ、類型的に美しい(とされているもの)に強い関心を抱く生き物だからだ。毎日見飽きている何気ない光景には、わざわざ写真にするような意味を、なかなかに見いだせないものだ。つい、見たこともないモノや決定的な瞬間、あるいは誰もが美しいと思うような景色や人物(主に女性)なんかを撮ってしまいたくなるだろう。それらはとても意味ありげだから。
しかし、俺の写真がいつもそんなモノばかり追いかけているわけにはいかない。
俺の写真の起点には、必ず俺がいる。俺が目にしたものだけが、俺の写真になる。
そして、どんなモノでも写真になりうる。俺が見て、シャッターをきりさえすれば、一見つまらない写真が一丁上がりだ。どんなもんだい!自分の眼がカメラだったらと、しばしば思う程だ。前にも話した肉眼レフという奴だ。
その中に封じ込まれた俺が見出した美しさやカッコよさなんて、気が付く奴だけ気が付けばいいのさ。もちろん、いつも俺のブログを見てくれている君たちには、すぐにピンとくるだろう。

今日もまた、仕事の合間を縫って中平卓馬の写真集を、アマゾンに注文してしまった。もう何日かのうちに手元に届くことだろう。今から楽しみだ。

読者諸君、失礼する。写真の極北に至るために、今日もつまらない写真にこだわってみたのさ。一見してつまらない写真の中に、俺は俺の思い描く美しさを見ているんだ。