2012/05/01

Post #520 今夜も懲りずにつまらない写真を君に送ろう

HomeTown/Nagoya in Midnight
今夜も懲りずに、つまらない写真を君に送ろう。
車を運転していれば、誰でもこんな光景を目にするだろう。誰でも目にするこんな光景を、写真という枠に切り取って、収めてしまえば、あっという間につまらない写真の出来上がりだ。
もちろん、毎日のように言っているけど、俺自身はこれがつまらない写真だなんて、これっぽっちも思っちゃいないんだがね。これはこれで、カッコいいと思ってるんだけど・・・、君にこのカッコよさは伝わるんだろうか。伝わっていると信じているんだがね。
ぶっちゃけ、ゴールデンウィーク真っただ中に、毎日地道に働いているという鬱屈した心情が、ルサンチマンが、ここ何日かの写真のセレクトの中に込められているのだよ。
つまり、みなさん休日を愉しんでいらっしゃる訳なんですが、そんな時に、マラケッシュだのパリだのイスタンブールだの、異国情緒あふれる写真を載せて、世間の皆さんをさらに愉しませては、相対的に、あくまで相対的なんだが(これ大事ね)、俺がますますつまらなくなっちまうってもんだからね。だから、誰でもその辺で見ているような光景を、選りすぐってお送りしたくなるというものなんだ。
ふふふ・・・、意外と俺もセコイ男だ。人間の器が小さい。PETボトルのキャップほど小さいものよのう。一体どれだけ集めれば、途上国の子供たちにポリオワクチンを接種してやることができるのか、気が遠くなるほどの器の小ささだ。

けれど君はとっくに気づいているだろう。写真の良し悪しは、エキゾティズムの有無で決まるわけではないのだよ。そんな写真は、職業として写真を撮っておいでの皆様にお任せしよう。白紙委任だ。風呂屋の書き割りのような写真を撮るのはゴメンだ。海外の写真が多くあっても、それはあくまで、その瞬間に、自分の周りに繰り広げられている光景を、底引き網で引くように、ザバリと掻き集めてきたにすぎないんだぜ。
我が敬愛・私淑する写真家・中平卓馬は毎日のように同じ場所で、同じモノを撮影しながら、これは初めての場所だよと、おっしゃるそうだ。
はたしてそれは、強烈なボケなのか、かつての記憶喪失の後遺症なのか、それとも人を喰ってるだけなのか・・・。
しかし、見慣れた場所に新鮮さを感じ、シャッターをきることができるというのは、これは実は凄いことなんだぜ。君も毎日カメラを持って歩いてみればわかるだろう。意識することもないほどに見慣れた場所やありふれた光景を写真に撮るには、日常の中に非日常を見い出す何かが必要なんじゃないのかい?もっとも、俺自身もいつもそんな写真を撮ってるわけじゃないさ。フィルムも印画紙も安くはないし、何より、それをプリントする手間を考えると、躊躇して、見過ごしてしまう。
しかし、これは大事なことだ。あえて言わせてもらうぜ。
身近な日常の中に、何かを見い出してシャッターをきるというのは、ある意味、とんでもない写真の跳躍だ。何故なら人は、目新しいモノ、見たことが無いモノ、刺激の強いモノ、類型的に美しい(とされているもの)に強い関心を抱く生き物だからだ。毎日見飽きている何気ない光景には、わざわざ写真にするような意味を、なかなかに見いだせないものだ。つい、見たこともないモノや決定的な瞬間、あるいは誰もが美しいと思うような景色や人物(主に女性)なんかを撮ってしまいたくなるだろう。それらはとても意味ありげだから。
しかし、俺の写真がいつもそんなモノばかり追いかけているわけにはいかない。
俺の写真の起点には、必ず俺がいる。俺が目にしたものだけが、俺の写真になる。
そして、どんなモノでも写真になりうる。俺が見て、シャッターをきりさえすれば、一見つまらない写真が一丁上がりだ。どんなもんだい!自分の眼がカメラだったらと、しばしば思う程だ。前にも話した肉眼レフという奴だ。
その中に封じ込まれた俺が見出した美しさやカッコよさなんて、気が付く奴だけ気が付けばいいのさ。もちろん、いつも俺のブログを見てくれている君たちには、すぐにピンとくるだろう。

今日もまた、仕事の合間を縫って中平卓馬の写真集を、アマゾンに注文してしまった。もう何日かのうちに手元に届くことだろう。今から楽しみだ。

読者諸君、失礼する。写真の極北に至るために、今日もつまらない写真にこだわってみたのさ。一見してつまらない写真の中に、俺は俺の思い描く美しさを見ているんだ。

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