2012/06/30

Post #580 今夜は眠いので

今夜は眠くて仕方がない。朝5時起きだったんだ。仕方ない。俺は機械の星のマシンじゃないし、覚醒剤もやってない。時には疲れて眠りたくなるのも当然さ。
だから、もう寝かせてもらおうか。どうせ起きていても、寝言のようなことをダラダラと書き散らしているだけなんだもの。毎日あれじゃ読む方だっていい加減疲れてくるんじゃないのか?俺は疲れてるぜ。
Kyoto
そんな訳で、失礼する。諸君、よい週末を過ごしたまえ。俺はもちろん、お仕事さ。クソッ!隣の部屋からスゲーイビキが聞こえてくるぜ。気になって眠れやしないぜ!
これが人生さ、ロックンロールさ。

2012/06/29

Post #579 Just A Woman

俺がリスペクトしてやまない偉大なる写真家、天才アラーキーこと荒木経惟は、常々、『あたしにいわせりゃ、女を撮らない写真家は一流にはなれないね』とおっしゃっている。確かに、うんざりするほどあるアラーキーの写真集には、女性を扱ったものがこれまたうんざりするほどある。21世紀の世之助だ。そう、好色一代男ね。
しかし、単なるポルノグラフィではない。それは世にあまたあるその手の雑誌や、一般的に美しいモデルをことさらに官能的に撮影した写真集とは違って、女性の本質的なところに突き刺さっている。
例をあげればきりもないが、決して美しいとは言い難い体の線の崩れた人妻を、ライフワークのように撮り続ける『人妻エロス』や、乳がんで乳房を切除した歌人の宮田みどりのヌードを撮った(彼女はその後、癌を再発させ死んでしまった)『乳房、花なり』。ストリッパーの女性の日常風景を写した『東京旅日記』、腐るほどある。
そして何より妻陽子との結婚と死別を正面から撮りきった『センチメンタルな旅・冬の旅』。これらを見ているだけで、女性の本質とは何か、考え込んでしまう。

見えるものを撮るものが写真だが、見えるものを通じて、見えないものに思いを馳せることができるのも、これまた写真なのだ。

大事なことなので、大きく書いといた。
それにあやかろうって訳ではないが、俺は女を撮るのが好きだ。

むしろ、街を行き交う女性以上に撮るべきものなんかないような気すらする。

蛇足ながら、ここ最近、出張に出てから、このブログにアップされるのは、女性の写真ばかりだと、賢明な諸君は気が付いているだろうか?別に、人恋しかったりするわけでもないが、まぁ、そんな気分って訳だ。
おっと、ホモの人は気を悪くしないでくれよな。
何故って、人間に興味があるのだが、人間には大きく分けて二通りある。一つのグループは男で、もう一つのグループは女だ。そして、神様が念入りに形作ったのは、間違いなく女だ。俺は神様のゲージュツ的な営みを素直に賛美したい。もちろん、中には里芋の煮っ転がしのような手合いもいるのは確かだが・・・。
あの美しい曲線的なフォルム。実に魅力的だ。まるで人生を駆け抜けるエアロフォルムのスポーツカーのようだ。思わず乗り回したくなってくる。
残りのもう一つのグループの皆さんは、残念ながら、余り美しくない。ごつごつしていてたり、骨ばっていたりして、どうにもいただけない。昔のボルボや冴えない営業車や実用一点張りのトラックみたいだ。あまり乗りたいとは思えないぜ。きっとサスもシートも堅くって、乗り心地もイマイチだろうよ。神様は、女を造形するのに疲れて、テキトーに捏ね上げたんじゃないかって思えてくるぜ。
あぁ、こんな事を書くと、また一部のホモの人が食って掛かってくるんだろうか。
仕方ない。
俺はホントーにそう思っているんだから。外野が何を言おうが、カンケーないぜ。
Osaka
俺はホテル帰って、シャワーを浴び、給油同然の食事をしに夜の町に出る。
外では、二人のキャバ嬢が、時代遅れの安っぽいドレスにカーディガンを羽織って、酔っ払ったようにふらふら歩いている。そして、ふざけあってお互いのミュールを、相手に蹴り飛ばしてぶつけている。呼び込みの強面のおっさんたちがそれを見てへらへら笑っている。
そして、俺はその間を悠然と歩く。
しまった。カメラをベルトに通したケースに入れておかずに、手に持っているべきだったと内心悔しがりながら、そんな嬌声などまるで聞こえていないような超然とした顔で大股に歩く。
ふと、そのうちの一人と目が合う。彼女の表情には、思わぬところを見ず知らずの男に見られたという驚きの色が浮かぶ。俺は、安っぽいネオンに照らされた女の、まだあどけなさが残る顔を、一瞬で脳裏に刻みこむ。
そんな時、俺はいつも思うんだ。

そう、彼女がどんな人生を歩み、これからどう年を重ねていくのか?どんなささやかな喜びとちっぽけな悲しみを抱えているのか?

その一瞬で、イエス様のように読み取れたならいいのにと思う。

それが出来ないから、写真を撮りたくなる。

写真は、目に見えるものを写すモノだけれど、それを通じて、写真には写らないモノに思いを馳せたい。俺はそう思う。
そういえば、大昔、俺がまだモヒカン生徒会副会長だったころ、ブルーハーツのヒロトはこう歌っていたっけな。

♫ドブネズミ みたいに 美しくなりたい
写真には 写らない 美しさが ある
だったっけ?
写真には写らない、その美しさを撮ることが出来たなら。その方法さえあれば・・・。

読者諸君、失礼する。明日も朝早い。いつもながら、こんなことをしてる場合じゃないんだ。俺は疲れ切ってるのさ。

2012/06/28

Post #578 おかしなコインランドリー

俺の泊まっているビジネスホテルには、何故かコインランドリーがない。不便なことだ。このホテルときたら、とても2010年代とは思えない。ネットもADSLで遅いしな。いや、言っちゃ悪いがこの小田原という町も、どこか昭和なカンジが濃厚に残っている。タイムスリップしてしまったかのようだ。ホテルの周囲には、夜になれば場末感むんむんのキャバレーの呼び込みのおっさんが、あちこちにつっ立ていいる。それも、今時のホストのような小僧じゃなく、目つきの鋭いおっさんたちだ。
俺は労働の臭いの染みついた洗濯物を袋に詰め込み、そんなおっさんたちを振り切るようにして、裏通りのコインランドリーに行ってみた。
洗濯機は3台しかない。俺は止まっている洗濯機からいかにも労働者ってカンジのつなぎを取り出し、自分の洗濯物を洗った。しかも、洗剤は無い。困っていると、もう一人のお客さんが分けてくれた。ありがとう。
洗濯している間に、飯でも食いに行ってくるつもりだったが、洗剤をわけてくれた俺と同年代の男性と世間話をして過ごすことにした。そんな夜も悪くない。少なくとも、場末のキャバレーに行って1時間5,000円払って、おつむのたりない女と糞下らねぇお喋りをするよりもずっと素晴らしい。
Osaka
そのコインランドリーには、洗濯機は3台しかなく、一台は壊れていたのだが、何故かマンガや小説は腐るほどあった。枕草子やボーヴォワールなんかもあったくらいだ。とりわけ、店主が力を入れていると思しきは、よくコンビニで売っている『ねこぱんち』だ。これが何十冊とある。きっと店主のお気に入りなんだろう。店主はきっと猫の好きなおばさんに違いない。しかし、お互いの仕事のことなんかを当たり障りなく話し合う俺達には、とりあえずは不要だ。
そこには何故か連絡ノートのようなものがあって、ヒマに任せた人びとが、感謝の言葉を書き込んでいたり、末永く経営してほしいと希望を述べてみたりしていた。無人駅や、昔のラブホテルなんかにあるようなノートだ。
会社の寮の後輩が転勤するので、後輩とここに来るのはこれが最後ですなんて書き込みもある。まるで、ブログを見ているようだ。なかには、1ページにわたって近況を書き込んでいる人もいれば、ホームレス生活25年という仙人のような人の書き込みもあった。驚きだ。しかし、俺の驚きはそれだけにとどまらない。ノンストップ状態だ。
それ以上に驚くべきことに、その書き込みの一つ一つに対して、店主は赤のボールペンで、コメントというか返事を書き込んでいたりするのだ。この乾ききったネット全盛の時代に、これは神秘的なまでの驚きだ。このコインランドリーを軸に、小さなコミュニティーが形成されている。どうよ、この町、昭和の香りがするでしょう?
しかし、そんなのはまだ序の口だった。
俺が一番驚き、疑問に思ったのは、マンガが並んでいる3段ボックスの一番下に、何故か妙に場違いな、黒い装丁の大判の本を見つけたことだ。
それは一冊の洋書だった。
ドイツの名門写真集出版社、STEIDL刊 泣く子も黙るシャネルのデザイナー・カール・ラガーフェルド御大が、自ら撮り下ろしたポートレート写真集 『The Little Black Jacket』がそこに、ほこりをかぶって転がっていたんだ。
だって、あのSTEIDLだぜ?!
オリジナリティーがあり、完成度の高い写真家の作品しか、STEIDLは出版しようとはしない。STEIDLの社長のもとには、毎週何十人もの写真家が作品を持ち込んでくる。しかし、社長が気に入って出版するのは、ほんの一握りだ。その辺に転がっているようなありきたりの写真家では、門前払いだ。
STEIDLは、このコスト最重視のご時世にあって、装丁、紙質、印刷、その全てにコストを惜しまず最高のものを作ることを社是としている。まるで大昔のカメラのように、最高の素材を使い、最高の技術で、コストを顧みることなく完成度の高い商品を作れば、宣伝なんかしなくても、消費者は金を惜しまず買ってくれると確信しているかのようだ。
もしも俺が職業写真家なら、STEIDLから写真集が出版されるというのは、ちょっと堪えられないような名誉なことだと思うぜ。俺はSTEIDLの写真集ってのは、どれも素晴らしい出来だと思ってるんだ。ちなみに、調べてみたところ、この写真集、気になるお値段50ユーロ。ただし、メーカー在庫はなさそうだ。ということは、50ユーロでは手に入らないものだということだ。もっとも、この手の洋書が日本に入ってくると、何故かその値段は一挙に跳ね上がる。ノミのジャンプのようだ。俺の見立てでは、1万5000円くらいはふんだくられることだろう。
俺の頭には、サングラスをかけ、トレードマークの扇子で口元を隠しているカール・ラガーフェルドの姿がはっきりと浮かんでいるぜ。
俺は連絡ノートに書き込んだよ。
『どうしてこんな素晴らしい写真集が、こんなところんにひっそりと、しかもホコリを被って置いてあるのですか?これは重度の写真好きの本棚か、マニアックなカール・ラガーフェルドのファン(それは間違っても、シャネルのロゴが付いているというだけで、シャネルのバックを欲しがるようなバカ女ではないだろう)の本棚に、大切に収められているような本です。少なくとも、ねこぱんちやヤンキーが主人公のマンガのなぜか8巻だけと、コインランドリーで同居しているような本ではないと思います。』
さてさて、店主のおばさん(だと思う)がどんな書き込みをするのかが、がぜん楽しみになってきた。ついでに、『洗濯機5号は故障しているようです。脱水がされません。この洗濯機を使っていたお客さんは、したたか酔っ払っていたので、気にせず笑って帰って行きましたが、修理をなさるか、使用停止するのが妥当だと思います。』とも書いておいた。
で、カールの写真はどうだったかって?まぁ、そこそこだったねぇ。言うなればファッション写真だな。
少なくとも、俺の好みではないよな。

読者諸君、失礼する。犬も歩けば棒にあたる。人生、どこでどんなことが起こるのか、分からないもんだぜ。

2012/06/27

Post #577 写真は熱くならないモノさ

うぅ、つかれはてた。肉体精神ともに疲労困憊だ。今時は、身体使って、頭使って、気も使って、金は使うなってもんだ。勢い疲れもするってもんだ。だったらとっとと眠ればいいようなものだが、そうはイカン。俺にも矜持がある。そうは言っても、いくら出張してるからといって、朝昼晩とセブンイレブンのお世話になっているってのは、どうんなもんだろう。いただけないねぇ。
で、昨日の夜のことだ。もそもそと宿でTVを見ながら、肉団子弁当を詰め込んでいた。TVではNHKのクローズアップ現代がやっていたんだ。俺はほとんどNHKしか見ない。芸人と呼ばれる連中が内輪ネタで笑い転げたりするようなものを見ているほど、俺は暇じゃない。俺はもっと真剣なコメディーが好きなんだ。真剣に馬鹿なことをやるという姿勢に好感が持てる。人間、そうでありたい。
で、現代社会の様々な問題に焦点を当てる硬派な報道番組が取り上げていたのは、脱法ドラッグだった。
Tokyo
こんなに浮浪困憊すると、ユンケルとかを通り越して、そんなものに頼りたくもなるのは気持ちとしては分かるが、酒もドラッグも、いかなる問題も解決はしてくれない。むしろ、問題の原因になりがちだ。俺は問題が生じると、宇宙から見れば、取るに足らない問題だし、俺にとって大問題でも、いずれは死んでゆく身だから、まぁ、なるようになればいいと自分に言い聞かせる。
もし俺がロックミュージシャンだったら、アシッドをキメテ、フルテンでギターを鳴らすと、スゲーもんができるような気がするかもしれない。
しかし、俺は写真を選んだんだ。残念ながら、写真に選ばれた訳ではないがね。
写真は、らりぱっぱーになってちゃ、撮ることもできない。モチロン、プリントすることもできない。集中力と持続力、空間認識力と空間構成力が求められる。訳の分からん化学物質によって脳みそをかき回された状態で、そんなアビリティーは発揮できないってもんだぜ。
若い頃さんざんクスリをやりまくっていた忌野清志郎も、イイおっさんになった後には、『ドラッグでできるもんなんかたかが知れている』とおっしゃっておいでだった。Ok、俺もイイおっさんの年齢だ。本当にそう思うよ。ゲージュツ家には丑三つ時が大切だなんてことも言っていたな。一人夜中にプリントしていると、ビシバシに冴えわたって、自分が天才になった気がしてくるほどだ。まったく丑三つ時サイコーってカンジだぜ。
天才アラーキーはカッコいいことを言っていた。記憶によって再現すれば、『写真は熱くならないんだ。どんなに熱くなっても、シャッターの音でさめちゃうんだよね』そんな様な事を言っていたっけな。確かにそうかもしれないと思う。
まったく今更、脱法ドラッグなんてアホらしくて付き合っちゃいられないぜ。そんなもんで浮かれてちゃ、写真道楽はできっこないんだ。善人ぶって言ってるんじゃない。熱い心と冷静な頭脳と、俊敏且つ持久力の備わった身体。俺の思い描く写真にはそれらが全て必要なんだ。とはいえ、パイプでタバコを吸ってると、そういう人に見られがちな俺なんだが・・・、まったくいやになっちまうぜ。

読者諸君、失礼する。明日も俺にはキツイ男の仕事が待ち受けている。たまらないぜ。

2012/06/25

Post #575 車を転がしても、どこにもたどり着けない

昨日の午後から、今日にかけて世間様並みに仕事が空いたので、ブラブラしていた。
ヨコハマに住んでいる知人が、鎌倉に遊びに来ているというので、久々に食事でも一緒にどうってことで、俺は車を転がして、ホテルのある小田原から鎌倉まで行ったんだよ。距離にしておよそ40キロ。名古屋人の俺の感覚では一時間もあれば、余裕のはずだった。更に余裕を見て1時間半後に約束したんだが、どうにもこのあたりは道が狭い。狭いッたら狭い。結局2時間30分もかかってしまった。冗談じゃない。俺は解き放たれた競争馬のように車を転がしたいのに。
で、そのあと結局、横浜の中華街までドライブして友人と夕食をたらふく食べて、家までお送りしてきたんだ。もちろん、そのあとひたすら車を飛ばして小田原に戻ってきたときには、日付はとっくに変わっていた。
HomeTown

そして今日。一日仕事がOFFになってしまったんだが、一日ホテルでだらけているわけにはいかない。掃除してもらわなけりゃならないからな。で、カメラを握りしめ、小田原城に行ってみたり、さほど広くもない昭和の香りがプンプン漂う小田原の中心街を歩き回ってみたんだ。
どこに行っても、同じような日本の地方都市を歩きながら、イスタンブールやマラケシュの市場を歩いているようにイメージすれば、もっと写真が撮れるだろうと考えていた。しかし、目に映る人々はおなじみの平たい顔族だ。ふと、そんな感覚に目覚める瞬間が訪れるのだが、それはなかなか持続しない。うむ、ここはひとつ自分自身が日本人じゃないとイメージするべきなんだろうか。これは今後の大きな課題だ。
ぐるぐると半日も歩き回ったおかげで、安い駐車場も見つかったし、すっかり小田原で迷うことが無くなった。それは大きな収穫だったな。自分の内なる領土が拡張されたということだ。
で、歩き疲れてホテルに戻った俺だが、相も変わらす暇を持て余していた。そこで、性懲りもなく車に乗り込んで、今度は芦ノ湖まで車を転がしてみた。夕方の芦ノ湖は、閑散としている。どんよりと曇った空が、これまた陰気な雰囲気を盛り立ててくれるぜ。しかも気温も低く、どこか肌寒い。岸辺にはブラックバスを釣っているのだろうか、ぽつぽつと釣り人の姿も見えるが、こんなに肌寒くっちゃ、魚の活性も下がっちまうというもんだ。そして、気のないカンジで湖畔の風景を撮ったり、陸に引き上げられたスワンボートを撮ったりしてから、旧の東海道と言われる峠道をひた走って戻ってきたんだ。
充実した休日だったのだろうか?なんだか不完全燃焼な気もするぜ。車を転がし続けても、どこかに行きついたといいう気がしてこないんだ。しかし、まぁイイだろう。人生ってそんなもんさ。

読者諸君、失礼する。相も変わらず本文と写真に何のカンケーもなくてスマン。しかし、紙芝居じゃないんだから、そんなカンケー、必ずしも必要ないんじゃないかって俺は思ってるんだけどね。

2012/06/24

Post #574 I Send You

今夜も懲りずに一枚の写真を君に送ろう。
毎日まいにち、飽きもせず、同じような写真を君に送ろう。
なぁに、マンネリでも飽きなきゃいいのさ。
全日写連の皆さんのように気の利いた写真ではないかもしれない。
決定的な瞬間が、劇的におさめられているわけでもない。
モチロンそれほど上手い写真とも思っちゃいないがね。
けれど、俺は毎日君たちに、つまらない写真をおおくりしよう。
そのつまらなさこそ、その気の利かなさこそ、この世界の断片そのものにふさわしいと、俺は勝手に思っているのさ。
Tokyo
けれど、それでいいのさ。何故ってこの世界そのものが、気も利いちゃいないし、何かとつまらないことばかりなんでね。

読者諸君、失礼する。今夜はもう眠るぜ。

2012/06/23

Post #573 旅から旅のドサまわり

土砂降りの雨の中、車を飛ばして辿り着いた。
仕事を終えて宿に向かうと、ぐったり疲れ切っていた。駅前のホテルの周りには、飲み屋ばかり。しかし、先は長い。しかも市県民税をもぎ取られるようにして払ったばかりだ。そんなところに行って浮かれているわけにはいかない。世の中には数多くの問題があるが、酒を飲んで解決する問題は一つもないのだ。
金曜の夜ということで、街はそれなりににぎわっているが、どうにも場末感が漂っている。
今日は疲れているんで、写真をUPしてさっさと切り上げさせてもらうとするか。
Tokyo
読者諸君、失礼する。毎度のこととはいえ、俺の仕事は旅から旅のドサまわりだ。

2012/06/22

Post #572 Print It Black

何やら、猛烈に眠い。ならばこんなことしてないで、とっとと眠ればいいだけの話しなのだが。しかし、夜が明けたら雨の中、車を飛ばして出張しなけりゃならないというのに、まだ何の準備もしちゃいないんだ。図面だって、しっかり見ておきたいしな。けれど眠い。眠ってしまったら、全てが水泡に帰してしまう予感がする。マズい。
そもそもどうしてこんなに眠いのかと言えば、昨日の夜というか今朝だなほとんど、朝の5時までプリントをしていたからだ。で、一日ダラダラしていたわけではなく、朝から税務署に行き、書類を書かされ他のを皮切りに、激しー雨の中を走り回って金にもならん仕事のようなものをしていたためだ。
自業自得だ。阿呆らしい。しかし、手元に印画紙が20枚ちょっとだけ残っていたんだよ、使い切ってしまいたくなるだろう?たったの20枚だぜ?それくらいあっという間に片が付くと思って、始めたのが午前1時、で、終わったのは午前5時ってことだ。そこからシャワーを浴びて3時間ほど眠ってたわけだ。道楽門を一人にしておくと、自滅するまで、紙が無くなるまで終わらないんだ。サルのせんずり状態だ。やれやれ、道理で眠いわけだ。
HomeTown
ここんとこ、ヒマだったのでプリントばかりしている。ここ最近で、400枚以上の印画紙を使ったことになるだろう。本当に阿呆らしい。金と暇がいくらあっても足りないぜ。
しかも、どれもこれも真っ黒だ。最近、今まで以上に焼きが濃くなっている。時には白っぽくハイキーになったものもあるが、多くはご覧のように真っ黒だ。さすが、かつて師匠から『印画紙の無駄!』と総括されただけのことはある。大いなる無駄=過剰な蕩尽こそ文化だと信じている俺からすると、ある意味褒め言葉だけどね。
黒い写真が好きだ。
白い部分があると、写真のリアリティーが損なわれているような気がする。最近、以前にもまして執拗に焼きこんでいる。以前よりも愛用のローデンシュトックの銘玉ロダゴン50㎜(念のために言っておくけれど、引伸ばしレンズだよ)ちゃんの絞りを一段開けることもしばしばだ。チキンランのように、印画紙に光を当て続けている。真っ黒になってしまうとビビったら、負けだ。
そして、一見つぶれてるような黒が、よく見ると微妙につぶれてないってのが、イイんだよなぁ。
この黒っぽさ。まるで、大昔の汗と唾がしぶきとなって飛び散る、ギトギトのソウルミュージックのような黒さ。これがイイのさ、これがサイコーなのさ。
とはいえ、読者の皆様に生のプリントをお見せできないのは、実に残念だ。残念きわまる。
しっかり焼きこんだプリントそのものの放つ、独特のヌメッとした光沢と質感の大半は、プリントをスキャンした時点で取りこぼされてしまう、ように感じる。その意味では、毎日毎晩飽きもせず、君たちにお見せしている写真は、実は俺の写真の抜け殻だということもできるだろう。それはどこか、中国産のうなぎのように味気ない。哀しいことだが、それはイカンともしがたいんだよ。
天才アラーキーも、『写真と女には湿り気がないといけない』みたいなことを言っていた・・・気がする。どうだったっけなぁ、あの人スグにセクハラまがいの発言をするんで、俺が勝手に思い込んでいるだけかもしれへんけどね。まぁ、要はそういうこった。蛇足ながら、開高健は『女と釣り師は濡れたがる』と言ってたっけ。

デジタルでモノクロも結構ですが、うちではやってません。他所に行っておくれやす。だって、濡れてないんだもん。
くっさい臭いのする薬品が綾なす化学反応の力を使って、えいやっ!ってプリントするのが好きなんだ。分かってくれ。一見するとデジタルのモノクロもアナログのモノクロも、同じように見えて、実はあれはまったく違う別物なんだ。クリケットと野球ほどは違わないが、野球とベースボールほどには違う。
俺は最近モノクロアナログ写真は、写真という言葉よりも光画(つまりPhotGraphの直訳だわね)と読んだ方がしっくりくるくらいだ。あぁ、最近はデジタルはイメージっていうのか?じゃぁ、写真でもイイか。
赤い暗室電球の灯りの下、現像液の中に素早くぶち込んだ印画紙に、ジワリと像が浮かび上がり、ちょいと目を離したすきに、グングン黒くなって、何が何だか分からないぜ!ってくらい黒い写真が出来上がるテキトーな感覚。
たまらん。魔術的な時間だ。むらむらしてくるくらいだ。変態と誤解されてしまいそうだ。まぁ、いいけど。
暗闇の中でものを見るという、一見矛盾した行為を通じて、写真は形を与えられる。
まるで錬金術だ。
つまらないモノでも、四角い枠に切り取ってしまえば、写真となってしまうこの錬金術のような営み。
まさに錬金術だ。
ふむ、触れたものが次から次に黄金に代わる古代ギリシャの王様のようだ。これこそが俺の行きついたスタイルだし、これこそが写真のアルファにしてオメガなんだって思えてくるぜ。ヤバい薬をやってるんじゃない、コレクトールと酢酸と、スーパーフジフィックスを使ってるだけだ。おかしくなってるのは、脳内麻薬の所為だろう。
いかん、眠いと支離滅裂なことを際限なく垂れ流してしまう。眠った方がいい。脳を休めるんだ。
よし、最後にひとつだけ。ストーンズの名曲、Paint It Blackをもじって、君たちに大きな声で言おう。『Print It Black! 黒く焼け!!』

読者諸君、失礼する。合言葉はもちろん『Print It Black』だ。さて、ひと眠りしたらシャワーでも浴びて、出張の準備しよう!

2012/06/21

Post #571 TRANSIT #11

俺達がヘルシンキの夕刻のヘルシンキをぶらついたのは、ほんの2、3時間だろう。
けれど、その2、3時間は素敵な時間だった。何があったという訳でもないけれど。
堅実なヨーロッパ人、ヘルシンキの人々は俺が見たところ、それほど夜遊びしているわけでもなさそうだ。少なくとも、東京や大阪と比べるとね。すっかり陽も落ち、人々はバスや電車に乗り家路を辿る。
Helsinki
俺も、バスに乗り込みホテルへ戻った。原野の真っただ中のような幹線道路を辿り、ひっそりと静まり返った住宅街を抜けて、ホテルへと戻ったのさ。
Helsinki
その時、旅はまだ始まったばかりだったんだ。しかし、それも今は遠い。遠いったら遠い。また、次の旅を始めなけりゃな。とりあえず明日から、2週間ほど出張さ。
読者諸君、失礼する。

2012/06/20

Post #570 TRANSIT #10

激しい雨と風が打ち付けている。そんな中、俺は遠い北欧の冷たい夜を思い出す。
Helsinki
俺が暮らすこの日本のはるか彼方、ヘルシンキでも人々は今日も営みを続けているだろう。当然のことだ。けれど、その当然のことに思いを馳せるとき、俺はいつでも眩暈のような感覚を覚える。
Helsinki
もちろん、俺が引き籠るよううにして暮らす2DKのすぐ外側にも、多くの人々が、喜怒哀楽を抱えながら、生きている。それはまた、緩やかに死に向かって歩んでいると言い換えることもできるだろう。俺も、君も、みんなそうさ。
俺の撮った名も知らぬ人々は、俺の知らぬ間に年老いて、いつか死んでいく。もし、運よく俺の写真を残すことができるのなら、いずれそれはどれも無名の人々の遺影となるわけだ。しめしめ。

読者諸君、失礼する。気圧がさがると、ナーバスになる。メランコリックになる。独りの夜はなおさらだ。

2012/06/19

Post #569 TRANSIT #9

Helsinki


Helsinki



Helsinki
本日、ヒマに任せてプリント。27カット。ふと、目に留まった柴田錬三郎の『御家人斬九郎』を、休憩の合間に読みふけりながらプリントしていたら、思ったほど進まなかったのは、困ったもんだ。要は俺の写真が柴錬に負けたってことか・・・。なんか悔しいなぁ。
うちの連れ合いも出張でいない。仕事もない。こんなんでええんかなぁって、ちょいと不安になるが、今週の末から俺も出張だ。そうなると、当分の間、仕事漬けで廃人一歩手前の日々が始まるんだから、まぁ良しとしておこうか。じたばたしたって、始まらないのさ。
読者諸君、失礼いたす。

2012/06/18

Post #568 TRANSIT #8

Helsinki
Helsinki
Helsinki
読者諸君、世の中下らない話ばかりだ。
写真とはカンケーないが、少しぼやかせてもらおう。
茶番劇のような政治の世界の話しは言うに及ばず、それを覆い隠すかのようなタイミングで、オウム事件の容疑者の逮捕劇。既にどんな犯罪も起こす能力の無い一人の中年男を追い詰めるのに、マスコミは大騒ぎだった。まるで、国民の目をそちらに向けておきたいかのように。
財界はかつての軍部のように露骨な圧力を政治に加えている。大多数の国民の声を、政治家は聞き入れることもしないか、自らの空疎なパフォーマンスに利用するだけだ。そんな政治家共には正直うんざりだ。逆境こそ、新しいイノベーションを興す契機となるはずなのに。
何も改革は決まらないのに、増税だけは粛々と決まっていく。民主党も自民党も、まるで兄弟のように同じようなことしか言っていない。しかも、彼らには将来を見据えた理念もなければ、政治を通じて正義を実現する意志のかけらもない。しかも、民主主義の名のもとにこのぼんくら連中を選んだのは、俺たち自身だというお粗末さだ。
もう14年もの間、毎年3万人以上の人々が、自ら命を絶っている。こんな世の中じゃ、希望が持てなくても仕方がないのかもしれない。挙句の果てには、死刑になりたいと言う理由で、縁もゆかりもない人を殺すバカまで出る始末。
世界に目を向ければ、シリアでは国民を守るべき軍隊が、自国民を虐殺し続けている。
世の中が悪くなっていく。悪無限だ。だが、俺は自分のことで手一杯だ。誰だって、そうだろう?一体どうすりゃいいんだ?

読者諸君、失礼する。希望は、いったいどこにあるんだ?

2012/06/17

Post #567 TRANSIT #7

Helsinki
寒さに震えていても仕方ないんで、まずはヘルシンキの駅の周りをぶらついてみる。
Helsinki
なにしろ、こちとら意図せずたまたまこの国にやってきたんだから、何の予備知識もない。出たとこ勝負って奴だ。
Helsinki
この駅舎ってのがこれまた、時代が懸った大げさな建物だった。石造りで、堅牢にして重厚って奴だ。我が国のALCで作ったような安出来とは違うぜ。19世紀的な物々しさだ。大したもんだぜ。
Helsinki
このシリーズ、いったいどこまで続くのか。続くったら続く。失礼する。

2012/06/16

Post #566 TRANSIT #6

Helsinki
バスを降りると、そこはイカにもヨーロッパの都市といった趣だった。重厚で浮ついたところの無い、カッチリとした街並み。しかし、既に4月だというのに、道行く人々の装いときたら、俺に言わせればまるっきり真冬だった。よれた革ジャンでどこまで俺は耐えられるのかと、ふと不安になってきたってもんだ。
Helsinki

すでに随分と遅い時間だったはずなのに、まだ日は沈み切っていない。さすがは北欧だ。時間の感覚がおかしくなってくるってもんだ。
Helsinki
読者諸君、先日、写真家深瀬昌久が死んだ。もう20年以上前、新宿ゴールデン街の飲み屋の階段から落ちて以来、深刻な後遺障害を患っていたので、若い読者諸君は、ご存じないかもしれない。斯く言う俺も、森山大道をはじめ、さまざまな書き手によって記された深瀬昌久を知るばかりだ。そこには、男っぽい風貌のうちに、さまざまな苦悩を抱え込んだ不器用な愛すべき男の姿があった。写真を撮る理由を訊ねられ、『暇で退屈だからさ』とことも無く言ってのけるような無頼な男の姿があった。カッコいいなぁ。

俺の手元には、深瀬昌久の写真集が一冊だけある。
『鴉』だ。この写真集を作るため、深瀬昌久は屠畜場に通い詰めたという。

『鴉』は凄まじいほどイイ写真集だ。

機会があったら、あなたも君も、御覧になる事をお勧めするよ。ただ、今時の写真とは異なる、情念の重さがズシリと伝わってくるような写真集だから、覚悟してみたほうがイイかもね。決して、『この写真ステキ♥』とかで済ませられるような写真集じゃないんだなぁ。最近は、そんな写真集って多くないかもしれない。『暇で退屈だから』なんて言う軽い写真ではなく、ズシリと重たい写真だったなぁ。
写真家が死んでも、写真は遺る。それが、写真のおそろしさでもあり、素晴らしさでもあり、あざとさでもあるかと思う。
あらためて、『鴉』をじっくり見ることが、深瀬昌久への供養になるように思うんだが、どうだろうか?
読者諸君、失礼する。深瀬さんのご冥福を心からお祈りする。

2012/06/14

Post #564 TRANSIT #4

いやぁ、まいった。昨日は1時間30分しか寝てなかったのに、次の現場の下見と打ち合わせに朝早くから箱根まで片道300キロ、ブッ飛ばしてしまった。もちろん、日帰りだ。往復600キロだ。高速バスの運転手みたいだ。我ながら、よく事故を起こさないもんだ。寝なくていい薬とかあったら欲しくなってくるぜ。
Helsinki郊外
ヘルシンキ郊外のヴァンターから、地元の路線バスに乗ってヘルシンキに向かう。窓の外は、まだ雪が残っている。北国の春だ。バスは幹線道路をそれて脇道に入り、どこか荒涼とした雰囲気の漂う大地に、忽然と現れた住宅地の中を進んでいく。
美しい少女がバスを降りて、家路を辿る。まるで、ロードムービーのワンシーンのようだ。しかし、俺達のほうこそ、彼らの日常の一コマに闖入した、見慣れぬアジア人だ。
Helsinki
バスは走り続けていた。空気は、凛と澄み渡っていた。

2012/06/13

Post #563 TRANSIT #3

航空会社の用意してくれたホテルは、空港にほど近いホテル・ランタシピというホテルだった。バスに乗って、ホテルに向かう。春とはいえ、ココはフィンランド。ヒジョーに寒い。ムーミンが一年の半分冬眠しているのも納得だ。ちなみに、ムーミン一家は冬眠から覚めると、虫眼鏡で写真のフィルムに火を点ける。きっとその火を神聖な火として考えて、竈に移して絶やさぬようにするのだろう。
Helsinki イカにもタコにも北欧のおっさん
ホテルの部屋はまぁまぁだ。中庭には子供たちが作ったのだろうか、不細工だけど可愛らしいイースターバニーが満面の笑顔で佇んでいる。特大のサーモンのソテーを早めの夕食として食べてしまうと、やることは無くなった。そこで、ホテルの脇を走る幹線道路に設けられたアンダーパスをくぐり、バス停に向かった。バスに乗ってヘルシンキの街に行ってみることにした。足元は雪どけでぬかるんでいる。白樺の木々を渡る風は、冷たい。俺達はコートを持ってこなかったことを悔やんだ。
Helsinki

2012/06/12

Post #562 TRANSIT #2


Helsinki
この時、同行者つまり連れ合いは、EUの入管でパスポートが無いことに気が付き、大慌てだった。
もう一度、全ての乗客が降りた飛行機の中を、空港職員のおばさんに探してもらったりして大騒ぎだったんだが、俺はと言えば、どっかに必ずあるだろうってタカをくくってのんびりこんな写真を撮ったりしていたんだ。
ぼんやりと、万が一出てこなかったら、あいつ、強制送還だなぁ・・・、うむ、そうなるとこの先の旅行は俺一人か・・・、厄介なことになるなぁ・・・、などと考えながら写真を撮っていたんだ。
まぁ、シートとシートの間からポロリと出てきたから、何の問題もなかったんだけどね。

2012/06/11

Post #561 TRANSIT #1

あるとき、ヨーロッパに向かう飛行機が遅れ、乗換地点で一泊することになった。
それは、フィンランドのヘルシンキ郊外の飛行場だった。
Helsinki

2012/06/10

Post #560 徒労感を抱えながら

写真は世界の断片だ。つまり、フラグメントね。
昨日もプリントするほどの元気はなかったので、まだプリントしていないネガをひたすらチェックしていた。一体いつになったら、このネガをネガアルバムにしまいこむことができるのか。気が遠くなってくる。次の旅行も決まっている。そうしたらまた不良債権のようにネガが溜まっていくことだろう。難儀なことだ。
その一方で、ふと、この営みに何の意味があるのかという問いが心に浮かび、窓の外を眺めてしまう。一言で言えば、俺のやってることは、映像的なクズ拾いだ。つまらない写真ばかりだ。報道写真のように、世界の人々に何かをアピールして、世界を動かすこともできない。全日写連のみなさんの写真のように、誰もが見て美しさに感嘆したり、共感したりするような写真でもない。単なる世界の断片に過ぎない。まさに、映像的なクズ拾いだ。印画紙の無駄と酷評されたこともあった。
どれだけ、世界の断片を積み重ねても、世界の全体性には至ることはできない。所詮、世界の全体性からすれば、誰の人生も、群盲像を撫でる式の意味しか持たないだろう?
この営みに、どんな意味があるのか?
なぜ、写真を撮るのか?それも、今時フィルムカメラにモノクロ、暗室プリントなんて時代遅れなシステムを使って。
思わず悩まずにはいられない。大いなる徒労に過ぎないのではないかとも思う。この時間にせっせと金を稼いだり、もっと有意義なことをした方がいいんではないかい?いや待て、有意義なことって、何がある?何をやっても、同じだとも思う。思考がとめどなく回りだす。空回りだ。
Osaka
遠い目をして、考える、ようなフリをしている。
何故フリか?自分の中に確信的な答えが確固としてあるはずだから。しかし、その確信の周りを俺の心は遊星のように周回し、時に離れ、時に近づく。
そうして、今や夜が明けた。カエルは鳴きやみ、鳥たちがさえずって新しい一日の始まりを告げている。明けない夜は無いものだ。これがニーチェのツァラトゥストラなら、ここはぜひとも彼の友である鷲が、同じく彼の朋である蛇を掴んで、朝日とともにツァラトゥストラのもとに舞い降りてきて欲しいものだ。鷲は勇気を、へびは智慧を現しているんだぜ
そんなことはイイんだ。脱線だ。本題に戻ろう。
結論は、いつもここにたどり着く。つまりは、『かつて、俺は、このように見た』以上の意味はないのだと思い至る。大いなる自己肯定だ。
いいかえればそれは、『かつて、おれは、確かにここに存在した。』とも言えることだろう。
さらにいいかえれば、『来た、見た、勝った』とならないかね?あぁ、ならないのね。ガリア戦記のカエサルみたいでちょっとカッコいいかなぁと思ったのに。残念・・・。まぁイイだろう。
どこの何ものとも知れない男や、街で見かけた女、ふと心に引っ掛かった風景、忘れえぬ人々、そして光と影。それは、即ち自分の中に繰り込まれ、自分自身の一部になっている。一瞬一瞬に、未知なる風景に出合うごとに、自意識の中に繰り込まれ、自分自身は変容していく。
つまり、自分にとって写真を撮り、ネガを選び、プリントすることは、自分自身を見い出すことに他ならないことに思い至る。
仕事はイイんですか?という声も心の奥から聞こえるが、なに、放っておけばいいさ。俺の仕事の代わりはいくらでもいる。俺の写真の代わりはどこにもいない。
まぁ、言うなれば所詮はこんなもの、人生の暇潰しさ。
けれど、人生に意味と彩りを与えるのは、それぞれの見出す暇潰しに他ならないだろう?

君は、どうして写真を撮るのか?
どうだっていいか、そんなこと。読者諸君、失礼する。

2012/06/09

Post #559 喉を腫らして苦しんでいた

木曜日に、仕事もなく徒然なるままにしこしことプリントしていたら、喉の奥イガイガしてきて、どうにもよくない兆候だなと思っていたんだ。
思えば、その前の日も少し微熱があって医者に行こうかと思ったんだが、お生憎様、水曜日の午後はかかりつけの医者が休みなんだ。一日手をこまねいていたら、この有様だ。参ったなぁと思いつつ、プリントしていたら、とっくに病院の診療時間をぶっちぎっていた。仕方ない、明日行くことにしよう。
で、朝目を覚ますと、喉は酷いことになっていた。喉の左側がひりつくように痛い。喉にバスケットボールをぶち込んだみたいだ。鏡で覗いてみると、熟れきった果物みたいに腫れ上がっている。痛くて朝食のパンなんて喉を通らない。コーヒーだって飲みたくないくらいだった。キヨシローも髭の殿下も咽頭癌だった。きっと俺もそうに違いない。
俺は思わず、仕事に出かける連れ合いに、蚊の鳴くような声を絞り出して『長らくお世話になりました、さようなら』と念のために言っておいた。
医者に行き、いつものセンセーに見せると、彼はあっさりと咽頭炎という診断を下した。この先生にかかると、なんでもなんとか炎ということにされてしまう。ひょっとしたら、俺を不安にさせないために、もっとシリアスな本当の病名を伏せているんじゃないのか?
『センセー、俺咽頭癌ってことはないよね?』俺は念のために訊いてみた。『それはない、安心しろ。注射打つか?』『そうしておくよ』俺は注射を打ってもらうことにした。どうにも俺はこの病院では、やたらと注射を打ちたがる患者だと思われているようだ。
『いつも注射を打ちたがるから、なんか変な趣味嗜好があるんじゃないかって気がしてくるわ』いったいどんな趣味だよ?
『そうかい?みんなフツーは注射を打ちたがらないのかい?』注射を打つ打たないは必要性の問題であって、趣味嗜好の問題じゃない気もするんだが、どうなんだろうか?
『そりゃそうよ、痛いんだもの』と看護婦。そんなものか?
『よしてくれよ、ガキじゃないんだから。変な趣味があるかどうか、一度二人きりで試してみるかい?』俺の質問には彼女は笑って答えず、さっくりと注射を打ってくれた。確かに痛い。しかし、それはほんの一瞬だ。しつこい喉の痛みに比べれば、屁でもないぜ。
Fes,Morocco
とっとと家に帰って、なんでも喉を通りそうなものを胃袋に押し込んだ。薬は食後となっていたからだ。もらってきた薬を飲んでひたすら眠っていた。ふと、子供の頃のことを思い出した。まだ、6つか7つの頃、アデノイドを切る手術を受けた時のことだ。部分麻酔をされながら、切除されたアデノイドが、喉の奥から食道へ落ちていったような気がしたモノだ。
そのあと3日ほど、スープくらいしか食べることが出来ず、うんうんうなりながら横になっていた。まるで今日の俺のように。もう、そんなことは30年以上思い出したこともなかったのに・・・。
結局、さっさと薬が効いて、喉の痛みはズイブンと楽になった。まったく、仕事が無くてよかったぜ。とはいえ、今日はまたプリントする気でいたのに残念なことだ。人生、いいことばかりはないってことだ。
一日、布団にくるまって、チャールズ・ブコウスキーの短編小説ばかり読んでいた。
酒と競馬とセックスと暴力、そんなものばかりがどの短編にも延々と描かれている。しかし、そこには人生における本質的なモノが潜んでいるような気がしてくる。

読者諸君、失礼する。言われる前に自分で言っておくけど、せいぜい大事を取って養生させてもらうよ。

2012/06/05

Post #555 新世界より その3

Osaka
Osaka
大衆演劇も、エロ映画館も最近ではすっかり見かけなくなってきた。ところがどっこい、さすがは大阪新世界。エロも仁義も活きている。
この21世紀になってからというもの、俺たちの周囲から、生々しいディテールがどんどんと減っていく。どこもかしこも、つるりとした抗菌素材のようにノイズの少ないものになって行ってしまう。俺としては、こういう下世話で雑多なものがあちこちに転がってるようなところが、好みなんですがねぇ。こんなところも、めっきり少なくなりました。
読者諸君、また会おう。

2012/06/04

Post #554 新世界より その2

Osaka
Osaka
通天閣は、今年100周年だそうだ。もっとも、今ある通天閣は2代目で、戦後に再建されたものだ。
初代は、凱旋門の上にエッフェル塔を乗せた、意味不明なデザインだったそうだ。ある意味、戦争で焼けて正解だったのかもしれない。なにしろ、なんだがあまりにもずっこけたセンスで、やりきれないだろう。
読者諸君、失礼する。

2012/06/03

Post #553 新世界より その1

Osaka 言わずと知れた通天閣
Osaka
もうずいぶん前の事、俺は大阪に出張し、仕事の合間に新世界をぶらついてみた。次回へ続く。

2012/06/02

Post #552 これでも喰らえ!

Osaka
ふと、人生の短さが身に沁みる。
お喋りしているヒマはない。少なくとも今日はそんな気分だ。
失礼する。

2012/06/01

Post #551 今日も飽きずにプリント三昧

今日もヒマに任せてプリント三昧だ。フィルム2本、34カットプリント。服にも髪にも指にも、酢酸だか定着液だか、現像液だか、何だかよくわからんにおいが染みついている。大変なこった。
制作意欲が旺盛なんだ。高校の写真部の若造一個小隊にも引けを取ることはないだろう。いや、もしかしたら、今時の高校の写真部には暗室なんて面倒臭いもん無いに違いない。デジカメのほうが、手間もコストもかからないからな。時代は変わったぜ。俺がモヒカン高校生の頃は、かび臭い旧校舎の一角にもうけられた写真部の暗室に、ちょくちょく遊びに行っていたもんだが・・・。今ではそんな暗室すらないのかもしれないな。デジタル暗室という奴か。21世紀はなんだってデジタルだ。昔ながらのアナログな手法には、ケミカルならではの味わいちゅうもんがあると思ってるんだが・・・・。
もっと多くの人々がケミカルな写真に興味を持ってくれれば、印画紙の値段もフィルムの値段も、少しは下がってくれることだろう。しかし、それは無理というものか・・・。
そんなことはまぁイイ。今言っても始まらない。そんなことより、我が家は毎晩、印画紙を乾燥させるために、床が大変なことになっているんだ。
いつも24枚までは、以前イギリスの写真用品メーカーであるパターソンに直接発注して買ったラピッド・プリント・ドライ・ラックってのを2個使って、少ない面積で印画紙を乾燥させることができるのだが、最近、どうにもそれでは足りないこともしばしばだ。そんな時は、新聞紙を広げて、その上に写真を並べておくんだ。重ならないように気を付けろ、重なっちまうと印画紙同士でくっついてしまうんだ。厄介なことになる。これには細心の注意が必要だ。もちろん、夜中にトイレに行くときには、寝ぼけてうっかり踏ん付けたりしないようにしないとな。まったく気苦労が絶えないんだ。その点、このパターソンのラックは、そんな気苦労も必要ない。便利なもんだ。もし君がプリントをする人なら、一度使ってみることを勧めるよ。

そんなわけで仕方無く、ビックカメラの通販サイトでこれをもう一つ注文してしまった。
いや、これはホントーに便利なラックなんだ。要はプラスチックのパーツを連結しただけの簡単なものなんだが、これが実際使ってみると、非常に便利なんだ。こんなもん、その辺の町工場でも作れそうなもんだが、どうにも日本では、こんな物作っても、誰も欲しがる奴がいないと見えて、類似するような商品はない。それどころか、店頭で扱ってるのも見たことが無い。いや、正直言って、ビックカメラのオンラインショップが扱っていたと知って、素直に驚いたぜ。ただし、入荷次第発送ということなんで、いったいぜんたい、何時俺の手元に届くことやら・・・。まぁ、イイか。
Osaka
しかし、ホントーに引きこもり状態だ。今日のお出掛けと言えば、クリーニングやに行ったついでに、近所のカメラ屋に印画紙の注文をしに行ったくらいだ。そんな勢いでプリントし続けなければ、まだまだプリントしたいネガは、何十本とある。印画紙だって、千枚、二千枚とかいう単位で必要だろう。
いったい、いつになったらすべてカタをつけて心安らかに暮らせるんだろうか。これはこれで、結構金もかかるんだがな・・・。まぁ、何とかなるだろう。

読者諸君、失礼する。結構な週末を過ごしてくれたまえ。