2012/06/29

Post #579 Just A Woman

俺がリスペクトしてやまない偉大なる写真家、天才アラーキーこと荒木経惟は、常々、『あたしにいわせりゃ、女を撮らない写真家は一流にはなれないね』とおっしゃっている。確かに、うんざりするほどあるアラーキーの写真集には、女性を扱ったものがこれまたうんざりするほどある。21世紀の世之助だ。そう、好色一代男ね。
しかし、単なるポルノグラフィではない。それは世にあまたあるその手の雑誌や、一般的に美しいモデルをことさらに官能的に撮影した写真集とは違って、女性の本質的なところに突き刺さっている。
例をあげればきりもないが、決して美しいとは言い難い体の線の崩れた人妻を、ライフワークのように撮り続ける『人妻エロス』や、乳がんで乳房を切除した歌人の宮田みどりのヌードを撮った(彼女はその後、癌を再発させ死んでしまった)『乳房、花なり』。ストリッパーの女性の日常風景を写した『東京旅日記』、腐るほどある。
そして何より妻陽子との結婚と死別を正面から撮りきった『センチメンタルな旅・冬の旅』。これらを見ているだけで、女性の本質とは何か、考え込んでしまう。

見えるものを撮るものが写真だが、見えるものを通じて、見えないものに思いを馳せることができるのも、これまた写真なのだ。

大事なことなので、大きく書いといた。
それにあやかろうって訳ではないが、俺は女を撮るのが好きだ。

むしろ、街を行き交う女性以上に撮るべきものなんかないような気すらする。

蛇足ながら、ここ最近、出張に出てから、このブログにアップされるのは、女性の写真ばかりだと、賢明な諸君は気が付いているだろうか?別に、人恋しかったりするわけでもないが、まぁ、そんな気分って訳だ。
おっと、ホモの人は気を悪くしないでくれよな。
何故って、人間に興味があるのだが、人間には大きく分けて二通りある。一つのグループは男で、もう一つのグループは女だ。そして、神様が念入りに形作ったのは、間違いなく女だ。俺は神様のゲージュツ的な営みを素直に賛美したい。もちろん、中には里芋の煮っ転がしのような手合いもいるのは確かだが・・・。
あの美しい曲線的なフォルム。実に魅力的だ。まるで人生を駆け抜けるエアロフォルムのスポーツカーのようだ。思わず乗り回したくなってくる。
残りのもう一つのグループの皆さんは、残念ながら、余り美しくない。ごつごつしていてたり、骨ばっていたりして、どうにもいただけない。昔のボルボや冴えない営業車や実用一点張りのトラックみたいだ。あまり乗りたいとは思えないぜ。きっとサスもシートも堅くって、乗り心地もイマイチだろうよ。神様は、女を造形するのに疲れて、テキトーに捏ね上げたんじゃないかって思えてくるぜ。
あぁ、こんな事を書くと、また一部のホモの人が食って掛かってくるんだろうか。
仕方ない。
俺はホントーにそう思っているんだから。外野が何を言おうが、カンケーないぜ。
Osaka
俺はホテル帰って、シャワーを浴び、給油同然の食事をしに夜の町に出る。
外では、二人のキャバ嬢が、時代遅れの安っぽいドレスにカーディガンを羽織って、酔っ払ったようにふらふら歩いている。そして、ふざけあってお互いのミュールを、相手に蹴り飛ばしてぶつけている。呼び込みの強面のおっさんたちがそれを見てへらへら笑っている。
そして、俺はその間を悠然と歩く。
しまった。カメラをベルトに通したケースに入れておかずに、手に持っているべきだったと内心悔しがりながら、そんな嬌声などまるで聞こえていないような超然とした顔で大股に歩く。
ふと、そのうちの一人と目が合う。彼女の表情には、思わぬところを見ず知らずの男に見られたという驚きの色が浮かぶ。俺は、安っぽいネオンに照らされた女の、まだあどけなさが残る顔を、一瞬で脳裏に刻みこむ。
そんな時、俺はいつも思うんだ。

そう、彼女がどんな人生を歩み、これからどう年を重ねていくのか?どんなささやかな喜びとちっぽけな悲しみを抱えているのか?

その一瞬で、イエス様のように読み取れたならいいのにと思う。

それが出来ないから、写真を撮りたくなる。

写真は、目に見えるものを写すモノだけれど、それを通じて、写真には写らないモノに思いを馳せたい。俺はそう思う。
そういえば、大昔、俺がまだモヒカン生徒会副会長だったころ、ブルーハーツのヒロトはこう歌っていたっけな。

♫ドブネズミ みたいに 美しくなりたい
写真には 写らない 美しさが ある
だったっけ?
写真には写らない、その美しさを撮ることが出来たなら。その方法さえあれば・・・。

読者諸君、失礼する。明日も朝早い。いつもながら、こんなことをしてる場合じゃないんだ。俺は疲れ切ってるのさ。

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