2012/07/14

Post #594 フィルム写真への挽歌

Bruxelles
仕事でデジカメは使っている。そりゃもう便利この上ない。
しかし、毎度毎度言っているように、こういった写真をデジタルでやってみようとは思わないねぇ。こんな夜景を撮ったって明るくキレイに写り過ぎちまうだろう。手振れ補正なんてしてほしくないしな。気に入らなけりゃすぐに修正出来てしまうなんて、どうにも居心地が悪い。
俺は常々、イメージと違っていようが、不都合なものが写っていようが、ありのままに受け入れるものが写真だと思っているんだ。
思えば、俺がこうして拙いながらも毎日のように写真をUPし続けているのは、ある意味で日々先細り、消え去って行こうとしているフィルム写真への挽歌を詠っているようなものだ。
写真はいずれ死んで消えてゆく人々を写したものなので、どんな写真も遺影になっていく。同時に、そのフィルム写真そのものが、アマゾンの奥地に暮らす少数民族の話す言葉のように、消えていこうとしているなんて・・・。まったく挽歌そのものだ。
出来ることなら、若い人たちにフィルム写真の面白さを感じてもらうことができ、少しでもフィルム写真に取り組んでくれる仲間が増えてくれることが望みだが、俺の拙劣きわまる写真と文章じゃ、この流れに抗うどころか、一石を投じることにもならないだろう。残念なことだ。
一時期、ロモとかホルガとかのトイカメラが流行ったこともあったが、あれを入り口にしてフィルムカメラの奥の細道に踏み出していった若者など、とんと聞いたこともない。残念だ。
フィルムカメラ全盛期に、やれフィルムの粒状性がどうしたの、レンズの描写力がどうしたのと講釈を垂れていた年寄りたちも、今じゃすっかりデジタルに鞍替えしている。それどころか、新しい機種が出ると、すぐに買い替えたりする有様だ。カメラと嫁さんは新しいのに限るとか思ってるんだろうか?カメラメーカーに踊らされてるだけだって気が付けよ。
俺の近所のカメラ屋で、印画紙なんぞ注文しているのは、街中で俺一人だ。どうにもやりきれない。聞くところによれば、その店でもフィルムの集配が無くなり、俺のような物好きが出すフィルムは、宅急便でラボに送ることになったそうだ。価格に転嫁されないことを祈るぜ。なんせ、こちとら忙しくって、プリントするのが精いっぱい。フィルムの自家現像なんてとても手が回らないんだからな。
それどころか、フィルム用の現像プリント機を撤去してデジタル写真しか扱わなくなった店すらあるとも聞く。高校の写真部すら、最近じゃデジタルだ。俺に言わせてもらえば、モノクロフィルム写真こそ、写真のアルファにしてオメガ、つまり入門編にして究極なのに・・・。
俺はモノクロを自分でプリントするようになって、はじめて写真=Photographとは、光画、即ち光(=Photo)によって描かれる絵画(=graph)だと実感したんだ。こうなったら、いけるところまで俺一人でも突き詰めてやろうじゃないか。勝ち戦に加担するようなみっともない真似は傾奇者としては出来かねるというもんだ。先日もお盆の旅行に向けてトライXを注文したところだ。近い将来フィルムが無くなっちまったら、写真なんてきっとやめちまうだろう。引伸機は粗大ゴミの日に出してしまうことになるだろう。そして、フィルム写真が消えた時、写真は消え、イメージと呼ばれる画像のみが残る。それでいいのか?
まったく気分としては孤軍奮闘だ。奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の陽が落ちるだ。おっとこれじゃ、フーテンの寅さんだな。
読者諸君、失礼する。


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