2012/08/29

Post #612 No One Know What she feels

Osaka
私たちは、他人のなかにいったいどんな思いが潜んでいるのか、知る術を持たない。残念ながら。
ふと、そんな当たり前のことを思い出した。
私たちに出来ることは、少しでも他人のことを知り、相手の立場に立って想いをめぐらすことだけだ。
それは、面倒臭い。
だから、自分以外の人間を、意志の無いロボットのように扱おうとする。
もしくは、そんなものがあったにしても、スルーする。自分の都合を最優先だ。それが効率的に生きるということさ。
いや、待てよ。それでいいのかい?
君が今、すれ違った女性が、幸せそうに見えていても、その心の奥に、どんな嘆きを秘めているのか、想像してみないか?
取るに足らない男が、どんな無謀な夢を思い描いているのか?
黄色いスポーツカーに乗った男が、どんな恐れを心に抱いているのか?
老いさらばえた老人が、どんな人生を歩み、その時々にどんな思いを味わったのか?
知りたくはないか?
もしそれを知る術があったなら、きっとどうでもいいニンゲンなど、いなくなるだろう。
誰も彼も、それぞれに謎を秘めた魅力的な小さな宇宙になる。
もし、それを知る術があったなら、下らないTVなんか見ているヒマはないだろう。
悲劇を演じる俳優よりも、生身の人間のほうが面白いに決まっている。

しかし、写真には、人間の心は写らない。残念ながら。
写るのはいずれ消えてゆく、その姿だけなんだ。残念ながら。

もしも、写真にそれを写し取ることができたなら。その方法さえあれば・・・。

読者諸君、失礼する。そんなことを想ってみても仕方のないことならば、考えない方が効率的な人生だろう。しかしそれは、きっとつまらない人生だろう。俺はそう思うぜ、なんとなく。なんとなくだけれどね。 

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