2012/12/31

Post #683 Dunlop Street,Singapore

Singapore
こんな夜にブログを更新したって、どうせ皆の衆紅白とか見ていることだろう。そんなに誰も見ちゃいないさ。そんなものさ。
読者諸君、良い年をお迎えください。また来年会おう。

2012/12/30

Post #682 Hong Sin Cafe,Singapore

Hong Sin Cafe,Singapore
もう年末だというのに、性懲りもなく今夜も仕事。仲間と二人で夜の百貨店に行って、新年向けのなんやかんやだ。やれやれ。
もうすぐ年が明け、年が明けると44歳になると思うと、かなり憂鬱になる。
もう一息で四捨五入したら50歳じゃないか?子供もいない俺としては、まだ30そこそこくらいのノリでいたいのに、50歳なんて言ったら、アナタ、人生五十年、化天のうちに比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を得て、滅せぬもののあるべきかである。ちくしょう!もう、俺の人生、胸のときめくようなことは起こらないのか?
高齢化社会、第二の人生、クソ喰らえってもんだ。シド・ヴィシャスやキース・ムーンのように好き放題やって、適当なところで、あっさり死にたかったぜ。しかし、すっかりおっさんになり果てた俺なんぞがくたばっても、そこいらで野良犬(日本ではまず滅多に見なくなったな)が一匹死んだのとかわりないってもんだ。まさに犬死だ。俺は無駄に年を取り過ぎたのさ。人生は一度しかないというのに・・、なんとなく残念だ。残念きわまる。
毎年この時期になると、もの寂しくなってしまうのだ。昨日も湯船につかりながら、どっぷり憂鬱な気分にもつかってしまった。最近の研究によれば、チンパンジーすらも中年になると憂鬱にとらわれるらしい。ましてや人間、多少憂鬱になるくらいが高等生物の証拠だともいえよう。
しかし、そげんこつばっかり言ってられん。そんなことばっかり言って嘆いていても、物事は始まらんのだ。マック赤坂のスマイルセラピーでもやって、憂鬱な気分を吹き飛ばすんだ。スマイル!
よし、来年もガンガン行くぞ!金儲けに、道楽に、その他もろもろにフルスロットルだ。へらへら笑ってモテモテだ。ついてこれない奴はおいていくぜ。
けど、44歳か。まいったなぁ・・・。
読者諸君、失礼いたす。

2012/12/29

Post #681

Jalan Legan,Kuta,Bali
本日、寸暇を縫って17枚プリント。
寒い時期のプリントは、なかなかに辛い。恒温機を使っていないので、印画紙の反応も遅いんで、枚数も伸びないしね。すると、勢いリズムというかテンポが狂ってくるんで、写真の上りもイマイチな気がしてくるんだよ。けど、やっておかないと未プリントのネガが、山のように溜まっていく一方だ。少しづつでも片付けていかないと、マジで老後の楽しみになっちまいかねん。いや、俺の老後には印画紙も薬品もきっとこの地球上から無くなっているに違いないぜ。やっぱり、今日もやっておいて正解だったな。
しかし、次にプリントできるのは一体いつになることやら。何だかんだと予定が詰まっているんだよね。暇だと思ってた12月も、実際のところ、雑務に忙殺されて全然プリントできなかったしなぁ。とはいえ、儲かっているわけではないけどね、まことにもって残念ながら。
来年は、金と暇の両方を手にすることができるように、なんかイイ方法を考えないといけないなぁ。
読者諸君、失礼する。御機嫌よう。

2012/12/28

Post #680 Woman On The Corner,Singapore

Singapore
今日は気が付いたら、とんでもない山道に迷い込んでいた。道路看板に従って走っていたら、峠道に迷い込んでしまったのだ。
人生というのも、こんなようなもので、気が付くと細くくねった峠道を走っているような状況はよくある。そんなの俺だけだろうか?しかし、それでこそ面白くなってくるというものだと思うのだが、どうだろうねぇ。
さて、今年がそんな道だったのか?それとも、来年が山道になってるのか?それは分からないってもんだな。なかなか楽しみだ。
読者諸君、失礼する。明日こそはプリントしたいなぁ・・・。

2012/12/27

Post #679 Kite On The Wall,Bali

Ubud,Bali
俺が訪れたのは、バリの中でも伝統芸能の町として知られるウブドという町だった。昔の日本のようだった。おっさんたちは、口々にライステラスを見たか?と訊いてきた。見ていないというと、この道を行けばライステラスがある。とてもキレーだぞ、と指を差してくれた。
で、行ってみるとそれは棚田だった。稲作民族日本人の端くれたる俺には、どこかで見たことのあるような風景だった。もっとも、ここバリでは、三毛作がフツーだそうだ。だから、植えたての苗の田もあれば、青々と稲穂が風にそよいでいる田もあった。そして、稲刈り真っ最中という田もあった。つまりはのどかなところなのさ。そんなところでしばらく暮らすことが出来たら、俺はもっと善良な人間になっちまうことだろう。
ウブドでは、しばしば凧揚げを目にした。高い建物などないんだから、ふと目を空に向けると、あちこちに大小さまざまな、蝶や鳥を象った凧が舞っているのが見える。子供だけではなく、大人も楽しんでいる。いや、むしろイイおっさんたちは、かなり真剣に取り組んでいるようだ。
夢のような、不思議な風景だった。忘れられないのさ。
写真を撮ってみたが、まるで豆のようになってしまう。かといって望遠で撮っても、この広々とした空間の中に、多くの凧が競い合うように、戯れるように飛び交っている不思議な、夢のような風景を鷲掴みすることもできない。写真には自ずから限界がある。人間の脳は、うまいこと広角と望遠のデータを組み合わせているのだ。
目に、焼きつけておくしかないのだ。
俺に出来るのは、壁に止められている凧を、その思い出のよすがとして、写真におさめるだけのことさ。
それはそうと、なかなかプリントする時間が持てないもんだな。いつまでもジジイの小便みたいに、仕事が続いてるぜ。俺の予定では、12月は暇を持て余して、家に引きこもって毎日のようにプリントしてる予定だったのに・・・。おかしい。こんな調子じゃ、あっという間にジジイになって、プリントは老後の楽しみにってことになっちまうぞ。ここは一丁、何か仕事を巧く断る方法を編み出さねばならんな。
読者諸君、失礼する。今日は仕事の打合せやら、年賀状やら請求書やらで、少し目が疲れちまったのさ。俺はもうおっさんだから、目を大切にしないといけないのさ。いい女が歩いてきても、分かんないのは困るだろう?

2012/12/26

Post #678 Jalan Legan,Kuta,Bali

Jalan Legan,Kuta,Bali
寒い日が続いている。冬だから当然だ。赤道に近い島々が懐かしく思い出されるぜ。
今日、車が帰ってきた。今月の9日に出先で追突事故を起こしてしもうて、ディーラーの工場に入院していたのだ。久々の愛車は、やはりしっくりくる。
何日も前から、ココにちょっと、俺の大好きな金子光晴の詩を書いてみたいなぁと思っていたんだよ。なに、写真の雰囲気に響きあっている気がしたからね。

牛乳入珈琲に献ぐ  ―牛乳入珈琲は黒人と白人の混血児

 ヒンズーの店先には
痩せた、願人坊主のやうな、
黒焼の雀の頭のやうな、
マハトマ・ガンジーが祭つてある。
中華民國人のひえびえとした土間には
紅蝋燭をあげた中山先生の寫眞額
蔣主席や忠勇馬占山までが
それに陪席する。
いぎりす人は、神の従僕キングのため、
和蘭人は、銀貨の横顔の女皇のため、
朝夕、神に平安を祈り
日本人は白木の神棚に
先祖の神の木札を齋く。
・・・・だが、混血児よ。おまへにだけは
かざるものがない。
まつる神がゐない。
そこで、映畫俳優のブロマイドを
下宿屋の小卓のうへに 立てた。
      金子光晴 『女たちへのエレジー』(講談社文芸文庫)より
今日、自民党政権が発足しやがった。人びとは景気回復に期待を寄せている。結構なことだ。上手くいくといいがな。
俺は、先日も奈良の古い神社に参拝し、先祖の神の木札をもらってくるような日本人だけれど、ナショナリストではない。日本があまりおかしな方向に行ってくれないことを願うだけさ。あんまり変な雲行きになっちまったら、なにかと暮らしにくくって仕方ないだろう。
とはいえ、中華人民共和国日本省も、アメリカ合衆国日本州もゴメンだけどね。
だからと言って、軍事国家になってアジアの片隅でブイブイ言わせてる日本にも、もう戻って欲しくないってのが本音だよ。国防軍とか、本気でいってんの?ってカンジさ。冗談じゃないぜ。
先日、日本国憲法をネットで改めて読んでみた。短いものだ。君も年末年始のヒマに任せて少し見てみるとイイだろう。
この憲法に関しては、最近は悪口しか聴かない。
理想主義的すぎるとか、既に時代遅れであるとか、イロイロと言われている。醜悪な憲法だなどと抜けしゃあしゃあと言い放つ政治家もいる有様だ。
どうやらこの憲法を変えて、独自の軍隊を持って戦争したりできるような国にしたいらしい。近隣諸国に舐められていると感じているんだろう。
また、第二次大戦後の占領期に、他国から押し付けられた屈辱的な憲法だと思ってもいるようだ。
それどころか、皆さんの大好きな自民党の中には、国民としての義務を果たさない者には、基本的な人権を無条件に認めるわけにはいかないとか、主権在民を否定するなどという、トンデモ意見もあるようだ。国民をなんだと思ってるんだ?権力者の家畜じゃないぜ?
このような人たちは、憲法とは国家から国民に対して守るべき基本法として示されたものだと、大きく勘違いしているようだが、それは違う。
憲法は国家の暴走を防ぎ、国家権力を規制し、国家の基本的な構造を決定するために、国の主権者たる国民から国家へ与えられたものだ。自民党のセンセー方はそんな法治国家の初歩の初歩も知らないのかと思い、俺は呆れかえるのさ。まぁ、その呆れた連中を国会議員のセンセーにしているのは、他でもない俺達国民なんだけれどね。
確かに、日本国憲法の理念はとても崇高だ。しかし、実際のところ、時代遅れでも何でもないと俺は思う。しばしばやり玉にあがる憲法9条は、未だに世界の先進国と呼ばれる国々でもはるかに到達できない未来性を持っているとおもう。
俺達は、もう一度基本から立ち返って、学ばなければならない時期に来ているんだ。俺達はみんな忘れっぽい。目の前のことでいつだって一喜一憂だ。そして、何が間違っていたのか、何が正しいのか、どうするべきなのかを考える前に、その場の雰囲気に流されて、いつも間違った人を選ぶ。そして、すぐに失望する。
牛乳入珈琲のような根の無い軽やかさに憧れるけれど、そういうわけにもいかないさ。
読者諸君、失礼する。俺は寒いから風呂に入って温まるのさ。

2012/12/24

2012/12/23

Post #675 Little India,Singapore

little India,Singapore
今日は天皇誕生日だ。このところ、右傾化が世界中から危惧されている日本の一大衆として、非国民扱いされる前に言っておこう。
『陛下、お誕生日おめでとうございます。』
無頼派作家・太宰治の小説に、現在の天皇陛下がお生まれになった日のことを記した身辺雑記とも一種の自伝小説とも取れる短編があったように記憶している。俺が読んだのはもう25年以上前のことだから、詳しいことは覚えちゃいない。タイトルすら思い出せない。でも、だからどうだってんだ?そんな細かいこと、構わないだろう?
女と心中未遂したり、大学を放校処分になったりなんかしてゴタゴタダラダラくすぶっていた太宰のもとに、年の離れた兄が上京してくるわけだ。
この兄は父の後をついで、津軽の大地主で『殿様』とまで称された津島家、つまり太宰の実家で、貴族院議員の父の後をついで家長となった人物だ。当然、人望も厚ければ優秀で誰からも尊敬されるような人物だ。末っ子で幼少のころから余計者意識を持って育った太宰(=つまり津島修治)が頭の上がるような相手ではない。今日のような家庭崩壊しているのがフツーな時代じゃない。家父長制全盛の時代だ。
で、下宿の部屋から兄によって外に連れ出された太宰は、いろいろと厳しい事を言われて、居心地が悪く、また申し訳ない思いで気が滅入ってしまう。
おりしも季節は冬。ただでさえ気分が沈みがちな季節に、年の離れた畏敬している兄から説教を喰らうのは、なかなか堪えるもんだろう。
で、重苦しい雰囲気にいたたまれなくなった時、街に皇太子(つまり今日の天皇陛下その人だ)の誕生が伝えられる。人びとは提灯に灯をともし、喜色満面といった表情で皇太子の誕生を喜んでいる。そして、太宰の兄その人も、今の今まで太宰に対して小言を言ったり詰問したりしたのにもかかわらず、大喜びで太宰を抱きしめて『これで日本も大丈夫だ』なんてはしゃぎだし、太宰は針のむしろ状態から救われ、兄とともに皇太子の誕生を祝うという話だった、と思う。
その短編のタイトルも忘れてしまったし、本棚を漁って新潮文庫でコンプリートした太宰治の作品をあたって確認する気もない。ただ、そんな話があったってのを思い出しただけだ。だからどうしたってことさ。
日本の文化の根底には、天皇制がしっかりと根を張っている。それは、俺たち日本人の無意識の領域に、抜きがたくわだかまっている。
一言で言ってしまえば、天皇制の本質はダライラマなんかと同じよう生神様信仰だ。これは世界中に存在する。しかし、近代国家と生神様信仰が結合しているのは、この日本くらいしか思い浮かばない。その意味でも、日本はどこか一風変わった国だと言えるだろう。昭和天皇が亡くなった時のことを今でも俺は覚えている。俺も、天皇制が文化として骨身に染み込んでいる日本人の一人だと、そんなことを想いながら痛感するわけだ。
さて、俺は、日本の右傾化を一番憂慮しているのは、陛下ご自身なのではと、勝手に推測している。その一方で、天皇陛下に対する畏敬の念を伴わない国家主義的言動は、単なる排外主義にしか見えなくて、見苦しいと俺は感じている。

読者諸君、失礼する。で、明日はクリスマスイブか。この時期はやっぱり忙しいもんだな。

2012/12/22

Post #674 マヤの予言で世界が終わるって誰が言ったんだ

Ubud,Bali
人間ちゅうのは、つくづく世界にうんざりしてるんだろうか。
いつまでたっても、何かの折に世界の終りがやってくると大騒ぎだ。
末法思想、ハルマゲドン、ノストラダムスの大予言、数え上げたらきりがない。そして今度はマヤカレンダーの世界が終わる日だ。
一部の人々は昨日だか今日だかで、世界が終わると言って騒いでいた。古代マヤ文明のカレンダーが、たまたま昨日だか今日だかで終わっているからだということだ。中国でも、そんな話をネットで垂れ流している奴が、社会を不安に陥れる恐れがあるとして、ずいぶんと警察に摘発され、ブタ箱にぶち込まれたって話だ。さすがは共産主義国家だ。やることが徹底してやがる。
阿呆らしい。大昔の、文字も文化もほんの少ししか解明されていない文明のカレンダーが終わるからって、どうしてこの世界が終わらなけりゃならないんだ?
世紀末、ノストラダムスの時もそうだった。かく言う俺も、多感な幼少年期、あのでっち上げな予言の数々に怯えていた。人生を誤ったと言っても過言じゃないくらいだ。
だから俺は、性懲りもなくそんな無責任な流言飛語を垂れ流すバカヤローを、縛り首にしてやりたいぜ。
思えば、20世紀の俺はそれで道を誤った。
自分だけはそんな話に震え上がるような頓馬じゃないなんて言えない。
それは俺が反省する数少ないことだ。後悔ならたくさんしているがね。
だからこそ俺は、21世紀はそんな根拠もない無知蒙昧な流言飛語に踊らされず、自分の足で世界を踏みしめ、自分の手で世界をグリップし、自分自身の脳みそで考えて、生きていくことにしたんだ。どうだい、意外とまっとうだろう。

たとえ世界が終わっても、今ここに俺が生きてる限り、俺の世界は盤石で微動だにしない。
それが世界の常識だ。
そして、たとえ世界が未来永劫続こうが、俺が死ぬとき、俺の世界は終わる。コンセントの抜けたTVみたいに、突然に終わるんだ。
後には、できることなら俺の見た世界を化石のように閉じ込めた写真が少々残っててくれたなら、有難いけども・・・、まぁ無理だろうな。
跡形も残さず、初めからいなかったように消え去ってしまうのさ。
けど、安心だ。それは何も俺だけじゃない。君もあいつも、どいつもこいつも、いずれこの世界から消えてなくなる。小さな世界は日々終末を迎え、その一方で新たな世界が今も生まれている。
大きな世界が終わることに怯えるよりも、自分の世界の意味を見つけられず、俺たち一人一人が持つちいさな世界の終わりを迎える日がやってくることを畏れよう。
OK、たとえ明日世界が終わるとしても、こいつは俺の人生だ。俺の好きなようにその日まで生きてゆくさ。そしてその日が来たとき、あっさりと世界にサヨナラを告げるのさ。
それにしても、いったいどこのどいつなんだろうな。世界が終わるだのなんだの、根拠の乏しい与太話を吹かしている奴は。何を言うのも自由な世の中かもしれないが、自分の言葉には責任を負わなけりゃならないんだ。
読者諸君、失礼する。これからもそんなくだらない予言は、いくらでも現れては消えていくだろう。けれど、そんなものに関わって、右往左往するような真似だけは、ゴメンだ。
諸君もゆめゆめ、そんなネガティブな大風呂敷に包み込まれたりしないようにしておくれ。お願いだ。
世界の終わることよりも、自分の中に広がる世界を放っておいたまま、魚の群れの一匹のように生きるのは、生きてるうちに入らないんだぜ。自分自身の考えを持たず、誰かがイイというからイイんだ、なんて姿勢を持っている限り、世界は終わっているも同様なんだ。 

2012/12/21

Post #673 Jalan Legan,Kuta,Bali

Jalan Legan,Kuta,Bali
まいったなぁ、また痛風だよ。
今月の頭にやった健康診断で、尿酸値が10越えてたんだよね。俺としては前人未踏のデッドゾーンだ。これはヤバいなぁとは思っていたんだけど・・・、ついに来たかってカンジだ。
明日は大宮まで出かけて、All Night Longで仕事だというのに、まいったなぁ。
出張したり、旅に出かけたりするとき、いつも俺は、心のどこかで痛風の発作に怯えているんだ。人生は最悪のタイミングで最悪のことが起こるようにできている。俺の人生はまるで黒ひげ危機一発だ。
だから俺はいつも痛み止めの薬は多めに処方してもらって、ストックしておくようにしてるんだ。で、痛くなってきたなと思った時にはさっさと薬を飲んで抑え込むようにしているんだ。痛風発作だって、財政赤字と一緒で、早めに手を打つのが一番だってことさ。今回もそうして、何とかこの痛みが激痛になる前に抑え込むことには成功したんだが・・。
出先で突然足が痛くなったら、たまらないだろう?
こんな痛風でも、俺の仕事は休めない時もある。痛くても、足を引きづって仕事をしなけりゃならないのさ。無頼の渡世は厳しいんだ。誰かに代わってもらうこともできやしないぜ。
だから杖だってほしいし。おかげで、カッコいい杖を見かけると、つい買ってしまうんだ。
実はこんなこともあろうかと、先日も2万円も出して、イギリスのFOX社製の杖を買ってしまった。こいつはイイ。まるでイギリス紳士だぜ。ジョンブルって奴だ。思わずシルクハットも欲しくなるくらいだ。ヘッドの部分に精巧に作られたキツネの顔がついているんだ。とっても軽くてクールなんだが、握りにくいといったら無いぜ。
しかし、病に苦しんでいる時でも、無様なのはゴメンだ。そんじょそこらの奴とは一味違うところを演出したいってもんさ。OK、今じゃ杖が似合うことと言ったら、内田裕也か俺かってくらいさ。カミさんにはイイ顔されないけれどね。

しかしまぁ、人間なんにせよ、健康が一番ってことですわ。
読者諸君、失礼する。

2012/12/20

Post #672 Jalan Monkey Forest,Ubud,Bali

Jalan Monkey Forest,Ubud,Bali
ひたすら眠い。
今月は結構ヒマだという予定だったのに、何故だか毎日忙しい。一体どうなってるんだ?
俺にプリントをさせたくない闇の勢力が、裏から手を回しているのか?被害妄想が募ってくるぜ。
忙しくても、儲かるんなら文句はないけど、これがまったく儲からんクソ仕事が多いんだ。残念なことだ。残念きわまる。これじゃなんだかまるでボランティアだ。
どうせボランティアなら、もっと本当に困っている人たちのためになるようなことをしてみたいものだ。まったく、面白くないってものさ。
周囲は俺をどう見ているか知らんけれど、俺の中での本業は、そう、それで金を稼いでいるわけではないけれど、俺の本当に為すべきことは、写真だよって思ってるんだけどね・・・。

読者諸君、失礼する。眠くてこれ以上やっていられないんだ。すまないね。やらなければならない雑務は多々あるが、どうでもイイさ、少し眠らせていただくぜ。

2012/12/19

Post #671 Ubud,Bali

Ubud,Bali
明日は朝早い。4時に集合だ。だから、写真だけで失礼させていただくぜ。
読者諸君、失礼する。

2012/12/18

Post #670 Pasar Badung,Denpasar,Bali

Denpasar,Bali
そういえば、こんな言葉を思い出した。
『市場があれば、国家は不要。』
誰の言葉だったかなぁ、藤原新也だったっけかなぁ。
読者諸君、失礼する。

2012/12/17

Post #669 Rocher Street,Singapore

Rocher Street,Singapore
自民党、歴史的な大勝利だ。
憮然とするしかない。
俺はみんなにききたい。イイだろうか?
原発政策は、後戻りしてイイんですか?
電気事業連合会は、先の敦賀原発直下の断層が活断層だというのも認めていない。自民党政権下では、きっと経済界からの圧力に押される形で、原発は次々と再稼働していくだろうと思われます。それで、イイのですか?新しいクリーンエネルギーの芽は、これによって摘み取られてしま宇野ではないでしょうか?だとしたら、それは我が国と世界の将来にとって、余りにも大きな損失ではないでしょうか?

将来世代に莫大な負債を先送りしながら、効果のはっきりしない公共事業を拡大していってイイのですか?なぜ、ゼネコンはじめ建設業界ばかりが政治の恩恵にあずかるのでしょうか。新幹線、空港、誰にも利用されない箱モノ、そして原発などの巨大事業。私たちは1920年代の大恐慌の際にアメリカで発明されたニューディール政策をつぎはぎしながらこの100年近くやりくりしてきました。その結果がこの借金大国です。しかしながら、建設業の従事者は全産業人口のうち、どれほどの比率を占めているのでしょうか?また、そういった公共事業が無ければ生きてゆけない地方があると言いますが、それだけを頼りにして生きていってもらっても、税金を負担する側としては溜まったものではないのではありませんか?公共事業は、ある意味麻薬と同じではないでしょうか。私たちはそろそろ、公共事業に対する考え方を根本から改めるべき時期ではないのでしょうか?

景気が向上しないことの一因には、将来への不安が大きいから、資産を貯蓄に回すしかなく、その反動として消費が拡大しない、資本の流動性がたかまらないという側面があるのではないかと私は感じています。つまり、景気というものは、私たちのマインドの如何によって、大きくその動向が左右されるものです。つまりけちけちしてる奴ばかりじゃ、景気が上向くことなんかないということです。飲食業を営んで見える方などは、肌で感じていらっしゃることかと思います。
では、自民党政権になったなら、将来の不安が無くなり、消費が拡大するのですか?それとも、自民党政権なら、お手盛り次第で公共事業を拡充して貰えるので、自分たちは資産を流通させることなく、景気が回復すると考えているのですか?
私はしばしば、『元気をもらった』とかいう言葉を聞いて、腑に落ちない思いをしています。元気なんて言うのは、誰かにもらったりするものではなく、自分自身の中から、意志とともに湧き上がってくるものだと思っています。しばしば政治家が『日本を元気にする』とかぬけぬけというのを聞くたびに、思い上がるなと思っています。そう、私たち一人一人の国民がしょんぼり肩を落としている限り、景気が良くなることなんてありえません。一人一人が元気を出して、ガツガツ生きていくことで、本当に景気が良くなるのではないかと思います。まぁ、永年そんな考えで無駄使いを続けてまいりましたが、私一人の力ではいかんせん、限界があるということです。

社会保障政策を縮小して、国民の自立にスタンスを置く政策に移行していっても、イイのですか?自立できる方々は結構でしょう。しかし、失業者、就職できる見込みのない若者、母子家庭、裕福ではない老人、非正規雇用者、障害者、病気を抱えた人々、ホームレス、そして未だに生活のめどが立たない被災者たち。そういった社会的な弱者に対して社会の富を再分配するのが、政治の役割ではないのですか?それとも、そういった人たちは切り捨てでよいのですか?それらの人々を、能力がないからだと切り捨てるのは容易なことです。しかし、私たちは誰しも弱者に転落する可能性を秘めています。そして技術の進歩により、私たち人間はどんどん不要になってきています。そして、人間は必ず年老い、病を抱え、死んでいくようにできています。必ずや弱者へと”転落”するようにできているのです。
富裕層や大企業が海外に流出してしまうという理由で、富裕層への所得税率や莫大な利益を上げている企業への法人税率は低く抑えられています。その一方で、貧乏人はケツの毛まで抜かれています。それで本当にいいのですか?

通貨を増刷し、その流通量を増やし、インフレ目標を導入したとして、国民の多数を占めるサラリーマンの賃金が物価上昇率に応じて上昇するのですか?
経済は生き物です。時に政治の思惑を大きく裏切る可能性を秘めています。1920年代のドイツや、終戦直後の日本のようなハイパーインフレになるようなことはありえないとは思いますが、インフレが予想を超えて進み、私たちの資産価値そのものが相対的に低下する可能性はあるかと思いますがいかがですか?もっとも、そうすると国債、つまり国の抱える膨大な借金も実質的には目減りするので、まことにもって結構なことではあるかもしれませんが。

自衛隊を国防軍に改組して、中国や北朝鮮などの周辺諸国との軍事的緊張を高めることが、はたして中国と抜き差しならない経済的依存関係にある我が国にとって、メリットがあるのですか?
戦後67年間堅持してきた平和憲法を改悪して、集団的自衛権を行使できる”普通”の国になることが、日本にとって本当にメリットがあることなのですか?たんに溜飲を下げるだけなら、私たちは鬼畜米英と相手を侮り憎んで無謀な戦争をし、多くのものを失った歴史から何も学んではいないということです。

読者諸君、失礼する。私には様々な疑念がある。けれど、もう今回の選挙の結果は、出てしまった。それが自分の思い描く社会のヴィジョンとは大きく異なっていたのは致し方ない。
正直なところ、黙っている方が良かったのかもしれない。しかし、自分自身に対して、誠実であるためには、どうしても今日ここに書き記しておきたかったのだ。
明日から私に出来るのは、一生活人として自活しつつ、趣味に耽溺し、韜晦することだけだ。なに、今までと何ら変わりないのさ。
けれど、私は忘れない。この選択によって、どんな未来がやってくるにしても、その選択をしたのは、他でもない日本国民そのものだってことを。 

2012/12/12

Post #666 それはアンチキリストの証し

666回だ。俺はふとダミアンを思い出した。オーメンだ。けっして一人では見ないでくださいだ。懐かしいぜ。黙示録に出てくるアンチキリストを象徴する数字だ。といっても、若い人には何のことかさっぱりわからないだろう。そういうホラー映画が大昔にあったってことさ。遠い昔、今から300年くらいは昔だろうか・・・。どうだっていいやね。
HongKong
 今日、仕事関係でお世話になってる人の親族の方のお通夜に行ってきたんだが、ふと神妙な顔をしながら思ったことがある。くだらないことだ。君たちにわざわざ話すようなことでもないが、所詮は人生とは大いなる暇潰しだ、話しておこうかな。
それは、俺の死んだ時には、気の利いたナレーションをしてほしいものだということだ。あんまりいい事ばかり葬儀屋の司会者に語られちゃ、くすぐったくって、思わず棺桶から飛び起きちまうかもしれないだろう。だからもっと、ブラックユーモアがあるっていうか、あまり例の無いようなのをかまして欲しいもんだねということさ。そう、例えばこんな調子さ。
『お調子者で、それでいてくだらない屁理屈をこねては周囲を困らせてきたあなたのことを、私たちは反面教師として忘れることはないでしょう。生前、散々好き放題やっては周囲を困らせ続けてきたあなたは、今は地獄の針の山を登り、血の池を浮き沈みしていることでしょう。しかし、その声は私たちに届くことはありません。さんざん調子のよいことばかり垂れ流していたあなたは、今頃とっくに舌を抜かれていることでしょうから。スパークスさん、あなたのことはしばらくは忘れられないでしょう。足を踏まれた人は、足を踏んだ人が忘れても覚えているものですから。これからも末永く、地獄の苦しみの中から、羨ましげに私たちのことを見守って下さい・・・。』なんて具合にね。
或いはまた、『地獄行き間違いなかったスパークスさんは、皆さまの念仏により、阿弥陀如来のご来迎を得て、辛くも極楽往生かないました。皆様の心からのご供養、故人も感謝感激していることでしょう・・・。極楽浄土の下足番にでもなって、皆さまがおいでになる日を一日千秋の思いで待ちわびていることでしょう。』とかね。
どうだい、なんだかドラマチックでいいだろう?
まぁ、そんな調子で思わず参列した皆さんが苦笑いするようなナレーションをぶちかまして欲しいものだなと、つくづく思ったわけだよ。イタチの最後っ屁って奴だ。
けど、けっしてふざけているわけじゃないんだぜ。
なんせ、俺みたいな非善非悪の男が、死んだからといって素直に極楽往生するとも思えないんでね。意外とみんな納得して、腑に落ちたような顔をしてくれるんじゃないだろうかね?どうだろう?
まぁ、そもそも俺が死んだって、そんなに人が集まってくれるとも思えないがね。
所詮、俺がもし死んだって、痴漢が一人、この世から減っただけのことさ。どうってことない。世界は相も変わらず続いていくのさ。
おっと、こんなことを書いてると、また不謹慎だとか言われてしまいかねん。今日はこれぐらいにしておこう。せめて、生前の写真をほんわかムードのスライドショーにして流すよりも、俺の撮った写真を、次から次に流して欲しいものだ。何故って、それこそが俺がかつて、そこに確かに存在していた、証しなんだからな。その時、この写真は見飽きたよとか、言わないでくれよ。

読者諸君、失礼する。今日もこうして生きているのは、おもえば不思議なことであるものよなぁ。命とは実存ではなくて、単なる現象に過ぎないようにも思えてくるぜ。

2012/12/11

Post #665 外は雪、思いは赤道直下を駆け巡る

HomeTown
ヒマになってきたと思いきや、様々な雑事に忙殺されてなかなかプリントできない。先日は出先で車でオカマを掘ってしまったしね。保険屋から次々と電話がかかってくるのさ。請求書や帳簿も作らねばならないしね。ぽつぽつと仕事も入ってくる。忘年会のお誘いだってむげにはできない。その辺のことをきっちり押さえておかないと、プリントどころじゃない。夜逃げする羽目になってしまう。まぁ、そうなったら20世紀のスナフキンに逆戻りか。それもまた悪くないか?
俺はそんな間隙を縫ってプリントしていかねばならない。俺がこの糞ったれな世界で死なないでいる理由のひとつが、まだプリントしてないネガが腐るほどあるってことだからだ。もっと言うと、まだ見たことの無い世界が、この地球上のほとんどを占めているってことだ。えらいことだ。遠大な野望だ。馬鹿は死ぬまで治らないとはこのことだ。
プリントをするためには、まずはネガをじっくりとみて、プリントするカットを選ばねばならない。俺は昨日の夜、帳簿の整理を済ませてから、夏のインドネシアやシンガポールのネガを見ていた。
外は雪だ。例年より2週間早い。タバコを吹かすために窓を開けると、強烈な冷気が吹き込んでくる。たまらないぜ。けれど、俺の頭の中は、熱帯も熱帯だ。赤道直下だ。
男たちは、強い日差しを避けるようにして、椅子に身を沈めている。女たちは頭の上に荷物を載せ、民族衣装を着てかいがいしく働いている。異形の神々を象った石像が、目をむいて空をにらんでいる。子供たちは、はだしで駆け回り、時にじっとこちらを見ている。そして、かつて人々共に海を渡ってきた犬たちは、繋がれることもなく自由に路地を行きかい、まただらしなく寝そべっている。
人々の暮らしが、路上に溢れている。そして何より、強い光が強烈なコントラストを織り成していている。
俺の頭の中は、今は遠いバリ島を、ジョグジャカルタを、シンガポールを彷徨う。
君たちに見せてあげたい。俺の見てきたものを。
俺はこうしてはいられない。寒さをモノともせず、寸暇を縫ってプリントしなければ。
そして何より、君たちに届けたい。
デジタルではダメなんだ。俺の写真って感じがしない。便利なのはわかってる。仕事ではガンガン活用してる。俺はこう見えて結構最先端なものが好きなんだ。けれど、俺の肉体を通じて描き出された光画=写真じゃなけりゃ、俺の写真にはなりはしない。なにより俺は音楽や本だって、データだけじゃ不満なんだ。物欲が強いのかもしれない。第一、写真もデータだけじゃ電気が無けりゃ見ることもできないだろう。
アラーキーも言っている。写真は指想=思想だと。
指を動かし手を使わねばならないんだ。時代遅れだとわかっちゃいても、俺は好きでやってるんだ。それで誰かから金をもらってるわけじゃないんだからな。とことん自分の納得するようにやらせてもらうぜ。俺の人生だからな。
くぅ~、こうしちゃいられない。さっそくプリントしたいが、今日もこれから仕事で静岡まで行かねばならないんだ。まったく、まいったなぁ。けど、この辺をきっちりやっとかないと、フィルムも印画紙も替えなけりゃ、旅行にも行けないってことだからね。もどかしいったらありゃしないぜ。
読者諸君、また会おう。 

2012/12/10

Post #664 Photographica #12

性懲りもなく、また写真集を買ってしまった。
若き日の北島敬三の伝説の写真集『北島敬三 1979 写真特急便 東京』、全12冊+別冊1だ。
これはもちろん再版ものだ。こんなもの、当時のものがあったら、いったいいくらになるかわからないよ。
北島敬三 『1979 写真特急便 東京』
こんなもの再版してくれるような写真の分かっている出版社は、残念ながらいない。毎度おなじみ、ドイツのSTEIDLだ。かつて、森山大道の『写真よさようなら』、中平卓馬の『来たるべき言葉のために』、荒木経惟『センチメンタルな旅』、そして伝説の写真同人誌『プロヴォーク』を箱詰めにして、『Japanese Box』として出版したこともあるSTEIDLだ。
STEIDLのセレクトにはいつも脱帽する。今の日本の写真の流れとは完全に路線は違っているが、世界的に見て、かなり特異で、独自に花開いていた写真の潮流を、未だになお重要なものとして評価して、出版していることが読み取れる気がする。
まるで、明治時代に陶磁器の包み紙として海外に流出した浮世絵によって、衝撃を受け、影響を受けたヨーロッパ人によって、芸術としての浮世絵が見出されたことを思わせる。
まぁ、日本でいまこの手の写真を評価している人がどれだけいるかは知らないけれど、この手の写真を撮っている人ってのは、少ないですよね。どこかほら、キース・ムーンのドラムが凄くても、そのスタイルを継承しているのはリンゴ・スターの倅のザック・スターキーくらいのモノだってのと似てる気もする。(キース・ムーンの全編フィルインと言えるような、空間を絶え間ないドラムで埋め尽くすようなおかずの多い激しいリードドラムは、けいおん!のドラムのりっちゃんも大好きだということだが、そのドラムスタイルに、キースの影響は微塵も感じられなかった。)

手元にある資料を基に、北島敬三のことを手短に述べてみよう。1954年、長野県に生まれた北島敬三は、高校時代から写真部に在籍し、先にあげた森山、荒木、中平、そして東松照明などの写真家に憧れていたという。後に成蹊大学法学部に進学するも、夢中になれるものを見い出せず、中退。ほどなく開校したばかりのワークショップ写真学校の森山大道教室に入った。
1975年のことであったという。
1976年、ワークショップ写真学校は閉校し、森山大道と北島敬三をはじめとする森山教室の有志6名は、自主運営ギャラリー『イメージショップCAMP』を設立した。
この『1979 写真特急便 東京』は、このCAMPにおいて、1979年の1月から、毎月10日間、12回にわたり開催された展覧会で発行・販売されていた小冊子だ。
北島敬三 『1979 写真特急便東京』
森山大道に人物を撮るように勧められた北島は、おそらくは新宿の酒場で繰り広げられる狂態にカメラを向け、また通りすがりのスナップによって、その作品を形作っていった。
その写真は、師匠筋にあたる森山大道を思わせるような極端なまでのハイコントラスト、アレ、ブレを特徴としているが、森山大道の写真以上に、どこか暴力的でドライブ感のある写真に仕上がっている。
俺は、30数年の歳月をへだててその写真を見る。そしてため息をつく。カッコいいなぁ~。
写真に理屈はいらないのだ。ただ、見てカッコよければ、全てOKだといってもイイ。
視覚的にくらまされているだけだとしても、写真なんて、所詮は言葉でどうのこうのいって理解するような態のモノではなく、言語を排して、直截的、感覚的に、体験するものだと俺は考えているから、カッコいいなぁ~、ってため息をつくだけで充分なのだ。
こんな真っ黒で、どこか暴力的なエッセンスを、そして人間の放つエロスを感じさせるような写真が撮れたらなぁ、写真やめてもイイかなぁ・・・、いや、もっと撮りたくなるだけだろう。
この写真集、俺は名古屋のジュンク堂で買った。島田洋書扱いで、税抜7600円。当時1冊200円だった小冊子が、13冊入って7600円だ。お買い得だ。アマゾンとかで探せば、もう少し安く手に入るかもしれない。興味のある読者諸君は、一度手に入れてみてみるとイイ。今の写真とはある意味、対極にある生々しさだ。モノクロ写真の威力に、めまいがしてくるぜ。
しかし、このころの日本人の、体臭がにおってきそうなほどの生々しさは、本当にフォトジェニックだよね。

読者諸君、失礼する。外は雪だ。明日は家に閉じこもり、請求書を作り、プリントをしよう。いい加減そろそろ手を付けないとな、人生が終わっちまうぜ。 

2012/12/07

Post #663 俺達国民が試されているんだ

日本全国が国政選挙で沸き返っている。
候補者は旧態依然のスタイルで、街宣車で街を走り回り、各種団体に支持を訴え、何とか当選しようと躍起だ。しかし、その言葉はなかなか俺達国民の心には届かない。耳に虚しく響くだけだ。
俺達国民の間には、どうせ誰に政権を任せても同じだという諦めがわだかまったいる。
けれど、今本当に試されているのは、俺達国民のひとりひとりだということだ。
俺達は既に政権交代も経験した。そして、それに伴う失望も味わった。何より、去年の震災によって、この日本はすでにもう震災以前には戻ることのできない歴史的なステージに踏み込んでいるっていることを、漠然と感じている。
どんな政党を選び、誰に今後の日本のかじ取りをゆだねるのか?それは政治屋さんにかかっているのではないんだぜ。圧倒的多数の無名の国民一人一人に与えられた、唯一の政治参加の機会、つまり選挙権の行使によって、俺達国民一人一人が選んでゆくことなんだ。
そうだろう?違うのかい?それが世界の常識だぜ。
俺の好きなアメリカの無頼派作家ブコウスキーは『この世の中には2種類の政府しかない。悪い政府ともっと悪い政府だ』と、とことん政治に絶望した事を言っていた。
残念ながら、俺もそう思う。
けれど、その絶望と諦めの中からも、真剣に考え、何かを選び、自分たちの社会の方向性を、俺たち自身の手で決めてゆかねばならないんだ。
そう、本当に試されているのは政党や政治家ではない。
俺達国民の一人一人が、どんな未来を望んでいるかということだ。
目の前の甘い話に踊らされることなく、耳に心地よい勇ましい発言に流されることなく、真剣に未来と向き合ったうえで、今回の選挙に投票してほしい。
Bruxelles

新聞等の報道を見れば、自民党が、クソッ!あの日本最強の利権集団・自民党が最も国民に支持されているという。
呆れてものが言えないぜ。
こんな日本に誰がしたのか、みんなもう一度考えてみようや。
赤字国債を永年にわたってバンバン発行しまくり、公共事業と称してゼネコン土建屋建築業者ばかりに金をばらまいてきたのは、自民党の皆様方なんだぜ。しかし、もうそんな時代じゃない。
今の時代は、人間が人間に対して、サービスすることが産業の主体になってゆく時代に差し掛かっている。例えば、介護や教育なんかは、その最たるものだろう。モノを作っては壊し、壊してはまた作るという、資源の無駄使い的なことではなく、人間が人間に対して奉仕してゆく、それによって生計を立ててゆくという時代が来ていると俺は感じているわけだ。
つまり、よく言われる(だけの)ことだけど、世の中とっくにハードから、ソフトの時代になっているんだよ。
彼ら政治屋さんには、そんなことは分かっていないんだろうか。性懲りもなく、今また選挙戦では、景気を良くするために、やるべき公共事業はやって行くと言っている。やるべき公共事業ってなんなのさ?
それだけじゃない。かつて首相の重責に耐え切れず、鬱病になってその重責を投げ出したボンボン政治屋を党首に据えた自民党は、憲法改正、自衛隊から国防軍への改組などきな臭い主張を繰り広げている。俺は憲法9条を護るべきだという政治的な信念を持っているので、彼らの主張には、絶対に反対だ。
いいかいみんな、一度自分たちの身の回りに引き寄せて考えてみろよ。押し入れに日本刀なんか隠し持っていて、隣近所ともめごとがあったら、すぐにそれをちらつかせたり、振り回したりするよう物騒な奴とは付き合いたくないだろう。そいつの隣近所は、庭の境界線を少しづつ動かして、自分の家の庭先を、掠め取っていくような奴だとしても、いきなり日本刀をぶら下げて出てって、『ごらぁ、何しとんじゃ、わりゃ』って怒声を浴びせるってのかい?
子供向けのマンガなら、それもありだろう。しかし、もめごとがあっても、辛抱強く交渉し、お互いの接点妥協点を探り、円満に解決してゆくのが大人の発想だ。
勇ましい発言は、不景気で抑圧された俺達国民には、心地よく響くかもしれないが、俺自身は、その手の発言には、とんでもないきな臭さ、危うさを感じているんだ。世間知らずのボンボンに、危ないおもちゃを与えてはいけない。
日本人は外交下手だ。江戸時代に長いこと引き籠っていたからだろうか。言わなくても分かるというような島国根性のなせる業かもしれないが、21世紀にそげなこと言うとっちゃあかんとです。
尖閣、竹島、北方領土、日本を取り巻く辺境には、領土問題が山積している。だからと言って、武力でカタを付けるってのは、地廻りの田舎ヤクザと何ら変わりがない。とことん話し合って解決するしかないでしょう。
また、近年の自民党の路線からすれば、彼らが政権を奪回すれば、母子家庭や低所得者など、弱者に対する行政支援は削減されていくことだろう。自助自立というのはたやすいが、それがままならない世の中にいったい誰がしたのかと言いたい。
政治のもっとも大きな役割は富の再分配だ。それを忘れてしまえば、それはすでに民主主義国家ではない。地主と小作人、女工哀史や蟹工船の世界だ。時計の針を逆さに回していくようなことは納得できないぜ。
その点は、橋下氏が率いる日本維新も同じようなもので、規制緩和によって景気を浮上させると言っているが、その規制緩和の中には、最低賃金の撤廃ってのも入っているそうだ。
絶句するしかない。
既に最低賃金が生活保護費を下回っている地域すらあるというのに。最低賃金を撤廃すれば、低賃金でも働こうという人間は、中国人とかばかりになってしまうことだろう。現にいまコンビニやファストフードの飯屋なんかに行ってみろ、店員は中国人ばかりだ。日本人はますます貧しく、ますます怠惰になってしまうぜ。俺はむしろ、最低賃金を引き上げ、雇用条件や性別年齢にかかわらず、同一労働同一賃金という、国際的には標準的になりつつあるルールに則って労働市場を整備するべきだと思うが、いかがなものかな。
そして、原発だ。今回の選挙で大きな争点になるのはエネルギー政策だ。
それは単に脱原発だの、原発維持だのということではなく、俺達一人一人の国民が、どのようなライフスタイルをもって生きてゆくかを選択することだ。
はっきりしているのは、もう原子力には頼れないってことだ。知ってるかい、この日本やアメリカの生活レベルを世界中に広めると、地球の資源は全く足りないんだぜ。地球があと6つくらい必要なほど、俺達は無駄使いしてるんだ。発展途上国の人々が、憤慨するのも分かるってもんだ。
景気を良くするのはいいけれど、俺たちの住むこの地球がダメになってまで景気を良くしても、意味がないだろう?かといって、江戸時代には戻れない。なら、どうするべきなのか?政治家を選ぶってことは、そんな大きな選択にもつながっていくことなんだ。
どうせ何も変わらないなんて、無力感にとらわれていたり、無関心でやり過ごしたりしてはいけない。自分自身や子供たちの世代のために、真剣に考えていかねばならないんだ。
俺ははっきり言って自民党には任せておけない。何故なら、かつて政権にあった自民党が、永年にわたってどれだけ好き放題やってきたか、その都度呆れ、憤慨してきたからだ。それでいて、責任政党だとは笑わせるぜ。笑止千万だ。責任を取らない責任者ってのは、俺のまわりにもよくいるが、責任を取らない責任政党なんて、冗談じゃないぜ。そんなことだから、政治に対して、誰も期待しなくなってしまうのさ。どうせ、誰を選んでもダメだって。
だから、のど元過ぎれば、熱さを忘れる的な自民党への支持率の高さが、日本の行く末を誤らせることになるんではないかと、本当に心配しているんだ。
皆の衆、もっと自分自身の考えで、将来を選んでくれ。選挙は政治家を選ぶことじゃない。自分たちの未来を選ぶことなんだ。よく考えてくれ!そう、とんでもないのを選んでみようぜ!
常識外れでも構わない。20世紀の常識はこの21世紀には通用しないんだ!
明日の常識は今日の非常識だ。俺達は大きな時代の曲がり角に立っているんだよ。
いっそ、俺が出てみればよかったかな?その時は読者諸君、応援よろしく! 

2012/12/04

Post #662 Snufkin In The 21st Century

夏の旅行から帰ってきてからこっち、死ぬ思いで働いていたら、何時の間にやら季節は冬になってしまっていた。俺の秋を返して欲しいものだ。
紅葉も、芸術も、食欲も、なんもかんもナシだぜ、生きているのに死んでるようなもんだ。おかげさんで体重はまた減った。ガツガツ食いまくっているというのに、ガンガン働いているおかげさんで、体重は減る一方だ。冗談じゃない。このペースで働いて行ったら、いずれ俺の身体は消えちまうんじゃないかってくらいだ。
時には、車を運転しながら、このまま事故って死んだ方が楽になるかもしれないなぁなんて、ぼんやり考えながら運転している自分に気が付き、恐ろしくなってしまった事もある。完全に欝病入ってるだろう?そんなになるまで働いても、たいして儲かりゃしないところが、これまた人生の味わい深さってものさ。そう、コツコツたまるのは疲労ばかりで、金は出ていく一方さ。俺は自分が底抜けの柄杓で水を汲み続ける船幽霊になってしまったようにすら感じるぜ。ハッハッハ!
毎日まいにち、コツコツと蓄積した疲労のおかげで、眠くて仕方がないんだ。昨日も歯医者で歯をジャンジャン削っているというのに、すやすやと眠ってしまったくらいだ。我ながら驚くぜ。
Osaka
唐突だけれど、実は俺は21世紀のスナフキンなのさ。驚いたかい?自由と孤独、そして音楽を愛する旅人なのさ。いつもパイプをくわえているしな。モノを所有するのを嫌う性格は、この資本主義の世の中の風潮に毒されて、すっかり変わってしまったがな。おかげで家の中はガラクタだらけさ。音楽だって、むかしは自分でハーモニカを吹いたりしてたのに、今じゃCDをしこたま持ってる。そして携帯の中に何千曲もぶち込んで、いつも聴いてるんだ。AKBとかじゃないぜ、昔ながらのロックやブラック・ミュージックだ。
この21世紀のスナフキンの身の上には、20世紀にダラダラと釣りをしたりハーモニカを吹いたりしてのんびり暮らしていたツケが、今巡ってきているのさ。なにせあんなふうに暮らしていた日には、浮浪者扱いされちまうぜ。表面的には真面目に働いて定住していないとな。行政サービスだって受けられやしないんだぜ。
21世紀になってもパイプを吹かすのは相変わらずだけど、釣りなんかもう何年も行ってないんだ。行ったとしても、仕事の合間に近所のドブ川で手軽にやれるナマズ釣りくらいのものさ。風情がないったらないぜ。いや、ミシシッピ川のあたりに住んでる黒人のおばちゃんが夕食のおかずにするためにナマズを釣ってるみたいでみたいで、それもまたいいものだろうか?ブルースが聞こえてきそうな気がするぜ。いや、むしろアル・グリーンやシル・ジョンソンみたいなHI RECORDSの泥臭いR&Bが心に響き渡るってもんだ。泥臭いナマズのフライでも作って、君に振る舞ってあげたいよ。
旅から旅の気儘な暮らしは、旅行の資金を稼ぐための日々の苛酷な労働に取って代わられた。いや、出張で結構あちこちに出歩いてはいるけれど、宿と現場の往復ばかりさ。たまに街をぶらついても、表面的な健康さと明るさの裏に、どうしようもないほどの倦怠と荒廃を感じ取ってしまうのさ。
まったく、21世紀は世知辛いことばかりだ。酷い時代なのさ。悪無限って奴だ。
しかし、俺達は誰も彼も、自分がいつどこに生まれてくるかを選ぶことはできないんだ。俺だって、楽しいムーミン谷とかに生まれた来たかってものさ、残念ながらね。まったく残念きわまる。
しかし、12月はやっと少し一息つけるようだ。束の間の休息だ。冬眠でもするか。まぁ、自転車操業の俺にとっては、うれしい反面、心が重い話だがな。
しかし、そんな間隙にこそ、人生を楽しもう。金がなくたって人生を楽しむことはできるはずだ。寒さに震えながら、プリントしよう。温かな南の島の思い出を形に残して、君たちにお届けするんだ。OK、やる気が出てきたぞ。やる気が出てきたところで眠るとするかな。

読者諸君、ずいぶん長いことほったらかしにして、心配をかけたことだろう。寂しい想いを抱いていた人すらいるかもしれない。なに、心配することはないさ、俺はいつでもここにいる。俺がここにいるうちは、この21世紀もまんざら捨てたもんじゃないってことさ。俺がこうして君たちと同じ時代を生きてる限り、君たちは全然大ジョーブだ。根拠は何もないけれど、そう思っておきなよ。その方がお互いのためさ。
またぼちぼちと更新していくことにするさ。楽しみにしていてくれ。失礼いたす。