2013/02/28

Post #739 今年もすでに6分の1終わったのか・・

Kuta,Bali,Indonesia
心身をすり減らして働いている間に、もう2月も終わりだ。日中の日差しにも春の気配が感じられるような暖かさだった。季節は着実に移ろっていくのだ。しかし、もう2月も終わりとは・・・。俺、今年に入って、何やっとったんじゃ?ただ、仕事してただけだねぇ。
こんなペースで生きていくのは、激流に流されながら生きているようなもんだ。
考えれば、仕事なんて所詮仕事、つまり金儲けでしかないんだから、飯を食っていくためにはこれは至極重要なんだけれど、生きていく意味という観点から考えれば、どこか枝葉末節にしか過ぎない気がする。
俺達は、いつも枝葉末節にこだわり、肝心なモノゴトの本質を見落としているんじゃなかろうーか?
仕事ができるできない、有能無能、そんなことは本来、人間の価値(人間の価値という言葉には、思わず不愉快になる。人材って言葉も、人間様を何かの材料のように扱っているようで、不愉快になる。そんなの俺だけかもしれないけどな)とは何のかかわりもないはずなのに、実際の世の中は、そんな冷酷非情な評価基準で成り立っている。
しかし、そこには重大な落とし穴がある。人間は誰しも年老い、経済的には、いずれは例外なく無能で無用な存在になりうる、不安定な存在なのだ。
そこんところを、むんずと捕まえておいたうえで、人生の歩き方ってのを考えておかないと、いつか後悔することになる。そして、まだこの先にチャンスが巡ってくるのかもと一縷の望みを託し、病気を抱えて、年老いて肉体の機能が衰えてなお、心穏やかに来たるべき日を迎えられんということになりかねん。これは、大きな問題だ。俺のライフワークだと言ってもいい。

どうにも最近、意気消沈するような内容に偏っている気もする。
おかげさんで、PVはうなぎ降りだ。うなぎ上りじゃない。
そらそうだろう、誰が好き好んで、冴えない暮らしぶりの中年のおっさんのボヤキを聴きたいもんかねぇ、うちのカミさん(内縁)だって、真正面から取りあってはくれないよ。
しかし、致し方ないんだぜ。読者諸君の若い衆は、人生の先行きが大方見えてきてしまった年齢の人間の焦りや不安は分かるまいて。
そして、それがわかるような微妙なお年頃になれば、その時には既に遅い。人生の趨勢は見えている。将棋で言えば、詰んでいるという訳だ。
俺もいつの間にか44歳だ。誰憚ることなく中年だ。昔は壮年というもうちょっとカッコいい言葉もあったような気がするが。中年というのは、どうにも宙ぶらりんなカンジで、落ち着きが悪いし、その中くらいの先は下り坂一辺倒という、物悲しい響きを感じてしまうわな。
いかんいかん、春は近い、はずだ。花粉も黄砂もジャンジャン飛んでくるだろうが、いつまでも冬のままじゃないはずだ。もっと働き方を考えよう。でないと44歳の春もまた、ただ働いて終わりってことになっちまうぜ。冗談じゃないぜ。
失礼する。 

2013/02/27

Post #738 ある猫の死

Istanbul,Turk
今日の昼下がり、本屋で小嵐九八郎の『天のお父っと なぜに見捨てる』を購入し、車で家に戻る道すがら、前の車が大きく迂回して通るので、ふと見ると一匹の猫が死んでいた。
猫がはねられて死んでいることなんて、よくあることだ。しかし、俺はいつもそのたびにどうしようもない憤りが湧いてくる。
かつては、そんな猫の写真を、怒りとともに撮っていたものだ。その写真は今日は出さない。きっと、君たちはショックを受けるだろうから。
俺はいつも、状況が許す限り、道のどまんなかに横たわっている猫の死骸を、そっと抱き上げて道の端に寄せることにしている。もちろん、状況の許す限りにおいてだ。俺がはねられて死んでは、元も子もない。
けれど、たとえもうすでに死んでいたとしても、何度も何度も車に踏みつけられ、汚い絨毯のようになっては欲しくない。
俺は、今回も車を停め、後続の車が行き過ぎるのを待って車を降りて、猫を道端に寄せた。
大きくて立派なトラ猫だ。毛並みもよいし、よく太っている。きっと誰かに大切に飼われていたに違いない。飼い主の悲しみを思うと、何とも言いようがない。
そっと持ってみると、まだ温かい。まだほんの少し前にはねられたのがわかる。
瞳孔の開き切った瞳は、まるでガラス球のようだ。
俺は、その猫を歩道の植え込みの中に横たえてやった。冷たいアスファルトよりも、土の上の方がイイだろう?いつだって、何の罪科もないものが、命を断ち切られるのを見るのは、心が張り裂けそうに痛む。あぁ、この世は悪無限だなぁ。

俺は、ふと何年も前、まだ薄暗い朝早く高速に乗って現場に向かうために、片側三車線の国道を走っていた時のことを思い出す。車線の真ん中に、まだ生きている猫が、はねられ足をやられたのか、うずくまり、じっとこちらを見ていた。時速60キロで走る俺の目には、それは一瞬のことだったかもしれない。けれど、俺には、その一瞬に確かに猫と目があったように感じられた。
猫は、自分のみにこれから起きることを、まったく予測していなかったのかもしれない。いや、ひょっとしたら、全て理解していたうえで、受け入れていたのか?それは俺には解からない。けれど、その視線は、明らかに俺に対して何かを強く訴えかけてきたのだ。
生きることとは、何なのか?
俺たち人間も、この猫が自らの身にほどなく悲惨な最期が訪れるであろうことを、知ってか知らずにいるように、一寸先は闇の道を手探りで歩くしかない、弱く儚い生き物だということを、その猫は俺に伝えていたように感じたのだ。
それはもう何年も前の話しだ。

今日死んでいた猫が、佐野洋子の絵本『百万回生きたねこ』の主人公のように、今頃むっくり生き返り、次の人生を生きはじめることを夢想する。そして猫は言うのさ、『バカらしくってぇ!』ってね。

読者諸君、失礼する。俺は実は猫アレルギーもあるんだが、猫は大好きだよ。

2013/02/24

Post #737 Just Take A Walk

たしか Montmartre,Paris
いつまでも寒い。もうすぐ3月にもなろうというのに、昨夜も4時過ぎに仕事を終わって外に出ると、みぞれのような雪が舞っていた。
そうこう言っている間にも、窓の外に雪が舞っている。俺もヤマネかムーミン谷の連中のように、冬眠していたいのだが、冬眠どころか、毎日の睡眠時間すらままならないのが悲しい現実だ。

うちのカミさんの話しによれば、ニンゲン、5日間睡眠不足が続くと鬱状態になるという。まったくだ。覚醒剤を打ちたくなる奴の気持ちも分からなくないぜ。

憂鬱な気分で打ちのめされたようになって生きるよりも、目をギラギラさせて、ハイテンションで突っ走っていた方が、人生なんだか楽しそうだからな。とはいえ、俺はやらないけどね、警察にはいつも財布やダッシュボードの中まで調べられるが、何も出てこない。奴らはそこから白い粉が出てきたり、注射器の束が出てくるのを期待してるんだろうが、人生というのはなかなか期待通りにはいかないものさ。それが例え警察官であってもね。

脳内麻薬が必要だ。

俺は気分をリフレッシュするために、ちょっと散歩をしてみた。
風は冷たい。しかし、それがまた心地よい。世間の風の冷たさに比べれば、チョロイもんだ。
俺は自分が今の商売につくづく向いてないなと考える。養蜂家とか猟師とかきこりとかに剥いてるんじゃないのか?人間は思い付きでしかものを言わないが、動物は本能というプログラムによって行動するからな。いや、自己保身ってことじゃ人間も動物も大差ないけれど、人間の自己保身は、なんだかいろんな原理原則が複雑に絡み合っていて、コムツカシーのだ。
そんなことを考えながら、音楽を聴きつつあるく。
The Who ”Sparks"、Oasis ”D'You Know What I Mean?"、Funkadelic ”Standing On The Verge Of Getting It On"、Led Zeppelin ”Stairway Of Heaven"、Red Hot Chili Peppers ”Torture Me"・・・。
そんなところだ。
雲が流れ、光がさす。
せせこましい人間社会にうんざりするほど、突如太陽の光がさすのは、カンドー的だ。
また、旅に出たい。半年もまじめに仕事すれば、どうにもこうにも精神的に疲弊してくるってもんだ。

2013/02/23

Post #736

Paris
それでも人は、生きている。

そうして、いつか時間の向こう側に跡形もなく忘れ去られてゆく。 

2013/02/22

Post #735

Osaka
道行くあの人この人にも、人には言えぬ悩みがあるのかと思うと、胸のつぶれるような思いがする。

2013/02/21

Post #734

Morocco
子供の頃は、よかったよ。子供のようにはいつまでもいられないもんかねぇ。

2013/02/20

Post #733

HongKong
生きることのしんどさよ。それはどんな人間も大なり小なりだ。

2013/02/19

Post #732 私の履歴書

HomeTown
今年の正月に、ガキの頃からお世話になってる先生の家に遊びに言った所、『愛知牧水顕彰会』という会にはいらないかと誘われ、酔った勢いで二つ返事、入ることにした。
歌人の若山牧水を忍びつつ、酒を飲む会だというのだ。写真で見た若山牧水の、やんちゃそうな面構えが気に入った。この手の顔の若い衆なら、現場にゴロゴロいる。今ならさしずめ、過激なラッパーかなんかになっていそうな雰囲気すら漂っている。
で、先日、その会報に載せるための略歴を求められた。恥の多い人生を送ってきましたとは、太宰治の小説の出だしだが、まさにその言葉がふさわしい俺だ。戯作者気分で書き散らかし、忙しいさなかを縫って送ってみたのだが、間一髪、入稿に間に合わなかったのが惜しまれる。という訳で、以下にそれを収録してみることにする。
伊藤様


1969年、安田講堂に若者が立てこもっている頃、この世に生を受けてはや44年になります。かつて、滝高校(㊟愛知県でそこそこ有名な私立の中高一貫進学校である)始まって以来の問題児の一人と言われた私も、いつの間にやらすっかりおっさんの仲間入りでございます。自分がこの年になってしまったこと自体が、なんだか現実感のない夢のような気がする今日この頃です。

滝中、滝高を辛くも卒業し、愛知大学に滑り込むも、ついうかうかとカルトな宗教にはまってしまい、学業家族をないがしろにして、山に籠るだの、護摩を焚くだの何のかんのと胡散臭い青年時代を過ごしてまいりました。

ふと、ばかばかしくなって、そこを夜逃げ同然に逃げ出して、娑婆に帰ってまいりまして、やれこれからは余生のように生きるかなどと思っておりましたが、おりしも失われた20年は始まったばかり、大学中退で胡散臭い経歴の若者など雇ってくれるような会社はとんとございません。お陰様でネクタイを締めるような仕事にはとんと縁がなく、プロレタリア街道一直線。

ガードマン、コック見習い、土方、測量助手、大工もどき、通信工事屋、設備工事屋、人材派遣業などなど、その日の糧を得るためだけに、働き続ける日々は手から口への直行便。転石苔むさずとは、まさにこのことかといった有様。

お陰様でこの世の中、どこに行っても理不尽極まりなく、大きな世界から見れば、どうでもいいことをあげつらって、いいの悪いのと大騒ぎしていることが、骨身にしみる毎日。

身過ぎ世過ぎで何とか40の声を聴いたころ、一時の激情に任せて会社を辞めたところ、取引先から『じぶんで事業を始めて、仕事をしてはくれまいか』という甘い口車に乗せられ、たった一人の小さな会社を、資本金30万円で初めたのが運の尽き。

今は皆さんお買いものなさる百貨店やらショッピングセンターで、店舗内装の監督業に夜昼なく働く身となってしまいました。

体を使い、頭を使い、気を遣い、できることなら金は使うなの四拍子、男なら腕が2本の脚2本、これで資本(=四本)充実だと、開き直った素寒貧、鶏口牛後の心意気で、日々カツカツと生きております。

自分では関羽、張飛は言うに及ばず、孔明、趙雲なしの劉備玄徳、男一匹といった(泣きたくなるような)心意気で百戦百敗、人生の連敗記録更新中であります。こんな不出来な男でも、首も吊らずに生きていけるのは、良くできた内縁のカミさんのおかげだと、心底思っております。


『そのかみの 学校いちの なまけもの 今はまじめに 働いており』という啄木の短歌が、ふと口をついて出るような毎日でございます。


御会員の皆様とは、お比べするのもおこがましいような、社会の底辺にうごめく深海生物のようなケチな男でございますが、以後お見知りおきくださいますよう、お願いいたします

2013/02/18

Post #731

HomeTown
足フェチですねと、よく言われます。
自分でもそう感じるときが、しばしばあります。否定はしません。

2013/02/17

Post #730

paris
忙中閑在り。忙しいので今日はこれにて、失礼いたす。

2013/02/16

Post #729 意外と神経質な俺自身

Paris
今日の午後から、現場乗り込みなんで、あっさりと流してしまおう。まだ準備もしなけりゃならないしね。俺の商売、現場にのり込めば、昼も夜もカンケーなけりゃ、土曜も日曜もないんだ。病み上がりだしな、気を付けないとね。
どれだけ経験を積んでも、新しい現場に乗り込むときには不安と慄きが抜けない、意外と神経質な俺なんだ。
読者諸君、失礼する。 

2013/02/15

Post #728 心の闇

Paris
凄惨な無差別殺人や、猟奇的な事件が起こるたびに、メディアは心の闇という言葉を使う。
誰も彼も、非道な犯罪の酷烈さを想い起こし、その言葉にどこかおぞましさを感じるようになるだろう。枕詞のようなものだ。
自分たちとはまったく異なった、おぞましい畸形的に捻じれた心の持ち主の胸のなかで、その闇が成長し、エイリアンが胸を食い破って出てくように、目を背けたくなるような犯罪となってこの世界に実現化するとでも言わんばかりだ。
しかし、心の中に闇を持っていない者など、果たしているのだろうか?
君はどうだい?君の心は常に清く正しく、美しいのかい?
俺はそう言い切れるほど、面の皮の厚い恥知らずじゃないつもりだ。
俺も、君も、人間は誰しも、自らの中に闇を抱えて生きているはずだと、俺は信じている。
大方の人間は、善でもなければ、悪でもない。どっちつかずの存在だ。心の闇なんてのは、天秤の片側だけに目を向けた話だ。大方の人間は、無意識に善悪のバランスを取って生きているのだ。
するってぇと、光の強いニンゲンのほうが、闇も深いって理屈になるな。
心に闇の無いニンゲンなんて、去勢された競走馬みたいなものだ。どうにも物足りないぜ。
ヤニのないタバコみたいなもんだ。もっとも、最近は0.1mgとかいう屁よりもスカスカしたタバコが大流行だけれどね。
自分の心の中の闇に呑まれてしまうかどうかは、人間の意志の力にかかっている。
自分の中の闇と折り合いをつけて、生きていくこと。
それは、ひいては他人の過ちを赦すことにもつながろう。
何故なら、何かの機縁があったなら、その心の闇に呑まれ、過ちを犯していたのは自分自身かもしれないのだから。
かつて、親鸞上人は『俺の心がよくって、人殺しをしないわけじゃない。たまたまその縁も機会もなかっただけだ』と語った。つまり、たまたまに過ぎないってこった。
煩悩熾盛なこの俺が、この年までお縄にならずに生きてこられたのも、心に闇がないからではなかろうよ。単にそんな縁も機会もなかったからにすぎないさ。
TVで犯罪ニュースを見て、眉をひそめている善良な人々の胸の中にも、心の闇は必ずある。
それは間違いない。
そして、闇が深くて暗いほど、光ははっきりと輝くんではなかろうか?
ドストエフスキーとか読んでみれば、よくわかるさ。
しかしまぁ、最近言われる心の闇の、なんともちっぽけで卑小なことか。

読者諸君、失礼する。明日から現場が始まる。徹夜続きの毎日だろうよ。御機嫌よう。 

2013/02/14

Post #727 俺はやっぱりサラリーマンにはなれないよ!

HomeTown
まだ本調子ではない体に鞭うちまくって、今日も朝から駆けずり回った。
息をつく間もないほどだ。車であちこち飛び回り、先々で打合せをして、問題を片付けていく。
のんびり昼飯を食ってる暇もないくらいだ。俺がやっと一息ついて、コンビニで買ったカツカレーを車のなかでガツガツはふはふと食ったのは、とっくに4時を回っていた。
どうして、月たったの45万で契約しているのに、こんなに酷使されなけりゃならないんだ?疑問を感じるぜ。儲けが出ないうちはボランティアとかわりないんだ。義理人情で商売してるわけじゃない。まったくバカバカしい。やってられないぜ。
一度頼んでも、直ぐにやってくれない奴が多すぎる。ボケボケしている間に、何もかもが後手に回っていくというのに。
ハンコ一個つくのに、やれ稟議書だ、申請書だってバカバカしくって付き合っちゃいられないぜ。
まったく、体面や責任を回避するためだけに仕事をしてる奴が多すぎる。俺の方こそ、無責任にやらせてもらいたいくらいだぜ。
思いつきだけで、モノを抜かす奴が多すぎる。そんな素敵な思い付きなら、自分でやればいいだろうって思えてくるぜ。
電話をかけても、出ない奴らが多すぎる。何のための携帯電話かって思うぜ。
そして、無茶振りしてまかせっきりのくせに、こっちがさんざん働いて帰りますって言うと、急に何だかんだ言って仕事をやらせようとしてくる頓馬が多すぎる。
俺はお前さんたちみたいな社畜じゃねって言いたいぜ。
俺はフリーランスだから、そんな寝言に付き合って仕事をしていても、残業代なんてもらえるわけもないだ。仕事はサクサクおわらせてトンズラしていかないと、まったく人生が台無しになるってもんだ。
そんな頓馬が、結構な収入を得ているのかと思うと、腹が立って仕方がない。
むかっ腹を立てていると、不思議と体調が良くなってくる気がする。エンジンに灯が入ったようなカンジだ。
とはいえ、俺は『とっととやれよ!このボケ!』とか怒鳴りたい気持ちを、ぐっとこらえて働いている。
それは強烈にストレスがたまることだ。もちろん、ストレスがたまっても、金は貯まらない。
胸倉をつかんで、ぶん殴ってやりたくなる。眉間に深い皺がよっってくる。これ以上皺が増えたら、カミさんに愛想を尽かされちまうぜ。
君のまわりにもいるだろう?そんな奴らが。俺の読者諸君には、そんな頓馬は一人もいないことは分かってるんだけどね。
俺は、そんな頓馬と付き合いたくないからサラリーマンに見切りをつけて、フリーランスに転向したのに、この有様だ。
そう、そもそも俺はとっとと仕事を片付けて、さっさと家に帰って自分の道楽のために時間を使いたいから、多少稼ぎは悪くても、現場稼業に身を投じたはずなのに。まったくおかしなもんだぜ。俺のライフプランは、どこで間違っちまったのか?

きょうのTVのニュースで、副業をして節税しているサラリーマンの話しをやっていた。
副業する様な余力たっぷりの奴が、年収600万だと聞いて、俺はふざけんなって思ったぜ。俺は自分で商売をして骨身にしみてるんだけれど、片手間にやれるように仕事なんて、まったくたいしたもんじゃねぇよ。きっと本業にも身が入らなくなっちまうことだろう。俺自身は、仕事は嫌いだけれど、嫌いだからこそ、フルスロットルで取り組んで、とっとと終わらせたいと思ってるんだがな。
しかしTVを見ていたら、どうにも腑に落ちないんだ。なんたってそいつは、副業の売り上げが、年間10万円で、経費が年間100万円。ざっくり90万の赤だ。
しかぁ~し、そいつは還付された税金が16万なにがしだってんで、こんなに税金が還ってくるのかってウハウハ喜んでいた。

俺にはそれが朝三暮四のサルのように見える。滑稽だぜ。

だってそれって、実際には自分の本業の稼ぎから、年間で90万持ち出しして、税金を16万節税してるってことだろう?74万円も赤じゃねぇかって思ったよ。俺の計算間違ってるかい?意味が解らねぇよ。まぁ、道楽でやってるんだったら、とやかく言う筋合いじゃないけどね。
しかし、考えてみりゃ、国家財政は火の車なのに、どいつもこいつも副業とか称して道楽同然の仕事をして、税金をけちるようになっちゃ、日本の将来は真っ暗だってことは俺にはよくわかる。

とはいえ、現場に行くとよく見かけるような、働いて得た金以上に酒飲んで、パチンコやってすこんすこんに負けてるような手合いばかりがうじゃうじゃいても、お先真っ暗には変わりはないけれどね。
あぁ、何もかもがバカバカしいから旅に出たいぜ・・・。
なにしろ俺は、毎日同じところに通うだけでもうんざりしちまう性質なのさ。だからこそ、毎日毎日同じオフィスに通うサラリーマンには、馴染めないし、なりきれなかったんだろうなぁ。
ここでお知らせ。
あと4か月少々我慢したら、俺はまた旅に出るんだ。
今度はプラハに、ブダペストに、クロアチアだ。旧共産圏だ。プラハの春だ。クソっ、まだ先は長いな。やってられないぜ。それまで俺は我慢できるんだろうか?6月いっぱいまで、今のお客に仮押さえされている。しかし、俺はもうすっかり嫌気がさしてきてるんだ。この現場がカタ着いたら、尻に帆かけてトンズラするとするか?なぁに、仕事のオファーはきっと来るさ。たいして儲けも出ないのに、義理堅くやってる必要はないさ。へん、気にしちゃいねぇよ。

読者諸君、俺の怒りは無尽蔵だ。 

2013/02/13

Post #726 Tonight,Nothing To Say

Paris
すこぶるチョーシが悪いんで、家で寝ていたいんだが、どうにもこうにもそうもいかない。
書類だなんだと忙しいわけだ。昨日も家で眠っていたら、お客から電話がかかってきて、引っ張り出されたんだ。きっと、殻から引きずり出されるサザエはこんな気分だろう。
俺がこんな体たらくの間にも、北の若将軍は核実験だし、グァムではなんだか凄惨な事件が起こっている。しかし、あれだな、人間身体の調子が悪いと自分のことしか考えられなくなるもんだな。世間が狭くなる。自分の周囲50センチくらいしか考えられないぜ。
しかも、書類だなんだって一日中、パソコンに向かっていると、いざこうしていても、何も、そう何も書くべきことが思い浮かんでこない無いわけだ。
でなわけで、今夜もまた何も語るべきことはないってことだ。
これでは、いけない。
人間、いろいろと考えて、人間として有意義に生きていくためには、そこそこ暇じゃないといけない言うことだな。それには金が必要だし、そうすると暇がなくなるし。ふむ、難しいものだな。
とかなんとか言ってるうちに、体調は少し落ち着いてきたんだ。有難いことだぜ。席は相変わらずだけどね。
読者諸君、失礼する。何とかとっとと体調を持ち直さないと、近々現場が始まるんだ。

2013/02/11

Post #724 ますますもって調子が悪い

Marrakech,Morocco
ますますもって、体調は芳しくない。
寒気はするし、くしゃみは出るし、かといって熱があるわけでもない。
ここ何日か、何をするわけでもなく眠って養生していたというのに、一向に良くなる気配もない。いろいろと手を打っておかなけりゃならない事柄ばかり、頭を駆け巡るんで、いつまでもおちおち眠っているわけにもいかず、ごそごそと書類を作ったり、メールを送ったりしていたんだが、どうにもしゃっきっとしないんだ。俺は働くのに向いてないんじゃないかって思えてくるぜ。
いやぁ、明日はフル回転しなけりゃならないってのに、ホントーに困ったなぁ・・・。

読者諸君、失礼する。とっとと飯食って眠るぜ。

2013/02/10

Post #723 無為な一日

Paris
相も変わらず体調がすぐれないので、今日も何もせず暮れた。
特にお話しするようなこともないってことで、今日も写真だけ。
読者諸君、失礼する。

2013/02/09

Post #722 Catch The Cold

Grand Place,Bruxelles
風邪をひいてしまった・・・。
休みになると必ず体調を崩すのは、一体全体どうしたことだろう。昨日、風呂のなかでうっかり眠ってしまって、お湯が冷めきってしまったのが良くなかったのか?しかもそのあと、ふと気になって、ネットで∀ガンダム第一話を見ていたのがいけなかったのか?
気が付いたら朝の6時だったしな・・・。
人生が台無しなカンジがする。イロイロやりたいことも、やっておかねばならないことも山積みだというのに。
まったく、悲しくなってくるぜ。

読者諸君、失礼する。とっとと休ませていただくぜ。

2013/02/08

Post #721 俺を眠らせてくれないか?

Osaka
今夜は何も語りたくない。
何故って、眠くって仕方ないからだ。お客の事務所に通って、一日中パソコンを眺めていると、本当にうんざりするぜ。けど、世間一般の皆さん、フツーにそれをこなしてるんだろう?
いやぁ、まったく驚くべき忍耐力だ。
慣れないことをすると、疲れはひとしおだ。どうにも眠くって仕方がない。こういう時に起きていると、ロクでもない考えに取りつかれて、ネガティブな青い炎に俺はつつまれてしまうんだ。
だから諸君、俺はちょいと眠ることにするぜ。

失礼する。どうか諸君、よい週末を過ごしてくれたまえ。 

2013/02/07

Post #720 AMERICAN PHOTGRAPHS

Tokyo
俺が最近買った写真集はアラーキーだけではないんだぜ。
俺にはストレスが溜まると、そのストレスを小出しにして発散するかのように、写真集を買う習性がある。
以前はCDだった。おかげでCDは800枚くらいはあるんじゃないだろうか?中古カメラやレンズがその役割を担っていたときもある。あるいはまた、パイソンの靴とかね。
この不経済な習性のおかげさんで、俺の小さな家はガラクタで溢れかえっているんだ。壁にはアラーキーや森山大道、東松照明や安井仲治の写真のポスターがあちこちに貼られている。まるでいつまでたってもマニアックな大学生の部屋のようだとよく言われるぜ。
そんな環境はかなり落ち着くが、俺が死んだ後、ゴミになってしまうのは、いささか寂しいもんだ。だから、最近は自分が死んだとき、葬儀の参加賞として参列者の皆様に配ろうかとも考えている。
俺の遺体を焼き場で焼いてる間に、ビンゴでもしてもらって、このガラクタどもを生きてる連中に押し付けよう。
何といっても、皆に盛り上がってもらいたいってもんだ。俺は湿っぽいのはどうにも隙になれない性質なんでね。
閑話休題だ。
俺はいつも脱線する。線路の無いところを走ってる電車みたいな男なんだ、勘弁してくれ。

俺は先日、ウォーカー・エヴァンズの写真史に残る古典的名作『アメリカン・フォトグラフス』を買ったんだ。まだばあさんが死んでしまう前、静岡に出張していたときに、ふと欲しくなってね、日曜日に静岡の主だった本屋を回って探してみたんだが、見つからないんでアマゾンにオーダーし、ホテルのそばのコンビニで受け取ったんだ。仕方ないだろう、欲しくてたまらなかったんだ。
1938年、まだ発足して間もないMOMA、つまりニューヨーク近代美術館から発刊された写真集の復刻版だ。
エヴァンズは若い頃、パリに渡り、ソルボンヌ大学で学んだ。作家になるつもりでアメリカに戻ってきたが、彼は写真家になった。写真に呼ばれてしまった人なんだろう。
Walker Evans American Photgraphs
  エヴァンズの写真を決定付けたのは、間違いなく1930年代に参加したFSAプロジェクトだ。
当時、アメリカは世界大恐慌の影響で、深刻な危機に陥っていた。この頃、ルーズベルト大統領が、ダムを造ったりだのなんだかんだ財政出動を行い景気回復を目指したニューディール政策ってのは、有名だ。80年ほどたった今でも、ニッポンの政治家や官僚の皆さんは、その方法が大好きだ。今回も国土強靭化の美名の元に、福祉を削って公共事業にぶっ混むわけだ!人からコンクリートだぜ!貧乏人は死んじまえって言わんばかりだな。
しかし、当時のアメリカ人はしっかりしていた。
FSAつまりアメリカ農業安定局という役所の担当者ロイ・ストライカーは、大恐慌の影響で深刻な打撃を受けた南部農村地帯の惨状を記録するために、(そしてそれは、未だかつて行われたことのない政策の効果を検証する側面もあったことだろうよ)何人もの写真家を雇い、南部の農村地帯に派遣した。
セオドア・ヤング、ドロシア・ラング、ベン・シャーンなど、多くの優れた写真家が国家的プロジェクトに駆り出された。彼らは、お互いに影響を与えあいながら、優れたドキュメンタリー写真を、演出を排したストレートフォトグラフィーの傑作を生み出した。
ウォーカー・エヴァンズは、このFSAプロジェクトの写真家のなかでも、とりわけ名高い存在だ。
そのプロジェクトに参画するなかで撮られた写真を中心に、この傑作写真集『アメリカン・フォトグラフス』は編まれている。
そして、ここには素晴らしいスナップ写真が多くおさめられている。
 
毛皮の襟巻きを身に付けたニューヨーク6番街42丁目の黒人女性。
ニューヨーク、フルトン街の女性は厳しい表情で何かを見つめている。
仕事もなくそこいらに座り込み途方にくれる男たち。
どこかの店先で、着の身着のままで眠る労働者。
破られたポスター。
白いスーツに身を包んだクールな黒人男性(これは『ハバナの下町の市民』として、知られている)。
そして何よりも、エヴァンズの代表作、まだ20代なのに乾ききったかのように疲れはてた表情を浮かべる南部の小作人の妻アニー・メイ・グシャーのポートレイト。
未曽有の不況の中、エヴァンズによって記録された写真は、ある意味で、不景気のどん底にあえぐ21世紀の俺達にも、訴えかけるものがあると、俺は思ってる。トンデモなく雄弁だ。だからいてもたってもいられなくて、出張で手に入れたのさ。確かにこの写真集は発刊以来75年を経た古典中の古典だけれど、文学でも音楽でも、そして写真でも、古典をないがしろにしてはいけない。個展を踏まえないと、前には進めないんだ。まさに、過去から未来がやってくるのだ。
読者諸君、失礼する。今日はサラリーマンのメッカ、新橋まで出張した。そこは不景気のどん底を這いずりまわるサラリーマンのおっさんであふれかえっていた。右翼のおじさんは、今日が北方領土の日だってんで、淡々と語り続けていた。サラリーマンのおっさんたちは、それには目もくれず、喫煙所にひしめき合うように、身を寄せ合うようにして、タバコを吸っていた。
俺はフィルムで靴磨きの老婆や、浮浪者みたいなおっさんを撮り続けていた。
この不景気のどん底で、写真を撮っておくことは、意義深いことだと俺には思えたんでね。

まぁ、今日はそんなところさ。御機嫌よう。 

2013/02/06

Post #719 TOKYO LUCKY HOLE!

Tokyo
天才アラーキーこと荒木経惟も、わいせつ容疑で書類送検だかされたことがあったように思う。
致し方ない。天才なんだから。
アラーキーはかつて、芸術とは何かと尋ねられて、『女の子に、股をもうちょっと広げさせるときに、ゲージュツだから、もっと開いて見せて!』というのに使えるいい言葉だとかなんとか、すっとぼけたことを言っていたように俺は覚えている。
ゲージュツだから、チンが写っていてもわいせつではないと言い張るのとはえらい違いだ。
ヘアヌードが今のように容認されておらず、陰毛が写っているだけで警察に摘発されていた時代、アラーキーは、毛を剃ってしまえば捕まることはないと、剃毛ヌードを発明した。そして、そんなわいせつに対するお上の教条主義をあざ笑うように、女の子のそり上げた恥丘に、筆でわざわざ陰毛を書いて写真を撮っていた。
権力に真正面から勝負を挑んでも、勝つことはできっこない。ゲージュツだなんだっていったって、御上がやると決めたなら、やられるのだ。だったら、位相をずらして、斜めから攻めてみようという発想、ソンケーに値するぜ。忌野清志郎のタイマーズなんかにも通じる世界だ。大麻を持っているとしか聞こえないのに、タイマーを持っているとか歌って、ケーサツを小馬鹿にしていたようなのと似た臭いを感じる。
それに比べたら、ギャラリーのオヤジの口車に乗って、芸術を気取って、こっそりモロちんを販売していたなんてのは、ナイーブに過ぎる。笑止だ。
それで『信じられない、この日本も信じられない』とか絶句しているようなモデルも、ナイーブ極まりないように思う。そんなんだから、二股かけられたりするのだ。
バカバカしい。
芸術なんて気取らずに、バカバカしいことを真剣に追及してみる方向で、勝負する道もあったろうに。諧謔の精神を養わないといけないってもんだ。
今日は実は、うちのカミさんの誕生日だった。しかし、それとは全く関係なく、アマゾンで買うてしもうた写真集を、俺は喜んで見ている。
それは、天才アラーキーの大傑作『東京ラッキーホール』だ!
平成2年10月1日第一刷だ!もちろん中古品だ。
天才アラーキー『東京ラッキーホール』、太田出版刊
一昔前の場末のキャバレーのようなピンクの表紙に、何やらいかがわしいイメージの写真だ。これだけ見ても、中身はわいせつだってわかるだろう?
これは、1983年から、新風営法施行の85年をはさんで87年まで、伝説の写真エロ雑誌『写真時代』(これについては、以前にも触れたけど、面白ければ何でもイイってノリの、まさにアラーキーの為の、アラーキーによる写真のオンパレード雑誌だった。強烈だ。はっきり言って、写真のエルドラド、つまり黄金郷だ)を舞台に、シルクのスーツに怪しい黒メガネ、そしてステッキとカメラを手にして天才アラーキーが、バブル前夜から絶頂期に、狂乱の歌舞伎町を、体当たりで、しかも大いに楽しみながら駆け抜けた記録だ。
タイトルの東京ラッキーホールとは、このカバーに写っている、行きつくところまで行きついたいわゆる風俗営業の一業態だ。
アイドルの顔写真が貼られたべニア板には、ちょうど男性のちんのあたりにぽっかりと穴が開いている。その穴が股間に来るようにして、アイドルの顔写真には、稚拙な便所の落書きのような女体が描いてある。で、男性はそのべニアの前に立ち、アイドルの顔を見ながら、チンをそのラッキーホールに差し込むと、そのべニアの向こうで、おばちゃんが気持ちよくしてくれるという、人間の快楽とはいったいぜんたい何のさ?と哲学的な疑問を抱かざるを得ないような奇妙な性風俗のことだ。
一時期はやったアイコラ、つまりどこぞの女性のヌードに、アイドルの顔を合成して貼り付ける写真が登場するよりも早く、人間はこんなしょうもなく、かつ面白く、やがて哀しきシステムを生み出していたのだよ。
そこからわかるとおり、この中には、ピンサロ、ホテトル、ノーパン喫茶、覗き、SM、ヘルス、当時はトルコと呼ばれていたソープランド、ニューハーフコールガール、性感マッサージなどなど、ありとあらゆる性風俗に、天才荒木経惟が、面白半分、いや真面目に不真面目快傑ゾロリに、まさに体当たりで、ぐちょぐちょになりながら写真を撮りまくったという、強烈な写真集だ。
芸術の香りなんか、まったくしない。ねっちょりとした匂いが漂ってきそうだ。サイコーだ。草食系の若者に、ゼヒ読んでもらいたいぜ!ギャッハッハ!
しかし、もしこの時天才荒木経惟が、こんな酔狂な写真を撮らなかったとしたら、この時代に繰り広げられていた乱痴気騒ぎを、21世紀の今、顧みることができるだろーか?
この写真集で、あっけらかんと股間を広げている19歳の女性(もちろん、その股間には旅館の朝食に出てくるような味付け海苔みたいなベタ塗が、黒々と施されている)は、今では50前後の立派なおばはんだろう。
こんなことをして、荒稼ぎしていたことなんか、おくびにも出さずに生きているのかもしれない。いや、ひょっとしたら、未だにそんな世界の第一線で生きている人もいるのかもしれない。それどころか、この世にいない女も、きっといるだろう。
嗚呼、性(=生)の饗宴、一大スペクタクルに潜む、何という儚さよ!

しかしそのおかげさんで、素っ裸でにっこり微笑む聖子ちゃんカットの笑顔は、この21世紀にも生き続けているんだよ、おい!
まさにアラーキーは、歌舞伎町のウジェーヌ・アッジェだ。
アッジェはかつて失われゆく古き良きパリを、芸術家の為の資料として、淡々と写真におさめた。花の都パリに世界中から集まってきていた十把一絡げ、玉石混交の画家達に写真を売り、生活の糧を得るため。
つまりその写真は純粋な意味での芸術ではなかったわけだ。
けれど、それによって俺達は、19世紀末から20世紀初頭のパリの息遣いをうかがうことができる。そして何より、今、アッジェの写真に芸術性を見い出さない者は少ないだろう。
そして今また俺達は、ひとりの黒メガネのゲージュツ家の偉業によって、バブル絶頂期の歌舞伎町の狂乱のオルギーを、覗き見るようにしてうかがうことができるのだ。
まさに、絶頂期のアラーキーの、どこかアンダーグラウンドな胡散臭い写真家から、一挙に時代の大舞台に踏み出し始めた荒木経惟の、ナハハハハっていう高らかな哄笑が聞こえてきそうだ。

それこそがまさに写真の写真たるところであり、ゲージュツなんて女の子にお股を開かせる殺し文句と言いながら、360度まわって、もう一段上のレイヤーに上昇した形で、見事に芸術となっている。少なくとも、ココには生きた人間の姿が、人間の欲望の逆噴射が、克明に記されている。薄っぺらなものなど、どこにもない。ズシリと重たい写真なのだ。
写真は記録だ。
だとしたら、これこそまさに写真のあるべきひとつの姿ではないかね?
この写真集のラストは、包茎手術の場面で終わっている。
さすが、永井荷風の断腸亭日乗を拝借して、自らの写真日記を包茎亭日乗と称したアラーキーらしい諧謔だ。そこにはもちろん、チンが写っている。黒く塗りつぶされた亀頭のすぐ後ろを、手術で縫われたばかりのちんが。
もう一度言わせていただこう。誰が何と言っても、荒木経惟は世界的な写真家だ。
読者諸君、失礼する。明日は東京まで打ち合わせに行かなけりゃならないんでね。 

2013/02/05

Post #718 世界的な写真家、逮捕だってさ

Tokyo
世界的な写真家が逮捕されたというセンセーショナルな見出しで、ネットのニュースを覗いてみた。
で、俺は拍子抜けした。
事件の顛末は、シンガポール国籍のゲイの写真家レスリー・キーが自らの個展で、モロちんが大半を占める男性ヌードの写真集を売っていたという。一冊6千円、容疑としては男性会社員2人に、7冊販売したというもの。個展を開催したギャラリーの経営者は、『わいせつではない』と言っているそうだが、どんなもんでしょうね。
①買ったのが、男性会社員だという点が、面白いですね。この人たちも、ゲイなんでしょうか?実に気になります。それがし、趣味嗜好性癖で人を差別するのはけしからんとは思っていますが、口髭のはえたゲイの電気屋さんに、ケツをさわられたり、言い寄られたりしているため、ゲイという方たちだけは、余りイイ印象がございません。それがしの趣味ではないということです。
②レディー・ガガや浜崎あゆみを撮ったりしていれば、世界的写真家なのか・・・。どうなんでしょう?それは被写体の勝利でしょう?被写体で下駄を履いてることを考えておく必要があります。
俺如きが言っても詮無いことではあるが、俺としては、その程度では世界的とは認められんな。
俺の個人的な見解ではあるが、ここで声を大にして言わせて頂く。
俺が日本で活躍する写真家で、世界的なレベルだと思えるのは、森山大道と荒木経惟だけ!
レスリー・キーなんて、それがし、聴いた事も御座らぬ。世界性の獲得とは、そう簡単なものではござらぬ。50年、100年経っても、残る写真でなければ、ダメだろうよ。
まぁ、一言で言えば、猪口才でござる。

男性器モロだしでも、芸術か否か、評価は分かれるだろう。それは俺の知ったこっちゃない。
俺は、モロちんでもロバート・メイプルソープの写真は、誰がなんと言おうと芸術だと思うぜ。メイプルソープもかなりハードなゲイだったけどね。毎晩のように、ゲイのたまり場に繰り出し、モデルになりそうな好みの男性を誘ってきて、写真を撮っていた。彼を見い出したのも、ホモのオヤジだった。筋金入りだ。さらに言えば、エイズで痩せ衰えて死んでしまったけれど。
メイプルソープの写真からは、見えるモノの奥に潜む、目に見えない何かが感じ取れる。
君も機会があったなら、彼の写真集を見てみるとイイだろう。鬼気迫るものがある。メイプルソープの写真は、余りに過激すぎて、今日の日本ではエイズで体力がなくなった後、静物写真しか撮れなくなった後の花の写真くらいしか見ることは出来ない。しかし、その花の写真とはつまり、植物の生殖器にほかならず、生殖器のメタファーとしての花なのだ。写真と言うのは、そういう目を持ってみるべきものなのだ。見えるものだけではなく、その奥に秘められたものを読み解く能力を、時に写真は要求する。つまりそれはイマジネーションだ。
荒木経惟の花の写真もエロスの表象であり、リングストロボで撮られた膨大な食事の写真もまた、エロスの表象であると言えよー。世界性を持ってる写真家の力技だ。そうでなければ、そこいらのブログに氾濫する、今日なにを食べました♪的な写真と何ら変わりなくなってしまうだろう?
同じものを撮っても、そこには歴然とした違いがある。生きているニンゲンと死んでしまったニンゲンが、同じもので出来ていても、何かが、しかし決定的に違うように。
欲情を刺激するだけ写真なら、単なるわいせつ写真に過ぎないさ。
欲情を超えて、何かを考えさせるような写真、そういうもので写真はあって欲しいと思う。とはいえ、個人的には劣情をそそるような写真って、決して嫌いじゃないけどね。しかしまぁ、本物のほうがイイに決まってるだろう?
読者諸君、失礼する。今日もまた言いたい放題だった。しかし、これからひとっ風呂浴びて、仕事の続きをしなけりゃならんのだ。俺が心行くまで写真の三昧境に浸れる日は、いったいいつ来るというのか?やれやれだぜ。けど、捕まったのがアラーキーじゃなくってホッとしたよ。 

2013/02/04

Post #717 Rue de Bouchers,Bruxelles

Bruxelles
今日は目が疲れた。一日中パソコンを見て働いていた。世間のサラリーマン、OLの皆さんのご苦労がしのばれる。みんな、大変だよね、ほんと。こんなことばかりやってちゃ、そのうち遠近両用メガネのお世話になるようになりかねん。格好悪いったらないぜ。
唐突ではあるが、実は俺、歌舞伎の見得を真似することが好きなんだ。
今日は市川団十郎が死んだこともあって、TVで在りし日の団十郎が大見得をきるシーンが流れるたびに、目をカッと見開いて鼻の頭を見る要領で寄せ、両手を開いて首を曲げ、見得を切ってみたりしていた。まぁ、50回くらいはやっただろうか。うちのカミさんにはズイブンと鬱陶しがられたが、俺は生憎、鬱陶しがられると、思わず調子にのってやり続けるという性質を持っているために、うちのカミさん、終いには怒ってたな。
まぁ、イイ。見得を切るのは俺の108の必殺技の一つなんだからな。
そのうち仕事で、値切るように言われたときに、一丁、大見得を切ってやろうかと画策しているんだが、楽しみなこった。
そうこうしていたら、目もほぐれたし、肩こりもずいぶんと楽になったぜ。
君もオフィスワークに疲れ果てたら、事務所で見得でも切ってみるってのはどうだろうかねぇ?

読者諸君、失礼する。とっとと切り上げないと、風呂に入れって怒られちまうぜ。

2013/02/03

Post #716 At Djemaa El-Fna Square

Djemaa El Fna Square,Marrakech,Morocco
今夜は写真だけ。9時から沢木耕太郎がロバート・キャパの崩れ落ちる兵士の謎を解明するっていうNHKスペシャルを見なけりゃならないんでね。
読者諸君、失礼する。

2013/02/02

Post #715 金は無いけど平穏無事

HomeTown
ここんとこ、税金を払ったり、葬式代の負担を求められたり、自動車保険の免責料を払ったりで、ホントーに金がない。いや、まったくもって驚くくらい金がない。
正直言って、ここ何年かで最悪のピンチだ。しかし、強がりを言えば、あんまり資産があったって、殺されたりしちゃかなわないからな、俺は金がないとかブー垂れているくらいが性に合ってるんだろうな。
超ハイパーインフレの挙句、国家財政が完全に破たんして、国庫に2万円くらいしかないというジンバブエといい勝負だ。財布の中身は恥ずかしいほどだ。小学生のほうがよっぽど持っているだろう。
まぁ、もう何日かすると売掛金が入金されてくるから、問題ないと言えば問題ないんだが・・・。
そんなわけで、今日は一日引き籠って家で大人しく暮らした。平穏無事だ。何だか天気もパッとしなかったから、出かける気にもならなかったしな。それに出かけると、お金が無ければ、カードを使えばイイじゃないのってカンジで、ついつい負債を拡大させてしまいかねないんだ。そう、おれは自制心の弱い男なのさ。
けれど、俺も伊達に長生きしているわけじゃない。金が無くて家でゴロゴロダラダラしていても、いろいろと暇潰しの材料は揃っているんだ。かまやしないさ。まさに平穏無事な生活だ。どうせ現場が始まれば、またクレージーな日々が始まるんだ。今のうちにせいぜいのんびりさせてもらうさ。

そんなわけで、読者諸君、失礼する。布団にもぐりこんで、写真集でも見るとするかな。

2013/02/01

Post #713 風通しが悪い

Osaka
社会の風通しが悪いような気がする。
陰湿化するいじめ、指導的な立場にある人々による体罰。大企業では、もう使い道のない人々を、追い出し部屋と呼ばれる部署に配置し、嫌がらせのようなことばかりさせて、自分から辞めるように追い詰めていく。貧乏人は顧みられることもなく、資産家はぶち殺されて、山に埋められる。挙句の果てには、男と付き合っていたことが発覚したアイドルが、自ら頭を丸めて、ネットで謝罪する。年頃の女の子が男と付き合うのが謝るべき罪だということを、俺は初めて知った。本人が好きでやってるんだったら、かまやしないけど、好きでやるのと、状況に追い詰められてやるのは、似て非なるものだとおもう。閉じた集団の中では、論理は容易に倒錯してしまい、人間は傍から見るとトチ狂ったようなことをしでかす。
痛々しい限りだ。いやむしろ、生理的な嫌悪感すら覚える。
偉大なる戦争写真家、ロバート・キャパの代表的な写真の中にも、頭を刈られた女が群衆に追い立てられる写真がある。
女は、ナチスドイツ軍によって占領されていたフランスのシャルトルに暮らしていた。そしてドイツ兵の愛人になり子供をもうけたのだが、連合軍によってドイツ兵が去っていくと、街の人々によって、その母親もろとも頭を刈られ、まだ赤ん坊に過ぎない子供を抱いたまま、人々の間を引き回され、さらし者にされたのだった。俺はふと、そんな写真を思い出し、嫌な気分になった。
体罰についても、俺は独自の見解を持っている。
アレはある意味、21世紀に生き延びた大日本帝国軍の亡霊なんじゃないかと思っている。上官同様、絶対的な権力を持った者が、抵抗できない者を、指導と称して痛めつける。戦争同様、試合に勝つために痛めつける。バカバカしくて腹が立つぜ。単に指導能力がないだけなのに、それを指導と勘違いしている。
そして、先輩は後輩を殴り飛ばし、後輩はじっと耐える。そしてその後輩がさらに後輩を持つことになった時、同じように後輩を殴り飛ばす。後輩は抵抗することも抗弁することも許されず、殴り飛ばされ、蹴り飛ばされ、罵詈雑言を浴びせかけられる。
しかし、そんな風に成長してきた体育会系の若者は、どうにも企業のお偉いさんの好むところだ。日本の社会そのものに、陰湿な暴力が満ち溢れて、蠢いている。能力の劣ったクソ野郎を踏みつけ、追いやり、軽蔑しながら金儲けできる厚顔無恥な奴らは企業の皆様にも大人気だ。根性があるということで引く手あまただったのさ。
まぁ、俺も若い頃は現場でさんざん殴られたもんだけ。そして、俺自身も舐めたことやってる若い衆に、30メートルの助走をつけて安全靴キックを思い切り喰らわせたこともある。あまり大きな声では批判できぬな。
けれど、この国はいつからこんなになっちまったんだ?冗談じゃないぜ。
このどこか風通しの悪い社会には、澱んだ空気が満ちている。まるで、どこかの国の大気汚染のように、見通しが立たない。しかし、そんな社会をつくったのは、他ならぬ俺たち自身だ。