2013/02/19

Post #732 私の履歴書

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今年の正月に、ガキの頃からお世話になってる先生の家に遊びに言った所、『愛知牧水顕彰会』という会にはいらないかと誘われ、酔った勢いで二つ返事、入ることにした。
歌人の若山牧水を忍びつつ、酒を飲む会だというのだ。写真で見た若山牧水の、やんちゃそうな面構えが気に入った。この手の顔の若い衆なら、現場にゴロゴロいる。今ならさしずめ、過激なラッパーかなんかになっていそうな雰囲気すら漂っている。
で、先日、その会報に載せるための略歴を求められた。恥の多い人生を送ってきましたとは、太宰治の小説の出だしだが、まさにその言葉がふさわしい俺だ。戯作者気分で書き散らかし、忙しいさなかを縫って送ってみたのだが、間一髪、入稿に間に合わなかったのが惜しまれる。という訳で、以下にそれを収録してみることにする。
伊藤様


1969年、安田講堂に若者が立てこもっている頃、この世に生を受けてはや44年になります。かつて、滝高校(㊟愛知県でそこそこ有名な私立の中高一貫進学校である)始まって以来の問題児の一人と言われた私も、いつの間にやらすっかりおっさんの仲間入りでございます。自分がこの年になってしまったこと自体が、なんだか現実感のない夢のような気がする今日この頃です。

滝中、滝高を辛くも卒業し、愛知大学に滑り込むも、ついうかうかとカルトな宗教にはまってしまい、学業家族をないがしろにして、山に籠るだの、護摩を焚くだの何のかんのと胡散臭い青年時代を過ごしてまいりました。

ふと、ばかばかしくなって、そこを夜逃げ同然に逃げ出して、娑婆に帰ってまいりまして、やれこれからは余生のように生きるかなどと思っておりましたが、おりしも失われた20年は始まったばかり、大学中退で胡散臭い経歴の若者など雇ってくれるような会社はとんとございません。お陰様でネクタイを締めるような仕事にはとんと縁がなく、プロレタリア街道一直線。

ガードマン、コック見習い、土方、測量助手、大工もどき、通信工事屋、設備工事屋、人材派遣業などなど、その日の糧を得るためだけに、働き続ける日々は手から口への直行便。転石苔むさずとは、まさにこのことかといった有様。

お陰様でこの世の中、どこに行っても理不尽極まりなく、大きな世界から見れば、どうでもいいことをあげつらって、いいの悪いのと大騒ぎしていることが、骨身にしみる毎日。

身過ぎ世過ぎで何とか40の声を聴いたころ、一時の激情に任せて会社を辞めたところ、取引先から『じぶんで事業を始めて、仕事をしてはくれまいか』という甘い口車に乗せられ、たった一人の小さな会社を、資本金30万円で初めたのが運の尽き。

今は皆さんお買いものなさる百貨店やらショッピングセンターで、店舗内装の監督業に夜昼なく働く身となってしまいました。

体を使い、頭を使い、気を遣い、できることなら金は使うなの四拍子、男なら腕が2本の脚2本、これで資本(=四本)充実だと、開き直った素寒貧、鶏口牛後の心意気で、日々カツカツと生きております。

自分では関羽、張飛は言うに及ばず、孔明、趙雲なしの劉備玄徳、男一匹といった(泣きたくなるような)心意気で百戦百敗、人生の連敗記録更新中であります。こんな不出来な男でも、首も吊らずに生きていけるのは、良くできた内縁のカミさんのおかげだと、心底思っております。


『そのかみの 学校いちの なまけもの 今はまじめに 働いており』という啄木の短歌が、ふと口をついて出るような毎日でございます。


御会員の皆様とは、お比べするのもおこがましいような、社会の底辺にうごめく深海生物のようなケチな男でございますが、以後お見知りおきくださいますよう、お願いいたします

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