2013/03/31

Post #769 俺のマカロニほうれん荘はどこに消えたのか?

Tokyo
ふざけた大人になりたいと思っていた。

思いっきりふざけていながら、どこかさびしさを漂わせていたら、サイコーだ。
ふざけることで、世の中の上っ面の厳粛さや、下らない固定概念を笑い飛ばしてやりたくなる。親しい人を、楽しい気分にさせたくなる。そう、君がくすりと笑ってくれたりすると、俺は楽しいんだ。くだらない連中が、苦虫を嚙み潰したような渋面を見せてくれたら、しめたものさ。
大したこともないくせに、真面目くさった連中をぎゃふんと言わせたくて、うずうずしてるんだ。
ありきたりな大人になるのはゴメンだった。ユーモアに富んだ大人になりたかったんだ、小学4年生くらいからずっとね。
そう、子供の頃に読んで衝撃を受けた、鴨川ツバメの『マカロニほうれん荘』の登場人物のように。
俺の人生に影響を与えた本を5つ挙げるなら、中上健二『千年の愉楽』、吉本隆明『共同幻想論』、手塚治虫『火の鳥』、森山大道『新宿』と並んで、『マカロニほうれん荘』はベスト5に堂々のランクインだろう。
何年か前にネットで全巻セットで買ったんだが、どこにも見当たらない。余りにも本が増えすぎて、深夜の飲み屋街の客待ちタクシーのように、2列に並んでいる本棚の中には見当たらない。
友人に貸したと思っていたんだが、心当たりの友人に訊ねても借りていないという。
ブックオフに売り払ってしまったんだろうか?
一体ぜんたいどうしたことだ?
借り暮らしのアリエッティに持っていかれてしまったのか?だとしたら、なかなかアリエッティも面白い奴だ。
無いと思うと、強烈に読みたくなる。それが人間の生理だ。
重要な問題だ。アベノミクスの行方よりも、マカロニほうれん荘の行方のほうが気にかかる。
しかし、またもや本屋なりアマゾンなりで散財するのは、癪だ。
もう少し、地道な聞き込みをしてみるか・・・。
そういえば、諸星大二郎の『妖怪ハンター』シリーズも、知人に貸したっきり、4年くらい帰ってきていないな。冗談じゃないぜ。俺は物惜しみしない性格だから、気に入った本とかCDとか、直ぐに人に貸して、いつしか貸したことすら忘れ、失くしてしまうのだ。困った性格だ。そろそろ、なんでも持って行ってイイよってのは、改めたほうがイイのか?それとも、貸出帳を作って、図書館みたいに管理するべきか?いずれにしても、けち臭くってしみったれたカンジがして嫌だなぁ・・・。

うむ、強烈に読みたい。誰か俺から借りていっていないかい?
読者諸君、失礼する。

2013/03/30

Post #768 しまった!

Tokyo
久々に、仕事でやらかしてしまった。完全に俺のミスですだ!
せっかく立てた壁の位置が600ミリ、ずれていたのだ。
力なく、笑って済ましたいところだが、そうはイカンよな。昨日の夜は、そんなわけで、若い仲間と一緒に、必死になって壁を解体していたよ。
読者諸君、失礼する。

2013/03/29

Post #767 世界を旅する本

Amsterdam
仕事の合間を縫って、少し前にネットで海外の出版社に写真集をオーダーした。翌日には発送手配に入り、8営業日以内に到着すると書いてあったはずだった。
しかし、もう、かれこれ2週間になる。
カードの使用履歴は、とっくに決済されているというのに、どうしたことだ?
何日か前に問い合わせてみると、今、日本に向けて空輸中だよって返事が来たんだ。
そのメールには、荷物の追跡番号が書いてあったんで、指定されたサイトで確認してみることにした。
ドイツの出版社の香港オフィスから手配がかかり、スウェーデンの運送会社が発送したのが、今月の21日だって。本一冊で、ユーラシアの端から端だなんて、御苦労なこった。
でもって、27日には集積ハブ空港に立ち寄ったことになってるらしいんだが・・・。
一体ぜんたい、俺の買った本は、俺の手元に届くまで、世界中を飛行機に乗って旅しているのか?まる一日あったなら、地球の反対側のブラジルまで行けちまうご時世だ。
恥丘じゃない、地球を何回まわってるっていうんだ?それとも、この21世紀に優雅に船旅かよ?
わからないね。
まぁ、自分の手元に届くまでは、気が抜けないけれど、俺の代わりに俺の買った本が世界の旅を楽しんでるんだと思うことにして置くぜ。それはなかなかに面白い体験なんじゃないかな。もっとも、本にそれを感じる感性が備わってればの話しだけどね。
で、どんな写真集を買ったのかって?それは、着いてからのお楽しみに取っておくことにしようぜ。
読者諸君、失礼する。

2013/03/28

Post #766 本当に記憶に残っていない風景

これ、どこだっけ?
僕としては、ふと目に留まり、余りにも味わい深く、捨て難く、よって本日掲載。
読者諸君、失礼いたす。

2013/03/27

Post #765 God Bless You

HomeTown
お金がないことは、みじめなことかもしれません。

私自身も、そんなに余裕があるわけではありませんし、心無い人からも、自分一人が食っていくだけで精いっぱいの下衆野郎と面罵されたこともあります。まぁ、根には持ちますが、気にはしていません。それだけのニンゲンだったと思うだけです。

けれど、本当にみじめなのは、誰からも気にかけてもらえない、誰からも愛されていない、ということなんではないかと思います。

コミュニケーションの技術は、かつてないほどに発達しています。しかし、肝心要の人と人の心のつながり、愛情、思いやりということは、かつてないほどに貧しいものになっているんではないでしょうか。よく言われることですが、そんな気がします。
そんなものがどれほどあっても、実際にお金が無ければ、私たちの生活は立ち行かなくなり、みじめな境遇に陥ってしまうことは、十二分に解っています。

けれど、それだからといって、お金さえあれば、心豊かに生きることができるのかというと、そういうもんでもないでしょう?イエス様だって、人はパンのみにて生きるにあらず、って言ってたでしょう。
人は独りで荒野のような世界を生きていくことはできないんだから。

許したり、うちとけあったり、見返りを期待せずに手を差し伸べたり、分かち合ったり、そういうことが必要なんじゃないでしょうか。

それも、抽象的な遠くの誰かではなく、自分たちの手の届くところにいる身近な人々に。イエス様も、『汝の隣人を愛せ』と言ってますよね。誰かの支えになってあげることで、誰かに必要とされる人間となる、それは少しばかり素敵なことじゃないかって思う訳です。
毎日、仕事に忙殺されながら、そんなことを考えています。

先日、祖母の四十九日の法要の際に、和尚さんといろいろと話をしていたんですが、箸にも棒にもかからんような人間に対して、ただあるだけでよいのだと、力の限り生き抜き、浅墓な人間の尺度では価値を見い出すことすら難しい、私たちの人生そのものを、受け容れ、認め、救ってくれるような存在としての仏=超越者が必要なのではないかと、私は調子にのって語っていました。
つまり、死者を弔うだけの教えではなく、実際に生きて悩み苦しんでいるニンゲンに、寄り添い、その人生の価値を担保する様な教えこそが、本来の宗教であるべきだし、これからもっと必要とされる『教え』なのではないかということです。

中上健二の『千年の愉楽』に出たきたオリュウノオバのように、『ただ、あるがままに生きてあればよい』という、人間存在に対する、絶対的な肯定です。
オリュウノオバは路地と呼ばれる被差別部落の産婆で、自らが取り上げた男たちが、女たらしやシャブ中やヤクザ者といった、卑小極まりない存在となっても、自らの子供のようにいとおしみ続けます。そして、その男たちが、その生を全うしえず、その命の正しい使い方を見い出すことが出来ぬままに、生命の絶頂期に突如として死んでしまうことを、悲しみつつ、愛おしむのです。

どんな有用な人も、有能な人も、時代の流れの中では、いつかその能力は陳腐化してしまいます。
また、ニンゲンである以上、いずれ年老い、自分のこともままならなくなってしまうことでしょう。
そこから思うに、人間とは、根本的には無能でダメダメな存在なんではないでしょうか?
経済的な有能性、合理性を持つ人間がもてはやされていますが、その背後には、それらの人々の何倍もの無能でダメな人間が犇めいています。そして、その多くの人々も、私やあなたと同じように、社会に打ちのめされ、悩み苦しんでいるわけです。
その無能でダメな人間を人間の尺度にしないと、この人間世界は持ちはしません。選民思想が幅を利かすようになってしまうだけではないでしょうか?

厄介ごとを避けるのではなく、厄介ごとを背負いこむこと。独りで悩み苦しむのはなく、誰かと悩みを分かち合うこと。それが、自分の人生に意味を与えることになるではとも、思います。
むろん、無力な一凡夫たる私には『God Bless You!』と祈るくらいしか出来ることはありませんが。つまり、私も役立たずの一人という訳です。
一見、イイことばかり言っていると、つまらない奴になったように感じられるかもしれませんし、偽善者だと思われるかもしれませんが、私も悩みながら書いているわけです。毎日、そんなことを考えて暮らしています。あなたはどうですか?

読者諸君、失礼する。 

2013/03/26

Post #764

Paris
昨日に続いて、パリの下町のおやっさん。
読者諸君、失礼する。

2013/03/24

Post #762 庶民的な休日

Osaka
明日からまた、怒涛の勢いで現場が始まる。
単発の現場が一発と、その後一週間ほどの短期決戦の現場が2連チャンだ。4月の半ばまで休んでるような余裕は、無い。今年も花見で昼間から酒かっ喰らってなんてこととは、無縁だ。
だから今日は、カミさんと一緒にちょっと出かけて気分転換してきたわけだ。
車を転がして、織田信長の居城であった岐阜城に行ってきたんだ。
そう、片道大人一人600円のロープウェイで山頂迄登り、岐阜城(岐阜城ってのは金華山という山のてっぺんに聳えている山城です。ココからは濃尾平野が一望できます)の天守閣に登ったりしてきたんだ。
はい、これが岐阜城。鉄筋コンクリート4階建て
信長どて丼というB級グルメを展望レストランで食い、すっかりすれっからしのタイワンリスが放し飼いされているリス村で、丸々太ったでっかいタイワンリスを眺め、鶯の鳴く山道を、とろとろ歩いてふともも、じゃないふもとまで下ってきたって訳です。
まったく、絵にかいたような庶民の休日です。人間の営みなんて、こんなもんです。
そんなわけで、特にお話しするほどのこともありませんね。
本当は、毎日仕事をしながら、いろんな事を考えているわけなんですが、それはまた別の機会に譲りましょうかねぇ。なんたって、まとまった内容を書いていこうとすると、これでも結構時間もかかるし、大変なんですわ。
下手なこと書いて炎上しても困るし。とはいえ、そもそも炎上するほど、誰も見てないってのもありますがね。

しばしば、そんなに読んでくれる人もいないようだし、コメントを頂くこともマレだから、どうにも張り合いがないんでブログを止めてしまおうかと思うことがあるわけですよ。
賽の河原に石を積んでいるような徒労なんじゃないかって、思う訳です。
そう、こんな能天気な俺でも、弱気というか、何やってんだよ俺、って気になるときぐらいあるわなってこってす。ニンゲンだから、当然だろう。何といっても、揺れ動き、煩悶するのが、人間の醍醐味だよ。
とりわけ、体力、精神力の消耗が激しいときには、そういった後ろ向きな気分になっちまいがちです。それは、誰しもおんなじでしょ?
けれど、いつもそんな時に限って、読者の方からメールをもらったり、コメントを頂いたりして、励まされては、ここまでやってきたわけです。
つまり、あぁ、何処かに読んでくれる方がいるんだから、まぁ、ここは一丁、無理せずのんびりと、行けるとこまで行こうじゃないのって気になるわけです。
ここ最近も、忙しくってプリントもできないし、PVは減ってきてるし、なんだかそんな気分だったんですが、先日、Google+経由で、同年代の読者の方からメールをいただきまして、既にこのブログってのが、俺個人のものでありながら、熱心な読者の皆さんに支えられているというか、そんなコアな読者の皆の衆のものでもあるんだなぁと、実感した訳です。
まぁ、いつもながらなかなかにコメントに困るような文章だったり、決してイイとは言い難い写真ばかりなんですが、やはりこういった道楽を通じて、新たにご縁が出来たりするってのは、世の中まだまだ捨てたもんじゃないぜって気になります。仕事がハードになってくると、手抜きになったり、休んだりしてますが、止めるわけにはいかないぜ、こりゃってのが、正直な気持ちですね。
お名前をそれぞれにあげることは差し控えさせていただきますが、要は今読んでくれている読者諸姉諸兄、いつもありがとう。今後とも、一つよろしく。
失礼いたす。 

2013/03/23

Post #761 記憶にも残らないような風景

HomeTown
それこそを撮影すること。それはカメラを持った俺の使命の一つ。
カメラは、そこいらの可愛らしい猫ちゃんを撮ったり、どうでもいいような昼飯を撮ったり、誰もが見たことのある、風呂屋のタイル絵のような風景を撮るためだけに、あるのではなくって、誰の記憶にも残らないであろう、しかし、かつてこの世に確かにそれはあったという、揺るぎの無い証しとして、写真を遺すためににも、使用可能なものだと、俺は確信している。
読者諸君、すんずれいします。

2013/03/22

Post #760 CatFish

Paris
今日は、午前中に一件打ち合わせを終わらせてから、家に帰ってプリントするつもりだったのに、午後から打ち合わせに来てほしいと電話で言われ、俺は憮然とした。
仕事と写真とどちらが大切かと問われたら、すかさず写真と答えよう。
女の子二人から、わたしと彼女、どちらが大切なのよ!と訊かれたら、結構悩むかもしれないが、それは同じステージにあるモノの中から一つを選べと言われていることなので、悩ましい。
けれど、仕事と道楽というのは、仕事はあくまで、道楽を可能にするための手段であるという位置づけなので、この質問に関しては、いささかも躊躇することなく答えることができる。
俺のやってる仕事は、まぁ、他のニンゲンでも大過なくこなすであろうが、俺の写真は俺にしか扱えないのだ。他人様の手を煩わせると、それはすでに俺の写真では、ない。たとえ、俺が撮影した写真であろうとも、だ。
写真を撮り、プリントして、初めて自分の写真になるのだ。
もちろん、世の中には自分は撮る専門で、プリントは他人任せっていう人もいる。アンリ・カルティエ・ブレッソンもその口で、彼にはピエール・ガスマンという優秀なプリンターがついていた。分業制という奴だ。
一方で、森山大道のように、暗室で写真を造り上げるというタイプも確かに存在している。俺はこの家内制手工業というか、職人じみた流儀が好きだ。
パチリと気楽にシャッターを押すだけでは、それは完全に俺の写真にはなりきっていないんだよ。
解るかなぁ。解る奴にだけ解ればいい。そういうもんだ。
魚を釣ってきたからって、自分でさばいて料理しなけりゃ、俺の料理とは言えないだろう?
もっとも、俺がする魚釣りと言えば、近所のドブ川でもそこそこ釣れるナマズ釣りだけ。古タイヤが沈んでいるような、パチンコ屋の裏を流れるドブ川のナマズなんて食いたくもないぜ。
これがナマズだよ、ナマズ。
夜行性のナマズを釣るのは夜しか出来ない。夜勤の帰りに、ちょいと近所のドブ川によって、ルアーを放っちゃ引きしていると、闇の水面から、ゴボッ!バシャ!という音がする。ナマズが針にかかった音さ。掛かっちまったら、あとはゆっくりとナマズの動きに合わせて、糸を巻き上げ、網でそっとキャッチするわけだ。奴らは網のなかで身をくねらせて、大騒ぎだ。
寒い時期には、ナマズはどうしてるのかよく解んないが、釣ることはできない。きっと泥のなかで冬眠しているんだろう。ムーミンもびっくりだぜ。まぁ、いずれにせよ、これからがシーズンだ。

思うに、暗室のなかでのプリントも、闇の中から写真がガバリと浮かび上がってくる所は、ナマズ釣りとどこか通じるものがあるかもしれんな。やっぱり素敵なもんはみんな、闇の中から現れるのさ。
俺の写真もナマズも、どっちもモノクロだし、ぬらぬらしてるし。
てことは、俺の写真てのは、まぁ、魚拓みたいなもんか?
どうでもいいけど、マン拓ってのも、むかしちょっと流行ったな。それがなんだかわかんないなら、分からないままでいいさ。しょうもないことだからな。

ナマズはラジオペンチで針を針を抜いて、夜の川に帰す。
けれど、写真は、こうして君たちに見てもらうことになるのさ。
そんなナマズ釣りも、去年は忙しくって一度も行っていない。
今年は少しは行きたいものだ・・・。それに何より、今年はプリントをもっとしたいもんだ。

昼間は暗室にこもってプリントし、晩飯を食ってから、釣竿と網を担いで釣りに行く。
小学生から学校を取り去ったような、すばらしい暮らしだ。たまには泥臭いナマズの蒲焼なんか、食ってみるのも悪くはないかもしれないな。話しのネタにはなるだろう。いがいといけるかもしれないしな。もしそうだったら、そりゃ儲けもんだ。君も一緒にどうだい。
まったく、そんな暮らし、夢みたいだねぇ…。

読者諸君、失礼する。夢は眠ってみるもんか・・・。 

2013/03/21

Post #759 ばれない嘘をついておくれよ

Osaka
女の人の嘘には、時折驚かされます。

けれども、出来ることなら、女の人の嘘には寛大でありたいと思っています。
男の嘘には、同じ男として、許し難い憤りが迸ります。
一度裏切った奴を、二度と信用する気はありません。
おかげで、めっきり友達が少なくなって、寂しい中年になってしまいました。

それに比べて、女の人の嘘によって、世の中の『もののあはれ』が紡がれていくような気がします。
まぁ、それを言葉通りに信じてしまう男に非があるのかもしれません。

けれど、出来ることなら、死ぬまでばれないような嘘をついて欲しいと思います。

すぐに、馬脚を現すような嘘は、どうにもやりきれなくっていけません。
騙されたふりをするのも、おっくうなものです。
そして、どうしてそんな嘘をつかねばならなかったのだろうと、その人の境遇や生き様や、人間性について、どこか悲しい答えの出ない疑問を、随分と長い間持ち続けることになります。
ばれないウソは、そんなゴルディアンノットのような解けそうで解けない疑問を生じさせることもなく、お幸せな夢を見せてくれるでしょう。

なに、完全無欠でなくったってイイんです。
僕がこの世からいなくなるまでの、ほんの短い間、ばれないでいてくれたらいいんです。
どうせ人生は、不確かな未来と、あやふやになってゆく過去のはざま、捕まえようとするとするりと過去に過ぎ去ってしまう現在の連続体。どこか幻めいたものなんですから。

もちろん、写真の女性と、今日の文章の内容は、まったく関係ありません。
私の周りには、私に嘘をついてまで、私から何かを搾り取ろうとする女の人はいないからです。
何故って、私はすこぶる稼ぎが悪いからね。

それはそうと、今日David Bowieの10年ぶりのアルバム、The Next Dayを買ってしまいました。
10年ぶりのアルバムで、もう引退したと諦めていた人々は、奇跡を目にしたかのように喜ぶ一方、10年も沈黙していながら、変わり映えしないじゃないかという批判的な意見もあるようです。
そのどちらにもくみせず、純粋にCD屋で試聴してみて、気になって買った私ですが、これはこれでなかなかに素敵なアルバムだと思うけどね。
まぁ、David Bowie以外の何ものでもないってカンジだし。
だいたい、スゲー奴はいつだってマンネリなもんだと思うよ。

読者諸君、失礼する。

2013/03/19

Post #757 このサル野郎!

Bari,Indonesia
と、怒鳴りつけてやりたくなるような奴が、ゴマンといます。
しかし、実際のサルは、なかなかに機敏かつ凶暴で、実は侮れません。
いつも上から目線で偉そうなくせに、こっちの手を借りることになった瞬間に、急に謙虚になるっちゅうか、猫なで声でお願いしてくるような奴を、自分は嫌っています。そんな手合いには、うるせー、このサル!とか言って、バナナの皮でも投げつけてやりたくなります。実際には、こう見えて常識もオプション装備した社会人なので、ぐっとこらえて、黙々とこなしてしまったりしてしまいますが、はらわたが煮えくり返っています。まるで、もつ鍋のようになっています。
ちなみにもつ鍋とか、痛風が怖くて食ったこともありませんがね。
数少ない貴重な読者諸君、失礼する。

2013/03/18

Post #756 遠くに行きたい

Marrakech,Morocco
言葉も通じないような、遠い場所に行きたい。
空気を読んだり、わずらわしい書類を作ったりにはもう飽き飽きだ。
あっさりきっぱり、詩を捨てて、アフリカで武器商人になった、あのランボーのように、遠い異国から、無味乾燥な手紙を送るのさ。
君たちのことを、旅の空から思い出そう。
そうして、そっけなく写真を送り届けよう。
まだ見たことの無い遠い国、遠い街に行きたいな。
読者諸君、失礼する。

2013/03/17

Post #755 中毒

Istanbul,Turk
今や世界中、どこだって忙しい。
これも皆、携帯電話のおかげ様だ。携帯電話が無かったころ、どうやって仕事が進んでいたのか、もう思い出すことも、想像することもできない。
携帯電話を手放すことが出来たら、どんなにすっきりすることか・・・。自分の心と、目の前の世界に、じっくりと対峙することができるような気がするよ。
けど、無理だろうな。まぁ、これは一種の中毒に近いよ。
読者諸君、失礼する。

2013/03/16

Post #754 雑踏が俺を呼んでいる

HongKong
マシンのように働いているうちに、温かくなってきた。俺は上半身裸で窓を開けたままこのブログを書いている。少し前までは震え上がっていたのに、今は快適だ。

上半身裸ってのは、レッドホットチリペッパーズみたいで、ロックな体臭が漂うので、好きだ。もう少し胸板が厚けりゃ言うことなしだ。
ただし、胸毛ボーボボは勘弁して欲しいぜ。イタリア人男性のようなフェロモンが発散されそうじゃないか?ボーボボは髪の毛だけで充分だ。
こう暖かくなってくると、カメラを持って雑踏に繰り出したくなる。
俺の住んでる名古屋の町の連中も、温かくなりゃ自然と地下街からはい出してくるだろう。
昔から名古屋人は地底人みたいなもんだからな。
大昔、アラーキーも名著『写真への旅』のなかで名古屋のアマチュア写真家のグループの人々を『モグマン』つまり、モグラ人間と呼んでいたっけ。

俺は正月以来、ある会社の専属みたいにして働いているんだが、これにはもういい加減飽きてきた。会社員みたいに毎日事務所に通って働いていちゃ、いったいぜんたい何時写真を撮ったり、プリントしたりできるんだよ。俺は鎖のついた飼い犬じゃないんだぜ。野良根性が染みついているのさ。そんな風に俺を囲い込んだって、所詮社員じゃないんだから、何の保証もしちゃくれないんだろう。使い捨てさ。都合のいいようにこき使われるのが関の山さ。
冗談じゃない。そろそろトンズラしたいぜ。
雑踏が俺を呼んでいるんだ。
欲望と打算とが渦巻く街が。統一性の無い醜悪な建物と、購買欲を刺激する看板だらけの街が。ネオンと着飾った女たち。疲れ切ったサラリーマン、将来の見えない若者たち、どんな悩みとも関わりなさそうに見える子供たち。

そう、そういった有象無象の老若男女を写真に収めること、それこそが、俺の本当にやりたい仕事だ。俺のコンタックスが泣いているぜ。トライXは冷蔵庫のなかで、震え上がりながら出番を待っているんだ。Ok,もう少し待ってろよ、可愛いガラクタども!腹筋でもしてベストコンディションを保っておいてくれや!

読者諸君、失礼する。そんな思いを抱きつつも、今夜もまた夜の百貨店で、不毛な戦いを繰り広げるのさ。

2013/03/15

Post #753 夜の街角に関する疑問

HomeTown
いつも夜、閉店後の百貨店とかで仕事をしている。
車を駐車場にぶち込んで、荷物を持って歩いていると、しばしば目にするのが、ホストのアンちゃんたちだ。金髪に染めた髪を逆毛にし、細い眉に、これまた細いスーツでそこいらに固まっている。どこか手におえないような粗暴さを秘めつつも、中性的な雰囲気も醸し出している。
俺は、彼らを横目でちらりと見ながら、作業服に荷物を抱えて現場へと足早に向かう。男くささが立ち込めてしまう。

細身のスーツってことで言えば、俺も似たようなものかもしれないが、俺のは遠い昔のイギリスのモッズやスカの系統をひく正統派のつもりだ。
それは、もっとさかのぼると、大昔のアメリカのブルースマンに辿り着く。

心にブルースを抱えていなけりゃ、人生は薄っぺらいモノになってしまうだろうよ。

俺は奴らが同じ男性として、どうにも生理的に好きになれない。人を見かけで判断してはいけないと思いつつも、どうしても好きになれない。何だかべっちょりしていて、嫌になる。
女性はああいうのが好みなんだろうか?
そこで、翻って考えてみる。

一般的な女性から見て、キャバ嬢みたいなのはどうなのよ?
つまり、俺がホストのあんちゃんたちを見て、何だか言いようのない嫌悪感を感じるように、一般的な女性から見て、キャバ嬢そうろうな恰好をした夜の女性たちは、どう見えるのかということだ?
キレイとかカワイイとか思うんだろうか?それとも、自分たちとは明らかに異質な集団として、認識しているのだろうか?
俺は女性じゃないので、わからない。
まぁ、男性の立場でいえば、クラクラすることもたまにはあるってことだ。
そう考えると、ホストのアンチャン達の、あのなよっとしていながら、何処か粗野で一種ヤンキー的な雰囲気も、時には女性にとって魅力的に映るってことだろうか?
どうでもイイ疑問ではあるが、誰か女性の方に教えてもらいたいぜ。

読者諸君、失礼する。

2013/03/14

Post #752 いい女を見ると口より先に・・・

Bruxelles
むかし、鮎川誠(若い人は知らないかもしれないな、福岡出身のいかしたロックミュージシャンだよ)のシーナ&ロケッツの歌に、
♫Oh Yeah!俺はバックドアマン、ヤバいことが大好きさ
 いい娘見つけりゃ、口より先に、マジックサムが踊り出す・・・、♫
なんて歌があった。もう何十年も聴いていないので、多少間違ってるかもしれない。
しかし、一体ぜんたい、あのLPはどこに行ってしまったんだろう?
もう30年くらい前に出たアルバム、ニュー・ヒッピーズに入っていた曲だった。今じゃ当然廃盤だろうよ。残念だ。あんなすばらしいバンドのLPが売っていないなんて、日本はどうなってるんだ。
その当時は、マジックサムっていまいちピンとこなかったが、充分すぎるほど大人になってしまった今の俺には、それがチンだってことがよく解る。
で、俺の場合はいい女を見ると、口より先にカメラが動き出すってことさ。
カメラを持ってないと、どうにもこうにも落ち着かないよ。きっと、チンを家に置き忘れてきたら、どうにもこうにも落ち着かないってのと同じなんだろうな。いや、もちろんチンは脱着可能じゃないけどね。
それにしても、あのシーナ&ロケッツのアルバム、いったいどこに行っちまったんだろうなぁ?無性にもう一回聞きたいもんだ。
♫あなたに飛べる羽根がないなら、僕のスペアを一つあげよう♫
なんてべったべたの歌詞を、博多弁なまりなのか、独特のスタイルで歌う鮎川真のヴォーカルが、無性に懐かしいんだけどね。

読者諸君、失礼する。そろそろ仕事に出かけなくちゃならないのさ。

2013/03/13

Post #751 A Woman In Pigalle

Pagalle,Paris
以前、うちのカミさんとパリの歓楽街、ピガールを歩いていた時のことだ。
モンマルトルの丘の麓に広がるピガールには、有名なムーランルージュもある。ポルノショップやいかがわしい店もずらりと大通りに並んでいる、俺にとってはどこか居心地のいい街だ。
異邦人の俺には、そういった街特有の暗くドロドロした部分はあまり感じ取れない。所詮旅人は表面を擦過するように街を通り抜けるしかない。
映画『アメリ』で、アメリが働いていたカフェ、ドゥ・ムーランもほど近いし、アメリと結ばれる冴えない青年ニノが働いていたポルノショップ、パレスヴィデオもピガールにある。
日本で言うところの風俗街よりも、もっとあっけらかんとしているというか、開放的というか、淫靡なカンジはしないかもしれない。品のよさそうなおばあさんたちが、セックスショップのショウウィンドーに飾られたエロ下着を見て、俺たちに、素敵じゃない?と聞いてきたりするし、真昼間からエログッズ屋に、フツーのおじさんや、おねーさんが後ろめたい雰囲気もなく、フツーに入って行ったりする。
ある意味、居心地のいい街だ。
ストリップショーの店の入り口で客引きをしているキレーなおねーさんに声を掛けられた。上の写真のおねーさんだ。
『ムシュー、ストリップ見ていかない?』
『いや、カミさんと一緒だし・・・。』
『いいじゃない、女性が見ても素敵なものよ』
俺とカミさんは顔を見合わせて、日本とフランスの文化の違いに驚いたもんだ。
結局はいらなかったけどね。入っておけばよかったかなぁ・・・。

読者諸君、失礼する。

2013/03/12

Post #750 心のライバル

Osaka
ここだけの話し、俺は心中ひそかに、自分とほぼ同世代で、写真が趣味の福山雅治を、自分の終生のライバルと思っているんだが・・・、まぁ、もちろん彼は俺のことなんて、これっぽちも知らないと思うけどね。てへっ!

読者諸君、失礼いたす。

2013/03/11

Post #749 俺たちゃみんな忘れっぽい

Paris
あの日から今日で2年になる。
一見、暮らしは平穏だが、震災、津波で家を失い、何より家族を失った多くの人々は、元の暮らしに戻れないでいるし、残念ながら、元の暮らしには戻れっこない。何故って、いくら風景が元通りになったとしても、失われた命は帰ってはこないからだ。それを背負って生きていくしかない。残酷な物言いのようだが、許していただきたい。
しかし、復興とか言って、インフラや企業が再生しつつあることだけを指すのならば、それはなんだか仏作って魂入れず的なモノを感じるってもんだ。
愛する人々の不在。そして、それによって生じる悲しみ。
自分の身に置き換えてみると、想像するだけでも、長い間泣き暮らすしかないのだろうということが実感される。
けれど、その一方で俺達は忘れっぽい。
まだ、放射能の問題はちっとも片付いていないのに、俺たちの(俺は選んだつもりはないけど)選んだ自民党政権は、原子力発電所の再稼働に意欲満々だ。電力業者の集まり、電気事業連合会は原発がなけりゃ、日本の経済はどうにもこうにもなりゃしないんだって顔で、やる気満々だ。原子力発電所が活断層の真上に立っていると、科学的に立証されても、自分たちの子飼いの学者を使って、否定させたり、ごまかしたりと躍起になっている。
そんなに安全なら、大都市の真ん中に作ってみればいいだろう?
日本は、どこだってそんな大地震に見舞われる可能性があるんだって、いい加減解ってくれないかな?
真夜中、仕事を終わって空を見上げる。雲がかかっている日には、はっきり分かる。
空は暗くない。漆黒の闇など、よほどの田舎に行かなけりゃ拝めない。真夜中でもこうこうと燈っている照明のおかげさんで、空はどこか赤味を帯びた、不気味な色合いだ。一時期の節電はブームだったのか?
俺達は忘れっぽいんだ。政治家や電気事業者だけじゃない。俺達ほぼ全員が忘れっぽいんだ。忘れないのは、かけがえのない人を失ってしまった人々だけだ、残念ながら。

読者諸君、失礼する。俺は原子力発電には、明確に反対だ。 

2013/03/10

Post #748 The Big Sleep

Paris
言っておくが、チャンドラーの小説とは何のかかわりもない。
『大いなる眠り』、アレは結構好きなんだけれど、単に今日はよく寝たってだけの話しだ。
ニンゲンは機械ではない。時間があるからといって、それを仕事で埋め尽くすことはできない。
だから休息が必要だ。40代も早半ばに差し掛かると、痛切にそう思うぜ。
今日は久々にゆったりと眠ることができた。神様、ありがとう。
とはいえ、明け方まで仕事をし、24時間営業の飯屋で、朝定食280円をかっ喰らってから、居眠り運転で車を転がして家に辿り着き、崩れ落ちるように眠るという、いささか不健康なものではあるが。

昨晩の仕事の際に、とんでもない話を聞いた。過労死の話しだ。

昼飯を食った後、事務所で眠ったまま、息絶えてしまった職人の話しや、夜勤の間にトイレに入ったまま死んでしまい、翌朝死体で見つかった監督の話を聞いたのだ。
まったく他人事ではない。
しかし、そんな死に方はゴメンだ。

乙女の胸に抱かれながら、眠るように死んでいきたいものだ。

眠りは確かに必要だけれど、そんな『大いなる眠り』はゴメン蒙る。いつも言うが、生きてるうちが花なのだ、死んだらそれまでだ。
ちょうど今、うちのかみさんが仕事で上海に出かけているので、もし俺が仕事から帰ってきて、風呂に浸かったまま死んでいても、誰も気が付きはしないだろうよ。
正直言って、誰かにもっと気にかけてもらいたいもんだぜ。
しかし、俺のことを気にかけているのは、俺を鵜飼の鵜のようにこき使おうとする連中だけさ。悲しいものさ。これじゃ、風呂のなかで死んでいたって、うちのカミさんが上海から1週間後くらいに帰ってくるまで、誰にも見つからないぜ。
幸い、うちの風呂には温度を保っておくような機能はないんで、ゆでダコみたいになって発見されるってことはないからいいんだけれどね。
まぁ、そんな機能がないおかげで、風呂のなかで眠ってしまっても、ほど良いところで目が覚めるって訳だ。いつも疲れきって風呂に入ると、風呂桶のなかで熟睡し、お湯がすっかり冷めてしまって、寒くなってしまうから、否が応でも目が覚めるんだ。酒を飲んでこれをやったら、ヤバいだろうな。そういえば、俺の大好きな伝説のロックバンドFrom京都、村八分のVoだったチャーボーは、風呂のなかでゆでだこのようになって死んでいたと聞いたことがある。俺の友人のケンジさんの話しでは、その時、チャーボーの髪がカツラダッタことが発覚したということだ。何処か寂しい話だ。一応言っておくと、俺のモジャモジャ頭は、母親譲りの天然パーマで、もちろん地毛だがね。
風呂で眠ってしまうと、この話をよく思い出す。
しかし、これをやるとなぜか疲れが取れるからな、やめられないぜ。
さて、そろそろこの快適な布団の中から這いずりだして、仕事に出かける準備をするか。俺には土曜も日曜もない。昼も夜もない。ついでに言うとお金もない。冗談じゃないぜ。

失礼する。

2013/03/09

Post #747 疲れ果てて腰が抜けそうだぜ

Bari,Indonesia
ついさっき、仕事を終えて帰ってきた。
疲れ果てて、腰が抜けそうだ。疲れている時は、どうしても運転が乱暴になってしまう。感覚がマヒしてしまうのかもしれないな。まずは眠ろう。
しかし、今日は法事なんだ。そして、そいつが終わったら、また夕方から朝まで仕事。
身が持たんぜ。誰だよ、労働は尊い、とか吹聴する奴は。身体あっての仕事だろうよ。
悪いけど、眠らせて頂く。じゃぁな。

2013/03/08

Post #746 女とミツバチ

Fes,Morocco
今日は国際女性デーだそうだ。
ロシア革命の際に、女性労働者たちが中心となったデモが、労働者や軍人を巻き込んだ大規模なものに発展し、結果ロシアの帝政が廃されたことに由来するんだそうな。
今でも、旧ソビエト諸国では、この日に女性に花束をおくるらしい。粋な習慣だ。
女性に花束を贈ったのなんて、もう25年くらい前にしかないな。当時付き合っていた彼女の誕生日に贈ったことがあったっけ・・・。今はどうしていることだろう。俺も不実なものだ。
今でも、この先進国とされる日本でも、女性はズイブンとないがしろにされている。少なくとも、俺はそう思う。子供を抱えて、生活に苦しんでいるシングルマザーもたくさんいる。
女性たちの幸福を願ってるぜ。それはきっと、俺達男どもにとっても、もっといい世の中になるような気がするんだがな。

ちなみに、今日はミツバチの日でもあるそうだ。なんかこっちは3月8日にかけたダジャレっぽいけどね。俺は女性もミツバチも大好きだよ。

読者諸君、失礼する。今から仕事に出かけるのさ。

2013/03/05

Post #744 どいつもこいつも仕事中毒かよ?

HomeTown
『私は少年の頃、学校に反対だった
今また、働くことに反対だ』
とは、金子光晴の詩の一節ではあるが、いやぁ、ほんと最近、そうおもいますぜ。
『俺は自由!
48年間、一分一秒たりとも 働いたことはない!』
とは、忌野清志郎の歌の一節ではあるが、羨ましくて仕方ない。

俺は正月からこっち、ある会社で、一月何ぼの契約で働いているんだが、そこの皆さんときたら、朝の9時前から、夜の10時過ぎまで、一生懸命働いている。素晴らしいことだ。
それどころか、土曜も日曜も会社に出てきてごそごそ仕事しているんだ。素晴らしいことだ!その調子だったら、ピラミッドだって作れたりするだろうよ。頑張れ、サラリーマン諸君!
最近入社したばかりだという設計の御嬢さんも、遅くまで黙ってパソコンのディスプレーに向かって仕事をしている。青春が台無しだ。見ちゃいられないぜ。
いくら一月何ぼっていっても、正直言って、俺は付き合っちゃいられないぜ。
何のためにそんなに働いているんだ?そんなに金がもらえるのか?俺がもらってる額からすると、そうでもないような気がするが、どうだろう?
みんな仕事以外にやることややりたいことはないんだろうか?
疑問だ?
俺は、仕事以外にやりたいことが山ほどあるんだ。君はどうだい?
それよりなにより、そんなに長い時間、集中して仕事ができるもんだろうか?
それも疑問だ?
俺は、そんなに集中力が持続する性質ではないんでね。疲れやすいのさ。
だいたいそんなに働いていちゃ、思考停止してしまうぜ。
上の人間が思いつきで言ったことに、何の疑念もさしはさまずに、右向け右で年寄りになるまで進むつもりかい?ロボットじゃないんだぜ?そんなんじゃ、自分が年寄りで上役になった時に、思い付きでしかものが言えない人間になっちまうぜ。
なにより自分の仕事のことしかわからない、視野の狭いニンゲンになっちまうぜ。いや、今時鬱病になったり、過労死する危険の方がデカい。世界でも指折り豊かな国だというが、この状況はどうなんだ?
そんなことより、道楽を突き詰めたり、女の子といちゃついたりする方が、人生ってのは有意義だと思えるんだけどな。俺は心底打ち込める道楽を持ってる奴が好きだ。
俺からすると、どいつもこいつも目的と手段をはき違えている。
所詮、そんなの賃仕事だろう。
かと思えば、仕事にありつけない人々も、巷にはごまんといる。
いったいどうなってるんだ?
俺が巣食ってる店舗業界は、必死になって店を作っても、2、3年もすりゃ、また全てぶち壊して、新しい店を作る。それが世の中のシステムだ。同じ店じゃ、消費者の皆さんに飽きられてしまうんだ。そう、おれたちはホントーに飽きっぽいからな。
で、それで仕事が回ってるという、どこかおかしな業界だ。
極端に言えば、ゴミを作っているようなもんだ。虚しくなってくるぜ。
どうせ作るんだったら、じっくりと時間をかけて、法隆寺とか、サグラダ・ファミリアみたいに、千年残るようなものを作ってみたいもんだ。それなら、寝食を忘れて打ち込むってのも、どこか納得できる。しかし、本当にいいものを作ろうと思えば、寝食を忘れて、マシンのように仕事をしても、いい結果はうまれないっての。
何故って、そんな働き方をしても、人間の創造力ってのは、十分に発揮出来っこないからだ。しっかりかがまないと、ジャンプは出来ないんだ。
俺は怠け者なんだろうか?
別にそう思われてもいいけれど、俺の人生には、やるべきことが仕事以外にもゴマンとあるってことさ。まぁ、そのためにはホドホド働いて、金も稼がなけりゃならないんだが、なんにせよ、バランスってのは大事だろう。そうは思わないかい?
今日の帰り際、その会社のおっさんたちから、会社員になる気はないかねなんて聞かれたよ。
冗談じゃない。俺はこう見えても、独りで看板背負ってフリーランスでやってるんだ。そんな奴隷みたいな働き方、ゴメン蒙る。今更、誰かの手下になるのはまっぴらさ。どうせ、会社員になったら、その鳥の巣みたいな頭をなんとかしろって言ってくるんだろう?放っといてくれよな、まったく。
俺の人生だ、好きにやらせて貰いてーな。
読者諸君、失礼する。俺は心底うんざりしてるんだ。付き合いきれねーぜ。
 

2013/03/04

Post #743 Midnight Bikers

VietNam
南の国に行きたいな。

おおらかに、のびのびと生きられるところに行きたいな。

どうにも最近、ケツの穴の小さな奴ばかりが、俺のまわりに現れるんで、すっかり嫌気がさしているのさ。
失礼する。

2013/03/03

Post #742 The WaterMan

WaterMan In Marrakech,Morocco
かつて、モロッコで皮袋にいれた水を売っていた男たちは、今は水は売ってはいない。専ら観光客の目を楽しませるのが仕事だ。
しかし彼らは、水を売る気持ちを売っているのだそうだ。モノはいいようである。

2013/03/02

Post #741 時間だけが過ぎてゆく

Bruxelles

3か月分の伝票をパソコンに入力するだけで、一日が暮れた。
やらねばならないことは、山ほどあるはずなんだが、どこか漠然としているんだ。どうも夜の仕事が続いたおかげさんで、体内時計がおかしくなっているような気がする。集中力が保てないんだ。こんな夢か現かわからないような調子では、まったくだめなんだ。もっとも、そんなに仕事如きに集中して取り組みたいと思っているわけでもないんだがね。
また、月曜日から殺人的なスケジュールで仕事が始まる。そうなるとまた、一か月休みなしだ。ほとんどが夜仕事だろう。
ゆっくりプリントってのは、まだ当分お預けってことだ。やれやれ。
いったい俺は、どうしちまったんだ?
少なくともいえることは、仕事のし過ぎってことだな。

読者諸君、失礼する。

2013/03/01

Post #740 小説を読み始めると、何も手につかない

Osaka
小説を読み始めると、いつも何も手につかなくなる。
今は、小嵐九八郎の『天のお父っと なぜに見捨てる』を読みふけってる。500ページ余りの長編だ。おととい買ってきたんだが、こればっかり読んでいる。そうじゃなかったら、眠ってる。
今日もおきたら正午をとっくにまわっていた。そして小説を読み、溜まりに溜まった伝票をつけて・・・。
他愛もない一日だ。
この小説は、滅法面白い。勘のイイ読者諸兄諸姉ならば、『天のお父っと なぜに見捨てる』とは、十字架にかけられたイエス・キリストの最後の叫び、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』つまり、『神よ、なに故に我を見捨て給うや』だ。
近年エジプトでたまたま見つかった古代の写本を翻訳したという体裁を取っている。そして、それはイエスを裏切ったとされるユダの手記と、十二使徒の中でもあまり詳しく語られていない熱心党のシモンが、ひそかに教団の内情を報告する手紙とで、視点を変えつつも、イエスの伝道の日々と、その死と再生が語られる。
そして、当時のイスラエルでもど田舎扱いされていたガリラヤ地方の方言を、あえて日本の秋田弁で現して、今までにない、人間臭いイエスの生涯を描いているんだ。
誰が父親ともしれぬ不義の子として生を受けたイエス、大酒呑みで、金銭に無頓着で、女に弱いイエス、それでいて、人びとの生活の細部まで規定する律法に反発し、病人、貧者、売春婦、徴税人、罪人、役立たずといった、社会から疎外されている人々のために、必死に秋田弁で祈るイエス。その姿は、う~ん、なんつうか、2000年前の話しでありながら、現代もまったく変わらない切実な課題として、私どもの前にそびえている。俺にはそう思える。そこに描かれているさまざまな人間の姿ってのは、実に、今日的な問題で、人が生きている限り、逃れることのできない普遍的な問題なのだって思えるよ。

ひさびさに、読み応えのある小説を読んだって気がするよ。
読者諸君、失礼する。