2013/06/11

Post #842 言葉が軽い

Rabat,Morocco
政治家のトンデモ発言の後には、大抵いつも発言が撤回される。
与野党問わず、よくある光景だ。時には陳謝していたりする。
しかし、何時から言葉ってのは、撤回したり、削除したりすることが出来るようなものになったのだろう。そして、いくらそれを撤回して、なかったことにしようとしても、その言葉を聞いた人間の記憶には、残っているのだ。たいていの人は、すぐにそんなことは忘れてしまうかもしれないが、心ある人はその撤回した言葉と、その人が言葉を撤回したということを忘れず、その人間性を推し量る糧にするって訳だ。
自分の言葉を撤回する・・・。よく解らない心理だ。
不用意な発言を繰り返すのなら、責任ある立場からは退くべきだ。
俺自身は、いままでの人生で、義憤や勢いに任せた言葉で、何度も窮地に陥り、酷い目に遭ったり、しなくていいゴクローをする羽目に陥ってきた。発言の撤回なんてありえないからな。
会社の上司と話し合う時には、相手の目の前にヴォイスレコーダーをおいて、録音しながら話し合ったものさ。
なんせこの世知辛い世の中、思い付きだけでモノを言う奴らが、そして自分の御言葉に、責任を取ろうとしない奴らが、うじゃうじゃとはびこっているからな。

政治家の武器ってのは、言葉しかない。
なのに、その肝心の言葉が、単なる思い付きだったり、何の裏付けも無かったり、人びとの心を傷つけるようなモノだったりすることが、あまりにも多くて、既に誰も気にもしない。この情報の氾濫する時代、大方の人はそんなことはまったく覚えちゃいない。
所詮、政治家のセンセーなんて嘘つきだって、誰も彼もが絶望しているのかもしれない。
言葉が軽いんだ。
恥ずかしいことだ。
本来、言葉には魂がこもっているものであり、古代の人々は、誠のこもった言葉が天に、あるいは神仏に通じることによって、世界を変革することが出来るとすら信じていたほどだ。
至誠、天に通ずという奴さ。
だからこそ、今もなお、他人の心に働きかけて社会を動かしていくことが出来るはずなのに、このていたらくときたら、情けなくなってくるぜ。ドイツのもと大統領ヴァイツゼッカーのように、理念と信念に裏打ちされた言葉を、日本の政治家センセーから、聴いたことが無い。サミシーことだ。

その点で、先日わざわざ中国に赴き、尖閣諸島の領有権に関して、国交正常化の際に、当時の田中角栄総理と、周恩来国家主席の間で、尖閣諸島の領有権に関しては、棚上げするという内々の話し合いがあったという爆弾発言をした野中広務のインタビューは爽快だった。

空港に降り立った野中は、取り囲む報道陣から発言の撤回はしないのか問われて、『それを言うために中国まで行ったのに、撤回するなんてことはない』との旨を明言し、重ねて撤回の意志を問われた野中は、『命懸けで発言したものを侮辱するな!』と激昂した。

発言の是非は個々人の考えがあるだろう。
俺自身は、そういうやり取りがあったってことは充分にあり得るなぁと思う。しかし、何よりも野中広務の怒りに、言葉にかける老政治家の覚悟ってのを見い出して、胸がすくような思いがしたってことさ。
気骨のある人間が、少なくなったってことろうよ。
発言の撤回なんて、薄みっともないことをする様な手合いを、俺は絶対に信用しないぜ。
おまけに陳謝って・・・。日常生活でそんな言葉、使ったことないよな?

読者諸君、失礼する。俺はバカだから、発言の撤回もしないし、反省もしないさ。もっとも、俺が何かを言った所で、所詮は嵐の中の屁の一発ってものさ。スカンクみたいにキツイの一発かましてやりたいもんだなぁ。

読者諸君、失礼する。

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