2013/08/02

Post #894 気楽な商売

Budapest,Hungary
調子にのっていらん事を言って、批判されるとすぐ撤回。
それで何事もなかったことにしようとは、まったくもって気楽なことだ。
そんなことが許されるんだったら、俺の人生、もっと楽に運んだことだろう。向かうところ敵なしだ。
しかし、真っ当な社会人ならば、自分の発言に責任を負わねばならないし、不用意な発言の結果は、自分自身が引き受けねばならないってこともよく分かっているはずだ。そうだろう?違うかい?
俺は目を閉じ、居眠りしてるような風情で、自分の人生の様々な局面に思いを馳せる。
無かったことにしたい、しかしできない、そんな場面の連続だと言ってもイイ。庶民の人生に、撤回なんて調子のいい話はない。
俺はかつて、当時働いていた会社の社長と、俺がもう何もかも馬鹿らしいから会社を辞めたいという話しをしていた時に、社長から『殴ってやろうか?』と言われた。バイオレンスな社風だ。しかし、俺も永年の現場暮らしで、十二分にバイオレンスな青年(当時)になっていた。
売り言葉には買い言葉さ。『殴ったっていいけれど、その瞬間から男と男の戦いだからな、どっちが強いか分かってんだろうな』なんて言い返して、退職が決定的になったことがある。
そこでもし、社長が『いやいや、今の無し、撤回撤回』なんて言っても、絶対に認めなかっただろう。
現実社会では、不用意な言葉を吐くと、ロクでもないことになる。俺は次に入った会社では、会議や上司との面談には、必ずヴォイスレコーダーを持参するようにした。
現実社会では、虎視眈々、自分を護るためにも、そういった涙ぐましい努力が必要だ。
その点、政治家ってのは気楽なもんだ。少なくとも、日本の国内的にはね。日本人は、誤ればすぐに許す。いつからだろうか?織田信長なんかは、自分に敵対した奴は徹底的に叩き潰したんだけどな。なんだか日本には、ミソギはすんだとか、水に流すという変な習慣がある。おかげさんで、いつだって責任の所在はあいまいなままだ。
大陸のニンゲンには、水に流すってことはないんだぜ。
フランツ・カフカの育ったプラハのユダヤ人街にあるシナゴーグ(ユダヤ人の礼拝所)の一つには、ナチスのホロコーストによって殺された何万人もの人々の名前と生年月日が、壁一面に記されている。まるで耳なし芳一のように、壁一面に、家畜のように屠殺されたニンゲンの名前が記されている。ナチスは、その死骸の髪を潜水艦の断熱材に使い、死体から抽出した脂肪から石鹸を作った。異常なまでの合理精神だ。
アウシュビッツなどの収容所で、名前すら剥奪され、機械的に処分されていった人々のことを、決して忘れないと決意しているニンゲンが、そしてナチスによってなされた仕打ちを決して許さないことを誓っているニンゲンが、この世界には確かに存在するのだ。
もちろん、そういったシナゴーグの再建や維持費を拠出してるのは、例の金持ちのユダヤ人だってことを忘れちゃなるめーぜ。
ユダヤ人の皆さんは、撤回したって、絶対に今回のことを忘れてくれはしないだろう。なにしろ、何千年も前に、バビロニア人だのエジプト人だのローマ人だのから痛めつけられたことを、未だにしっかりと記憶しているんだからな。撤回なんか通用するわけがないぜ。
調子にのって、適当なことを垂れ流し、非難されるとすぐ撤回。けれど非は認めずに自分の真意とは違うとられ方をしたと、しどろもどろの釈明弁明。子供じゃないんだから、しっかりしてくれよって思うぜ。
彼らは『覆水盆に返らず』という言葉を、知らないんだろうか?
論語には『自分の過ちはしっかりと反省し、他人の過ちには寛大であれ。そうすれば、信頼される』といったことが記されている。今から2500年も前の言葉だ。これは本当に有益な本で、下らねぇビジネス書なんかが束になっても敵わないのは言うまでもない。
俺達日本人は、全体的に自分の過ちをしっかり反省しない傾向になるんじゃないかって思えるぜ。そして、他人の過ちには過剰に反応する。そんな手合いが増えてきているように思う。
あぁ、今日も下らねぇ話をしちまった。人生の無駄使いさ。夕方仕事に出かけるまで、プリントでもしようかとも思ってたんだけど、うんざりするほど暑いんで、犬のようにだらけて暮らすとするか。

読者諸君、失礼する。政治家ってのは、本当に気楽な商売だな。

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