2013/08/31

Post #923

Paris
久々に仕事が休みだったんで、プリントしようと画策していたのだが、俺の肉体はその計画を追行するだけの余力が残っていなかった。
俺は眠り続けたんだ。ひたすら眠り続けた。積み重なった疲労で、肉体はこわばっていたぜ。しかし、心配はいらない。俺は18時間くらい眠り続けて、かなり回復したんだ。良質な眠りは大切だ。痛感するぜ。
こうして、俺の人生はただひたすら、飯を食っていくだけの労働によって空費されていく。寂しいこった。どうしてこんなに才能豊かな俺が、その才能を存分に発揮する時間すら持ちえないのか、悲しくなってくるというものさ。
しかし、その悲しみなど、君たちにはカンケーないのかもしれない。俺にとっては、あまりにも大きなロストだと思えるんだがね。まぁ、世間には素敵な猫の写真とか溢れているし、どうだっていいさ。

俺は街を歩くとき、当然多くの人々を見る。
その時、目につくのはその人々がそれぞれに持つ、過剰や欠損だ。
指の先が無い男。
刺青の男。
唇の下につきだした小さな牙のようなピアスをした女。
10センチ以上もある付け爪にキティちゃんなんかをゴテゴテつけて、扱いにくそうにスマホをいじっている女。
精神薄弱児、
甚だしく肥満した者。
拒食症かと思う程に痩せた女。
何故か腕時計を両手にした男。
顎に大きなコブのある人間。
ハゲ。
口髭。
容易に感情を表さない小さな目。
たくさんのピアスを付けた耳。
痛んだ髪の毛。
不自然なアイメイク。
キレイな女性の両手に広がる発疹。
びっこ。
がなりながら白いつえを振り回すようにして歩く盲人。
その他もろもろ。

その過剰や欠損こそが、その人間の心の満たされなさや生き辛さを現しているように感じる。
あたかもスティグマのように、その人間を、ニンゲンという抽象的な存在から、個として峻別する印のように感じる。
そういったものを写真に撮りたいと、ふと思うが、それは険しい道だろうなと思う。
何故なら、それを写真に撮るということは、その相手に真正面から対峙し、その心の奥を覗くことに他ならないから。生半可な好奇心でやるのは失礼だろう。
それに俺には時折、他人というのは、自分とは全く相いれない、理解不能な不気味な存在に思えるときがある。間の前に存在していても、その精神は形にしてみることなどできないからな。
日常的なレイヤーの差し障りのない話なら、誰とでもオッケーだ。何も考えないでも、オートで口が回り続ける。
けど、その人の抱える満たされなさってのは、その人間の存在の根幹にかかわることでだろう?
なかなか容易には踏み込むことって、出来ないぜ。
つまり覚悟がいるのさ。
そんなことにいずれチャレンジしてみたいと思うのさ。
ダイアン・アーバスみたいに自殺しないようにしないとな。
読者諸君、失礼する。

2 件のコメント:

  1. 焼きこんでる感じがいいですね。
    自分ならここまでいけないです。

    最近プリントも現像もする時間がなくてモヤモヤしてます。

    こないだ釧路で白黒フィルムを買おうと駅前のカメラ屋に行きました。なんと2軒とも売ってませんとのこと。
    これが時代ってやつでしょうか(涙)

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  2. モノクロフィルム写真は、時代に逆行する営みです!
    斜陽の道なのです。日暮れて、なお道遠しって奴です。今にアマゾンでしかフィルムは買えなくなるに違いありません。
    僕もなかなかプリントできなくて、やになってます。この写真はもう2年位前にプリントしたものです。十年一日、一日千秋でちんたらやってます。

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