2013/09/30

Post #953

Ubud,Bali,Indonesia
インドネシアは世界最大のイスラム教国だが、初めからイスラム教国だったわけではない。
仏教、ヒンドゥー教などを奉じる人々が住んでいた。それが徐々にイスラム教に改宗されていったのだ。バリは、バリヒンドゥーと呼ばれるヒンドゥー教の一亜種を奉じる島でもある。だから、女性はアタマにスカーフを巻くこともなく、髪を晒している。
デンパサールなどの都市部にはイスラムのモスクなんかもあって、昼時には人びとに礼拝を呼びかけるアラビア語のアザーンが聞こえてきたりする。モロッコやトルコなどのバリバリのイスラム圏では、しっくりくるアザーンだが、バリで聴くと、それはどうにも場違いな気がする。
多神教世界を思わせる豊饒さが、バリ島には濃密に漂っているからかもしれない。
山中の小さな町ウブドでは、人びとはもちろん、熱心なバリヒンドゥー教徒だ。
いや、そこで生まれ育つということは、汎神論的な多神教世界に生を受けるということで、神々を信じ、神々を尊び、神々と共に生きて、死んでいくということに他ならないように思える。
それは、とっくに俺たち日本人が失ってしまった感覚だ。制度としての宗教ではなく、そこに暮らす人々の無意識を貫く幻想としての信仰。俺達はそんなものを失って、久しい。
かつては、俺達日本人もバリの人々と同じように、神々にまみれて生きていたのがよくわかる。というか、肌で感じることが出来る。彼らが髪を祀るヒンドゥー寺院のたたずまいが、我が国の神社と瓜二つな印象を与えることからも、それは確かなことのように思える。しかし、俺達はそんな神々と手を切り、神無き世界を選び取った。
それで、バリの人々に比べて、俺達がより幸せなのかどうか?俺には明確にそうだとは言い切れない。
俺達は、神無き社会に生きている。
俺達日本人が奉じる神は、今や資産だ。決して靖国の英霊とかではないと思うよ。
宗教の神々も、お布施という資産供出を要求してくる。貧しきものは幸いかな。
どこか殺伐としてるぜ。

先日、世界基督教統一教会の信者の女性が、呼び鈴を押して眠っている俺をたたき起こしてくれた。実は俺の家の近所に、彼らの布教所があるのだ。

世界基督教統一教会について、ご存じない方のために。
この宗教は一種のカルトで、韓国の文鮮明という自称キリストの生まれ変わりの男によってでっち上げられたキリスト教系を装った団体だ。
一時期、高額な壺だの、高麗人参だのを訪問販売する、いわゆる霊感商法で世間のバッシングを浴びまくっていた。
また、彼らの教義に基づくとされる信者の集団結婚などの奇習によって、カルト宗教として不動の地位を確立している。
蛇足ながら下部組織として、国際勝共連合という、反共産主義団体を擁している。まぁ、共産主義国家が軒並み崩壊変節している21世紀に、そんな団体、あんまり存在意義はないわな。

さて、その女性は最初は聖書の話しとか仕掛けてきたが、慧眼居士の俺は、寝ぼけ眼でも彼女が統一教会だと看破した。エホバの証人なら二人連れで来るのが定石だからな。

彼女は『神様はあると思いますか?』と、ベタベタな質問をぶつけてきやがった。彼女は知らないのか?もうずいぶん前から神は死んだと言われていることを。

俺は目を閉じしばらく沈黙した。
そして目を開くと一言一言ことばを選ぶようにして、『白いひげで白い服を着た、雲の上にいる爺さんみたいな神様はいない。』と答えた。
内心は早く帰って欲しかったが、その一方で完膚なきまでに叩きのめしてやりたかった。キリスト教とかいって、彼女はいったいぜんたい、聖書なんて読んだことなんて無さそうだからな。
あらゆるカルトは、人々の無知蒙昧に付け込むのさ。

彼女はイエスキリストの生まれ変わりを自称する韓国人のイカサマ師を俺にアピールしようとしてきたが、俺は一切構わず、重々しく言葉を続けた。

『しかし、この世界に神は存在する。
私自身が神である。
そして、私の前にいる貴方もまた神である。
私たちの目に映る世界を構成するすべてのものが神であり、
その総体がすなわち神である。』
これは俺の偽らざる世界観だ。
役立たずの神様、ハードロックが大好き。そう、それは他ならぬ俺の事さ。
(この神という言葉を仏性に置き換えると、あら不思議、そこには天台本覚思想そっくりのものが現れるのさ。天台本覚思想なんていっても皆の衆分からないだろうから、検索しておくれ)

彼女は度肝を抜かれたことだろう。そう、これを読んでいる君も、もちろん神の顕れに他ならない。それを神と呼ぶ呼ばないは君の自由だが。
しかし、彼女には俺の言っていることを理解するだけの宗教的な素養も無ければ、知識もなかった。あるのは統一教会によって植え付けられた洗脳だけだ。
その証拠に、彼女は文鮮明の本を一冊でもイイから読んでみませんかと、最後の最後まで行っていたからな。冗談じゃないぜ、資産収入の3割も寄付しろとか言ってくる気違いの本なんか欲しくないぜ。ただでさえ俺達は出来の悪い政府にケツの毛まで抜かれてるんだからな。

俺はバリの人々を想う。大自然と渾然一体となったシヴァやビシュヌを奉じることが、生き方そのものとなった、あの優雅な人々を・・・。シヴァもビシュヌもランダもバロンも、訳の分からん胡散臭い壺を買えなんて言わないからな。彼らは何かの下心があって神様を拝んでいるのではなく、神々を奉じることが、自らの存在の様式になっているように、純真に祈っているように俺には見える。まぁ、実際のところはようわからんけどね。ちゅうことにしておこうよ。OK、その方が美しいのさ。

読者諸君、失礼する。
大自然そのものを象徴するような神に、祈りを捧げる人の姿は、俺にはどこか清々しく思える。
俺は時折、この糞溜めみたいな日本でも、そんな人を見ることがある。ごくまれにだけどね。

2013/09/29

Post #952

Budapest,Hungary
今夜も俺は頑張って働いてます。

毎晩毎晩、夜行性の動物のように働いてます。

夜の商売とはいえ、俺の商売は健全な商売なんで、

周りにはむさくるしい野郎共ばかりです。

おかげで夜な夜な飲み歩くこともなく、

色事で道を踏み外すこともなく、

堅実な人生を送っています。

しかしまぁ、いささか物足りない気もしないでもない。

何故って、人生ってのはある意味で、毎日が冒険であるべきだと思っているのですから。

まぁ、所詮は暇潰しなんですけれどね。

読者諸君、失礼する。人生は淡々と過ぎてゆきます。あっという間に9月も終わりです。

2013/09/28

Post #951

Budapest,Hungary
ハンガリー・ケレッティ駅の前で、花を売るジプシーの青年。

ヨーロッパのどこに行っても、ジプシーを見ることが出来る。

とりわけ東欧はジプシーの本場といってもイイだろう。

国家を持たない彼らには、故郷を持たない彼らには、世界はどう見えているのか興味津々だ。

読者諸君、失礼する。

2013/09/27

Post #950

Praha,Czech
たまにはこんなのもイイでしょ。
いつもこのベンチには、呑んだくれたおじさんが座っていた。
写真を撮った時、呑んだくれのおじさんがいなかったのは残念だ。残念きわまる。

読者諸君、失礼する。

2013/09/26

Post #949

Istanbul.Turk
俺個人の想いとしては、オリンピックはイスタンブールでやって欲しかったなぁ・・・。
まぁ、こんなこと言うと、また世間様から非国民扱いされてしまうんだろうが、なぁに構うもんか。
あそこは、すごくイイ街なんだぜ。
読者諸君、失礼する。

2013/09/25

Post #948

Singapore
シンガポールの中華街

路上で華人の老人たちが、髪の乏しい額を突き合わせるようにして、額を彫っている

職人であろう老人は鑿と金槌

見守る二人の老人は、依頼主であろうか

それとも額に揮毫した書家であろうか

はたまた近所の茶飲み友達か

汗ばむような日差しを避けるようにして、

風の抜ける回廊でのんびりと刻んでいく

おそらくは、この老人たちが世を去った後も残るであろう扁額を


それはアジア風な優雅な営み

千年前とて、同じような光景を目にすることが出来たであろうよ

既に我が東方神州日本國では、この手の額は機械が刻む

コンピューターで制御され、納期厳守の味気なさ

風の中に槌音が響くこともない

人の手はすでに、道具を介して素材と語り合うことを忘れてしまった

技術は不要とされ、人間は誰も皆、生きてるだけで穀潰しの厄介者

否、ひたすらに世界を使い潰すだけの虚しい消費者


読者諸君、失礼する。世の中そんなもんさ。

俺が暗室にこだわる理由も、このあたりにあると想うのは、君の考え過ぎだろうよ。

2013/09/24

Post #947

 
Rabat-Sale,Morocco
ここんとこ、政治に関する話をしなくなって久しいけれど、それは俺が自民党さんに、いや、どうにもならない日本のどん詰まりの政治状況に絶望しているからで、アベノミクスとやらの鼻薬が効いて、うまうまと金回りが良くなったおかげさんで、白紙委任しているからではないんだぜ。

民主党野田内閣の時に決まった消費税8%への移行が正式に決まった。
そいつはしょうがない。国民一人当たり800万円もの借金を抱えている我が国だ。
原発処理やオリンピックでも、いったいこれからどれくらい銭が入用になるのか見当もつかないのさ。それに何より国民の3割が、65歳以上の年寄りだ。その連中の年金だの医療費だのにとんでもなく金がかかるって算段だ。消費税は上げなくちゃしかたなかろう。毎日の食いもんから、高級外車、ブランド物なんかの贅沢品まで、一律8%だ。
しかし、消費税を上げた一方で、法人税を軽減するって?何よそれ?

俺はこう見えても、独りでしょぼくれた商売を営んでいる。独り法人だ。だから、消費税を上げる衝撃を、法人税の減額で緩衝しますって理屈には、胡散臭いモノしか感じない。
法人税ってのは儲かっている企業が払うものであって、赤字の企業は法人税をそもそも払っちゃいない。
日本の企業の大半は、吹けば飛ぶような中小零細企業だ。もちろん、俺はその中でも零細も零細。なにせ、社員は俺しかいないんだからな。法人税なんか3年に一度払えればいい方だ。

法人税をドバドバ払っているようなのは、いわゆる大企業だ。経団連に名を連ねていたりするようなデカい会社だ。

日本の大企業全体で内部留保を、なんと150兆円もため込んでいるような連中だ。

そんなに銭をため込んでいながら、状況は厳しいとか適当なこと言って、社員の給料を上げようともせず、儲かっていてもせいぜい一時金を支払うのが御の字という大企業の皆さんだ。

永年会社にご奉公してきた社員を、次から次からリストラして首を切ってきた大企業の皆さんだ。

ロスト・ジェネレーションを生み出した大企業の皆さんだ。

大企業は人材確保の名のもとに、大学生の青田買いだ。
おかげさんで、日本の大学生はロクに高度な専門教育を受けることもなく、社会人になっていく。就活とやらで学問はおろそかになってしまうのさ。日本の中だけで商売してるぶんにはそれでも良かったろうが、世界とガチで渡り合うためには、高度な専門教育とバランスのとれた社会認識が必要だと俺は思うんだが・・。まぁ、いいさ。専門知識を持った人材は派遣から呼べばいいという発想なんだろう、大企業の皆さんは。

俗に追い出し部屋と呼ばれるような部署を作り、そこに年食った社員を放り込んで、慣れない仕事をさせ、自発的に辞めざるを得ないように追い込んでいる大企業の皆さんだ。

法人税を上げようとすれば、海外に移転するぞと、国に脅しをかける大企業の皆さんだ。

その割には、何かというとすぐに、自分たちの都合のいいように国に注文を付けるような、甘ったれた大企業の皆さんだ。奴らはそれを企業経営だと思っていやがる。

日本の経済と雇用を支えていると言いながら、実はとっくに日本国内での製造には見切りをつけ、中国やアジアに生産の基盤を移している大企業の皆さんだ。

俺は、日本というぬるま湯にどっぷりつかってきた日本の大企業の皆さんが、法人税が高くなったからといって日本から出ていったって、生き馬の目を抜くような激しい世界で、生き残っていけるわけがないと確信してるぜ。欧米のグローバル企業に骨までしゃぶられるのが、関の山さ。
(むしろ、そいつらが出て行ってくれた方が、もっとましな連中が海外から日本にやってこないとも限らない。外資のほうが休日だって多いし、給料だって年俸制で明確だ。今時社員の育成にもきちんと金と経費をかけているのは外資のほうだぜ。)

そんなヤクザもんのような恫喝をちらつかせるような大企業の皆さんは、とっととケイマン諸島でもジャージー島でも、好きなところに出て行ってほしいぜ。真面目にコツコツやってる奴らからすると、不愉快で仕方ないんだ。

けど、政治家どもはビビりまくって、法人税を上げるどころか、庶民からふんだくった銭を、奴らに回してやっているのさ。

労働者は安月給でこき使われ、下請けはコスト圧縮の名のもとに大幅に値引きされている。電気代やガソリン代は、どんどん上がっていくというのにだ。
その一方で、大企業の役員やその株を持っている奴等は、富裕層とか言われデカい家に住み、高いマンションを買い、贅沢三昧だ。1500万円もの銭を、孫にぽんと呉れてやっても、相続税を払う必要まで無くなった。結構なこった。
金持ちは、どんどん金持ちになり、貧乏人は日々の食い物まで増税されて、酷い目に遭うってことさ。日本は税負担が低いとかいうけれど、それは嘘だ。俺は自分に払っている給料のうち、2割が毎月お上に税金だの年金だのといってむしり取られているのを知っている。サラリーマンは手取りの額しか気にしてないんだろう。もちろん、それには消費税は含まれていない。ガソリン税もね。俺達はもうとっくにケツの毛まで毟り取られているのさ。

しかも、オリンピック?ゼネコンに対して、どれだけ大盤振る舞いしたら気が済むんだよ。

一般的に企業は善良な存在ではない。企業の目的は、あくなき営利の追求である。
一度安値で発注したら、二度と元の金額に戻すことなんて無い。アベノミクスとやらで景気が良くなったとしても、大企業の内部留保がまたまた積みあがってゆくだけさ。
それが営利集団たる企業の体質だ。

故に経済には正義なんてものはない。弱肉強食の掟があるだけだ。

そんな社会の連中の口車に乗せられて、規制を緩め、税金を安くしてやったとて、労働者の、ひいては俺達一般庶民の生活は、ちっとも潤わない。

社会的正義の名のもとに、富の再分配を行い得るのは政治だけだ。

しかし、悲しいことにこの日本では、政治家は大企業の飼い犬に過ぎないんだ。政治家が爺さんの代から貴族のように振る舞って行けるのも、大企業の皆さんとがっちりタッグを組んでいるからだ。富は大企業の口座に積みあがっている。奴らは、日本の納税者が収めた銭を自分たちのいいように使い、その結果、日本の財政が破綻しても、なんら痛みも感じないだろう。

俺は、日本が民主主義の国だと思えない時が多々あるぜ。
まぁ、安倍総理のことだ、国民大衆が塗炭の苦しみを味わうことになっても、『状況は完全にコントロールされている』とか言うんだろう。
『国民は完全にコントロールされている』の間違いじゃないのかい?そうしておいて、挙句の果てには憲法改悪だ。それについては他日論じる。楽しみにしていてくれたまえ。

読者諸君、失礼する。俺はこの日本の政治状況に、まったく絶望しているのさ。

2013/09/23

Post #946

Zagreb,Croatia
ザグレブの街で見かけた修道女。
目抜き通りをそぞろ歩きしては、女物のバッグや服や水着を物色していた。
信者の若い娘さんたちを理解するためか、はたまた神様にお仕えすることで過ぎ去ってしまった若い日を惜しんでの事か。
読者諸君、失礼する。

2013/09/22

Post #945

Praha,Czech
夜働いてばかりだから、夜の暗がりが恋しいぜ。
読者諸君、失礼する。

2013/09/21

Post #944

Rabat-Sale,Morocco
時折、ふと人間が嫌になり、

意味が煩わしくなり、

日本語の聞こえない遠くに旅立ちたくなる。

道行く人の言葉が、

眠りに誘うような低く優しい声音で歌う鳩の声や、

朝、喚きつつ狂い飛ぶ鴉の声のように、

意味なき音や旋律としてしか聞こえない何処かへ。

義務や権利は言うに及ばず、

立場や名前も色褪せて意味を失い、

自分が単なる異邦人であるというだけの

頼りない存在になれるような見も知らぬ何処かへ

ふと行ってしまいたくなる。

親類縁者は言うに及ばず、係累縁者からも忘れられる程の

遠い何処かに行ってしまいたくなる。

読者諸君、失礼する。もちろん俺は、自分のことは結構好きだよ。

2013/09/20

Post #943

Praha,Czech
心躍るのは、美しい後姿の女性を見つけた時。

スポーツカーのような曲線美。

もしも乗ることが出来たなら、俺の人生をどこか遠くに、猛スピードで連れて行ってくれそうな素敵なボディーだ。

何としても手に入れたいと思うからこそ、シャッターをきる。

はてさて、こんな俺、

女子高生のスカートのなかを撮っては、日々逮捕される不埒な輩と、

いったいいかほどの違いがあるというのかね?

少しばかり、洗練されているだけか?

欲望に芸術みたいな衣をつけて、カラリと揚げて、口当たりよくすりゃ、オイラの写真は一丁上がりさ。

写真にはどこか、窃盗のような後ろめたさがあるものさ。

他人の家のベランダに干された、女物の色鮮やかな下着を盗み見るような背徳感。

そんな俺を、非情なあのオマワリ達に突き出したりはしないでおくれ。

奴らは洒落や冗談はおろか、道楽芸術なんて世迷いごとを理解してくれるとも思えない。

心に姦淫せるものは、姦淫したのも同じこと。

えぇい、心なんて厄介なモノ、もういい加減、どこかに棄ててしまいたいもんだ。

たとえば公園のトイレとか。

隔週火曜日の不燃ごみの日とか。

眼玉そのものになって、写真を撮っていたいもんだ。

けど、心が無かったら、何を見てもぐっと来ないのだろうか?

それはそれで味気ないものさ。

心無い身で、味気ない人生の残りを、どう生きていったもんかねぇ。

読者諸君、失礼する。

2013/09/19

Post #942

Praha,Czech
ふと、写真について語ることの不毛さを想う。
仕事がすっかりヒマになった。しかし、ヒマになったからといっていかないわけにいかないので、仕方なく本を買って読んでいる。森山大道の『昼の学校 夜の学校+』(平凡社ライブラリー刊)だ。
森山大道の本は、写真集も含めて、今まで飽きるほど読んできた。
若い写真学生との対話に基づくこの本は、なんとなくきっと今まで読んできた森山大道の本、たとえば、犬の記憶とかほどリリカルではないし、リリカルな語り口での人生の軌跡を通じて語られる森山大道の写真についての考え方を、若い衆の問いかけに答える形でなぞっているだけだと思っていたので、ずっと買わなかったんだ。
しかし、あまりに暇だったんで、飼ってしまったという訳さ。本なんて、暇人じゃなきゃ読みゃしないさ、今時。
で、読んでて思うのは、もう俺は写真について、今更もうトヤカク考えるんじゃなくって、目の前にあるモノゴトをストレートにフィルムにおさめて、暗室でリアライズしていくだけでいいんだよなという再認識だった。
写真についてあれこれ語ることの不毛さを想う。

読者諸君、失礼する。テーマだの方法論だの、もう今更どうでもイイさ。誰かに認められたくてやってるわけじゃないんだからね。所詮はこんなの暇潰しさ。

2013/09/18

Post #941

Budapest,Hungary
ブダペスト・ニュガッティ駅から、ドナウ川にかかるマルギット橋のほうに歩いてゆくと、橋の少し手前にこの盆栽屋さんは存在している。歩道にキオスクのようなたたずまいで建っている。
ストリートビューでもはっきり確認できるのだ。
何と言っても和服のような手作り感満載の衣装を着て、島田髷の鬘を被ったこのマネキンは、インパクト充分だった。それともこれにインパクトを感じるのは、俺だけで、君たちはふーんで終わってしまうのだろうか?それは世界に対峙する際に、いささか物足りないリアクションだと俺には思えるぜ。まぁいい、感じ方は人それぞれだ。俺の感性を君たちに押し付けるのは忍びない。

ふむ、ヨーロッパでは盆栽が大人気というニュースなら、それ以前に見て知っていたが、実際に見てみるとなにかこう、とても場違いなモノに感じられてしまうのは、俺が日本人だからだろうか。
それとも、これも今はやりのクールジャパンなのか。
いやむしろ、ニセジャポ感が漂うぜ。
しかしまぁ、そうした胡散臭いものとして、文化ってのは受容されていくことだろう。
日本で目にするアジア雑貨の店やイタリア料理店なんかも、現地のニンゲンの目からすると、相当に胡散臭くて、場違いなものに見えてるのかもしれないしな。

読者諸君、失礼する。俺もヨーロッパで盆栽でも売って暮らすか?狭い日本にゃ住み飽きたしな。

2013/09/17

Post #940

Praha,Czech
颱風一過、秋の気配だ。
ほうぼうで、トンデモない事態になっているようだが、幸いなことに俺の住んでいる界隈はいたって無事。結構なこった。
読者諸君、失礼する。

2013/09/16

Post #939

Czech
こんな台風の夜にも仕事に行かなけりゃならないなんて、まいったなぁ・・・。
まぁ、それもある意味おつなもんか。

読者諸君、失礼する。俺の無事を祈っていてくれたまえ。

2013/09/15

Post #938

Budapest,Hungary
今夜も昨日に引き続いて、社会派の面目如躍といった写真をお送りしよう。
このおじさんも、紙コップに通行人からの御恵みを待っている。
しかし、昨日のプラハの乞食のおっさんのように、超人的な努力で道行く人々(そういえば、子供の頃『右や左の旦那様、哀れな乞食にお恵みを』という文言を聴いた覚えがある。今思うと強烈だ)の心に訴えかけてくるようなことは全くない。力なく膝を抱え、うなだれているだけだ。
これはチェコとハンガリーの国民性の違いによるものなのだろうか?一介の旅人に過ぎぬ俺には、そんなことまでわかるわけがないな。単にこの乞食のおっさんが、イロイロ限界に近づいていて、右や左の旦那さま方に、アピールするだけの気力体力が残されていないというだけのことかもしれないしな。
けれど、彼が力なくへたりこんだ、まさにその店の中から出てくる幸せを絵に描いて額にぶち込んだような母子の姿とシンクロすることで、人生の明暗ちゅうのが激しいコントラストで浮かび上がってくるというものだ。
そういう意味では、ある意味決定的な瞬間と言えるかもしれない。
まぁ、俺も撮ってる時にはそこまで考えて撮ってないんだけどね。
たまたまってことさ。強いて言うなら、動物的な反射でつい撮ってしまった、みたいなカンジだ。

だがしかし、ひょっとして、この乞食のおっさん、その対比を計算に入れてここに座っているのだとしたら、なかなかの策士だ。最小の労力で、可能な限り大きな効果を得るというのは、経済的に見ても合理性があるというものだ。
まぁ、そんな策士が乞食に落ちぶれるかってのは、無いとは言い切れないが、あるとも思えんな。やっぱりタマタマか?

まぁ、一見するとどちらが幸福で、どちらが不幸かは一目瞭然として見えるが、そう見えるようでいて、それは本当のところ分からない。
資産量という計測可能な尺度で見れば、両者の吉凶禍福は言うまでもないことだろうが、一歩、人間の精神の領域に足を踏み入れれば、ひょっとしたら、赤ん坊を連れた母親は、何か他からは窺い知れない悩みを抱えているかもしれない。方や、紙コップしか持ってなさそうな乞食のおっさんは、実は何ものも所有しないことで、精神はすこぶるつきの自由を謳歌しているのかもしれない。
それは、一枚の写真からは分からない。

目に見えないモノの世界は、写真には写らない。
当然ながら、それが写真だ。そうじゃなかったら、心霊写真になっちまうからな。

しかし、だからこそ俺達には一枚の写真を見て、イロイロなことを想像する楽しみが与えられているのさ。

読者諸君、失礼する。ちなみに俺は、この人には小銭を与えなかったんじゃないかな、あんまり覚えちゃないけど。俺からすると、やはり、アピールが不足してるってもんさ。

2013/09/14

Post #937

Praha,Czech
プラハの街角の乞食。
彼は左手の薬指が無い。そのことと彼の境遇が関わっているのかどーか、そこはよく解らない。
まるで短距離走のクラウチングスタートのような姿勢で、道行く人々からの御恵みを待っている。
けっこうこの姿勢はきついものがあると思われるのだが、如何なもんだろーか?

プラハは乞食が多かった。浮浪者という言葉は問題の本質を隠蔽する響きがあるので、俺は好きではない。あくまで、乞食と書かせてもらう。かつて、共産主義時代はそんな人々はいなかったのだろうか?時代が移り、チェコはEUに加盟し、否応なしにグローバリズムに組み込まれてゆく。その中で、時代の変化について行けなかったものは、道端で物乞いして暮らすしかないのだろうか。いろいろと想像が広がる。ひょっとしたら、この乞食のおっさんだって、かつて共産主義時代には、結構羽振りが良かったのかもしれない。

そこいらに見かける乞食の半分くらいは、乞食モドキのように見受けられた。
けっこうな大型犬を連れて、身なりも悪くないような奴が道端に土下座するようにうずくまって、物乞いしていた。きっとカフェでコーヒーを飲んだりする金が欲しかったんだろう。犬は退屈そうにしているが、乞食の手で頭を押さえつけられていたりするので、ぐったり動かない。
俺は、その手の乞食モドキには、小銭を与えることはしなかった。
俺が小銭を与えるのは、俺が真剣師と呼んでいた、真剣味がむんむん漂っているような奴だけだ。
その真剣な気迫に負けて、小銭を紙カップに入れてやると、たいそう喜んでくれる。メルシーボクー、ダンケシェーン、サンキュー、謝謝と、知っている限りの言葉で感謝の言葉を述べてくれる者もいた。乞食の芸とも言うべきか。
コインに裏と表があるように、どこの世界にも日の当たる奴と当たらない奴がいるってことさ。
それが現実だ。
読者諸君、失礼する。写真をネタにして文章を書くことは、本当は写真そのものの力を減殺するような気がして、俺は好きじゃないんだがね。たまには良しとするか。

2013/09/13

Post #936

Praha,Czech
昨日のプリントから一枚。
街角のフランツ・カフカ。
神経質そうな視線で、俺を見つめていた。
読者諸君、失礼する。

2013/09/12

Post #935

Praha,Czech
今日は久々に暑かった。今こうしてPCに向かっていても、汗がしたたり落ちてくる。
しかし、俺は今日一日、ほとんど家にこもりっきりでプリントしていたんだ。プラハのネガ2本とブダペストのネガ1本、合わせて48カット。
疲れ切った。いつも言うようだけど、プリントは集中力がいるからな。暑さのあまり休み休みとはいえ、朝の10時から夜9時までやってると、そりゃ疲れちゃうってもんさ。こんなことやってると、冷房の効いたパチンコ屋でパチンコをやってる奴の方が、賢いんじゃないかって思えてくるぜ。
まぁ、いいさ。暑い暗室でプリントする奴、涼しいパチンコ屋でパチンコしてる奴、どっちが賢くたって、しょせんどんぐりの背比べだ。五十歩百歩だ。構うことねぇってもんさ。
今日の成果は、明日以降順次お届けしよう。
しかし、なんだなぁ。今日も内容は薄い。0.02㎜のコンドームのように薄っぺらだ。仕方ないだろう。一日引き籠ってプリントしていたんだから、君たちにお話しするようなことなんて無くたってそれは当然というものさ。
夜中にグミくって、奥歯の詰め物が取れちまったなんて話しても、仕方ないしね。どうでもイイことさ。君にとっても、俺にとってもね。

てなわけで読者諸君、失礼するよ。今夜もまた眠たくて仕方がないのさ。

2013/09/11

Post #934

Budapest,Hungary
本日、眠いのでこれっきり。
読者諸君、失礼する。

2013/09/10

Post #933

Hong Kong
今夜働けば、明日と明後日は休みだ。
気候も良くなってきた。いっちょう、みっちりプリントでもするとするかな。
美容院にも行きたいけれど、生憎今月はいろいろと物入りで金もないときたもんだ。
仕方ない。そんな時もあるさ。
だったらやはりプリントか。
賃労働に関しては、疲労困憊し、休息が欲しくなるけれど、道楽に関しては人間の力は無尽蔵だ。
ハンガリー、チェコ、クロアチア、フィンランド、モロッコ、トルコ、インドネシア・・・、溜まりに溜まったネガは世界中に散らばっている。どこだって選び放題だ。とんでもなくゼータクなカンジだぜ。ざまぁみろ。そうと決まれば、こうしちゃいられないぜ。仕事に出撃するまでに洗濯物をやっつけて、食い散らかしたままの食器をかたづけちまわないとな。

ごく少数の読者諸君、失礼する。せいぜい楽しみにしててくれ。

2013/09/09

Post #932

Ubud,Bali,Indonesia
昨日の夜は、仕事が休みだったんで久々に家でゆったり過ごした。
夜中に風呂桶の中に沈み込み、ゆったりと過ごし体にクソのように詰まった疲れを癒やす。
夜中の2時ごろ、風呂から上がってふと外を見ると、向かいのアパートの前に、パトカーが三台と救急車が一台止まっていやがる。
事件の予感だ。
静かにエンジンだけが回り続けているのが、不思議だ。
暫く見ていると、おう、おう、あう、あうと犬の鳴くような声で呻いている女が、救急隊員の担架に乗せられて運び出されてきた。
たしかそこには、職人風の若い男とその妻と思しき女性が住んでいたはずだ。ひょっとしたら子供もいたかもしれない。
最近、越してきたんじゃなかったっけ・・。その頃から、俺の住むアパートの脇のイチジクの木の前に、黒いハイエースが止まっているようになったんだ。車庫証明はどうなってるんだ?俺は常々、路上駐車が当たり前みたいなその車を苦々しく思っていたんだ。。
Tシャツに短パン姿の若い男が、階段を上がったり下りたりしている、
しかし、俺はカミさんに『そんな野次馬みたいなことしてないで、とっとと寝なさい!』と叱られて、仕方なく眠ることにしたんだが・・・、事の顛末が気になるところだ。
今朝、ごみを捨てに行ったついでに見てみると、そのハイエースは、無残にも両サイドのミラーが根元からもぎ取られ、左前に突き出たサイドミラーも、ボディーから垂れ下がっていた。フロントガラスは、何かを叩きつけられたように激しく亀裂が入っている。
いったい何があったのか?その部屋のカーテンは、閉め切られたままだ。
俺は興味津々だ。
と、そんなことを書いているうちに、今日は歯医者に行かねばならないことに気がついた。
こんなことながなが書いているわけにはいかない。夜も仕事が待っている。

読者諸君、失礼する。夫婦喧嘩は犬も食わないというが、警察や救急のお世話になるようじゃ、困りものさ。

2013/09/08

Post #931

Budapest,Hungary
イシュトバーン大聖堂。
読者諸君、失礼する。

2013/09/07

Post #930


Praha,Czech
秋が来たみたいだ。
日中、暑さに苦しむことなく、心地よく眠れる。
まぁ、眠り過ぎると他に何にも出来なくなっちまうんで、それはそれで考えもんだが。
俺の44歳の夏は、何事もなく、働いて終わったってことさ。
なんとも淋しいものよなぁ。
読者諸君、失礼する。

2013/09/06

Post #929

Ubud,Bali,Indonesia
家で眠っていたら、昼ごろに家にやってきた世界基督教統一教会のおばさんの呼び鈴によっておこされ、とても眠い。
俺の家にはエホバの証人とか保険屋とか、そんなのしか来ないんだ。まったく嫌になるぜ。
君が来てくれたらいいのに。君なら寝不足だって歓迎するよ。
読者諸君、失礼する。よく生きるためには、よく眠ることが大切だ。

2013/09/05

Post #928

Istiklal Caddesi,Isutanbul,Turk
日本でこんなことやったら、新聞に載るようなちょっとした騒ぎになるけれど、トルコあたりじゃ誰も気にも留めない。まぁ、そんなものさ。
読者諸君、失礼する。

2013/09/04

Post #927

Zagreb,Croatia
俺がクロアチアの首都ザグレブを訪れたのは、クロアチアがEUに加盟した直後のことだった。
ザグレブの目抜き通りであるイラジッチ通りでは、軍人たちによるストライキというか、デモが行われていた。尊厳を回復しろ!と書いてあるのが読み取れる。
クロアチアは、EU加盟の条件として旧ユーゴスラビア戦争での指揮官を戦争犯罪人として国際司法裁判所に引き渡すことが求められていた。
それでEUへの加盟は何年も遅れることになったんだが、ひょっとしたらこのデモは自分たちの英雄を、EU加盟のために引き渡してしまった政府への抗議のデモだったのかもしれないとも、俺は想像していたんだ。
とはいえ、このデモ行進、誰も彼も緊張感なく、なんだかお義理で行進しているような風情だったんだけどね。
読者諸君、失礼する。

2013/09/03

Post #926

5歳の頃の俺とオフクロ

先日、家に帰ると机の上にPORTRAITと金色で印字された写真台紙におさめられた一枚の写真が、机の上にのっていた。
俺には身に覚えがなかったが、二つ折りになった台紙を広げ、なかを検めてみるとそれは俺の写真だった。それも、死んだ母親と写真館で撮ったものだ。70年代っぽいカラーネガ独特の色合いが郷愁を誘うというものだ。
ひょろい小僧そのものといった俺は、もう30年も前に癌で死んじまった母親に庇護されるようにして写っている。イマイチカメラ目線じゃないな。おふくろはしっかりカメラを見ているが、この視線のせいで、俺は森の奥から連れ出され、着物を着せられたチンパンジーの子供のようにも見えるというものだ。
格好からすると、七五三だろう。ということは当時俺は5歳。おふくろは何と29歳だ。今からもう40年近く昔の写真だということになる。いったいどうしてこんな写真が机の上に。
カミさんに訊くと、どうやらポストに入っていたようだ。
間違いなく近所に住む俺の親父の仕業だろう。親父は言うなれば独居老人だからな、自分の死後に備えていろいろ片付けておくように、俺は前から言ってあったんだ。まぁ、立つ鳥跡を濁さずという奴だ。非情なようだけれど、遺された者はいつだって、死んでいったもの以外にはさして意味を持たないガラクタの処分に頭を悩ませるものさ。
俺は、このすっとぼけた顔をした小僧が、自分自身だと分かっているけど、何だか実感がわかない。どうにも気が弱そうだし、生っちょろい。肌の色だって、人種が違うんじゃないかっていうくらい違う。
まったくもって今現在の自分自身とは似ても似つかない気がするのだ。むしろ、弟の小学生の娘によく似ているようにも思える。ひょっとしたらここに写っているのは、俺じゃなくって、弟かもしれないなとも思えてくる。
しかし、やはりどうにもこれは俺だろう。
まず、髪の毛が天然パーマだ。こいつのおかげで、ガキの頃から苦労した。
そして何より、一番の特徴はアタマに対して、直角にくっつけたような耳だ。横に出ている。
Praha,Czech
この写真のボーヤがどういういきさつを辿って、こんな箸にも棒にもかからぬ頬骨高く、険しく卑しい目つきの男になってしまったのか。
自分でも茫然自失だ。
映画アメリに出てきた、子供の頃に失くしたおもちゃを、電話ボックスのなかで見つけた男のように、人生の短さと儚さに打ちのめされそうだ。

まったく、人生は、どこか悲しい。それぞれの局面では、右往左往し良かれと思って行動するにしても、こうして数十年のスパンで俯瞰してみると、心の中に無常の風がぴゅーと吹くのさ。

読者諸君、失礼する。こんな写真、見たくなかった。けれどまぁ、せっかくだ。大事にするとするか。

2013/09/02

2013/09/01

Post #924

Denpasar,Bali,Indonesia
今日はこれだけ。
読者諸君、失礼する。