2013/09/03

Post #926

5歳の頃の俺とオフクロ

先日、家に帰ると机の上にPORTRAITと金色で印字された写真台紙におさめられた一枚の写真が、机の上にのっていた。
俺には身に覚えがなかったが、二つ折りになった台紙を広げ、なかを検めてみるとそれは俺の写真だった。それも、死んだ母親と写真館で撮ったものだ。70年代っぽいカラーネガ独特の色合いが郷愁を誘うというものだ。
ひょろい小僧そのものといった俺は、もう30年も前に癌で死んじまった母親に庇護されるようにして写っている。イマイチカメラ目線じゃないな。おふくろはしっかりカメラを見ているが、この視線のせいで、俺は森の奥から連れ出され、着物を着せられたチンパンジーの子供のようにも見えるというものだ。
格好からすると、七五三だろう。ということは当時俺は5歳。おふくろは何と29歳だ。今からもう40年近く昔の写真だということになる。いったいどうしてこんな写真が机の上に。
カミさんに訊くと、どうやらポストに入っていたようだ。
間違いなく近所に住む俺の親父の仕業だろう。親父は言うなれば独居老人だからな、自分の死後に備えていろいろ片付けておくように、俺は前から言ってあったんだ。まぁ、立つ鳥跡を濁さずという奴だ。非情なようだけれど、遺された者はいつだって、死んでいったもの以外にはさして意味を持たないガラクタの処分に頭を悩ませるものさ。
俺は、このすっとぼけた顔をした小僧が、自分自身だと分かっているけど、何だか実感がわかない。どうにも気が弱そうだし、生っちょろい。肌の色だって、人種が違うんじゃないかっていうくらい違う。
まったくもって今現在の自分自身とは似ても似つかない気がするのだ。むしろ、弟の小学生の娘によく似ているようにも思える。ひょっとしたらここに写っているのは、俺じゃなくって、弟かもしれないなとも思えてくる。
しかし、やはりどうにもこれは俺だろう。
まず、髪の毛が天然パーマだ。こいつのおかげで、ガキの頃から苦労した。
そして何より、一番の特徴はアタマに対して、直角にくっつけたような耳だ。横に出ている。
Praha,Czech
この写真のボーヤがどういういきさつを辿って、こんな箸にも棒にもかからぬ頬骨高く、険しく卑しい目つきの男になってしまったのか。
自分でも茫然自失だ。
映画アメリに出てきた、子供の頃に失くしたおもちゃを、電話ボックスのなかで見つけた男のように、人生の短さと儚さに打ちのめされそうだ。

まったく、人生は、どこか悲しい。それぞれの局面では、右往左往し良かれと思って行動するにしても、こうして数十年のスパンで俯瞰してみると、心の中に無常の風がぴゅーと吹くのさ。

読者諸君、失礼する。こんな写真、見たくなかった。けれどまぁ、せっかくだ。大事にするとするか。

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