2013/09/30

Post #953

Ubud,Bali,Indonesia
インドネシアは世界最大のイスラム教国だが、初めからイスラム教国だったわけではない。
仏教、ヒンドゥー教などを奉じる人々が住んでいた。それが徐々にイスラム教に改宗されていったのだ。バリは、バリヒンドゥーと呼ばれるヒンドゥー教の一亜種を奉じる島でもある。だから、女性はアタマにスカーフを巻くこともなく、髪を晒している。
デンパサールなどの都市部にはイスラムのモスクなんかもあって、昼時には人びとに礼拝を呼びかけるアラビア語のアザーンが聞こえてきたりする。モロッコやトルコなどのバリバリのイスラム圏では、しっくりくるアザーンだが、バリで聴くと、それはどうにも場違いな気がする。
多神教世界を思わせる豊饒さが、バリ島には濃密に漂っているからかもしれない。
山中の小さな町ウブドでは、人びとはもちろん、熱心なバリヒンドゥー教徒だ。
いや、そこで生まれ育つということは、汎神論的な多神教世界に生を受けるということで、神々を信じ、神々を尊び、神々と共に生きて、死んでいくということに他ならないように思える。
それは、とっくに俺たち日本人が失ってしまった感覚だ。制度としての宗教ではなく、そこに暮らす人々の無意識を貫く幻想としての信仰。俺達はそんなものを失って、久しい。
かつては、俺達日本人もバリの人々と同じように、神々にまみれて生きていたのがよくわかる。というか、肌で感じることが出来る。彼らが髪を祀るヒンドゥー寺院のたたずまいが、我が国の神社と瓜二つな印象を与えることからも、それは確かなことのように思える。しかし、俺達はそんな神々と手を切り、神無き世界を選び取った。
それで、バリの人々に比べて、俺達がより幸せなのかどうか?俺には明確にそうだとは言い切れない。
俺達は、神無き社会に生きている。
俺達日本人が奉じる神は、今や資産だ。決して靖国の英霊とかではないと思うよ。
宗教の神々も、お布施という資産供出を要求してくる。貧しきものは幸いかな。
どこか殺伐としてるぜ。

先日、世界基督教統一教会の信者の女性が、呼び鈴を押して眠っている俺をたたき起こしてくれた。実は俺の家の近所に、彼らの布教所があるのだ。

世界基督教統一教会について、ご存じない方のために。
この宗教は一種のカルトで、韓国の文鮮明という自称キリストの生まれ変わりの男によってでっち上げられたキリスト教系を装った団体だ。
一時期、高額な壺だの、高麗人参だのを訪問販売する、いわゆる霊感商法で世間のバッシングを浴びまくっていた。
また、彼らの教義に基づくとされる信者の集団結婚などの奇習によって、カルト宗教として不動の地位を確立している。
蛇足ながら下部組織として、国際勝共連合という、反共産主義団体を擁している。まぁ、共産主義国家が軒並み崩壊変節している21世紀に、そんな団体、あんまり存在意義はないわな。

さて、その女性は最初は聖書の話しとか仕掛けてきたが、慧眼居士の俺は、寝ぼけ眼でも彼女が統一教会だと看破した。エホバの証人なら二人連れで来るのが定石だからな。

彼女は『神様はあると思いますか?』と、ベタベタな質問をぶつけてきやがった。彼女は知らないのか?もうずいぶん前から神は死んだと言われていることを。

俺は目を閉じしばらく沈黙した。
そして目を開くと一言一言ことばを選ぶようにして、『白いひげで白い服を着た、雲の上にいる爺さんみたいな神様はいない。』と答えた。
内心は早く帰って欲しかったが、その一方で完膚なきまでに叩きのめしてやりたかった。キリスト教とかいって、彼女はいったいぜんたい、聖書なんて読んだことなんて無さそうだからな。
あらゆるカルトは、人々の無知蒙昧に付け込むのさ。

彼女はイエスキリストの生まれ変わりを自称する韓国人のイカサマ師を俺にアピールしようとしてきたが、俺は一切構わず、重々しく言葉を続けた。

『しかし、この世界に神は存在する。
私自身が神である。
そして、私の前にいる貴方もまた神である。
私たちの目に映る世界を構成するすべてのものが神であり、
その総体がすなわち神である。』
これは俺の偽らざる世界観だ。
役立たずの神様、ハードロックが大好き。そう、それは他ならぬ俺の事さ。
(この神という言葉を仏性に置き換えると、あら不思議、そこには天台本覚思想そっくりのものが現れるのさ。天台本覚思想なんていっても皆の衆分からないだろうから、検索しておくれ)

彼女は度肝を抜かれたことだろう。そう、これを読んでいる君も、もちろん神の顕れに他ならない。それを神と呼ぶ呼ばないは君の自由だが。
しかし、彼女には俺の言っていることを理解するだけの宗教的な素養も無ければ、知識もなかった。あるのは統一教会によって植え付けられた洗脳だけだ。
その証拠に、彼女は文鮮明の本を一冊でもイイから読んでみませんかと、最後の最後まで行っていたからな。冗談じゃないぜ、資産収入の3割も寄付しろとか言ってくる気違いの本なんか欲しくないぜ。ただでさえ俺達は出来の悪い政府にケツの毛まで抜かれてるんだからな。

俺はバリの人々を想う。大自然と渾然一体となったシヴァやビシュヌを奉じることが、生き方そのものとなった、あの優雅な人々を・・・。シヴァもビシュヌもランダもバロンも、訳の分からん胡散臭い壺を買えなんて言わないからな。彼らは何かの下心があって神様を拝んでいるのではなく、神々を奉じることが、自らの存在の様式になっているように、純真に祈っているように俺には見える。まぁ、実際のところはようわからんけどね。ちゅうことにしておこうよ。OK、その方が美しいのさ。

読者諸君、失礼する。
大自然そのものを象徴するような神に、祈りを捧げる人の姿は、俺にはどこか清々しく思える。
俺は時折、この糞溜めみたいな日本でも、そんな人を見ることがある。ごくまれにだけどね。

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