2013/10/29

Post #982

Essaouira,Morocco
本日、多忙につき写真のみ。
ヤロスラフ・クセラの話はまたおいおいね。
読者諸君、失礼いたす。

2013/10/28

Post #981

Praha,Czech
プラハのユダヤ人街のはずれに位置するホテル・マクシミリアンにチェックインした俺たちは、部屋でコーヒーを飲んで一息つくと、すぐに写真を撮りに出撃した。
ホレショヴィツェ駅で見かけた、あの超かっこイイ写真が気になっていた俺は、うちのカミさんがフロントでチェックインしている間に、ロビーにおいてあるさまざまなフライヤーに目を通した。
もちろんチェコ語ばかりだからよくわからないんだけど、写真くらいはわかりそうなもんでしょう?
しかし、そこでは何の手がかりも得られなかった。仕方ない、犬も歩けば棒に当たるの精神で行くか。
俺たちはまず、プラハの旧市街の中心、旧市街広場に行ってみることにした。
この広場には、ど真ん中にカトリックに反旗を翻したチェコの宗教家ヤン・フスの巨大な像がある。このジオラマ仕立ての像を取り囲むようにして、カフェが並んでいたり芸人が楽器を演奏していたりもする。また、この広場には有名なからくり時計のある時計塔があり、とんでもない数の観光客が、時を告げるからくりを見に押し寄せる。
プラハは、ボヘミア王国、神聖ローマ帝国の首都という輝かしい歴史のある重厚な街並みがあり、世界中から人々が集まる観光都市でもある。また、どこか共産主義体制による抑圧と、その後の急速な資本主義の発展に伴う、社会の矛盾が、風景の中にわだかまっているようにも感じる。
だから、写真を撮っていて飽きない。
そこの路地を曲がって一枚、その店の前で一枚、てな具合でぐんぐん写真を撮り進んでいく。パリで写真を撮っているのと近いフィーリングだ。
確かに、ここは写真大国だろうなと思う。見ようによっては360度、どこを切り取っても写真になってしまうからだ。
Praha,Czech
旧市街広場にやってきた俺は、ふとある建物の前に掲げられたこれまた素敵な写真に目が釘付になっていた。
巨大な二枚の写真が掲げられている。


右手には、いかにも共産主義時代に建てられていった風情のうらぶれた労働者向け団地をバックに、5メートルほどの盛り土の上にブリーフ一枚でたたずむ一人の幼児の写真。
日差しは強くない。季節は秋なのか。どことなく寒々しさと、切なさが伝わってくる。しかし、それでいて何かを雄弁に語りかけてくるような、物語性を孕んだ奥行きのある写真だ。

左手には木の電柱が並ぶグルーミーな風景の中、一台の車が屋根の上に巨大な鹿のような動物を括り付けるようにして乗せて、おそらくは走っている情景を後ろから捉えたものだ。鹿はハンターによって狩られたのだろうか。その四肢には力なく、頭部は助手席の外側にダラリと垂れ下がっている。霧にかすんだ向うに大きなビルが見える。文明と野生、死と生が交錯する。

これまたカッコいい写真だ!いったいこの国はどうなってるんだ?

俺はその写真の上に記された名前を読んでみた。

VIKTOR KOLÁŘ

ヴィクター・コラーか、それともヴィクトル・コラーか・・・。
いずれにしても、俺の知らない写真家だ。
俺は写真をまじまじと見ながら立ちすくむ。
一人の男が寄ってくる。俺に音楽は好きかと聞いてくる。どうやらここで今夜室内管弦楽のコンサートがあるので、チケットを買わないかということらしい。俺が適当にいなしていると、あんたは学生か?と聞いてくる。よしてくれよ。俺はもう44歳なんだぜ。どうやら東洋人は彼らの目には若く見えるようだった。
正直言って、この男が入り口付近にうろうろしているので、この建物に入ってゆくのが億劫だったが、写真の魅力には勝てない。俺はイイ女にも弱いが、カッコいい写真には、もっと弱いのだ。
そこはプラハ市民ギャラリーだった。14世紀だかに建てられた由緒ある建物で、かつては教会として使われていたとか、王族が一時期住んでいたとかいう話だった。1988年から修復され、市民ギャラリーとして使われているということだ。
しかし、そんなことはどうでもイイ。問題はヴィクター・コラーだ。

コラーは、1941年にポーランドとスロバキアとの国境にほど近いチェコの東の炭鉱都市オストラバに生まれた。13歳の頃、アマチュア写真家だった父親から写真の手ほどきを受けたようだ。彼は、1964年に60枚の写真からなる個展を開き、写真家としてのキャリアをスタートさせた。そして自らの故郷である炭鉱町オストラバで小学校教師や図書館の司書、兵役などを経た後、写真を生涯の仕事にすることに決めた。
1968年のことだった。
そして、プラハの春がおこり、ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が、プラハめがけて進軍していった。当然、国境地帯の産業都市オストラバも、その進路上にあり、ワルシャワ条約機構軍によって蹂躙された。
コラーはカナダに亡命した。
彼ははじめ、マニトヴァ州で鉱山や冶金や写真ラボの労働者として暮らしつつ、写真を撮ったようだ。のちに助成金を受けてモントリオールに移り、作品を発表した。先にあげた車の上に鹿の死体を載せた写真はこのころのものだ。これもカッコいい!
彼には、同じように国外亡命したクーデルカのように、亡命者として西側世界で活躍し続ける道もあっただろう。しかし、彼は5年のカナダ亡命ののち、チェコに、オストラバに戻ったのだった。
彼は、オストラバが、オストラバの人々が忘れられなかったのだ。
そう、彼は写真を通じて世界と格闘するための舞台を、自らの生まれ故郷である炭鉱都市オストラバと定めたのだ。
彼は、共産政府からマークされ、1984年まで写真の仕事を続けることは禁じられた。製鉄所の労働者として、劇場の裏方として働きながらも、彼はオストラバの人々を、石炭産出量の減少に歩調を合わせるようにさびれていく故郷を撮り続けた。
そうして、1984年からフリーランスの写真家として活躍し続けている。
彼のHPを見てみてほしい。いくつかの写真を見ることができるだろう。
http://www.viktorkolar.com/kolar.htm

写真展は、まだ始まったばかりということもあってか、落ち着いた雰囲気で見ることができた。
ぐいぐいと引き込まれる。グレートだ、グレートな写真だ。骨太な写真だ。
過酷な労働に従事する炭鉱府は、真っ黒に汚れた顔のまま、鋭い眼光をこちらに投げかけている。
大型犬を連れて散歩する男の向こう側には、真昼間から男が一人道端に倒れ伏すように眠っている。
製鉄所だろうか、鉄骨の隙間から差し込む光に向かって、二人の男がうつむき加減で歩いてゆく。
絶望したように頭を抱えうつむく女の、タンクトップから除く背骨は、深い陰影を描く。
コンクリートの塊の上に投げ出されたアオサギの死体は、衰退してゆくコミュニティーを暗示しているかのようだ。
TESCOというイギリス系のショッピングセンターの看板の前で綱渡りをする男は、社会の変化に翻弄されながらも、写真に憑りつかれ、写真を通して世界を、そして故郷の人々の人生を掴み取ろうとしてきた写真家本人のイメージに重なってゆく。

共産主義時代から現代にいたるまで、オストラバに暮らす人々の生活が、そこに刻まれたリアルな生活感が、写真を通じて伝わってくる。

見る者に、何かを訴えかけてくる素晴らしい写真が続いていた。
当然ながら写真は目に見える物しか映らない。そうじゃなかったら、それは心霊写真だ。
しかし、見る者自身に写真に写っている人々に対する想像力のかけらがあるならば、写真は目に映らないものまで語りかけてくる。
行間を読むというやつだ。
わからない奴にはわからない。
わかる奴だけわかっていればいい。
けれど、それがわからないような奴と友達になりたいとは俺は思わない。
案内係のおばあちゃんたちに、思わず 『グレート!』と語りかけてしまうほど素晴らしい。
おばちゃんたちは、俺の味わってる感動を知ってか知らずか、ニコニコと笑っている。それでいいのだ。
俺は売店で早速写真集を買い求めた。
その写真集の最後に収められていたのは、綱渡りの男の写真だった。

君にもぜひ、コラーの写真を見てほしい。次回は遂にあのヤロスラフ・クセラだ。
読者諸君、失礼する。今回を入れて最終回まで20回、できる限り全力で行かせてもらうぜ。

2013/10/27

Post #980

Praha,Czech
地下鉄で行くのか、トラムで行くのか、それが大きな問題だ。
俺がATMで引き出した金を使って、キオスクみたいな売店で切符を買った。
プラハでは、地下鉄もトラムも同じ切符で乗れるのだ。
どっちにするか、よく考えてみよう。
頼みの綱のタブレットは、ハンガリーからの車中、カバンの中に入れておいたペットボトルからの水で、ウンともスンとも言わなくなっている。お陀仏だ。
トラムの乗り場へと続くアンダーパスの横には、青年がぐっすり熟睡している。
いったいどうなっているんだ?すがれた風景は別にして、ここは国際電車も発着する駅じゃないのか?さすがは旧共産圏、侮れない。
結局、トラムは乗り換えがよくわからないのと、本数が少ないので地下鉄で行くことにした。
そして、地下鉄の乗り場に行くために駅に戻り、ふとさっき目に入ったポスターが、気になりまくって写真に撮ったのだ。
Praha,Czech
カッコいい写真だ。
この世界には、二種類の写真しかない。カッコいい写真と、つまらない写真だ。
この世界に満ち溢れている写真の大半は、つまらない写真だ。おかしな顔の猫とか、昼に食べたラーメンとか、露出が多いだけで官能的とか言ってるようなレベルの低いつまらない写真だ。
俺が見たいのはそんなんじゃない。
俺が見たいのはカッコいい写真だ。
そんなカッコいい写真が、こんな寂れた駅に貼ってある。
プラハ、なんて文化レベルの高い街なんだ!
思えば、プラハにはヨセフ・スデクがいた。かつて、クーデルカもいた。
どうでもいいが田中長徳も、東京と並んでプラハを拠点にしている。まぁ、彼のことはどうでもイイ。なぜどうでもイイかというと、チェコにはすごく分厚い写真文化があるのに、そんなことは一言も紹介しないで、やれライカがどうしたこうしたと、そんなことばかり言ってるじゃないか?
写真はカメラが重要なのではない。重要なのは、カッコいいか、つまらんか、それだけだ。
野郎ども、よく覚えとけ!
カメラメーカーの口車に踊らされてはいけない。
閑話休題。
この、超カッコいい写真を俺はまじまじと見た。
蓮っ葉な感じの女が、煤けたような街角で、ぞんざいな感じで煙草に火をつけている。ちょっとファンキーな服装センスと、時代がかった髪型から、俺はこの写真は1970年代のものとみた。
60年代末のプラハの春が、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍によって粉砕された後の、東西冷戦構造が、鉄のカーテンが、世界を真っ二つに引き裂いていた時代だ。
それが、当時のチェコスロバキア(このころはチェコはスロバキアと一つの国だった。)に暮らす者にとって、どんな時代だったか、想像も及ばない。
クーデルカも、作家のミラン・クンデラも祖国を追われた。
不自由な時代だったのだ。もちろん、現在が不自由のない時代になったとは言わない。抑圧は形を変えただけのことだ。
女性の背後にはベビーカーが見える。ひょっとしたら、この女性はシングルマザーなのかもしれない。
生活に疲れ切っているような風情が、生きることの重みが、ズシリと伝わってくる。
そして、そんな社会で、写真を撮っていくこと、人間の真実の姿に肉薄してゆくことが、どれほどの社会的な格闘を写真家に強いたのか?
カッコいいぜ!
わからん奴には死んでも分からん。しかし、それでイイ。
わからん奴は、面白い顔の猫の写真でも見ていればいい。それで十分だ。

そして、そこに印字されている名前は『Jaroslav Kučera 』ヤロスラフ・クセラ。
どうやらこのプラハのどこかで、この超カッコいい未知の写真家の写真展が、絶賛開催中だということが俺には分かった。写真の神様(つまり写神だ!)、ありがとう!
俺は、この写真展を必ず見ると決意して、カミさんとともに地下鉄に乗り、ホテルに向かったのだった。
読者諸君、失礼する。
この話は続く。このブログにけりをつける前に、どうしても紹介しておきたい。
日本では、彼のことはほとんど知られてはいないのだから。

2013/10/26

Post #979

Praha,Czech
ハンガリーのブダペストから、長距離列車に乗ること6時間。プラハ・ホレソヴィツェ駅に着いた。
本当は、プラハ本駅で降りたほうが宿にも近いし、市街地中心なので良かったんだろうが、うちのカミさんがハンガリー国鉄のサイトで買った乗車券は、プラハの町はずれ、寂れきったホレソヴィツェ駅に着くものだったのだ。後で気が付いたのだが、このホレソヴィツェ駅の直前に停まった駅がプラハ本駅だったのだ。
道理でたくさんの乗客が降りてゆくと思った。
一緒にハンガリーから乗ってきたインド人の家族も、訳の判らんところに降りることになって、ずいぶんと不安そうにしていた。
何しろ、国際列車が停まる駅にしては、ずいぶんとこじんまりしているし、線路は工事中で砕石が山となっているような有様だ。大丈夫か?
こちとら、プラハなんて全く初めてなんで、旧共産圏はこんなもんなのかしらんといぶかしみつつも、納得しつつも、外に出てみれば、まったく素っ気ない田舎の貨物駅みたいな雰囲気だ。

おもわず、どうやってここからホテルまでたどり着くか、途方に暮れる。
英語は通じそうにないし、ユーロは使えない。
観光案内なんて気の利いたものはどこにも見当たらない。
こいつはいい。

コンクリート打ちっぱなしの、ついでに雑草が継ぎ目からちょろちょろ顔を出してそうなロータリーの脇には、日本でいうところのたこ焼き屋みたいな佇まいのハンバーガー屋なんかがあって、ムチムチしたチェコの娘っこがハンバーガーを買っている。
いかにも生活に倦みつかれたようなおっさんが、太陽の光だけはタダなんだというような顔をして、野良犬のようにぶらぶらしている。
とりあえずATMで金をおろさないとな。うちのカミさんは売店でなんとかユーロで切符を買おうとしたり、両替しようとしている。しかし、うまくいっっていないようだ。俺はゆっくりと煙草を吹かしてから、がらんとしたコンコースでATMを探し、カードを突っ込んでチェコ・コルナを引き出した。これでホテルまで移動することができるってもんだ。任せとけってんだ。
コンコースでは、さっきの娘っこたちが、突っ立ったまま、もりもりとハンバーガーをカッ喰らっている。そりゃムチムチもするはずだ。
Praha,Czech
俺は、あとあと振り返ってみると、近代的で壮麗な外観を持つプラハ本駅じゃなくって、このホレソヴィツェ駅で降りてよかったと思ってる。いやむしろ、旅というのはこうでなくっちゃな。
なぜって、この駅に降りたことによって、俺は日本ではさほど知られていない写真大国、チェコの片鱗を垣間見ることになったのだ。
しかし、それは明日にしよう。あんまり長いと書いてるほうも疲れちゃうけど、読んでるほうも疲れちゃうだろう?
読者諸君、失礼する。期待しないで待っていてくれたまえ。

2013/10/25

Post #978

Bruxelles
Hope I die before get old

from"My Generation" The Who

読者諸君、失礼する。人生五十年だ。

2013/10/24

Post #977

Praha,Czech
プラハ市内、ホテルジョセフのラウンジから。
読者諸君、失礼する。

2013/10/23

Post #976

Marrakech,Morocco
さらりと流してみては気が付かないだろうが、これはマラケシュのフナ広場の青空市で売っていた、訳の判らん生き物の剥製だ。
亀の甲羅から突き出している頭と手足は、どう見ても哺乳類だ。
尻は甲羅からはみ出している。そして、食い散らかしたトウモロコシの芯のような尻尾がまっすぐ突き出している。
子供のころに見世物で見た、河童のミイラのような胡散臭さが漂っている。
ここには、あらゆるガラクタが売っている。へジャブで顔を覆ったおばちゃんが、自分で編んだんじゃないかっていうようなニット帽なんかはまともな部類で、誰がつかっていたかもわからないような入れ歯まで売っている。

最高だ。
楽天にもアマゾンにも、そんな訳のわからんものは売っていない。
甲羅を背負った怪しい獣が跋扈できるほどに、世界は豊穣だ。
このくそったれな世界はまだまだ捨てたもんじゃないと思えてくる。
若者諸君、世界中どこでもトヨタの車が走り、人々はユニクロの服を着て、ビッグマックを食っていると思ってたら大間違いだ。
とはいえ、そうなるのは時間の問題だろうけどね。
そんなつまらない時代がくるまえにこの世からトンズラしたいぜ!

先日、性懲りもなく森山大道の写真集『Marrakech』を買った。7560円也。
森山大道 『Marrakech』 SUPER LABO刊
これは、1989年(俺はすでにこの時20歳になっていた。時代は昭和から平成に変わっていた。)に、パリに拠点を持って活動しようとしていた(結果的にはその試みは挫折した)森山大道が、クライアントからの依頼でマラケシュに赴き、一週間の滞在中に撮影してきた写真が収められている。
このモロッコ旅行の写真は、あまり今まで見る機会がなかったのだ。
猛烈に見たい。
最近の森山大道の記録シリーズは、デジタルに移行してきたために、あまり食指が伸びなかったのだが、この時期の森山大道はどうにも捨て置けないのだ。
黒くて、ざらついた、荒々しいカバー写真を見ただけで、そこが懐かしいマラケシュのフナ広場だということわかる。この一枚を見ただけで、森山大道の写真の持つ抗いがたい魅力に引き込まれる。
即決で購入決定だ。
それにしても、変わった判型だ。
細長い本を開くと、見開きの右手に、ちょうど文庫本サイズのページが上下二段、独立して組まれている。写真を見てもらうと、民族衣装の二人の女性の肩甲骨あたりのラインに、一本線が入っているのがわかるだろう。このラインで、上段と下段に分かれている。
収録されている写真はさほど多くないのだが、ぱらぱらとめくってゆくと、任意の写真が組み合わされ、それぞれの写真の持つイメージが響きあう。写真を見る者の中に、マラケシュというエキゾチックな街に対する立体的で奥行きのあるイメージが生まれる。
こんな写真集の作り方があったとは。
ページをめくると、フナ広場が、路上に生きる人々の姿が、路地に展開される市場スークが、革なめしの工場が、クトゥービアモスクの尖塔が、広大な廃墟ともいうべきエル・バディ宮殿がむせ返るような黒の粒子でとらえられている。
そして、それらは皆、俺がマラケシュに赴いた時よりも、もっと素朴で荒々しかった。
舗装されない埃っぽい道。観光客向けに整備されておらず、朽ち果てるままの風情を漂わせる巨大な宮殿外壁。此処にはマックもユニクロも決して存在していないと確信できる。
道行く人々の姿は、今以上にエスニックで、貧しさが漂う。
要は、グローバリゼーションにさらされていない、生な世界がそこには記録されていたのだ。

俺は、森山大道の写真のもたらす強烈な印象に羨望と嫉妬を覚える。
どうして、同じ場所に行きながら、写真という外界をそのまま複写する装置を用いながら、これほどの違いが生じるのか。
それは写真の、そしてプリントの技術の問題と、写真を撮るものの持つ視点の問題なのだろう。

何を見つめ、何を撮るのか。

写真には、絶対的にそれが欠かせない。カメラがどれほど簡単に操作できるようになっても、その性能が向上しても、そこは絶対に変わらない。目の前の現実にどうアプローチするのか。
写真は世界との静かな格闘だと、俺は思っている。
そう思っていればこそ、森山大道の写真を羨望するとともに、悔しさも感じるのだ。

読者諸君、失礼する。
もう25年もすれば、マラケシュといえど、観光用の張りぼてのような抜け殻になってしまうのではないかと想像し、どこか寂しさを感じる。その時には、甲羅をしょった怪しい獣が市場に並ぶような余地は、きっとどこにも残されていないことだろう。

2013/10/22

Post #975

Praha,Czech
そんなわけで、Post #1000までいったら、無期限でこのブログの更新をやめることにするんだ。
ここんとこ、ずっと考えていた。
俺は二日目のカレーのように煮詰まっているのさ。
まぁ、無期限ってことは一週間ぐらいで再開するかもしれなし、死ぬまでもうやらないかもしれないってことだ。俺は気分屋なんで、どうなるかわからない。
PVだって、訳の判らないリファラースパムばっかり伸びるしな。そりゃ、やる気も失せるってもんさ。
いっそ、個人的に付き合いのある人間だけが閲覧できるようにしようかとも思ったんだが、それには読者の皆の衆のメールアドレスを集めて、せっせと夜なべ仕事で登録する手間が生じるんだ。面倒くさくてやっていられねぇぜ。

いずれにせよ、もっと違う方法を考えてみることにさせてもらうぜ。

3年以上やってきたんだ。もう十分だろう。
正直言って、俺は手ごたえのなさに疲れたよ。
なんだかばかばかしいぜ。

そんなわけで、あと25回でさよならだ。

どうだい、すっきりするだろう?

読者諸君、失礼する。
ブログはやめても、俺は俺の好きな写真を一人気ままに撮り歩き、一人でコツコツとプリントしていくさ。誰のためでもない、俺自身のためにね。もう、十分だろう?

2013/10/21

Post #974

Praha,Czech
日中時間があったので、プリントするつもりだったのだが、家の中がえらく散らかっているので、いろいろと捨てることにした。
読まなくなった本、買ったまま押し入れに突っ込まれていたたくさんのフィギュア、履かなくなった靴。親父の使っていた古いカメラ。カミさんと一緒に買った目覚まし時計。エトセトラ、エトセトラ・・・。
明日は不燃ごみの日だ、ヤッホー!

どれもみな、猛烈に欲しくて買ったものだったのに、あるいは親しい人から譲られた思い出の品だったはずなのに。今はどれもみなガラクタにしか見えないぜ。いっそ叩き捨てたいばっかりだ。
金が欲しくて働いて、くだらねぇゴミを買って生きてるってわけだ。冗談じゃない。

本当は、何もかも捨ててしまいたいんだ。
机と引伸機だけがある部屋で十分じゃないかとも思えてくる。
食器棚だって本棚だって、本当は無用なものさ。あの世にまで持って行けるわけじゃないからな。
山のように買い集めた写真集だって、本当はどうでもいいのかもしれない。だって、俺は自分の撮った写真のほうが、見ていて面白いんだから。

本当に必要なものだけで暮らしていたい。
スナフキンはハーモニカだと言っていたな。
古代ギリシャの哲学者ディオゲネスは、子供が噴水から手で水をすくって飲んでいるのを見て、たった一つの持ち物であるコップすら投げ捨てた。なんというシンプルライフ。
OK!一生懸命に働く必要なんてどこにもないぜ!

時に甘やかでいながらも、時に鬱陶しい人間関係すらも、さっぱりと清算してしまえたら、子供のころのような清々しい気分になるんだろうか。そうなりゃ、ネットも携帯電話も解約だ。

その時には、この誰が読んでるともしれない下らんブログともおさらばさ。清々するぜ!火曜日の不燃ゴミ回収に出してやるぜ。

読者諸君、失礼する。

2013/10/20

Post #973

Praha,Czech
昨日、不肖・宮嶋こと宮嶋茂樹氏の写真展『Assignment 委任された仕事』を、たまたま通りかかった名古屋のCanonギャラリーで拝見した。
http://www.fushou-miyajima.com/
会場には宮嶋氏自身もおいでになっていた。気さくにファンの皆の衆と話し合いながら、写真集にサインをし、自ら売りさばいている。あまりに気さくすぎて、案内係のおっさんかと思ってしまったくらいだ。偉ぶってないところがいい。さすが自らを不肖・宮嶋と称するだけのことはあるぜ。
その意外と気さくなおっさんぶりに、思わず好感を持ってしまった俺だったぜ。
戦場や被災地の写真が多かったんだけど、その写真にはどこか宮嶋氏の持ってるユーモラスなセンスが垣間見えて、惨状としか言いようのない状態の中にすら、一歩引くことで面白みを見出すことができるものだなぁと感心。
これがマグナムだと徹頭徹尾シリアスなんですがね。
それをさらに増幅しているのが、写真を撮影した時の状況を饒舌に書き記したキャプションで、これまたユーモラス。
さすが、大メディアで揉まれている人は見るものを飽きさせないコツを心得ているもんだなぁ。
とはいえ、俺自身はそういった写真を撮ろうとも思わないし、撮れるとも思わない。むしろそんな厄介な戦場なんかに赴くような羽目には陥りたくない。御免蒙る。
呑気に道行くおねーちゃんでも撮ってるほうが、俺の流儀に適ってるってもんさ。

2013/10/19

Post #972

Praha,Czech
昨日のプリントからお送りしよう。
こんなおねーさんににっこり笑って誘われたら、うかうかついていっちまいそうだ。
人生には危険がいっぱいだ。
気を引き締めておかないとな。

読者諸君、失礼する。

2013/10/18

Post #971

Osaka
久々にこの手の写真をお送りしよう。
読者諸君、失礼する。

2013/10/17

Post #970

Bruxelles
台風が来るごとに、秋らしくなっていくことだろう。
秋の頃の女の子のファッションが俺には好ましいのさ。
夏は露出が多すぎて、想像力の働く余地がない。
冬は誰しもすっかりコートで覆われて、面白くない。
春より秋の色使いのほうが、内に秘めた官能性を感じる。
そんなわけで、やはり秋だな。
それはそうと、ヨーロッパのおねーちゃんは、日本人のおねーちゃんと違って、なんだか足腰たくましいぜ。肉がパンッと詰まって張ってる感じがするぜ。

読者諸君、失礼する。まぁ、どうでもいいことか?

2013/10/16

Post #969

Ubud,Bali,Indonesia
いつも不思議なんだけど、どうしてみんなデカい台風が来てるってのに、苦労して仕事に出かけていくんだろう?
そんなの日本人くらいなんじゃないかって思えてくるぜ。
真昼間から道端のあずまやでのんびりチェスをしてるような連中は、台風の時に苦労して出かけて行って、いつ来るかもわからない列車を待ってるなんてことはしそうにもないと思えるんだけど、どうだろうかねぇ。
俺なら、神様がくれたリフレッシュ休暇だと思いたいものさ。家に閉じこもって台風情報なんかみながら、のんびりさせてもらうのが理想的だと思うわけさ。
そんな苦労して会社や学校に行ったって、ついたころには疲れ果てて、ロクな仕事なんかできやしないってものさ。骨折り損のくたびれ儲けって奴だ。
一日くらいサボったところで、どうってことないさ。命がとられるわけでも、世界が終わるわけでもない。この宇宙から見たら、ハエの金玉くらいの価値もないだろう。
とはいえ、昨日の夜も堅牢なデパートの中で、吹き荒れる風も叩きつける雨もどこ吹く風で、みっちり仕事をしていた俺なんだけどね。
やれやれ。参ったなぁ。

読者諸君、失礼する。厳しいこの人生、一日でも多く、楽をしたいぜ。それも気の持ちようってことさ。

2013/10/15

Post #968

Ubud,Bali,Indonesia
インドネシア。
暑さが和らぐ夕暮れ時になると、道路沿いのロータリーなんかに、どこからともなく人々が集まり、市が立つ。
女たちは、粗末な台に乗せられた安っぽい時計や、下着なんかの商品を、真剣な眼差しで物色する。
その人々の間を、風が吹き渡る。

読者諸君、失礼する。

2013/10/14

Post #967

Praha,Czech
なんということのない街角。
誰も写ってはいないのだが、その古びた壁には濃密な人間の気配が刻み込まれている。
俺は、こういう景色が好きだ。あくまで卑近に親しむのだ。
読者諸君、失礼する。

2013/10/13

Post #966

Zagreb,Croatia
イイ女を見ると、別にお近づきになれる訳でもないのに、嬉しくなる。
嬉しくなったついでに、彼女のことを忘れないために、写真を撮ってしまっている。
イイ女を見ると、生きていてよかったと思う。
たとえそれが後姿であっても。
この愉しみすくなく、苦虫をかみつぶしたような毎日の中で、イイ女を見ると、つくづく生きててよかったと思う。それ以外にこの世の中に胸のときめく事なんか、ありゃしないよ。
死んじまったら、イイ女にも出くわすこともできないし、まかり間違ってお近づきになったりすることもできやしねぇってものさ。
イイ女を見ると、このつまらない世界に見切りをつけてしまわなくてよかったって思うのさ。
イイ女は、闇夜の星みたいなものさ、俺にとってはね。

読者諸君、失礼する。

2013/10/12

Post #965

Zagreb,Croatia
昨日は仕事が休みだったので、プリントをしてみた。
フィルム2本、27カット。
季節はずれな暑さのせいか、それとも日々の神聖なる労働による疲労の蓄積のためか、なかなかやる気になれなくて、グズグズしていたおかげで、この枚数だ。
できることなら、どこにも定住することなく、町から町を、国から国を、彷徨うようにして生きてみたい。
どうにも日本で生きているのは、どっか息苦しいんだ。
しかし、それでも人間というのは、飯を食っていかねばならないわけで、その苦労たるや、想像を絶するものがあるのさ。
このジプシーの女性を見てみるがいい。市場の隅に立って、Gパンを売っているのだ。
大多数の人間は、どうにもこうにも、飯を食う為には、何かしら働かなければならないようにできている。それはピラミッドの中に葬られることのない類の人間で、ピラミッドを作るために石を運ぶ側の人間だ。
だから、労働は神聖なものであるなんて与太話が、まことしやかに語られたりする。
嫌なら、食わなけりゃいいだけのことなのにね。

読者諸君、失礼する。

2013/10/11

Post #964

Praha,Czech
確信。
俺はいつか必ず死ぬということ。全人類、死の前には平等だからな。
そして、いま此処に俺が確固として、存在していること。
夢じゃないんだぜ。
世の中で、確からしく思えることは、この二つだけ。
人生はいつ終わりが来るのか、さっぱりわからない。
まさにサドンデスなんだ。
この世界がクソの山だってのは間違いないが、だからと言って、しょげ返っていても始まらない。時折死んでしまいたくもなるが、いつか必ず死ぬんだから、急ぐことはないさ。
いま、ここに自分が存在していることを、面白がったほうがイイ。
実も蓋もない言い方だけど、しょせん俺たちはクソの山にたかる蛆虫なのさ。
蛆虫は悩んだりしないさ。


写真にこだわるのは、かつて俺が、そこに確かに存在した証し。

読者諸君、失礼する。相対的で、あやふやな事ばかりの世の中だけど、どうでもいいものにこだわっている暇はないんだ。生き急げ!

2013/10/10

Post #963

Paris
眠れない日々が続いている。
別に、悩みがあるわけでもないが、単に眠れないのだ。
眠れないのなら、眠くなるまで好きなことをやっていればいいのだが、仕事中に眠くなってしまうのは、さすがにいささか困るので、そんな訳にもいかない。
脳みそはともかく、肉体だけでも休めておかねばなるまいよ。

読者諸君、失礼する。

2013/10/09

Post #962

HomeTown/Nagoya
今日は気が乗らないので、写真だけ。

読者諸君、失礼する。そんな時もあるさ。

2013/10/08

Post #961

Praha,Czech
毎日まじめにコツコツ働き、
毎日律儀に飯を食い、
毎日疲れ果てて眠り、
毎日ブログをせっせと更新。
人生ってのは、全くきりがないぜ。

いったい何時になったらキリがつくんだ。
さぁ、何時でもお好きな時に。
金子光晴の詩の一節にも、そんなのがあったなぁ。

しばらくプリントしてないと、どうにも憂鬱になる。
我ながら困った性分だ。

読者諸君、失礼する。

2013/10/07

Post #960

Istanbul,Turk
俺の見てきたくだらない猫写真を見よ!

読者諸君、失礼する。俺は佐野洋子の『百万回生きたねこ』、結構好きなんだ。

2013/10/06

Post #959

Kuta,Bali,Indonesia
10月だというのに、いつまでも暑い。
俺はふと、南国の夕暮れ時を思い出す。日差しが和らぎ、人々の生活の匂いの混じった風が、家々の間を吹き抜ける夕暮れ時を。

ふと、『月を指す指』という言葉が頭に浮かぶ。
おい、あれを見ろって月を指差すわけですが、見て欲しいのは指じゃなくて月って話。
頓馬な奴は月じゃなくって、指を見るってのがお約束なのさ。
要は、目的に至れば、その手段の如何はどうだっていいって話だ。
手段に拘泥するのは、本末転倒だってことだ。
写真について当てはめると、月を指し示す指はカメラに相当して、月は被写体もしくは写真そのものに当たるんじゃなかろうか?
思うに、カメラ雑誌は多々あるが、純粋に写真の雑誌ってのはあまりない気がする。
日本の(ということはほとんど世界の)カメラ産業は、月を見ず、指を見せることによって、成り立っているようにも思える。
カメラで写真が変わるという言葉を真に受けた時期もあったけど、結局写真を撮るのは俺自身なんで、どんなカメラを使おうが、そんなにたいして変わりはしないってのが、この年になって分かったことだ。
唯、ちょっとばかり画角が広くなったり、解像度が上がったり、遠くのものが大きく映ったりするだけだ。たいしたことじゃない。

ずいぶん昔、イロイロなカメラを買い求めていた。
プライマリーバランスがおかしくなるくらいカメラやレンズを買っていたような気がする。借金してカメラやレンズを買い、借金を踏み倒したりした。
カメラやレンズが変われば、もっと上手い写真が、美しい写真が、見たこともない写真が撮れると思っていたのだ。
けれど、結局今使っているのは一昔前のフィルム式コンパクトカメラだけだ。
海外旅行とか行くのも、このコンパクトカメラと、携帯電話についているカメラだけで事足りるんじゃないかってくらいの吹っ切れぶりだ。
デカい一眼レフを首から下げた中国人の観光客なんかみると、ご苦労さんだとおもう。
俺の撮りたい写真に関しては、35㎜、f2.8のレンズのついた小さなコンパクトカメラ一つで事足りるということだ。
どうせ、大した写真でもない。俺一人が俺のことを天才だと思ってるだけだ。
まことにもって、お目出度いことだ。

こと写真に関して、指はどうでもイイことだと思えるようになった。
問題は、月なんだ。
どんな被写体に向かい、どんな写真を撮るのか。
随分と昔に読んだ田中長徳の本には『優れた写真家は、最小限の機材で仕事をする』みたいなことが書いてあった。彼はその境地を『写真機の葉隠道』とか表現していたようにも記憶している。
ということは、俺もいつしか写真機葉隠道を歩む身になったのかと、しみじみとおもう。
しかし、最小限の機材で仕事をするからといって、優れた写真家とは限らない。
逆はまた真ならずだ。

まぁ、そんなこと気にして写真を撮ってるってこと自体が、20世紀的だということだ。
時代遅れだ。
アナクロニズムだ。
写真のネアンデルタール人だ。
おっ、こいつはなかなかイイ表現だな。

読者諸君、失礼する。俺は時代に抗って、モノクロフィルム写真が好きだ。非効率極まりない暗室作業が好きだ。だからどうした?

2013/10/05

Post #958

Fes,Morocco
うむ、体調は決して万全というわけでもないけれど、今夜から戦線復帰しなけりゃならぬ。
気が重いぜ。
読者諸君、失礼する。

2013/10/04

Post #957

Istanbul,Turk
久々に休みだというのに、何もやる気がしないのだ。
ゆゆしき事態だ。
いつも仕事をしている時には、今度の休みにはしこたまプリントしてやろうじゃないかって思ってたりするのに、こうして実際に休みがとれると、どうにも何にもやる気がしない。新聞なんか読んで、タバコをぷかりと吹かして、ゴロゴロしているだけ。
そして、気がつくと眠ってしまう。
俺は疲れてるのさ、きっと。それとも季節の変わり目で体調を崩しているのか?
はたまた、俺は鬱病にでもなっちまったのか?そう思えなくもない意欲の無さだ。
仕事をしてると、毎日誰からも、元気ですねぇって、半ばうんざりしたように褒められている俺なんだが、実際には死力を振り絞っているのだ。
ほとんど使い切ったマヨネーズのチューブから、何とかマヨネーズを絞り出すようにして、元気に振る舞っているのだ。
だいたい、俺が考える元気な状態ってのは、あまりのパワーで髪が逆立ち、オーラのように立ち昇る熱気で空気が揺らいで見えるような状態が元気なんであって、俺如きでは全然元気とは思えない。まぁ、フツーだ。Extra ordinaryだ。かめはめ波の2発や3発、連発できるくらいが、俺の考えでは元気というレベルだ。それにははるかに及ばない俺の事を、元気だとか抜かしてるような世間一般の手合いは、俺に言わせたらリビング・デッド、即ち歩く死体=ゾンビみたいなもんだ。
しかし、せっかくの休みに、何かクリエイティブなことをやってみようという意欲もわいてこないようじゃ、俺もリビング・デッドの仲間入りか?冗談じゃない。

読者諸君、失礼する。俺には休息が必要だっていうことにしておこうぜ。

2013/10/03

Post #956

Singapore
荷台に乗って、どこに行くのか。
ふと、本宮ひろしの昔のマンガを思い出した。

読者諸君、失礼する。秋になると、何だかいつも憂鬱だ。

2013/10/02

Post #955

Praha,Czech
こういうベッタベタなところ、ちょっと行ってみたかった。

読者諸君、失礼する。

2013/10/01

Post #954

Praha,Czech
ここんところ、電車に乗って仕事に通ってるんだけど、ここ数年のスマホの普及によって、以前にもまして、どいつもこいつも携帯電話とにらめっこしながら電車に乗っていやがる。
しげしげ見てみると、ありふれた光景ながら、これは人間を滑稽にというか、脳たりんに見せる効果が絶大だ。
どいつもこいつも、サルのせんずりのように、スマホの画面から目が離せないのだ。
人生が退屈なのはわかるが、ネットの中には自分自身の人生はない。

俺は、極力電車のなかでスマホをいじるのを止めることにした。

本を読むんだ。なにしろ今日から10月。読書の秋も真っ盛りだからな。
電子図書ではダメだ。電池がないと読めないし、何と言っても傍から見たら、単にネットでくだらない情報とやらに溺れてみたり、ゲームでもやってるようにしか見えないからな。やはり本は紙で読みたいもんだ。
とはいえ、副職で年収倍増させる本とか、下らないモノは読みたくないんだ。
そんなわけで、先日18世紀のフランスの思想家ヴォルテールの本なんか買ってみた。なかなか皮肉が効いていて、面白い奴だなぁと感心しているのさ。

読者諸君、失礼する。俺は周りに賢い人だと思わせておきたいのさ。卑しい根性丸出しだぜ。