2013/10/06

Post #959

Kuta,Bali,Indonesia
10月だというのに、いつまでも暑い。
俺はふと、南国の夕暮れ時を思い出す。日差しが和らぎ、人々の生活の匂いの混じった風が、家々の間を吹き抜ける夕暮れ時を。

ふと、『月を指す指』という言葉が頭に浮かぶ。
おい、あれを見ろって月を指差すわけですが、見て欲しいのは指じゃなくて月って話。
頓馬な奴は月じゃなくって、指を見るってのがお約束なのさ。
要は、目的に至れば、その手段の如何はどうだっていいって話だ。
手段に拘泥するのは、本末転倒だってことだ。
写真について当てはめると、月を指し示す指はカメラに相当して、月は被写体もしくは写真そのものに当たるんじゃなかろうか?
思うに、カメラ雑誌は多々あるが、純粋に写真の雑誌ってのはあまりない気がする。
日本の(ということはほとんど世界の)カメラ産業は、月を見ず、指を見せることによって、成り立っているようにも思える。
カメラで写真が変わるという言葉を真に受けた時期もあったけど、結局写真を撮るのは俺自身なんで、どんなカメラを使おうが、そんなにたいして変わりはしないってのが、この年になって分かったことだ。
唯、ちょっとばかり画角が広くなったり、解像度が上がったり、遠くのものが大きく映ったりするだけだ。たいしたことじゃない。

ずいぶん昔、イロイロなカメラを買い求めていた。
プライマリーバランスがおかしくなるくらいカメラやレンズを買っていたような気がする。借金してカメラやレンズを買い、借金を踏み倒したりした。
カメラやレンズが変われば、もっと上手い写真が、美しい写真が、見たこともない写真が撮れると思っていたのだ。
けれど、結局今使っているのは一昔前のフィルム式コンパクトカメラだけだ。
海外旅行とか行くのも、このコンパクトカメラと、携帯電話についているカメラだけで事足りるんじゃないかってくらいの吹っ切れぶりだ。
デカい一眼レフを首から下げた中国人の観光客なんかみると、ご苦労さんだとおもう。
俺の撮りたい写真に関しては、35㎜、f2.8のレンズのついた小さなコンパクトカメラ一つで事足りるということだ。
どうせ、大した写真でもない。俺一人が俺のことを天才だと思ってるだけだ。
まことにもって、お目出度いことだ。

こと写真に関して、指はどうでもイイことだと思えるようになった。
問題は、月なんだ。
どんな被写体に向かい、どんな写真を撮るのか。
随分と昔に読んだ田中長徳の本には『優れた写真家は、最小限の機材で仕事をする』みたいなことが書いてあった。彼はその境地を『写真機の葉隠道』とか表現していたようにも記憶している。
ということは、俺もいつしか写真機葉隠道を歩む身になったのかと、しみじみとおもう。
しかし、最小限の機材で仕事をするからといって、優れた写真家とは限らない。
逆はまた真ならずだ。

まぁ、そんなこと気にして写真を撮ってるってこと自体が、20世紀的だということだ。
時代遅れだ。
アナクロニズムだ。
写真のネアンデルタール人だ。
おっ、こいつはなかなかイイ表現だな。

読者諸君、失礼する。俺は時代に抗って、モノクロフィルム写真が好きだ。非効率極まりない暗室作業が好きだ。だからどうした?

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