2013/10/27

Post #980

Praha,Czech
地下鉄で行くのか、トラムで行くのか、それが大きな問題だ。
俺がATMで引き出した金を使って、キオスクみたいな売店で切符を買った。
プラハでは、地下鉄もトラムも同じ切符で乗れるのだ。
どっちにするか、よく考えてみよう。
頼みの綱のタブレットは、ハンガリーからの車中、カバンの中に入れておいたペットボトルからの水で、ウンともスンとも言わなくなっている。お陀仏だ。
トラムの乗り場へと続くアンダーパスの横には、青年がぐっすり熟睡している。
いったいどうなっているんだ?すがれた風景は別にして、ここは国際電車も発着する駅じゃないのか?さすがは旧共産圏、侮れない。
結局、トラムは乗り換えがよくわからないのと、本数が少ないので地下鉄で行くことにした。
そして、地下鉄の乗り場に行くために駅に戻り、ふとさっき目に入ったポスターが、気になりまくって写真に撮ったのだ。
Praha,Czech
カッコいい写真だ。
この世界には、二種類の写真しかない。カッコいい写真と、つまらない写真だ。
この世界に満ち溢れている写真の大半は、つまらない写真だ。おかしな顔の猫とか、昼に食べたラーメンとか、露出が多いだけで官能的とか言ってるようなレベルの低いつまらない写真だ。
俺が見たいのはそんなんじゃない。
俺が見たいのはカッコいい写真だ。
そんなカッコいい写真が、こんな寂れた駅に貼ってある。
プラハ、なんて文化レベルの高い街なんだ!
思えば、プラハにはヨセフ・スデクがいた。かつて、クーデルカもいた。
どうでもいいが田中長徳も、東京と並んでプラハを拠点にしている。まぁ、彼のことはどうでもイイ。なぜどうでもイイかというと、チェコにはすごく分厚い写真文化があるのに、そんなことは一言も紹介しないで、やれライカがどうしたこうしたと、そんなことばかり言ってるじゃないか?
写真はカメラが重要なのではない。重要なのは、カッコいいか、つまらんか、それだけだ。
野郎ども、よく覚えとけ!
カメラメーカーの口車に踊らされてはいけない。
閑話休題。
この、超カッコいい写真を俺はまじまじと見た。
蓮っ葉な感じの女が、煤けたような街角で、ぞんざいな感じで煙草に火をつけている。ちょっとファンキーな服装センスと、時代がかった髪型から、俺はこの写真は1970年代のものとみた。
60年代末のプラハの春が、ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍によって粉砕された後の、東西冷戦構造が、鉄のカーテンが、世界を真っ二つに引き裂いていた時代だ。
それが、当時のチェコスロバキア(このころはチェコはスロバキアと一つの国だった。)に暮らす者にとって、どんな時代だったか、想像も及ばない。
クーデルカも、作家のミラン・クンデラも祖国を追われた。
不自由な時代だったのだ。もちろん、現在が不自由のない時代になったとは言わない。抑圧は形を変えただけのことだ。
女性の背後にはベビーカーが見える。ひょっとしたら、この女性はシングルマザーなのかもしれない。
生活に疲れ切っているような風情が、生きることの重みが、ズシリと伝わってくる。
そして、そんな社会で、写真を撮っていくこと、人間の真実の姿に肉薄してゆくことが、どれほどの社会的な格闘を写真家に強いたのか?
カッコいいぜ!
わからん奴には死んでも分からん。しかし、それでイイ。
わからん奴は、面白い顔の猫の写真でも見ていればいい。それで十分だ。

そして、そこに印字されている名前は『Jaroslav Kučera 』ヤロスラフ・クセラ。
どうやらこのプラハのどこかで、この超カッコいい未知の写真家の写真展が、絶賛開催中だということが俺には分かった。写真の神様(つまり写神だ!)、ありがとう!
俺は、この写真展を必ず見ると決意して、カミさんとともに地下鉄に乗り、ホテルに向かったのだった。
読者諸君、失礼する。
この話は続く。このブログにけりをつける前に、どうしても紹介しておきたい。
日本では、彼のことはほとんど知られてはいないのだから。

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