2014/01/28

Post #1033

Istanbul.turk
無理して仕事に行ったら、ますます体調が悪くなった。まぁ、そういうもんだ。

バカバカしい。しんどい思いをして働いたって、別に感謝されるわけでもねぇしな。

読者諸君、失礼する。俺は眠るぜ。付き合っていられないぜ。

2014/01/27

Post #1032

Fes,Morocco
本日、体調不良にて写真のみ。
なぁに、ご心配には及びませぬて。

読者諸君、失礼する。新しいNHKの会長は、ありゃダメだな。

2014/01/26

Post #1031

Rabat,Morocco
昨日、カミさんに『そのズボン、お尻の形がよく見えるからいいね』と言われ、『ズボンがいいのではない、中身の問題だ』と断言した。その時はいていたズボンは、ZARAのタイトなデニムで、実を言うと、俺自身もかなり気に入っている。
気に入っているのだが、大きな問題が一つある。
それは、すぐにチャックが開いてきてしまうということだ!
ぎゃふん!

どんなに格好をつけていても、ズボンのチャックが開いていたり、鼻毛がちょろりと出ていては、すべては台無しだ。
そう、重要なパーツなんだ。本当はリーバイスの501のように、ボタン式が望ましい。ムーミンパパもそんなような事を述べていた覚えがある。あれならそうそうポロリは無いはずだ。
自慢したくなるほどご立派なものが入っている訳でもないのに、なぜそんなにしばしばチャックが全開になるのか?
どうにもグローバル企業であるZARAは、YKKを使っていないのだ。
やはり、ズボンのチャックはYKKに限るぜ。なんてったって、世界シェア№1だ!
で、それでチャックが開いていると指摘されたときどうするのか?
もちろん名古屋弁でこういうのさ。

『セックスアピールに決まっとるだろう!』

そうそう、昨日言い忘れたこと。
いささか飛躍もあるし、配慮のない、いささか乱暴な発言だと自覚したうえで言わせてもらうぜ。

アフガニスタンやパキスタンの田舎に住んでるイスラム教徒を、何千キロも離れたところから、遠隔操縦の無人飛行機で、虫けらの様にぶち殺すことと、イルカを入り江に追い込んで殺して喰らうこと、どちらが倫理的かよく考えてみようぜ。

イルカは知能の高い動物だというならば、虫けらの様に突然攻撃されて、殺戮されるイスラム教徒は、イルカにも劣る存在なのか?
それとも、異なる宗教や文化に属する人間は、イルカ以上に同情したりしにくいものなのか?
そうして殺されているのは、イスラム過激派だからいいというのか?誤爆で結婚式の最中に殺された人間だっているくらいなのに。どっちにしても、それはフェアじゃない。

今日も世界のどこかで、モニターに向かってゲームをするようにして、喜怒哀楽と知性を持った人間を殺している奴がいる。
今日も世界のどこかで、突如空から攻撃され、新聞紙で叩き潰されたゴキブリの様に、腸を撒き散らし、苦しみもがいて死んでゆく人がいる。
右手でイルカに対して残酷だと指弾しながら、左手で自分たちと同じ人間を殺戮することに、良心の疼きも感じない人々。
そんな国の政府関係者に、残虐だとか言われたくはないぜ。それは欺瞞だ。
君は、どう思う?世界は矛盾と理不尽とに満ちているのさ。

読者諸君、失礼する。俺の経験上、動物に優しい人間だからって、人間対して優しいとは限らない。

2014/01/25

Post #1030

HongKong
ダボス会議での安倍ちゃんの発言に、世界が腰を抜かしている。
今日の日中関係は、百年前の第一次世界大戦に突入するころの英独関係に似ているので、不測の事態が起こらないようにするせねばならないということだ。
不測の事態がいつ起こってもおかしくないと言っているわけで、それは第三者が言うならともかく、一方の当事者がぬけぬけと言っているわけで、その点が不気味というか、なんというか、欧米のメディアや政治家でなくても、驚愕し、かつ憂慮する発言だよ。
岸田外相は、核兵器の使用はどうしても避けえない場合に限定すべきだとのたまった。
限定的なら、核攻撃はアリだということか・・・。
自民党の言う積極的平和主義というのは、こういうことを言うのか・・・。

平和ということに関する概念が、俺や君と、自民党の皆さんではずいぶん違うようだ。

イルカ漁に関するケネディー駐日大使の発言が波紋を呼んでいる。
これに対して、単に伝統の問題で乗り切ろうとしても難しい。
この問題をクリアするためには、保守政治家の大好きな日本の伝統という奴を、もっともっと掘り下げて、縄文時代くらいまでさかのぼって考え、人類普遍の倫理という堅固な岩盤にたどり着いたところから、現代を照射して考えねばなるまいと、俺は思う。

人類は、自らが生きるために、他の命を奪って生きざるを得ないという、ジレンマを何万年も前から抱いてきた。
そして、その罪障感と命に対する感謝、さらなる収穫への祈りから、現生人類は抽象的な思考を発達させ、目に見える世界の奥に潜む不可視の霊妙な世界を考えだし、自然との血なまぐさいかかわりを、ある意味正当化してきたのだ。
その一端を、縄文的な文化を色濃く残すとされるアイヌ文化などに見ることができるだろう。
また、宮沢賢治の童話なんかをよんでも、そういった古い文化の気配を感じる。嘘だと思うなら、なめとこ山の熊を読んでみるがいい。
あるいは中沢新一の『カイエソヴァージュ(野生の思想)』や吉本隆明の『アフリカ的段階について』などを読んでみるのも、君の知見を広げるのに役に立つだろう。

人類の歩んできた長い道のりの、大半を切り捨てて、倫理的だのなんだの言う論議は、俺には正直浅墓で、近視眼的であり、決定的ではない気がする。

自分の手を汚さないでも、何不自由なく生きることのできるものが、自分の手を血で汚さねば生きてゆけないものを、今日的な倫理観だけで裁くのは、一方的だと俺には思えるのだ。

読者諸君、失礼する。億の巨匠が並んで生まれ、しかも互いに相侵さない、そんな世界は必ず来ると、信じていたい俺なのさ。

2014/01/24

Post #1029

Singapore

昨日、仕事に向かう電車の中で、ドイツの出版社タッシェンから来たメールにほだされて、ついついまた写真集をオーダーしてしまった。
ヘルムート・ニュートンの“World without Men”
送料込みで39.99ドル。Helmut Newton. World without Men. TASCHEN Books

ヘルムート・ニュートンはずっと気にしていたんだけど、俺の写真の方向性とは、ずいぶんかけ離れているんで、今まで購入する機会がなかった。けど、タッシェンのWebにのっていた写真を見て、どうしても欲しくなったんだ。君も興味があったら、見てみてくれ。

いつ届く事やら。楽しみだ。

届いたら、ジェームス・ブラウンの名曲、“It's A Man's Man's Man's World”でも聴きながら見てみることにしよう。
このひねくれた諧謔、君にわかってもらえるだろうか?


人生の意味なんて言葉を聞いてしまうと、つい、そんなものは無いんだぜ、って言いたくなる。
神とか仏とか霊魂だとか、この人間の人生のサイクルを超えた超越的な存在を、幻想として持たない限り、人生の意味なんてのは、なかなかに見出しがたいように感じる。
ただ、その瞬間その瞬間、自分の流儀に従って、精一杯生きて、時間が来れば、死ぬだけだ。
そう思い定めることができたならば、矢のように真っ直ぐ生きることもできるのだろうが、生きるということの難しさ、瞬間的にはそう思い定めても、次の瞬間には老後のことをくよくよと思い悩んだりするというものだ。

だからと言って、お国のために命をささげるなんて幻想に身をゆだねるのは、まっぴらごめんだ。
ましてや、仕事なんて、命を懸ける値打もない。
心筋梗塞で入院した同僚のおじさんを、本当に気の毒に思うぜ。

読者諸君、失礼する。俺が自分で、命を懸ける値打があると思えるのは、道楽だけだ。

2014/01/23

Post #1028

Paris
一緒に働いてるおじさんが、心筋梗塞で入院した。
入院する前に、彼を非難するようなことを言ったので、いささか心が痛む。
くだらない労働は、人間と人間の間に、亀裂を生みだすものだなぁと、実感したよ。
肉体労働の大半は、機械にとってかわられた。頭脳労働も徐々に機械に変わられつつある。
優秀な人間なんて不要な時代がもうすぐやってくるのさ。
それが人間を労働の軛から解放してくれることになるのか、人間の存在価値の喪失につながるのか、見ものだと思ってるぜ。まぁ、今の社会で起こっていることをつらつら眺めるに、間違いなく後者が正解だって確信できるけどね。

読者諸君、失礼する。今に、人間が人間に奉仕することでしか対価を得られない時代が来る。俺はそう思う。資産運用なんて、人工知能のほうがきっと得意だろうからな。

2014/01/22

Post #1027

Dubrovnik,Croatia
税金を払ったり、借金を返したりして、手持ちの金が減ると、とてもさみしい気分になります。
今日も借金を返しに行ってきました。なんだか、がっかりします。
そのいっぽうで、金がなくなってくると、清々したような気分にもなります。
子供の頃のような、純粋でのびのびした気持ちになれるような気がするのです。
野垂れ死んだら、それはそれってくらいです。
常にこんな気持ちを持っていれば、スナフキンのように暮らすこともできるようになるかもしれません。その時には、カメラはあっさりと肉眼レフ。構図もシャッターチャンスも、自分の脳みその中で思いのままです。

お金はあったほうがいいものなのか、ない方が煩わされることもなくていいものか?
極端まで考えると、人格や生活が破綻してしまいそうです。

やはり、そこそこが良いのではないかと思う俺なんだが、そのそこそこのラインをどこに設けるのかが、人生の大問題になってくるわけです。

欲を言い出せば、キリがないのが人間だものね。

読者諸君、失礼する。俺はいつだって、中道路線を歩いているつもり。犀の角のように、独り中道路線を歩いているつもりなんだがね。

2014/01/21

Post #1026

Jogjakarta,Indonesia
今日は仕事が休みだったんで、プリントする気満々だったのだが、俺の肉体は、俺の意思を裏切ってくれた。
日々のクソくだらない労働のおかげさんで、疲労困憊していた俺は、ひたすら眠り続け、目が覚めた時にはとっくに日は暮れ、一日は終わっていたというわけさ。

読者諸君、失礼する。いつだって、自分を裏切るのは自分自身だ。他人に裏切られるのなんて、たかが知れている。

2014/01/20

Post #1025

Marrakech,Morocco
地球の反対に住む彼は、今日も健やかに暮らしているだろうか?
ネットで知ることもできるだろうけれど、それは味気ない気もする。
西の空を眺め、遥か彼方に想いを馳せるような風情で、思い遣る。
そんなのも、悪くない気がする。
少なくとも、美しいぜ。
けど、もう一度会ってみたいもんだ。
マラケシュに行く機会があったら、ぜひもう一度。

読者諸君、失礼する。今日も不毛な荒野に繰り出すのさ。けれど、不毛な荒野にも、人間はしっかり根を張って暮らしているんだぜ。

2014/01/19

Post #1024

Budapest,Hungary
今日も、多忙です。さっさとシャワーを浴び、不毛な荒野のような仕事に繰り出さなければなりません。
しかし、それでいいのだ。
まぁおかげさんで、今日はこんな写真だけ。
読者諸君、失礼する。都知事選の雲行きが気になるぜ。

2014/01/18

Post #1023

Budapest,Hungary
今朝の6時30分までいそいそ働いて、一睡もせず法事に出かけた。
久々にスーツを着たら、すっかりウェストが苦しくなっていた。仕方ない、15年以上前に作ったタイトなスーツだ。くしゃみをしたら、ズボンのボタンが取れちまったくらいだぜ。
冗談じゃない。
たった今帰ってきたんだが、お生憎様、今夜も仕事だ。
まるで、一人でコンビニを経営してるみたいだ。
ゆっくり、ぐっすり眠りたいぜ。

読者諸君、失礼いたす。新しいスーツをつくるべきか、激しく思案中だ。

2014/01/17

Post #1022

Dubrovnik.Croatia
頭が痛くてたまらないので、今日は写真だけ。
過労と睡眠不足だってのは、解かってるんだけどね。
人生はいつだって、毎日が胸突き八丁さ。
荒野から荒野へ旅するようなものさ。

読者諸君、失礼する。それでも今から不毛な荒野に出撃せねばならぬのよ。

2014/01/16

Post #1021

Budapest,Hungary
母と娘か、おばちゃん道を尋ねているのか?それとも補導のおばちゃんが素行不良のおねーちゃんに懇々と説教を喰らわせているのか?
俺には分からない。ただ一つ言えるのは、座ってるおねーちゃん、イイ女だなぁってことだけだ。
このスタイル抜群なおねーちゃんが、いずれこのおばちゃんのような洋梨体型へとトランスフォームしていくのは、悲しい。しかし、この残酷な世界では、そんなことはしばしば起こっている。
せめて美しい瞬間を、目に焼き付けておこう。

さて、税務署関連も片付いた。県税事務所も市役所も行ってきた。後は金を払うだけだ。なぁに、赤字なんで額は知れている。案ずることはない。すっきりしたぜ。
で、ついでに行きつけのラボに行って、台湾旅行のネガを取ってきた。
今夜の仕事の合間に確認するとしよう。
楽しみだ。
しかし、そのネガが引伸機にセットされ、プリントになって命を吹き込まれ、読者諸兄諸姉のご高覧に与かるのは、一体いつのことだろう。
俺は毎日、アリジゴクの巣のような仕事にとらわれているんだ。
この瞬間も、眠たくて仕方ない。ぐっすり眠りたいんだ。
仕方ない。これが俺の人生だ。ロックンロールだ。

読者諸君、失礼する。君たちと夢の中で語り合いたいよ。しかし、俺が眠っているのは、せけmンの皆様がシコシコと労働にいそしんでいる時間帯だ。残念なこった。

2014/01/15

Post #1020

Praha,Czech
最近へこんだこと。

夜勤明けに、すきっ腹を満たすべく牛丼屋に行ってみた。
侘しいものだ。しかし、仕方ない。男というのは、往々にして安い飯をカッ喰らい、馬車馬のように働かねばならんように出来ているのだ。
店は早朝だというのに、結構込み合っていた。老いも若きも、牛丼をカッ喰らっている。もちろん、女性はいない。女性は朝イチから牛丼をかきこんだりしない生き物であってほしい。
俺は、細長いカウンター席の端、レジのすぐ隣に腰を掛ける。
すぐ隣には俺と前後して入ってきた六十からみのおじさん。
俺は熟慮の末、牛丼ではなく定食ものをオーダーした。
牛丼は、しばしば俺の燃料になっているので食傷気味なのだ。

しばらくして、定食が運ばれてきた。太い腕に毛がもさもさと生えている青年が運んできた。
俺はガツガツ、ムチャムチャと食べだした。俺の胃袋が、内臓が、喜んでいる。
しかし、何かがおかしい。
さっきから異臭がするのだ。
それも、時折風が通り抜けるように、ふわっと臭うのだ。
きれいなおねーさんの甘やかな香りなら、俺は大喜びで、食欲性欲も増進する俺なんだが、この臭いのベクトルは、180度真逆だ。
爽やかでないこと甚だしいぜ。思わず、吐きそうになる。

見たくないものには目をそむけるか、閉じればいい。
聴きたくない音には、耳をふさぐか、ウォークマンの音量をMAXに上げてロックを聴けばいい。
しかし、臭いには対処する術がない。鼻をつまみながら飯は食えないし、箸も茶碗も持てないじゃないか。
そういえば、見ざる聞かざる言わざるってのはあるが、嗅がざるってのは、ないよな。
ヘレンケラーだって、鼻だけは効いてた。俺は普通の方々よりも、どうもにおいに敏感なのだ。

俺は仕方なく、臭いを察知すると、息を止めて、必死に牛カルビ定食をかきこんだ。
難行苦行だ。君も一度やってみるといい。結構キツい。嚥下しにくこと甚だしいのだ。
俺にはその臭いの発生源がわからなかった。
隣の親父だろうか?
いや、そんなに小汚いわけでもない。年齢的に加齢臭は出てるかもしれんが。
隣の親父の食ってる納豆だろうか?
俺は納豆が苦手なのだ。若いころ、集団生活をしていたのだが、納豆が食えずに挫折し、夜逃げした苦い過去がある。
それともこの肉が腐っているのか?いや、そんなことはない。食えば分るだろう。

俺は混乱した。
しかし、ここはその臭いの原因を究明することに主眼を置くよりも、とっとと食い終えて、電車に乗って家に帰り、ぐっすりと眠るべきだとの結論に達した。
俺はスピードアップして、なおかつ息を止めながら食ったよ!
その間にも、臭いは俺の嗅覚をいたぶり続けるんだ。
限界一歩手前で、俺は牛カルビ定食を食べあげ、レシートを持って立ち上がった。
とっとと退散だ。
レジは俺のすぐ右手。
さっきの青年がやってきた。
なんのことはない。臭いのもとは、青年の腋臭だった。
読者諸君、失礼する。あまり感覚が鋭敏なのは考え物だ。なまくらくらいが程よいものさ。

2014/01/14

Post #1019

Essaouira,Morocco
日々の労働のしんどさよ。
森山大道の写真集をまじまじと見る暇すらないとは!
税務署にも行かねばならないというのに、一日は24時間しかない!

そうして、またいつもの悪い癖が出る。
先月行った台湾のネガも帰ってきていないのに、もうどこかに旅に出たくなる。
くだらない会議や書類、責任追及や、些末な取り決め、愛想笑い、面従腹背、そういったすべての煩わしさから、俺はとんずらしたくてたまらないのだ。
俺は、かつての旅の写真を見ながら、過ぎ去ったその日々を、反芻するように思い出す。
あれは、地の果てモロッコの、大西洋に面した港町、エッサウィラ・・・。
冬の穏やかな太陽が、海を照らし、水銀のように輝かせていた。
カモメが空を覆うように飛び交い、木造の漁船が、波止場に並ぶ。
男たちは堤防で、魚の腸を取り去り、無造作に捨てる。
すると目ざといカモメたちは、その苦みの強い臓物を、瞬く間に掠め取るように咥え飛び去る。

どこでもいい、ここでないどこかへ。
北海道や沖縄ってのも、いいかもしれないな。
あぁ、放っておいても、いずれはあの世に行くけれどね。

読者諸君、失礼する。こんなことやってる間に、税務署行ったらいいじゃないかって?もっともだね。

2014/01/13

Post #1018

Marrakech,Morocco
マラケシュの路地の奥、三角形の広場に面したモスクの壁に、スプレーで描かれたゴール。
子供たちは、いつも夜更けまで、かすかな明かりを頼りにしながら、サッカーに打ち興じていた。
ゴールの中にはBARÇA(バルサ)と記されている。
マラケシュを去る朝に、ふと気になって撮ったのだ。子供たちは学校に行っているので、子供たちがボールを追う声は響いてはいない。ひっそりとスーパーカブが停まっているだけだ。

2年ほど前に撮った写真を、先日プリントしてみた。このタイムラグはいつものことだが、その記憶が鮮明によみがえり、なんだかたいそう愛おしく感じる。愛おしさのあまり、泣けてきそうだ。

アフリカ大陸の西の果てマラケシュでは、今日も子供たちが、真っ暗な夜の中、かすかな明かりに照らされたボロボロのサッカーボールを、白い息を吐きながら追っているだろうか。

読者諸君、失礼する。

2014/01/12

Post #1017

Budapest,Hungary
本日、いろいろあってこれだけ。
男はつらいよって風情がにじみ出ているおじさんの写真だ。八の字になった眉毛と眉間のしわが、人生のほろ苦さそのものを顕わしている。

今日はひょっこり休みが取れたのだが、眠って、散歩して、日が暮れた。
で、カミさんが会社からインセンティブもらったってんで、鰻を食いに連れて行ってくれるってんで、近所の鰻屋に行って、うな重カッ喰らって、満足してダラダラしてるってわけです。
森山大道の件は、また明日。
読者諸君、失礼する。人生は、ダラダラするためにある。断言する!

2014/01/11

Post #1016

HomeTown/Nagoya
恥ずかしながら45歳になってしまった。
中年も中年だ。格好悪いぜ。昔は壮年という、もう少しピリッとした呼称があったはずなのに。
中年なんて言うと「ちゅう」の語感に締りがなくなってたるんだ腹を思わせる響きがある。
壮年っていうと、なんか人生の袋小路を抜けて、ようやく平原に出たような響きを感じるんだが。

この年になると、誰も祝ってはくれない。祝ってもらっても、小恥ずかしい。
仕方なく、自分で自分にプレゼントを用意することにした。
アマゾンから届くようにしたのだ。さすがにギフト包装は止めておいたがね。
俺が自分に贈った祝いの品は以下の三点。

①ジェームス・ブラウンの“In the Jungle Groove”。
ノリノリあげあげな70年代初期のファンクチューンばかりを集めたコンピレーションCDだ。
もう、歴史的名盤!方々でサンプリングされまくってるので、どれもどこかで耳にしたようなフレーズで満載だ。とても40年以上前の演奏とは思えないぜ。シンプル、かつパワフルだ。黒汁全開だ!
俺にとっていい音楽とは、自然と腰が動いちゃうものだ。牛の乳の出がよくなる音楽じゃない。

②マイルス・デイビスの傑作アルバム“On The Corner”
これもファンク!もうこれはジャズっていうよりファンクだよ!
当時のマイルスは、ジミヘンとセッションしようと思ってるうちに、ジミヘン死んじまったり、スライ&ファミリーストーンをギンギンに意識してたりして、もうすでにいわゆるジャズからはるか何マイルも先行していたの。名盤なんでLPでも持っていたけど、気軽に聞きたくてCDを買ったわけ。

③森山大道『沖縄』
74年に森山大道が沖縄を訪れ、ハーフサイズカメラで撮った写真を、およそ40年の時を経て一冊の写真集にまとめたもの。これについてはまた明日。

読者諸君、そろそろ夜の仕事に出撃せにゃならぬ。誕生日が特別なのは子供のうちだけだ。百歩譲って、水商売の女だけだ。とはいえ、この俺も君たちのプレゼントならいつでも喜んで受け付けてるけどね。
 

2014/01/10

Post #1015

HomeTown/Nagoya
日頃、自分でも判ってるのかどうか怪しいような小難しいことを縷々述べてはいるけれど、俺自身としては、いわゆる『もののあはれ』が好きなんだ。
本当は、政治だの世界だの大きなことよりも、女性と互いに仲良くなって気持ちよくなったりする方がはるか好きだし、人生にとって大きな意味があると思うのさ。刹那的だとしてもね。

愉楽の波は、その瞬間に体の奥底から湧き上がり、潮が引くようにすぐに掻き消えてしまう。
掻き消えてしまうから、何度でも味わいたいと想うものなんだろう。

だから、眠れぬままに読みふけっている金子光晴のこんな詩が、自分の想いと寄り添ってゆく。

愛情 55

はじめて抱きよせられて、女の存在がふはりと浮いて、
なにもかも、男のなかに崩れ込むあの瞬間。

五年、十年、三十年たつても、あの瞬間はいつも色あげしたやうで、
あとのであいひの退屈なくり返しを、償つてまだあまりがある。

あの瞬間だけのために、男たちは、なんべんでも恋をする。
あの瞬間だけのために、わざわざこの世に生れ、めしを食ひ、生きて来たかのやうに。

男の舌が女の唇を割つたそのあとで、女のほうから、おづおづと、
男の口に舌をさし入れてくるあの瞬間のおもひのために。

金子光晴 『愛情69』より、「愛情55」


ああ、そうだよな。あの瞬間のおもいのために、男なんて生きているに過ぎないんだと、俺も思うよ。まったくだ。それがわからんような男なんて・・・。
『女のほうから、おづおづと』ってのがまたイイ。この恥じらいを含んだ語感がたまらないな。
あんまり煙草を吸いすぎて、口が臭くならないようにしないといけねぇな。口臭ぷんぷんじゃ、どんな物好きな女の子も、鼻をつまんでそっぽを向いちまうだろうよ。

しかしまぁ、こんなことばかり書いてると、またカミさんに叱られちまうわな。

そんな切なさとエロスの漂う、駘蕩たる雰囲気の写真が撮れるようになりたいと思いながらも、まだまだ自分の写真は荒々しく、また理が勝っているように思える。残念なことだ。

読者諸君、失礼いたす。国家だの会社だのといった幻想よりも、女性への幻想のほうが、俺にははるかに重たく、重要だよ。君はどうだい?


2014/01/09

Post #1014

Budapest,Hungary
東京都知事選に、細川元首相出馬を検討・・・。背後に小泉純一郎元首相か。
これは面白くなってきたな。
この動きから目が離せないぜ。
読者諸君、失礼する。今日はちょっと忙しい。しかし、日々の忙しさにかまけて、この社会の行く末を考えなくなってしまうようでは、それは君、ちょっと本末転倒だぜ。

2014/01/08

Post #1013

Budapest.Hungary
およそこの世界には、現実の物しか存在していない。
しかし、私たちは現実を現実そのものとして認識するわけではなく、自らのうちにある様々な幻想を通じて、受け入れているといえる。
幻想こそ、物事に意味を与え、価値をもたらす源泉だということだ。

昨年、『国のために戦って死ぬことは、大変な美徳』とか言ったような趣旨のことを名古屋弁で言った市長がいたが、俺に言わせれば、国すら幻想の産物である以上、美徳だなんだというのは、それこそ幻想に過ぎないということだ。
犬死も名誉の戦死もない。ただ、国家という強烈な幻想によって、死地に赴くよう促され、帰ってこなかったというだけだ。
神の名のもとによる争いも、まったく同じことだ。神のために戦うことで、死後、楽園なり浄土なりに赴くことができるなどという幻想によって、無謀な戦いに意味を見出すことは、死後の世界という幻想を持たない者にとっては、噴飯ものでしかないが、果たして神なり死後の世界なりのほうが、国家だの法だのという、よりスマートな幻想より無知蒙昧なものなのかといえば、そうとも言い切れない。
人は国家という幻想のもとに殺戮をする者のほうが神という幻想に基づいて殺戮する者より、理性的かつ現代的であると考えがちだが、どちらも巨大な幻想であるという視点で見るなら、いずれも愚かしいことに変わりはない。

極力、幻想を排して、目の前の事物をそのままに捉えること。
しかし、人間という幻想的な生き物にとって、幻想を排した世界は、味気ないものだ。


読者諸君、失礼する。写真は現実を捉えるものだけれど、俺はこっそり、暗室の中で、俺自身の持つ幻想をブレンドする。人はそうしてできた写真をそれぞれの幻想で解釈するわけさ。

2014/01/07

Post #1012

Budapest,Hungary
ふと、この時期に、折に触れて俺の脳裏によぎり、木霊のように響いては離れない言葉を記しておくことにする。

『国家は幻想の共同体だというかんがえを、わたしははじめにマルクスから知った。だがこのかんがえは西欧的思考にふかく根ざしていて、もっと源泉がたどれるかもしれない。この考えにはじめて接したときわたしは衝撃をうけた。それまでわたしが漠然ともっていたイメージでは、国家は国民のすべてを足もとまで包み込んでいる袋みたいなもので、人間はひとつの袋からべつのひとつの袋へ移ったり、旅行したり、国籍をかえたりできても、いずれこの世界に存在しているかぎり、人間は誰でも袋の外に出ることできないとおもっていた。わたしはこういう国家概念が日本を含むアジア的な特質で、西欧的な概念とまったくちがうことを知った。
 まずわたしが驚いたのは、人間は社会のなかに社会をつくりながら、じっさいの生活をやっており、国家は共同の幻想としてこの社会のうえに聳えているという西欧的なイメージであった。西欧ではどんなに国家主義的な傾向になったり、民族本位の主張がなされるばあいでも、国家が国民の全体をすっぽり包んでいる袋のようなものだというイメージで考えられてはいない。
いつでも国家は社会の上に聳えた幻想の共同体であり、わたしたちがじっさいに生活している社会よりも小さくて、しかも社会から分離した概念とみなされている。
 ある時期この国家のイメージのちがいに気づいたとき、わたしは蒼ざめるほどの衝撃をうけたのを覚えている。
 (中略)
 国家は共同の幻想である。風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。人間が共同のし組みやシステムをつくって、それが守られたり流布されたり、慣行となったりしているところでは、どこでも共同の幻想が存在している。』

(吉本隆明 改訂新版 共同幻想論 「角川文庫版のための序」より)

はるか昔、まだ高校生の頃、この文章を読んで、ぶん殴られたような衝撃を感じた。
そしてそれ以来、この国家も法も宗教も共同の幻想であるというテーゼこそが、社会を見る俺自身の視点の中心になった。
この北東アジアで、国家の利害と歴史に基づく相互不信が奔流のように社会の空気を歪ませているような今だからこそ、俺自身が忘れないために、ここに書いておく。

読者諸君、失礼する。天国もない。ただ空があるだけ。国境もない、ただ地面があるだけ。みんながそう思えば、簡単なことさ。

2014/01/06

Post #1011

Praha,Czech
久々に完徹で仕事をすると、どんよりとした疲労感が身体にまとわりつく。
しかし、この状況はいったいいつまで続くかわからない。なぜなら、それが俺の稼業だから。
因果なものだ。
人々が会社に出勤するころに、家路をたどり、朝っぱらからカミさんが作っておいてくれたカレーをがつがつとかっ喰らう。
そうして、丸太のように眠るのだ。
こんなんじゃ、疲れなんて取れるわけがないぜ。第一、お肌に悪い。肌が荒れすさんでくると、人間は一挙に年老いて見えるようになるものだ。
同じ完徹でも、独り暗室に籠って、乾燥させる場所にも困るほどの量に及ぶプリントを仕上げたときの疲労感は、この毎日の営みに伴う澱のような疲労感とは比べ物にならない。自分の好きな事には、人間はとんでもない集中力を発揮するものだ。

まったく、こんな生活ではフラストレーションも溜まるというものだ。
しかし、残念ながらお金はたまらない。世の中そういうものだ。

読者諸君、失礼する。寝起きというのはどうにも頭が回らないもんだな。これじゃ、こっくりさんに文章を書いてもらってるのと大差ないぜ。

2014/01/05

Post #1010

Dubrovnik,Croatia
幸せになりたいけど、働きたくない。
次に生まれるんなら、ネコあたりがいいと思うよ。しかも、暖かいところがいいよな。
読者諸君、失礼する。今夜から激戦、フル稼働なんで、気が重いったらない俺さ


2014/01/04

Post #1009

Budapest,Hungary
一月は、もう休みが取れそうにない。
この時点でもうすでに確定だ。仕方ない。そういう稼業だ。
もうすぐやってくる俺の45歳の誕生日も、誰にも祝ってもらうことなく、仕事だろう。まぁ、45にもなって、誕生日なんてそう目出たいとも言えんしな、致し方なかろう。

誕生日といえば、昨年の暮れ、免許証の更新に行ってきた。ちゃんと手続きに行く前に美容院に行って臨んだというのに、出来上がってきた免許証の写真は、誰に見せても笑いが取れるほど、ヤバい感じだった。
どう見ても、危ない奴にしか見えないのだ。
おかげさんで仕事仲間にはどっかんどっかん、笑いが取れている。ある意味満足だ。ロックンロールな感じがする。どう見ても、ショパンとかモーツァルトとかは聞きそうにない。あの手の音楽には、牛に聞かせるとお乳の出がよくなる効果があるということだ。俺の胸からは乳はでるようなことはないので、あえて聴く必要はないだろう。
前の免許証もいい加減ワルそうだったが、今回はさらにパワーアップしている。
前の免許証の時も、おまわりに停められると、必ずダッシュボードの中とか検められたものだが、今回も間違いなく要らぬ詮索を加えられそうだ。深夜の運転には気を付けたほうがいいだろう。

そういえば俺はいつも、海外旅行から帰ってくると、必ず、必ずや税関のカウンターで、ずいぶんと剣呑なカンジで詮索されるのだ。どこに何しに行っていたのか?そんなのお前に関係ないだろう?誰だって聞かれてるとは思うが、俺の場合は、イカにもタコにも覚せい剤とかエロ本とか、国内に持ち込んだらヤバいものを持ってるんじゃないかって疑惑むんむんのまなざしで突っかかってくるんだよなぁ。
俺は、声を大にして言いたいぜ。
『人を見かけで判断してはいけません!』

読者諸君、失礼する。この後もいろいろ野暮用があってね。

2014/01/03

Post #1008

Budapest,Hungary
昨日の夜、TVでやってた西田敏行主演の『影武者 徳川家康』を見ていたら、無性に隆慶一郎の原作本を読みたくなって、本棚を漁って引っ張り出してきた。
この話は、関ヶ原の合戦で本物の徳川家康は、石田三成配下の忍びによって暗殺されており、そののちに徳川家康として世にあったのは、かつて一揆衆の一人として、織田信長を狙撃したこともある世良田二郎三郎という風来坊だったという話だ。二郎三郎は、自らの命を護るために、徳川家康の息子秀忠と、陰に陽に暗闘を繰り広げ、徳川家による一極支配の確立を阻み続けるという話だ。
これがまた、面白いんだよなぁ。
今夜から仕事も始まるし、今月は税務署に提出する書類も作っていかねばならないのに、困ったもんだ。
隆慶一郎の小説には、歴史家網野善彦の影響が背骨のように貫かれている。
物語を紡いでゆくのは、誰にも縛られず、時には差別さえされる非農耕、非定住の民、『道々の輩』だ。
彼らは既成のいかなる権力にも屈服することを良しとせず、家も持たず、農地も持たず、自らの技術技芸だけを頼りに、世を渡ってゆく。
そして、決して歴史の表舞台に出ることなく、ひっそりと死んでゆく。そのあたりが、世間一般で信奉者が多い、司馬遼太郎の作品とは大きく肌合いを異にしている。司馬遼太郎の作品では、主人公は、史書に特筆されるようなものばかりだからだ。
誰かに支配されることも、誰かを支配することもなく、自らの力のみで生きてく行く。
隆慶一郎の小説でもっとも有名なのは、もちろん『一夢庵風流記』、つまりマンガでおなじみの花の慶次であろう。あの前田慶次郎にしても、ある意味、武勇無双を表す朱槍一本を武器に世を渡り歩いた、道々の輩なのだ。
生きて、死ぬだけだよ。
ロマンだなぁ・・・。
しかし、江戸幕府の確立によって、一所不定の道々の輩の多くは、部落に押し込められ、被差別民として、歴史の暗部に追いやられることになる。
若いころから、俺はそんな自由さに憧れていた。
あるとき、その血筋を持つ知人の女性に、もし仮に君と結婚したとしたら、俺もその仲間になれるのか?と訊いてみたところ、それは無理だと言われたことがある。もうずいぶんと昔のことだ。
あくまでそれは血統なんだという意味合いのことを言われたように記憶している。
今でも、ヨーロッパに行った折に、ジプシーの写真を撮ってしまうのは、自分の中に一所不定の自由さに(もちろんそれは、物質的な不自由さと裏腹だ)憧れ魅かれる心性があるからだ。

俺は、隆慶一郎の決して長くはない作家生活で残した小説群を読むとき、もしかしたらありえたかもしれない日本を、夢想する。

さて、今から夕方まで、何をして時間を潰そうか?
プリントしようか、読書をしようか、税務申告の書類を作ろうか。
それともやっぱり『影武者 徳川家康』を読みふけってしまおうか。
読者諸君、失礼する。とりあえず小腹がすいたんで、餅でも喰らうとするぜ。まずはそこからだ。

2014/01/02

Post #1007

Budapest,Hungary
郵便局のPRをするつもりはないけれど、年賀状が来ると、何となく嬉しいものだ。
日頃忙しさにかまけて疎遠になっている友人から、近況が届くのは、やはりうれしい。
なかでも、とりわけ新居に移転しました、子供が生まれましたといった便りは、正月早々おめでたい気分で読むことができるんで、いいもんだな。とはいえ、家買いましたとかは、できれば俺が年賀状を出す前に教えてほしかった。毎年、何通かは居所不明で戻ってきたりする。ひどいときには、自分の親族でそれだからな。嫌になっちまうぜ。

俺は、子供を儲けたり、ローンを組んで家を買ったりといった、ごく普通の人々が当たり前のようにとおってくる道筋をズルして通らずに、この年まで来てしまった。
そう、もう45歳になろうというのだ。びっくりだ。もう20年近く一緒に暮らしている内縁のカミさんも、あくまで内縁で籍なんか入ってない。この日本の社会では、決してスタンダードな生き方ではないだろう。

だから、こういう年賀状を読むと、吉本隆明の次のような言葉が脳裏をかすめる。

『結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ。』
(吉本隆明「自己とはなにか」『敗北の構造』弓立社)

そうなのだ、俺のような生き方は、逸脱なのだ。もちろん、それを悔いても始まらないんだが。
けれど、吉本隆明は、それをさらに一歩進める。

『そういう生き方をもっとも価値ある生き方とすれば、大なり小なりそれからの逸脱でしか人間は生きられない。
しかしそれは逸脱だから価値のより少ない生き方なんだ。だけれども価値のより少ない生き方が人間に可能なのはなぜか、あるいは赦されるのはなぜかと言えば、もし価値の少ない生き方、つまり逸脱のなかに必然があれば、必然があればというのは意志があればじゃなくて、向こうからどうしてもそうなちゃったんだという必然があるならば、それはいいだろう、仕方ないじゃないか、肯定すべきであるというふうに僕は思うわけです。』
(吉本隆明、小川国男との対話「家、隣人、故郷」『どこに思想の根拠をおくか』筑摩書房)

というわけで、大いなる逸脱なのか、ささやかなる逸脱なのか、現時点では判然とはしないけれど、価値のすくない人生を、もう少しの間歩んでいくしかないと、俺は今年も自分を納得させるわけだ。

中上健二の絶頂ともいうべき『千年の愉楽』の主人公オリュウノオバは、自分が産婆として取り上げた色事師やばくち打ち、山師や荒くれ者など、卑小なる逸脱者に対して、『ただ、この世にあるだけで良いのだ』と、この世にあるだけで、その存在をカミとも仏とも自然ともとれる世界そのものから無限に赦されていることを謳いあげた。
是非善悪は、人の社会の中だけにある。
必然の世界は、自ずからそうなっているのであって、それはどんなに無惨に見えようが、善も悪もない。

読者諸君、失礼する。逸脱こそ人生の華だよ。そう自分の境遇を慰め、受け入れるしかないではないか?今更、世間様並なんて、できっこないよ。逸脱こそ、生きているということだ。

2014/01/01

Post #1006

Budapest,Hungary

読者諸君、あけましておめでとう。
皆さんのおかげで、このブログも新しい年を迎えることができました。誇張じゃなくて、マジで。
俺はずっと、たった一人で世界の片隅で喚いてるだけかと思っていたんだが、実は大勢の読者諸君に、支えられていることがわかってきた。いやほんとに実感してるんだ。
ありがとう。
今年も、解き放たれた野生の種馬のように突っ走るぜ!
しっかり手綱を握って、鐙に踏ん張っていてくれたまえ。

読者諸君、失礼する。今年もよろしくご指導ご鞭撻のほどを、お願いいたします。