2014/01/08

Post #1013

Budapest.Hungary
およそこの世界には、現実の物しか存在していない。
しかし、私たちは現実を現実そのものとして認識するわけではなく、自らのうちにある様々な幻想を通じて、受け入れているといえる。
幻想こそ、物事に意味を与え、価値をもたらす源泉だということだ。

昨年、『国のために戦って死ぬことは、大変な美徳』とか言ったような趣旨のことを名古屋弁で言った市長がいたが、俺に言わせれば、国すら幻想の産物である以上、美徳だなんだというのは、それこそ幻想に過ぎないということだ。
犬死も名誉の戦死もない。ただ、国家という強烈な幻想によって、死地に赴くよう促され、帰ってこなかったというだけだ。
神の名のもとによる争いも、まったく同じことだ。神のために戦うことで、死後、楽園なり浄土なりに赴くことができるなどという幻想によって、無謀な戦いに意味を見出すことは、死後の世界という幻想を持たない者にとっては、噴飯ものでしかないが、果たして神なり死後の世界なりのほうが、国家だの法だのという、よりスマートな幻想より無知蒙昧なものなのかといえば、そうとも言い切れない。
人は国家という幻想のもとに殺戮をする者のほうが神という幻想に基づいて殺戮する者より、理性的かつ現代的であると考えがちだが、どちらも巨大な幻想であるという視点で見るなら、いずれも愚かしいことに変わりはない。

極力、幻想を排して、目の前の事物をそのままに捉えること。
しかし、人間という幻想的な生き物にとって、幻想を排した世界は、味気ないものだ。


読者諸君、失礼する。写真は現実を捉えるものだけれど、俺はこっそり、暗室の中で、俺自身の持つ幻想をブレンドする。人はそうしてできた写真をそれぞれの幻想で解釈するわけさ。

0 件のコメント:

コメントを投稿