2014/02/22

Post #1055

Paris
20歳の誕生日を過ぎたばかりで、俺はカルトな宗教にはまって家を出た。
時代は平成に移っていた。
以来五年間、山に籠って訳の判らない修行をしたり、日本刀を振り回したり、図書館に通っては、様々な宗教儀式を研究し、その教団のためにいろんな儀式を考案したりしていた。単なる信者ではなく、むしろ行者といった立ち位置だった。宗教的なテクノクラートだったといっても過言ではない。しばしば指導者に呼び出され、霊界から示されたキーワードについて調査するよう指示されたり、現実社会からはうかがい知ることができない、霊界での闘争について教えられ、その戦いの趨勢を決するような儀式を考案することが俺に求められた。

一般社会の常識では理解しがたいこともたくさん経験した。
霊媒を通じてもたらされる神霊界からの断片的な情報を基に、儀式を組立て、儀式に使う祝詞祭文を、文字通り憑りつかれたように書き散らしていた。
まだ家を出ずに通っていた頃、俺と同じ年の若者がついていけないと離脱した。彼はそのすぐ後に原付で事故って死んでしまった。そうして、その後、霊媒のもとに彼の霊と称する者が現れ、教団から離れ、それによって命を失い、なおかつ二度とその魂が救われる方途を亡くしてしまったことを悔やんでいた。
信者の方の子息が、仕事を辞め、精神を病んだ末に失踪し、行方不明になったこともあった。
俺は教団の指示によって、足止めの法という古神道の秘法をアレンジし、儀式を行った。
その儀式を行った頃、その信者の息子さんは遠く離れた湖のほとりで、焼身自殺していた。確かに足は止まったのだ。
癌で余命いくばくもない資産家の信者の方の家に出向き、半年間寿命を延ばす儀式を行った事もあった。驚くべきことに、実際にその人は半年間生き続けた。半年間の命の値段、六千万円。
そこは異常な世界だった。
そして、入口はあいているが、出口は閉じている世界だった。
そして、そんな閉じた社会がどこでもそうであるように、個を圧殺するような仕組みができていた。
俺は、そばアレルギーの仲間に、他の連中が精神の壁を取り払えば、アレルギーは起きないなどと無茶な事を言って、そばを無理やり食わせるのを見たことがある。当然、彼は呼吸困難に陥った。アナフィキラシーだ。
無謀で根拠不明な精神論で、すべてが片づけられていた。まるで、戦争中に竹槍や特攻攻撃で質量ともに日本の国力をはるかに凌駕するアメリカ軍を撃退できると信じていた日本人そのままだった。
人間の暗部を見せつけられるようなこともしばしばだった。
指導者の一人が、朝になったら女性行者の一人とともに行方をくらませていたことがあった。
そして、残された他の女性行者たちもみな、その指導者と性的にずぶずぶの関係にあったことが発覚し、女性たちは皆組織の中枢から追放されたこともあった。
人間の精神を開放するどころか、人間を抑圧し、神の名を借りた恐怖で洗脳し、組織の歯車と化すようになっていた。
そして、俺も組織の飼い犬の様に暮らすことを余儀なくされていた。
俺自身は、世界の裏側の真実の一端に触れる事が出来るということが、伝奇小説の登場人物になったようで、純粋に楽しかった。
しかし、組織は分裂を繰り返し、先鋭化していけば行くほど、俺のような変わり者の居場所はなくなって行った。ある晩、修行のレベルが一段上がる、これ以上は無理だと思うものは手を挙げろと言われたので、手を挙げると、お前はいろいろと知りすぎているから、許すわけにはいかないと指導者から首を絞められ、危うく殺されるところだった。一命を取り留めた俺は、組織の拠点に軟禁されることになった。
俺はある夜、行者たちが集団生活している建物の台所の窓からこっそりと抜け出し、夜逃げした。
そうして、今日に至るわけだ。
それからの人生は自分にとっては余生のようなものだと思っていたけれど、世の中はそんなに甘くなかった。
現実の世界で、悪戦苦闘する中で学んだことは多い。
そして、現実社会を学べば学ぶほど、あの閉鎖的で陰湿な宗教の閉じた世界は、あちら側だけの話ではなく、この現実社会にも、姿かたちや規模を変えて、明らかに存在していることを知った。

俺は、自分の無知蒙昧を深く恥じた。文化、歴史、宗教、社会、この世の中のさまざまな事象について、深く知りたいと思った。もう二度と、惑わされたくはないと誓ったのだ。
その一方で、小は零細企業から大は宗教、政党、国家に至るまで、個の自由を圧殺して、その隷属を礎にして存在しようとするものには、用心して、距離を置き、内心反発してきた。

しかし、この時期の経験が全く無駄だったとは思わない。この若いときの一見無駄な経験がなければ、今日の俺は存在しなかったはずだ。

読者諸君、失礼する。
たまたまふと思い出したので、書き記しておいた。どんな経験も、個人的なものは個人の経験にすぎず、他人にとって一つの人生譚以上の意味は持ちえないし、本人にとっても生活態度の根源を意味にするに過ぎない。しかし、その経験に対して、考え抜き、その中から何らかの普遍性を抽出獲得することができたとき、それは一つの思想となりうるんじゃないかとも思う。

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