2014/02/24

Post #1057

Dubrovnik,Croatia
ウクライナの情勢に注目しています。
ウクライナは、美人の産地として有名ですが、その秘密は長い歴史の間に、さまざまな民族が交錯混血してきたところにあるかもしれません。
紀元前にはスキタイ人が割拠し、古代にはバルト海沿岸からヴァリャークと呼ばれるバイキングが黒海へと抜ける交易路を開くために入植し、国を築きました。いわゆるルーシ国家です。その後にモンゴル人には蹂躙され、ポーランドの支配をうけたりもしました。
さまざまな民族がまじりあって、今日のウクライナ人を形作っていることでしょう。単に、親ロシアの東部と、親ヨーロッパの西部という図式だけでは割り切れないものがあると思います。
ウクライナの今後に興味津々です。
民主主義ってのは、フランス革命以来、騒乱暴動と表裏一体で勝ち取られてきたように思えます。共産圏の崩壊なんかは、中年の俺には生々しい記憶として残っています。もちろん、一面的な見方であるのは承知してますけどね。
俺がウクライナ人だったとしたら、きっとせっせと火炎瓶を投げたりしていたことでしょう。いや、ひょっとするとかなりの常識人のうちのカミさんにこっぴどく叱られて、しゅんとなっていたかもしれません。
権力を持った一握りの人たちが、その権力をそうやすやすと庶民大衆に投げ出すわけはありません。短絡的な見方であることは承知の上で言わせてもらえば、庶民大衆が、自ら立ち上がって、権力者を放逐するところに、民主主義のダイナミズムが発露するように、思います。民主主義の特異点であり、ビッグバンのようなものです。
さまざまな思惑を持った大衆の寄せ集めの民主主義ですから、そこから先はそう簡単には物事は進みませんが、それでも大衆は自らの手で選択することができるようになるわけです。もっとも、エジプトみたいになかなかうまく進まない例も多々あることでしょうが。
それでも、民主主義はろくでもない社会の仕組みの中では、最もマシなものだと思います。
だから、ウクライナの今後の情勢から、目が離せない俺なのさ。

国家のために国民が存在しているわけではありません。
国民のために、国家という契約が存在しているだけです。

読者諸君、失礼する。けれど、この日本では、決して革命は起きないだろうな。どんなに人々の間に社会に対する不満があっても。この日本じゃ、ピザに農薬を混ぜたり、繁華街に車を突っ込ませたりするだけで、何も変わらないのさ。

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