2014/03/26

Post #1086

Dubrovnik,Croatia
ここんところ、また西井一夫の写真論集ばかり読んでいる。
写真について学ぶべきことは、すべて西井一夫が語り残しているようにも思える。
なかでも、すでに10年以上前に亡くなった西井一夫が、あたかも遺書のように遺してくれた『20世紀写真論・終章』は、写真にたずさわる者なら、一読に値する。
その序文から一節引用しよう。

『この本で私が希望しているのは、写真をはじめた人が知ってほしい写真の常識や教養をこれを素材に学んでほしい、ということだ。
写真は、押せば写る、という機械の結果なのではない。
カメラは、いや、フィルムは確かに物事の表面に反射した光を届いたかぎりですべて受容する。
しかし、レンズが取り込む光は、どこに向けるかで受容する範囲も違えば、絞りによって取り込む光量も違う。
さらにモノクロの場合とくに、暗室作業という手作業が介在することで、写真家が見せる領域を潰したり、あえて明るくしたりの、手心を加えることが可能だ。
そういう、写真の構造性をよく知ったうえでカメラを操作することが大切だ。
そのためには、写真という技術が生み出された時代の裏側、社会的・芸術的・歴史的・人類学的背景を常識として知っていただきたいと切望する。』
(西井一夫『20世紀写真論・終章』より)

携帯電話にカメラが付き、あまねくすべての人々が、瞬時に世界に対して自分の撮った写真を発信しうる現在において、このような『常識』というのは、すでに時代遅れのものなのかもしれない。
しかし、意識的に自ら写真にたずさわってゆくことを選択した以上は、それを不断に自身のなかに折りこんでゆき、意識してゆかねばならないと思う。

読者諸君、失礼する。

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